2023.
01.
30
まずは、筆者のあとがきより引用させて頂きます。
>私の乏しい読書量で言うのも気が引ける が、これまで読んできたさまざま な『古事記』に関する著作 から、磯わたる風の香や、潮騒の響きを感じたことは、多くはない。
>『古事記』で語られている神話は、どの角度からアプローチするにしても、海からの視点抜きには見えてこない。そうした思いから、核になるポイントのいくつかに焦点を当てて本書を書いた。(引用終わり)
そして、この著者に乏しい読書量とか言われると、私の立つ瀬など何処にもありません。
どにかく、この本は情報量がすごいです。
私が知らなかった日本の神話、伝承が、これでもかこれでもかと書き連ねてあります。
読書量もさることながら、相当のフットワークと情熱をお持ちなのだと推察します。
かといって、古事記専門の方でもないんです。
思うよりずいぶん著作の傾向にばらけていて、絶対この人は本の虫だし好奇心も旺盛でだからと言って延々と机上で作業を続けるばかりの人でもない。
頭がいい人って、成績を上げようと頑張っている人、とは限らないんですよ。
というか、私の友人で学問の道へ行った人は、当たり前ですがめっちゃ勉強や研究が好きです。
特に勉強が好きな訳じゃないのに、親が自分の子供が成績上位でなければ気が済まなかったので、とにかくギリギリ旧帝大に滑り込むまでは勉強という苦行にたえ続けた私とは、全く違う人達。
羨ましいです。好奇心が旺盛であることは、その人の人生を豊かで楽しいものにするのですから。
さて、この本を読み終わって最初に思ったことは、
『……もう一度読み返そう……』
…でした。
だって、新しい情報のオンパレードなので、私レベルの脳内情報では理解と記憶が追い着いていかないのです。ついていけなくても興味があるのなら又読み返すしかありません。
私の興味とは、ズバリ《海人族》です。
もっと言えば、縄文時代から活躍していた海人族を理解する為に、海人族の神話を知りたいのです。
何故、海人族なのか。
現在にあっても、日本は7割産地の国です。
実は国土面積は案外ある(ヨーロッパと重ねてみると、南欧から北欧まで及ぶ)日本ですが、長細いので平野が少ない『でっかい島』であって、島なんですから周りは海に囲まれています。
近所に似た単語を持つ地域・民族はあっても、孤立したがラバゴス言語になってしまった程度に、日本は大規模な民族移動とは無縁な島国でした。
古代の平野は今よりずっと少なかったはずです。平野は土砂が堆積して出来る物だからです。
関東平野は、家康が灌漑を推し進める前はぐちゃぐちゃとした結構どーしよーもない土地でした。
規模は小さくなりますが、仙台平野もそうです。
豊臣秀吉が伊達政宗公に与えたのは嫌がらせでしょう。でも、政宗公は水路を巡らせて城下町から余計な水を排出し、湿地を広大な米所にして江戸に集まる米の3割は仙台藩のものにした。
そんな、山と海しかないような日本で、どんな人々が活発に生きていたのかというと、海を自由自在に渡る海人たちです。
山がちの国土は陸路を開発維持するのは非常に難しく、海路が王道だった時代が、日本は長く続きました。
なのに、記紀神話を読むと、農耕神ばっかり出てくるのです。
もう、神名に『穂』とか『火』とか『いね』『いな』とか付いてる神様多過ぎる。
何でここに『火』が出て来るかというと、古代日本の人々は、ありとあらゆる命に『火』が宿っていると考えていたからです。
イザナギが斬り捨てたカグツチ神の血や死体から数多くの神が産まれたように。
なんなら水神さえ火の神カグツチの血から生まれているほどに。
だから、『火』が付いても火の神や太陽神とは限らない。
日本書紀で別名火産霊(ほむすび)と呼ばれるように、作物の生命力や豊かな実りを表す神々が、ホント多い。
ちょっと待て。
日本は農耕がメインの国じゃないじゃろがい!!
昭和の時代さえ、港町の人達はめっちゃ魚食べてました。
当然お米は食べますが、ここの人達体の8割くらい魚で構成されてるだろ、とか余所者の私には異様に見えるほどに魚を食べる人々でした。
今は、港町はすっかり寂れて、漁業に従事する人も減り、漁獲量も減りました。
……が。ほんの4,50年前まで、日本は確かに漁業が栄えている国だったのです。
海を渡るのに飛行機が一般化するまでは、人は海路で移動していたのです。
海路しかないじゃないですか日本なんだから。
だから、私も藤巻氏のように、神話で海の神達が活躍せずに、重要とされる神々が火火火稲稲稲なのが、どうにも納得出来なくて、海人族に関する本を読んだのです。
スサノオ様が、う@こ食わせられたと激怒してぶった切ったオオゲツヒメの死体から発生したのは、様々な穀類や豆の種、そして蚕でした。
農耕民の発想で、農耕民の神話です。
ツクヨミもウケモチ神のゲロを食べさせられましたが、ウケモチはかろうじて海の幸もゲロっていたのでこちらの方がまだ幾分《磯の香り》が残る神話です。
とにかく、古事記には海の神が足りない。
特に、数多存在した《海人族の太陽神》たちは、敗北して去ったり、登場しても太陽属性を奪われていたり、そもそも古事記の神話からは弾かれている。
そういう神々と、輝く海と、海風の匂いを届けてくれる一冊です。
以前紹介した『アユノカゼの文化史 ―出雲王権と海人文化―』(室山敏明 著) と共にお勧めしたい本です。
>私の乏しい読書量で言うのも気が引ける が、これまで読んできたさまざま な『古事記』に関する著作 から、磯わたる風の香や、潮騒の響きを感じたことは、多くはない。
>『古事記』で語られている神話は、どの角度からアプローチするにしても、海からの視点抜きには見えてこない。そうした思いから、核になるポイントのいくつかに焦点を当てて本書を書いた。(引用終わり)
そして、この著者に乏しい読書量とか言われると、私の立つ瀬など何処にもありません。
どにかく、この本は情報量がすごいです。
私が知らなかった日本の神話、伝承が、これでもかこれでもかと書き連ねてあります。
読書量もさることながら、相当のフットワークと情熱をお持ちなのだと推察します。
かといって、古事記専門の方でもないんです。
思うよりずいぶん著作の傾向にばらけていて、絶対この人は本の虫だし好奇心も旺盛でだからと言って延々と机上で作業を続けるばかりの人でもない。
頭がいい人って、成績を上げようと頑張っている人、とは限らないんですよ。
というか、私の友人で学問の道へ行った人は、当たり前ですがめっちゃ勉強や研究が好きです。
特に勉強が好きな訳じゃないのに、親が自分の子供が成績上位でなければ気が済まなかったので、とにかくギリギリ旧帝大に滑り込むまでは勉強という苦行にたえ続けた私とは、全く違う人達。
羨ましいです。好奇心が旺盛であることは、その人の人生を豊かで楽しいものにするのですから。
さて、この本を読み終わって最初に思ったことは、
『……もう一度読み返そう……』
…でした。
だって、新しい情報のオンパレードなので、私レベルの脳内情報では理解と記憶が追い着いていかないのです。ついていけなくても興味があるのなら又読み返すしかありません。
私の興味とは、ズバリ《海人族》です。
もっと言えば、縄文時代から活躍していた海人族を理解する為に、海人族の神話を知りたいのです。
何故、海人族なのか。
現在にあっても、日本は7割産地の国です。
実は国土面積は案外ある(ヨーロッパと重ねてみると、南欧から北欧まで及ぶ)日本ですが、長細いので平野が少ない『でっかい島』であって、島なんですから周りは海に囲まれています。
近所に似た単語を持つ地域・民族はあっても、孤立したがラバゴス言語になってしまった程度に、日本は大規模な民族移動とは無縁な島国でした。
古代の平野は今よりずっと少なかったはずです。平野は土砂が堆積して出来る物だからです。
関東平野は、家康が灌漑を推し進める前はぐちゃぐちゃとした結構どーしよーもない土地でした。
規模は小さくなりますが、仙台平野もそうです。
豊臣秀吉が伊達政宗公に与えたのは嫌がらせでしょう。でも、政宗公は水路を巡らせて城下町から余計な水を排出し、湿地を広大な米所にして江戸に集まる米の3割は仙台藩のものにした。
そんな、山と海しかないような日本で、どんな人々が活発に生きていたのかというと、海を自由自在に渡る海人たちです。
山がちの国土は陸路を開発維持するのは非常に難しく、海路が王道だった時代が、日本は長く続きました。
なのに、記紀神話を読むと、農耕神ばっかり出てくるのです。
もう、神名に『穂』とか『火』とか『いね』『いな』とか付いてる神様多過ぎる。
何でここに『火』が出て来るかというと、古代日本の人々は、ありとあらゆる命に『火』が宿っていると考えていたからです。
イザナギが斬り捨てたカグツチ神の血や死体から数多くの神が産まれたように。
なんなら水神さえ火の神カグツチの血から生まれているほどに。
だから、『火』が付いても火の神や太陽神とは限らない。
日本書紀で別名火産霊(ほむすび)と呼ばれるように、作物の生命力や豊かな実りを表す神々が、ホント多い。
ちょっと待て。
日本は農耕がメインの国じゃないじゃろがい!!
昭和の時代さえ、港町の人達はめっちゃ魚食べてました。
当然お米は食べますが、ここの人達体の8割くらい魚で構成されてるだろ、とか余所者の私には異様に見えるほどに魚を食べる人々でした。
今は、港町はすっかり寂れて、漁業に従事する人も減り、漁獲量も減りました。
……が。ほんの4,50年前まで、日本は確かに漁業が栄えている国だったのです。
海を渡るのに飛行機が一般化するまでは、人は海路で移動していたのです。
海路しかないじゃないですか日本なんだから。
だから、私も藤巻氏のように、神話で海の神達が活躍せずに、重要とされる神々が火火火稲稲稲なのが、どうにも納得出来なくて、海人族に関する本を読んだのです。
スサノオ様が、う@こ食わせられたと激怒してぶった切ったオオゲツヒメの死体から発生したのは、様々な穀類や豆の種、そして蚕でした。
農耕民の発想で、農耕民の神話です。
ツクヨミもウケモチ神のゲロを食べさせられましたが、ウケモチはかろうじて海の幸もゲロっていたのでこちらの方がまだ幾分《磯の香り》が残る神話です。
とにかく、古事記には海の神が足りない。
特に、数多存在した《海人族の太陽神》たちは、敗北して去ったり、登場しても太陽属性を奪われていたり、そもそも古事記の神話からは弾かれている。
そういう神々と、輝く海と、海風の匂いを届けてくれる一冊です。
以前紹介した『アユノカゼの文化史 ―出雲王権と海人文化―』(室山敏明 著) と共にお勧めしたい本です。

2023.
01.
29
タカミムスビが、国譲りの後もなお、大国主(大物主?)に、まだお前信用できねーから俺の娘と結婚しろや、ということで新妻になったのが三穂津姫(ミホツヒメ)で、名の由来は美保(ミホ)に住んだから、……というのですが、本当かなあ?
ミホツヒメの子孫は語られていないし、既にミホススミという女神がいたので似た名前の女神を設定して打ち消そうと出してきたか、ミホススミ=ミホツヒメ=タカミムスビの娘で天津神だよ~という設定の為のダミーだという気もします。
何故なら、……ミホススミっていう女神、皆さん知ってます?
知っている人は地元民か神話ヲタかどっちかです。
ミホススミの名を葬るのが目的だったのなら、その目的は成功したと言えるでしょう。
オオヒルメも、イチキシマヒメを置いて去ったのではないでしょうか。
でも、この説を採ると…
私には、予てから、スセリヒメ=宗像三女神という等式が成り立つ系図が出来上がっているので
スサノオ×オオヒルメの娘=宗像三女神=スセリヒメ、という等式も自動的に成立してしまうのです。
私は、オシホミミはスサノオ様のダミーで、ニニギ尊はオオヒルメの孫ではなくて息子(ここは神代でも孫に皇位を譲った前例を作りたかった持統天皇の意向)だと推定しているので、その推定を組み合わせればスセリヒメとニニギは同母の兄妹or姉弟ということになります。
一緒に母の元で暮らしていれば、ヒメヒコ統治できる間柄です。
何なら、自動的に、謎の女神・神大市比売はオオヒルメになります。
確かに私は、神大市比売を通説のような『大きな市場の神』とは思っていませんでした。
市は市場の市じゃなくて、イチキシマヒメのイチでしょーよ。
イチキシマヒメという名は、玉依姫のように『斎(いつき)祀る姫』という巫女神であって、普通名詞に近いと思っていました。
何故なら、市杵島姫の別名は『サヨリヒメ』であり、ウガヤフキアエズの妻『タマヨリヒメ』と同じ性質だからです。
どちらも、神聖な御魂を降ろす巫女姫という意味です。
市杵島姫の『シマ』を考慮するなら、宗像のように島を御神体にして祀る巫女たちが、海の女神として信仰された神名なのだろうと。
ならば、『オオイチヒメ』は『オオイチキシマヒメ』の略称であろうと。
だったら…だったらですね。
今更気付いたんですけどね。
神大市比売って、大年と宇迦之御魂の母なんです。
神大市比売がオオヒルメなら、もうひとり息子ニニギが加わって、
大年=饒速日はニニギの兄だった。
という、私が今まで絶対コレ神話のこじつけだろ嘘くせーと思っていた設定そのものになってしまうのです。
大年=饒速日の方が兄ならば、末子相続の法則で、弟のニニギ尊のほうに分があります。
ついでに、スセリヒメは上記兄弟の姉か妹になるので。
スセリヒメが出雲の巫女王、饒速日が大和の王になった時点で、母神のオオヒルメは葦原中国は私の子供(スセリ&ニニギ)のもの!譲れ!!
と戦を仕掛けてくる《正当性》は一応有るのです。……
うわあああああこの説イヤだーーー!!
私はスセリヒメ様もクシナダヒメ様も推しなんだよ!!
スセリヒメ様はクシナダヒメ様の愛娘だと信じていたいんだよーーーー!!!
自分の考察が地雷とか、心から勘弁して欲しい。
神様、どうか私をお救いください……
ミホツヒメの子孫は語られていないし、既にミホススミという女神がいたので似た名前の女神を設定して打ち消そうと出してきたか、ミホススミ=ミホツヒメ=タカミムスビの娘で天津神だよ~という設定の為のダミーだという気もします。
何故なら、……ミホススミっていう女神、皆さん知ってます?
知っている人は地元民か神話ヲタかどっちかです。
ミホススミの名を葬るのが目的だったのなら、その目的は成功したと言えるでしょう。
オオヒルメも、イチキシマヒメを置いて去ったのではないでしょうか。
でも、この説を採ると…
私には、予てから、スセリヒメ=宗像三女神という等式が成り立つ系図が出来上がっているので
スサノオ×オオヒルメの娘=宗像三女神=スセリヒメ、という等式も自動的に成立してしまうのです。
私は、オシホミミはスサノオ様のダミーで、ニニギ尊はオオヒルメの孫ではなくて息子(ここは神代でも孫に皇位を譲った前例を作りたかった持統天皇の意向)だと推定しているので、その推定を組み合わせればスセリヒメとニニギは同母の兄妹or姉弟ということになります。
一緒に母の元で暮らしていれば、ヒメヒコ統治できる間柄です。
何なら、自動的に、謎の女神・神大市比売はオオヒルメになります。
確かに私は、神大市比売を通説のような『大きな市場の神』とは思っていませんでした。
市は市場の市じゃなくて、イチキシマヒメのイチでしょーよ。
イチキシマヒメという名は、玉依姫のように『斎(いつき)祀る姫』という巫女神であって、普通名詞に近いと思っていました。
何故なら、市杵島姫の別名は『サヨリヒメ』であり、ウガヤフキアエズの妻『タマヨリヒメ』と同じ性質だからです。
どちらも、神聖な御魂を降ろす巫女姫という意味です。
市杵島姫の『シマ』を考慮するなら、宗像のように島を御神体にして祀る巫女たちが、海の女神として信仰された神名なのだろうと。
ならば、『オオイチヒメ』は『オオイチキシマヒメ』の略称であろうと。
だったら…だったらですね。
今更気付いたんですけどね。
神大市比売って、大年と宇迦之御魂の母なんです。
神大市比売がオオヒルメなら、もうひとり息子ニニギが加わって、
大年=饒速日はニニギの兄だった。
という、私が今まで絶対コレ神話のこじつけだろ嘘くせーと思っていた設定そのものになってしまうのです。
大年=饒速日の方が兄ならば、末子相続の法則で、弟のニニギ尊のほうに分があります。
ついでに、スセリヒメは上記兄弟の姉か妹になるので。
スセリヒメが出雲の巫女王、饒速日が大和の王になった時点で、母神のオオヒルメは葦原中国は私の子供(スセリ&ニニギ)のもの!譲れ!!
と戦を仕掛けてくる《正当性》は一応有るのです。……
うわあああああこの説イヤだーーー!!
私はスセリヒメ様もクシナダヒメ様も推しなんだよ!!
スセリヒメ様はクシナダヒメ様の愛娘だと信じていたいんだよーーーー!!!
自分の考察が地雷とか、心から勘弁して欲しい。
神様、どうか私をお救いください……

2023.
01.
28
ここで思い出されるのが、八重垣神社の壁画です。
スサノオとクシナダヒメ、そして両親のアシナヅチ・テナヅチ夫婦。……という微笑ましい一家に加えて、何故か女神アマテラスとその娘イチキシマヒメ。
スサノオ様が困り顔のように見えるのは、検索画像がたまたまそう見えたのでしょうか。実物を見たことがないのでよく分かりません。
でも、クシナダヒメ様が何やら機嫌が悪そうだ、という感想は今まで何回か見かけたことがあります。
その微笑ましい一家に、スサノオ様が地方妻とその娘を連れて来たのです。
偉大なる出雲女王・クシナダヒメの目の前に、入婿の夫が図々しくも妾と庶子を連れ込んだという、クシナダ様がブチ切れてもおかしくないこんな場面を何で壁画にしたのか、私も絵描きですがサッパリ意味が分かりません。
私はスサノオ様を推してますが、クシナダ様は、スサノオ様をしばき倒して妾と庶子を追い出して塩を撒いてもいいと思います。(私はクシナダ様も推してる)
一夫多妻制?そんなの知るか。いつの時代の妻もその他大勢になりたくなんかないのよ。
男だってそうじゃろがい!!
……が、オオヒルメが出雲で暮らしたという話までは聞いたことがありません。
集められた地方妻が、ふるさとに帰る方法が唯一あったのではないでしょうか。
それは、産んだ子供を置いて去る、という手段です。
出来るなら、女児が望ましい。
母のふるさとで巫女になる(女王や女族長になる)権利を持つ女児ならば、人質としての価値は高いだろうし、成長したら征服者の一族の妻にしてしまえば征服し続ける《正当性》を主張出来るからです。
ヤガミヒメの子は、木の股に挟んで置いて行かれたことから木俣神(きまたのかみ)、井戸の神であることから御井神(みいのかみ)と呼ばれ、ストーリー上は性別不明なのですが、女神でしょう。
理由は、水神は女神のことが多い、というのに加えて、地下に向かう『窪み』の水神なら、尚更女神でしょう。
そして、井戸とは異界への入口です。
黄泉津大神となったイザナミ様とイメージが重なります。
オオナムチも『木の股をくぐって』根の国に辿り付いた。
そして、ヌナカワヒメは失われましたが、出雲国風土記に、ハッキリと出自が記述されたヌナカワヒメの御子神の名が残されています。
御穂須須美命(みほすすみのみこと)という、推定・女神様です。
※ 因みにタケミナカタと同一とかタケミナカタの幼名とか言う説もある。私は女神だと思いますが
島根半島の東端・美保関(みほのせき)と能登半島の北端・珠洲岬(すずみさき)、二つの岬を本拠地とする珍しい信仰の地主神です。
能登半島……ここから母・ヌナカワヒメが逃げたという伝説が痛ましいです…
スサノオとクシナダヒメ、そして両親のアシナヅチ・テナヅチ夫婦。……という微笑ましい一家に加えて、何故か女神アマテラスとその娘イチキシマヒメ。
スサノオ様が困り顔のように見えるのは、検索画像がたまたまそう見えたのでしょうか。実物を見たことがないのでよく分かりません。
でも、クシナダヒメ様が何やら機嫌が悪そうだ、という感想は今まで何回か見かけたことがあります。
その微笑ましい一家に、スサノオ様が地方妻とその娘を連れて来たのです。
偉大なる出雲女王・クシナダヒメの目の前に、入婿の夫が図々しくも妾と庶子を連れ込んだという、クシナダ様がブチ切れてもおかしくないこんな場面を何で壁画にしたのか、私も絵描きですがサッパリ意味が分かりません。
私はスサノオ様を推してますが、クシナダ様は、スサノオ様をしばき倒して妾と庶子を追い出して塩を撒いてもいいと思います。(私はクシナダ様も推してる)
一夫多妻制?そんなの知るか。いつの時代の妻もその他大勢になりたくなんかないのよ。
男だってそうじゃろがい!!
……が、オオヒルメが出雲で暮らしたという話までは聞いたことがありません。
集められた地方妻が、ふるさとに帰る方法が唯一あったのではないでしょうか。
それは、産んだ子供を置いて去る、という手段です。
出来るなら、女児が望ましい。
母のふるさとで巫女になる(女王や女族長になる)権利を持つ女児ならば、人質としての価値は高いだろうし、成長したら征服者の一族の妻にしてしまえば征服し続ける《正当性》を主張出来るからです。
ヤガミヒメの子は、木の股に挟んで置いて行かれたことから木俣神(きまたのかみ)、井戸の神であることから御井神(みいのかみ)と呼ばれ、ストーリー上は性別不明なのですが、女神でしょう。
理由は、水神は女神のことが多い、というのに加えて、地下に向かう『窪み』の水神なら、尚更女神でしょう。
そして、井戸とは異界への入口です。
黄泉津大神となったイザナミ様とイメージが重なります。
オオナムチも『木の股をくぐって』根の国に辿り付いた。
そして、ヌナカワヒメは失われましたが、出雲国風土記に、ハッキリと出自が記述されたヌナカワヒメの御子神の名が残されています。
御穂須須美命(みほすすみのみこと)という、推定・女神様です。
※ 因みにタケミナカタと同一とかタケミナカタの幼名とか言う説もある。私は女神だと思いますが
島根半島の東端・美保関(みほのせき)と能登半島の北端・珠洲岬(すずみさき)、二つの岬を本拠地とする珍しい信仰の地主神です。
能登半島……ここから母・ヌナカワヒメが逃げたという伝説が痛ましいです…

2023.
01.
27
ここでは同一説は脇に置いて、ヤガミヒメも正妻スセリヒメ様の宮にひとりでのこのこやって来たのではないということです。
大国主がヤガミヒメを因幡から連れてきたんです。
ヌナカワヒメの地元にはには悲劇の伝説があり、オオナムチから逃げて殺されたり自死したり、夫がいたが戦争になり殺されたりと、古事記のエロいロマンスとは程遠い状態なのですが、『能登半島まで来たところで逃げた』→『オオナムチが部下に追わせた』という具体的な伝承もある程度に、オオナムチはヌナカワヒメを伴って能登半島まで来たけれどもも、海路で出雲に帰還しようとした隙にヌナカワヒメは脱出して逃避行をした、という事だと思います。
ヌナカワヒメは翡翠の産地の姫です。
その翡翠がどのくらいすごいかというと、日本では翡翠が取れないというのが常識だったのに、古代に日本中で発掘される翡翠は全て同じ産地のものだという調査結果しか出ない。
新羅の王の冠も、翡翠がジャラジャラ付いていました。それも同じものです。
※ 結果的に、熱心な学者さんが探し続けてやっと糸魚川の産地を突き止めてくれました。現在は採掘禁止です
日本で唯一の翡翠の国の巫女姫が、その地を離れたい訳がない。
周囲の者たちも、貴重な翡翠の巫女姫を奪われる訳にはいかない。
ヌナカワヒメは奪われたし、そこから懸命に逃げたのです。
《八千矛》はヌナカワヒメを出雲に連れ帰る予定だった。でも叶わなかった。
でも、このストーリーが歴史を反映していたなら、ヌナカワヒメを得られなくても、越の翡翠の産地は大国主のものであり、そこまで勢力を拡大したということです。
その為の『妻まぎ』(妻を探しに旅出ること。八十神の最後尾をオオナムチが大きな袋を背負って歩いていたのは旅をする為)です。
《国譲り》という、出雲サイドにして見れば茶番でしかない言葉が残っているように、出来るだけ戦争を回避して、話し合いで巫女を差し出すクニやムラもあったでしょう。
地方豪族の娘が天皇に献上され采女と呼ばれましたが、そのように差し出されたこともあったかもしれません。
結果、大国主の妻達は皆出雲にいた。
スセリヒメじゃなくても面白くありません。どうせ、自分と同じ女系の娘でなければ女王になる権利は無いのに、政治王の子などそんなにたくさんいなくてもいいはずです。
でも、権力を握った男というのは数多くの女性を集めて自分の種を残したいものなのでしょうムカツクわ。
(つづく)
大国主がヤガミヒメを因幡から連れてきたんです。
ヌナカワヒメの地元にはには悲劇の伝説があり、オオナムチから逃げて殺されたり自死したり、夫がいたが戦争になり殺されたりと、古事記のエロいロマンスとは程遠い状態なのですが、『能登半島まで来たところで逃げた』→『オオナムチが部下に追わせた』という具体的な伝承もある程度に、オオナムチはヌナカワヒメを伴って能登半島まで来たけれどもも、海路で出雲に帰還しようとした隙にヌナカワヒメは脱出して逃避行をした、という事だと思います。
ヌナカワヒメは翡翠の産地の姫です。
その翡翠がどのくらいすごいかというと、日本では翡翠が取れないというのが常識だったのに、古代に日本中で発掘される翡翠は全て同じ産地のものだという調査結果しか出ない。
新羅の王の冠も、翡翠がジャラジャラ付いていました。それも同じものです。
※ 結果的に、熱心な学者さんが探し続けてやっと糸魚川の産地を突き止めてくれました。現在は採掘禁止です
日本で唯一の翡翠の国の巫女姫が、その地を離れたい訳がない。
周囲の者たちも、貴重な翡翠の巫女姫を奪われる訳にはいかない。
ヌナカワヒメは奪われたし、そこから懸命に逃げたのです。
《八千矛》はヌナカワヒメを出雲に連れ帰る予定だった。でも叶わなかった。
でも、このストーリーが歴史を反映していたなら、ヌナカワヒメを得られなくても、越の翡翠の産地は大国主のものであり、そこまで勢力を拡大したということです。
その為の『妻まぎ』(妻を探しに旅出ること。八十神の最後尾をオオナムチが大きな袋を背負って歩いていたのは旅をする為)です。
《国譲り》という、出雲サイドにして見れば茶番でしかない言葉が残っているように、出来るだけ戦争を回避して、話し合いで巫女を差し出すクニやムラもあったでしょう。
地方豪族の娘が天皇に献上され采女と呼ばれましたが、そのように差し出されたこともあったかもしれません。
結果、大国主の妻達は皆出雲にいた。
スセリヒメじゃなくても面白くありません。どうせ、自分と同じ女系の娘でなければ女王になる権利は無いのに、政治王の子などそんなにたくさんいなくてもいいはずです。
でも、権力を握った男というのは数多くの女性を集めて自分の種を残したいものなのでしょうムカツクわ。
(つづく)

2023.
01.
26
私がかねてから気になっていたのは、大国主が何人の姫を妻にしたところで、遠距離結婚ではその姫が産んだ子供が自分の子であると、どうやって納得するんでしょうか?ということです。
結果的に特定の女性が寵姫になりふたりでイチャイチャならほぼ間違いないのでしょうが、元々政略結婚なんですから色っぽい歌を贈り合ったところで動機は打算です。
伝えられているだけでも大国主を振った女は2人いる(ヌナカワヒメの地元伝承を入れると3人になる)んだし、大国主の方が力が強かったので嫌々ながら妻問いに応じた姫もいたことでしょう。
その、嫌々ながらの姫は、遠距離結婚の夫がいない間、本命の男と子を設けるなんて、簡単に出来てしまうはずです。
……遠距離じゃ、なかったとしたら?
私は、以前ヤガミヒメを気の毒に思いつつも、どうも無神経で軽率な姫という印象が拭えませんでした。
そもそも、密やかにオオナムチの妻問いに応じて夜の間に致してしまえば結婚成立でしょうに、何で八十神の前でズバッと「私はあなた達の言うことは聞きません。オオナムチの妻になります!」とか言っちゃったかなー。
そんな派手なことをやらかした所為で、オオナムチは命の危機です。
そして、2度も死んで2度生き返るも、それでもなお兄神達が殺意満々で紀国まで追いかけてくるので、大屋毘古は自分じゃどうしようもないと大己貴は根の国に贈られて、そこで更にスサノオ様から殺意満々の試練を3度も仕掛けられるのです。
オオナムチが根の国から出雲に脱出すると、妊娠したヤガミヒメは大国主の元に向うのですが、そこに待ち受けていたのはギリシャ神話のヘラの如くに強烈に美しく強烈に嫉妬深い正妻様。
これ、いかにもスセリヒメが悪くてヤガミヒメが可哀想みたいに言われてますが、スサノオ様ご指定愛の巣・宇迦の宮に別の妻が孕んでノコノコやって来たら、正妻はブチ切れる権利があると言うものです。
況してや、大国主(オオナムチ)は入婿という身分です。
出雲の巫女王・スセリヒメ様の方が大国主よりも格上です。
怒りはヤガミヒメだけではなく当然に大国主にも向って
「何を勝手に妾と子供を作っていらっしゃるの…?離婚して政治王の椅子から蹴飛ばして差し上げても良くってよ」
とか、素晴らしい目力で言って下さったなら最高ですスセリヒメ様。
ヤガミヒメは生まれた子を『木の股に挟んで』自分だけ因幡に帰るという謎の行動を取るのですが、まさかクニャクニャの新生児を置いて行ったとも思えませんし、個人差はありますが産婦が旅に出るほど体調が回復するには数ヶ月かかるでしょう。
ヤガミヒメは、結局は妊娠期間~出産~産後何ヶ月かの、案外長い間出雲に滞在していたことになります。
まあ、実は今の私の脳内をネタバレしますと、ヤガミヒメ=スセリヒメなのですが、この話はまた別の機会に。
でも、ヤガミヒメの名で上記のようなストーリーが作られたという事は、古代では遠距離結婚などしていなかった、という証拠にはなると思うのです。
つまり、大国主は各地の有力者の娘を娶り、自分の拠点まで連れてきていた。
考えてみれば、遠距離では姫を手に入れても継続して通い子を産ませることは困難ですから、自分の傍に連れてくるのです。
これならば、嫁入り風味だけど通い婚、という形で複数の妻を確保出来ます。
播磨国風土記に、どういう訳か伊和大神(大国主とされている)がコノハナサクヤヒメを娶った(ニニギの妻とは別ということになっているけど、私はこんな美称が付くほどの美女がふたりいるとは思えない)とかいう話があり、それにまつわる地名も記述されています。
ということは、伊和大神は、コノハナサクヤヒメを連れてきたんです。
本拠地に囲う為に。
(つづく)
結果的に特定の女性が寵姫になりふたりでイチャイチャならほぼ間違いないのでしょうが、元々政略結婚なんですから色っぽい歌を贈り合ったところで動機は打算です。
伝えられているだけでも大国主を振った女は2人いる(ヌナカワヒメの地元伝承を入れると3人になる)んだし、大国主の方が力が強かったので嫌々ながら妻問いに応じた姫もいたことでしょう。
その、嫌々ながらの姫は、遠距離結婚の夫がいない間、本命の男と子を設けるなんて、簡単に出来てしまうはずです。
……遠距離じゃ、なかったとしたら?
私は、以前ヤガミヒメを気の毒に思いつつも、どうも無神経で軽率な姫という印象が拭えませんでした。
そもそも、密やかにオオナムチの妻問いに応じて夜の間に致してしまえば結婚成立でしょうに、何で八十神の前でズバッと「私はあなた達の言うことは聞きません。オオナムチの妻になります!」とか言っちゃったかなー。
そんな派手なことをやらかした所為で、オオナムチは命の危機です。
そして、2度も死んで2度生き返るも、それでもなお兄神達が殺意満々で紀国まで追いかけてくるので、大屋毘古は自分じゃどうしようもないと大己貴は根の国に贈られて、そこで更にスサノオ様から殺意満々の試練を3度も仕掛けられるのです。
オオナムチが根の国から出雲に脱出すると、妊娠したヤガミヒメは大国主の元に向うのですが、そこに待ち受けていたのはギリシャ神話のヘラの如くに強烈に美しく強烈に嫉妬深い正妻様。
これ、いかにもスセリヒメが悪くてヤガミヒメが可哀想みたいに言われてますが、スサノオ様ご指定愛の巣・宇迦の宮に別の妻が孕んでノコノコやって来たら、正妻はブチ切れる権利があると言うものです。
況してや、大国主(オオナムチ)は入婿という身分です。
出雲の巫女王・スセリヒメ様の方が大国主よりも格上です。
怒りはヤガミヒメだけではなく当然に大国主にも向って
「何を勝手に妾と子供を作っていらっしゃるの…?離婚して政治王の椅子から蹴飛ばして差し上げても良くってよ」
とか、素晴らしい目力で言って下さったなら最高ですスセリヒメ様。
ヤガミヒメは生まれた子を『木の股に挟んで』自分だけ因幡に帰るという謎の行動を取るのですが、まさかクニャクニャの新生児を置いて行ったとも思えませんし、個人差はありますが産婦が旅に出るほど体調が回復するには数ヶ月かかるでしょう。
ヤガミヒメは、結局は妊娠期間~出産~産後何ヶ月かの、案外長い間出雲に滞在していたことになります。
まあ、実は今の私の脳内をネタバレしますと、ヤガミヒメ=スセリヒメなのですが、この話はまた別の機会に。
でも、ヤガミヒメの名で上記のようなストーリーが作られたという事は、古代では遠距離結婚などしていなかった、という証拠にはなると思うのです。
つまり、大国主は各地の有力者の娘を娶り、自分の拠点まで連れてきていた。
考えてみれば、遠距離では姫を手に入れても継続して通い子を産ませることは困難ですから、自分の傍に連れてくるのです。
これならば、嫁入り風味だけど通い婚、という形で複数の妻を確保出来ます。
播磨国風土記に、どういう訳か伊和大神(大国主とされている)がコノハナサクヤヒメを娶った(ニニギの妻とは別ということになっているけど、私はこんな美称が付くほどの美女がふたりいるとは思えない)とかいう話があり、それにまつわる地名も記述されています。
ということは、伊和大神は、コノハナサクヤヒメを連れてきたんです。
本拠地に囲う為に。
(つづく)

2023.
01.
25
大国主は、大袈裟であるにしてもどうして180人とか181人とか子を設けることが出来たのか?
当然に、それは妻の数も多いからです。
大袈裟でなく、本当に180人くらいいたとしたら、妻神も最低20人は必要でしょう。
少なくない!?と思われそうですが、この時代は避妊なんてありません。
不妊症の女性もいる一方で(スセリヒメは子が記されていない為、子供なしとされることも多い)、多産の人は多産です。
オオトシ妃・天知迦流美豆比売(あめしるかるみずひめ/あめちかるみずひめ)の御子神は十柱です。
多いと思ったひとは甘い。
リアルでも、天皇の妃になった蘇我氏の娘で13人の御子を産んでいます。
余程寵愛を受けていたとも言えますが、そのくらい産める(というか孕んでしまう)女性もいる。
近い時代では与謝野晶子が11人産んでいます。(妊娠回数としては12回)
舞台で与謝野晶子を演じた女優さんが「いつも妊婦だった」というくらい、子宮と卵巣が機能している間は子が宿るのです。
でも、神話は何かと数を盛りますので、確実に実在した時代の子沢山の天皇の妻と子の数を見てみたのですが、4~6人の妻との間に10数人から20人くらいの子を設けているようです。
大国主もその程度が最大値ではないでしょうか。
大国主、という言い方を私が使うのは、神話上のオオナムチのエピソードとスサノオ様のエピソードが、一部被っていると思うからです。
大国主自体は、お上が古事記を記すに当たって、新しい名前を創作して与えたんじゃないか?と思います。
何でそんな事をするかというと、大物主や事代主とゴチャゴチャするように、真相を誤魔化す為だったのではないかと推測します。
或いは、オオナムチが祟り神なので、大国主という偉そうな讃え名を付けてみたとか。
…という様々な事情はさておいて、古事記によると、大国主は因幡のヤガミヒメ、越のヌナカワヒメに妻問いする話が出て来ます。
嫡妻スセリヒメの場合は、妻問いが目的ではなく、八十神に追われているから助けて欲しいとスサノオ様に助けを求めに来たつもりが、美女と出会ってお互いに一目惚れしてしまったので、速攻いたしてしまった、という手の早すぎる男。そりゃスサノオパパ怒るわ。
正確には、ヤガミヒメとスセリヒメに出会った時には「オオナムチ」で、ヌナカワヒメに妻問いするときには何故か「八千矛」です。大国主の名はどこいったよ。
因みに、出雲国風土記では、ある女神に求婚するも、その女神は嫌がって山から山へと逃げ続け(それでも追い掛け続けた大国主キモイ。つか普通に怖い)、終には《黄泉国に隠れてしまった》…という謎の女神・綾門日女(あやとひめ/カミムスビの娘)がいらっしゃいます。
その時の名前は、所造天下大神命(あめのしたつくらししおおかみ)です。
※ 出雲風土記では大国主の名は出て来ません。
そして、播磨国風土記でも、安師比売神(あなしひめ)が伊和大神(オオナムチと推定される)が求婚を断らたので 激怒して川の上流に石を置いて、3方向の里へと水を分配したので この川(安志川/林田川)は 水量が少なくなってしまいましたと記されています。
何その逆ギレ!?女は100パー引くわ。
つまり、スセリヒメが一目惚れするほどのイケメンだと我々は思わされていますが(スサノオ様が言った『醜男/しこお』は不細工という意味ではありません。『醜名』と同じで強い男という意味(=スサノオ様の予言or嫌味orプレッシャーかけてる)、実績としては大国主ってさほどモテてない。
ひょっとしたら、断られないのが当たり前だったので、『意外にも振られた話』が伝承として残ったのかもしれませんが
「何だと…!?この俺のプロポーズを断る女がいるとは…!!」
とかいうナルシストキャラって、神話に出てくるほど古代から定型だったのか思うと何やら感慨深いです。
(つづく)
当然に、それは妻の数も多いからです。
大袈裟でなく、本当に180人くらいいたとしたら、妻神も最低20人は必要でしょう。
少なくない!?と思われそうですが、この時代は避妊なんてありません。
不妊症の女性もいる一方で(スセリヒメは子が記されていない為、子供なしとされることも多い)、多産の人は多産です。
オオトシ妃・天知迦流美豆比売(あめしるかるみずひめ/あめちかるみずひめ)の御子神は十柱です。
多いと思ったひとは甘い。
リアルでも、天皇の妃になった蘇我氏の娘で13人の御子を産んでいます。
余程寵愛を受けていたとも言えますが、そのくらい産める(というか孕んでしまう)女性もいる。
近い時代では与謝野晶子が11人産んでいます。(妊娠回数としては12回)
舞台で与謝野晶子を演じた女優さんが「いつも妊婦だった」というくらい、子宮と卵巣が機能している間は子が宿るのです。
でも、神話は何かと数を盛りますので、確実に実在した時代の子沢山の天皇の妻と子の数を見てみたのですが、4~6人の妻との間に10数人から20人くらいの子を設けているようです。
大国主もその程度が最大値ではないでしょうか。
大国主、という言い方を私が使うのは、神話上のオオナムチのエピソードとスサノオ様のエピソードが、一部被っていると思うからです。
大国主自体は、お上が古事記を記すに当たって、新しい名前を創作して与えたんじゃないか?と思います。
何でそんな事をするかというと、大物主や事代主とゴチャゴチャするように、真相を誤魔化す為だったのではないかと推測します。
或いは、オオナムチが祟り神なので、大国主という偉そうな讃え名を付けてみたとか。
…という様々な事情はさておいて、古事記によると、大国主は因幡のヤガミヒメ、越のヌナカワヒメに妻問いする話が出て来ます。
嫡妻スセリヒメの場合は、妻問いが目的ではなく、八十神に追われているから助けて欲しいとスサノオ様に助けを求めに来たつもりが、美女と出会ってお互いに一目惚れしてしまったので、速攻いたしてしまった、という手の早すぎる男。そりゃスサノオパパ怒るわ。
正確には、ヤガミヒメとスセリヒメに出会った時には「オオナムチ」で、ヌナカワヒメに妻問いするときには何故か「八千矛」です。大国主の名はどこいったよ。
因みに、出雲国風土記では、ある女神に求婚するも、その女神は嫌がって山から山へと逃げ続け(それでも追い掛け続けた大国主キモイ。つか普通に怖い)、終には《黄泉国に隠れてしまった》…という謎の女神・綾門日女(あやとひめ/カミムスビの娘)がいらっしゃいます。
その時の名前は、所造天下大神命(あめのしたつくらししおおかみ)です。
※ 出雲風土記では大国主の名は出て来ません。
そして、播磨国風土記でも、安師比売神(あなしひめ)が伊和大神(オオナムチと推定される)が求婚を断らたので 激怒して川の上流に石を置いて、3方向の里へと水を分配したので この川(安志川/林田川)は 水量が少なくなってしまいましたと記されています。
何その逆ギレ!?女は100パー引くわ。
つまり、スセリヒメが一目惚れするほどのイケメンだと我々は思わされていますが(スサノオ様が言った『醜男/しこお』は不細工という意味ではありません。『醜名』と同じで強い男という意味(=スサノオ様の予言or嫌味orプレッシャーかけてる)、実績としては大国主ってさほどモテてない。
ひょっとしたら、断られないのが当たり前だったので、『意外にも振られた話』が伝承として残ったのかもしれませんが
「何だと…!?この俺のプロポーズを断る女がいるとは…!!」
とかいうナルシストキャラって、神話に出てくるほど古代から定型だったのか思うと何やら感慨深いです。
(つづく)

2023.
01.
24
さて、本来の物語は不明ながら、人々に愛され親しまれるようになった福の神・ヒルコ。
ヒルコのままで祀られていることもありますが、良くあるパターンは七福神のエビス様です。
釣り竿と鯛をを抱えて満面の笑顔の、でっぷりとしているのもまたふくふくしい感じの、福しか感じないような神様です。
えびす、という名前はエミシとかと同じで、中華様が自分たち以外は全て蛮族として勝手につけた蔑称に由来するそうですが、どうして蔑称で定着したまま福の神になっちゃったのか、私にはよくわかりません。
そして、七福神はインドや中国に起源を持つ神が多く、エビスだけが唯一日本うまれです。
にもかかわらず、「外来神」「漂着神」の属性が強い神様です。
出雲辺りでは(出雲・山陰に限らないと思いますが)、海に流れ着くものを神聖視する信仰があるようですが、そのような流れの中で生まれた神様なのでしょうか。
確かに、古代日本は海人達が様々なところに船で行き交い、珍しいものや貴重なものを持ち帰ってくれるので、「海の向こうには何かとてもいいものがあるらしい」ということになったのかもしれません。
でも、あまりにも果てしなくて、海人達でさえ誰も一定以上の場所以降の世界を見たことがない。
生きた人間が辿りつけないそこは、異界であり、神の領域であり、常世と呼ばれたのでしょう。
浜辺に流れ着いた海蛇は、有毒であろうと神の使いであり、古代は《やってきた神》そのものであったかもしれません。
そういう信仰が、《ヒルコ》と似ているんですね。
舟に乗せて捨てられて、でも人間の元に流れ着いた神。
そして、ヒルコは蛭子・蛭児・水蛭子、などと表記されるように、田んぼとかにいて人の足に貼り付いては血を吸って膨れ上がる、かなり気持ちが悪い《蛭》に例えられ、立てなかったというのも骨が無かったか、無いかのようにグニャグニャした不具の子として生まれました。
昨日までの、ちょっとほっこりしたお話を、ここでいきなり叩っ切りますが、
水死体のことをエビスと言います。
水難事故のニュースで、身元の確認を急いでいますと言っていますが、見た目ではわからないことが多いのです。
服が脱げていることもありますし、水を吸ってブヨブヨに肥大しているからです。
四角い棺桶いっぱいに四角く収まることもあるほどです。
だから、古代の海人族や、昭和辺りの漁師さんは入れ墨の習慣が有りましたが、魔除けの意味もあったでしょうが、変わり果てていても仲間ならば入れ墨で誰かを特定出来るからです。
このように、異形になり果てた水死体は、人間のものに限らずクジラやサメなどの死体もエビスで、
漁業では水死体(エビス)に出会うと大漁をもたらすものと信じられていたのです。
何故そうなる!?と私は多分常識的なツッコミを入れたくなったんですが、鍵は《漂着した異形》であることなのでしょう。
最早原形を留めていないそれは、神の使いであって、手厚く葬れば福をもたらしてくれるのです。
手厚く葬らないと祟るんですけどね。
不思議な巡り合わせですが、ヒルコは蛭のような異形の神だったことから、憐れに思われ、情をかけられ、そして有り難い福の神として、人々に愛され信仰されるようになったのです。
エビスと習合した神はヒルコ以外にもいて、事代主(釣りをしていたから)、少彦名(ガガイモの実を舟にしてやって来て、去る時も突然常世へ行ってしまった)、ヒコホデミミ尊(何で!?ワタツミの宮から帰還したから???)です。
人間に幸福をもたらしてくれる、不思議な漂着神。
葦舟で旅立ったヒルコ神が、これからも末永く人々に愛される事を願います。
ヒルコのままで祀られていることもありますが、良くあるパターンは七福神のエビス様です。
釣り竿と鯛をを抱えて満面の笑顔の、でっぷりとしているのもまたふくふくしい感じの、福しか感じないような神様です。
えびす、という名前はエミシとかと同じで、中華様が自分たち以外は全て蛮族として勝手につけた蔑称に由来するそうですが、どうして蔑称で定着したまま福の神になっちゃったのか、私にはよくわかりません。
そして、七福神はインドや中国に起源を持つ神が多く、エビスだけが唯一日本うまれです。
にもかかわらず、「外来神」「漂着神」の属性が強い神様です。
出雲辺りでは(出雲・山陰に限らないと思いますが)、海に流れ着くものを神聖視する信仰があるようですが、そのような流れの中で生まれた神様なのでしょうか。
確かに、古代日本は海人達が様々なところに船で行き交い、珍しいものや貴重なものを持ち帰ってくれるので、「海の向こうには何かとてもいいものがあるらしい」ということになったのかもしれません。
でも、あまりにも果てしなくて、海人達でさえ誰も一定以上の場所以降の世界を見たことがない。
生きた人間が辿りつけないそこは、異界であり、神の領域であり、常世と呼ばれたのでしょう。
浜辺に流れ着いた海蛇は、有毒であろうと神の使いであり、古代は《やってきた神》そのものであったかもしれません。
そういう信仰が、《ヒルコ》と似ているんですね。
舟に乗せて捨てられて、でも人間の元に流れ着いた神。
そして、ヒルコは蛭子・蛭児・水蛭子、などと表記されるように、田んぼとかにいて人の足に貼り付いては血を吸って膨れ上がる、かなり気持ちが悪い《蛭》に例えられ、立てなかったというのも骨が無かったか、無いかのようにグニャグニャした不具の子として生まれました。
昨日までの、ちょっとほっこりしたお話を、ここでいきなり叩っ切りますが、
水死体のことをエビスと言います。
水難事故のニュースで、身元の確認を急いでいますと言っていますが、見た目ではわからないことが多いのです。
服が脱げていることもありますし、水を吸ってブヨブヨに肥大しているからです。
四角い棺桶いっぱいに四角く収まることもあるほどです。
だから、古代の海人族や、昭和辺りの漁師さんは入れ墨の習慣が有りましたが、魔除けの意味もあったでしょうが、変わり果てていても仲間ならば入れ墨で誰かを特定出来るからです。
このように、異形になり果てた水死体は、人間のものに限らずクジラやサメなどの死体もエビスで、
漁業では水死体(エビス)に出会うと大漁をもたらすものと信じられていたのです。
何故そうなる!?と私は多分常識的なツッコミを入れたくなったんですが、鍵は《漂着した異形》であることなのでしょう。
最早原形を留めていないそれは、神の使いであって、手厚く葬れば福をもたらしてくれるのです。
手厚く葬らないと祟るんですけどね。
不思議な巡り合わせですが、ヒルコは蛭のような異形の神だったことから、憐れに思われ、情をかけられ、そして有り難い福の神として、人々に愛され信仰されるようになったのです。
エビスと習合した神はヒルコ以外にもいて、事代主(釣りをしていたから)、少彦名(ガガイモの実を舟にしてやって来て、去る時も突然常世へ行ってしまった)、ヒコホデミミ尊(何で!?ワタツミの宮から帰還したから???)です。
人間に幸福をもたらしてくれる、不思議な漂着神。
葦舟で旅立ったヒルコ神が、これからも末永く人々に愛される事を願います。

2023.
01.
23
日本書紀の異文には、大雨の中スサノオは蓑笠(みの&かさ。なまはげみたいなアレ)を纏ってとぼとぼ歩き、宿を求めても「お前悪い神じゃん。泊めねーわ」と断られるシーンもあります。
そうした苦難を経て天を去り下界に降ってみると、泣いている夫婦&美少女を見付けて、ヤマタノオロチから守って助けてやろうとスサノオは思います。巨大な怪物を仕留める為に知恵を絞り策を練り、戦うのが冒険と試練のストーリーです。
スサノオはヤマタノオロチという怪物を見事倒し、ヤマタノオロチ尾の中から見事な神剣を見付け、救ったクシナダヒメを娶り子を為しました。
…というのが英雄エンディングです。
ここで終われば良かったのに。
王子様とお姫様は、「そしていつまでも幸せにに暮らしました」でいいんだよ!その後とか、いらないの!!
スサノオ様のお話は、クシナダヒメとの間にヤシマジヌミ(or)オオナムチを設けた後、
「そして根の国に行かれた」で終わるのです。
確かに、母が恋しいと言って根の国に行きたいと泣き、好きにしろと父に突き放された。(古事記)
両親に根の国へ行けと追い出された。(日本書紀)
だから、スサノオは母に会うという目的を果たす為に、かつて父イザナギが逃げ帰った場所へと去っていった。
或いは、お前など根の国へ行けと言われて、親の言うとおりにした。
悲しすぎる後日譚くっつけんなよ!!!(泣
ヒルコには、冒険と試練、英雄エンディングがありません。カットされている。
だから、ヒルコって実はスサノオじゃね?という案が出て来るのですが、そうでないならば根の国エンドじゃなければいいなぁと、心から思います…
でも、個人的には、ヒルコ=スサノオ説は、私はそう外してもいないんじゃないかな、と思っています。
多分、イザナギ・イザナミ夫妻神の神話とヤマタノオロチ神話は、別のところで発生しているとは思うんです。
それを編集する時にくっつけて一連の話にしたか、或いは記紀編集の時点で既に一体化していたか。
神話や伝承は、ある異なる一族がくっ付いたり、又はひとつの一族が分裂したり、移動したり、人間の様々な営みと歴史の中で、これもくっ付いたり変質したりするものだからです。
ヒルコという名前、そして大日孁という露骨にヨイショされた存在が、おそらくヒルコの地位を奪ってしまったと察するに、ヒルコは太陽神です。
そして、葦船で(日本書紀では天磐櫲樟船/あめのいわくすぶね。磐座を神の船と見なした信仰だと思います)海に流されてしまい、カットされてしまいましたが海を経て冒険の旅に出る、というのは海神の性質も併せ持っています。
そして、海人族が信仰する太陽神は、当然に海神でもあります。
海は日の光を浴びて眩しく照り輝くものです。
海人族はひとつではありません。海人達の太陽神は数多くいたことでしょう。そして、その一族が統合されてゆく過程で双方の太陽神が習合・融合していったのだと思います。
それでも《唯一の太陽神》とか《至上の太陽神》にはならなかったことでしょう。今でも地域性のある神、そこにしかいない神、というのは信仰されているのですから、唯一の太陽神、唯一の皇祖神天照大御神という操作が意図的にされたのは不比等と持統天皇の時代であり、更に徹底されたのが明治天皇の意向だと思います。
例えば、伊勢津彦も土地を明け渡す時に、風を起こして光り輝きながら去って行きます。
伊勢津彦は日本には珍しい風神と言われていますが、彼は風神であると同時に海神であり、輝く太陽神なのです。海人族は海流と風に乗って眩しい海原を渡るのです。
間違っても陸の民のように占いで出航の日を決めて白村江で惨敗したりしません。
古事記で始めは海を治めろと言われたスサノオのモデルも、縄文まで歴史を遡る海人たちの海神であり、太陽の神です。
そもそも、日本では天と書いても海と書いても『あま』と読む程度に、空も海も果てしのない青であり光であるという世界観の名残がある。
そして、後世に海神の化身のように言われた歴史上の人物が出現し、出雲に名を残したのだと思います。
ヒルコもまた、可哀想なだけで終わる存在ではないのです。
顔だけが取り柄の弱っちいオオナムチでさえ(すみません。私手癖の悪い男ってタイプじゃないんです)、おっかないパパ・スサノオの殺意(アレ絶対殺しに来てるよな)からどうにか逃れて、スセリヒメを后にして大国主なんて偉そうな地位に就いたのですから、ヒルコだけが流されて終わりのはずがありません。
きっと、続きがあった。
でも、消されてしまったから、後世の人々はヒルコを英雄と讃えることはなく、ただ憐れで可哀想な子神だと思うしかなかった。
そして、可哀想な人って、伝説になりやすいんですよね。
兄貴と仲違いして北に逃げることになった《かつての英雄》源義経が典型例です。
ハッキリ言って、後白河から軽率にもホイホイ官位を受け取ってしまった義経が悪いんですけど、理知的な頼朝兄ちゃんはどうも人気がない。
そして、奥州藤原氏にさえ裏切られて死んだ、というエンディングに納得出来ない人々は、方々で勝手に義経が立ち寄ったり奥方が子を産んだり、本当は殺されずに逃げ果せたしたという話を作り出したり、というそれが地元に定着するのです。
逃避行なんだから、そんなにあちこちに伝承が残るほど目立っちゃ駄目でしょうが!
という理屈は人の情の前には通じないんですよね。
ヒルコにもそれは当てはまり、日本各地にヒルコが流れ着いた伝説があり、古事記にしか記載のないヒルコの弟妹アワシマが、元気に歩けるどころかめっちゃ踊りまくる神楽が発生したりする。
漁労の神になったり福の神になったりする。
私、こういうヒルコの愛され方って、好きですけどね。
人々の信仰が厚ければ厚いほど、神は神として光り輝くことが出来るのですから。
壊された貴種流離譚を、後世の人間の心が、ヒルコの新しい英雄譚を完成させたとも言えるでしょう。
(つづく)
そうした苦難を経て天を去り下界に降ってみると、泣いている夫婦&美少女を見付けて、ヤマタノオロチから守って助けてやろうとスサノオは思います。巨大な怪物を仕留める為に知恵を絞り策を練り、戦うのが冒険と試練のストーリーです。
スサノオはヤマタノオロチという怪物を見事倒し、ヤマタノオロチ尾の中から見事な神剣を見付け、救ったクシナダヒメを娶り子を為しました。
…というのが英雄エンディングです。
ここで終われば良かったのに。
王子様とお姫様は、「そしていつまでも幸せにに暮らしました」でいいんだよ!その後とか、いらないの!!
スサノオ様のお話は、クシナダヒメとの間にヤシマジヌミ(or)オオナムチを設けた後、
「そして根の国に行かれた」で終わるのです。
確かに、母が恋しいと言って根の国に行きたいと泣き、好きにしろと父に突き放された。(古事記)
両親に根の国へ行けと追い出された。(日本書紀)
だから、スサノオは母に会うという目的を果たす為に、かつて父イザナギが逃げ帰った場所へと去っていった。
或いは、お前など根の国へ行けと言われて、親の言うとおりにした。
悲しすぎる後日譚くっつけんなよ!!!(泣
ヒルコには、冒険と試練、英雄エンディングがありません。カットされている。
だから、ヒルコって実はスサノオじゃね?という案が出て来るのですが、そうでないならば根の国エンドじゃなければいいなぁと、心から思います…
でも、個人的には、ヒルコ=スサノオ説は、私はそう外してもいないんじゃないかな、と思っています。
多分、イザナギ・イザナミ夫妻神の神話とヤマタノオロチ神話は、別のところで発生しているとは思うんです。
それを編集する時にくっつけて一連の話にしたか、或いは記紀編集の時点で既に一体化していたか。
神話や伝承は、ある異なる一族がくっ付いたり、又はひとつの一族が分裂したり、移動したり、人間の様々な営みと歴史の中で、これもくっ付いたり変質したりするものだからです。
ヒルコという名前、そして大日孁という露骨にヨイショされた存在が、おそらくヒルコの地位を奪ってしまったと察するに、ヒルコは太陽神です。
そして、葦船で(日本書紀では天磐櫲樟船/あめのいわくすぶね。磐座を神の船と見なした信仰だと思います)海に流されてしまい、カットされてしまいましたが海を経て冒険の旅に出る、というのは海神の性質も併せ持っています。
そして、海人族が信仰する太陽神は、当然に海神でもあります。
海は日の光を浴びて眩しく照り輝くものです。
海人族はひとつではありません。海人達の太陽神は数多くいたことでしょう。そして、その一族が統合されてゆく過程で双方の太陽神が習合・融合していったのだと思います。
それでも《唯一の太陽神》とか《至上の太陽神》にはならなかったことでしょう。今でも地域性のある神、そこにしかいない神、というのは信仰されているのですから、唯一の太陽神、唯一の皇祖神天照大御神という操作が意図的にされたのは不比等と持統天皇の時代であり、更に徹底されたのが明治天皇の意向だと思います。
例えば、伊勢津彦も土地を明け渡す時に、風を起こして光り輝きながら去って行きます。
伊勢津彦は日本には珍しい風神と言われていますが、彼は風神であると同時に海神であり、輝く太陽神なのです。海人族は海流と風に乗って眩しい海原を渡るのです。
間違っても陸の民のように占いで出航の日を決めて白村江で惨敗したりしません。
古事記で始めは海を治めろと言われたスサノオのモデルも、縄文まで歴史を遡る海人たちの海神であり、太陽の神です。
そもそも、日本では天と書いても海と書いても『あま』と読む程度に、空も海も果てしのない青であり光であるという世界観の名残がある。
そして、後世に海神の化身のように言われた歴史上の人物が出現し、出雲に名を残したのだと思います。
ヒルコもまた、可哀想なだけで終わる存在ではないのです。
顔だけが取り柄の弱っちいオオナムチでさえ(すみません。私手癖の悪い男ってタイプじゃないんです)、おっかないパパ・スサノオの殺意(アレ絶対殺しに来てるよな)からどうにか逃れて、スセリヒメを后にして大国主なんて偉そうな地位に就いたのですから、ヒルコだけが流されて終わりのはずがありません。
きっと、続きがあった。
でも、消されてしまったから、後世の人々はヒルコを英雄と讃えることはなく、ただ憐れで可哀想な子神だと思うしかなかった。
そして、可哀想な人って、伝説になりやすいんですよね。
兄貴と仲違いして北に逃げることになった《かつての英雄》源義経が典型例です。
ハッキリ言って、後白河から軽率にもホイホイ官位を受け取ってしまった義経が悪いんですけど、理知的な頼朝兄ちゃんはどうも人気がない。
そして、奥州藤原氏にさえ裏切られて死んだ、というエンディングに納得出来ない人々は、方々で勝手に義経が立ち寄ったり奥方が子を産んだり、本当は殺されずに逃げ果せたしたという話を作り出したり、というそれが地元に定着するのです。
逃避行なんだから、そんなにあちこちに伝承が残るほど目立っちゃ駄目でしょうが!
という理屈は人の情の前には通じないんですよね。
ヒルコにもそれは当てはまり、日本各地にヒルコが流れ着いた伝説があり、古事記にしか記載のないヒルコの弟妹アワシマが、元気に歩けるどころかめっちゃ踊りまくる神楽が発生したりする。
漁労の神になったり福の神になったりする。
私、こういうヒルコの愛され方って、好きですけどね。
人々の信仰が厚ければ厚いほど、神は神として光り輝くことが出来るのですから。
壊された貴種流離譚を、後世の人間の心が、ヒルコの新しい英雄譚を完成させたとも言えるでしょう。
(つづく)

2023.
01.
22
『かそいろは 哀れと見ずや 蛭の児は 三歳(みとせ)になりぬ 脚立たずして』
(両親はあわれと思わなかったのだろうか。ヒルコは三歳になっても、一人で立ち上がることもできなかったのに)
この歌を作ったのは大江朝綱(おおえのあさつな)という9世紀終わり~10世紀の人物であるので、その頃にはヒルコが可哀想という共通認識が広まっていたことになります。
その後民衆受けするのは堅苦しい(?)日本書紀ではなく物語性の強い古事記の方なのですが、古事記のヒルコは『不具の子だったので葦船に入れて流した』とだけ記され、3歳になっても立てなかった、と具体的な年齢が出て来るのは日本書紀の方です。
日本書紀が貴族達に読まれていたのか、元々ヒルコの物語は民間伝承として存在していたのか私は知らないのですけれども、とにかく《既に》その頃にはヒルコ可哀想ストーリーが歌に歌われるほど、少なくとも貴族階級では一般化していたことになります。
つまり、ブームになる以前からヒルコ物語は存在していた。
しかし、更に遡ると、ブームになる以前にヒルコ神話は弄られています。
何故なら、神話の定型である貴種流離譚の冒頭のみが残っていて、その後が消されているからです。
~貴種流離譚~
説話文学や口承文芸における重要なモチーフ。幼い神や身分高く若い主人公が、都(もしくは生まれ故郷)を離れて放浪を続け、種々の艱難辛苦(かんなんしんく)に遭遇し、動物の援助や知恵の働き、財宝の発見などによって、試練を克服して英雄となったり尊い地位につくという、説話の一類型。日本文学における伝承上の際だった主題である。(by コトバンク)
ヒルコが流されるのは、お約束だからいいんです。(ギ・ミ神が毒親なのは免れませんが)
その後にヒルコの冒険譚という途中経過も、英雄になるという華々しいエンディングも無い、そこが問題なのです。
この不自然さに注目して考察されたのが、『ヒルコ=スサノオ説』です。
スサノオもまた、生まれた時から残忍な性格で非道であるという理由で(日本書紀。古事記の「泣いてばかりだから追い出した」よりも貶め方が容赦無い)、両親から追放されるのです。
よく、スサノオはイザナギの禊で発生したくせに、ママンイザナギに会いたいと泣くのはおかしいというのを見かけますが、それは古事記の話です。
日本書紀ではスサノオを産んだのはイザナギで、スサノオは紛うことなくギ・ミ神の夫婦の交わりで産まれた息子なのです。
にもかかわらず、原文はこうです。
其父母二神、勅素戔嗚尊「汝甚無道。不可以君臨宇宙。固當遠適之於根國矣。」遂逐之。
こんな昔から宇宙なんて言葉があったんだな~とか驚きましたが、言っている内容はそれどころじゃないです。
「お前は残虐な奴だから(オオヒルメやツクヨミと違って)この世界の何処も治めることは出来ない。元々遠くの根の国がお似合いなのだ」
と言って追放しているのです。
どうやら根の国は宇宙に含まれないんですねとか気になったんですけど、それは本筋じゃなさそうなので置いておきます。
日本書紀では、母イザナギは生きていますから、ヒゲがボーボーになるまで泣き喚く理由は有りません。
見捨てられたスサノオは、言われたとおりに根の国に向うことにします。
ちょっと、待たんかい。
根の国へ行け=氏ね、って意味でしょうが!!
人の心が無いのかよ神だけに。
本当に無道な息子なら、イヤだと暴れ出してイザナミが産んだ国土をぶち壊すとか、毒親ふたりをぶっk(ry とかしそうなものなのに、スサノオはおとなしく従うんです。
スサノオ実はいい子じゃねーか!
まあ、根の国に逝く前に姉に挨拶に行こうとか律儀なことを考えたのに、高天原でヤンチャやり過ぎてアマテラスを引きこもりにしたどーしーもない感じの子ではあるんですけど。
どーしよーもなく度が過ぎる暴れん坊スサノオは、その罰に髪や爪を引き剥がされるという拷問ばりの処罰を受けて高天原から追い出されます。
……というのが、スサノオの貴種流離譚の冒頭部分です。
酷い話ですがこれでいいんです。
スサノオには新しい未来が開けて、物語には続きがあるからです。
(つづく)
(両親はあわれと思わなかったのだろうか。ヒルコは三歳になっても、一人で立ち上がることもできなかったのに)
この歌を作ったのは大江朝綱(おおえのあさつな)という9世紀終わり~10世紀の人物であるので、その頃にはヒルコが可哀想という共通認識が広まっていたことになります。
その後民衆受けするのは堅苦しい(?)日本書紀ではなく物語性の強い古事記の方なのですが、古事記のヒルコは『不具の子だったので葦船に入れて流した』とだけ記され、3歳になっても立てなかった、と具体的な年齢が出て来るのは日本書紀の方です。
日本書紀が貴族達に読まれていたのか、元々ヒルコの物語は民間伝承として存在していたのか私は知らないのですけれども、とにかく《既に》その頃にはヒルコ可哀想ストーリーが歌に歌われるほど、少なくとも貴族階級では一般化していたことになります。
つまり、ブームになる以前からヒルコ物語は存在していた。
しかし、更に遡ると、ブームになる以前にヒルコ神話は弄られています。
何故なら、神話の定型である貴種流離譚の冒頭のみが残っていて、その後が消されているからです。
~貴種流離譚~
説話文学や口承文芸における重要なモチーフ。幼い神や身分高く若い主人公が、都(もしくは生まれ故郷)を離れて放浪を続け、種々の艱難辛苦(かんなんしんく)に遭遇し、動物の援助や知恵の働き、財宝の発見などによって、試練を克服して英雄となったり尊い地位につくという、説話の一類型。日本文学における伝承上の際だった主題である。(by コトバンク)
ヒルコが流されるのは、お約束だからいいんです。(ギ・ミ神が毒親なのは免れませんが)
その後にヒルコの冒険譚という途中経過も、英雄になるという華々しいエンディングも無い、そこが問題なのです。
この不自然さに注目して考察されたのが、『ヒルコ=スサノオ説』です。
スサノオもまた、生まれた時から残忍な性格で非道であるという理由で(日本書紀。古事記の「泣いてばかりだから追い出した」よりも貶め方が容赦無い)、両親から追放されるのです。
よく、スサノオはイザナギの禊で発生したくせに、ママンイザナギに会いたいと泣くのはおかしいというのを見かけますが、それは古事記の話です。
日本書紀ではスサノオを産んだのはイザナギで、スサノオは紛うことなくギ・ミ神の夫婦の交わりで産まれた息子なのです。
にもかかわらず、原文はこうです。
其父母二神、勅素戔嗚尊「汝甚無道。不可以君臨宇宙。固當遠適之於根國矣。」遂逐之。
こんな昔から宇宙なんて言葉があったんだな~とか驚きましたが、言っている内容はそれどころじゃないです。
「お前は残虐な奴だから(オオヒルメやツクヨミと違って)この世界の何処も治めることは出来ない。元々遠くの根の国がお似合いなのだ」
と言って追放しているのです。
どうやら根の国は宇宙に含まれないんですねとか気になったんですけど、それは本筋じゃなさそうなので置いておきます。
日本書紀では、母イザナギは生きていますから、ヒゲがボーボーになるまで泣き喚く理由は有りません。
見捨てられたスサノオは、言われたとおりに根の国に向うことにします。
ちょっと、待たんかい。
根の国へ行け=氏ね、って意味でしょうが!!
人の心が無いのかよ神だけに。
本当に無道な息子なら、イヤだと暴れ出してイザナミが産んだ国土をぶち壊すとか、毒親ふたりをぶっk(ry とかしそうなものなのに、スサノオはおとなしく従うんです。
スサノオ実はいい子じゃねーか!
まあ、根の国に逝く前に姉に挨拶に行こうとか律儀なことを考えたのに、高天原でヤンチャやり過ぎてアマテラスを引きこもりにしたどーしーもない感じの子ではあるんですけど。
どーしよーもなく度が過ぎる暴れん坊スサノオは、その罰に髪や爪を引き剥がされるという拷問ばりの処罰を受けて高天原から追い出されます。
……というのが、スサノオの貴種流離譚の冒頭部分です。
酷い話ですがこれでいいんです。
スサノオには新しい未来が開けて、物語には続きがあるからです。
(つづく)

2023.
01.
21
刺国若比売=クシナダヒメ
天之冬衣神=スサノオ
刺国大神=テナヅチ・アシナヅチの《稲田宮主○○之八箇耳》という(○○にはスサorスガが入る)
であれば、記紀あわせて天之冬衣神×刺国若比売で子は大己貴、という構図が成立します
問題は、古事記のオオナムチには、八十神(やそがみ)と言われるほど数多くの兄が存在します。
古事記を合体させてヤシマジヌミ=オオナムチだとすると、ヤシマジヌミにも数多くの兄弟がいなくては辻褄が合いません。
スサノオ様は、お前の八十神ぶっ殺して大国主になれ(意訳)と言っている訳ですから、=ヤシマジヌミなら
スサノオ『お前以外のオレの息子を全部始末して大国主になれや』
と物騒な事を言っていることになります。
或いは、母系相続を考えるなら母系でオオヤマツミが祖神の王子とか族長の息子とか全部以下略、という意味です。
スサノオ様推しの私でも流石にドン引きなので、是非とも何かの間違いであって欲しい。
オオナムチがスセリヒメを得るには、かなりゴチャゴチャした事情と権力争いがあった、くらいでお願いします。
スサノオと天之冬衣神の間に入る神については、そんなに理詰めでいかなくていいと思います。
そもそも、男系の系図である時点でさほど重要視せずともよいのです。
ヒメヒコ統治で女王の座が母系相続されるも、女王が子を為す伴侶には一貫性が求められない出雲の系譜を語るには決定的な材料が足りないのですから。
私は、『スサノオ』という呼称は須佐の女王の夫(男・ヲ)という身分を表しているので、出雲の政治王の通称として何代か使われた可能性があると思っていますし、大己貴や大国主という名称、というよりも尊称も同様です。
スサノオとオオナムチでは、人物や業績が被っていることもあると思います。
一応、ヤシマジヌミ=オオナムチ=政治王だとすると、
ヤシマジヌミの子(母・コノハナチルヒメ)の布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬのかみ)は王である、っていうか大己貴と同一だと思っています。
「モチ/モヂ」=「貴/むち」に同じです。大己貴を大穴持(おおあなもち)と表記するくらいですので、発音としては誤差です。
公式に「貴」が許されているのは、大日孁貴・道主貴・大己貴の三柱のみであるほどに、「むち/もち」は大盤振る舞い出来る尊称ではありません。
同一でないとしたら、《二代目大己貴》として偉大な功績を残した神(のモデルになった人物)が存在した場合です。
それが布波能母遅久奴須奴神だということになります。
また、四世の孫に位置づけられている男神・淤美豆奴神(おみづぬ)は、出雲風土記冒頭にある国引き神話の八束水臣津野命(やつかみずおみつの)という、これも出雲の祖神として語られる神と同一です。
出雲国風土記が、八束水臣津野命の別称を意美豆努命(おみづぬ)としているので、文句のつけようがありません。
その八束水臣津野命神は、スサノオ様が天降る神話とは別系統の出雲祖神か、新羅云々を引っ張ってきて領土にしたと語られている辺りはスサノオ様と同一かも知れない神です。
よって、かさ増しするために神裔に挿入されただけでしょう。だから系図から除外して良いと思います。
そして、五世の孫の天之冬衣神については、いくつか言い伝えがあるようですが、古事記によれば天之冬衣神は大己貴の父神ですし、日本書紀によると大己貴の父は素戔嗚尊なので、既に述べたように
天之冬衣神=素戔嗚尊
という等式がやはり成立する可能性が高いと思います。
これらの条件で、タイトル通り大己貴=八島士奴美神ということにすると、古事記でスサノオ~大己貴に至る神裔から、八島士奴美神・布波能母遅久奴須奴神・淤美豆奴神・天之冬衣神の四柱が消えるのです。
※ ただし布波能母遅久奴須奴神は《二代目大己貴》の可能性を考えれば外さずに残します
……とすると、ここまで考察してスサノオとオオナムチの間に残るのは、深淵之水夜礼花神(ふかふちのみずやれはなのかみ)という、一応三世の孫という設定の謎の神のみとなりました。
ただし、深淵之水夜礼花神の息子(四世の孫)が出雲の始まりとなる国引きの神、というのはかなり無理がある設定です。
ただ、母神が日河比売(ひかわひめ)という、出雲に関係がありそうな名前なので、エピソードが無くても出雲の王族のひとりだったのかもしれません。
正しい系図に入れるか否か?
…というと、私は入れない方がいい、と思うのです。
だって、他の神は全部ダミーの可能性が大なのに、深淵之水夜礼花神が本当にスサノオの孫(or曾孫)で大己貴のおじいちゃんとかあります?
全く無いと言い切るだけの強い根拠を持つ訳ではありませんが、タイトル通りに真面目に考えた結果、
古事記でも結局オオナムチはスサノオとクシナダヒメの子神、になってしまいました……(実はめっちゃ予想外で一番混乱してるの多分私)
最大に引き伸ばしても、スサノオ→ヤシマジヌミ(オオナムチ)→布波能母遅久奴須奴神(二代目オオナムチ)→系図どおりのオオナムチ、の順になるので、似たようなものです。
私としては、推し女神スセリヒメ様の母神は、何としてでもスサノオ様の嫡妻にして愛妻のクシナダヒメ様(夫婦で推し)で、女好きのオオナムチはどっかの馬の骨であって欲しかったんですけど!!
櫛名田比売=神大市比売なんていう隠し球でもない限り、スセリヒメ(宇迦の山の宮に住んだ宇迦之御魂)が神大市比売の娘というのは崩せなさそうです。
スセリヒメはクシナダヒメにとっては母系の従妹にあたり、スセリヒメは異母兄弟のオオナムチとヒメヒコ制だったことになります。
何だよ……すごく円満な縁組じゃん……何で、オオナムチは命を狙われまくったんだろ?
古事記に八十神とか雑にまとめられていたスサノオの息子達(?)のことなのか。
或いは、テナヅチ&アシナヅチのヒメヒコの間にも、息子がわんさかいたかもしれないのに描かれていない。
ヤマタノオロチは乙女とか童女しか食べないみたいなので、息子は無関係で、いたならば末の姫のクシナダヒメとヒメヒコ制やりたい兄弟はいたかもしれない。
骨肉の争いとかいう言葉もありますし、藤原氏辺りがその例ですが権力闘争で一番邪魔になるのは身内なんですよね。
やっぱり、オオナムチは命の危機だったのかもしれません。
天之冬衣神=スサノオ
刺国大神=テナヅチ・アシナヅチの《稲田宮主○○之八箇耳》という(○○にはスサorスガが入る)
であれば、記紀あわせて天之冬衣神×刺国若比売で子は大己貴、という構図が成立します
問題は、古事記のオオナムチには、八十神(やそがみ)と言われるほど数多くの兄が存在します。
古事記を合体させてヤシマジヌミ=オオナムチだとすると、ヤシマジヌミにも数多くの兄弟がいなくては辻褄が合いません。
スサノオ様は、お前の八十神ぶっ殺して大国主になれ(意訳)と言っている訳ですから、=ヤシマジヌミなら
スサノオ『お前以外のオレの息子を全部始末して大国主になれや』
と物騒な事を言っていることになります。
或いは、母系相続を考えるなら母系でオオヤマツミが祖神の王子とか族長の息子とか全部以下略、という意味です。
スサノオ様推しの私でも流石にドン引きなので、是非とも何かの間違いであって欲しい。
オオナムチがスセリヒメを得るには、かなりゴチャゴチャした事情と権力争いがあった、くらいでお願いします。
スサノオと天之冬衣神の間に入る神については、そんなに理詰めでいかなくていいと思います。
そもそも、男系の系図である時点でさほど重要視せずともよいのです。
ヒメヒコ統治で女王の座が母系相続されるも、女王が子を為す伴侶には一貫性が求められない出雲の系譜を語るには決定的な材料が足りないのですから。
私は、『スサノオ』という呼称は須佐の女王の夫(男・ヲ)という身分を表しているので、出雲の政治王の通称として何代か使われた可能性があると思っていますし、大己貴や大国主という名称、というよりも尊称も同様です。
スサノオとオオナムチでは、人物や業績が被っていることもあると思います。
一応、ヤシマジヌミ=オオナムチ=政治王だとすると、
ヤシマジヌミの子(母・コノハナチルヒメ)の布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬのかみ)は王である、っていうか大己貴と同一だと思っています。
「モチ/モヂ」=「貴/むち」に同じです。大己貴を大穴持(おおあなもち)と表記するくらいですので、発音としては誤差です。
公式に「貴」が許されているのは、大日孁貴・道主貴・大己貴の三柱のみであるほどに、「むち/もち」は大盤振る舞い出来る尊称ではありません。
同一でないとしたら、《二代目大己貴》として偉大な功績を残した神(のモデルになった人物)が存在した場合です。
それが布波能母遅久奴須奴神だということになります。
また、四世の孫に位置づけられている男神・淤美豆奴神(おみづぬ)は、出雲風土記冒頭にある国引き神話の八束水臣津野命(やつかみずおみつの)という、これも出雲の祖神として語られる神と同一です。
出雲国風土記が、八束水臣津野命の別称を意美豆努命(おみづぬ)としているので、文句のつけようがありません。
その八束水臣津野命神は、スサノオ様が天降る神話とは別系統の出雲祖神か、新羅云々を引っ張ってきて領土にしたと語られている辺りはスサノオ様と同一かも知れない神です。
よって、かさ増しするために神裔に挿入されただけでしょう。だから系図から除外して良いと思います。
そして、五世の孫の天之冬衣神については、いくつか言い伝えがあるようですが、古事記によれば天之冬衣神は大己貴の父神ですし、日本書紀によると大己貴の父は素戔嗚尊なので、既に述べたように
天之冬衣神=素戔嗚尊
という等式がやはり成立する可能性が高いと思います。
これらの条件で、タイトル通り大己貴=八島士奴美神ということにすると、古事記でスサノオ~大己貴に至る神裔から、八島士奴美神・布波能母遅久奴須奴神・淤美豆奴神・天之冬衣神の四柱が消えるのです。
※ ただし布波能母遅久奴須奴神は《二代目大己貴》の可能性を考えれば外さずに残します
……とすると、ここまで考察してスサノオとオオナムチの間に残るのは、深淵之水夜礼花神(ふかふちのみずやれはなのかみ)という、一応三世の孫という設定の謎の神のみとなりました。
ただし、深淵之水夜礼花神の息子(四世の孫)が出雲の始まりとなる国引きの神、というのはかなり無理がある設定です。
ただ、母神が日河比売(ひかわひめ)という、出雲に関係がありそうな名前なので、エピソードが無くても出雲の王族のひとりだったのかもしれません。
正しい系図に入れるか否か?
…というと、私は入れない方がいい、と思うのです。
だって、他の神は全部ダミーの可能性が大なのに、深淵之水夜礼花神が本当にスサノオの孫(or曾孫)で大己貴のおじいちゃんとかあります?
全く無いと言い切るだけの強い根拠を持つ訳ではありませんが、タイトル通りに真面目に考えた結果、
古事記でも結局オオナムチはスサノオとクシナダヒメの子神、になってしまいました……(実はめっちゃ予想外で一番混乱してるの多分私)
最大に引き伸ばしても、スサノオ→ヤシマジヌミ(オオナムチ)→布波能母遅久奴須奴神(二代目オオナムチ)→系図どおりのオオナムチ、の順になるので、似たようなものです。
私としては、推し女神スセリヒメ様の母神は、何としてでもスサノオ様の嫡妻にして愛妻のクシナダヒメ様(夫婦で推し)で、女好きのオオナムチはどっかの馬の骨であって欲しかったんですけど!!
櫛名田比売=神大市比売なんていう隠し球でもない限り、スセリヒメ(宇迦の山の宮に住んだ宇迦之御魂)が神大市比売の娘というのは崩せなさそうです。
スセリヒメはクシナダヒメにとっては母系の従妹にあたり、スセリヒメは異母兄弟のオオナムチとヒメヒコ制だったことになります。
何だよ……すごく円満な縁組じゃん……何で、オオナムチは命を狙われまくったんだろ?
古事記に八十神とか雑にまとめられていたスサノオの息子達(?)のことなのか。
或いは、テナヅチ&アシナヅチのヒメヒコの間にも、息子がわんさかいたかもしれないのに描かれていない。
ヤマタノオロチは乙女とか童女しか食べないみたいなので、息子は無関係で、いたならば末の姫のクシナダヒメとヒメヒコ制やりたい兄弟はいたかもしれない。
骨肉の争いとかいう言葉もありますし、藤原氏辺りがその例ですが権力闘争で一番邪魔になるのは身内なんですよね。
やっぱり、オオナムチは命の危機だったのかもしれません。
