2021.
10.
14
眞子姫の狂乱で、秋篠宮家に対するバッシングがあまりにも激しく口汚くて、見るに堪えない。
よく見かけるのが「秋篠宮夫妻の教育が悪かった」という馬鹿馬鹿しいdisりである。
子供は親の育てたようになんぞ育たないんだよアホが。
アラサー娘の盲目の恋を、いつまで親の所為にすれば気が済むんだ?
それに、その理屈ならこうなるんだよ。
「秋篠宮を育てた上皇夫妻の教育が悪かったからだ」って言ってみろ。
外国に行けないからという馬鹿馬鹿しい理由で適応障害と称し、公務はおサボり水俣には決して行かずご静養は皆勤賞の女を娶った今上にも同じことを言ってみろ。
当時の天皇陛下に何の相談をする事もなく、人格否定発言をやらかす皇太子(当時)を育てたのは誰だ?
さあ、言ってみろや!!
注意喚起:めっちゃ怒っているので乱筆乱文失礼します。耐えられない方は以下の文章を読まないことを強くお勧めします。
そういう訳で、追記に潜りますので大丈夫な方のみ以下どうぞ。
…と本文で書きましたが、実はあながち間違ってもいない。
上皇陛下とお皿様の子育てがまずかったんですよ。
お若い人は御存知ないでしょうが、昭和の時代の皇太子夫妻(現在の上皇陛下と夫人)がしきりに謳っていたのは、『新しい皇室』とやらでした。
私も子供だったので深く考えなかったのですが、つまりそれは
昭和帝の在り方の否定以外の何ものでもない。
私が天皇という存在を意識し始めた時には、昭和帝は既にご高齢でいらした。
そして、私と言えば陛下のことを
日本を愚かな戦争に導き国民を苦しめ無駄死にさせた偉そうなおじいちゃん、と思っていた。
※ 実家の新聞は朝日でした
平成の御代の天皇陛下は、生前退位する時に、「天災は多かったけれども戦争のない時代で良かった」と涙ぐまれた。
戦後にアメリカ人の教育係から全て日本が悪かった戦争なのだと何度も何度も吹き込まれ洗脳された御方らしい発言であったと、今は思う。
皇太子時代の上皇陛下は『普通の家庭』をアピールしていらした。
妻子を何よりも大切にするマイホームパパ。
両親自らの手でのびのびと育てられている、おっとりの長男・やんちゃな次男・素直な長女。
天皇であろうと夫と対等であるかのような妻。
私が生まれる前の時代、世の中は無邪気にミッチーブームに沸いたけれども、かなりリベラルな皇太子夫妻→天皇皇后に、眉をひそめる国民も実は多かったと聞いている。
一方で、私は昭和の御代の皇后陛下であらせられた良子様のことを、御名前さえ存じなかった。
今なら思う。
これっぽっちも出しゃばることのなかった良子様は、こよなく正しくご立派であったのだと。
プライベートがどうだったのかは私如きが知る由もない。
しかし、自らも皇族出身であった良子様は、『后の身の程』をよく理解していらしたのだと思う。
天皇陛下こそが、この国で唯一無二の存在であることを。
権力を失った天皇陛下の役割は、ひたすらにこの国の安寧と国民の幸福を願い、皇祖神をお祀りして祈り続ける祭祀王としての役割が、何よりも優先されるのだと。
この使命は天皇陛下しか背負うことは出来ず、皇后陛下にはそうする権限はなく、良子様は誰も見ていない所で天皇陛下のお心を支えていらしたのだと思う。
天皇の役割とは、日本全国を夫人と共に仲睦まじく旅行して、歓声を上げる国民に笑顔でお手振りすることでは、断じてない。
更に踏み込んで言えば、
護衛を山ほど引き連れて被災地を訪れ、神の御前でもないのに膝を付いて、有り難がって涙する被災者の手を握ることでもない。
そのような、国民を思いやっているアピールの自己満足公務の方が、上皇陛下とお皿様はお好きだった。
天皇の役割について、「祭祀だけですか?」と不満を述べた上皇陛下がGHQが送り込んだ教育係を付けられカトリック妃のハニートラップにかかった時から、皇室はじわじわと長い時間をかけて、確実に、変質を続けて、そして今の世に至っている。
浩宮の乱の時、「(突然マスコミの前で爆弾発言する前に)天皇陛下に相談して欲しかった」、と苦悩の表情で仰り、また公務に不満を持つ煎餅妃の我が侭に対し、遠回しに「公務とは自分がやりたいことをやるものではない、受動的なもの」とも仰った秋篠宮殿下は、痛ましいほどに戦後の皇族の使命を理解していらした。
そんな秋篠宮皇嗣殿下と、自己主張することなくお支えしている紀子妃殿下というご立派な皇族が、この度の騒動で悪し様に言われ放題であることが許されるのならば、尊さを忘れた日本になってしまったのならば、世界で一番長く続いた皇統であれ終焉するがいい、と私は怒りを持ってそう思う。
当然に、最適解は祭祀を蔑ろにしてお手振りばかりの暗愚の帝とその妻がさっさと退場し、秋篠宮家に皇統が移り、旧宮家が復帰してその後に備えることであるのは、言うまでもない。
ただ、耶蘇教、創価、半島、中国、とこれでもかというほど敵に入り込まれてしまった皇室の中でお育ちになった悠仁殿下が、皇位継承など嫌だと将来仰るのならば、眞子さま(もう殿下と呼ぶ気がしない。不幸を選ぶ自由を勝手に行使なさいませ)同様に、誰も止めることは出来ない。
国民もまた、祈ることしか出来ないのかもしれない。
すめらぎいやさか。
よく見かけるのが「秋篠宮夫妻の教育が悪かった」という馬鹿馬鹿しいdisりである。
子供は親の育てたようになんぞ育たないんだよアホが。
アラサー娘の盲目の恋を、いつまで親の所為にすれば気が済むんだ?
それに、その理屈ならこうなるんだよ。
「秋篠宮を育てた上皇夫妻の教育が悪かったからだ」って言ってみろ。
外国に行けないからという馬鹿馬鹿しい理由で適応障害と称し、公務はおサボり水俣には決して行かずご静養は皆勤賞の女を娶った今上にも同じことを言ってみろ。
当時の天皇陛下に何の相談をする事もなく、人格否定発言をやらかす皇太子(当時)を育てたのは誰だ?
さあ、言ってみろや!!
注意喚起:めっちゃ怒っているので乱筆乱文失礼します。耐えられない方は以下の文章を読まないことを強くお勧めします。
そういう訳で、追記に潜りますので大丈夫な方のみ以下どうぞ。
…と本文で書きましたが、実はあながち間違ってもいない。
上皇陛下とお皿様の子育てがまずかったんですよ。
お若い人は御存知ないでしょうが、昭和の時代の皇太子夫妻(現在の上皇陛下と夫人)がしきりに謳っていたのは、『新しい皇室』とやらでした。
私も子供だったので深く考えなかったのですが、つまりそれは
昭和帝の在り方の否定以外の何ものでもない。
私が天皇という存在を意識し始めた時には、昭和帝は既にご高齢でいらした。
そして、私と言えば陛下のことを
日本を愚かな戦争に導き国民を苦しめ無駄死にさせた偉そうなおじいちゃん、と思っていた。
※ 実家の新聞は朝日でした
平成の御代の天皇陛下は、生前退位する時に、「天災は多かったけれども戦争のない時代で良かった」と涙ぐまれた。
戦後にアメリカ人の教育係から全て日本が悪かった戦争なのだと何度も何度も吹き込まれ洗脳された御方らしい発言であったと、今は思う。
皇太子時代の上皇陛下は『普通の家庭』をアピールしていらした。
妻子を何よりも大切にするマイホームパパ。
両親自らの手でのびのびと育てられている、おっとりの長男・やんちゃな次男・素直な長女。
天皇であろうと夫と対等であるかのような妻。
私が生まれる前の時代、世の中は無邪気にミッチーブームに沸いたけれども、かなりリベラルな皇太子夫妻→天皇皇后に、眉をひそめる国民も実は多かったと聞いている。
一方で、私は昭和の御代の皇后陛下であらせられた良子様のことを、御名前さえ存じなかった。
今なら思う。
これっぽっちも出しゃばることのなかった良子様は、こよなく正しくご立派であったのだと。
プライベートがどうだったのかは私如きが知る由もない。
しかし、自らも皇族出身であった良子様は、『后の身の程』をよく理解していらしたのだと思う。
天皇陛下こそが、この国で唯一無二の存在であることを。
権力を失った天皇陛下の役割は、ひたすらにこの国の安寧と国民の幸福を願い、皇祖神をお祀りして祈り続ける祭祀王としての役割が、何よりも優先されるのだと。
この使命は天皇陛下しか背負うことは出来ず、皇后陛下にはそうする権限はなく、良子様は誰も見ていない所で天皇陛下のお心を支えていらしたのだと思う。
天皇の役割とは、日本全国を夫人と共に仲睦まじく旅行して、歓声を上げる国民に笑顔でお手振りすることでは、断じてない。
更に踏み込んで言えば、
護衛を山ほど引き連れて被災地を訪れ、神の御前でもないのに膝を付いて、有り難がって涙する被災者の手を握ることでもない。
そのような、国民を思いやっているアピールの自己満足公務の方が、上皇陛下とお皿様はお好きだった。
天皇の役割について、「祭祀だけですか?」と不満を述べた上皇陛下がGHQが送り込んだ教育係を付けられカトリック妃のハニートラップにかかった時から、皇室はじわじわと長い時間をかけて、確実に、変質を続けて、そして今の世に至っている。
浩宮の乱の時、「(突然マスコミの前で爆弾発言する前に)天皇陛下に相談して欲しかった」、と苦悩の表情で仰り、また公務に不満を持つ煎餅妃の我が侭に対し、遠回しに「公務とは自分がやりたいことをやるものではない、受動的なもの」とも仰った秋篠宮殿下は、痛ましいほどに戦後の皇族の使命を理解していらした。
そんな秋篠宮皇嗣殿下と、自己主張することなくお支えしている紀子妃殿下というご立派な皇族が、この度の騒動で悪し様に言われ放題であることが許されるのならば、尊さを忘れた日本になってしまったのならば、世界で一番長く続いた皇統であれ終焉するがいい、と私は怒りを持ってそう思う。
当然に、最適解は祭祀を蔑ろにしてお手振りばかりの暗愚の帝とその妻がさっさと退場し、秋篠宮家に皇統が移り、旧宮家が復帰してその後に備えることであるのは、言うまでもない。
ただ、耶蘇教、創価、半島、中国、とこれでもかというほど敵に入り込まれてしまった皇室の中でお育ちになった悠仁殿下が、皇位継承など嫌だと将来仰るのならば、眞子さま(もう殿下と呼ぶ気がしない。不幸を選ぶ自由を勝手に行使なさいませ)同様に、誰も止めることは出来ない。
国民もまた、祈ることしか出来ないのかもしれない。
すめらぎいやさか。

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