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2020. 02. 07  
鹽竈神社の左宮右宮の祭神は、それぞれ武甕槌神経津主神です。

つまり、鹿島神宮の祭神と香取神宮の御祭神。

鹽竈神社は、わざと主祭神がタケミカヅチ神とフツヌシ神に見えるようにされた可能性があります。
神様は、信仰されればされるほど力が増すと思われていますから。(極端な例だと、人々にお世話してもらえない寂れた神社には、神様がいなくなるらしい)
実際、唐門から真っ直ぐ進めば、参拝客はそっちに流れるように出来ているし、シオツチノオジ神が祀られている『別宮』は、まあいっか、という人が多いのですから。

でも、神職の方や巫女さんたちは、ちゃんと解っていて別宮の塩土老翁神をリスペクトしていると思いますよ。
ご祈祷を申し込むと、お祓いをしてくれるのはそちらのお宮ですから。

そんな鹽竈神社、実は鎌倉時代辺りには、御祭神が行方不明になっていた模様です。
だって、創建時不明な程度に古い神社なのに、その頃には神仏習合しちゃって

『塩竈大明神』。

まあ、地元民の多くは、一向に気にしていなかったと思いますが。

だって、こちとら道の奥と書いてみちのくだぞ?

朝廷が誰かを派遣してきて、そっちの神様を連れて来て神社を造った所で、地元の人間は西日本の神様なんて存じ上げませんよ~
昔の伊勢神宮みたいに、

『何かよくわかんないけど、ありがたい神様であるらしいから拝もう』という感じで、だから地元民には

『しおがまさん』

っていうだけでありがたくもあり親しみもあり、それ以上のことはわかんなくても民草には一向に差し支えなかった、ってことです。
因みに、伊達政宗公も全く差し支えなかったと思うんですが。お社を2つ新築した程度に、祀られるべき神を特定していたと思います。

でも、謎だらけの鹽竈神社と謎だらけの祭神では、民草は差し支えなくても、伊達藩主4代・伊達綱村公には、差し支えがあったんですよね。
仙台城にとって、鹽竈神社は鬼門の守り。(キッチリ北東ではない。政宗公は丑~寅の方角にかけて、広く固めるやり方であるようです)

盛大にお祀りしなければならないのに、祭神不明で伊達家を守ってくれる神なのか否かも判らないのでは、どう社殿を造営したらよいのか判りません。
初代藩主・政宗公から開始された仙台城下町の結界は、4代綱村公の辺りでほぼ完成しますから、神仏とか神社仏閣に関しては、

綱村公もマニア。

しおがまさんの祭神は、行方不明と言われる程度に歴史上フラフラと何種類もあって、なんじゃそれ状態だったんですけど、その中でも謎感が強いのが、

『鹽竈六所明神』『三社の神』

六とか三とか、一体何だ?
政宗公は、どうしてお社を2つにしたんだろうか……妥協して2つにしておくか、とかいう人じゃないと思うんだけど。
気になって調べました。

前者は『鹽竈社縁起』に記載があり、鹽竈明神とは、次の同体異名の6座であるのだそうです。
塩土老翁、猿田彦命、事勝国勝命、岐神、興玉命、太田命。

…知らん神が多いわ。調べよう。
まず、事勝国勝命。先代旧事本紀にしか出て来ない事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさ)ですが、これが塩土老翁の別名。
って、ちょっと!

どーして強そうでカコイイ名前の神様が、塩じいになっちゃってんのさ!!

確かに、他の神もすぐに調べがつく程度に、サルタヒコと同神説を持ってる神が多い…シオツチノオジも同じ神社名にサルタヒコが祀られてたりするからリンクする。
道祖神っぽいラインナップ。道案内とか、境界線とか、そういう神が集められてて、同体異名の6座、…ということか。

『三社の神』は、素直に読めば『3つの神社から神or仏を勧請してきている』。或いは社殿が3つあって、『3つまとめてしおがまさんという』、辺りなのかな?

ぐぐるとすぐに出てくるのは、『三社託宣』
上記の6柱の中には確かに伊勢神宮の神もいるけど、『三社託宣』はかなり謎が満々な雰囲気で、ここで足を取られると先に進めない気がするので、今は『鹽竈六所明神』が判明しただけでよしとします。

とりあえず、十分です。
『鹽竈社縁起』を編纂したのが、現在の鹽竈神社の社殿をプロデュースした、4代伊達綱村公だって、そこまで判れば。

綱村公ってば……シオツチノオジはともかく、鹿島神宮と香取神宮は、何処から来たよ。
…って、古くを遡れば、伊達家は藤原北家の末裔でしたね。

だから、優秀なブレーンが出さなかった、藤原氏が仰ぐ武神の名を、伊達家の守りに持って来ちゃったんですか?
ちゃっかりしてるなーもー。

でも、政宗公はそれ以上の答えを知っていて、それまで見逃してくれていたと思うんですけど。
瀧澤神社の瀬織津姫様に火防の神という謎のレッテルを貼って、水路に豊かな水が流れる城下町の中に遷座して、上手に隠して下さったように。
※そしてやはり仙台城の鬼門の、最も清浄な守護神になっている

でも、しおがまさんの真の祭神は、意図的に伏せられた可能性を考えて、政宗公は後世に伝えなかったのだと思います。
当然に、しおがまさんの宮司さん(伊達家の歴代藩主が努めてきた名誉職?大神主ではなくて、神社に常駐していた、正式な神職の人)もまた、知っていたはずです。
だって、明治時代に明らかになったのですから。

宮司さん、しらばっくれたな絶対。

でも、宮司さんは悪くないんです。きっと、真の御祭神を守ろうとしたのですから。
それほど鹽竈にとって大事な神様で、なのにでっかい神社で大々的に祀っていることがバレれば、祭神変更を迫られる可能性のある神だった。
神社から消された神様って、瀬織津姫が有名ですけれども、きっとほかにもたくさんいらっしゃるのでしょう。

そんなこんなで、綱村公は、同体異名の6座をシオツチノオジという、いかにも鹽竈神社に相応しいお名前の神様1柱に絞って、加えて伊達家に縁のある、しかも強力な神を選んで、仙台城と城下町の丑~寅封じの祭神を新たに決めた。

その2柱が、武甕槌神&経津主神です。

伊達家は藤原北家の末裔ですから。少なくとも、そう自称していることは確かです。
政宗公も、政宗は諱(いみな)ですから、誰も日常的にはそう呼ぶ人はいません。

ですから、表向きの名としては、『伊達次郎』もしくは『松平次郎』(松平姓は、コレ名乗ってもいいよ~と幕府から賜ってしまった)と名乗っていました。
これは、藤原の藤、だと思います。

鹿島神宮も香取神宮も、めっちゃ藤原氏がらみです。

伊達家の氏神様は、領地が変わる度に遷座させてまで手放さなかった、こぢんまりとした亀岡八幡宮ですが、もうひとつ、伊達家ゆかりの氏神様にして守りが欲しいと思ったら、遡って藤原氏ゆかりのタケミカヅチ神とフツヌシ神が視野に入ったのだと思います。

で、唐門をくぐったら、真っ正面にこの二柱が来るように配置。
しかしこれだけでは、どの辺がしおがま?となりますので、古くから鹽竈に塩の作り方を教えた神がいるという伝承を汲んで、塩の神にして海神であるシオツチノオジ神を別宮に配置したのだと思います。

これで、『三社の神』という路線も、字面的には一往クリアです。

でも、どうして、お祀りするだけでは済まずに、本家本元の鹿島・香取両神宮の方に社殿を向けたのかどうかは、私も『?』です。

『?』だったので、近隣の地に何があるのか探してみました。
つまり、しおがまさん~鹿島神宮・香取神宮の間に、何かあるんじゃないかと。

そしたら、これかな?と思うものを見つけましたので、そのお話は次回にて。
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Comment
Re: ご回答ありがとうございます。
『奥州一宮鹽竈神社』を中古で見つけたので早速ポチりました。
届いたら読んでみますね。
ありがとうございました。
ご回答ありがとうございます。
本来の塩釜神は、志波彦・姫による男女ペアという解釈は、私も同意します。ちなみに伊達政宗公が塩竈神社を改築した際に、社殿を2つ作ったという話については、下記の論文に説明があります。

横山秀哉「塩釜神社の神仏混淆の様相について」
https://ci.nii.ac.jp/naid/110006165801

現在の塩釜神社は、伊達綱村公が造営したもので、塩釜社縁起に基づいて建てられています。塩釜社縁起では、東国三社の神々が祭神となっています。
左宮 武甕槌命
右宮 経津主命
別宮 岐神

私個人の解釈では、伊達綱村公の塩釜神社造営の目的は、塩釜の邪神封じと考えています。春日権現験記には、下記のような記載があります。
「昔、我が朝、悪鬼・邪神明け暮れ戦ひて、都鄙安からざりしかば、武甕槌の命是を哀れみて、陸奥国塩竃浦に天降り給ふ。邪神霊威に畏れ奉りて、或ひは逃げ去り、或ひは従ひ奉る。」

伊達綱村公にとっては、左右宮を本宮と解釈していたからこそ、正面に配置したのでしょう(本来の塩釜神を右脇の別宮に追い出してでも・・・)。
Re: ソースについて
ソース提供ありがとうございます。

私は、今の塩竈神社の作りが不自然(真っ直ぐ進むと左宮・右宮があって、それが本宮に思えてしまい、素人には別宮はおまけに見えて参拝しない人が結構多い)が不自然だと思っていました。
そして今、塩竈神社が単独ではなく志波彦神社・塩竈神社と併記してあることからしても、現在の塩竈神社の祭神よりも、志波彦神社の方が格上で、かつての塩竈神社の《本当の御祭神》は志波彦さんなのだろうとも推定していました。

※ 鹿島・香取の御祭神は、多分綱村公が社殿を作り替えた際に持ってきた、藤原家(伊達家が藤原北家末裔を主張)の祖神であろうと。(藤原家の祖神も、フツヌシやタケイカヅチに『なる』前は、アメノヤコネに設定していたのに乗り替えていて何だかなー、なんですが)

それから、気になったのは、伊達政宗公が塩竈神社を改築した際に、社殿を2つ作ったという話が有りまして、ならば塩竈神社とは、唯一志波彦&志波姫がペアで祀られていた神社だったのでは…と。

夫婦または兄妹などの男女ペア神を祀るのは、信仰としても古い形態なので、何なら塩竈神社が存在する前から志波彦・志波姫神が揃って祀られていたのでは……というのが、脳内にあったのですけれども、そこに話を持っていくのが難しかったので、連載放置していた次第です。

最近、出雲関係の記事に偏っていますので、今の連載が落ち着いたら、再び東北地方に帰って来ようかと思います。
ソースについて
ソースは、『特別展 奥州一宮鹽竈神社 しおがまさまの歴史と文化財』東北歴史博物館、発行日2007年8月9日、26~27ページの「34 鹽竈神社縁起 元禄六(1693)年 鹽竈神社」に記載された塩釜社縁起原文です。この文献は、塩釜神社の博物館で購入したもので、同博物館でも塩釜社縁起が展示されています。

塩釜社縁起では、別宮の祭神が左宮・右宮の次に記載されて二の次扱いで、また志波彦・志波姫とも同体だとも主張しているのが興味深いです。

また同文献の88ページには、江戸時代の塩釜神の御神像「棒と如意宝珠をもち中国の皇帝の冠をかぶった男神像」と「赤ん坊や稲をもった謎の女神像」の男女神のご神影も載っていて興味深い内容です。
Re: 別宮の祭神について
はじめまして。
実は、塩竈神社シリーズは、私の考察が途中で詰んでしまったので、長い間放置しておりました…
なお、

>「岐神・塩釜六所明神(猿田彦、事勝国勝、塩土老爺、岐神、興玉命、太田命の六座・同体異名)」

のソースはどこでしょう?
教えて頂ければ幸いです。
別宮の祭神について
塩釜社縁起では、別宮の祭神は「塩土老爺神」ではなく、「岐神・塩釜六所明神(猿田彦、事勝国勝、塩土老爺、岐神、興玉命、太田命の六座・同体異名)」です。

現在の別宮の塩土老爺神一座は、別宮神職の藤塚知直の主張が根拠になっています。藤塚知直は、記紀神話から塩釜社縁起の六神同体異名説を否定している一方で、塩釜社縁起で塩作りを民に教えたとされる「塩土老爺神の一座」を祭神と主張しました。

現在の塩釜神社は、塩釜社縁起を肯定(実は否定しているのに)しながらも「藤塚知直の主張」を採用するというアクロバットなことをしています。殿様の命令で編集された塩釜社縁起よりも別宮の一神職の主張を優先して採用しています。(これもひとえに藤塚知直の養子が超カリスマのレジェンド神職「藤塚知明」だからでしょうが・・・)。
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プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
定義山西方寺を崇敬。伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。透明水彩絵師。

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