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2020. 03. 22  
おはようございます。
伊達家家臣の末裔・chikaru です。(本家の姉妹の長女なのに嫁に出たので本家が絶えましたすみません)

今日は、久しぶりに【伊達政宗の結界の町】のカテゴリの記事を書いてみます。

既にそのカテゴリの文章を読んだことのある方、或いは仙台近辺在住で、この手の話題が好きな方、或いはどんなに遠くにお住まいでも、筋金入りの伊達政宗ファンの方は御存知だと思いますが、かつての仙台城下町には、仙台城を起点にして5つの寺社をプラスした6ポイントで形成されている結界があります。

※ 詳しく知りたい方は、星の街仙台というHPをご覧下さい。

6ポイントですから、お隣同士を結べば亀甲紋というめでたい形になりますし、ひとつ飛ばしに線を繋げば、上下の三角形が重なった六芒星になります。
ちょっとばかりその形が歪であるのは、このポイントが全て高台にあって、見晴らしの良い軍事的な要所を抑えておくという、現実的な事情があったからだと思います。

そして、この六芒星、南北を結ぶ線からは、頂点が西側に傾いています。
何で?と思うかも知れませんが、

仙台城のほぼ北東、要するに鬼門に、仙台東照宮が存在する。

まずは鬼門封じありきで形作られた六芒星または亀甲紋なので、傾いていていいのです。

それに、現在仙台東照宮があった場所には、もともと天神社がありました。(現在の榴ヶ岡天満宮

伊達氏が仙台に来る以前に、仙台城があった場所には国分氏の居城・千代城(せんだいじょう。誤字じゃないです。多分始まりは川内(せんだい)→千代(国分氏:末永く)→仙台(政宗公:仙人が住むという永遠)というバージョンアップ)がありまして、つまり国分氏にとってもその場所は軍事的要所と鬼門封じを兼ねた聖地で、予め最低限の結界は整えられていた、ということです。

私にとって長らく謎だったのは、、特に弄らなくたって、既に鬼門封じは存在したのに、政宗公はその鬼門の守りを、

わざわざ天神社を遷座させてまで、新たに勧請した東照宮にすげ替えてしまった、ということです。

東照宮の勧請を、家光公に願い出たのは2代目・忠宗公ですが、
伊達氏の結界作りは、初代仙台藩主・伊達政宗公にはじまり、だいたい完成するのは4代綱村公の頃です。

時を急いてはお江戸にバレますので、ゆっくりと時間をかけて完成させていった仙台城と城下町の守りは、

政宗公がご自身亡き後の子孫を信じ、託した大事業であったのです。

(つづく)
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chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
定義山西方寺を崇敬。伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。透明水彩絵師。

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