2023.
01.
23
日本書紀の異文には、大雨の中スサノオは蓑笠(みの&かさ。なまはげみたいなアレ)を纏ってとぼとぼ歩き、宿を求めても「お前悪い神じゃん。泊めねーわ」と断られるシーンもあります。
そうした苦難を経て天を去り下界に降ってみると、泣いている夫婦&美少女を見付けて、ヤマタノオロチから守って助けてやろうとスサノオは思います。巨大な怪物を仕留める為に知恵を絞り策を練り、戦うのが冒険と試練のストーリーです。
スサノオはヤマタノオロチという怪物を見事倒し、ヤマタノオロチ尾の中から見事な神剣を見付け、救ったクシナダヒメを娶り子を為しました。
…というのが英雄エンディングです。
ここで終われば良かったのに。
王子様とお姫様は、「そしていつまでも幸せにに暮らしました」でいいんだよ!その後とか、いらないの!!
スサノオ様のお話は、クシナダヒメとの間にヤシマジヌミ(or)オオナムチを設けた後、
「そして根の国に行かれた」で終わるのです。
確かに、母が恋しいと言って根の国に行きたいと泣き、好きにしろと父に突き放された。(古事記)
両親に根の国へ行けと追い出された。(日本書紀)
だから、スサノオは母に会うという目的を果たす為に、かつて父イザナギが逃げ帰った場所へと去っていった。
或いは、お前など根の国へ行けと言われて、親の言うとおりにした。
悲しすぎる後日譚くっつけんなよ!!!(泣
ヒルコには、冒険と試練、英雄エンディングがありません。カットされている。
だから、ヒルコって実はスサノオじゃね?という案が出て来るのですが、そうでないならば根の国エンドじゃなければいいなぁと、心から思います…
でも、個人的には、ヒルコ=スサノオ説は、私はそう外してもいないんじゃないかな、と思っています。
多分、イザナギ・イザナミ夫妻神の神話とヤマタノオロチ神話は、別のところで発生しているとは思うんです。
それを編集する時にくっつけて一連の話にしたか、或いは記紀編集の時点で既に一体化していたか。
神話や伝承は、ある異なる一族がくっ付いたり、又はひとつの一族が分裂したり、移動したり、人間の様々な営みと歴史の中で、これもくっ付いたり変質したりするものだからです。
ヒルコという名前、そして大日孁という露骨にヨイショされた存在が、おそらくヒルコの地位を奪ってしまったと察するに、ヒルコは太陽神です。
そして、葦船で(日本書紀では天磐櫲樟船/あめのいわくすぶね。磐座を神の船と見なした信仰だと思います)海に流されてしまい、カットされてしまいましたが海を経て冒険の旅に出る、というのは海神の性質も併せ持っています。
そして、海人族が信仰する太陽神は、当然に海神でもあります。
海は日の光を浴びて眩しく照り輝くものです。
海人族はひとつではありません。海人達の太陽神は数多くいたことでしょう。そして、その一族が統合されてゆく過程で双方の太陽神が習合・融合していったのだと思います。
それでも《唯一の太陽神》とか《至上の太陽神》にはならなかったことでしょう。今でも地域性のある神、そこにしかいない神、というのは信仰されているのですから、唯一の太陽神、唯一の皇祖神天照大御神という操作が意図的にされたのは不比等と持統天皇の時代であり、更に徹底されたのが明治天皇の意向だと思います。
例えば、伊勢津彦も土地を明け渡す時に、風を起こして光り輝きながら去って行きます。
伊勢津彦は日本には珍しい風神と言われていますが、彼は風神であると同時に海神であり、輝く太陽神なのです。海人族は海流と風に乗って眩しい海原を渡るのです。
間違っても陸の民のように占いで出航の日を決めて白村江で惨敗したりしません。
古事記で始めは海を治めろと言われたスサノオのモデルも、縄文まで歴史を遡る海人たちの海神であり、太陽の神です。
そもそも、日本では天と書いても海と書いても『あま』と読む程度に、空も海も果てしのない青であり光であるという世界観の名残がある。
そして、後世に海神の化身のように言われた歴史上の人物が出現し、出雲に名を残したのだと思います。
ヒルコもまた、可哀想なだけで終わる存在ではないのです。
顔だけが取り柄の弱っちいオオナムチでさえ(すみません。私手癖の悪い男ってタイプじゃないんです)、おっかないパパ・スサノオの殺意(アレ絶対殺しに来てるよな)からどうにか逃れて、スセリヒメを后にして大国主なんて偉そうな地位に就いたのですから、ヒルコだけが流されて終わりのはずがありません。
きっと、続きがあった。
でも、消されてしまったから、後世の人々はヒルコを英雄と讃えることはなく、ただ憐れで可哀想な子神だと思うしかなかった。
そして、可哀想な人って、伝説になりやすいんですよね。
兄貴と仲違いして北に逃げることになった《かつての英雄》源義経が典型例です。
ハッキリ言って、後白河から軽率にもホイホイ官位を受け取ってしまった義経が悪いんですけど、理知的な頼朝兄ちゃんはどうも人気がない。
そして、奥州藤原氏にさえ裏切られて死んだ、というエンディングに納得出来ない人々は、方々で勝手に義経が立ち寄ったり奥方が子を産んだり、本当は殺されずに逃げ果せたしたという話を作り出したり、というそれが地元に定着するのです。
逃避行なんだから、そんなにあちこちに伝承が残るほど目立っちゃ駄目でしょうが!
という理屈は人の情の前には通じないんですよね。
ヒルコにもそれは当てはまり、日本各地にヒルコが流れ着いた伝説があり、古事記にしか記載のないヒルコの弟妹アワシマが、元気に歩けるどころかめっちゃ踊りまくる神楽が発生したりする。
漁労の神になったり福の神になったりする。
私、こういうヒルコの愛され方って、好きですけどね。
人々の信仰が厚ければ厚いほど、神は神として光り輝くことが出来るのですから。
壊された貴種流離譚を、後世の人間の心が、ヒルコの新しい英雄譚を完成させたとも言えるでしょう。
(つづく)
そうした苦難を経て天を去り下界に降ってみると、泣いている夫婦&美少女を見付けて、ヤマタノオロチから守って助けてやろうとスサノオは思います。巨大な怪物を仕留める為に知恵を絞り策を練り、戦うのが冒険と試練のストーリーです。
スサノオはヤマタノオロチという怪物を見事倒し、ヤマタノオロチ尾の中から見事な神剣を見付け、救ったクシナダヒメを娶り子を為しました。
…というのが英雄エンディングです。
ここで終われば良かったのに。
王子様とお姫様は、「そしていつまでも幸せにに暮らしました」でいいんだよ!その後とか、いらないの!!
スサノオ様のお話は、クシナダヒメとの間にヤシマジヌミ(or)オオナムチを設けた後、
「そして根の国に行かれた」で終わるのです。
確かに、母が恋しいと言って根の国に行きたいと泣き、好きにしろと父に突き放された。(古事記)
両親に根の国へ行けと追い出された。(日本書紀)
だから、スサノオは母に会うという目的を果たす為に、かつて父イザナギが逃げ帰った場所へと去っていった。
或いは、お前など根の国へ行けと言われて、親の言うとおりにした。
悲しすぎる後日譚くっつけんなよ!!!(泣
ヒルコには、冒険と試練、英雄エンディングがありません。カットされている。
だから、ヒルコって実はスサノオじゃね?という案が出て来るのですが、そうでないならば根の国エンドじゃなければいいなぁと、心から思います…
でも、個人的には、ヒルコ=スサノオ説は、私はそう外してもいないんじゃないかな、と思っています。
多分、イザナギ・イザナミ夫妻神の神話とヤマタノオロチ神話は、別のところで発生しているとは思うんです。
それを編集する時にくっつけて一連の話にしたか、或いは記紀編集の時点で既に一体化していたか。
神話や伝承は、ある異なる一族がくっ付いたり、又はひとつの一族が分裂したり、移動したり、人間の様々な営みと歴史の中で、これもくっ付いたり変質したりするものだからです。
ヒルコという名前、そして大日孁という露骨にヨイショされた存在が、おそらくヒルコの地位を奪ってしまったと察するに、ヒルコは太陽神です。
そして、葦船で(日本書紀では天磐櫲樟船/あめのいわくすぶね。磐座を神の船と見なした信仰だと思います)海に流されてしまい、カットされてしまいましたが海を経て冒険の旅に出る、というのは海神の性質も併せ持っています。
そして、海人族が信仰する太陽神は、当然に海神でもあります。
海は日の光を浴びて眩しく照り輝くものです。
海人族はひとつではありません。海人達の太陽神は数多くいたことでしょう。そして、その一族が統合されてゆく過程で双方の太陽神が習合・融合していったのだと思います。
それでも《唯一の太陽神》とか《至上の太陽神》にはならなかったことでしょう。今でも地域性のある神、そこにしかいない神、というのは信仰されているのですから、唯一の太陽神、唯一の皇祖神天照大御神という操作が意図的にされたのは不比等と持統天皇の時代であり、更に徹底されたのが明治天皇の意向だと思います。
例えば、伊勢津彦も土地を明け渡す時に、風を起こして光り輝きながら去って行きます。
伊勢津彦は日本には珍しい風神と言われていますが、彼は風神であると同時に海神であり、輝く太陽神なのです。海人族は海流と風に乗って眩しい海原を渡るのです。
間違っても陸の民のように占いで出航の日を決めて白村江で惨敗したりしません。
古事記で始めは海を治めろと言われたスサノオのモデルも、縄文まで歴史を遡る海人たちの海神であり、太陽の神です。
そもそも、日本では天と書いても海と書いても『あま』と読む程度に、空も海も果てしのない青であり光であるという世界観の名残がある。
そして、後世に海神の化身のように言われた歴史上の人物が出現し、出雲に名を残したのだと思います。
ヒルコもまた、可哀想なだけで終わる存在ではないのです。
顔だけが取り柄の弱っちいオオナムチでさえ(すみません。私手癖の悪い男ってタイプじゃないんです)、おっかないパパ・スサノオの殺意(アレ絶対殺しに来てるよな)からどうにか逃れて、スセリヒメを后にして大国主なんて偉そうな地位に就いたのですから、ヒルコだけが流されて終わりのはずがありません。
きっと、続きがあった。
でも、消されてしまったから、後世の人々はヒルコを英雄と讃えることはなく、ただ憐れで可哀想な子神だと思うしかなかった。
そして、可哀想な人って、伝説になりやすいんですよね。
兄貴と仲違いして北に逃げることになった《かつての英雄》源義経が典型例です。
ハッキリ言って、後白河から軽率にもホイホイ官位を受け取ってしまった義経が悪いんですけど、理知的な頼朝兄ちゃんはどうも人気がない。
そして、奥州藤原氏にさえ裏切られて死んだ、というエンディングに納得出来ない人々は、方々で勝手に義経が立ち寄ったり奥方が子を産んだり、本当は殺されずに逃げ果せたしたという話を作り出したり、というそれが地元に定着するのです。
逃避行なんだから、そんなにあちこちに伝承が残るほど目立っちゃ駄目でしょうが!
という理屈は人の情の前には通じないんですよね。
ヒルコにもそれは当てはまり、日本各地にヒルコが流れ着いた伝説があり、古事記にしか記載のないヒルコの弟妹アワシマが、元気に歩けるどころかめっちゃ踊りまくる神楽が発生したりする。
漁労の神になったり福の神になったりする。
私、こういうヒルコの愛され方って、好きですけどね。
人々の信仰が厚ければ厚いほど、神は神として光り輝くことが出来るのですから。
壊された貴種流離譚を、後世の人間の心が、ヒルコの新しい英雄譚を完成させたとも言えるでしょう。
(つづく)

- 関連記事
-
- 案外、大国主はモテない。その5 (2023/01/29)
- 案外、大国主はモテない。その4 (2023/01/28)
- 案外、大国主はモテない。その3 (2023/01/27)
- 案外、大国主はモテない。その2 (2023/01/26)
- 案外、大国主はモテない。その1 (2023/01/25)
- ヒルコと恵比寿。その3 (2023/01/24)
- ヒルコと恵比寿。その2 (2023/01/23)
- ヒルコと恵比寿。その1 (2023/01/22)
- 大己貴=八島士奴美神だとするとどうなるか真面目に考えてみる。その3 (2023/01/21)
- 大己貴=八島士奴美神だとするとどうなるか真面目に考えてみる。その2 (2023/01/19)
- 大己貴=八島士奴美神だとするとどうなるか真面目に考えてみる。その1 (2023/01/18)
- 阿多の女王・木花咲耶姫と下照姫:その3 (2023/01/17)
- 阿多の女王・木花咲耶姫と下照姫:その2 (2023/01/16)
- 阿多の女王・木花咲耶姫と下照姫:その1 (2023/01/15)
- 古代の巫女王と政治王の跡継ぎはどう決める?その5 (2023/01/13)
NEXT Entry
NEW Topics