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2020. 10. 31  
※ その1~3に続いて警告を貼らせて頂きます。

※ 私は、上皇后様という方が、本当にその称号に相応しいひとなのか、疑念を持っています。

※ 上皇后様を尊敬・崇敬している人は、読まないことをお勧めします。

※ 今上一家のファンも読まない方がいいです。

※ 警告致しましたので、読んで気分が悪くなっても当方は一切責任を負いません。

※ 大丈夫な方のみ以下どうぞ。





当時皇太子であった明仁親王は恋愛結婚のつもりでも、これはGHQが仕掛けたハニートラップであり、正田美智子氏は皇室に入り込むことでジワジワと皇室を侵蝕し、崩壊させる使命を持っていた。

GHQの決定で、宮家は『旧宮家』という平民となり、皇族ではなくなりました。
それまで通りに皇室を維持するのには金がかかりすぎる、という理由で削られたようですが、後付けでしょう。
お金をかける価値があるならば、かければ良いのです。

昭和天皇は、当時の国民からの敬愛が深い故に、排除するのは支配を上手くやりたいアメリカとしては得策ではないと判断し、取り敢えずは残した。
でも、本当は日本人の心をひとつにまとめることが出来る天皇という存在が、邪魔であることは変わらない。

GHQにとって、多くの宮家は価値が無いばかりか邪魔な存在です。
彼らを皇族から外してしまえば、いずれ皇室は皇位継承権を持つ男子を確保するのに難儀するようになるという、という長い時間をかけた《皇室消滅計画》がGHQの狙いでしょう。

現に今、後継者不足の状態に陥っており、女系天皇だの女性宮家だのという造語が叫ばれ万世一系を破壊したい輩が勢い付いている。

※ 現在五月蠅い皇室解体勢力は、大陸・半島・草加がメインのようですが、基督教左派もいて、お互い手を組んでいるのでしょう

数多くの宮家が存在し、一夫多妻であった時代でさえ、何度か皇室は継承者不在の危機に見舞われています。
大正時代に側室制度を廃止している上に宮家を削られた皇室は、遅かれ速かれ後継者不足になるというのがGHQの目論見であり、とどめのように神道や仏教を捨てたカトリックの女を皇太子妃として送り込んだ。

皇太子妃とは、未来の皇后であり、国母となる存在です。
そして、実際にそうなった。
正田美智子氏は、若く美しい時代から老婆になるまで、その使命に忠実であり熱心であり続けた。

恐ろしい執念です。それが正田美智子の《正義》です。

神道に改宗している訳がない。


(つづく)

2020. 10. 30  
※ その1・2に続いて警告を貼らせて頂きます。

※ 私は、上皇后様という方が、本当にその称号に相応しいひとなのか、疑念を持っています。

※ 上皇后様を尊敬・崇敬している人は、読まないことをお勧めします。

※ 今上一家のファンも読まない方がいいです。

※ 警告致しましたので、読んで気分が悪くなっても当方は一切責任を負いません。

※ 大丈夫な方のみ以下どうぞ。






不幸中の幸いにも回避されましたが、昭和帝をキリスト教徒に改宗させる動きもありました。

欧米のキリスト教国は、被征服民を取り込むには土着の信仰を排除して、キリスト教に改宗させるのが非常に有効な侵略手段だと知っています。

昭和帝がとても大事にしていた日嗣の御子・明仁親王の妃に、《キリスト教徒の正田美智子》が入り込んだのは、偶然にしては出来すぎています。

皇太子妃の候補としては、前例に従ってやんごとなき血筋の令嬢方のお名前が上がっていましたが、平民(というのが当時の感覚)の正田美智子氏は、無名の存在でした。

それが、『毎日新聞』の記者にスクープされた。
報道規制があったのにも関わらず『週刊女性』が正田美智子皇太子妃決定と報道した。

現在、毎日新聞(というかほぼ全部の新聞)は反日であり、女性誌は女系天皇推しに忙しい。

当時の皇族・旧皇族の方々は、始めは誰もがこの縁談に大反対したけれども、最終的には皆賛成に回り、皇室会議(議長:内閣総理大臣・岸信介)において満場一致で可決しました。

昭和帝ですら、GHQに逆らうことなど出来なかったのに、天皇より下位の皇族や旧皇族の方々ならば、黙らざるを得なかったことでしょう。

つまり、正田美智子氏は、GHQによって送り込まれたキリスト教の妃である可能性が非常に高い。


(つづく)

2020. 10. 29  
何故東北鎮護なのか、については祭神や歴史から考察しなければわからないので、志和稲荷神社の祭神ですが、

宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)

全部『大神』ですね。
同じ境内にある志波彦神社と鹽竈神社の祭神が、前者は『大神』、後者は『神』と差を付けられているのですけれども、この稲荷神社ではその差を設けていないようです。

ただし、稲荷神社を名乗る以上は、表記くらいはウカノミタマ神をトップに持ってこなければ稲荷神社として「?」なので、そうなったのでしょうか。

大宮能売…とは初見の神名だな、と東北住まいで関西に足を運んだことは2回しかない私は思ったのですが、神社巡りが好きな人なら、普通に知っていそうな女神でした。

伏見稲荷神社という超有名どころに祀られている女神様なので。

伏見稲荷神社でも、主祭神の宇迦之御魂大神と同じように、大宮能売大神であり、記紀神話に登場する訳でもないのに重要な女神であることが窺えます。

そして、大宮能売について調べてみますと(Wikipediaオオミヤノメより引用)

・『延喜式神名帳』と『古語拾遺』では大宮売神(おおみやのめのかみ)、伏見稲荷大社では大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)と表記する。宮殿の平安を守る女神である。

・『古事記』や『日本書紀』には記されないが、『古語拾遺』に太玉命の子として登場する。天岩戸から新殿に移った天照大神に侍女として仕えたとされ、内侍(女官)が善言美詞(麗しい言葉)を駆使して君臣の間を和らげるような働きをしたと記されている。

・神祇官で祀られた天皇守護の八神のうちの一柱として、朝廷で重視された女神である。

・江戸時代の国学者・平田篤胤は『宮比神御伝記』で、伊勢神宮内宮に祀られる宮比神(みやびのかみ)は、オオミヤノメまたはアメノウズメ(芸能の女神)の別名であると説いている。祐徳稲荷神社や志和稲荷神社でもオオミヤノメをアメノウズメに当てており、技芸上達の神としている。

(引用終了)

そう。志和稲荷神社公式HPでも、大宮能売大神=アメノウズメということになっています。
そして、アメノウズメという女神は、コノハナサクヤヒメもそうなのですが、宮城県の『しわ』に、非常に関わりが深い神です。

『志波姫神社』の志波姫神隠しに、アメノウズメ又はコノハナサクヤヒメが上書きされているのです。

だから、かろうじて『志波姫神社』と神社名としては志波姫が3社残されていても、3社のいずれにも、祭神に志波姫神の名前は無く、志波姫神は徹底的に葬られているのです。

(つづく)

2020. 10. 28  
さて、ちょっと毒消しに、神社の話をしましょう。

皇室の内情暴きの記事は、書いていて非常に疲れるんですよ。
毒電波食らったのかよ的なダメージを受けることがあるので。

そういう訳で、しばらく前にコメントを頂いた、岩手県紫波郡紫波町にある『志和稲荷神社』に付いてです。

私は、稲荷神社というのは全国的に非常に多いので、単に『しわ』にある稲荷神社なのだろうと、あまり重要視しておらず、詳しく調べていませんでした。
その点で『志賀理和氣神社』という、いかにも変わった名前の神社の方が、塩竈神社や志波彦神に関連が深いだろうという先入観があったのです。

『しわ』の原形をさかのぼると、『しは』←『しか』であり、滋賀県の『しが』のように『志賀』の名を残している志賀理和気神社の方が古かろうと言う推測もありましたので。

でも、『志和稲荷神社』には、公式HPがある程度に、志賀理和気神社よりも規模が大きいのです。
そして、気になる祭神、以上に真っ先に私の目を引いたのは、堂々と

東北総鎮護 志和稲荷神社

と表記しているという事です。

へぇ…

塩竈神社の真の祭神を祀る志波彦神社でさえ、授かるお札には『東北鎮護』としか記されていないのに?

尤も、『東北鎮護』は乙札で、甲札の方には『総鎮守』と書かれているのですが。(塩竈神社も乙札・甲札ともに『総鎮守』)

現在の塩竈神社より格上の志波彦神社でさえ『東北鎮護』なのに、ウカノミタマという稲荷神を最上位に置いている志和稲荷神社が『東北鎮護』?

ほ~…
いい度胸してるじゃないか、志和稲荷神社。

面白いね。

(つづく)

2020. 10. 27  
※ その1に続いて警告を貼らせて頂きます。

※ 私は、上皇后様という方が、本当にその称号に相応しいひとなのか、疑念を持っています。

※ 上皇后様を尊敬・崇敬している人は、読まないことをお勧めします。

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※ 警告致しましたので、読んで気分が悪くなっても当方は一切責任を負いません。

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「今まで出来ていたことは『授かって』いたこと。出来なくなったことは『お返しした』ということ」

美智子妃のこの言葉は、確かに美しい。
でも、これは皇族の神道の発想とは程遠い。ズバリ言いますが、

これキリスト教徒の発想じゃないの?

全てのものは、唯一無二にして全知全能の神が与えて下さる。
そして、高き所におわす神の意志は、人間が推し量れるものではない。
どんな辛い目に遭っても、神の御心のままにと受容して、神の愛を信じなさい。

……というような。

美しいですね。踏み絵を拒否して殉教した日本人が数多存在したのも頷ける。
でも、殉教した方々を決して侮辱する意図はありませんが、これは洗脳による狂気ですよ。

弟子の密告によって捕虜となり、ユダヤ王を詐称したという罪で、棘の付いた鞭で打たれ拷問を受けても、処刑場へ向かう道のりで人々から罵倒され石を投げられても、十字架に磔の刑に処されて死んでしまっても、イエス・キリストは全ての人間を愛したままであったというのに、踏み絵を踏んだ如きで罰を与えるなんて有り得ないことくらいすぐに解るでしょうに、宣教師達はそれを素朴な日本人に教えなかった。

あろうことか、キリスト教圏の権力者は、キリスト教者だけが何をしても許されると曲解し、利用した。

異教徒を屈服させるために、何度も十字軍を送った。
大航海時代とやらは、世界的な大侵略時代だった。

その大侵略にお墨付きを与えたのはローマ教皇です。

異教徒の国も土地も、好きに切り取り植民地にして良い。
異教徒の人間は奴隷にしても良い。

その大侵略時代は日本の戦国時代にあたり、その時期に南北アメリカ大陸やアフリカ大陸は侵略され、国も文明も滅ぼされ、奴隷として牛馬の如きに売買された。

日本は征服はされませんでしたが、宣教師達の手で数多くの日本人が奴隷となり、海外へと連れ去られました。

これ、学校の教科書には全く載っていませんけどね。
キリスト教国で戦勝国のアメリカは、そんな暴力は伏せたいのに決まっていますから。


(つづく)

2020. 10. 26  
※ 私は、上皇后様という方が、本当にその称号に相応しいひとなのか、疑念を持っています。

※ 上皇后様を尊敬・崇敬している人は、読まないことをお勧めします。

※ 今上一家のファンも読まない方がいいです。

※ 警告致しましたので、読んで気分が悪くなっても当方は一切責任を負いません。

※ 大丈夫な方のみ以下どうぞ。





何日か前のTwitterで、多くの人がむやみに感動している記事を見ました。
どうやら、10月20日が、お誕生日であったらしく。
※ などと今更気付く程度に、私は美智子妃を尊敬していない

美智子妃が、ホルモン療法による指のこわばりで以前のようにピアノが弾けなくなったことについて、

「今まで出来ていたことは『授かって』いたこと。出来なくなったことは『お返しした』ということ」

確かに、美しい言葉ですね。
これについては、私自身も全面的に認めます。多くの人が感動するのもさもありなん。

でも、この美智子妃の言について、皇室は神道だが、(いい意味で)仏教的なものを感じる、というツイを見たとき、

それ違うんじゃね?

と、私は思ったんですよね。
多くの日本人が感動した程度に、私が感動はしなかったけれども新鮮で美しいと感じた程度に、

これ普通の日本人の発想じゃないんですよ。

確かに、日本でも天賦の才(中国由来が根付いたのか?)とか「子供は授かりもの」などという観念はありますが、何らかの事情で天賦の才が失われれば悲劇なのだし、子に先立たれたら泣き悲しむのが普通で、神様or仏様にお返しした、などとは言いません。

私がここで言う普通の日本人とは、神道を信じる人、仏教徒、そして正月に神社に初詣に行ってお盆にはお墓参りするような、さりげなく神と仏が混じり合う世界に生きていてどっちか判らないとか、無宗教じゃね?とか思ってしまうような、マジョリティの日本人のことです。確固たる信仰を持っている人を差別している訳ではありません。

ちなみに、日本で無宗教だと思っている人の殆どは、実は無宗教ではないんです。

無宗教とは、どんな宗教の《神》であれ存在しないと斬って捨てる、攻撃的と言っていいくらい強い拒否です。
ほわほわ~と、何となく神社やお墓に手を合わせてしまうそこの貴方、貴方は無宗教と呼ぶには徹底した拒否が欠落しています。

そんなほわほわ~が大部分の日本人の中で、「私は神道です仏教は信じません」とか「私は仏教です神社には詣でません」とかいう強い信心を持っている人は稀です。
でも、神道と仏教なら、遙かな昔から日本に根付いているものであって、稀であっても普通でないとは言い切れません。

そんな日本にあって、
「私はキリスト教徒です」と言い切れる人は、「私は創@学会信者です」というのと同じくらい異質なんですよ。

は?@価学会!?そんな怪しげなカルトと一緒にするな!!と、お怒りになったキリスト教徒の皆さん、すみません。
でもね。

草加学会ですら、末端の信者は、それは素朴で敬虔な人々であって、可哀想なくらい純粋です。
そして、信仰しなければ地獄に堕ちるor神の救いで天国には行けないと思っているのも、他の一神教と同じです。
だから一神教は全部カルトと言う人までいる。

祖霊信仰を持ち、万物に神が宿り、トイレにまで神様がいる日本では、《絶対の唯一の神》に強い信仰を持っていること自体が、日本人としてはかなり異質なのです。

私は、それがダメだと言っている訳ではありません。
単に、

天皇の妻としては甚だしく相応しくなかった、と思っているだけです。

(つづく)

2020. 10. 25  
2020年3月発行という、歴史本としては最新に近い本で、根拠とする情報も新しいというのが、私のような素人には非常にありがたい本です。

歴史の常識は、結構とんでもなくひっくり返ります。
大体、数十年前、私が中学生だった頃は、弥生時代は前3世紀~後3世紀でした。(始まりも終わりも3だったので、分かりやすいな~と思ったので覚えていました)

それが、今では弥生時代は前10世紀~となっているんですから、「いつの間にそんなんなってたんだよ!!」という感じです。
実際、今まで読んできた歴史本も、前3世紀~後3世紀の《定説》で書かれていた本は何冊もありました。

神話でも古代史でも出雲ファンの私のバイブル『アユノカゼの文化史 -出雲王権と海人文化-』という本も、2001年発行…というと私としては21世紀になったのなんて昨日じゃん、みたいな気がしてしまうのですが、実はもう約20年前の本であり、20年前の情報であるということです。
※ それでも読む価値は高いです。お勧めです。絶版で中古を探すしかありませんが是非!

さて、タイトルの本は、国際的な弁護士が書いた歴史本という異色の書です。

だから、タイトル通りに《定説》を覆すことに、何の躊躇いも持たずに、弁護士らしく古い情報から新しい情報まで徹底的に集め、覚え、そして証拠を積み重ねて

渡来ドグマというものから、日本の古代史をどんどん解放し、再評価してゆきます。

渡来ドグマというのは、古代日本は未開の地で、優れた技術も高い文化を持つ人間も何でもかんでも中国大陸or朝鮮から来たというアレです。

私は、既に何冊か『日本の縄文文化はかなり先進的なものだった』という内容の本を読んでおり、中学時代に習ったような『原始的な未開の地・日本』ではなかった事を知っていましたが、いまだに渡来人が大挙して押し寄せたという《定説》は根強いです。

私は、それ、違うんじゃね?と思っていても、根拠を語れと言われれば言葉に詰まる程度に素人なんですけれども、私の代わりにこの本が理路整然と説明してくれています。

また、古代の《優れた日本》を語っている本は、嫌韓・反中共の人が書いていることがままありますので、まあ私も半島とも中共とも是非とも縁を切りたいと思ってはいるのですが、歴史本としては冷静に、一歩引いて読まなければならないという困惑もありました。
でも、こちらの本は、あとがきから抜粋しますが

『日本文化は国際的には特異な文化である。優れた部分もそうでない部分もある』
『日本の文化の優れた部分を伸ばし、そうでない部分を改善するには、日本の歴史の真実を知る必要がある』


という、国際的な弁護士らしい冷静な信念で記されています。

ただ、冷静な信念と言っても、畑違いの分野にのめり込むのには情熱も必要だったようで、私はあまり興味を持っていない

『邪馬台国はどこにあったか』について2章目を費やしています。

※ この本は3章構成なので、かなり著者が書きたかったテーマなのでしょう

出雲にはサラッと触れていますが、サラッと、ですね。
その辺り、私には不満がありますけれども、邪馬台国やヤマト王朝の興りに興味がある人は楽しめると思います。

難しい地名その他にふりがなが欲しかった…とは思いますが、文体は非常に読み易い良文だと思います。
※ 文系の学者なのに悪文、というのは結構あって、文学部卒の私は何度となくキレそうになったことがあります

そういう訳で、良書としてお勧めしたいと思います。


2020. 10. 24  
志賀理和気神社の七柱の祭神は、元々はタケミカヅチ神とフツヌシ神の二柱で、ほかの五柱は後から合祀と見られているようですが、違うと思います。

元々、この地には船霊信仰があったのだと思います。
そこに、大和朝廷の勢力拡大で鹿島と香取の神が祀られ、船霊神は退けられた。その後に大己貴神・少彦名神 ・保食神 ・猿田彦神 が来たのだと思います。

『赤石さん』こと船霊神には非常なる災難でしたが、その名を葬られずに済んだのは、不幸中の幸いでした。
『しおがまさん』からは、志波彦神は追い出されてしまい、明治の世に冠川のほとりで発見されたときには、そのお社は無惨に荒れ果てていたのですから。
志賀理和気神社には赤石という船霊の『御神体』が存在したので、無下には出来なかったのかもしれません。

ただし、志賀理和気神社にも、名前ごと葬られた神はいらしたのではないか。

何故なら、塩竈神社の別宮の祭神と同神と見なされているサルタヒコ神が合祀されているからです。

この地は『シワ/シハ』です。
志波彦神または志波姫神が祀られていても全く不思議は無いのに、その名を冠する神社も祀っている神社も存在しない。

ならば、志賀理和気神社には、船霊神と共に志波彦神か志波姫神が祀られていたのに、塩竈神社同様に葬られたのだと思います。

或いは、上記リンク先の説を採って船霊神が女神だとするなら、船霊神=志波姫神で、志波彦神に被せられたのがサルタヒコ神なのかもしれません。

いずれであっても、どうして、こんなにも『志波彦』と『志波姫』の名は消されなければならなかったのでしょうか?
この迫害ぶりは、瀬織津姫とどっこいか、それ以上です。
よほど、大和朝廷に都合の悪い神であったとみえる。

ところで、志賀理和気神社には、かなり肝心な書の中で、一切の捻りの無い、「まんまじゃん」という祭神の名が残されています。

『日本文徳天皇実録』仁寿2年(852年)8月7日、正五位下  志賀理和気神

少なくとも、852年辺りまでは、志賀理和気神社の祭神は『志賀理和気神』であり、タケミカヅチ神とフツヌシ神にすり替えられてはいないことが判ります。

そして、船霊命もまだ存在していない。
『しわ/しは』の神の名は既に消されている。

8世紀半ばには問題なく認められていたのに現在の祭神から消えている志賀理和気神とは、どんな神なのでしょうか。

(つづく)

2020. 10. 23  
眞子内親王殿下、お誕生日おめでとうございます。

貴女様に相応しい、本当に誠実な男性の元に降嫁して、お幸せになりますよう、心から願っております。







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純真な姫を罠にかけ、花の時代を棒に振らせた輩全員に神罰が下りますように……







2020. 10. 23  
磐座信仰と言っても、その背景にある感覚が同じとは限らないと思います。
ただし、確実に言えるのは、『巨石に乗って神が降りてくる』という信仰が存在したということです。

一番有名なのは、ニギハヤヒが天磐船(あめのいわふね)でヤマトの地に降ったという記述でしょうか。

そして、日本書紀の本文にあるのに、案外見過ごされているような気がするのは、

>(月神の)次に蛭児(ヒルコ)を生んだ。
>三年経っても足が立たなかった。
>だから天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)に乗せて、風のままに放流した。

※ 月神の前は日神。実は天照大御神の名は『別の言い伝え』という異伝扱いであり、月神の『ヅクヨミ』の名も同様なのが色々怪しい
※ 櫲樟=楠(クスノキ):腐敗や虫害に強く、古代の丸木舟から後世は江戸時代まで軍船の材料に用いられた
※ 異伝では『鳥磐櫲樟橡船』(とりのいわくすふね)

……という、実はかなり立派な船に乗って去っているんですよね。
因みに、古事記での描写は葦船(あしふね)という何とも頼りない、捨てられっ子感が満々なのですが、正史として編纂された日本書紀の本文に、ヒルコの船が『天磐櫲樟船』であったというのは、重要視していいと思います。

※ 横道に逸れますがヒルコが名前からして太陽神で、船に乗って空を渡っているという信仰があったと私は考えています

そして、『赤石さん』こと志賀理和気神社神社ですが、タケミカヅチ神とフツヌシ神の他にも、非常に興味深い神が祀られています。

船靈命(船霊/ふなだまのみこと)

多分、記紀には出てこない神様…ですよね?
でも、何でも見つかるWikipediaに船霊(ふなだま)という、船霊神信仰が編集されています。

その信仰は内陸部に及んでいるというのも、非常に興味深いです。
川伝いに内陸に入り移住した日本各地の海人族の歴史と一致します。

wikiには、《海の民が航海の安全を願う神》とされていますが、元は違うと思います。
船霊という字面通りに、船=神です。

ヒルコの天磐櫲樟船は、天磐櫲樟船という表記があるとおりに、神が乗る船であると同時に船という神なのです。

船は船霊という神が宿る神聖なものであり、結果的に船霊神が航海安全祈願をされることになったのでしょう。

(つづく)

プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
ホlツlマlツタヱ・富l家l伝承・徐l福l伝l承・日lユl同l祖l論・アlイlヌl先l住l民族説お断り。

定義山西方寺を崇敬。秋篠宮家と伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。
透明水彩絵師。

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