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2020. 01. 26  
『事代主と建御名方とウィキペディアの怪。』その1&その2 の続編です。

コトシロヌシとタケミナカタと、どっちが兄でどっちが弟???…というテーマで色々調べていくということは、
大国主の神裔を探ってゆくことと、ほぼイコールなんです。
そして、実にシンプルな謎に突き当たるのです。

母親って、誰?

先代旧事本紀も当たりました。
ウィキベディアの記事のソース本も、元を辿れば根拠は先代旧事本紀でほぼ確定でしょう。

こちらのサイトから現代語訳文を引用させて頂きましたが、先代旧事本紀が語るオオクニヌシの神裔は、以下のようになります。

大己貴神(おおなむちのかみ) 亦の名は大国主神(おおくにぬしのかみ)。
亦の名は大物主神(おおものぬしのかみ)。
亦の名は国造大穴牟遅命(くにつくるおおなむちのみこと)。
亦の名は大国玉神(おおくにたまのかみ)。
亦の名は顕見国玉神(うつしくにたまのかみ)。
亦の名は葦原醜雄命(あしはらしこおのみこと)。
亦の名は八千矛神(やちほこのかみ)。
八つの名前が有る。その子は大凡百八十一柱の神が有る。

まず宗像の奥都島に居られる神の田心姫命を娶って一男一女を生む
味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ) 倭の国の葛上郡高鴨社(たかがものやしろ)に居られる。一説には捨篠社(しののやしろ)とも云う。
妹の下照姫命(したてるひめのみこと) 倭の国の葛上郡雲櫛社(くもくしのやしろ)に居られる。

次に邊都宮に居られる高津姫神(※ たきつひめのかみ)を娶り一男一女を生む
(※は、「たかつひめ」と読むのが素直だと思うのだが、根拠あっての「たき」なのか、誤植なのか不明)
都味歯八重事代主神(つみはやへことしろぬしのかみ) 倭の国の高市郡(たけちこおり)高市社(たけちのやしろ)に居られる。一説には甘南備飛鳥社(かみなぎのあすかのやしろ)とも言う。
妹の高照光姫大神命(※ たかてるひめのおおかみのみこと) 倭の葛上郡御歳神社(ミトシノジンジャ)に居られる。
(※ はい?大神!?)

次に稲羽八上姫(いなばのやかみひめ)を娶り一児を生む
御井神(みいのかみ) 亦の名は木股神(きまたのかみ)と言う。

次に高志沼河姫(こしのぬなかわひめ)を娶り一男を生む
建御名方神(たけみなかたのかみ) 信濃の国の諏訪郡(すわのこおり)諏訪神社に居られる。
(引用終わり。太字設定は私)

ということで、タケミナカタが最後なんです。
これを素直すぎる感じに読んでしまうと、タケミナカタが弟だと思うことになるのです。

そう…素直すぎる。
神裔の記述一覧では、先代旧事紀は、生まれ順については全く当てにならないのですから。
何故かというと、先に記してあるスサノオ様の御子神の順がランダムだからです。

はじめに道中貴こと宗像三女神の記述があり(長文なのでその次から再び引用します)

次に五十猛神(いそたけるのかみ) 亦の名を大屋彦神(おおやひこのかみ)と言う。]
次に大屋姫神(おおやひめのかみ)
次に抓津姫神(つまつひめのかみ)
これらの三神は紀伊の国に居られる。紀伊国造(きいのくにつくり)の斎祭る神である。

次に事八十神(ことやそかみ)
※ 聞かない神名。古事記に出てくる、オオナムチを何度も殺そうとする兄集団のことだろうか?
次に大己貴神(おおなむちのかみ)倭の国の城上郡(しろのかみのこおり)大三輪神社に居られる。
次に須勢理姫神(すせりひめのかみ)大三輪大神の摘后
次に大年神(おおどしのかみ)
次に稲倉魂神(うかのみたまのかみ) 亦は宇迦能御玉神(うかのみたまのかみ)
次に葛木一言主神(かつらぎのひとことぬしのかみ) 倭の国の葛上郡(かつらのかみのこおり)に居られる。

(引用終わり)

「次に」というのは、単に読み上げているだけで、生まれ順を示す「次に」ではないと思います。
何故なら、こちらでもオオナムチはスサノオ神の婿ではなく息子に名を連ね、しかしスセリヒメも日本書紀のように葬られることなく名前があるのですが、仮にこれが生誕順だとすると、

オオナムチもスセリヒメも、どちらも末子ではない=相続者ではないことになるからです。

スサノオの神裔がランダムならば、大国主の系譜もランダムと見るべきで、タケミナカタが末子でコトシロヌシが兄という証拠にはなりません。

それとも、先代旧事本紀には、他の所でタケミナカタがコトシロヌシの弟だという記述が、あるのだろうか?
それで、神裔の記事よりも遡って、タケミナカタが登場する国譲り(この言葉なんとかなんないかなぁ。侵略戦争が実態でしょこれ)の場面を呼んでみました。

そしたら…ありました!古事記も日本書紀もそんな事は言っていないのに、先代旧事本紀だけが、降参するタケミナカタに

『それを追って科野(しなの)国の洲羽(すわ)の海に追い攻めて、まさに殺そうとしたとき、建御名方神が恐れていった。
「私を殺しなさいますな。この地以外には、他の土地には参りません。また、我が父・大国主神の命に背きません。兄の八重事代主神の言葉にもそむきません。この葦原の中国は、天神の御子の仰せのままに献上いたしましょう」』

…これだったのか!!
古事記にも日本書紀にも無い、タケミナカタ末っ子説は、先代旧事紀のこのたったひとつの台詞だったのです。

これは、信用するのに値するのか、否か?
別の面からアプローチするために、疑問点を整理して、謎解きを始めましょう

(その2につづく)
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プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
定義山西方寺を崇敬。伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。透明水彩絵師。

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