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2020. 08. 01  
現在の塩竈神社の建立をプロデュースした伊達綱村公は、仙台城と仙台城下町の鬼門でもある塩竈神社に、東国の支配に大いに力を発揮したと言われる鹿島・香取両神宮の神を《邪神封じ》として勧請した(春日権現験記に「昔、我が朝、悪鬼・邪神明け暮れ戦ひて、都鄙安からざりしかば、武甕槌命是を哀れみて、陸奥国塩竃浦に天降り給ふ。邪神霊威に畏れ奉りて、或ひは逃げ去り、或ひは従ひ奉る」とある記載に倣ったものと思われる)のでしょうが、天皇家は

流罪にされた奴はろくな事をしない。

という実例を、これでもかと思い知っていますから、人間でもヤバイのに、神様を流罪にしていたとはコレはガチでヤバイと滝汗ものだったことでしょう。
それで、志波彦神は、寂れたお社から、新しく建立された立派な社殿に、何よりも塩竈神社境内に、再び帰還することとなったのです。

この事情は、知っている人は知っていますが(宮司さんと氏子さんが相談し合い、これはまずいということになって明治政府に訴えたのですから)、今更大々的に実は塩竈神社の主祭神は志波彦神でした、とは言えない。

だから、さりげなく、【志波彦神社・塩竈神社】の順に表記して優位性を仄めかし、神棚にお祀りするお札(甲)には、

塩竈神社同様に、総鎮守志波彦神社

と記されているのだし、乙札には

東北鎮護志波彦神社

と、記されているのです。
※ 塩竈神社の乙札は、甲札と同じ総鎮守鹽竈神社、です。『東北鎮護』の方がより地域性が具体的ですが、どうして塩竈神社の表記と違うのかは私にはわかりません

現在の神社の宮司さんは御存知でしょうけれども、まあ尋ねてもしらばっくれられるのに決まってます。

ももいろクローバーに別宮の別はスペシャルの別とか大嘘吐いてた程度に。

そう。大嘘です。
だって、江戸時代にまとめられ、現在の塩竈神社の祭神の基準となっている『鹽竈神社縁起』という書物があるのですが、祭神についての表記はこうです。

左宮 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
右宮 経津主命(ふつぬしのみこと)
別宮 岐神(くなとのかみ/ちまたのかみ)


右と左なら、左が上座ですので、普通にこの順序が塩竈の神の序列であった、と見るべきでしょう。
要するに、正門から真っ直ぐの所にある左宮と右宮が正宮で、別宮はスペシャルでも何でもなく、正宮ではない=主祭神ではなく配神という意味しか無いということです。

しかも、別宮の祭神の表記が、現在公式にされている鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)ではないという衝撃。

『鹽竈神社縁起』には《岐神》とあるのに、何故かそれを踏襲せずに《鹽土老翁神》であるのが公式情報なのです。

実際、地元塩釜の人に、クナトノカミという神様について尋ねても、神社マニアか神話マニアでない限りは、普通に知らないと答えることでしょう。
私は塩釜人ではありませんが、《広い意味での地元》の人々は、塩釜神社のことを、ふわっと『安産の神様』だと思っていますから。

女神が祀られている訳でもないのに。

鹽竈神社の闇は、深い。

(つづく)

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chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
定義山西方寺を崇敬。伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。透明水彩絵師。

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