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2022. 11. 30  
秋篠宮皇嗣殿下、お誕生日おめでとうございます。

上皇陛下の御代から、紀子妃殿下と共に最も忙しく、誰にも誇ることなく、公務に取り組んで下さっていたこと、有難く思います。
お体にお気を付けて、お健やかにお過ごし下さい。

秋篠宮皇嗣殿下と、悠仁殿下に申し上げます。

すめらぎいやさか。

20221130



2022. 11. 30  
松江市宍道町の宇賀神社。

祭神 宇賀能売命(うがのめのみこと)
由緒・特殊神事  大國主大神、御親猟の犬垣であるを以て地名を犬垣、故に犬垣神社とも云う。明細帳には祭神宇賀能売命とあるが、宇賀廼止女命であって地名も宇賀之女なるも、なまって岡ノ目と云う。

ちょっと読んだだけではよく判らなかったのですが、取り敢えず、この宇賀神社は別名犬垣神社です。
オオクニヌシの猟場の犬垣が由来であり、犬垣は犬が田畑へ侵入するのを防ぐために設けられたものらしいのですが、古代には野犬が結構いたのでしょうか。

だがしかし。「廼」って何よ、と読みを調べたら、
廼:の/「の」の音を表すための語/なんじ/二人称代名詞/すなわち

……すみませんわかりません。
わからなかったので別ルートで調べましたら、宍道氷川神社がこちらの宇賀神社も祀っているようで、そちらの公式HPには「宇賀廼止女命」とありました。

島根県神社庁様。かなり重要な「綾」という一文字が、抜けている模様です。
# っていうか社伝!何で「廼/の」なんてレア文字使うんだ「之」「乃」「能」辺りでいいじゃん!!

宇賀廼綾止女命なら、「うかあやのとめ(のみこと)」です。
これは、ほぼ綾門日女で確定でしょう。

だから何?
というと、この神社のお社の裏に穴が開いているのだそうです。

私は全然知らなかったんですけど、お稲荷さんのお社には、神使の狐が出入りする穴が開いている。
宇賀神社は別に宇賀稲荷神社、とかじゃないのにお稲荷さんみたいな穴が有る。

狐さんの穴についてはお稲荷さんの「狐穴」というページ(from八ヶ岳原人 というサイト様)が詳しかったです。まじですごすぎる小泉八雲。

『「稲荷社の祠に開いた丸い穴」のことですが、固有名詞が見つからないので「狐穴」と表記しました』とのことですので、こちらも狐穴と呼ばせて頂きます。

(つづく)
2022. 11. 29  
東北住まいの私は土地勘が全く無いのでわかりませんが、その由緒書き通りなら、山から山へ結構な距離を逃げに逃げています。
妻問いされた女性が逃げるというのは当時の風習だそうですが、全力で逃げてしまったら結ばれませんので「形ばかり逃げる」レベルだったと思います。

古事記のヌナカワヒメが(先日の記事をふまえて敢えて限定する)、妻問いに来てイライラしてる感じの「八千矛」に対して、逃げはしませんでしたが戸は開けずにその夜は会わなかったんですね。
勿体ぶった感じの歌で次の夜に来て下さいと歌って、その通りに次の夜に結ばれた、という流れもその風習に近いのでしょうか。

「私はあなた達(八十神)の言う事は聞きません!オオナムチ様と結婚します!!」と八十神の前で言い放ったヤガミヒメとか、出会ってすぐに「結婚しちゃった♪」(察し)とスサノオパパに事後報告に行ったスセリヒメは、かなりアクティブな女性だった模様です。

アヤトヒメはそのどちらでもなく、本気で嫌がって必死に逃げたのだと思います。
古代の陸路がそんなに立派だったとも思えませんし、女性の身で逃げ続けるのは大変なことだったはずなのに、それでも逃げた。
そして、出雲風土記は記しませんが、地元伝承のアヤトヒメは終に黄泉の穴に隠れる、のです。

アヤトヒメは、亡くなったのでしょう。
地元伝承のヌナカワヒメが、「隠れたまま出て来なかった」のように……

はじめの「ウカの姫」スセリヒメはオオナムチの嫡妻になったのに、もうひとりの「ウカの姫」は、オオクニヌシを拒み、必死に逃げて、険しい山に分け入り死んでしまった…そう伝えられているのです。

もう一箇所、松江市宍道町の宇賀神社。
こちらも島根県神社庁の公式HPによると

主祭神  宇賀能売命(うがのめのみこと) なのです。

出雲市の宇賀神社に祀られていたのは「アヤトヒメ」でした。
「宇賀神社のアヤトヒメ」ともうひとつの「宇賀神社のウガノメ」

同じ女神様なのではないか、と思わせる由緒があるのです。

(つづく)
2022. 11. 28  
そして、まずは宇賀神社(うがじんじゃ/出雲市平田町口宇賀町)、出雲国風土記に見える「宇加社」です。
祭神は、大己貴命、綾門姫命。
島根県神社庁の公式HPによると

由緒・特殊神事
延喜式 神祇神名下十の巻、出雲国一百八十七座。出雲郡五十八座の中に、「宇賀神社」とある。 「出雲国風土記」の「宇賀の郷」の条に、【郡家の正北一十七里五歩。天の下造らしし「大神命」、「神魂命」の御子、「綾門日女命」を誂ひ坐す。汝、女神肯はず逃げ隠れ給う時、大神伺ひ求ぎ給う所、是れ即ち此の郷なり。故、「宇賀」という。】 2009年、2010年と「宝くじ」大当たり当選者、多数あり。「大福祈願成就」

全然探してるポイントじゃないとこで吹いた。

そんなすごいパワースポットかも知れないこの神社、御由緒は結構とんでもなかった。

「大国主命は綾門日女命がどこへ身を隠されたのかと出雲大社を出て彌山(みせん)~鰐淵山(わにぶちやま)~宇峠のあたりを訪ね伺(うかが)われた。それで宇賀という地名になった。」

……あのー、出雲大社ってオオナムチが幽世を治める代わりに造ってくれって言った宮殿では?
古事記ではスセリヒメ様と一緒に「至今鎭坐也」=現在に至るまで睦まじく鎮座しておられる(出雲大社のことと思われ)はずなのに、コレって

オオナムチ幽世から出てきてまでアヤトヒメを探して追いかけ回したの!?

これのどの辺ロマンスなんだろうか。
逃げ回る綾門日女ってシャイなのね♪情熱的な大国主様ステキ!…とか言うほど、私の脳味噌はお花畑になれない。
もののけ姫の祟り神思い出したわ。

そう言えば、歴代天皇の御代になっても大物主が何度も祟るし大国主も社建てろゴルァとか皇子を喋れなくするし、後の世でも崇徳天皇とか菅原道真公とかお祀りしても祟り続けてなかなか収まらなかったので、神威の甚だしい神or念の強い人物は神社に閉じ込めても尚出てくるってことなんでしょうか。

(つづく)
2022. 11. 27  
出雲風土記曰く

宇賀郷(うかごう)。:出雲市の国富町北端・口宇賀町南部・奥宇賀町南部・別所町東部付近

郡家の正北一十七里二十五歩の所にある。所造天下大神が、神魂命の御子、綾門日女命(あやとひめ)に求婚なさった。そのとき、女神は承諾せずに逃げ隠れなさったときに、大神がうかがい求められた所がこの郷である。だから宇加(うか)という。

北海の浜に磯がある。名は脳磯(なづきのいそ)。高さ一丈ばかり。上に生えた松が生い茂り、磯まで届いている。邑人が朝夕に往来しているかのように、また木の枝は人が引き寄せたかのようである。磯から西の方に窟戸(いわやど/洞窟)9がある。高さ・広さはそれぞれ六尺ばかりである。窟の中に穴がある。

人は入ることができない。奥行きの深さは不明である。夢でこの磯の窟のあたりに行くと、必ず死ぬ。だから土地の人は古(いにしえ)より今に至るまで、黄泉(よみ)の坂・黄泉の穴と名付けている。…って、

怖!!必ず死ぬとか怖!!!

出雲国風土記の宇賀郷の記述自体は単なる地域紹介なので淡々としていて、
1.オオナムチがアヤトヒメにうかがい来られたんだけど振られました。
2.脳磯(なづきのいそ)という磯があり、その西に洞窟があります。
3.洞窟に人は入れません。でも夢に見ると必ず死ぬので黄泉

という3つの内容だけです。
でも、地元伝承では人は入れぬ穴に隠れた女神がアヤトヒメである、ということは記されていない闇。

(つづく)
2022. 11. 26  
今回のタイトルは、アヤトヒメとスセリヒメとウカノミタマ、三柱の女神の奇妙な共通点をお話しします。

綾門日女というと、妻問いしてきたオオナムチを袖にした、いいとこのお姫様です。何しろカミムスビの娘ですから。
まあ、カミムスヒの御子神は1500とかいるらしく、神話の中の「カミムスビの子」という記述は、出自を誤魔化す為に使われる常套句的な雰囲気を醸している気もするので、高貴な出雲サイドの神または人物ということしか判りません。

まずはアヤトヒメ。
この姫神は、何故か「うか」に関わるのです。

私は、「うか」の女神というと、直球で宇迦之御魂(ウカノミタマ)を思い付きます。性別不明ですが女神の神像がありますし、オオゲツヒメやウケモチと同じように食の女神とされていることが多いようです。
そして、オオトシの同母妹として系図に名を残すも、何故か秦氏の氏神、有名すぎる稲荷神社の御祭神と同名という、謎が多すぎる神。

次点で須世理比売(スセリヒメ)です。
オオナムチが根の堅州国からスセリヒメと駆け落ちする時に、スサノオ様がオオナムチに向って「宇迦山の麓に立派な宮殿を建てて、スセリヒメを嫡妻(むかいめ。正妻)にして云々」と言っているのです。

記紀の伝承を会わせるとアシナヅチ・テナヅチ夫妻神がどちらも「稲田宮主」の称号持ち、その娘(スサノオ妻)が「奇稲田姫」であるように、スセリヒメも宇賀の宮に住まう宇迦の姫神です。
そして、古事記の出雲神話で「宇迦」が出てくるのは、スセリヒメの宮がある「宇迦山」と、スサノオの系図で語られる御子神でオオトシの同母妹として記載される「宇迦之御魂」だけです。

これ、古事記的は、「スセリヒメ=宇迦之御魂命だよ~」と言いたいんですね。大抵の人に無視されてますけど。

私はその大抵の人に入らない少数派で、スセリヒメはウカノミタマで、アマテラス大物主オオトシでニギハヤヒ(海/あま を照らしてやって来た)だと思っています。
私はスサノオ様推しなので、オオナムチがスセリヒメの為に宮を建てる場所まで指定したんですから、スセリヒメ様が宇迦の姫神で了承です。

でも、もう一柱、宇迦の姫がいらしたのです。
記紀には登場しない神様なので気付かずに今したが、出雲国風土記には記述が見られます。

それが、宇賀神社のアヤトヒメです。

(つづく)
2022. 11. 23  
例えば、伝説のひとつにこのようなものがあります。

ヌナカワヒメがブスだったのでオオクニヌシと夫婦仲が悪く(ニニギ尊並のカスっぷり)、能登国に至るもとうとうヌナカワヒメは逃げた。(中略)追っ手はヌナカワヒメを見失い、周囲に火を放った。あぶり出そうとするもヌナカワヒメは出て来ず、姫の御魂を祀った。

…って、焼死したんだよね……?
悲惨すぎる。こんなの、泣くしかないよヌナカワヒメ……

イワナガヒメに手を付けずに実家に帰しただけのニニギがまともに思えてくるくらい、オオクニヌシが鬼。

そのほかにも、様々な伝承がありますので、
糸魚川市のHPをご覧下さい。

わざわざ糸魚川市が公式の情報として、記紀には無く神社にひっそり残されていた伝承を集めて公開した。
この事実は、非常に重いと思います。

なのに、ヌナカワヒメがオオナムチと一緒に祀られている神社があり、鎮魂と言うよりも呪縛のよう。また同系統の別の神社では祭神がオオナムチのみになっていてヌナカワヒメの名前が無い、という不自然。

出雲国風土記には、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ/オオナムチ)が越の八口を平らげてお帰りになった時に云々とサラッと書かれていて、越の八口が何なのか、平らげて=支配下に置いてということなのだろうけれどもそれは戦争で勝ったのか恫喝の末の話し合い(国譲りみたいに)によるものだったのか、何も記されていません。

古事記を読むと、オオナムチは通りすがりのウサギに治療法を教えて助けてあげるような、心優しく知恵のある神であり、また仕方無くも国譲りに同意してしまうような戦いを好まない平和の神のように書かれていますが、領土を拡大して大国にしたからこその大国主であって、そんなの全部各地の姫との婚姻で済む訳がない。
力ずく、戦争、そういう手段を取って当たり前の時代です。1万年以上殆ど戦わずに人々が暮らしていた縄文時代は遥か昔となり、邪馬台国の卑弥呼も戦争やってたようだしし、神話の中でもイワレヒコ軍とナガスネヒコ軍が二度の戦をしています。イワレヒコ=神武帝ですから、この辺りは史実に沿った記述のはずです。

だから、オオナムチも平和裡に巫女姫を現地妻にしたり、そうならない場合は戦を交えて巫女姫=その土地の女王を強奪したことでしょう。
そんな悲劇の女王のひとりがヌナカワヒメで、オオナムチは彼女を現地妻にするのではなく、能登に連れて行ったということはそこから舟で出雲に向かうつもりだったのだと思います。

ヌナカワヒメは人質です。
翡翠の産地の女王は特別で、確実に自分の子を産ませなければならない。宝石は誰にも奪われぬように身近なところに鍵でもかけて置いておきたい。
だから連れ去ろうとした。

同じように、ヌナカワヒメのように大国主に妻問いされて、逃げに逃げた姫神がいます。
カミムスビの娘、綾門日女(アヤトヒメ)です。
アヤトヒメについては、以前に記事にしたことがあるので、PCだとリンク一覧の下(長々しいです。かなり下にスクロールして下さい)にある検索欄に「アヤトヒメ」で出てきます。
スマホ版は自分では見たことがない(すみません作業は専らPCです)のですが、検索欄くらいちゃんとあるはずですので、興味のある方はご覧下さい。

アヤトヒメは「黄泉の穴に隠れた」という伝承と共に、その穴とされるところに神社があります。
黄泉の穴に隠れたとは、何のほのめかしもない文章です。アヤトヒメは険しい山にまで必死に逃げて、亡くなったのです。

日本中にその名を知られたモテ男・大国主の、これが正体だと思います。

そう言えば、オオナムチの呼称は、ヌナカワヒメを訪ねた時だけ八千矛(ヤチホコ)でしたね。
オオナムチ・大国主には数多の別名がありますが、武器の名が含まれる呼称は八千矛だけです。

出雲だから「八」が付くのかな、くらいに思っていたのですが、「八千」の「矛」と言われる程度に何度も戦を仕掛けた王なのでしょう。

そのように戦乱を制して勝利する者が英雄であり、そのような時代は戦国時代まで続き、江戸時代で数百年ストップするものの、黒船が来航し明治になってからは、それが世界の常識だということを日本は思い知らされました。
だから、オオナムチが鬼であっても、武士の末裔として生き残った私に責める権利はないのでしょう。


ただ、ヌナカワヒメ様とアヤトヒメ様の御魂がやすらかでありますように。


2022. 11. 22  
ヌナカワヒメ。
ヌ=美しい玉、ナ=の上代の格助詞、カワ(川。翡翠が取れる糸魚川かその近辺の川であろうか)。という大変麗しい名を持つ姫神です。
縄文時代に日本全国で大量に出回っていた翡翠(玉にして身を飾る)は全て糸魚川産(近辺を含む)というくらいに、日本は此処以外の翡翠の産地は存在しない、富を産む聖地。
ヌナカワヒメとは、そんな土地の巫女姫だったのでしょう。

私はスセリヒメ様推しなので、ヌナカワヒメは嫌いでした。出雲大社でスセリヒメ様よりも上座に祀られているタキリヒメ(今は筑紫社/つくしのやしろにいらっしゃるのはスクナヒコナ=久斯神/くしのかみだと思っているので解消)の次くらいに。

因みに、オオナムチの最初の妻・ヤガミヒメは「あまり好きじゃないけど可哀想なのでオオナムチ宮殿の柱の角に足の小指をぶつければいいのに」程度だったのですが、ヌナカワヒメのことを考えると眉間に皺が寄る心持ちがしました。過去形。

過去形というか、すみません奴奈川姫様!!わたくしめが無知で無礼でした!!!と伏してお詫びしたい。

私がヌナカワヒメを目の仇にした理由は、ヤリ@ンの八千矛(ヤチホコ。何故この場面だけ大己貴でも大国主でもないのかわからない)が妻問いをした描写がやたら詳しいからなんですね。
オオクニヌシが歌のやり取りをした妻神って、スセリヒメ様以外にはヌナカワヒメだけなのです。それは、スセリヒメ推しとしては不愉快です。
そのヌナカワヒメと結ばれた話の次に、嫉妬したスセリヒメ様に対して「オレ大和に行っちゃうよ~」という歌をオオクニヌシが歌う場面が出てくるので尚更です。ああスセリヒメ様おいたわしいオオクニヌシの靴の中にカメムシ入ればいいのにとか思ってました。

一応、一途でいじらしいスセリヒメ様に結局オオクニヌシはほだされて、今でも仲睦まじく御一緒にいらっしゃいます、というのがこのエピソードの〆(古事記。出雲大社に祀られていることを言っていると思われる)なので、ヌナカワヒメがどんなにえろえろしい返歌をしたところでスセリヒメ様が一番なんだよ!とかろうじて怒りを引っ込めていました。過去形。

何で、古事記は後々重要な神として動くアジスキタカヒコネ&シタテルヒメの母であるタギリヒメとのエピソードは省いて、出雲の跡継ぎを産んだ訳でもないヌナカワヒメへの妻問いエピソードを残したのか。
出雲を貶めているようでいて実はちょくちょく出雲贔屓の古事記なので、オオクニヌシが起こした残酷な事件を隠そうとしたんだろうか?

ヌナカワヒメの故郷では、ヌナカワヒメの伝承は悲劇が多いのです。

(つづく)
2022. 11. 21  
興味深いのは、推古天皇が「トヨ」の「カシキヤヒメ」なのに対し、「クシ」にも「カシキヤヒメ」がいるということです。
それは、古事記では「トミヤビメ」と表記され、日本書紀では長髄媛(ながすねびめ)、櫛玉姫命と表記される、ナガスネヒコの妹にしてニギハヤヒ妃・御炊屋姫(ミカシキヤヒメ

ミカシキヤヒメの「ミ」は敬意を示した接頭語でしょうから、どちらも「カシキヤヒメ」であり、「櫛」のニギハヤヒ妃は大和の旧勢力の巫女王であり、推古天皇は神武帝から繋がる新大和勢力女王であり、どちらも女王であるということです。

炊屋(カシキヤ)というのは台所のことですが、重要な神々に「食」を司る神様が多くかまどの神もいる程度に、古代の台所はとても重要で神聖な場所でした。
後世貴人の正妻を「御台所」と呼んだように、「カシキヤヒメ」とは、自らが女王であり、男王(ニギハヤヒや敏達天皇)の嫡妻であることを示しているのかも知れません。

……と、ここで、一筋縄ではいかない姫神がいらっしゃいます。
スサノオの正妻にして、出雲の巫女王・クシナダヒメです。

スサノオ様もクシケミヌなのですが、クシナダヒメの名を、出雲国風土記だけが、こう伝えます。その名も

久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめ)

私が知る限りでは、「クシ」と「トヨ」を両方持っている神様(人物)はほかにいらっしゃいません。
クシナダヒメはスサノオの后であり出雲の末子という由緒正しい巫女王であるにもかかわらず、実は謎の多い女神です。

両親として伝えられるのは「アシナヅチ」「テナヅチ」という、名前からするとどちらも蛇神(足が無く手が無い)=水神なのですが、その名は巨人や妖怪の類いとして伝説になっていたりして、実態がよくわからない神なのです。
その、実態がよくわからない神の末姫が、スセリヒメがオオナムチを政治王にしたように、スサノオの妻となることでスサノオを出雲の政治王にした。

ただ、手がかりはあって、古事記でスサノオがアシナヅチに「稲田宮」の首長に命じた時にアシナヅチに与えた名と、日本書紀の異文にはクシナダヒメの母の名(スサノオと出会ったときには既にその名を持っていた)が記されています。

父(アシナヅチ)
稲田宮主須賀之八箇耳神いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)

母(テナヅチ)
稲田宮主賛狭之八箇耳(いなだのみやぬしすさのやつみみ)

クシナダ父が「スガ」の大首長「八(たくさん)+ミミ(首長)」、クシナダ母は「スサ」の大首長だと言っているのです。
というか、政治王と巫女王の名前ですよねコレ。

ヤマタノオロチのお話は、何となく昔話風味です。両親が怪物の名前と同じとか、クシナダヒメが櫛に変化するとか。
そこに、稲田の宮主云々となると、急劇に昔話から「歴史」を感じさせる言い伝えになってきます。

アシナヅチの方はスサノオが与えた名ということになっていますが、クシナダ母が始めからこの名前を持っていたことを考えると、クシナダ父は元からこの称号を持っていて、兄妹(姉弟)によるヒメヒコ制の統治をしていたか、物語通り夫婦統治をしていたのでしょう。
ナガスネヒコ(兄)&ナガスネヒメ(妹。トミヤビメ)、或いは櫛玉命(ニギハヤヒ)&櫛玉姫(ナガスネ妹のトミヤビメ)みたいな感じです。

そして、スサノオ様が「すがすがし」と歌う前から、ご自身の名前を土地に付ける前から、「須賀」も「須佐」も存在していたのです。
となると、スサノオ様が出雲に至る前の名前が行方不明になるという大問題が発生するのですが。

また、クシナダ両親はどちらも「稲田宮主」ですから、クシナダヒメの母も同じ「クシナダヒメ」であったはずです。
この時点で「クシナダヒメ」はふたり存在する。

古事記も日本書紀も、スセリヒメのことは雑に扱ったり無視したりしても、クシナダヒメのことはキッチリリスペクトして書き残しています。
多分それは、クシナダヒメが「トヨ」の系譜に連なる女王だったからではないでしょうか。


2022. 11. 20  
超有名なニギハヤヒですが、もっとシンプルな異名には櫛玉命というのもあります。
尤も、櫛玉命(クシタマノミコト)を名乗る神・人物は他にもいるので、一定の条件を満たせばクシタマノミコトを名乗れるのかも知れません。
また、神社に「櫛玉彦/くしたまひこ」が祀られていてニギハヤヒだろうと思われ、「櫛玉比売」は妻のトミヤビメなのでしょう。

そして、この御方も「クシ」です。
出雲国一之宮熊野大社の御祭神、熊野大神こと

加夫呂伎熊野大神御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)と称える素戔嗚尊
※ 熊野大社公式HPの表記そのまんま

熊野大神とスサノオは別神だ説は結構根強く、出雲大社の宮司が書いた本でも熊野大神は熊野大神であってスサノオではない!と言っていたのですが、出雲大社が何と言おうと、当の出雲国一之宮の熊野大社が公式に熊野大神=「クシミケヌ命」=「素戔嗚尊」です!!と盛大に言い切っているんですから、ゴチャゴチャ五月蠅いです外野は不敬と心得なさい。

上のリンク先を見て下さればわかりますが、何かすごいです。
スサノオ様は《愛の神》だと2回も言い、更に《ムスビの神》なんだそうです。

そして、「クシ」で調べていて驚いたのが、スクナヒコナの別名が「久斯神/くしのかみ」という説です。
こちらはメジャーな書物ではなく、神社の祭神やその言い伝えによるもののようで、酒造の神です。

もしスクナヒコナが「くしのかみ」なら、これでもかと数多の異名を持っているオオナムチさえ持っていない「クシ」の称号をスクナヒコナが持っていたという事になります。
突然現れて突然去って行った小人、という印象ですが、それでもわざわざ古事記や出雲国風土記に記されただけのことはある、名前に反して大物であり、よそから婿入りしたオオナムチよりもスクナヒコナの方が出雲の王族に近い血筋なのかもしれません。

おそらく、「クシ」は出雲サイドの神・人物で、「トヨ」は天孫サイドなのだと思います。
そして、「クシ」は「トヨ」に破れ、婚姻によって吸収されていったのでしょう。初期の天皇の皇后はみな出雲の血筋です。
実際、皇族には「トヨ」の名で讃えられた人物がとても多いのです。
諡号は聖徳太子ですが、この御方はオオクニヌシ並みに別名が多い人で、そのうちのひとつがこれです。

上宮厩戸 聡耳命

これがわかりやすいと思ってチョイスしましたが、他にも「豊」が付く別名がいくつもあります。
尚、私の世代は「聖徳太子」と習いましたが、時代を遡ると「上宮皇子」と敬われていたとのことです。
最近の教科書に「厩戸王」等と描かれているのは実に不当なことです。
用明天皇の皇子で推古天皇の皇太子であるのに、王(日本では皇子よりも格下)とは何事か。何の意図があるのか知りませんが、子供達が学習する教科書です。早急に改めるべきです。

聖徳太子は推古天皇の摂政でしたが、推古天皇の和風諡号(生前尊号もあり得る)は
御食炊屋姫天皇(とよみけかしきやひめのすめらみこと)です。

(つづく)
プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
ホlツlマlツタヱ・富l家l伝承・徐l福l伝l承・日lユl同l祖l論・アlイlヌl先l住l民族説お断り。

定義山西方寺を崇敬。秋篠宮家と伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。
透明水彩絵師。

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