2022.
11.
17
三柱の共通点は、誰が欠けてもオオクニヌシはオオクニヌシたり得なかった、ということです。
だからこそ、たかが?貝の女神なのに嫡后スセリヒメ様の近くに祀られているのでしょう。
そう言えば、元々出雲の祭祀王(女王)はスセリヒメなので、スセリヒメ様の婿にならなかったらオオナムチは出雲の政治王にはなれなかったんですよね。
ここまで、オオクニヌシを支えた女神が揃っているのに、相棒スクナヒコナが居ないのはおかしい。
神魂御子神社で、本当は筑紫社じゃないんじゃないか?
タギリヒメの名前で、本当の神魂の御子神は隠されている。
もし、神魂御子神社の祭神が、カミムスビの子神=スクナヒコナだったら、納得がいく。
表向きの「筑紫社」は、殊更に気を遣って建てられているとかで、そんなに地方妻をヨイショしたいのか日向族は!!(怒)と思っていた時期があるのですが、最近私は別記事に描いた通りタギリヒメ=スセリヒメだと考えているので、オオクニヌシの左右にスセリヒメが分かれて祀られる必要がないのです。
オオクニヌシを挟んで左右にスセリヒメ様とスクナヒコナ。これなら私も許せる。
スクナヒコナだとして、どうして表向きの筑紫社が丁重に扱われているのでしょうか?
1.名前を隠して済みませんせめてお社を立派に致します説。
2.「彦」が付くのでどっかの王子説。
……うーん、私の脳味噌は今絞ってもアイデアはこんなところです。
因みに、どっかの王子、っていうのは、オオナムチ×スセリヒメの子供(それを小人という描写で暗示した?)出雲の王子だった、…としたら、スセリヒメ様は早世した我が子に上座を譲っても良いと思うかも知れません。
古事記でのオオクニヌシとスセリヒメのエピソードの締めくくりは、「すぐに杯を交わして夫婦の契りを固め、互いに首に手をかけて、現在に至るまで睦まじく鎮座しておられる」とのことで、これ出雲大社のことですよね。
でも、オオクニヌシの隣に地方妻が祀られているのでは(上座で、しかもオオクニヌシの御神体は何故か西=右=地方妻の方に向いている)のでは、スセリヒメ様が鎮まらないでしょうに!!
スセリヒメ様が邪魔に思わないとしたら、我が子くらいのものでしょう。
本来は、出雲の政治王になるはずだったのに、先立たれてしまった王子。
スクナヒコナがカミムスビの子神というのは古事記の記述で、日本書紀ではタカミムスビの子神で一致しません。
でも、タカミムスビの子はナシでしょと思います。
タカミムスビの子神が、出雲の国造りをオオナムチと一緒にやるはずがないので。やるとしたら仲違いで出奔でもしないと。
古事記はスセリヒメの子孫については全く語っていません。子が授からなかったか、いなくても記述出来なかったのか、どちらかです。
いくら出雲が末子相続とは言っても、出雲国自体は日向族に奪われるまでは広大なものだったので、どの妻が産んだ子供でも最後の子供なら必ず後継者になる、というのは有り得なかったと思います。
後の皇室や将軍家がそうであるように、後ろ盾がなければ頂点には立てないはずです。
特に、一緒に暮らしているのならともかく、オオクニヌシが妻問いしまくっていることから、オオクニヌシの妻の多くはオオクニヌシの元に居るのではなく各々の家に暮らしていて、多分子供も母の家で育つのではないのでしょうか?
実際、八重垣ラブソングを作ったスサノオ様はクシナダヒメの為に宮を建て、オオナムチもツンデレパパスサノオの言う通り、ウカの山の麓に立派な宮殿を建ててスセリヒメ様を嫡后にしています。
スセリヒメが恐ろしくてヤガミヒメが逃げた話は、別にスセリヒメ様が悪いわけではありません。
ヤガミヒメはオオナムチの最初の妻ですが、それでも出雲の祭祀王はスセリヒメであり、スセリヒメを正妻に出来たからこそオオクニヌシが政治王になれた訳で、正妻が住まう宮殿に乗り込んでいったヤガミヒメも結構図々しいです。
古代と現代では「しきたり」はだいぶ違いますが、自分に一途な寵愛を望むのが女というものです。
妾が押しかけてきて笑顔で迎える正妻がどこにいるよ。
ヤガミヒメが逃げるときに子供を置いていったのは、「私はこの子の後ろ盾にはなりません。女王と女王の御子を脅かすことはしません」という意思表示だったのかもしれません。
或いはスセリヒメ様の養子にして下さい、という意味もあったかと思います。
……あ。
スセリヒメ様が子供を産めたか否かなんて、結構どうでもよかったんですね。
もし自分が産めなくても、自分が後ろ盾にしたい娘を養女に貰い向け、スセリヒメの後ろ盾で次期女王にすればいいだけの話。
卑弥呼亡き後男王だけで仕切ろうとしたら国が乱れたので、卑弥呼の血筋の娘・トヨを女王に立てたら国が鎮まったようなものです。
スクナヒコナが、もしオオナムチとスセリヒメの末子だったりしたら、出雲は尤も政治王に近い場所にいた王子を失った事になります。
だったら、スクナヒコナ亡き後の出雲は荒れるはずです。後継者争い、ということです。
皇室を神武帝以前まで男系に遡っていけば、祖神はオオヒルメではなくスサノオになります。
その頃大和も一応出雲の範囲内ですが、政治王はナガスネヒコではなく妹のミカシキヤヒメを妻にしたニギハヤヒの手に渡っていますので、出雲のオオクニヌシが勝手にどうこう出来るクニではなくなっていましたから、一枚岩ではない。
そういう危ういざわめきが起きていた出雲王国に、日向族のイワレヒコが我こそ大和(出雲地方含む)の王であると主張して攻め込んで来たのかもしれません。
国譲りや神武帝即位は、盛大なお家騒動だったのでは?と思います。
想像ですけど。
スクナヒコナがオオクニヌシより長生きしてくれていたら、出雲王国はもっと長く続いていたのかな。
スセリヒメ様の幸せも、もっと先まで続いていたのかな。
それとも、もう御一緒に出雲大社に祀られているのだから、その御魂は安らかに鎮座していらっしゃるのでしょうか。
だからこそ、たかが?貝の女神なのに嫡后スセリヒメ様の近くに祀られているのでしょう。
そう言えば、元々出雲の祭祀王(女王)はスセリヒメなので、スセリヒメ様の婿にならなかったらオオナムチは出雲の政治王にはなれなかったんですよね。
ここまで、オオクニヌシを支えた女神が揃っているのに、相棒スクナヒコナが居ないのはおかしい。
神魂御子神社で、本当は筑紫社じゃないんじゃないか?
タギリヒメの名前で、本当の神魂の御子神は隠されている。
もし、神魂御子神社の祭神が、カミムスビの子神=スクナヒコナだったら、納得がいく。
表向きの「筑紫社」は、殊更に気を遣って建てられているとかで、そんなに地方妻をヨイショしたいのか日向族は!!(怒)と思っていた時期があるのですが、最近私は別記事に描いた通りタギリヒメ=スセリヒメだと考えているので、オオクニヌシの左右にスセリヒメが分かれて祀られる必要がないのです。
オオクニヌシを挟んで左右にスセリヒメ様とスクナヒコナ。これなら私も許せる。
スクナヒコナだとして、どうして表向きの筑紫社が丁重に扱われているのでしょうか?
1.名前を隠して済みませんせめてお社を立派に致します説。
2.「彦」が付くのでどっかの王子説。
……うーん、私の脳味噌は今絞ってもアイデアはこんなところです。
因みに、どっかの王子、っていうのは、オオナムチ×スセリヒメの子供(それを小人という描写で暗示した?)出雲の王子だった、…としたら、スセリヒメ様は早世した我が子に上座を譲っても良いと思うかも知れません。
古事記でのオオクニヌシとスセリヒメのエピソードの締めくくりは、「すぐに杯を交わして夫婦の契りを固め、互いに首に手をかけて、現在に至るまで睦まじく鎮座しておられる」とのことで、これ出雲大社のことですよね。
でも、オオクニヌシの隣に地方妻が祀られているのでは(上座で、しかもオオクニヌシの御神体は何故か西=右=地方妻の方に向いている)のでは、スセリヒメ様が鎮まらないでしょうに!!
スセリヒメ様が邪魔に思わないとしたら、我が子くらいのものでしょう。
本来は、出雲の政治王になるはずだったのに、先立たれてしまった王子。
スクナヒコナがカミムスビの子神というのは古事記の記述で、日本書紀ではタカミムスビの子神で一致しません。
でも、タカミムスビの子はナシでしょと思います。
タカミムスビの子神が、出雲の国造りをオオナムチと一緒にやるはずがないので。やるとしたら仲違いで出奔でもしないと。
古事記はスセリヒメの子孫については全く語っていません。子が授からなかったか、いなくても記述出来なかったのか、どちらかです。
いくら出雲が末子相続とは言っても、出雲国自体は日向族に奪われるまでは広大なものだったので、どの妻が産んだ子供でも最後の子供なら必ず後継者になる、というのは有り得なかったと思います。
後の皇室や将軍家がそうであるように、後ろ盾がなければ頂点には立てないはずです。
特に、一緒に暮らしているのならともかく、オオクニヌシが妻問いしまくっていることから、オオクニヌシの妻の多くはオオクニヌシの元に居るのではなく各々の家に暮らしていて、多分子供も母の家で育つのではないのでしょうか?
実際、八重垣ラブソングを作ったスサノオ様はクシナダヒメの為に宮を建て、オオナムチもツンデレパパスサノオの言う通り、ウカの山の麓に立派な宮殿を建ててスセリヒメ様を嫡后にしています。
スセリヒメが恐ろしくてヤガミヒメが逃げた話は、別にスセリヒメ様が悪いわけではありません。
ヤガミヒメはオオナムチの最初の妻ですが、それでも出雲の祭祀王はスセリヒメであり、スセリヒメを正妻に出来たからこそオオクニヌシが政治王になれた訳で、正妻が住まう宮殿に乗り込んでいったヤガミヒメも結構図々しいです。
古代と現代では「しきたり」はだいぶ違いますが、自分に一途な寵愛を望むのが女というものです。
妾が押しかけてきて笑顔で迎える正妻がどこにいるよ。
ヤガミヒメが逃げるときに子供を置いていったのは、「私はこの子の後ろ盾にはなりません。女王と女王の御子を脅かすことはしません」という意思表示だったのかもしれません。
或いはスセリヒメ様の養子にして下さい、という意味もあったかと思います。
……あ。
スセリヒメ様が子供を産めたか否かなんて、結構どうでもよかったんですね。
もし自分が産めなくても、自分が後ろ盾にしたい娘を養女に貰い向け、スセリヒメの後ろ盾で次期女王にすればいいだけの話。
卑弥呼亡き後男王だけで仕切ろうとしたら国が乱れたので、卑弥呼の血筋の娘・トヨを女王に立てたら国が鎮まったようなものです。
スクナヒコナが、もしオオナムチとスセリヒメの末子だったりしたら、出雲は尤も政治王に近い場所にいた王子を失った事になります。
だったら、スクナヒコナ亡き後の出雲は荒れるはずです。後継者争い、ということです。
皇室を神武帝以前まで男系に遡っていけば、祖神はオオヒルメではなくスサノオになります。
その頃大和も一応出雲の範囲内ですが、政治王はナガスネヒコではなく妹のミカシキヤヒメを妻にしたニギハヤヒの手に渡っていますので、出雲のオオクニヌシが勝手にどうこう出来るクニではなくなっていましたから、一枚岩ではない。
そういう危ういざわめきが起きていた出雲王国に、日向族のイワレヒコが我こそ大和(出雲地方含む)の王であると主張して攻め込んで来たのかもしれません。
国譲りや神武帝即位は、盛大なお家騒動だったのでは?と思います。
想像ですけど。
スクナヒコナがオオクニヌシより長生きしてくれていたら、出雲王国はもっと長く続いていたのかな。
スセリヒメ様の幸せも、もっと先まで続いていたのかな。
それとも、もう御一緒に出雲大社に祀られているのだから、その御魂は安らかに鎮座していらっしゃるのでしょうか。

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