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2020. 07. 14  
ヤマタイかヤマイチか私は不勉強故わからないのですが、卑弥呼亡き後に男王(卑弥呼を補佐していた男弟か?)が立つも、クニが乱れたので、《共に卑弥呼の血筋の少女を王に立てた》というのは、対立する勢力同士が協議をし、男王を廃してトヨ(イヨ)を女王にした、という意味ではないと思います。

古代、戦争をやり合っている国が話し合いをして、皆が納得する女王(それも13歳の少女。倭人伝では倭人は暦を知らないとか言っているので、下手すると半分の6,7歳の童女である可能性すらある)を立てて国が鎮まった、というのは不可解なことです。

そんな話し合いが出来る状態であったなら、そもそも戦争など起こりますまい?

ここは、慌てふためいた男王が、亡き卑弥呼の血統のトヨを祭祀王=女王として《政の男王と並ぶ地位に共に立てた》ので、国が鎮まったと見るべきでしょう。

卑弥呼が女王、男弟は政を補佐していたと記録されている程度に、巫女という存在はいにしえの人々にとって重要且つ偉大であった、ということです。

科学が未発達の時代にあって、神の声を聞き人々に進むべき道を指し示してくれる巫女という存在は、きっと現代の私達が想像する以上に、時には政の王よりも偉大なほどに、人間の心の拠り所だった。

私は、トヨのように幼くして祭祀王の地位を継ぎ、海の王・スサノオの妻として祭祀の女王として共に立ったのが、偉大なる出雲の

マクシフルナダヒメ(美しく霊妙な港の姫)、であったと思います。

日本書紀は、奇稲田姫(くしいなだひめ)、稲田媛(いなだひめ)、眞髪觸奇稲田媛(まかみふるくしいなだひめ。私はまくしふるなだひめ、と読む)、と表記し、尊(みこと)どころか、命(みこと、と読むが尊より格下)の尊称すら付けなかった。
そのくせ、スセリヒメを飛ばして、いきなりクシナダヒメの息子をオオナムチにした。(『貴/ムチ』というのはかなり高い地位の尊称)

王と女王の共同統治という政治形態は、記紀編纂時には伝わっていなかったか、或いは伝わっていたとしても、時の権力者にはよほど都合の悪い物だったと見える。
おそらく、後者でしょう。

だって、男の帝であれ非常時の女帝であれ、ヤマト王朝の帝はひとりでなくてはならないから。

まだ征服が完了していなかった時代であっても、帝は日本に唯一無二であり、名目としては並び立つ者など存在してはならなかったのだから。
名目である程度に、帝がお飾りになるような豪族や貴族がいたとしても、決して王座は2つあってはならない。

だから、クシナダヒメはただの無力な少女にされ、比礼を持っていた女王・スセリヒメは日本書紀から存在すら打ち消されたのでしょう。

(つづく)

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chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
定義山西方寺を崇敬。伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。透明水彩絵師。

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