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2022. 03. 31  
「おみづぬ」は複数いた。

同神とも別神ともどちらも間違いではなく、おみづぬとは「受け継がれる名前」か「称号」か「役職名」なんじゃないかと思います。
オオナムチにも大国主をはじめとしてこれでもかというほど異名がありますが、そもそも大国主も何代か受け継がれた名前のように思いますし、何ならスサノオという王も何代かに渡って受け継がれたのかも知れない。

それが、スセリヒメと神別系譜:その1で紹介したように、スサノオ様の子神が七柱しか記載されず、五十猛の子孫としてスセリヒメの名前が出て来たのと同じ理由だと思います。

多分、神別系譜を記した人は、2人いるスセリヒメの名前に困惑したのではないでしょうか。
つまり、スサノオの《娘》のスセリヒメでは、国譲り時代の大国主とは世代が違いすぎる。
しかし、大国主の妻になり得る世代(叔母)もスセリヒメがいる。
だから

スサノオの娘がスセリヒメというのは誤解である!その方が系図として矛盾が無い!
→ よし、スサノオの子神の中から外したろ!叔母が正しい!これでOK!!
…と記載したのではないかと。

親族の名前を子孫に付けるとか、身分に伴う呼称を引き継ぐとか、古代日本だけじゃなく世界中で現代でも普通にあります。
ということは、

スセリヒメも何代かに渡って受け継がれた重要な名前なのではないか?

そう言えば、出雲国風土記に出てくるスセリヒメの名の表記は、
和加須世理比売命わかすせりひめ)です。

「わか」は「若」で、単に若々しいとかいう美称にも使われるようですが、例えば古事記ではスセリヒメの兄神の

大年(大歳/オオトシ)の子は御年(御歳/ミトシ)で、孫は若年(歳/ワカトシ)

みたいな感じで、出雲終焉の時代のスセリヒメはワカスセリヒメで、スサノオの娘は単にスセリヒメか、或いはオオスセリヒメだったかもしれない。

だから、スセリヒメとオオナムチが出会った場所はあの世とこの世の中間である根の堅州国で、スサノオは既に死して異形となっており、生者であるスセリヒメは若く美しく、オオナムチと共に黄泉比良坂を経てこの世に出て来ることが出来たのではないでしょうか。
試練を経て成長するオオナムチの物語としてではなく、場所を根の堅州国に設定することで、スセリヒメが死した英雄スサノオの正当な血統の継承者であることを示しているのだと思います。

(つづく)
2022. 03. 30  
昨日の記事で、神別系譜に記載されているスサノオ様の別名を列挙しましたが、次に私が気になったのはこの名前。

熊野加夫呂岐櫛御気野命(クマノカブロギクシミケヌ)

何この名前?と思われるかも知れませんが、恐らく同神である神様の名前が出雲國一之宮 熊野大社(くまのたいしゃ)です。
リンクを張ったのは、公式HPです。昔からありますよ的なデザインですが、熊野大社の宮司さんの愛と誇りの勢いを感じるページですので、是非ご覧下さい。

よく知られている熊野ではありません。所在地は、島根県松江市八雲町熊野2451番。いかにも出雲の神らしい感じですね。
社伝に寄りますと、「熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとしている。」

私はどちらも現地に足を運んだことは無いのですが、社伝の通りなんだろうなと思います。木の国・紀伊はスサノオの子神イタケル(イソタケル)がテリトリーにした土地なので。
そして、こちら出雲の熊野大社の御祭神が

加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)
と称える素戔嗚尊
※ 公式HPより。宮司さん(もしくはHP造った神社スタッフ)のスサノオ愛がだだ溢れまくってて好き

語順が少々違いますが、神別系譜に載っている熊野加夫呂岐櫛御気野命と同一と見てよいでしょう。

ちなみに、ちょっと話が戻ることになりますが、先日挙げた八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノ/ヤツカミズオミツヌ)とよく似た名前もスサノオの別名として記載してあります。

淤実豆奴神(オミズヌ)という神様で、古事記に名前のみ登場します。
古事記による系図では、淤豆奴神(おみづぬのかみ)と、充てられた感じがひとつ違うだけです。

淤実豆奴神の古事記での位置づけはスサノオの四世の孫で、その息子(五世の孫)は天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)といい、その妻神が刺国若比売で、その息子(六世の孫)が大国主です。
※ それでスサノオの娘スセリヒメと時代が違いすぎだろ!というツッコミが入る

淤実豆奴神の名前を解析すると、
「淤」は「大」の音約、「美豆」は「水」、「奴」は「主」で、名義は「偉大な水の主」とされる。(wiki)
で、結構偉そうです。
そして、

『出雲国風土記』に国引きを行った八束水臣津野命(やつかみずおみつの)の別名として意美豆努命(おみづぬ)とあることから、この二神は同一神と考えられる。(wiki)

一方で八束水臣津野命を主祭神とする長浜神社では、両者を別神としています。
※ 前者が主祭神で、淤美豆奴神は妻神布帝耳神(ふてみみ/ミミと付いているので女族長か女王っぽい)と一緒に配祀されています

このように「おみづぬ」の神の解釈はゴチャついているんですけど、私の感想としては

「おみづぬ」は複数いたんじゃね?

(つづく)
2022. 03. 29  
3/25の記事『スセリヒメと神別系譜』で触れたのですが、東京国立博物館デジタルライブラリーの166番目の画像に、ズラズラズラーっとスサノオ様の別名があります。

健速須佐之男命 と大きめの文字でこちらの名をメインに、

一 淤美豆奴神(オミズヌ):古事記ではスサノオの四世の孫。特にエピソード無し
一 八束水臣津野命(ヤツカミヅオミツノ/ヤツカミヅオミツヌ):出雲の国引き神話
一 天之眞浦武命(アメノマウラム?)
一 神速須佐之男命
一 勝速日命(一文字目が勝に見えるけど違うかも知れない)
一 熊野加武命(クマノカム?):出雲の熊野大社の祭神名を短くしたバージョン?
一 熊野加夫呂岐櫛御気野命(クマノカブロギクシミケヌ):出雲の熊野大社の祭神

と、なかなか凄いラインナップ。

上記の通り、2番目の八束水臣津野命って言えば、出雲国風土記に出てくる、所謂《国引き》で知られる神です。
国土が狭いので、あっちこっち網を張って引き寄せて国土にしたという、出雲創造の神とも言える神です。

その八束水臣津野命は、出雲風土記に一番はじめ・総記に登場する神様です。
ここからしばしば、
出雲風土記現代語訳という凄いサイト様(リンク先をご覧下さい。情報量ハンパないです)を参照・引用させて頂きます。

総記というのは、出雲風土記に何が記されているのか、始めに大まかに述べたものです。
で、出雲の創造神・八束水臣津野命は国引きエピソードの前にこの総記から登場します。

所以号出雲者、八束水臣津野命詔八雲立詔之。
故云、八雲立出雲。

というものなのですが、現代語訳は

出雲と名付けるわけは、八束水臣津野命がおっしゃったことには、「八雲立つ」とおっしゃった。
だから、八雲立つ出雲という。
※ 太字は私

…という訳で、有名なことですが、古事記では「八雲立つ」から始まる日本最初の和歌を読んだのはスサノオ様なです。
でも、出雲風土記はその役目というか、出雲が出雲たる所以を、八束水臣津野命に充てた。
確かにこの重要事項が被るのは、ヤツカミズオミツヌ=スサノオと推測する人間がいるのは当たり前です。私も感動すらしましたもん。

出雲国風土記という書物は、スサノオ様の伝承が不自然に少なく、《上》からの圧力だったんだろうなぁとガッカリする感じなのですが、八束水臣津野命という《八》を冠した神がスサノオ様だとすると、めっちゃワクワクします。

次、《国引き》神話に移行します。
意宇郡(おうぐん)条・意宇郡総記にあるのですが、

意宇と名付けるわけは、国引きをなさった八束水臣津野命(やつかみずおみづぬ)がおっしゃられるには、「八雲立つ出雲の国は、幅の狭い布のような幼い国であるよ。初めの国を小さく作ったな。それでは、作って縫いつけることにしよう。」とおっしゃられて
(中略)
「今は国引きを終わった。」(原文は『訖』で終えたという意味)とおっしゃられて、意宇社(おうのもり/松江市大草町史跡出雲国府東にある庁の明神を指す)に杖を突き立て、「意恵(おえ)」とおっしゃられた。それで、意宇という。〔ここにいう意宇社は、郡家(ぐうけ)の東北のほとり、田の中にある小さい丘がそれであって、周りが八歩ばかりあり、その上に木が茂っている。〕
※ 太字&『訖』=『終』のカッコ書きは私

中略の部分は、ヤツカミズオミツヌが引っ張ってきた様子が延々と書き連ねられていて、列挙しますと

新羅の一部
去豆の折絶:出雲市平田町からの小津にかけての地溝帯であり、折絶は地形が途切れた場所を指す
八穂米支豆支の御埼:島根半島西端の日御埼のこと
佐比売山:太田市と飯南町の境にある三瓶山のこと
薗の長浜:出雲市大社町から多伎町に至る砂浜のこと
佐伎の国:隠岐郡中ノ島町の大宇崎とされる
多久の折絶:松江市鹿島町講武の平野で島根半島の山地が途切れている部分 良波の国:不詳。松江市島根町野波の地名とも
宇波折絶:不詳。松江市美保関町北浦・稲積間の山が途切れる部分とも
闇見国:松江市本症町を中心とする国を指す
津津の三埼:石川県珠洲市周辺を指す
三穂の埼:松江市美保関町美保の岬
夜見島:鳥取県境港市と米子市にまたがる弓々浜半島を指す
火神岳:鳥取県の大山を指す。

…という訳で、この図を見ればわかりますが

ほぼ全部じゃん。

古事記では、スサノオが自分の名を地名として名付けた「須佐」という土地があり、そこが実に小さい範囲なので、全然王とか主とかいう感じじゃないじゃん~いいとこ小さい集団の族長じゃん~などと言われていて、スサノオ様推しの私はなんか悔しいぞと思っていたのですが、ヤツカミズオミツヌ=スサノオという構図が成立するなら、上記リンク先の地図がまんまスサノオ様の領地という事になります。
これなら、古代日本に乱立していた時代の王と呼ぶに値します。
何なら半島の一部も引っ張っている。

新羅は4~10世紀頃の国で(朝鮮人は紀元前に盛ってますが無視)、朝鮮半島には縄文土器や前方後円墳が発見される程度に倭人が住んでいた(韓国人は前方後円墳は韓国起源だと言い出したけど、その古墳が日本より新しいと判明したら怒って円墳に造り変えたという……何でそんなに日本と競いたがるんだ)ので、スサノオ様と縁があるのは当時新羅という地名だった辺り、又は出雲風土記の時代に新羅が在った辺りの土地を指しているのでしょう。

そして、日本書紀にも異文の中にスサノオが息子イタケルと共に新羅に降ったものの、その土地が気に入らないので泥の舟(船材になる良い木が無いと言いたいのだと思う。今でも韓国の森林の割合は日本とあまり変わらないのですが、雨が少ないので、日本の森林のような密の状態にならずスカスカしている)で東方(日本)に向い、様々な木の種を子神達に植えて回らせた、というエピソードがあるので、出雲勢力は半島にも海を渡っていて交易をしており、新羅の辺りの土地にも拠点が在ったのだと思います。

(つづく)
2022. 03. 28  
瀬織津姫の立場はよくわかりませんが、瀬織津姫はこちら(南東北)ではなんとなーく、水神でも滝神とか早瀬の神というイメージですし、大祓詞にもそう書かれています。河口~大海原は速秋津比売(ハヤアキツヒメ)に任せておこうという感じで。
でも、九州の方に行くと海神のイメージなんですよね。
その辺は、宗像のイチキシマヒメと重なるなあとは思います。

この辺りで瀬織津姫から離れてイチキシマヒメに戻りますが、籠神社の公式HPには、もうTopページに「むすひ詣り」と称して

新月・満月の日にお参りしましょう

と書いてあります。
太陽神ニギハヤヒを主祭神にしている割には、かなり明確に月を重視していることがわかります。
新月の日と満月の日には各々その日に授与しない特別なお守りがあって、2つのお守りを合わせると、まるで陰陽を思わせるように太陽と月が半々の丸型になるのです。
にもかかわらず、

実はイチキシマヒメは籠神社の御祭神の中にはその名を連ねていないミステリー。

因みに、絵馬に天橋立が書いてありますが、こちらはイザナギ神がイザナミ神の所に通っていたという伝説があり、縁結びのご利益としてはこちらを出しているように思われます。
というのは、公式HPの「神前結婚式」のページに天橋立伝説を記載して、

(以下引用)
伝承によりますと、神代の昔、天にあった男神伊射奈岐大神(いざなぎのおおかみ)が地上の真名井原(真名井神社)の磐座(いわくら)に祀られていた女神伊射奈美大神(いざなみのおおかみ)のもとに通うため、天から大きな長い梯子(はしご)を地上に立てて通われました。
すると一夜にして梯子(はしご)が倒れてしまい、それが天橋立となったと伝えられています。
これは人間の心が純朴で素直であった古代には、神と人、天と地上とは互いに往き来でき、天橋立は神と人、男と女とを結ぶ愛の懸け橋と信じられていたのです。
(引用終わり。下線は私)

とあるので、籠神社での結婚式は、イザナミ・イザナミ夫妻神のご利益がある、というところでしょうか。

籠神社の御祭神にはイザナギ神もイザナミ神もいらっしゃいませんけどね。

現在、籠神社に配祀されているのは、wikiより引用しますが、

豊受大神(とようけのおおかみ) - 「御饌津神」ともいうとする。
天照大神(あまてらすおおかみ)
海神(わたつみのかみ) - 社家海部氏の氏神。
天水分神(あめのみくまりのかみ)

というラインナップです。
何故、ニギハヤヒの子孫から七十数代続いているという籠神社の宮司一族(海部氏)の氏神が、ニギハヤヒでもアメノホアカリでもなく海神なのかよくわかりませんが。

ただし、これもwikiによると、
『祭神については古くより諸説があり、『丹後国式社證実考』では伊弉諾尊、『神社明細帳』では天水分神としている。』
ということで、ゴチャゴチャした歴史があるようです。
つまり、

イザナギ・イザナミ夫妻神とニギハヤヒ・イチキシマヒメ夫妻神が重なっているのでは?

ついでに付け加えますと、実は古事記にはイザナギとかイザナミとかいう名前はあまり出てきません。多くは

イザナギ=陽神、イザナミ=陰神と書かれています。

明らかに陰陽を意識した日と月のお守りを授与する籠神社が、いまだ秘匿している伝承や如何に?

(続く)
2022. 03. 27  
もっかい上げますが、インパクト大きすぎるコレ。
籠神社絵馬

どっから突っ込めばいいんだ?

まず、堂々と、
天照国照彦火明命
(饒速日尊)


って書いちゃってますよね。
これって一般によく言われていることではありますけど、元伊勢とも言われる神社が、ズバリ言い切っている公認。

この絵馬から察するに、籠神社に伝わる伝承では、ニギハヤヒとイチキシマヒメは御一緒に籠の船で降臨したってことです。
イチキシマヒメを地上で娶ったのではなく、高天原から既におふたりであったか、ニギハヤヒが途中で宗像に寄ってそこでイチキシマヒメを娶って改めてこちらにいらしたか、の2パターンが考えられます。
因みに、2パターンのどちらかは知りませんが、

ニギハヤヒとイチキシマヒメは御夫婦であるというのが神社の公式見解です。

※ 絵柄だけでなく宮司さんも仰ってるとか
※ この絵柄ですから、当然縁結びの御利益で有名

そして、日ユ同祖論の人が大喜びしちゃいそうな六芒星の中に、

太陽と月が描かれているという凄い情報量。

普通に解釈すれば、太陽は天照国照ニギハヤヒに決まっていますから、自動的に月はイチキシマヒメでしょう。

イチキシマヒメって瀬織津姫なんですか?(直球)

とにかく、この絵馬を見る限り、イチキシマヒメは本来の水神・海神に加えて月神の要素が加わります。
コレなんて瀬織津姫?

因みに、ニギハヤヒ=元祖天照大神の妻が瀬織津姫か?という説については、私はよくわかりません派です。
ニギハヤヒも瀬織津姫も、どちらも謎が多い神様なので、私如きが断定出来ないな、と。

だって、古事記ではニギハヤヒの奥さんは、ナガスネヒコ(別名トミビコ)の妹のトミヤビメ(別名ミカシキヤヒメ)であって、彼女は元から地上にいらした地祇の女神ですから。
名前からしていかにも兄妹でヒメヒコ制(兄妹・姉弟による共同統治)をしていた所に、継承権のあるトミヤビメの所に婿入りしたニギハヤヒが王となり、ナガスネヒコは新たな王の臣下になったのでしょう。

これは、継承者スセリヒメと結婚したオオナムチが王になった(大国主と名乗った)のと同じ経緯です。
※ そうすると、オオナムチと結婚する前に出雲の末子スセリヒメと共同統治していた兄は誰なのか、という興味深い問題が発生するのですが

トミヤビメを嫡后にしたからこそ王たるニギハヤヒが成立するので、決してトミヤビメを蔑ろには出来ないのです。
なのに、安易に瀬織津姫を割り込ませるのはどうよ?という訳で、瀬織津姫が正妻説は保留、という所です。

(続く)



2022. 03. 26  
宗像三女神の中で、何となく影が薄いタギツヒメ(古:多岐都比売命/日:湍津姫命)。

…と書いてみて、アレ?なんかおかしくない???
と思ったら、尊称が「命」なんです。

古事記ではあまり当てにならない尊称(イザナギ神なんて呼び捨て~大御神まで幅があり過ぎる)なのですが、日本書紀では序列がキッチリ命<尊と決まっています。
普通の神様(?)が「命」で、重要で文字通り特に尊い神様は「尊」なのです。

だから、スサノオ様なんて、「素戔嗚」とdisった字面(みすぼらしくて欠点だらけの泣き喚いてる奴みたいな意味)で書くくせに、空々しく素戔嗚なのです。

日本書紀を書いた奴、絶対性格悪いだろお前。

そして、記紀の最高位は当然に天照大神とか天照大御神です。いくら誓約(うけい)という変則的な形で生まれたとは言え、スサノオ×アマテラスの子で、別名「道主である宗像三女神が、

湍津姫「命」って、随分素っ気なくない?

※ 「貴/ムチ」はかなり尊い神様じゃないと付かない。大己(オオナムチ)とか。

その、「貴」なのに「命」と言われてしまう謎の三女神。不可解です。
宗像三女神は、産まれた順番が伝承によってバラバラなので、姉なのか妹なのかわからないのですが、神話的に目立っているのはタギリヒメです。

タギリヒメはオオクニヌシの妻で、出雲大社でスセリヒメ様級かそれ以上の扱いで堂々祀られちゃってる、スセリヒメ様推しの私には不敬ながら許せない感がある、しかしマイナーながらもスセリヒメと同神説も出てきてしまってタギリヒメ。
アジスキタカヒコネ&タカヒメ(シタテルヒメ)の母神として、しっかりその名が残っています。

そして、もうひとりの姉or妹のイチキシマヒメ(別名サヨリヒメ)は、神話としては特にこれと言ったエピソードは無いものの、民間信仰としては結構目立っています。
何故かよく弁財天様と同一視して祀られていますから。

三姉妹のうち、どうしてイチキシマヒメだけが弁財天様と習合されたのか、とんとわかりません。
私が唯一の例外として知っているのは田無神社で、ここではどういう訳か弁財天=スセリヒメ様になっています。

ちょっと話が逸れてしまいましたが、再びイチキシマヒメ。
いかにもな名前の市杵島神社では「市杵島姫命は天照大神の子で、皇孫邇邇芸命が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されている」という説明書きがあるそうです。

ニニギというとイチキシマヒメにとって甥っ子ですから、独身で通したのかな?…と思いきや、籠神社にはすごい絵馬がある。

これです。
籠神社絵馬

なんかもう、ツッコミどころがありすぎて、

(続く)
2022. 03. 25  
私が『神別系譜』という書物を知ったのは、つい最近のことです。
そのきっかけは、wikiのシタテルヒメ(下照比売/高比売)のページを読んでいて、その系図に

父 大国主神
母 多紀理毘売命
   一説:須勢理毘売命


と、初耳じゃーーー!!なことが書いてあったからです。

元々書いてありましたっけ???
つか私、長年スセリヒメ様を推しに推しまくっていていたのに、タギリヒメ=スセリヒメという説なんて、昨日の記事で紹介したYouTubeの『TOLAND VLOG 』というチャンネルを見るまで全然知らなかったのです。

でも、TOLAND VLOG さん達は記紀の矛盾点を突く為に竹内文書を重要視していて、しかし竹内文書さえも口をつぐんだ謎として、独自の考察でタギリヒメ=スセリヒメ、という構図に辿り付いたのです。
つまり、彼らは『神別系譜』を参考にした訳ではない。

そして、上記にあるシタテルヒメの母として『一説:須勢理毘売命』と記載されている根拠として、これもwikiに参考文献が載っていて、それが『神別系譜』というものなのです。

神別系譜とは何物か。
それは、中田憲信という南朝の末裔を名乗る人が明治時代に公表した書物で、東京国立博物館デジタルライブラリーで閲覧することが出来ます。
毛筆の手書きで漢文混じりですが、時々読め取れない字があるものの、どうにか読めなくもないです。
※ 書道やってたり古文書に親しんでいる人ならサクサク読めるかもしれません

ちなみに、直接『神別系譜』をご覧になりたい方はこちら

その116番目の画像によると、素戔嗚命の子神は七柱しかいません。
※ 素戔嗚命の脇に熊野加武呂命の表記あり

スサノオの子と言えば、何となく八柱のイメージですよね。
アマテラスとの誓約の時に八柱(五男三女)、八坂神社の八王子。

でも、実は出雲風土記に登場する子神は七柱で、こちらは特にへのこだわりはないようです。
そして、メンバーは違いますが神別系譜でも七柱です。
神別系譜の七柱は出雲国風土記と八王子がミックスした感じで、始めの四柱が風土記の神、残る三柱は古事記には名前が登場しない兄妹なのが興味深いです。

つまり、五十猛命、大屋津姫、枛津比売

因みに、スセリヒメの名はあります。
スサノオ様の五世の孫でイタケル(五十猛命)の四世の孫でヤシマジヌミ(多分。もっと長い別名で記されている)の三世の孫として、速須勢理姫命。

つまり、並べると以下のようになります。

スサノオ→イタケル→ヤシマジヌミ→国忍別命(くにのおしわけ)→淤美豆奴神(おみずぬのかみ)→スセリヒメ

国忍別命は、出雲国風土記ではスサノオの御子神として記される神と同名で、淤美豆奴神は古事記の系図ではヤシマジヌミのひ孫(四世の孫)で大国主の祖父とされています。
ただ、淤美豆奴神は色々謎の神なのでリンク貼って置きますね。

神別系譜によると、淤美豆奴神の娘がスセリヒメで、もう一柱天之葺根神(あめのふきね?)という、スセリヒメの兄神らしき名が並んで記されています。

何故、弟ではなく兄と推定したかというと、「天之葺根神」の子が大穴持命(母は刺国若比売と注記有り)で、要するに

大穴持命は速須勢理姫命の甥
(つまりスサノオ様の六世の孫)

という関係になっているからです。

ただし、天之葺根神もややこしい神なのでリンク貼って置きます。
尚、大穴持命の次は「山代日子命」という神で、出雲国風土記にもオオナムチの子であり一致しています。

スセリヒメがオオナムチの伯母(叔母ではなく)、になってしまうと、ちょっとそれは年が違いすぎるのでは…ということになるので、多分「天之○根神」が兄でスセリヒメが妹、なのではないかと。
もしスセリヒメの方が伯母で、結果オオナムチよりかなり年上とすると、スセリヒメは一度夫を亡くしているか離縁しているかでオオナムチと再婚説も考えられますが、その場合スセリヒメがオオナムチの子を自然妊娠出来たかどうか???
古事記ではスセリヒメとオオナムチの間に子は無かった、というか何も記載がないのですが、私は

スセリヒメ=神屋楯比売神で事代主の母神

説を採っているので、子が産まれなかったのは有り得ません。

そして、まだまだ筆書きの書物を読むのに手間取っているので、読めた順からちょこちょこ話題を出していきたいと思います。

(続く)
2022. 03. 24  
YouTube の TOLAND VLOG というチャンネルで、古代日本の神話考察をしているのですが、私が推しに推している女神様・スセリヒメについて

工エエェェ(´д`)ェェエエ工工 !?

なことを言ってくれたので、それについて私なりに更に突っ込んで調べてみたことを書いてみます。

※ 以下、TOLAND VLOGさんの考察のネタバレになってしまうので、見たくない方は続きを読まずにお願いします!
プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
ホlツlマlツタヱ・富l家l伝承・徐l福l伝l承・日lユl同l祖l論・アlイlヌl先l住l民族説お断り。

定義山西方寺を崇敬。秋篠宮家と伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。
透明水彩絵師。

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