2021.
01.
27
大津いじめ訴訟の判決は、「被害生徒を支えられなかった両親の過失」を指摘して、一審での賠償額を約1/10にして確定しました。
私は、この判決は非常に不当であり理不尽だと思っていますが、今回タイトルに入れた「我が子を支えられなかった親に罪があるのか?」に関しては、「ある」と思っています。
誤解無きように言い直しますが、両親が別居するなど(その「など」の部分に当たる詳細を私は知りませんが)被害者を支える家庭環境を整えていなかったのは、親の力不足であり身勝手であるという点で「罪はある」と思いますが、自殺の直接的な原因は執拗且つ凄惨な暴力(いじめ、という実に軽い言葉の実態)であって、そもそも
加害少年らが暴力を振るわなければ被害者は自殺などしなかった。
のであって、《この事件》の裁判で両親の過失を加害少年らの罪の相殺の理由にするのは甚だしい理不尽だと断言します。
両親の過失については、非常に難しい問題だとも思います。
何故なら、真っ当な家庭で育った子供でも、親に何ら相談することなく命を絶つ事はあり得るからです。
また、子供が親に打ち明けて、親が子供を守るために尽力してもなお、自殺は有り得るのです。
上記太字にした2パターンのどちらも、結果的に『親は子供を守れなかった』のであり、結果的には力不足であった、ということです。
でも、私はそのことで責める人間になりたくはありません。きっと、お子さんを自死で亡くした親御さんが一番、「どうして守り切ってやれなかったのか」と自責して苦しんでいらっしゃるでしょうに、赤の他人が更に打ちのめす必要が何処にあるというのでしょうか?
もし、大津いじめ訴訟の事件で被害者となった少年が、投身自殺を試みるも一命を取り留めていたなら、
両親「どうして自殺しようなんて思ったの!?どうして頼ってくれなかったの!?」
少年「だって、お父さんもお母さんも、僕を助けてくれなかったじゃないか!!」
という事になったかもしれません。
或いは、自死を選択するほどの人間ならば、既に全てを諦めていて、理由を問われても黙秘するかもしれません。
でも、私も人の子の親のひとりですから、《子供の頃の視点》と《親としての視点》の両方を持っています。
だから、子供が不満に思うような親でも、親なりに一所懸命であった、または短い時期でも努力をした時期がある、という構図はこの世界にはありふれたものだと言うことも知っています。
私の親は、私を日常的に殴る蹴るする典型的な毒親でしたが、彼らは私を愛そうとした形跡はあるのに、不幸にもそれを全うする能力が欠如していました。
例えて言うなら、頑張って勉強しても赤点とか、頑張ってレベルの高い大学に合格するも付いていけなくて中退とかいう感じでしょうか。
私は、今でも自分の親の暴力を赦しては居ませんが、彼らの無能については憐れだと思っていますし、仕方の無いことだったと思います。
そんな劣悪環境で育ち、初めて自殺を考えたのが7歳で、結果的に自殺にならず未遂で3回救急車に乗った私の実感ですが、人間は、『自分で自分を支える気力体力があるうちは』、または自力では崩れ落ちてしまっても『誰かが自分の命を繋ぎ止める力を持っているうちは』、自殺などしません。
逆に言えば、『自分で精一杯頑張ってもダメ』で、『周囲の人間が全力で支えても力が及ばなかった』場合は、誰もが一所懸命だったのに死んでしまうのです。
それほどに、
殴る蹴るなどの物理的な暴力や、誹謗中傷などの精神的な暴力の力は、本当に、忌々しいほどに、あまりにも大きい。
だから、加害者の罪よりも被害生徒の親の過失を裁いた今回の判決は、残酷であり理不尽なのです。
もし、大切な人を自死で失った方がこの記事を読んでいたなら、お願いします。
どうか、もうご自分を責めないで下さい。
精一杯力を尽くしても届かないということも、報われないことも、この世界にはたくさんあるのです。
誰の所為でなくても、悲劇が起こることも、あるのです。
守り切れなかったとしても、あなたがそのひとを愛した事実は、決して無駄なことではなく、消えてしまうこともないのです。
だから、
遺された方々に、どうか救いがありますように。
この世界を去った御魂が、どうか安らかでありますように。
私は、この判決は非常に不当であり理不尽だと思っていますが、今回タイトルに入れた「我が子を支えられなかった親に罪があるのか?」に関しては、「ある」と思っています。
誤解無きように言い直しますが、両親が別居するなど(その「など」の部分に当たる詳細を私は知りませんが)被害者を支える家庭環境を整えていなかったのは、親の力不足であり身勝手であるという点で「罪はある」と思いますが、自殺の直接的な原因は執拗且つ凄惨な暴力(いじめ、という実に軽い言葉の実態)であって、そもそも
加害少年らが暴力を振るわなければ被害者は自殺などしなかった。
のであって、《この事件》の裁判で両親の過失を加害少年らの罪の相殺の理由にするのは甚だしい理不尽だと断言します。
両親の過失については、非常に難しい問題だとも思います。
何故なら、真っ当な家庭で育った子供でも、親に何ら相談することなく命を絶つ事はあり得るからです。
また、子供が親に打ち明けて、親が子供を守るために尽力してもなお、自殺は有り得るのです。
上記太字にした2パターンのどちらも、結果的に『親は子供を守れなかった』のであり、結果的には力不足であった、ということです。
でも、私はそのことで責める人間になりたくはありません。きっと、お子さんを自死で亡くした親御さんが一番、「どうして守り切ってやれなかったのか」と自責して苦しんでいらっしゃるでしょうに、赤の他人が更に打ちのめす必要が何処にあるというのでしょうか?
もし、大津いじめ訴訟の事件で被害者となった少年が、投身自殺を試みるも一命を取り留めていたなら、
両親「どうして自殺しようなんて思ったの!?どうして頼ってくれなかったの!?」
少年「だって、お父さんもお母さんも、僕を助けてくれなかったじゃないか!!」
という事になったかもしれません。
或いは、自死を選択するほどの人間ならば、既に全てを諦めていて、理由を問われても黙秘するかもしれません。
でも、私も人の子の親のひとりですから、《子供の頃の視点》と《親としての視点》の両方を持っています。
だから、子供が不満に思うような親でも、親なりに一所懸命であった、または短い時期でも努力をした時期がある、という構図はこの世界にはありふれたものだと言うことも知っています。
私の親は、私を日常的に殴る蹴るする典型的な毒親でしたが、彼らは私を愛そうとした形跡はあるのに、不幸にもそれを全うする能力が欠如していました。
例えて言うなら、頑張って勉強しても赤点とか、頑張ってレベルの高い大学に合格するも付いていけなくて中退とかいう感じでしょうか。
私は、今でも自分の親の暴力を赦しては居ませんが、彼らの無能については憐れだと思っていますし、仕方の無いことだったと思います。
そんな劣悪環境で育ち、初めて自殺を考えたのが7歳で、結果的に自殺にならず未遂で3回救急車に乗った私の実感ですが、人間は、『自分で自分を支える気力体力があるうちは』、または自力では崩れ落ちてしまっても『誰かが自分の命を繋ぎ止める力を持っているうちは』、自殺などしません。
逆に言えば、『自分で精一杯頑張ってもダメ』で、『周囲の人間が全力で支えても力が及ばなかった』場合は、誰もが一所懸命だったのに死んでしまうのです。
それほどに、
殴る蹴るなどの物理的な暴力や、誹謗中傷などの精神的な暴力の力は、本当に、忌々しいほどに、あまりにも大きい。
だから、加害者の罪よりも被害生徒の親の過失を裁いた今回の判決は、残酷であり理不尽なのです。
もし、大切な人を自死で失った方がこの記事を読んでいたなら、お願いします。
どうか、もうご自分を責めないで下さい。
精一杯力を尽くしても届かないということも、報われないことも、この世界にはたくさんあるのです。
誰の所為でなくても、悲劇が起こることも、あるのです。
守り切れなかったとしても、あなたがそのひとを愛した事実は、決して無駄なことではなく、消えてしまうこともないのです。
だから、
遺された方々に、どうか救いがありますように。
この世界を去った御魂が、どうか安らかでありますように。

2021.
01.
26
先日の、大津いじめ訴訟の最高裁判決は、裁判官には人の血が通ってないのかと思うほど、人間の命を軽んじる判決でした。
ネットのニュース記事よりも、ヤフーニュースにコメントしていた前田恒彦氏(元特捜部主任検事)が、この事件と裁判の全体像を解りやすくまとめていたので、以下に引用します。
(以下引用)
同級生3名から手足を縛られ、口を粘着テープで塞がれ、トイレなどで殴られ、口にハチの死骸を乗せられるなど数々の被害を受けてきた中学2年の男子生徒が、自宅マンションから飛び降り、自殺した事件です。
学校側は何ら適切な対応をせず、担任教師も「あまりやりすぎるなよ」と黙殺し、学校・教育委員会ともども様々な隠ぺい工作に走り、加害者に至っては「単なる遊びの一環で、いじめに当たるとは思っていなかった」と弁解しました。
遺族が加害者3名を刑事告訴しようとしたものの、警察は受理を渋りました。家庭裁判所の審判も、ほかの被害者に対する暴行事件などと合わせてようやく2名が保護観察となっただけで、1名は処分なしで終わっています。
2012年に遺族が民事訴訟を提起した理由は、わが子が自殺に追い込まれた真相を知り、誠意ある謝罪の言葉を聞きたかったからでした。しかし、遺族の思いは、いまだ実現されていない状況です。
(引用終了)
そして、賠償金額については、共同通信のQ&Aによると、
Q.二審はどんな判決だった?
A.大阪高裁は(被害者の)両親にも過失があったと認め、一審判決の賠償額約3750円を約10分の1の400万円に減額し、元同級生2人に計約400万円の支払いを命じた。
…という情報をふまえ、私なりに要約すると、
1.いじめ、という軽い言葉で片付けられた数々の暴力行為の末に自死した13歳中学生に対する責任について、加害者は400万円を2人で分割して計200万円を支払えばチャラ。
2.一審で4000万円近かった賠償額を二審は1/10にした=自殺した13歳少年を支えられなかったその両親の過失として、最高裁もそれを支持した。
という、遺族を責めて加害者を擁護する理不尽に身の毛がよだつような判決で確定した、ということです。
何だ。これは。
子供の自殺は親の責任なのか?
確かに、自殺した子の両親は別居しており、家庭環境は凡そ良いとは言えなかった。
しかし。それでも。
これからも長く生きていける人生があったはずの、たったの13歳の少年が死んだ。なのに息子を失った両親を責めて、散々暴力を振るってそこまで追い込んだ加害者の罪の重さは相殺されて、少年の命の値段は400万円だと言うのか?
親が別居していたところで、いじめ(嗚呼心底イヤだこの軽い言葉)が無ければ、いたいけな少年は死なずに済んだのに。
例え間接的にでも、
この少年を殺したのは誰だ?
バカでもわかる。殺したのは3人の塵野郎(うちひとりは加害認定されなかった)であって、両親ではないことくらい。
未成年だろうが社会の塵(ゴミ)と呼んでいい、こんな人間は。
加害少年は、転校先でもやらかしており、自分の暴力が人ひとりの命を奪った事に対して、反省の心などひとかけらも持ち合わせていない。
日本の社会は、こんな人でなしを《保護》する方を優先するのか。
子供の自殺に親の責任を問うのか。
私は、この最高裁の判決に怒りを覚えると共に、判例として今後踏襲される可能性を、非常に危惧しています。
こんな判決は、二度とあってはなりません。
ネットのニュース記事よりも、ヤフーニュースにコメントしていた前田恒彦氏(元特捜部主任検事)が、この事件と裁判の全体像を解りやすくまとめていたので、以下に引用します。
(以下引用)
同級生3名から手足を縛られ、口を粘着テープで塞がれ、トイレなどで殴られ、口にハチの死骸を乗せられるなど数々の被害を受けてきた中学2年の男子生徒が、自宅マンションから飛び降り、自殺した事件です。
学校側は何ら適切な対応をせず、担任教師も「あまりやりすぎるなよ」と黙殺し、学校・教育委員会ともども様々な隠ぺい工作に走り、加害者に至っては「単なる遊びの一環で、いじめに当たるとは思っていなかった」と弁解しました。
遺族が加害者3名を刑事告訴しようとしたものの、警察は受理を渋りました。家庭裁判所の審判も、ほかの被害者に対する暴行事件などと合わせてようやく2名が保護観察となっただけで、1名は処分なしで終わっています。
2012年に遺族が民事訴訟を提起した理由は、わが子が自殺に追い込まれた真相を知り、誠意ある謝罪の言葉を聞きたかったからでした。しかし、遺族の思いは、いまだ実現されていない状況です。
(引用終了)
そして、賠償金額については、共同通信のQ&Aによると、
Q.二審はどんな判決だった?
A.大阪高裁は(被害者の)両親にも過失があったと認め、一審判決の賠償額約3750円を約10分の1の400万円に減額し、元同級生2人に計約400万円の支払いを命じた。
…という情報をふまえ、私なりに要約すると、
1.いじめ、という軽い言葉で片付けられた数々の暴力行為の末に自死した13歳中学生に対する責任について、加害者は400万円を2人で分割して計200万円を支払えばチャラ。
2.一審で4000万円近かった賠償額を二審は1/10にした=自殺した13歳少年を支えられなかったその両親の過失として、最高裁もそれを支持した。
という、遺族を責めて加害者を擁護する理不尽に身の毛がよだつような判決で確定した、ということです。
何だ。これは。
子供の自殺は親の責任なのか?
確かに、自殺した子の両親は別居しており、家庭環境は凡そ良いとは言えなかった。
しかし。それでも。
これからも長く生きていける人生があったはずの、たったの13歳の少年が死んだ。なのに息子を失った両親を責めて、散々暴力を振るってそこまで追い込んだ加害者の罪の重さは相殺されて、少年の命の値段は400万円だと言うのか?
親が別居していたところで、いじめ(嗚呼心底イヤだこの軽い言葉)が無ければ、いたいけな少年は死なずに済んだのに。
例え間接的にでも、
この少年を殺したのは誰だ?
バカでもわかる。殺したのは3人の塵野郎(うちひとりは加害認定されなかった)であって、両親ではないことくらい。
未成年だろうが社会の塵(ゴミ)と呼んでいい、こんな人間は。
加害少年は、転校先でもやらかしており、自分の暴力が人ひとりの命を奪った事に対して、反省の心などひとかけらも持ち合わせていない。
日本の社会は、こんな人でなしを《保護》する方を優先するのか。
子供の自殺に親の責任を問うのか。
私は、この最高裁の判決に怒りを覚えると共に、判例として今後踏襲される可能性を、非常に危惧しています。
こんな判決は、二度とあってはなりません。

2021.
01.
24
定義山西方寺は、宮城県ではとてもメジャーなお寺なので、初詣期間はかなり混み合います。
政府は12月辺りから散けてお参りに行きましょうキャンペーンをしていましたが、崇敬している人はせめて正月休み期間にはお参りしたいと思うのではないでしょうか。
※ 今年は1月3日が日曜日だったので、多くの人が4日から仕事始めになってしまい、結局三賀日に集中したんじゃないかと推測
我が家は、コロナには関係なく、《並ぶ》のが全員嫌いなので、村時代からの鎮守さんには元旦の7時前には到着で混雑を避けていますが、三賀日の定義は早朝でも混み合っていると思うので(定義とうふ店で油揚げを食べるための大行列も避けたい)、定義には『1月中の休みの何処かで』新年のご挨拶に参るようにしています。
実はこれ、四半世紀ほど続いています。
25年前の1月:今のダンナと初デートで、何となくドライブしていたら辿り付いたのが定義。曖昧~な関係がキッチリ恋人同士になる。
翌年の1月:恋人の関係でお参り。年内中に婚約に至る。
更に翌年の1月:婚約中にお参り。その年に無事にジューンブライド。
更に翌年の1月:妊娠中にお参り。(ここで何となく3人ぽくなる)
更に翌年の1月:0歳長男を連れてお参り。(確実に3人に増える)
更に翌年の1月:長男1歳。そろそろ次の子供が欲しいなと思い願ってみる。
更に翌年の1月:私、再び妊婦。(4人家族の気配がしてくる)
更に翌年の1月:2人の子供を連れてお参り。(7年で2人→4人に増えた)
更に翌年の1月:3人目のこどもが欲しくなって願ってみる。
更に翌年の1月:私、3度目の妊婦。(5人家族の気配がしてくる)
更に翌年の1月:お参りに0歳の第3子が加わる。(10年で2人→5人に増えた)
更に17年経過:絶えることなく家族5人のお参りが続いている。
……って時系列を追ってみると、何か凄いと思います自分でも。
因みに、私のダンナは、姑が流産、死産と続き、意気消沈しているのを見かねて舅が定義に祈願をして、やっと生まれて来た待望の子供なのです。
そこまで遡るとなると、50年近く前から定義さんの御加護が続いてきたことになります。
定義はガチです。
ただし、忘れてはいけないのは、感謝の心だと思います。
私は、お参りするときには必ず、まずは始めに再び家族揃ってのお参りが叶ったことを感謝します。
1年1年積み重ねられたお参りは、《当たり前》ではありません。
とても幸福なことで、とても幸運なことで、奇跡だとすら思います。
いつか、子供たちが巣立って、5人ではなくなるのでしょう。
そうなったなら、私は「再びお参りが叶いました御縁に感謝致します。子供たちもみな息災にしております」と手を合わせるのだと思います。


1月中は、お正月限定の3種の御朱印が頂けます!
政府は12月辺りから散けてお参りに行きましょうキャンペーンをしていましたが、崇敬している人はせめて正月休み期間にはお参りしたいと思うのではないでしょうか。
※ 今年は1月3日が日曜日だったので、多くの人が4日から仕事始めになってしまい、結局三賀日に集中したんじゃないかと推測
我が家は、コロナには関係なく、《並ぶ》のが全員嫌いなので、村時代からの鎮守さんには元旦の7時前には到着で混雑を避けていますが、三賀日の定義は早朝でも混み合っていると思うので(定義とうふ店で油揚げを食べるための大行列も避けたい)、定義には『1月中の休みの何処かで』新年のご挨拶に参るようにしています。
実はこれ、四半世紀ほど続いています。
25年前の1月:今のダンナと初デートで、何となくドライブしていたら辿り付いたのが定義。曖昧~な関係がキッチリ恋人同士になる。
翌年の1月:恋人の関係でお参り。年内中に婚約に至る。
更に翌年の1月:婚約中にお参り。その年に無事にジューンブライド。
更に翌年の1月:妊娠中にお参り。(ここで何となく3人ぽくなる)
更に翌年の1月:0歳長男を連れてお参り。(確実に3人に増える)
更に翌年の1月:長男1歳。そろそろ次の子供が欲しいなと思い願ってみる。
更に翌年の1月:私、再び妊婦。(4人家族の気配がしてくる)
更に翌年の1月:2人の子供を連れてお参り。(7年で2人→4人に増えた)
更に翌年の1月:3人目のこどもが欲しくなって願ってみる。
更に翌年の1月:私、3度目の妊婦。(5人家族の気配がしてくる)
更に翌年の1月:お参りに0歳の第3子が加わる。(10年で2人→5人に増えた)
更に17年経過:絶えることなく家族5人のお参りが続いている。
……って時系列を追ってみると、何か凄いと思います自分でも。
因みに、私のダンナは、姑が流産、死産と続き、意気消沈しているのを見かねて舅が定義に祈願をして、やっと生まれて来た待望の子供なのです。
そこまで遡るとなると、50年近く前から定義さんの御加護が続いてきたことになります。
定義はガチです。
ただし、忘れてはいけないのは、感謝の心だと思います。
私は、お参りするときには必ず、まずは始めに再び家族揃ってのお参りが叶ったことを感謝します。
1年1年積み重ねられたお参りは、《当たり前》ではありません。
とても幸福なことで、とても幸運なことで、奇跡だとすら思います。
いつか、子供たちが巣立って、5人ではなくなるのでしょう。
そうなったなら、私は「再びお参りが叶いました御縁に感謝致します。子供たちもみな息災にしております」と手を合わせるのだと思います。


1月中は、お正月限定の3種の御朱印が頂けます!
2021.
01.
23
スサノオ様の1代前の男系男子というと、始まりの神・イザナギ神になりますが、ここまで遡ってしまうと、祖神として仰ぐのには、あまり意味がないことになります。
というのは、イザナギ・イザナミ夫妻神は日本列島及びそこに住まう神々を産みに産みまくっているので、ギ・ミ神の子神の中には当然に他の豪族の祖神が数多含まれています。
ギ神まで行っちゃうと、じゃあどーして皇室・天皇だけが特別なの?という問題が発生してしまうのです。
古事記や日本書紀が、皇祖神にスサノオ様ではなくアマテラスという女神を据えたのは、スサノオ様が高天原から追い出された存在(この段階までは悪役キャラ)で、地上の世界=葦原中国(あしはらのなかつくに)の始祖だからでしょう。
構図としては、こうです。
スサノオ様:葦原中国(地上)の始祖。高天原では悪者とされるも地上では一転してヒーロー。正妻はヒーロー・スサノオに華麗に助けられちゃったクシナダヒメ。
天照大神:高天原が支配領域=地上はアマテラスのものではないので、息子or孫(スサノオの血を引いている)を地上に使わした。
ということです。
先にスサノオが地上に降り立ったり、ヤマタノオロチの尾から出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ。草薙剣とも言う)をアマテラスに献上した、という経緯があった(ことになっている。私は献上したのではなく天孫族が強奪したものと思っていますけど。天皇は正当な所有者ではないから、本物は遠く熱田神宮で祀っておかないと皇室を祟る)から、アマテラスは
「葦原中国は(スサノオと誓約をしたときに生まれた)私の子が治めるべき国なのよ!!」
と勝手に決めて傲慢な理不尽を言う大義名分があった、というのが神話の成り行きなのです。
その大義名分の割に、スサノオ様を皇祖神に据えなかった理由は、
1.持統天皇が孫に天皇位を譲るという前例のないことをやりたかったので、神話のアマテラスという女神と孫のニニギ尊という神話が載っている史書を作った。
※ 皇室は、「前例」をとても大事にします。基本的に前例のないことはやらないし、やろうとした時代は大抵何かの争いの火種になっています。女系天皇とか有り得ない。
2.スサノオが男系男子・万世一系の皇室の本来の始祖であるけれども、スサノオは出雲の王(族長)であり、オオヒルメ(アマテラスの実名でモデルは権力を持つ巫女だと思われる。日本書紀では天照の名は異伝扱いで登場する)は正妻ではなくよその土地の現地妻に過ぎない立場で、当然に出雲の正妻クシナダヒメの系譜の方が格上であったので、オオヒルメを《天照大御神》という最高神に据える必要があった。
辺りだと思います。
だから、おそらく津島神社(祭神:素戔嗚尊/牛頭天王)の口伝か現在は非公開になっている資料が出所の、
「素尊(スサノオ)は即ち皇国の本主なり。故に(津島神社を)日本の総社と崇め給いしなり」
と、西暦810年(大同5年)の正月に宣ったという嵯峨天皇の言は、至極尤もで至極正しいのです。
スサノオとは、皇祖神の名です。
東宮のスサノオと呼ばれたのは礼宮さま(当時)であって、浩宮さまではなかった。
この言霊は、きっと秋篠宮皇嗣殿下と悠仁親王殿下、そしてそこから繋がってゆく系譜が皇統として続いていく、その未来を、皇嗣殿下が御誕生の時から定めていたのだと思います。
不当に貶められるという運命も、皇嗣殿下はスサノオ様によく似ておいでです。
それを乗り越えて地上の英雄となったスサノオ様のように、皇嗣殿下も素晴らしい帝になるであろうことを、私は信じたいと思います。
秋篠宮皇嗣殿下と悠仁親王殿下に申し上げます。
すめらぎいやさか。
というのは、イザナギ・イザナミ夫妻神は日本列島及びそこに住まう神々を産みに産みまくっているので、ギ・ミ神の子神の中には当然に他の豪族の祖神が数多含まれています。
ギ神まで行っちゃうと、じゃあどーして皇室・天皇だけが特別なの?という問題が発生してしまうのです。
古事記や日本書紀が、皇祖神にスサノオ様ではなくアマテラスという女神を据えたのは、スサノオ様が高天原から追い出された存在(この段階までは悪役キャラ)で、地上の世界=葦原中国(あしはらのなかつくに)の始祖だからでしょう。
構図としては、こうです。
スサノオ様:葦原中国(地上)の始祖。高天原では悪者とされるも地上では一転してヒーロー。正妻はヒーロー・スサノオに華麗に助けられちゃったクシナダヒメ。
天照大神:高天原が支配領域=地上はアマテラスのものではないので、息子or孫(スサノオの血を引いている)を地上に使わした。
ということです。
先にスサノオが地上に降り立ったり、ヤマタノオロチの尾から出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ。草薙剣とも言う)をアマテラスに献上した、という経緯があった(ことになっている。私は献上したのではなく天孫族が強奪したものと思っていますけど。天皇は正当な所有者ではないから、本物は遠く熱田神宮で祀っておかないと皇室を祟る)から、アマテラスは
「葦原中国は(スサノオと誓約をしたときに生まれた)私の子が治めるべき国なのよ!!」
と勝手に決めて傲慢な理不尽を言う大義名分があった、というのが神話の成り行きなのです。
その大義名分の割に、スサノオ様を皇祖神に据えなかった理由は、
1.持統天皇が孫に天皇位を譲るという前例のないことをやりたかったので、神話のアマテラスという女神と孫のニニギ尊という神話が載っている史書を作った。
※ 皇室は、「前例」をとても大事にします。基本的に前例のないことはやらないし、やろうとした時代は大抵何かの争いの火種になっています。女系天皇とか有り得ない。
2.スサノオが男系男子・万世一系の皇室の本来の始祖であるけれども、スサノオは出雲の王(族長)であり、オオヒルメ(アマテラスの実名でモデルは権力を持つ巫女だと思われる。日本書紀では天照の名は異伝扱いで登場する)は正妻ではなくよその土地の現地妻に過ぎない立場で、当然に出雲の正妻クシナダヒメの系譜の方が格上であったので、オオヒルメを《天照大御神》という最高神に据える必要があった。
辺りだと思います。
だから、おそらく津島神社(祭神:素戔嗚尊/牛頭天王)の口伝か現在は非公開になっている資料が出所の、
「素尊(スサノオ)は即ち皇国の本主なり。故に(津島神社を)日本の総社と崇め給いしなり」
と、西暦810年(大同5年)の正月に宣ったという嵯峨天皇の言は、至極尤もで至極正しいのです。
スサノオとは、皇祖神の名です。
東宮のスサノオと呼ばれたのは礼宮さま(当時)であって、浩宮さまではなかった。
この言霊は、きっと秋篠宮皇嗣殿下と悠仁親王殿下、そしてそこから繋がってゆく系譜が皇統として続いていく、その未来を、皇嗣殿下が御誕生の時から定めていたのだと思います。
不当に貶められるという運命も、皇嗣殿下はスサノオ様によく似ておいでです。
それを乗り越えて地上の英雄となったスサノオ様のように、皇嗣殿下も素晴らしい帝になるであろうことを、私は信じたいと思います。
秋篠宮皇嗣殿下と悠仁親王殿下に申し上げます。
すめらぎいやさか。

2021.
01.
21
《東宮のスサノオ》と呼ばれることになった文仁親王(当時)は、とても元気な赤ちゃんであったようです。
スサノオに例えられるくらいですから、それはもう、派手にぎゃんぎゃん泣く子だったのでしょう。
赤ちゃんは、本当に生まれたときから個性豊かです。
私は3人出産しましたが、《生まれつき》それぞれに全く違う個性を持っていました。
いつもいつも、ふえふえ、ぐずぐずと泣いていて、30分続けて寝てくれれば御の字だった長男。(私は睡眠不足で発狂寸前で家出をしたことが2回ある)
長男と真逆に、5時間ぶっ通しで眠り続ける長女。体重がなかなか増えなくて1年間要観察。(普通、赤ちゃんはお腹が空くと目が覚めておっぱいorミルクを欲しがって泣きますから、新生児のうちは2,3時間で目が覚めるものです)
一番豪快に泣いたのは次男ですが、長男よりは長く寝るのでかなりラクでした。
私から言えるのは、
子は親が育てたようには育たない。
ということです。
日本は、親の責任を問いすぎです。
子供は生まれたときから個性があり、我が子という『種』がどんな風に育ってどんな花を咲かせるのか実を付けるのか、産んだ親でも育ててみないと判りません。
手がかからない子、素直な子、優秀な能力を持つ子、社交性がある子を授かった親は、立派に育った我が子を誇り、自分の育て方が良かったのだと自慢したり、内心でほくそ笑んだり、そういう子育てにならなかった親たちを見下したりしているんでしょうが、そんなもの、たまたま運が良かっただけですよ。
話が逸れましたが、《東宮のスサノオ》と呼ばれる個性を持っていたのは、長男の徳仁親王(当時)ではなく、次男の文仁親王であった、ということです。
神話ではdisられまくっているスサノオ様ですが、長男に次ぐ皇位継承者ですから、それは大切に育てられたのでしょうし、スサノオというあだ名も良い意味で呼ばれていたはずで、力いっぱいに泣く元気な皇子、という微笑ましい視点でしょう。
『赤ちゃんは泣くのが仕事』と言われるくらいですから。
逆に言えば、《東宮のスサノオ》の名は、名付けた側にしてみれば、それだけの意味であって他意は無かったことでしょう。
でも、偶然にも素戔嗚尊の名が付けられたという偶然には、偶然では済まない意味があると私は思います。
何しろ、神様の名前ですからね。
それも、実は皇祖神です。
アレ?天照大神じゃないの??と思われるでしょうけれども、別に皇室の祖神は一柱だけではありません。
オシホミミ尊→ニニギ尊→彦火火出見尊→ウガヤフキアエズ尊→神武帝、みな男系男子・万世一系の歴代天皇に繋がる皇祖であり、オシホミミ尊の1代前の《男神》は素戔嗚尊なのです。
(つづく)
スサノオに例えられるくらいですから、それはもう、派手にぎゃんぎゃん泣く子だったのでしょう。
赤ちゃんは、本当に生まれたときから個性豊かです。
私は3人出産しましたが、《生まれつき》それぞれに全く違う個性を持っていました。
いつもいつも、ふえふえ、ぐずぐずと泣いていて、30分続けて寝てくれれば御の字だった長男。(私は睡眠不足で発狂寸前で家出をしたことが2回ある)
長男と真逆に、5時間ぶっ通しで眠り続ける長女。体重がなかなか増えなくて1年間要観察。(普通、赤ちゃんはお腹が空くと目が覚めておっぱいorミルクを欲しがって泣きますから、新生児のうちは2,3時間で目が覚めるものです)
一番豪快に泣いたのは次男ですが、長男よりは長く寝るのでかなりラクでした。
私から言えるのは、
子は親が育てたようには育たない。
ということです。
日本は、親の責任を問いすぎです。
子供は生まれたときから個性があり、我が子という『種』がどんな風に育ってどんな花を咲かせるのか実を付けるのか、産んだ親でも育ててみないと判りません。
手がかからない子、素直な子、優秀な能力を持つ子、社交性がある子を授かった親は、立派に育った我が子を誇り、自分の育て方が良かったのだと自慢したり、内心でほくそ笑んだり、そういう子育てにならなかった親たちを見下したりしているんでしょうが、そんなもの、たまたま運が良かっただけですよ。
話が逸れましたが、《東宮のスサノオ》と呼ばれる個性を持っていたのは、長男の徳仁親王(当時)ではなく、次男の文仁親王であった、ということです。
神話ではdisられまくっているスサノオ様ですが、長男に次ぐ皇位継承者ですから、それは大切に育てられたのでしょうし、スサノオというあだ名も良い意味で呼ばれていたはずで、力いっぱいに泣く元気な皇子、という微笑ましい視点でしょう。
『赤ちゃんは泣くのが仕事』と言われるくらいですから。
逆に言えば、《東宮のスサノオ》の名は、名付けた側にしてみれば、それだけの意味であって他意は無かったことでしょう。
でも、偶然にも素戔嗚尊の名が付けられたという偶然には、偶然では済まない意味があると私は思います。
何しろ、神様の名前ですからね。
それも、実は皇祖神です。
アレ?天照大神じゃないの??と思われるでしょうけれども、別に皇室の祖神は一柱だけではありません。
オシホミミ尊→ニニギ尊→彦火火出見尊→ウガヤフキアエズ尊→神武帝、みな男系男子・万世一系の歴代天皇に繋がる皇祖であり、オシホミミ尊の1代前の《男神》は素戔嗚尊なのです。
(つづく)

2021.
01.
20
『その1』に引き続き、注意喚起です。
※ 私は今上夫妻を崇敬していません。
※ 美智子妃にも懐疑的です。
※ 今上陛下ご一家のファンの方、美智子妃ファンの方は、読まないことをお勧めします。
※ 警告しましたので、読んで気分が悪くなっても当方は一切責任を負いません。
※ 大丈夫な方のみ以下どうぞ。
------------------------
《令和》の話に戻りますが、昭和帝の皇后の諡号が『香淳皇后』であるように、美智子妃は平成皇后(or皇太后)にはならないし、owd様も令和皇后と呼ばれることはありません。
一世一元と定められた今では、元号は天皇の名と同一であり、昭和が昭和帝の御代とその人生を暗示しているように、平成は上皇陛下の御代と人生を、令和は今上の御代と人生とを暗示しています。
つまり、その程度に
皇后なんて添え物に過ぎないんですよ。
オカルト的にも歴史的事実としても。
そして、添え物であるのが正しいのです。
男系男子が正しき皇統であり、男系でも女性天皇は数少ない例外であったのが、世界一長い王家である日本の皇室の在り方です。
実際、女が出しゃばった時代はろくでもない感じに皇室は荒れています。
昭和帝の皇后は、香淳皇后と諡号され、諱は良子さまとおっしゃいますが、私の世代ですら「そう言えば皇后がいたけど名前何だっけ」な日本人は多いと思います。
そのくらいに、存在感が薄かった。
でも、その存在感の薄さこそが、香淳皇后の高潔な正しさで、日本の象徴たる昭和帝を支えるのに相応しい御方であった証なのです。
戦前、歴代天皇を全暗記していた日本人は相当数いたはずですが、全ての皇后を暗記していた人がいたとしたら、それは学者かマニアだけでしょう。
最高位はボンクラであっても天皇が唯一無二の存在であり、加えて平民出身のowd様は血統としても余所者でしかない。
この辺り、紀子妃殿下は心得ていらっしゃるのでしょう。
常に秋篠宮皇嗣殿下を立て、ろくに働かないボンクラ皇太子と皇太子妃の時代から多忙な日々を送り、献身的に、決して奢らず、国民に尽くしてこられた大和撫子の鑑です。
一方、曲者なのが美智子妃で、この御方は《平民出身で宮中で苛められたお可哀想な美智子様》というイメージキャンペーンをそれは上手く利用した、したたかな妃です。
GHQの後押しのカトリック教徒の嫁、始めは反対していた皇族達が最終的に全員賛成と言わざるを得なかったほどの嫁に、誰が意地悪なんて命知らずなことが出来るんでしょうね?
《姑》となった良子様は、それは昭和帝から誠実に愛された御方です。
はじめはなかなか男児に恵まれず、昭和帝の周囲は側室を取るようにと進言するも、昭和帝は「私には弟たちがいるから貴女が気に病むことは無い」と良子様を労り(嗚呼本当に、弟に皇位を譲りたくないどっかの狭量な男に飲ませる爪の垢を頂きたい)、良子様おひとりだけを生涯愛し抜かれたのです。
そんなにも大切にされた素晴らしい女性が、正直好まない嫁であっても、嫁いびりなんていう卑劣なことをするでしょうか?
長く仕えてくれていた女官と昔話に話を咲かせるのが楽しみでいらした良子様から、その女官を取り上げ解雇したのは、どこぞの鬼嫁であったとかないとか。
良子様は寂しい晩年を過ごされたと聞き及びます。
それから、コウノトリの記事と一緒に頂いた『年始の挨拶のような儀式の際に、通常は天皇皇后が出入りするはずの正門を通ったのは秋篠宮家ご夫妻だった』(ソースnifty)という情報ですが…
ちょっとこれは、どこの正門のことなのかわかりませんので、今上とowd様に何かあった=影武者、という図式が成立するのか否かの判断をするのは躊躇われます。
創価妃が祭祀が大嫌いなのは今更なので、今上だけ行けば良かったのでは?と思うのですが、今上まですっぽかしで皇嗣殿下が代理を務めたということなのでしょうか。
天皇皇后が出入りするはずの門を秋篠宮殿下と妃殿下が通ったとなればアンチに叩かれそうなものですが、この辺りは私が今更どうこうしなくても、多分どっかの掲示板の皇室マニアの方々が、既に考察済だと思います。
今は、色々な事がまだ読めません。
owd家のバックには、半島とシナがいる。在日の外国人は彼らの本国に通じて日本の国益を蝕んでいる。
鍵は、アメリカ大統領選挙です。
シナに加えてバチカンまで介入したという怪情報が飛び交うアメリカ大統領選挙の結末とその後がどうなるのか、それによって日本に素喰う外国人勢力や異教徒その他の勢力図が変わってくるからです。
私は唯一絶対の神は信じませんが、アメリカ国民の多くは聖書に手を置き誓いを述べる人々です。
彼らの神が、どんな裁きを下すのか。
今は、見守りましょう。
※ 私は今上夫妻を崇敬していません。
※ 美智子妃にも懐疑的です。
※ 今上陛下ご一家のファンの方、美智子妃ファンの方は、読まないことをお勧めします。
※ 警告しましたので、読んで気分が悪くなっても当方は一切責任を負いません。
※ 大丈夫な方のみ以下どうぞ。
------------------------
《令和》の話に戻りますが、昭和帝の皇后の諡号が『香淳皇后』であるように、美智子妃は平成皇后(or皇太后)にはならないし、owd様も令和皇后と呼ばれることはありません。
一世一元と定められた今では、元号は天皇の名と同一であり、昭和が昭和帝の御代とその人生を暗示しているように、平成は上皇陛下の御代と人生を、令和は今上の御代と人生とを暗示しています。
つまり、その程度に
皇后なんて添え物に過ぎないんですよ。
オカルト的にも歴史的事実としても。
そして、添え物であるのが正しいのです。
男系男子が正しき皇統であり、男系でも女性天皇は数少ない例外であったのが、世界一長い王家である日本の皇室の在り方です。
実際、女が出しゃばった時代はろくでもない感じに皇室は荒れています。
昭和帝の皇后は、香淳皇后と諡号され、諱は良子さまとおっしゃいますが、私の世代ですら「そう言えば皇后がいたけど名前何だっけ」な日本人は多いと思います。
そのくらいに、存在感が薄かった。
でも、その存在感の薄さこそが、香淳皇后の高潔な正しさで、日本の象徴たる昭和帝を支えるのに相応しい御方であった証なのです。
戦前、歴代天皇を全暗記していた日本人は相当数いたはずですが、全ての皇后を暗記していた人がいたとしたら、それは学者かマニアだけでしょう。
最高位はボンクラであっても天皇が唯一無二の存在であり、加えて平民出身のowd様は血統としても余所者でしかない。
この辺り、紀子妃殿下は心得ていらっしゃるのでしょう。
常に秋篠宮皇嗣殿下を立て、ろくに働かないボンクラ皇太子と皇太子妃の時代から多忙な日々を送り、献身的に、決して奢らず、国民に尽くしてこられた大和撫子の鑑です。
一方、曲者なのが美智子妃で、この御方は《平民出身で宮中で苛められたお可哀想な美智子様》というイメージキャンペーンをそれは上手く利用した、したたかな妃です。
GHQの後押しのカトリック教徒の嫁、始めは反対していた皇族達が最終的に全員賛成と言わざるを得なかったほどの嫁に、誰が意地悪なんて命知らずなことが出来るんでしょうね?
《姑》となった良子様は、それは昭和帝から誠実に愛された御方です。
はじめはなかなか男児に恵まれず、昭和帝の周囲は側室を取るようにと進言するも、昭和帝は「私には弟たちがいるから貴女が気に病むことは無い」と良子様を労り(嗚呼本当に、弟に皇位を譲りたくないどっかの狭量な男に飲ませる爪の垢を頂きたい)、良子様おひとりだけを生涯愛し抜かれたのです。
そんなにも大切にされた素晴らしい女性が、正直好まない嫁であっても、嫁いびりなんていう卑劣なことをするでしょうか?
長く仕えてくれていた女官と昔話に話を咲かせるのが楽しみでいらした良子様から、その女官を取り上げ解雇したのは、どこぞの鬼嫁であったとかないとか。
良子様は寂しい晩年を過ごされたと聞き及びます。
それから、コウノトリの記事と一緒に頂いた『年始の挨拶のような儀式の際に、通常は天皇皇后が出入りするはずの正門を通ったのは秋篠宮家ご夫妻だった』(ソースnifty)という情報ですが…
ちょっとこれは、どこの正門のことなのかわかりませんので、今上とowd様に何かあった=影武者、という図式が成立するのか否かの判断をするのは躊躇われます。
創価妃が祭祀が大嫌いなのは今更なので、今上だけ行けば良かったのでは?と思うのですが、今上まですっぽかしで皇嗣殿下が代理を務めたということなのでしょうか。
天皇皇后が出入りするはずの門を秋篠宮殿下と妃殿下が通ったとなればアンチに叩かれそうなものですが、この辺りは私が今更どうこうしなくても、多分どっかの掲示板の皇室マニアの方々が、既に考察済だと思います。
今は、色々な事がまだ読めません。
owd家のバックには、半島とシナがいる。在日の外国人は彼らの本国に通じて日本の国益を蝕んでいる。
鍵は、アメリカ大統領選挙です。
シナに加えてバチカンまで介入したという怪情報が飛び交うアメリカ大統領選挙の結末とその後がどうなるのか、それによって日本に素喰う外国人勢力や異教徒その他の勢力図が変わってくるからです。
私は唯一絶対の神は信じませんが、アメリカ国民の多くは聖書に手を置き誓いを述べる人々です。
彼らの神が、どんな裁きを下すのか。
今は、見守りましょう。

2021.
01.
19
…という情報を、先日鍵付きメッセージで頂きましたので、返信に代えて記事にすることにしました。
ただし、
※ 私は今上夫妻を崇敬していません。
※ 美智子妃にも懐疑的です。
※ 今上陛下ご一家のファンの方、美智子妃ファンの方は、読まないことをお勧めします。
※ 警告しましたので、読んで気分が悪くなっても当方は一切責任を負いません。
※ 大丈夫な方のみ以下どうぞ。
---------------------------
カテゴリを、皇室にするかオカルトにするか迷いましたが、コメントを頂いた記事が皇室カテゴリの『神嘗祭VS中曽根元首相の合同葬。』シリーズでしたので、この記事も皇室カテゴリにしておきます。
※ 迷う程度に、皇室記事は『オカルト』カテゴリにもありますので、読みたい方はそちらもどうぞ。
※ 『神嘗祭VS中曽根元首相の合同葬。』の頃(奇しくも2020年10月)には、保守派からも「ガースー以外とやるじゃん」と好評価だったのが、最近ではすっかり「ガースーは無能」に変わっています
※ 推測できる事態としては、「ガースーが無能な感じの政策しかとれないように脅している勢力がある」か、「単にメッキが剥がれてきて無能がバレてきた」のどちらかでしょう
本題に入りますが、タイトルのようなニュースが、2020(令和2)年の10月に発表されたとのことです。
私は全く存じませんでしたが、オカルト的には何やら意味がありそうな出来事ではあります。
そのコウノトリは、雌2羽と雄1羽の3きょうだいで、同年7月に巣に帰らず親離れしていました。因みに
令(れい):雄 10/9に死亡(鳴門市大麻町)
和(かず):雌 10/15に死亡(京都府京丹後市)
藍(あい):雌 生存
です。
…何とまあ露骨に今上夫妻と愛子内親王に媚びたというか、あやかってみたというか乗ってみたというか、コウノトリさんには重すぎる命名で、可哀想で胸が痛みます。
オカルト的に単純に読むと、令和が終わり愛子女帝、とかろくでもない未来も推測できます。
ただし、不敬ながら将来《令和天皇》と呼ばれることになるのは今上なので、今上が既に、或いは遠くない未来に崩御か生前退位で、皇室破壊に利用されているお気の毒に過ぎる内親王が、漸く毒親から解放される(これは本当にそう思う)、という読みも出来ます。
現在令和3年1月ですが、実は今上が既に崩御している…のを伏せているのであれば、現在天皇陛下と呼ばれている人物は影武者という、かなり胸くそ悪いことになります。
現在はともかく、生存確実な頃から今上と内親王に影武者がいた、とは思っていますが。
でも、owd様に影武者はいないしいなかった、とも思います。
何故なら、影武者を使う必要が無いくらいあの人だけは身の安全が保証されていて、且つ内親王のように今上夫妻が隠したくて仕方が無い知的障害や自閉症状も無いからです。
バックに自民党の足枷として生き長らえてきた煎餅と、GHQの置き土産の耶蘇教と、反日剥き出しの半島と、アメリカ大統領選挙にすら介入したどっかの赤い国がいるんですから、大統領令が発動できない日本では、ご無事なのに決まっているでしょうよ。
実際、あの人だけ、皇太子妃時代から素です。イメージのブレが無い。
上流階級なら歯並びは綺麗にするのが世界の常識で、今やお笑い芸人でさえ綺麗に整った白い歯をしているというのに、お若い頃からガチャガチャの歯並びで、海外(特に欧米圏)ではさぞ蔑まれていただろうと思うと溜め息が出ます。
人前に出るときには目立ちたいowd様に、基本影武者は必要ありません。
今上を荷物席に押し込めてでも、愛子嬢と並んで座ってお手振りをすることが生き甲斐ですし。
例外的に必要なときがあるとすれば、煎餅教徒にとっては地獄の入口・祭祀関係くらいでしょう。
(つづく)
ただし、
※ 私は今上夫妻を崇敬していません。
※ 美智子妃にも懐疑的です。
※ 今上陛下ご一家のファンの方、美智子妃ファンの方は、読まないことをお勧めします。
※ 警告しましたので、読んで気分が悪くなっても当方は一切責任を負いません。
※ 大丈夫な方のみ以下どうぞ。
---------------------------
カテゴリを、皇室にするかオカルトにするか迷いましたが、コメントを頂いた記事が皇室カテゴリの『神嘗祭VS中曽根元首相の合同葬。』シリーズでしたので、この記事も皇室カテゴリにしておきます。
※ 迷う程度に、皇室記事は『オカルト』カテゴリにもありますので、読みたい方はそちらもどうぞ。
※ 『神嘗祭VS中曽根元首相の合同葬。』の頃(奇しくも2020年10月)には、保守派からも「ガースー以外とやるじゃん」と好評価だったのが、最近ではすっかり「ガースーは無能」に変わっています
※ 推測できる事態としては、「ガースーが無能な感じの政策しかとれないように脅している勢力がある」か、「単にメッキが剥がれてきて無能がバレてきた」のどちらかでしょう
本題に入りますが、タイトルのようなニュースが、2020(令和2)年の10月に発表されたとのことです。
私は全く存じませんでしたが、オカルト的には何やら意味がありそうな出来事ではあります。
そのコウノトリは、雌2羽と雄1羽の3きょうだいで、同年7月に巣に帰らず親離れしていました。因みに
令(れい):雄 10/9に死亡(鳴門市大麻町)
和(かず):雌 10/15に死亡(京都府京丹後市)
藍(あい):雌 生存
です。
…何とまあ露骨に今上夫妻と愛子内親王に媚びたというか、あやかってみたというか乗ってみたというか、コウノトリさんには重すぎる命名で、可哀想で胸が痛みます。
オカルト的に単純に読むと、令和が終わり愛子女帝、とかろくでもない未来も推測できます。
ただし、不敬ながら将来《令和天皇》と呼ばれることになるのは今上なので、今上が既に、或いは遠くない未来に崩御か生前退位で、皇室破壊に利用されているお気の毒に過ぎる内親王が、漸く毒親から解放される(これは本当にそう思う)、という読みも出来ます。
現在令和3年1月ですが、実は今上が既に崩御している…のを伏せているのであれば、現在天皇陛下と呼ばれている人物は影武者という、かなり胸くそ悪いことになります。
現在はともかく、生存確実な頃から今上と内親王に影武者がいた、とは思っていますが。
でも、owd様に影武者はいないしいなかった、とも思います。
何故なら、影武者を使う必要が無いくらいあの人だけは身の安全が保証されていて、且つ内親王のように今上夫妻が隠したくて仕方が無い知的障害や自閉症状も無いからです。
バックに自民党の足枷として生き長らえてきた煎餅と、GHQの置き土産の耶蘇教と、反日剥き出しの半島と、アメリカ大統領選挙にすら介入したどっかの赤い国がいるんですから、大統領令が発動できない日本では、ご無事なのに決まっているでしょうよ。
実際、あの人だけ、皇太子妃時代から素です。イメージのブレが無い。
上流階級なら歯並びは綺麗にするのが世界の常識で、今やお笑い芸人でさえ綺麗に整った白い歯をしているというのに、お若い頃からガチャガチャの歯並びで、海外(特に欧米圏)ではさぞ蔑まれていただろうと思うと溜め息が出ます。
人前に出るときには目立ちたいowd様に、基本影武者は必要ありません。
今上を荷物席に押し込めてでも、愛子嬢と並んで座ってお手振りをすることが生き甲斐ですし。
例外的に必要なときがあるとすれば、煎餅教徒にとっては地獄の入口・祭祀関係くらいでしょう。
(つづく)

2021.
01.
03
三賀日の最終日ですね。尊いお写真をご覧下さい。
秋篠宮皇嗣殿下(礼宮親王殿下)、3歳の御姿です。

う~ん、可愛いです!
成長するとスラリとする礼宮親王殿下ですが、この頃は丸いお顔だったのですね。
とても健康そうで活発そうな御様子と、生き生きとした瞳が何とも印象的です。
断じて貶める訳ではありませんが、自閉症の愛子内親王が、何処を見ているのかわからないようなボンヤリとした表情であったのとは対照的です。
※ 私も自閉の子と健常の子を両方育てたので、自閉と健常児の違いは身を以て存じております。
この先、天真爛漫にお育ちになる礼宮親王殿下は、まるで小さなおひさまのようで、幼き頃から太陽神の系譜である日嗣の御子でいらしたのだと、しみじみと思いました。
そして、礼宮親王殿下の御誕生の折には、とても素敵なエピソードがあります。
出産時、美智子妃殿下が麻酔でウトウトとしているときに、《白い蝶》の夢を見たのだそうです。
白は、神聖な色です。
例えば白蛇は吉兆であり、神の使いとも蛇神自身であるとも言われます。
そして、白は太陽光です。
雨上がりなどに見られる虹は、白い太陽光が7分割(実際にはスペクトラム状ですが赤・橙・黄・緑・青・藍・紫に分類されます)されて現れるものです。
7つの光の光の根源が太陽光であること、そして当時の東宮妃殿下が見た夢が《白い蝶》であったことに、私は不思議な感動を覚えます。
夢占いによると、白い蝶の夢は『清らかさ・神の恵み』という意味があるそうです。天の意志と祝福を感じます。
そして、生まれてきた元気な赤ちゃんには、《東宮のスサノオ》と微笑ましく呼ばれることになるのです。
(つづく)
秋篠宮皇嗣殿下(礼宮親王殿下)、3歳の御姿です。

う~ん、可愛いです!
成長するとスラリとする礼宮親王殿下ですが、この頃は丸いお顔だったのですね。
とても健康そうで活発そうな御様子と、生き生きとした瞳が何とも印象的です。
断じて貶める訳ではありませんが、自閉症の愛子内親王が、何処を見ているのかわからないようなボンヤリとした表情であったのとは対照的です。
※ 私も自閉の子と健常の子を両方育てたので、自閉と健常児の違いは身を以て存じております。
この先、天真爛漫にお育ちになる礼宮親王殿下は、まるで小さなおひさまのようで、幼き頃から太陽神の系譜である日嗣の御子でいらしたのだと、しみじみと思いました。
そして、礼宮親王殿下の御誕生の折には、とても素敵なエピソードがあります。
出産時、美智子妃殿下が麻酔でウトウトとしているときに、《白い蝶》の夢を見たのだそうです。
白は、神聖な色です。
例えば白蛇は吉兆であり、神の使いとも蛇神自身であるとも言われます。
そして、白は太陽光です。
雨上がりなどに見られる虹は、白い太陽光が7分割(実際にはスペクトラム状ですが赤・橙・黄・緑・青・藍・紫に分類されます)されて現れるものです。
7つの光の光の根源が太陽光であること、そして当時の東宮妃殿下が見た夢が《白い蝶》であったことに、私は不思議な感動を覚えます。
夢占いによると、白い蝶の夢は『清らかさ・神の恵み』という意味があるそうです。天の意志と祝福を感じます。
そして、生まれてきた元気な赤ちゃんには、《東宮のスサノオ》と微笑ましく呼ばれることになるのです。
(つづく)

2021.
01.
02
元旦のお話ですが、家族揃って初詣に行って参りました。
その神社は、私の住んでいる土地が某村だった頃、その某村の総鎮守であった神社です。
常駐の神主さんはいらっしゃいますが、さほど大きな神社ではありませんが、良縁・子宝・子育ての諸々の悩みの験で知られる神社なので、どうということのない平日でも、お参りに行くとちらほらと参拝客がいる神社です。
私と夫が結婚した初めてのお正月以来、もう20年以上、元旦の初詣を欠かしたことはありません。
今年は、政府が初詣は12月から散けて行うようにと呼びかけていましたが、我が家は元々混み合いを避けて早朝にお参りするのでノープロブレム。
それに、私は、子供たちが巣立ってゆくまでは、家族全員で元旦にお参りしたいのです。
20年以上続いた初詣。
一度たりとも途切れたことが無いという奇跡を、私は毎年手を合わせて感謝してきました。
例えば、家族の誰かがひとりでも元旦に体調を崩していたなら、この継続は無かったはずなのですから。
「何事もなく家族で年を越せた」から、この20数年があったのです。
私が思うのは、「何事もない」という、一見平凡でしかない日々は、なんと幸福なのだろう、ということです。
事故に遭うことも無く、入院加療が必要な大病を患うことも無く、夫が失職することも無く、3.11でも家が倒壊することも無く、家族で仲睦まじく時を紡いできた、今この瞬間もそうであるということは、私にとって、私達家族にとって、本当に掛け替えのない幸運であり恵みの日々なのです。
「何事もない」「平凡」は、実は当たり前とは程遠い、大きな幸福で、奇跡ですらあります。
昨年は、コロナ禍で休校が相次ぎ、テレワークという在宅勤務が増えました。
つまり、昼間に家族が家に揃う時間が増えました。
夫は不便だと愚痴をこぼしましたし、部活動に行けない子どもは退屈すぎると不満を言いましたが、その程度で済みました。
私が驚いたのは、子供たちの話から聞く、その友人達の地獄です。
不仲な家族であったり、親が毒親だったりする子は、学校やバイト先というのは必須の逃げ場所であったのに、それを奪われて家にいるしか無いという苦痛は、私自身もサバイバーなので、容易に想像がつきます。
家族が仲睦まじいということは、劣悪な家庭環境に身を置く子供、まだ独立の力を蓄えていない若者達にとって、《普通》ではないのです。
だから、私は毎年手を合わせるのです。
今年も家族全員で初詣が叶ったという幸福に感謝に。
そして、また来年もこうして家族でのお参りが叶いますように、という祈りに。
その神社は、私の住んでいる土地が某村だった頃、その某村の総鎮守であった神社です。
常駐の神主さんはいらっしゃいますが、さほど大きな神社ではありませんが、良縁・子宝・子育ての諸々の悩みの験で知られる神社なので、どうということのない平日でも、お参りに行くとちらほらと参拝客がいる神社です。
私と夫が結婚した初めてのお正月以来、もう20年以上、元旦の初詣を欠かしたことはありません。
今年は、政府が初詣は12月から散けて行うようにと呼びかけていましたが、我が家は元々混み合いを避けて早朝にお参りするのでノープロブレム。
それに、私は、子供たちが巣立ってゆくまでは、家族全員で元旦にお参りしたいのです。
20年以上続いた初詣。
一度たりとも途切れたことが無いという奇跡を、私は毎年手を合わせて感謝してきました。
例えば、家族の誰かがひとりでも元旦に体調を崩していたなら、この継続は無かったはずなのですから。
「何事もなく家族で年を越せた」から、この20数年があったのです。
私が思うのは、「何事もない」という、一見平凡でしかない日々は、なんと幸福なのだろう、ということです。
事故に遭うことも無く、入院加療が必要な大病を患うことも無く、夫が失職することも無く、3.11でも家が倒壊することも無く、家族で仲睦まじく時を紡いできた、今この瞬間もそうであるということは、私にとって、私達家族にとって、本当に掛け替えのない幸運であり恵みの日々なのです。
「何事もない」「平凡」は、実は当たり前とは程遠い、大きな幸福で、奇跡ですらあります。
昨年は、コロナ禍で休校が相次ぎ、テレワークという在宅勤務が増えました。
つまり、昼間に家族が家に揃う時間が増えました。
夫は不便だと愚痴をこぼしましたし、部活動に行けない子どもは退屈すぎると不満を言いましたが、その程度で済みました。
私が驚いたのは、子供たちの話から聞く、その友人達の地獄です。
不仲な家族であったり、親が毒親だったりする子は、学校やバイト先というのは必須の逃げ場所であったのに、それを奪われて家にいるしか無いという苦痛は、私自身もサバイバーなので、容易に想像がつきます。
家族が仲睦まじいということは、劣悪な家庭環境に身を置く子供、まだ独立の力を蓄えていない若者達にとって、《普通》ではないのです。
だから、私は毎年手を合わせるのです。
今年も家族全員で初詣が叶ったという幸福に感謝に。
そして、また来年もこうして家族でのお参りが叶いますように、という祈りに。

2021.
01.
01