FC2ブログ
2019. 12. 10  
という訳で、四ッ谷用水

仙台城下の辺りの広瀬川は、高低差が少ないのでさほど水量は多く見えません。なので、

石ころばっかりのショボい川じゃん

とかガッカリされるのですが(その昔、青葉城恋歌という歌がヒットしたので、よそから来た人は『広瀬川』『杜の都』はどれだけ美しかろうと過剰な期待を持っていることがある)、その周囲の土地が河岸段丘であり、仙台平野が広がっているということは、古代は豪雨が降るとめっちゃ暴れ川になったんでしょうね。

仙台城は広瀬川の西側の山に築かれていて、その広瀬川はうねうねと流れ、まるで龍のようです。
これが城ではなく城下町の東を流れていたなら、東の青龍として完璧だったでしょうけれども、そうでなくてもいいんです。

源頼朝の軍勢の進攻に備えて、奥州藤原氏が防衛線を「広瀬河」に作った程度に、軍事的な価値がある。
そして、仙台城の西には山地が広がり、禁足地でした。
だから、仙台城は軍事的に有利な立地であり、計画を立てた時点では徳川家に取って代わって天下人になる気満々だったんじゃないかと思います。

そんな軍事的価値のある広瀬川なのですが、そこから水を引いて四ッ谷用水という水路を、城下町中に張り巡らせました。

四ツ谷用水は、城下町の生活用水や防火用水として用いられ生活排水もですが、当時の城下町周囲の湿地では水が湧き出ていていたので、この湧水の排水路もかねていたようです。
その程度に、今は米所と言われる宮城、そして仙台平野ですが、当時は結構どーしよーも無い感じにじめじめとしていてほぼ無人。

そんな仙台城下町を流れる四ッ谷用水は、川と勘違いされるほど水量が豊かで、上流で付けられた名前は『桜川』。なんと美しい名前でありましょうか。

上記リンク先の水路図と現在の仙台市街地の地図を重ね合わせますと、第一支流は瀧澤神社の近くを流れているんです。

川内瀧澤(亀岡)から遷座した瀬織津姫が新しく鎮座した場所は、そんな豊かな水の都であったのです。

続きは、『その4』にてお話ししたいと思います。
関連記事
NEXT Entry
スピリチュアル系の深みにはまりたくない理由
NEW Topics
出雲の海の女王・クシナダヒメ・その2
出雲の海の女王・クシナダヒメ・その1
スサノオと出雲の数字『8』のお話。:その3
スサノオと出雲の数字『8』のお話。:その2
スサノオと出雲の数字『8』のお話。:その1
Comment
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
定義山西方寺を崇敬。伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。透明水彩絵師。

↓応援ぽちっとよろしくお願いします!

FC2 ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

人気ブログランキング

リンク
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR