2023.
11.
16
久々に本の紹介です。序章の1.神秘の異境 より引用します。
>青い海原と、青い天の原の教会がくっきり見える日もあるが、茫洋として境界線が見えない日も多い。この"海"と"天"のどちらをも、日本の古語では、"アマ"という。
(中略)
>対馬の西南端に鎮座している高皇産霊神(高皇産霊尊)は、ウツロ船(虚船・空船)に乗って漂着したと伝え、上県のカラカミ(韓神)には、ハケ(瓠・ひさご)のような容器に入って漂着した伝説があるほか、寄神(よりがみ)に号する祭祀が各地にある。
何かと出雲贔屓な私は、そこに海に漂着するものを神聖視する信仰があることは知っていた。
七福神の中にエビスという神がいるが、一方で水死体(人間のほかクジラなど大型のもの)をエビスと呼んで、これを不吉なものではなく縁起が良いものとする信仰も知っている。
だが、記紀神話で女神天照よりも偉そうな、最高司令官のようなタカミムスビが本当の最高神であろうと考えたことはあっても、海人達の漂着神であったことは知らなかった。
カミムスビが海に流された(そして漂着した)のも知らなかった。
対馬の人々にとって、神は海からやって来るものであり、また海に去って行く存在でもあった。
海に生きる海人達にとって、それは至極当然の感性であり、神が天(空という上の彼方)から降りてくるのは、大陸の発想と神話であり、その大陸の発想と神々と祭祀もまた、現実に大陸から海を越えてやってきたのである。
そして私は、海から来たと伝承される神々が、何かと外来神であり渡来人であると決めつける傾向を、常々気にいらないとも思っていた。
例えば私の推し男神・スサノオとイソタケルがそうである。
私は、この神々を海を越えて「行ったり来たり」する存在だと思っていた。海人族の交易や交流とはそういうものだと考えていたからだ。
実際、色々操作したであろう日本書紀であっても、日本に渡ってきたスサノオは自分の子供達が韓国にある金銀を持って来るのに船が必要だといい、自身の体毛から真っ先に化生させた木は、船材に適した木だった。
スサノオ自身がそうであったように、自分の子供達も船で行ったり来たりすることを想定していたという事だ。
本書でスサノオに言及しているページは多くない。
だが海童・磯建良(五十猛の原形と思われる)と、海童が海神としての神格を持ったワタツミという神には、本書のタイトル通りに多く言及している。
私は予てから「海人族」という人々に感心を持っていた。
今でこそ、日本は稲作の国であり、天皇が田植えの神事を行うほど皇室も農耕の一族ではあるが、遙かな昔からそうだったのだろうか?というと、私はそうとは思えなかった。
何故かというと、日本が島国だからである。
航海による交易を本業とする海人から、本拠地で農耕もするが自給自足が可能なのは魚のみという半漁労の人々まで差はあるが、島国日本と海は切り離しようのないものだ。
大きな島(本州・四国・九州)のほか、日本神話では対馬・壱岐・隠岐・淡路島という小さな島も同等に国産み神話に登場する。
イザナギ・イザナギ・イザナミ夫妻神は、島は生んだし海の神も生んだことになっているが、海そのものは生んでいない。掻き混ぜた矛からぽたぽたと落ちた塩がおのころ島になったが、海は始めから存在していたのである。
記紀神話はあちこちの神話を切り貼りして作った模様で稲作が重視されているけれども、はじまりに起用されたのは国土という島を生む海神による海人達の神話だった。
女神天照とは何だ?
そして、オオヒルメとは誰だ?
オオヒルメが高天原でやっていること機織りその他巫女のそれであるので、神に仕えた巫女であることは分かる。
しかし、オオヒルメが仕えていたのは何という名のどんな神だったのだろう?
…という私が長きに渡って抱えていた問いに、ひとつの答えとして永留氏は対馬の伝承をもとに「答え」を提示している。
それは、記紀を何度読んでも、私が今のところ遠ざけている古史古伝にはまり込んだとしてもも、絶対に辿り着けない答えである。
永留氏は対馬生まれという事で、話や根拠が対馬に偏るという事は私も重々承知しているし、彼女は敢えてコンパスの中心を対馬に置いて円を描いた視点で考えたいというスタンスを明らかにしている。
大陸や日本の本土から見た神話や歴史と、島から見たそれは違うのだと彼女は述べているのだから、そういう視点の違いや違う神話を知るために読むべき本である。
日本の神話、そして古代史を知りたければ、まずは本書を読まなければ始まらないと思わせてくれた一冊だった。
海人達が衰退するまでは、日本で最も活動的であったのは、海を渡り驚くほど遠方までの貿易をになっていたのは、海に出て行き海から帰ってくる彼らだったのだから。
是非一読をお勧めしたい。


>青い海原と、青い天の原の教会がくっきり見える日もあるが、茫洋として境界線が見えない日も多い。この"海"と"天"のどちらをも、日本の古語では、"アマ"という。
(中略)
>対馬の西南端に鎮座している高皇産霊神(高皇産霊尊)は、ウツロ船(虚船・空船)に乗って漂着したと伝え、上県のカラカミ(韓神)には、ハケ(瓠・ひさご)のような容器に入って漂着した伝説があるほか、寄神(よりがみ)に号する祭祀が各地にある。
何かと出雲贔屓な私は、そこに海に漂着するものを神聖視する信仰があることは知っていた。
七福神の中にエビスという神がいるが、一方で水死体(人間のほかクジラなど大型のもの)をエビスと呼んで、これを不吉なものではなく縁起が良いものとする信仰も知っている。
だが、記紀神話で女神天照よりも偉そうな、最高司令官のようなタカミムスビが本当の最高神であろうと考えたことはあっても、海人達の漂着神であったことは知らなかった。
カミムスビが海に流された(そして漂着した)のも知らなかった。
対馬の人々にとって、神は海からやって来るものであり、また海に去って行く存在でもあった。
海に生きる海人達にとって、それは至極当然の感性であり、神が天(空という上の彼方)から降りてくるのは、大陸の発想と神話であり、その大陸の発想と神々と祭祀もまた、現実に大陸から海を越えてやってきたのである。
そして私は、海から来たと伝承される神々が、何かと外来神であり渡来人であると決めつける傾向を、常々気にいらないとも思っていた。
例えば私の推し男神・スサノオとイソタケルがそうである。
私は、この神々を海を越えて「行ったり来たり」する存在だと思っていた。海人族の交易や交流とはそういうものだと考えていたからだ。
実際、色々操作したであろう日本書紀であっても、日本に渡ってきたスサノオは自分の子供達が韓国にある金銀を持って来るのに船が必要だといい、自身の体毛から真っ先に化生させた木は、船材に適した木だった。
スサノオ自身がそうであったように、自分の子供達も船で行ったり来たりすることを想定していたという事だ。
本書でスサノオに言及しているページは多くない。
だが海童・磯建良(五十猛の原形と思われる)と、海童が海神としての神格を持ったワタツミという神には、本書のタイトル通りに多く言及している。
私は予てから「海人族」という人々に感心を持っていた。
今でこそ、日本は稲作の国であり、天皇が田植えの神事を行うほど皇室も農耕の一族ではあるが、遙かな昔からそうだったのだろうか?というと、私はそうとは思えなかった。
何故かというと、日本が島国だからである。
航海による交易を本業とする海人から、本拠地で農耕もするが自給自足が可能なのは魚のみという半漁労の人々まで差はあるが、島国日本と海は切り離しようのないものだ。
大きな島(本州・四国・九州)のほか、日本神話では対馬・壱岐・隠岐・淡路島という小さな島も同等に国産み神話に登場する。
イザナギ・イザナギ・イザナミ夫妻神は、島は生んだし海の神も生んだことになっているが、海そのものは生んでいない。掻き混ぜた矛からぽたぽたと落ちた塩がおのころ島になったが、海は始めから存在していたのである。
記紀神話はあちこちの神話を切り貼りして作った模様で稲作が重視されているけれども、はじまりに起用されたのは国土という島を生む海神による海人達の神話だった。
女神天照とは何だ?
そして、オオヒルメとは誰だ?
オオヒルメが高天原でやっていること機織りその他巫女のそれであるので、神に仕えた巫女であることは分かる。
しかし、オオヒルメが仕えていたのは何という名のどんな神だったのだろう?
…という私が長きに渡って抱えていた問いに、ひとつの答えとして永留氏は対馬の伝承をもとに「答え」を提示している。
それは、記紀を何度読んでも、私が今のところ遠ざけている古史古伝にはまり込んだとしてもも、絶対に辿り着けない答えである。
永留氏は対馬生まれという事で、話や根拠が対馬に偏るという事は私も重々承知しているし、彼女は敢えてコンパスの中心を対馬に置いて円を描いた視点で考えたいというスタンスを明らかにしている。
大陸や日本の本土から見た神話や歴史と、島から見たそれは違うのだと彼女は述べているのだから、そういう視点の違いや違う神話を知るために読むべき本である。
日本の神話、そして古代史を知りたければ、まずは本書を読まなければ始まらないと思わせてくれた一冊だった。
海人達が衰退するまでは、日本で最も活動的であったのは、海を渡り驚くほど遠方までの貿易をになっていたのは、海に出て行き海から帰ってくる彼らだったのだから。
是非一読をお勧めしたい。


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