2022.
12.
09
だったら《天孫》の天火明ことニギハヤヒとその子孫に、そのままヤマトを統治させておけばいいじゃない?
なのにニニギ、……本人じゃなくて、何故かニニギの曾孫が現れて「俺が新しく来た天孫だから譲れ」とか訳わからん。
さておいて、話はまたニニギ×サクヤ様の御子神に戻します。まだ有るんですよね異文。
ニニギから男系末子の流れが目出度くヒコホホデミ尊(ホオリ/山幸彦)に繋がったんだから、もうそれでいいじゃん、と大抵の人は思うでしょうに。
何でこの場面にこだわっていくつも異文を残したのかも謎なんですが、こだわっているのなら何か意味があるのでしょう。
【異文五】
その火がはじめ明るくなったとき、踏み出して出てきた子は、自ら名乗って、
「我は天つ神の子、名は火明命(長男)である。我が父は何処におられるのか」
次に、火の盛んなときに踏み出してきた子は、また名乗りをして、
「我は天つ神の子、名は火進命(次男。別の異伝で火酢芹の別名とされている)と。我が父と兄弟は何処におられるのか」
次に、炎の衰えるときに踏み出してきた子は、また名乗りをして、
「我は天つ神の子、名は火折尊(三男)。我が父と兄弟たちは何処におられるか」
次に、火熱が引けるときにふみ出してきた子は、また名乗りをして、
「我は天つ神の子、名は彦火火出見尊こと。我が父と兄弟らは何処におられるのか」
はい、気付きました?
四兄弟に見せかけて、実は三兄弟なんですよ。
だって、尊>命 なんですから。日本書紀を読んでいると、天皇の系譜に続いていく者だけ『尊』がつくんです。
皇統に続く男神はひとりだけですから、三男を火折尊、四男も彦火火出見尊で、同一人物バレしているんです。
日本書紀って、嘘吐きのようでいて、たまに一抹の良心を見せてひっそりと嘘の修正をするんですよね。
【異文六】
天孫又問曰。其於秀起浪穗之上起八尋殿而手玉玲瓏織経之少女者是誰之子女耶。
訳:天孫がまた尋ねる。
「あの波頭の立っている波の上に大きな御殿を建て、手玉もころころと機織(はたおる)少女は誰の娘か?」
再びニニギ・サクヤの出会いの場面なんですが、サクヤヒメは機織り女として登場します。
七夕伝説の織姫も天帝の娘なのですが、機織りをして働いていました。
高天原で、何の神を祀るのか知りませんが、大御神であるはずのアマテラスも機織りをしていました。
機織りは、高貴な女性の仕事で、多分市場に売りに出すようなものではなく、超高級品であり、或いは神を祀る祭祀の時に使われる織物だったのではないかと推察します。
つまり、天帝の娘であった織女のように、サクヤヒメもかなりいいとこのお姫様なのです。
何しろ、波頭の立っている波の上に大きな御殿で機織りやってる位なので。
ちょっと待て。
波頭の上の大きな御殿って一体何?
ざぶんざぶん波が立ってるところにお屋敷か宮か、そういうのが浮いていて、そこで美しい少女が機織りをしていると。
サクヤヒメもイワナガヒメも、大山祇の娘なんですけど?
字面的にも響き的にも、大山祇って山の神様よね!?
その山の神の御殿が、何で非常識にも海の波の上に建ってんの?
この非常識な謎については、何の説明もありません。
登場人物(神)の誰も、違和感を抱いていないからです。
読み手の困惑をよそに、やはりニニギはサクヤヒメだけを召します。
訳:そしてついに火酢芹命を生み、次に火折尊を生んだ。
またの名は彦火火出見尊である。
「ホスセリ」と山幸彦「ホオリ/ヒコホホデミ」の2人兄弟になります。
ここで、古事記で空気だったホスセリが案外頑張って登場し続けています。
モデルとなった史実では空気ではなかった?
続いて、この異文はニニギがどうせ地祇の子だろうと嘲い、サクヤヒメが怒髪天で火中出産に踏み切った前提で書かれています。
訳:母の誓いがはっきりと証明している。確かに、これは皇孫の胤であると。
しかし、豊吾田津姫(とよあたつひめ/サクヤヒメの別名)は皇孫を恨んで喋ろうともしなかった。
そりゃそうよ。
一夜だけで身篭もる訳がない、どうせ地祇の子だろうと嘲笑しておいて、サクヤヒメが命懸けの誓約で産んだ子供が確かにニニギの子だったと証明されたところで、サクヤヒメの女のプライドが下世話な疑いを掛けて笑った夫を許す訳がありません。
訳:皇孫は悲しみ、歌を詠んだ。
↑この男に悲しむ権利があるだろうか?
その歌の原文:憶企都茂幡。陛爾幡譽戻耐母。佐禰耐據茂。阿黨播怒介茂譽。播磨都智耐理譽。
歌の訳:沖つ葉は 辺には寄れども さ寝床も、与わぬかもよ 濱つ千鳥よ
漢文で書くのがポリシーの日本書紀ですが、和歌は万葉仮名なんですね。
淡々とした簡潔な文章の語りがウリの日本書紀だと思っていたので、嘆いて歌ったとかその歌を書き残したとか、なんか古事記みたいなノリだなと思ったのですが、書紀は物語性のあるところで歌が出てくるのはそれなりにあるようです。
中国向けの史書なのに、万葉仮名の歌を載せることに何の意味があるんだ???と思うんですけど。それから、
歌の意味(意訳):沖の藻は浜辺に寄るけれど、(我が妻はオレに寄ろうともせず)寝る床さえも与えてくれない、浜千鳥よ。イチャイチャしてるお前ら羨ましい爆発しろ。
ニニギ、カスじゃん。とか不敬なことを思ったのは私だけじゃないはずだ多分。
(つづく)
なのにニニギ、……本人じゃなくて、何故かニニギの曾孫が現れて「俺が新しく来た天孫だから譲れ」とか訳わからん。
さておいて、話はまたニニギ×サクヤ様の御子神に戻します。まだ有るんですよね異文。
ニニギから男系末子の流れが目出度くヒコホホデミ尊(ホオリ/山幸彦)に繋がったんだから、もうそれでいいじゃん、と大抵の人は思うでしょうに。
何でこの場面にこだわっていくつも異文を残したのかも謎なんですが、こだわっているのなら何か意味があるのでしょう。
【異文五】
その火がはじめ明るくなったとき、踏み出して出てきた子は、自ら名乗って、
「我は天つ神の子、名は火明命(長男)である。我が父は何処におられるのか」
次に、火の盛んなときに踏み出してきた子は、また名乗りをして、
「我は天つ神の子、名は火進命(次男。別の異伝で火酢芹の別名とされている)と。我が父と兄弟は何処におられるのか」
次に、炎の衰えるときに踏み出してきた子は、また名乗りをして、
「我は天つ神の子、名は火折尊(三男)。我が父と兄弟たちは何処におられるか」
次に、火熱が引けるときにふみ出してきた子は、また名乗りをして、
「我は天つ神の子、名は彦火火出見尊こと。我が父と兄弟らは何処におられるのか」
はい、気付きました?
四兄弟に見せかけて、実は三兄弟なんですよ。
だって、尊>命 なんですから。日本書紀を読んでいると、天皇の系譜に続いていく者だけ『尊』がつくんです。
皇統に続く男神はひとりだけですから、三男を火折尊、四男も彦火火出見尊で、同一人物バレしているんです。
日本書紀って、嘘吐きのようでいて、たまに一抹の良心を見せてひっそりと嘘の修正をするんですよね。
【異文六】
天孫又問曰。其於秀起浪穗之上起八尋殿而手玉玲瓏織経之少女者是誰之子女耶。
訳:天孫がまた尋ねる。
「あの波頭の立っている波の上に大きな御殿を建て、手玉もころころと機織(はたおる)少女は誰の娘か?」
再びニニギ・サクヤの出会いの場面なんですが、サクヤヒメは機織り女として登場します。
七夕伝説の織姫も天帝の娘なのですが、機織りをして働いていました。
高天原で、何の神を祀るのか知りませんが、大御神であるはずのアマテラスも機織りをしていました。
機織りは、高貴な女性の仕事で、多分市場に売りに出すようなものではなく、超高級品であり、或いは神を祀る祭祀の時に使われる織物だったのではないかと推察します。
つまり、天帝の娘であった織女のように、サクヤヒメもかなりいいとこのお姫様なのです。
何しろ、波頭の立っている波の上に大きな御殿で機織りやってる位なので。
ちょっと待て。
波頭の上の大きな御殿って一体何?
ざぶんざぶん波が立ってるところにお屋敷か宮か、そういうのが浮いていて、そこで美しい少女が機織りをしていると。
サクヤヒメもイワナガヒメも、大山祇の娘なんですけど?
字面的にも響き的にも、大山祇って山の神様よね!?
その山の神の御殿が、何で非常識にも海の波の上に建ってんの?
この非常識な謎については、何の説明もありません。
登場人物(神)の誰も、違和感を抱いていないからです。
読み手の困惑をよそに、やはりニニギはサクヤヒメだけを召します。
訳:そしてついに火酢芹命を生み、次に火折尊を生んだ。
またの名は彦火火出見尊である。
「ホスセリ」と山幸彦「ホオリ/ヒコホホデミ」の2人兄弟になります。
ここで、古事記で空気だったホスセリが案外頑張って登場し続けています。
モデルとなった史実では空気ではなかった?
続いて、この異文はニニギがどうせ地祇の子だろうと嘲い、サクヤヒメが怒髪天で火中出産に踏み切った前提で書かれています。
訳:母の誓いがはっきりと証明している。確かに、これは皇孫の胤であると。
しかし、豊吾田津姫(とよあたつひめ/サクヤヒメの別名)は皇孫を恨んで喋ろうともしなかった。
そりゃそうよ。
一夜だけで身篭もる訳がない、どうせ地祇の子だろうと嘲笑しておいて、サクヤヒメが命懸けの誓約で産んだ子供が確かにニニギの子だったと証明されたところで、サクヤヒメの女のプライドが下世話な疑いを掛けて笑った夫を許す訳がありません。
訳:皇孫は悲しみ、歌を詠んだ。
↑この男に悲しむ権利があるだろうか?
その歌の原文:憶企都茂幡。陛爾幡譽戻耐母。佐禰耐據茂。阿黨播怒介茂譽。播磨都智耐理譽。
歌の訳:沖つ葉は 辺には寄れども さ寝床も、与わぬかもよ 濱つ千鳥よ
漢文で書くのがポリシーの日本書紀ですが、和歌は万葉仮名なんですね。
淡々とした簡潔な文章の語りがウリの日本書紀だと思っていたので、嘆いて歌ったとかその歌を書き残したとか、なんか古事記みたいなノリだなと思ったのですが、書紀は物語性のあるところで歌が出てくるのはそれなりにあるようです。
中国向けの史書なのに、万葉仮名の歌を載せることに何の意味があるんだ???と思うんですけど。それから、
歌の意味(意訳):沖の藻は浜辺に寄るけれど、(我が妻はオレに寄ろうともせず)寝る床さえも与えてくれない、浜千鳥よ。イチャイチャしてるお前ら羨ましい爆発しろ。
ニニギ、カスじゃん。とか不敬なことを思ったのは私だけじゃないはずだ多分。
(つづく)

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