2022.
04.
23
「女王であり后でもある」とはどういうことか。
それはまさに、トミ・ナガスネ兄妹で政治王と祭祀王として並び立ち、祭祀王であるヒメが婿を取るとその婿が政治王になりヒコ(兄王)は臣下となったケースです。
兄(ヒコ)は臣下となっても、妹(ヒメ)は女王のまま、新たな政治王の后となるのです。
神話の天孫族ルールでは、直系男系男子、且つ末子が相続者であるようです。
時が経つにつれ、末子相続ルールが抜け、直系ルールも抜けます。
初めて傍系、つまり兄→弟へと皇位継承されたのは、第17代履中天皇から同母弟の第18代反正天皇に継承されたのが初です。
推古天皇の頃は、めっちゃ兄弟(兄妹)継承の時代で、そこからさほど経たない持統天皇が、自分(と天武天皇)の孫に皇位継承したのがどれほど異例で異様なことだったのかがわかります。
※ それ言ったら継体天皇の方が十倍異例で異様な即位ですけど
ニギハヤヒが「天孫だがイワレヒコに土地を譲らなければならない」という謎ルールは、天火明命がニニギの兄系統=傍系であるから、のようです。
この辺、ニギハヤヒ=オオトシ=スサノオの息子、は地祇じゃないの?と神話の謎が絡まっていてよくわからないのですが。
※ スサノオは高天原を追放されただけで「元・天津神」と言えなくもない
邪馬台国の卑弥呼=媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ。神武皇后)、台与=天豊津媛命(あまとよつひめのみこと。第四代懿徳皇后)と推定している人達は、
実は少なくとも初代神武~四代懿徳までは《天皇ではなかった》と見ているようです。
※ 邪馬台国ファンはさほど興味がないと思いますが、初代神武~四代懿徳まで皇后は出雲系の姫だったりします
兄妹・姉弟・夫妻という男女一対統治の場合、祭祀王>政治王 です。
卑弥呼(祭祀)が女王で、補佐(政治)が男弟であり、卑弥呼の死後に誰かはわかりませんが男王(政治王)だけで統治しようと思ったが国が乱れた、というのは神のお告げを受け取れない政治王のみでは、人臣が付いて行かなかったのでしょう。
じゃあ卑弥呼に夫はいない、っていう設定はどうなの?という疑問ですが、独身じゃなくて未亡人なんじゃないの?ということです。
私は邪馬台国は何処だとか、卑弥呼とは何者かとか、そんなに興味がある訳ではないのですが、神武帝の后・ヒメタタライスズヒメは確かに未亡人だった時期があるので、面白い説だと思います。
神武=イワレヒコは既に妻帯していたのに(アヒラツヒメ)、大和の大王となるに当たって出雲系のヒメタタライスズヒメを后としたことで、アヒラツヒメから生まれた子は嫡子から庶子に転落したのです。
その、転落した庶兄・タギシミミは未亡人となったヒメタタライスズヒメを自らの妻とし、神武天皇とヒメタタライスズヒメのあいだに生まれた嫡子である皇子たちを暗殺しようとします。(古事記)
そして、神武崩御から第二代綏靖が即位するまで、3年くらいかかってるんですよね。
約3年、ヤマトには帝がいなかったという異常事態。
(つづく)
それはまさに、トミ・ナガスネ兄妹で政治王と祭祀王として並び立ち、祭祀王であるヒメが婿を取るとその婿が政治王になりヒコ(兄王)は臣下となったケースです。
兄(ヒコ)は臣下となっても、妹(ヒメ)は女王のまま、新たな政治王の后となるのです。
神話の天孫族ルールでは、直系男系男子、且つ末子が相続者であるようです。
時が経つにつれ、末子相続ルールが抜け、直系ルールも抜けます。
初めて傍系、つまり兄→弟へと皇位継承されたのは、第17代履中天皇から同母弟の第18代反正天皇に継承されたのが初です。
推古天皇の頃は、めっちゃ兄弟(兄妹)継承の時代で、そこからさほど経たない持統天皇が、自分(と天武天皇)の孫に皇位継承したのがどれほど異例で異様なことだったのかがわかります。
※ それ言ったら継体天皇の方が十倍異例で異様な即位ですけど
ニギハヤヒが「天孫だがイワレヒコに土地を譲らなければならない」という謎ルールは、天火明命がニニギの兄系統=傍系であるから、のようです。
この辺、ニギハヤヒ=オオトシ=スサノオの息子、は地祇じゃないの?と神話の謎が絡まっていてよくわからないのですが。
※ スサノオは高天原を追放されただけで「元・天津神」と言えなくもない
邪馬台国の卑弥呼=媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ。神武皇后)、台与=天豊津媛命(あまとよつひめのみこと。第四代懿徳皇后)と推定している人達は、
実は少なくとも初代神武~四代懿徳までは《天皇ではなかった》と見ているようです。
※ 邪馬台国ファンはさほど興味がないと思いますが、初代神武~四代懿徳まで皇后は出雲系の姫だったりします
兄妹・姉弟・夫妻という男女一対統治の場合、祭祀王>政治王 です。
卑弥呼(祭祀)が女王で、補佐(政治)が男弟であり、卑弥呼の死後に誰かはわかりませんが男王(政治王)だけで統治しようと思ったが国が乱れた、というのは神のお告げを受け取れない政治王のみでは、人臣が付いて行かなかったのでしょう。
じゃあ卑弥呼に夫はいない、っていう設定はどうなの?という疑問ですが、独身じゃなくて未亡人なんじゃないの?ということです。
私は邪馬台国は何処だとか、卑弥呼とは何者かとか、そんなに興味がある訳ではないのですが、神武帝の后・ヒメタタライスズヒメは確かに未亡人だった時期があるので、面白い説だと思います。
神武=イワレヒコは既に妻帯していたのに(アヒラツヒメ)、大和の大王となるに当たって出雲系のヒメタタライスズヒメを后としたことで、アヒラツヒメから生まれた子は嫡子から庶子に転落したのです。
その、転落した庶兄・タギシミミは未亡人となったヒメタタライスズヒメを自らの妻とし、神武天皇とヒメタタライスズヒメのあいだに生まれた嫡子である皇子たちを暗殺しようとします。(古事記)
そして、神武崩御から第二代綏靖が即位するまで、3年くらいかかってるんですよね。
約3年、ヤマトには帝がいなかったという異常事態。
(つづく)

2022.
04.
22
始めは兄とヒメヒコ統治していたと思われる妹王・ミカシキヤヒメ。
ふたりで兄妹王ですから、兄はヒコ、妹はヒメと呼ばれるだけで、その前に来る名前は被っています。
表記は様々ですが、音にすれば「ナガスネ」と「トミ」に集約されます。
でも、唯一妹王だけが持っている名前があります。
それは、「(ミ)カシキヤ」という名です。
推古天皇の和風諡号である
豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと/日本書紀)
炊屋姫尊(かしきやひめのひこと)
豊御食炊屋比売命(古事記)
この、「(ミ)カシキヤ」という名だけは、兄王ナガスネヒコは持っていない。
多分「(ミ)カシキヤ」の名を冠することが出来るのは、特別に気高い身分の女性に限るのではないか。
それに……気付いてしまった…
ナガスネヒコの一番長い名前は、古事記によると登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)です。
これが、彼に捧げられた正式の諡号なのだと思います。
※ 本来は男王であり、「ミコト」の敬称に値する人物のはずなので、「命」か「尊」が付いているのが正確かも知れない
「とみ」に重ねて「ながすね」まで続いている。だったら、「とみやひめ」であり「ながすねひめ」であるミカシキヤヒメも、
登美能那賀須泥比売(とみのながすねひめ)+命(のみこと)
なのだと思います。
こうして書いてみると、ナガスネ兄妹の「登美/とみ」と、トビから転訛したという「鳥見/とみ」って、
推古天皇=豊御食炊屋比売命の《とよ》と同じ語源だったりしない?
神様や皇族の名前って、やたらに「豊」が付くなぁ、どういう意味なんだろう?って私ずっと不可解に思ってたのですが、ナガスネ兄妹も「豊」だったんじゃないか。
因みに、「とよ」は地祇でも付きます。クシナダヒメは出雲国風土記では「トヨマヌラヒメ」ですから。
ニギハヤヒの妻・ミカシキヤヒメも推古天皇と同じ「カシキヤヒメ」なだけで十分不思議なのに、ふたりとも「トヨ」だとすると、何か、すごい。(語彙
そして、推古天皇とミカシキヤヒメの共通点は、大王の后(妃ではない。唯一無二の「后」。例外的にふたりの后の名が残っているなら、大王が后に先立たれるなどして再婚した場合のみ)
※ 推古天皇も敏達天皇のふたりめの后。(先の后・広姫が若くして亡くなった為)
※ 君主を天皇と言うようになったのは天武朝辺りからで、それ以前は大王(おおきみ)。
思い切り横ですが、たくさん王が居る中での頂点が大王(おおきみ)で、大王が天皇だから皇帝=エンペラーなのよ。
日王とか言ってる半島人、礼も無い上に教養の欠片も無いな。
※ 歴史的なエピソードとして、ヨーロッパが日本各国の将軍を王(キング)と言ってしまったので、その遥か上に帝がいるぞと後で知り、エンペラーと呼ぶしかなくなったそうですが、この勘違いが無くとも天皇とは大王ですので、元々エンペラーでOK
そして、ナガスネ妹ミカシキヤヒメと推古天皇の身の上の共通点。それは、
「女王であり后でもある」
(つづく)
ふたりで兄妹王ですから、兄はヒコ、妹はヒメと呼ばれるだけで、その前に来る名前は被っています。
表記は様々ですが、音にすれば「ナガスネ」と「トミ」に集約されます。
でも、唯一妹王だけが持っている名前があります。
それは、「(ミ)カシキヤ」という名です。
推古天皇の和風諡号である
豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと/日本書紀)
炊屋姫尊(かしきやひめのひこと)
豊御食炊屋比売命(古事記)
この、「(ミ)カシキヤ」という名だけは、兄王ナガスネヒコは持っていない。
多分「(ミ)カシキヤ」の名を冠することが出来るのは、特別に気高い身分の女性に限るのではないか。
それに……気付いてしまった…
ナガスネヒコの一番長い名前は、古事記によると登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)です。
これが、彼に捧げられた正式の諡号なのだと思います。
※ 本来は男王であり、「ミコト」の敬称に値する人物のはずなので、「命」か「尊」が付いているのが正確かも知れない
「とみ」に重ねて「ながすね」まで続いている。だったら、「とみやひめ」であり「ながすねひめ」であるミカシキヤヒメも、
登美能那賀須泥比売(とみのながすねひめ)+命(のみこと)
なのだと思います。
こうして書いてみると、ナガスネ兄妹の「登美/とみ」と、トビから転訛したという「鳥見/とみ」って、
推古天皇=豊御食炊屋比売命の《とよ》と同じ語源だったりしない?
神様や皇族の名前って、やたらに「豊」が付くなぁ、どういう意味なんだろう?って私ずっと不可解に思ってたのですが、ナガスネ兄妹も「豊」だったんじゃないか。
因みに、「とよ」は地祇でも付きます。クシナダヒメは出雲国風土記では「トヨマヌラヒメ」ですから。
ニギハヤヒの妻・ミカシキヤヒメも推古天皇と同じ「カシキヤヒメ」なだけで十分不思議なのに、ふたりとも「トヨ」だとすると、何か、すごい。(語彙
そして、推古天皇とミカシキヤヒメの共通点は、大王の后(妃ではない。唯一無二の「后」。例外的にふたりの后の名が残っているなら、大王が后に先立たれるなどして再婚した場合のみ)
※ 推古天皇も敏達天皇のふたりめの后。(先の后・広姫が若くして亡くなった為)
※ 君主を天皇と言うようになったのは天武朝辺りからで、それ以前は大王(おおきみ)。
思い切り横ですが、たくさん王が居る中での頂点が大王(おおきみ)で、大王が天皇だから皇帝=エンペラーなのよ。
日王とか言ってる半島人、礼も無い上に教養の欠片も無いな。
※ 歴史的なエピソードとして、ヨーロッパが日本各国の将軍を王(キング)と言ってしまったので、その遥か上に帝がいるぞと後で知り、エンペラーと呼ぶしかなくなったそうですが、この勘違いが無くとも天皇とは大王ですので、元々エンペラーでOK
そして、ナガスネ妹ミカシキヤヒメと推古天皇の身の上の共通点。それは、
「女王であり后でもある」
(つづく)

2022.
04.
21
始めにハッキリ言っておきますが、
私は今上夫妻を崇敬していません。
特に夫人の方は嫌いです。
上皇夫妻にも懐疑的です。
女系天皇とか女性宮家とか有り得ないと思っています。
女性天皇は歴史上前例がありますが、認めれば女系天皇を実現化させようとする動きが激化することが目に見えているので、現代に於いては女性天皇にも反対という立場です。
此処まで読んで不愉快になった方は、静かにこのページを閉じて下さい。
不快になっても当方は一切責任を負いません。
大丈夫な方のみ以下クリックでどうぞ。
私は今上夫妻を崇敬していません。
特に夫人の方は嫌いです。
上皇夫妻にも懐疑的です。
女系天皇とか女性宮家とか有り得ないと思っています。
女性天皇は歴史上前例がありますが、認めれば女系天皇を実現化させようとする動きが激化することが目に見えているので、現代に於いては女性天皇にも反対という立場です。
此処まで読んで不愉快になった方は、静かにこのページを閉じて下さい。
不快になっても当方は一切責任を負いません。
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2022.
04.
20
太陽神の子孫なのに日が陰り、そして氷雨(ひさめ)と共に光り照らして現れたトビの様子は稲妻のようだった。
…というのが日本書紀の記述。
※ 漢字の意味としては、「雷」はカミナリの音、「電」は稲妻という光であるらしい
女神天照にも、大王ニギハヤヒにも、特に雷神属性は無い。(と思う)
それとも、ニギハヤヒの天照国照の部分が稲妻だったりする???
ほかの雷神属性持ちと言えば、
1.天から降ってきて稲田の姫を妻にしたスサノオ様
2.親友の喪屋を蹴飛ばす暴挙の末、谷二つを越えて輝いて空飛んでったアジスキタカヒコネ
3.その妹で名前からいかにも雷光っぽいシタテルヒメ
4.何故腕を凍らせてつららだかつららの剣に出来たのか知らないけど名前からして雷神のタケミカヅチ
心当たりはこのくらいで、それ以外はパッと思い付かないのですが、此処に来て気付いた私。タケミカヅチは何故か氷属性を持ってるんですね。
そして、イワレヒコの元に現れたトビも、氷雨と共に現れて光り輝き稲妻のようだった、と。
記紀神話の時代って、雷は氷雨(雹 (ひょう) や霰 (あられ) )とセットのイメージだったのかな?
しかし、これは苦しいんじゃないか?日本書紀。
>皇軍(みいくさ)の、鵄(とび)の瑞(みつ)を得るに乃りて、時人(ときのひと)仍(よ)りて鵄邑(とびのむら)と號(なづ)く。今鳥見(とみ)と云ふは、是(これ)訛(よこなば)れるなり。
(下線部私)
ざっくり訳すと、イワレヒコ軍が(金色の稲妻のような)鳶(とび)の瑞(みつ。みづ。瑞祥と同義)を得たことにより、人々は鵄邑(とびのむら)と名付けた。今鳥見(とみ)と呼ばれるのは、これが訛ったものである。
これは不審です。
ナガスネ兄妹は、古事記では元々「登美毘古」&「登美夜毘売」で登場している(古事記。日本書紀ではこの名は伏せられている)ので、元々ヒメヒコ制で兄妹揃って「とみ」の名を持っていたものと思われます。
まあ、地名の謂れというものは、「事実である伝承」と後付けの「物語のような伝承」とに分かれると思うのですが、前者の代表は広島の土砂災害で有名になった、
八木蛇落地悪谷。(じゃらくじあしだに)
字面だけでぎょっとするインパクトですが、この名は不吉オブ不吉ということで変えられて、「八木」しか残っていなかった。
当然に、新たにこの地に来た人は知らなかった。
八木蛇落地悪谷とは「たくさんの木々が蛇のように落ちてくる悪い谷」という意味で、実際に凄まじい土砂崩れが起きていることから、地元の住民が事実のままに言い伝え、名付けた土地なのです。
田、水、谷、が付く地名も、概ね水はけが悪いか地盤が弱いことが多いのと似たような感じです。
反対に、出雲風土記で所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ。大国主のこと)に宮殿を貢いで貰ったとか言う八野若日女命(ヤノワカヒメ)が住んでいたことから地名が「八野」となった、…とかいうのは物語的な伝承であり、後付けと思われます。
「八」は日本では「たくさん」という意味がありますが、出雲という土地、そしてスサノオ様にはしつこいくらい「八」が付きまとうことから、多分「八野」という地名にはその土地の特性を反映した地名が先にあったと思います。
それに、ヤノワカヒメはスサノオ様の娘という事ですから、「八」を冠した「若々しい姫」であり大国主(所造天下大神)に宮殿を作ってもらったエピソードが被る辺り、スセリヒメの別名でしょう。
例え話が長くなりましたが、「とみ」という地名は元々何らかの理由があって付けられた地名で、「金のトビの瑞祥」伝説は後付けという事です。
新参者の天孫族にとっての瑞祥が、先住していたナガスネ兄妹の名前の由来だなんて、順序が違うというものです。
多分、ナガスネ兄がヒメヒコ制(男女きょうだいのふたりで統治する形態)の兄王だったのだけれども、ナガスネ妹(おそらく彼女が大和の末子で巫女王)にニギハヤヒが婿入りしてきたので、ナガスネ兄は王位をニギハヤヒに譲ったという流れで、これは出雲の兄王(ひょっとしたらオオトシ?別に違う兄でもいいんだけど)と妹巫女王スセリヒメとヒメヒコ統治していたところに、オオナムチが婿入りしてきて王位を継いだ、という構図と同じだと思います。
出雲の男王の地位をオオナムチに譲ったのが、スセリヒメの兄王オオトシで大物主だとしたら、大和の末子トミ姫に婿入りして新たな王位に就きました、ということなら、色々辻褄が合う気がして面白いです。
(つづく)
…というのが日本書紀の記述。
※ 漢字の意味としては、「雷」はカミナリの音、「電」は稲妻という光であるらしい
女神天照にも、大王ニギハヤヒにも、特に雷神属性は無い。(と思う)
それとも、ニギハヤヒの天照国照の部分が稲妻だったりする???
ほかの雷神属性持ちと言えば、
1.天から降ってきて稲田の姫を妻にしたスサノオ様
2.親友の喪屋を蹴飛ばす暴挙の末、谷二つを越えて輝いて空飛んでったアジスキタカヒコネ
3.その妹で名前からいかにも雷光っぽいシタテルヒメ
4.何故腕を凍らせてつららだかつららの剣に出来たのか知らないけど名前からして雷神のタケミカヅチ
心当たりはこのくらいで、それ以外はパッと思い付かないのですが、此処に来て気付いた私。タケミカヅチは何故か氷属性を持ってるんですね。
そして、イワレヒコの元に現れたトビも、氷雨と共に現れて光り輝き稲妻のようだった、と。
記紀神話の時代って、雷は氷雨(雹 (ひょう) や霰 (あられ) )とセットのイメージだったのかな?
しかし、これは苦しいんじゃないか?日本書紀。
>皇軍(みいくさ)の、鵄(とび)の瑞(みつ)を得るに乃りて、時人(ときのひと)仍(よ)りて鵄邑(とびのむら)と號(なづ)く。今鳥見(とみ)と云ふは、是(これ)訛(よこなば)れるなり。
(下線部私)
ざっくり訳すと、イワレヒコ軍が(金色の稲妻のような)鳶(とび)の瑞(みつ。みづ。瑞祥と同義)を得たことにより、人々は鵄邑(とびのむら)と名付けた。今鳥見(とみ)と呼ばれるのは、これが訛ったものである。
これは不審です。
ナガスネ兄妹は、古事記では元々「登美毘古」&「登美夜毘売」で登場している(古事記。日本書紀ではこの名は伏せられている)ので、元々ヒメヒコ制で兄妹揃って「とみ」の名を持っていたものと思われます。
まあ、地名の謂れというものは、「事実である伝承」と後付けの「物語のような伝承」とに分かれると思うのですが、前者の代表は広島の土砂災害で有名になった、
八木蛇落地悪谷。(じゃらくじあしだに)
字面だけでぎょっとするインパクトですが、この名は不吉オブ不吉ということで変えられて、「八木」しか残っていなかった。
当然に、新たにこの地に来た人は知らなかった。
八木蛇落地悪谷とは「たくさんの木々が蛇のように落ちてくる悪い谷」という意味で、実際に凄まじい土砂崩れが起きていることから、地元の住民が事実のままに言い伝え、名付けた土地なのです。
田、水、谷、が付く地名も、概ね水はけが悪いか地盤が弱いことが多いのと似たような感じです。
反対に、出雲風土記で所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ。大国主のこと)に宮殿を貢いで貰ったとか言う八野若日女命(ヤノワカヒメ)が住んでいたことから地名が「八野」となった、…とかいうのは物語的な伝承であり、後付けと思われます。
「八」は日本では「たくさん」という意味がありますが、出雲という土地、そしてスサノオ様にはしつこいくらい「八」が付きまとうことから、多分「八野」という地名にはその土地の特性を反映した地名が先にあったと思います。
それに、ヤノワカヒメはスサノオ様の娘という事ですから、「八」を冠した「若々しい姫」であり大国主(所造天下大神)に宮殿を作ってもらったエピソードが被る辺り、スセリヒメの別名でしょう。
例え話が長くなりましたが、「とみ」という地名は元々何らかの理由があって付けられた地名で、「金のトビの瑞祥」伝説は後付けという事です。
新参者の天孫族にとっての瑞祥が、先住していたナガスネ兄妹の名前の由来だなんて、順序が違うというものです。
多分、ナガスネ兄がヒメヒコ制(男女きょうだいのふたりで統治する形態)の兄王だったのだけれども、ナガスネ妹(おそらく彼女が大和の末子で巫女王)にニギハヤヒが婿入りしてきたので、ナガスネ兄は王位をニギハヤヒに譲ったという流れで、これは出雲の兄王(ひょっとしたらオオトシ?別に違う兄でもいいんだけど)と妹巫女王スセリヒメとヒメヒコ統治していたところに、オオナムチが婿入りしてきて王位を継いだ、という構図と同じだと思います。
出雲の男王の地位をオオナムチに譲ったのが、スセリヒメの兄王オオトシで大物主だとしたら、大和の末子トミ姫に婿入りして新たな王位に就きました、ということなら、色々辻褄が合う気がして面白いです。
(つづく)

2022.
04.
19
私は、ナガスネヒコ妹にしてニギハヤヒ妃・ミカシキヤヒメという女神様(or実在の女王)について、今まであまり深いこと考えたことがありませんでした。
長髄彦の方はその素性や行方について注目している人がいるようだな、くらいの認識はありましたけれども、妹の方に注目している本とかブログにお目にかかったことがなかったので。
※ 私の目が単にスサノオ様の愛妻クシナダヒメ様、愛娘にして最後の女王スセリヒメ様の方向ばっかり見ていたので、目に入ってくる情報も当然に偏っていたからかも知れませんが
再びwikiから引用しますが、
>『古事記』では登美夜毘売(とみやびめ)、『日本書紀』では三炊屋媛、鳥見屋媛、長髄媛(ながすねびめ)と記する。また御炊屋姫、櫛玉姫命、櫛玉比女命、櫛玉比売命などとも表記される。
>那賀須泥毘古の妹で、邇芸速日命の妻となる。邇芸速日命との間に物部氏、穂積氏らの祖神である宇麻志摩遅命を生んだ。(注:先代旧事本紀)
ふむ。お兄ちゃんは那賀須泥毘古っていう表記もあるのか。
「ナガスネ」はミカシキヤヒメも持っている名前なので、日本書紀の
>長髄(ながすね)は是(これ)邑(むら)の本(もと)の號(な)なり。因りて亦(また)以て人の名とす。
という地名説は、あり得るかなと思います。
長いすねの男、という事にしちゃうと、ミカシキヤヒメまで長いすねの姫になっちゃうのが微妙な感じなので。男はともかくやんごとなき姫というか女王が、そうそう生足なんて出します?ウズメ姐さんならやりそうだけど。
単に、兄妹揃って背が高かった=推定妹も足が長い、という線もありますが。
そしてやはり気になる日本書紀。
>皇師(みいくさ)遂に長髄彦を撃(う)つ。連(しきり)に戦ひて取勝(か)つこと能(あた)はず。時に忽然(たちまち)にして天(ひ)陰(し)けて雨氷(ひさめ)ふる。乃ち金色(こがね)の霊(あや)しき鵄(とび)有りて、飛び来りて皇弓(みゆみ)の弭(はず)に止れり。其の鵄(とび)光(ひか)り曄煜(てりかかや)きて、状(かたち)流電(いなびかり)の如し。是に由りて、長髄彦が軍卒(いくさのひとども)、皆迷ひ眩(まぎ)えて、復(また)力(きは)め戦はず。
ざっくり訳。
イワレヒコ軍がナガスネヒコを攻撃するも、何度戦っても勝つことが出来ない。
だが、空が暗くなり雨が降り、金色の不思議なトビが飛んで来てイワレヒコの弓の端に止まった。
そのトビは光り照り輝いて、形は稲光のようだった。
ナガスネヒコ軍は目が眩んで叩けなくなってしまった。
……という訳で、トビはイワレヒコ軍にとって吉兆かつ強力な兵器として描かれていますが。
何しろ、光り照り輝くなんて、天照っぽい雰囲気醸してますし。
でも、空が暗くなり雨が降ったのは吉兆なんですか?
イワレヒコの兄が「我々は日の神の御子なので、日に向かい、東に向かって戦うのはよくない。日を背にして、西から戦いをしよう」と言うので、わざわざ遠回りして戦うことにしたくらい、イワレヒコ軍は「太陽」を意識し、その理由は自分たちが「日の神の子孫」だということを強調しているのに、その肝心な
日が蔭っちゃっていいんですか。って凄く気になるんですけど?
(つづく)
長髄彦の方はその素性や行方について注目している人がいるようだな、くらいの認識はありましたけれども、妹の方に注目している本とかブログにお目にかかったことがなかったので。
※ 私の目が単にスサノオ様の愛妻クシナダヒメ様、愛娘にして最後の女王スセリヒメ様の方向ばっかり見ていたので、目に入ってくる情報も当然に偏っていたからかも知れませんが
再びwikiから引用しますが、
>『古事記』では登美夜毘売(とみやびめ)、『日本書紀』では三炊屋媛、鳥見屋媛、長髄媛(ながすねびめ)と記する。また御炊屋姫、櫛玉姫命、櫛玉比女命、櫛玉比売命などとも表記される。
>那賀須泥毘古の妹で、邇芸速日命の妻となる。邇芸速日命との間に物部氏、穂積氏らの祖神である宇麻志摩遅命を生んだ。(注:先代旧事本紀)
ふむ。お兄ちゃんは那賀須泥毘古っていう表記もあるのか。
「ナガスネ」はミカシキヤヒメも持っている名前なので、日本書紀の
>長髄(ながすね)は是(これ)邑(むら)の本(もと)の號(な)なり。因りて亦(また)以て人の名とす。
という地名説は、あり得るかなと思います。
長いすねの男、という事にしちゃうと、ミカシキヤヒメまで長いすねの姫になっちゃうのが微妙な感じなので。男はともかくやんごとなき姫というか女王が、そうそう生足なんて出します?ウズメ姐さんならやりそうだけど。
単に、兄妹揃って背が高かった=推定妹も足が長い、という線もありますが。
そしてやはり気になる日本書紀。
>皇師(みいくさ)遂に長髄彦を撃(う)つ。連(しきり)に戦ひて取勝(か)つこと能(あた)はず。時に忽然(たちまち)にして天(ひ)陰(し)けて雨氷(ひさめ)ふる。乃ち金色(こがね)の霊(あや)しき鵄(とび)有りて、飛び来りて皇弓(みゆみ)の弭(はず)に止れり。其の鵄(とび)光(ひか)り曄煜(てりかかや)きて、状(かたち)流電(いなびかり)の如し。是に由りて、長髄彦が軍卒(いくさのひとども)、皆迷ひ眩(まぎ)えて、復(また)力(きは)め戦はず。
ざっくり訳。
イワレヒコ軍がナガスネヒコを攻撃するも、何度戦っても勝つことが出来ない。
だが、空が暗くなり雨が降り、金色の不思議なトビが飛んで来てイワレヒコの弓の端に止まった。
そのトビは光り照り輝いて、形は稲光のようだった。
ナガスネヒコ軍は目が眩んで叩けなくなってしまった。
……という訳で、トビはイワレヒコ軍にとって吉兆かつ強力な兵器として描かれていますが。
何しろ、光り照り輝くなんて、天照っぽい雰囲気醸してますし。
でも、空が暗くなり雨が降ったのは吉兆なんですか?
イワレヒコの兄が「我々は日の神の御子なので、日に向かい、東に向かって戦うのはよくない。日を背にして、西から戦いをしよう」と言うので、わざわざ遠回りして戦うことにしたくらい、イワレヒコ軍は「太陽」を意識し、その理由は自分たちが「日の神の子孫」だということを強調しているのに、その肝心な
日が蔭っちゃっていいんですか。って凄く気になるんですけど?
(つづく)

2022.
04.
18
だから、そもそも思い付きなので安直に書きますが、
淡島=淡島(豊穣の女神)=阿波=オオゲツヒメ(食の神)
なんじゃないか?と。
でも、古事記を読んでも、オオゲツヒメの姉神らしき神様は特定出来なかった。
ただ、直前に鳥磐櫲樟船(とりのいわくすふね)という船神が生まれているので、オオゲツヒメ=アワシマなら、アワシマも鳥磐櫲樟船に乗っていったのかなぁと……
アワシマ=弟比売(おとひめ・妹)なら、直前に生まれた鳥磐櫲樟船=兄比売(えひめ・姉)なのかな?????
うーん…ピンとこない。
ただ、愛比売についてはこんな情報があったりします。
伊予神社(伊予市)
祭神:月読尊
愛比売命
※ ほかに神八井耳命(神武天皇の御子。第二代・綏靖天皇の兄)と、速後上命が祀られているという情報あり(玄松子の記憶というサイト様)
ここでツクヨミが来るか!
実はツクヨミが女神で弟比売(妹)でオオゲツヒメなんですか?
うん。思いつきなだけに迷宮入りですね。
ただ、何で、「オオゲツヒメ」って、単に漢字の音読みで表すのなら大月比売の方が簡単なのに、どうして「ゲツ」を小難しく「宜都」なんていう表記にしたんだろ?
…って思ったけど、古事記だと無理そうです。
っていうのは、古事記の漢字の読みはほぼ「呉音」だからです。
呉音の「月」は
ガチ(グヮチ)・ゴチ(推定音)・ガツ(グヮツ:慣用音とも)
であるらしいので古事記読みでは「オオゲツヒメ」にはならない。漢音なら ゲツ(グヱツ)で、「オオゲツヒメ」なんだけどなぁ。
かといって、「宜都」が「ゲツ」かというとそうでもなくて、呉音・漢音共に「ギ」なので「ギツ」になり、どうしてチョイスしたのかよくわからない。
「大気津比売」なら、呉音で「オオケツヒメ」で、これもどうして「気」で統一しなかったのかな。
古語では食=「ケ」なので、濁点が付いて「ゲ」と濁るのは慣用的な読み方であって、本質は清音の「ケ」のはず。
濁点付きの「ゲ」に近くする為に「ギ」としかよめない「宜」を使って、どうして本来は「オオギツヒメ」になっちゃう表記にしたのか?
やっぱり、迷宮入りのようです。
でも、謎解きは面白いですね。
淡島=淡島(豊穣の女神)=阿波=オオゲツヒメ(食の神)
なんじゃないか?と。
でも、古事記を読んでも、オオゲツヒメの姉神らしき神様は特定出来なかった。
ただ、直前に鳥磐櫲樟船(とりのいわくすふね)という船神が生まれているので、オオゲツヒメ=アワシマなら、アワシマも鳥磐櫲樟船に乗っていったのかなぁと……
アワシマ=弟比売(おとひめ・妹)なら、直前に生まれた鳥磐櫲樟船=兄比売(えひめ・姉)なのかな?????
うーん…ピンとこない。
ただ、愛比売についてはこんな情報があったりします。
伊予神社(伊予市)
祭神:月読尊
愛比売命
※ ほかに神八井耳命(神武天皇の御子。第二代・綏靖天皇の兄)と、速後上命が祀られているという情報あり(玄松子の記憶というサイト様)
ここでツクヨミが来るか!
実はツクヨミが女神で弟比売(妹)でオオゲツヒメなんですか?
うん。思いつきなだけに迷宮入りですね。
ただ、何で、「オオゲツヒメ」って、単に漢字の音読みで表すのなら大月比売の方が簡単なのに、どうして「ゲツ」を小難しく「宜都」なんていう表記にしたんだろ?
…って思ったけど、古事記だと無理そうです。
っていうのは、古事記の漢字の読みはほぼ「呉音」だからです。
呉音の「月」は
ガチ(グヮチ)・ゴチ(推定音)・ガツ(グヮツ:慣用音とも)
であるらしいので古事記読みでは「オオゲツヒメ」にはならない。漢音なら ゲツ(グヱツ)で、「オオゲツヒメ」なんだけどなぁ。
かといって、「宜都」が「ゲツ」かというとそうでもなくて、呉音・漢音共に「ギ」なので「ギツ」になり、どうしてチョイスしたのかよくわからない。
「大気津比売」なら、呉音で「オオケツヒメ」で、これもどうして「気」で統一しなかったのかな。
古語では食=「ケ」なので、濁点が付いて「ゲ」と濁るのは慣用的な読み方であって、本質は清音の「ケ」のはず。
濁点付きの「ゲ」に近くする為に「ギ」としかよめない「宜」を使って、どうして本来は「オオギツヒメ」になっちゃう表記にしたのか?
やっぱり、迷宮入りのようです。
でも、謎解きは面白いですね。

2022.
04.
17
前日の続きで、話を四国全体に戻します。
「伊予之二名島」のよっつの顔の神の名は以下のとおりです。
愛比売(エヒメ/伊予国)
大宜都比売(オオゲツヒメ/阿波国)
飯依比古(イイヨリヒコ/讃岐国)
建依別(タケヨリワケ/土左)※古代は「佐」ではなく「左」表記
イイヨリヒコとタケヨリワケについては、私はまだちゃんと調べていないので、ハッキリしていることは
四柱の神がいて、うち二柱は女神。
「伊予之二名島」という名前からして、伊予=愛比売が一番の格上。
しかしながら、オオゲツヒメも「大」が付いて何やら偉そうな雰囲気を醸しているので、序列は
エヒメ>オオゲツヒメ>男神
と推測されます。
大宜都比売よりも格上のエヒメとは、何者か?
美しい姫と信じている愛媛の皆さんすみません。
私はエヒメとは単に
兄比売(えひめ)=姉神 だと思います。
中大兄皇子とか山背大兄王とかいう大兄(おおえ)って、私は勝手に皇太子のことなのかと思ってたんですけど、違いました……何かすみません。
大兄=長男という意味なんです。古代の権力者は複数の妻を貰って子供をわんさか産ませたので、単に「兄」だけでは存在感が薄いので「大兄」と大をくっつけたんじゃないでしょうか。
ところで、愛媛が誰の姉かというと、手っ取り早く考えれば四国の中でいまひとりの女神オオゲツヒメで、オオゲツヒメが愛比売の妹神=弟比売(おとひめ)となります。
浦島太郎が夢中になった乙姫様(おとひめ)は、多分竜宮城の末の姫なのでしょう。ヤマトタケルの妻・弟橘媛(おとたちばなひめ)にも、同じ橘媛の名を持つ姉がいたのではないでしょうか。
実は、スサノオにぶった切られる方と思われるオオゲツヒメ(実は生まれる時に「神」が付いていないんですが)は、国生みとは別に神生みで登場していて、古事記現代語訳によると
次に生んだ神は、鳥之石楠船(とりのいわくすふね)で、またの名は天鳥船(あめのとりふね)という。
次に大宜都比売(おおげつひめ)を生んだ。
次に火之夜芸速男(ひのやぎはやお)、またの名は火之炫毘古(ひのかがびこ)といい、またの名は火之迦具土(ひのかぐつち)という。
この子を生んだために、伊邪那美(いざなみ)は、陰部が焼けて病の床に伏した。
(後略)
…という訳で、神生みの話を読んでも、二人目のオオゲツヒメの前に生まれているのは船の神様なんです。
船に宿る神じゃなくて、ここは船自体が神です。
船は女神だから、女が乗ると嫉妬して転覆するから船乗りは男だけっていうの見たことがあるんですけど、どこだっけ?
英語では船は"she"で女性に例えられてますけど、日本はどうだったかな?
日本書紀異文では去って行くヒルコが乗っていた船が鳥之石楠船神(とりのいわすくぶね)です。
※ 因みに本文では天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)です。「葦(あし)の船に乗せて流し棄てた」古事記とはえらい違いだよ…
そこで、私が以前から気にしていたヒルコの妹・淡島(アワシマ)です。
何で妹かというと、アワシマ=粟島で、豊饒の女神だろうなと。
※ ヒルコは男神かと。ヒルメが女神(オオヒルメとか言ってどさくさに紛れて天照大御神にバージョンアップする)なら、名前からして男神の可能性が高い
妹?のアワシマは古事記のみに登場する「(不出来だから)子の数には入れなかった」とヒルコ共々扱いが酷い神で、違うのはヒルコは葦舟で流されましたが、アワシマにはその描写がないことです。
でも、
次に淡島を生んだ。
この子も御子の数には人れなかった。(古事記)
という素っ気ない書き方を見るに、いちいち書かなかっただけ(すごい雑な感じがする)で流したか置き去りにしたのかは知りませんが、結局棄てたという扱いなのでしょう。
しかも、日本書紀になると、異文を幾つも載せる書物なのに、アワシマに一度も言及していないというのが、
アワシマってヒルコよりも葬り去りたい神様なのねと思います。
そして、アワシマという名は似ている。「阿波」に。
(つづく)
「伊予之二名島」のよっつの顔の神の名は以下のとおりです。
愛比売(エヒメ/伊予国)
大宜都比売(オオゲツヒメ/阿波国)
飯依比古(イイヨリヒコ/讃岐国)
建依別(タケヨリワケ/土左)※古代は「佐」ではなく「左」表記
イイヨリヒコとタケヨリワケについては、私はまだちゃんと調べていないので、ハッキリしていることは
四柱の神がいて、うち二柱は女神。
「伊予之二名島」という名前からして、伊予=愛比売が一番の格上。
しかしながら、オオゲツヒメも「大」が付いて何やら偉そうな雰囲気を醸しているので、序列は
エヒメ>オオゲツヒメ>男神
と推測されます。
大宜都比売よりも格上のエヒメとは、何者か?
美しい姫と信じている愛媛の皆さんすみません。
私はエヒメとは単に
兄比売(えひめ)=姉神 だと思います。
中大兄皇子とか山背大兄王とかいう大兄(おおえ)って、私は勝手に皇太子のことなのかと思ってたんですけど、違いました……何かすみません。
大兄=長男という意味なんです。古代の権力者は複数の妻を貰って子供をわんさか産ませたので、単に「兄」だけでは存在感が薄いので「大兄」と大をくっつけたんじゃないでしょうか。
ところで、愛媛が誰の姉かというと、手っ取り早く考えれば四国の中でいまひとりの女神オオゲツヒメで、オオゲツヒメが愛比売の妹神=弟比売(おとひめ)となります。
浦島太郎が夢中になった乙姫様(おとひめ)は、多分竜宮城の末の姫なのでしょう。ヤマトタケルの妻・弟橘媛(おとたちばなひめ)にも、同じ橘媛の名を持つ姉がいたのではないでしょうか。
実は、スサノオにぶった切られる方と思われるオオゲツヒメ(実は生まれる時に「神」が付いていないんですが)は、国生みとは別に神生みで登場していて、古事記現代語訳によると
次に生んだ神は、鳥之石楠船(とりのいわくすふね)で、またの名は天鳥船(あめのとりふね)という。
次に大宜都比売(おおげつひめ)を生んだ。
次に火之夜芸速男(ひのやぎはやお)、またの名は火之炫毘古(ひのかがびこ)といい、またの名は火之迦具土(ひのかぐつち)という。
この子を生んだために、伊邪那美(いざなみ)は、陰部が焼けて病の床に伏した。
(後略)
…という訳で、神生みの話を読んでも、二人目のオオゲツヒメの前に生まれているのは船の神様なんです。
船に宿る神じゃなくて、ここは船自体が神です。
船は女神だから、女が乗ると嫉妬して転覆するから船乗りは男だけっていうの見たことがあるんですけど、どこだっけ?
英語では船は"she"で女性に例えられてますけど、日本はどうだったかな?
日本書紀異文では去って行くヒルコが乗っていた船が鳥之石楠船神(とりのいわすくぶね)です。
※ 因みに本文では天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)です。「葦(あし)の船に乗せて流し棄てた」古事記とはえらい違いだよ…
そこで、私が以前から気にしていたヒルコの妹・淡島(アワシマ)です。
何で妹かというと、アワシマ=粟島で、豊饒の女神だろうなと。
※ ヒルコは男神かと。ヒルメが女神(オオヒルメとか言ってどさくさに紛れて天照大御神にバージョンアップする)なら、名前からして男神の可能性が高い
妹?のアワシマは古事記のみに登場する「(不出来だから)子の数には入れなかった」とヒルコ共々扱いが酷い神で、違うのはヒルコは葦舟で流されましたが、アワシマにはその描写がないことです。
でも、
次に淡島を生んだ。
この子も御子の数には人れなかった。(古事記)
という素っ気ない書き方を見るに、いちいち書かなかっただけ(すごい雑な感じがする)で流したか置き去りにしたのかは知りませんが、結局棄てたという扱いなのでしょう。
しかも、日本書紀になると、異文を幾つも載せる書物なのに、アワシマに一度も言及していないというのが、
アワシマってヒルコよりも葬り去りたい神様なのねと思います。
そして、アワシマという名は似ている。「阿波」に。
(つづく)

2022.
04.
16
何の根拠も無く、思い付いたので書き残しておきます。
今の時代で言うところの四国。
神話では、ギ・ミ神が国産みと称して日本の島々を産むのですが(北海道入ってないんだよな…ロシア気付くなよ)、そのうちの四国には神の名が付けられます。
一身四面の神である、古事記曰く「伊予之二名島」。とか言いつつ
名前四つあるじゃんよ!!
※ 結局四国だもんな
そんな「伊予之二名島」には色々別の言い方があって、
古事記:「伊予二名洲(いよのふたなのしま)」
古代(wikiによる。出典は私にはわからない):「伊予島」・「伊予洲」(いよのしま、いよしま)、「二名島」・「二名洲」(ふたなのしま、ふたなしま)」などと呼ばれた(「フタナ」は二並びの意)。
などというのなら、四国では4つに分かれて呼ばれても、
とにかく「いよ」が代表格ってことになります。
※ 頂点=女王イヨとかいうの邪馬台国ファンが好きそうだなぁ
その伊予国の名は「愛比売」です。
土地の女神の名が現代の県名に残っているのは愛媛県だけだそうで、地元では愛媛=美しい姫、というのが共通認識のようです。
一応、「え」=「美しい」とか「愛」=「美しい」と解釈するのはアリです。
柱を回った少女神イザナミが、イザナギを見て「えおとこ」(イケメン!)とつい言っちゃった事件がある程度に。
そして、南にあるのは「阿波国」、別名「大宜都比売」(オオゲツヒメ)。
太文字にしてしまいましたが、この「大宜都比売」を含む四国は淡路島の次に産んだ島です。
あの有名な、スサノオ様に汚物でおもてなしをして、ブチ切れたスサノオ様にぶった切られた「大宜都比売神」とほぼ同じ名前です。
※ 違うのは「神」が末尾に付いているか否か
この二柱の女神オオゲツヒメが同神か別神かわからないんですけど、かなり紛らわしくどっちもオオゲツヒメ。
次回、話を四国に戻しましょう。
(つづく)
今の時代で言うところの四国。
神話では、ギ・ミ神が国産みと称して日本の島々を産むのですが(北海道入ってないんだよな…ロシア気付くなよ)、そのうちの四国には神の名が付けられます。
一身四面の神である、古事記曰く「伊予之二名島」。とか言いつつ
名前四つあるじゃんよ!!
※ 結局四国だもんな
そんな「伊予之二名島」には色々別の言い方があって、
古事記:「伊予二名洲(いよのふたなのしま)」
古代(wikiによる。出典は私にはわからない):「伊予島」・「伊予洲」(いよのしま、いよしま)、「二名島」・「二名洲」(ふたなのしま、ふたなしま)」などと呼ばれた(「フタナ」は二並びの意)。
などというのなら、四国では4つに分かれて呼ばれても、
とにかく「いよ」が代表格ってことになります。
※ 頂点=女王イヨとかいうの邪馬台国ファンが好きそうだなぁ
その伊予国の名は「愛比売」です。
土地の女神の名が現代の県名に残っているのは愛媛県だけだそうで、地元では愛媛=美しい姫、というのが共通認識のようです。
一応、「え」=「美しい」とか「愛」=「美しい」と解釈するのはアリです。
柱を回った少女神イザナミが、イザナギを見て「えおとこ」(イケメン!)とつい言っちゃった事件がある程度に。
そして、南にあるのは「阿波国」、別名「大宜都比売」(オオゲツヒメ)。
太文字にしてしまいましたが、この「大宜都比売」を含む四国は淡路島の次に産んだ島です。
あの有名な、スサノオ様に汚物でおもてなしをして、ブチ切れたスサノオ様にぶった切られた「大宜都比売神」とほぼ同じ名前です。
※ 違うのは「神」が末尾に付いているか否か
この二柱の女神オオゲツヒメが同神か別神かわからないんですけど、かなり紛らわしくどっちもオオゲツヒメ。
次回、話を四国に戻しましょう。
(つづく)

2022.
04.
15
推古天皇と天照国照彦火明櫛玉饒速日命の妃が、飯炊き姫or台所姫……
将軍家の御台所みたいな感じ???
確かに、オキツヒコとかオキツヒメが台所の神様として男女一対で重要な神様とされていたり、「ケ」「ウケ」「ウカ」とか付く神様がゾロゾロいるを思えば、食と台所というものは古代の人にとって現代の我々には想像もつかないほど重要で神聖なものだったのでしょう。
※ そう言えば「トヨ」が付く神様も多い。邪馬台国の女王がトヨだとしても、実はありふれた名前で特定出来ないんじゃなかろうか…
で、私がわざわざ「トヨ」と「ケ」を削らなくても、wikiちゃんと読んだら書いてありました。
漢風諡号 推古天皇
和風諡号 豊御食炊屋姫天皇
諱 額田部
別称 豊御食炊屋姫尊
豊御食炊屋比売命
炊屋姫尊
最後の別称なんて、「御/み」という丁寧語すら吹っ飛んで、「かしきやひめ」になってます。
やはり、
ニギハヤヒ妃の「三炊屋媛/みかしきやひめ」は、皇后であり天皇であった額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)と、同じ名前です。
そして、皇后から女帝になった御方で、歴史の教科書で一際存在感を放っていたのが、天智帝の娘にして天武天皇の皇后として激動の時代を生きた
持統天皇。
神話ヲタなら持統天皇が古事記・日本書紀編纂の時代の女帝で、伊勢神宮の祭神を入れ替えた説も御存知でしょう。
実は私も「そうなんじゃね?」と思ったりしてたんですけど、
男神アマテラス(ニギハヤヒ)から《天照》の称号を奪い伊勢の祭神を女神にした疑惑です。
理由は当時は特に直系優先ではなく、天皇のきょうだいが次期天皇になることも多かった時代です。
しかし、天智天皇は息子に高位を継がせたかった。
だから大海人皇子は命の危機を覚えて兄である天智天皇から逃げ出し、力を蓄えてから天智天皇の息子である大友皇子と戦うことになった。
そして、大海人皇子→天武天皇となり、皇后の額田部皇女もまた、息子の草壁皇子を次期天皇にしたかった。……のに、草壁皇子が若くして亡くなり、それでも執念を燃やして孫の軽皇子を天皇にする為に、中継ぎで自らに付いた。
「孫を次期天皇にする」という前例がない時代にあって、前例を作ったのがアマテラス→ニニギの天孫降臨という《創作》だろう……という説です。
私も、いや、それ以外あんの???って思ってました。
実際、推古天皇の和風諡号がすごい。
大倭根子天之廣野日女尊
または
高天原廣野姫天皇
なんかもう、うわぁ…とドン引きする感じです不敬ながら。
ワタクシは女神アマテラスの現人神でしてよ!ってそれ以外に意味あるの?
……という訳で、神棚の真ん中に天照大御神のお札を飾るのが、私は何とも複雑な気分なのです。
伊勢の天照大御神って、本当に日本の祖神で日本の神様のトップなのかなあ?って思ってしまって。
(つづく)
将軍家の御台所みたいな感じ???
確かに、オキツヒコとかオキツヒメが台所の神様として男女一対で重要な神様とされていたり、「ケ」「ウケ」「ウカ」とか付く神様がゾロゾロいるを思えば、食と台所というものは古代の人にとって現代の我々には想像もつかないほど重要で神聖なものだったのでしょう。
※ そう言えば「トヨ」が付く神様も多い。邪馬台国の女王がトヨだとしても、実はありふれた名前で特定出来ないんじゃなかろうか…
で、私がわざわざ「トヨ」と「ケ」を削らなくても、wikiちゃんと読んだら書いてありました。
漢風諡号 推古天皇
和風諡号 豊御食炊屋姫天皇
諱 額田部
別称 豊御食炊屋姫尊
豊御食炊屋比売命
炊屋姫尊
最後の別称なんて、「御/み」という丁寧語すら吹っ飛んで、「かしきやひめ」になってます。
やはり、
ニギハヤヒ妃の「三炊屋媛/みかしきやひめ」は、皇后であり天皇であった額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)と、同じ名前です。
そして、皇后から女帝になった御方で、歴史の教科書で一際存在感を放っていたのが、天智帝の娘にして天武天皇の皇后として激動の時代を生きた
持統天皇。
神話ヲタなら持統天皇が古事記・日本書紀編纂の時代の女帝で、伊勢神宮の祭神を入れ替えた説も御存知でしょう。
実は私も「そうなんじゃね?」と思ったりしてたんですけど、
男神アマテラス(ニギハヤヒ)から《天照》の称号を奪い伊勢の祭神を女神にした疑惑です。
理由は当時は特に直系優先ではなく、天皇のきょうだいが次期天皇になることも多かった時代です。
しかし、天智天皇は息子に高位を継がせたかった。
だから大海人皇子は命の危機を覚えて兄である天智天皇から逃げ出し、力を蓄えてから天智天皇の息子である大友皇子と戦うことになった。
そして、大海人皇子→天武天皇となり、皇后の額田部皇女もまた、息子の草壁皇子を次期天皇にしたかった。……のに、草壁皇子が若くして亡くなり、それでも執念を燃やして孫の軽皇子を天皇にする為に、中継ぎで自らに付いた。
「孫を次期天皇にする」という前例がない時代にあって、前例を作ったのがアマテラス→ニニギの天孫降臨という《創作》だろう……という説です。
私も、いや、それ以外あんの???って思ってました。
実際、推古天皇の和風諡号がすごい。
大倭根子天之廣野日女尊
または
高天原廣野姫天皇
なんかもう、うわぁ…とドン引きする感じです不敬ながら。
ワタクシは女神アマテラスの現人神でしてよ!ってそれ以外に意味あるの?
……という訳で、神棚の真ん中に天照大御神のお札を飾るのが、私は何とも複雑な気分なのです。
伊勢の天照大御神って、本当に日本の祖神で日本の神様のトップなのかなあ?って思ってしまって。
(つづく)

2022.
04.
14
珍しく、歴史カテゴリの記事を書いてみます。相変わらず、神話も絡んでますけど。
というのも、wikiの推古天皇のページを見てみたら、
ん???
ってなったからです。
推古天皇とは、皆様御存知の通り、神功皇后をカウントに入れなければ(入っていた時代もあった。国民に絶大な人気があって一円札の顔にもなった。ガチでこの人女帝じゃね?)公式・日本初の女性天皇です。
私の記憶(かなり古い)では、日本史の教科書って、縄文時代→弥生時代→古墳時代→奈良時代(飛鳥含む)→(略)
…という感じだったと思うんですが、何せ古墳時代の情報が少なすぎて、まあ仁徳天皇陵(でいーじゃん。宮内庁がそう言ってるんだから何か訳アリなんだろ。今は大仙陵古墳とか素っ気ない名前になってるけど)を覚えとけばいい的な感じで、歴史的なエピソードといえば
初めて登場するのが天皇が推古天皇、摂政が聖徳太子、豪族が蘇我一族だったりしませんでした?
※ 厩戸王とか寝言言ってんじゃねぇぞ天皇の息子は皇子だろうが教科書表記変えた奴絶対真っ赤っかだろ
思い返せば、ちゃんと習った記憶のある最初の天皇が女帝って、私が子供の頃から女帝推奨→女系推奨に傾ける計画は進んでいたんだろうか……?
とか思うとガチでぞわっとした。すげぇ怖い。私の年齢@@だぞ。
という陰謀論は取り敢えず脇に置き、推古天皇は確かに男系の血筋のやんごとなき御方です。
第29代欽明天皇の息女・額田部皇女→第30代敏達天皇の皇后→第31代推古天皇、という流れですから。
古代の女帝は、当然に男系であり且つ元が皇后であられた方かそれに準ずる地位を与えられた方なのです。
その後の女帝は独身か未亡人で即位後は子を設けていません。
※ だから愛子さまのお人柄がどうこうではなく、そもそも資格が無いの。法律としても伝統としても。
脇に逸れてしまいましたが、冒頭の「ん???」というのは、推古天皇の和風諡号です。
和風諡号とは、神武天皇ならば
神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)
というものです。そもそも「神武天皇」自体が漢風諡号というもので、「推古天皇」も「昭和天皇」も同じです。
それで、その推古天皇の和風諡号というのが、
豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)
※ 『日本書紀』による。『古事記』では豊御食炊屋比売命ですが読みは同じ
なにやら神様みたいな名前です。
神話に出てくる神様の名前って、高確率で実在の人物の諡号だったりする?
で、この神様みたいなお名前、私はすぐに思ったんです。
ナガスネヒコの妹でニギハヤヒの妻の姫神様って、
>『日本書紀』では三炊屋媛、鳥見屋媛、長髄媛(ながすねびめ)と記する。また御炊屋姫、櫛玉姫命、櫛玉比女命、櫛玉比売命などとも表記される。(wiki)
そう、ミカシキヤヒメなのです。
推古天皇の和風諡号、豊御食炊屋姫尊から、豊(トヨ/美称か?)と食(ケ/文字通り食)と尊(ミコト)を取っ払うと、ナガスネヒコ妹でニギハヤヒ妃・ミカシキヤヒメと同じなのです。
「ケ」=食をとっばらっていいのか?っていうのは、取っ払っても意味は変わりません。
「炊/かしき」自体がが古語でご飯を炊くことorその場所ですから。
やんごとなき皇族の姫で皇后、天皇まで上り詰めた女性の和風諡号の意味が、いくら「豊」とか「御」とかで飾られていても、意訳すると
「飯炊き姫」とか「台所姫」ってのどうよ。
(つづく)
というのも、wikiの推古天皇のページを見てみたら、
ん???
ってなったからです。
推古天皇とは、皆様御存知の通り、神功皇后をカウントに入れなければ(入っていた時代もあった。国民に絶大な人気があって一円札の顔にもなった。ガチでこの人女帝じゃね?)公式・日本初の女性天皇です。
私の記憶(かなり古い)では、日本史の教科書って、縄文時代→弥生時代→古墳時代→奈良時代(飛鳥含む)→(略)
…という感じだったと思うんですが、何せ古墳時代の情報が少なすぎて、まあ仁徳天皇陵(でいーじゃん。宮内庁がそう言ってるんだから何か訳アリなんだろ。今は大仙陵古墳とか素っ気ない名前になってるけど)を覚えとけばいい的な感じで、歴史的なエピソードといえば
初めて登場するのが天皇が推古天皇、摂政が聖徳太子、豪族が蘇我一族だったりしませんでした?
※ 厩戸王とか寝言言ってんじゃねぇぞ天皇の息子は皇子だろうが教科書表記変えた奴絶対真っ赤っかだろ
思い返せば、ちゃんと習った記憶のある最初の天皇が女帝って、私が子供の頃から女帝推奨→女系推奨に傾ける計画は進んでいたんだろうか……?
とか思うとガチでぞわっとした。すげぇ怖い。私の年齢@@だぞ。
という陰謀論は取り敢えず脇に置き、推古天皇は確かに男系の血筋のやんごとなき御方です。
第29代欽明天皇の息女・額田部皇女→第30代敏達天皇の皇后→第31代推古天皇、という流れですから。
古代の女帝は、当然に男系であり且つ元が皇后であられた方かそれに準ずる地位を与えられた方なのです。
その後の女帝は独身か未亡人で即位後は子を設けていません。
※ だから愛子さまのお人柄がどうこうではなく、そもそも資格が無いの。法律としても伝統としても。
脇に逸れてしまいましたが、冒頭の「ん???」というのは、推古天皇の和風諡号です。
和風諡号とは、神武天皇ならば
神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)
というものです。そもそも「神武天皇」自体が漢風諡号というもので、「推古天皇」も「昭和天皇」も同じです。
それで、その推古天皇の和風諡号というのが、
豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)
※ 『日本書紀』による。『古事記』では豊御食炊屋比売命ですが読みは同じ
なにやら神様みたいな名前です。
神話に出てくる神様の名前って、高確率で実在の人物の諡号だったりする?
で、この神様みたいなお名前、私はすぐに思ったんです。
ナガスネヒコの妹でニギハヤヒの妻の姫神様って、
>『日本書紀』では三炊屋媛、鳥見屋媛、長髄媛(ながすねびめ)と記する。また御炊屋姫、櫛玉姫命、櫛玉比女命、櫛玉比売命などとも表記される。(wiki)
そう、ミカシキヤヒメなのです。
推古天皇の和風諡号、豊御食炊屋姫尊から、豊(トヨ/美称か?)と食(ケ/文字通り食)と尊(ミコト)を取っ払うと、ナガスネヒコ妹でニギハヤヒ妃・ミカシキヤヒメと同じなのです。
「ケ」=食をとっばらっていいのか?っていうのは、取っ払っても意味は変わりません。
「炊/かしき」自体がが古語でご飯を炊くことorその場所ですから。
やんごとなき皇族の姫で皇后、天皇まで上り詰めた女性の和風諡号の意味が、いくら「豊」とか「御」とかで飾られていても、意訳すると
「飯炊き姫」とか「台所姫」ってのどうよ。
(つづく)
