2023.
01.
24
さて、本来の物語は不明ながら、人々に愛され親しまれるようになった福の神・ヒルコ。
ヒルコのままで祀られていることもありますが、良くあるパターンは七福神のエビス様です。
釣り竿と鯛をを抱えて満面の笑顔の、でっぷりとしているのもまたふくふくしい感じの、福しか感じないような神様です。
えびす、という名前はエミシとかと同じで、中華様が自分たち以外は全て蛮族として勝手につけた蔑称に由来するそうですが、どうして蔑称で定着したまま福の神になっちゃったのか、私にはよくわかりません。
そして、七福神はインドや中国に起源を持つ神が多く、エビスだけが唯一日本うまれです。
にもかかわらず、「外来神」「漂着神」の属性が強い神様です。
出雲辺りでは(出雲・山陰に限らないと思いますが)、海に流れ着くものを神聖視する信仰があるようですが、そのような流れの中で生まれた神様なのでしょうか。
確かに、古代日本は海人達が様々なところに船で行き交い、珍しいものや貴重なものを持ち帰ってくれるので、「海の向こうには何かとてもいいものがあるらしい」ということになったのかもしれません。
でも、あまりにも果てしなくて、海人達でさえ誰も一定以上の場所以降の世界を見たことがない。
生きた人間が辿りつけないそこは、異界であり、神の領域であり、常世と呼ばれたのでしょう。
浜辺に流れ着いた海蛇は、有毒であろうと神の使いであり、古代は《やってきた神》そのものであったかもしれません。
そういう信仰が、《ヒルコ》と似ているんですね。
舟に乗せて捨てられて、でも人間の元に流れ着いた神。
そして、ヒルコは蛭子・蛭児・水蛭子、などと表記されるように、田んぼとかにいて人の足に貼り付いては血を吸って膨れ上がる、かなり気持ちが悪い《蛭》に例えられ、立てなかったというのも骨が無かったか、無いかのようにグニャグニャした不具の子として生まれました。
昨日までの、ちょっとほっこりしたお話を、ここでいきなり叩っ切りますが、
水死体のことをエビスと言います。
水難事故のニュースで、身元の確認を急いでいますと言っていますが、見た目ではわからないことが多いのです。
服が脱げていることもありますし、水を吸ってブヨブヨに肥大しているからです。
四角い棺桶いっぱいに四角く収まることもあるほどです。
だから、古代の海人族や、昭和辺りの漁師さんは入れ墨の習慣が有りましたが、魔除けの意味もあったでしょうが、変わり果てていても仲間ならば入れ墨で誰かを特定出来るからです。
このように、異形になり果てた水死体は、人間のものに限らずクジラやサメなどの死体もエビスで、
漁業では水死体(エビス)に出会うと大漁をもたらすものと信じられていたのです。
何故そうなる!?と私は多分常識的なツッコミを入れたくなったんですが、鍵は《漂着した異形》であることなのでしょう。
最早原形を留めていないそれは、神の使いであって、手厚く葬れば福をもたらしてくれるのです。
手厚く葬らないと祟るんですけどね。
不思議な巡り合わせですが、ヒルコは蛭のような異形の神だったことから、憐れに思われ、情をかけられ、そして有り難い福の神として、人々に愛され信仰されるようになったのです。
エビスと習合した神はヒルコ以外にもいて、事代主(釣りをしていたから)、少彦名(ガガイモの実を舟にしてやって来て、去る時も突然常世へ行ってしまった)、ヒコホデミミ尊(何で!?ワタツミの宮から帰還したから???)です。
人間に幸福をもたらしてくれる、不思議な漂着神。
葦舟で旅立ったヒルコ神が、これからも末永く人々に愛される事を願います。
ヒルコのままで祀られていることもありますが、良くあるパターンは七福神のエビス様です。
釣り竿と鯛をを抱えて満面の笑顔の、でっぷりとしているのもまたふくふくしい感じの、福しか感じないような神様です。
えびす、という名前はエミシとかと同じで、中華様が自分たち以外は全て蛮族として勝手につけた蔑称に由来するそうですが、どうして蔑称で定着したまま福の神になっちゃったのか、私にはよくわかりません。
そして、七福神はインドや中国に起源を持つ神が多く、エビスだけが唯一日本うまれです。
にもかかわらず、「外来神」「漂着神」の属性が強い神様です。
出雲辺りでは(出雲・山陰に限らないと思いますが)、海に流れ着くものを神聖視する信仰があるようですが、そのような流れの中で生まれた神様なのでしょうか。
確かに、古代日本は海人達が様々なところに船で行き交い、珍しいものや貴重なものを持ち帰ってくれるので、「海の向こうには何かとてもいいものがあるらしい」ということになったのかもしれません。
でも、あまりにも果てしなくて、海人達でさえ誰も一定以上の場所以降の世界を見たことがない。
生きた人間が辿りつけないそこは、異界であり、神の領域であり、常世と呼ばれたのでしょう。
浜辺に流れ着いた海蛇は、有毒であろうと神の使いであり、古代は《やってきた神》そのものであったかもしれません。
そういう信仰が、《ヒルコ》と似ているんですね。
舟に乗せて捨てられて、でも人間の元に流れ着いた神。
そして、ヒルコは蛭子・蛭児・水蛭子、などと表記されるように、田んぼとかにいて人の足に貼り付いては血を吸って膨れ上がる、かなり気持ちが悪い《蛭》に例えられ、立てなかったというのも骨が無かったか、無いかのようにグニャグニャした不具の子として生まれました。
昨日までの、ちょっとほっこりしたお話を、ここでいきなり叩っ切りますが、
水死体のことをエビスと言います。
水難事故のニュースで、身元の確認を急いでいますと言っていますが、見た目ではわからないことが多いのです。
服が脱げていることもありますし、水を吸ってブヨブヨに肥大しているからです。
四角い棺桶いっぱいに四角く収まることもあるほどです。
だから、古代の海人族や、昭和辺りの漁師さんは入れ墨の習慣が有りましたが、魔除けの意味もあったでしょうが、変わり果てていても仲間ならば入れ墨で誰かを特定出来るからです。
このように、異形になり果てた水死体は、人間のものに限らずクジラやサメなどの死体もエビスで、
漁業では水死体(エビス)に出会うと大漁をもたらすものと信じられていたのです。
何故そうなる!?と私は多分常識的なツッコミを入れたくなったんですが、鍵は《漂着した異形》であることなのでしょう。
最早原形を留めていないそれは、神の使いであって、手厚く葬れば福をもたらしてくれるのです。
手厚く葬らないと祟るんですけどね。
不思議な巡り合わせですが、ヒルコは蛭のような異形の神だったことから、憐れに思われ、情をかけられ、そして有り難い福の神として、人々に愛され信仰されるようになったのです。
エビスと習合した神はヒルコ以外にもいて、事代主(釣りをしていたから)、少彦名(ガガイモの実を舟にしてやって来て、去る時も突然常世へ行ってしまった)、ヒコホデミミ尊(何で!?ワタツミの宮から帰還したから???)です。
人間に幸福をもたらしてくれる、不思議な漂着神。
葦舟で旅立ったヒルコ神が、これからも末永く人々に愛される事を願います。

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