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2020. 07. 13  
元々、スサノオ神は高天原から出雲にやって来たというのが、記紀神話です。
どちらも、スサノオは出雲土着の神ではないと伝えている、訳ですけれども、真実か否か?

私は、スサノオ神の原形は、淡路のイザナギ・イザナミの息子か子孫の海人勢力の長だと思っていますから(何しろ出雲国造神賀詞からして、イザナギの日真名子/日の最愛の子だと言っている)、確かに《出雲にやって来た》人物だと推定していますが、女神アマテラスと姉弟だったとは欠片も思っていません。

古代の末子相続の原則を知らない時代の人間が、アマテラスを先に生まれた姉としてスサノオの上位に置いたというのが、そもそも狙いを外していて、

実は古代は出雲に限らずあちこちで末子相続だった

のに、弟スサノオの子孫が造った国なら、姉のアマテラスの子(後に孫に変更)が治めるのが当然に相応しいなどという、道理の通らないストーリーを作ったのでしょう。

でも、イザナギの淡路とスサノオの出雲では場所が離れています。何故か同じ鋳型の銅鐸が発見されていて、何らかの繋がりがあったようですが。

私は、日本の海人族の多くは、縄文時代に来訪したと思っています。
新羅から来たとかいう朝鮮起源論が無意味であった時代のことです。

朝鮮半島には、石器時代に住んでいた人々が忽然と消え失せた、謎の空白期間=殆ど無人だった時期が5千年間も存在していて、その間に日本の縄文人が広く移り住む、縄文人の縄文文化の土地であったからです。
任那日本府の存在を、かの半島の人間は躍起になって否定しますが、任那なんて南の端っこだけではなく、朝鮮半島そのものが縄文文化の土地だった時代があるのです。

それは、まだ日本ではクニという観念が希薄な時代ですし、海の民に国境などありません。
日本の海の民は江南からやって来た説が強いですが、私は江南発祥だとは思いません。
もっと四方八方を海に囲まれて生きるのが当然だった人間たちこそが、最初の海の民であったはずです。元を辿れば東南アジア東部、更にポリネシアまで行き着き、似た文化が今でもそこに生きています。

それに、何やら有り難がって渡来人渡来人言いますが、海人族という狩猟・採集(当然に漁労が含まれる)に代表される縄文文化を強く担った人々が縄文時代に日本列島にやってきて、日本を拠点にした貿易で古代日本の繁栄を支えたならば、

もうソレ渡来人じゃなくて普通に縄文人で良くない?

私は、スサノオはそのような古き時代の系譜の海人族の長であっただろうと考えていますし、スサノオの一族ほどの勢力ではないにしろ、出雲に拠点を置いていたテナヅチ・アシナヅチの勢力も、漁労と交易の民であったことでしょう。

何しろ、弥生時代まで進んでも出雲の平野はごく僅かであり、採取される花粉は圧倒的に杉で、イネ科のものは少ない。
稲作をしていてもその営みは出雲の主力ではなり得ず、その数少ない『稲田』の姫神を、出雲の海の民が殊更に神聖視して高い地位に置いていたとは思えません。

海の文化・出雲の歴史は、ヤマト王朝という水稲の文化のクニよりも、ずっと古い。

古代の出雲の海人達を思えば思うほど、クシナダヒメは『稲田姫』ではなく『ナダ姫』という港と海辺を象徴する、偉大な女王をモデルにした海人達の神であったと思うのです。

そして、スサノオが政、クシナダヒメが祭祀という分担であっただろうと思います。
邪馬台国、或いは邪馬壹(イチ)国の女王と男弟がそうであったように。


(つづく)

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chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
定義山西方寺を崇敬。伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。透明水彩絵師。

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