2020.
08.
31
こうしてみると、いずれの『志波姫神社』からも志波姫神の名は消去されている訳で、志波彦神が冠を落とした故に冠川(かむりがわ/七北田川)という伝説が残るその川の近くに『志波彦神社』があり、祭神も志波彦神のままであった、志波彦神の方が、まだマシな扱いだったと言えるかもしれません。
それに、私は『志波彦神が塩釜から追い出されて遷座された』のではなく、塩釜神社の祭神から志波彦神が外された事とは関係なく、元から冠川の伝説通りにその場所に志波彦神社は存在していたのだと思っています。
だって、すっかり荒れ果てていた岩切の志波彦神社から『塩釜神社境内に遷座し直して立派な志波彦神社を創建した』のなら、現在も元の場所(八坂神社境内)に『冠川神社』として志波彦神を祭神とする神社を残す理由がないじゃないですか。
元々冠川のほとりにいらしたから、そちらにおわす志波彦神の神社も綺麗にして、きちんと祀るようにしたのだと思いますし、もう少し上流に(七北田川近く)に『石留神社』(志波彦神が乗る馬がこの石に蹴躓いたので、冠を川に落っことした、と言われるその石が、何故か御神体として祀られている)があるのですから、冠川沿いに志波彦神社も存在するというのは、ごく自然なことだと思うのです。
斯様に、志波彦神は、迫害はされたけれども志波姫神ほど徹底的に排除された訳ではなかった、のではないでしょうか。
どうして、志波姫神だけが跡形も無く消されたのでしょうね?
瀬織津姫も、これでもかというほどあちこちの神社からその名を消されましたが、どうして女神は迫害されるのでしょうか…
理由はわかりませんが、この神社からも志波姫神が消されたんだろうな、と私が推定する神社が、もうひとつあります。
現在の仙台市若林区に『志波町』という町があります。
隣接する宮千代(宮城野区)という地域に幼稚園があって、私はそのOGなんですけれども、今思えば住所は宮千代なのに志波幼稚園とは、是如何に。
近くには『志波北公園』もある。
幼少時のあやふやな記憶によると、宮千代は3丁目まであったのですが、『宮千代』の名の由来になった宮千代塚の美少年(だったらしい)の伝説は、冠川の志波彦神の伝説とは比べものにならないほど新しい。
多分、区画整理されて宮千代1~3丁目になった地域は、元は『志波』に含まれていて、『志波』はもっと広かったのではないか?
そして、その『志波』のどこかに、志波彦神か志波姫神を祀る神社があったのではないか?
今は、ありません。どちらも。
でも、気になる神社があります。
それは、宮千代1丁目にある、『姥神社/うばじんじゃ』
祭神は、伊豆佐賣(売)神(いずさめ)という、謎の女神。
(つづく)
それに、私は『志波彦神が塩釜から追い出されて遷座された』のではなく、塩釜神社の祭神から志波彦神が外された事とは関係なく、元から冠川の伝説通りにその場所に志波彦神社は存在していたのだと思っています。
だって、すっかり荒れ果てていた岩切の志波彦神社から『塩釜神社境内に遷座し直して立派な志波彦神社を創建した』のなら、現在も元の場所(八坂神社境内)に『冠川神社』として志波彦神を祭神とする神社を残す理由がないじゃないですか。
元々冠川のほとりにいらしたから、そちらにおわす志波彦神の神社も綺麗にして、きちんと祀るようにしたのだと思いますし、もう少し上流に(七北田川近く)に『石留神社』(志波彦神が乗る馬がこの石に蹴躓いたので、冠を川に落っことした、と言われるその石が、何故か御神体として祀られている)があるのですから、冠川沿いに志波彦神社も存在するというのは、ごく自然なことだと思うのです。
斯様に、志波彦神は、迫害はされたけれども志波姫神ほど徹底的に排除された訳ではなかった、のではないでしょうか。
どうして、志波姫神だけが跡形も無く消されたのでしょうね?
瀬織津姫も、これでもかというほどあちこちの神社からその名を消されましたが、どうして女神は迫害されるのでしょうか…
理由はわかりませんが、この神社からも志波姫神が消されたんだろうな、と私が推定する神社が、もうひとつあります。
現在の仙台市若林区に『志波町』という町があります。
隣接する宮千代(宮城野区)という地域に幼稚園があって、私はそのOGなんですけれども、今思えば住所は宮千代なのに志波幼稚園とは、是如何に。
近くには『志波北公園』もある。
幼少時のあやふやな記憶によると、宮千代は3丁目まであったのですが、『宮千代』の名の由来になった宮千代塚の美少年(だったらしい)の伝説は、冠川の志波彦神の伝説とは比べものにならないほど新しい。
多分、区画整理されて宮千代1~3丁目になった地域は、元は『志波』に含まれていて、『志波』はもっと広かったのではないか?
そして、その『志波』のどこかに、志波彦神か志波姫神を祀る神社があったのではないか?
今は、ありません。どちらも。
でも、気になる神社があります。
それは、宮千代1丁目にある、『姥神社/うばじんじゃ』
祭神は、伊豆佐賣(売)神(いずさめ)という、謎の女神。
(つづく)

2020.
08.
30
※ 中4日空けましたので、前回の『その14』は 20/08/25 の記事になります。
何故、志波姫神をアメノウズメで隠すのが技アリなのか?
それは、江戸時代に記され、第四代伊達綱村公が鹽竈神社のお社を建て替える際に参考にした『鹽竈神社縁起』を読めばわかります。大体。
大体、というのは、この鹽竈神社縁起が、漢文で書かれているから(しかも毛筆)です。(白目)
江戸時代の書状にありがちな、崩しまくった文字ではないのは幸いでしたが、私には読めないところもありまして、せっかくコメ欄で読者さんに教えて貰った『特別展 奥州一宮 鹽竈神社』の図録を古本で入手したのに、力尽きてほかのページをろくに読んでいない(←読めよ自分)という次第。
でも、とりあえず、4つは確実にわかりました。
1.左宮・右宮・別宮の順で祭神が記され、上座の左宮を始めに持ってきたとおりに、格は左宮・右宮・別宮の順であり、現在主祭神のお宮とされ、別宮の別は特別の別、という言い訳は、鹽竈神社縁起を基準とするなら全くの嘘だということ。
2.別宮の祭神は、現在表に出されているシオツチノオジではなく、『岐神/くなとのかみ』であるということ。
3.しかし、『塩釜六所明神』(所、でいいのか?)とも言う、猿田彦(サルタヒコ)・事勝国勝長狭(コトカツクニカツナガサ)・塩土老翁(シオツチノオジ)・岐神・興玉命(オキタマ)・太田命(オオタ)の六座が同体である、とされていること。
※ 江戸時代は神仏習合の都合で、祭神は『塩釜六所明神』であったと思われる
※ だったら、トップに持ってきた猿田彦を主祭神の表記にすればいいのに、どうして岐神の名を選んだのは不明。
4.『延喜式』記載の名神大社・志波彦神社の『志波/シハ、と読んだらしい』は『志保/シホ』と音が似ておりシオツチノオジと同義であり、栗原郡の志波姫神社も同体の神である、と記している。
……つまり、
江戸時代の時点で既に志波彦神社(岩切・冠川の近く)と志波姫神社(栗原郡の志波姫)は存在した、ということであり、『志波彦神』と『志波姫神』の名は把握されていた。
にもかかわらず、その名は『同体』の理屈で秘された。
色々ツッコミどころがあるのですが、まずは志波姫神→天鈿女命への取り替えは、別宮の岐神と同体とされる神の中に『猿田彦』が含まれるから、という流れだと思います。
サルタヒコは、降臨した天孫一行の道案内をした神で、一行の中にいたアメノウズメはサルタヒコの妻になっています。
それ故に、アメノウズメの子孫は『猿女君/さるめのきみ』と呼ばれることになります。
だから、志波姫神の名前は隠され、上に猿女こと天鈿女命が被せられた、という順序なのでしょう。
別に、アメノウズメは猿女であっても猿田彦と同体ではないのですが、志波姫神が志波彦神の妻神であるという認識があったから、志波姫神社の祭神はサルタヒコではなくアメノウズメなのだと思います。
(つづく)
何故、志波姫神をアメノウズメで隠すのが技アリなのか?
それは、江戸時代に記され、第四代伊達綱村公が鹽竈神社のお社を建て替える際に参考にした『鹽竈神社縁起』を読めばわかります。大体。
大体、というのは、この鹽竈神社縁起が、漢文で書かれているから(しかも毛筆)です。(白目)
江戸時代の書状にありがちな、崩しまくった文字ではないのは幸いでしたが、私には読めないところもありまして、せっかくコメ欄で読者さんに教えて貰った『特別展 奥州一宮 鹽竈神社』の図録を古本で入手したのに、力尽きてほかのページをろくに読んでいない(←読めよ自分)という次第。
でも、とりあえず、4つは確実にわかりました。
1.左宮・右宮・別宮の順で祭神が記され、上座の左宮を始めに持ってきたとおりに、格は左宮・右宮・別宮の順であり、現在主祭神のお宮とされ、別宮の別は特別の別、という言い訳は、鹽竈神社縁起を基準とするなら全くの嘘だということ。
2.別宮の祭神は、現在表に出されているシオツチノオジではなく、『岐神/くなとのかみ』であるということ。
3.しかし、『塩釜六所明神』(所、でいいのか?)とも言う、猿田彦(サルタヒコ)・事勝国勝長狭(コトカツクニカツナガサ)・塩土老翁(シオツチノオジ)・岐神・興玉命(オキタマ)・太田命(オオタ)の六座が同体である、とされていること。
※ 江戸時代は神仏習合の都合で、祭神は『塩釜六所明神』であったと思われる
※ だったら、トップに持ってきた猿田彦を主祭神の表記にすればいいのに、どうして岐神の名を選んだのは不明。
4.『延喜式』記載の名神大社・志波彦神社の『志波/シハ、と読んだらしい』は『志保/シホ』と音が似ておりシオツチノオジと同義であり、栗原郡の志波姫神社も同体の神である、と記している。
……つまり、
江戸時代の時点で既に志波彦神社(岩切・冠川の近く)と志波姫神社(栗原郡の志波姫)は存在した、ということであり、『志波彦神』と『志波姫神』の名は把握されていた。
にもかかわらず、その名は『同体』の理屈で秘された。
色々ツッコミどころがあるのですが、まずは志波姫神→天鈿女命への取り替えは、別宮の岐神と同体とされる神の中に『猿田彦』が含まれるから、という流れだと思います。
サルタヒコは、降臨した天孫一行の道案内をした神で、一行の中にいたアメノウズメはサルタヒコの妻になっています。
それ故に、アメノウズメの子孫は『猿女君/さるめのきみ』と呼ばれることになります。
だから、志波姫神の名前は隠され、上に猿女こと天鈿女命が被せられた、という順序なのでしょう。
別に、アメノウズメは猿女であっても猿田彦と同体ではないのですが、志波姫神が志波彦神の妻神であるという認識があったから、志波姫神社の祭神はサルタヒコではなくアメノウズメなのだと思います。
(つづく)

2020.
08.
29
政治的な記事は、しばらく控えようと思っていたのですが、安倍総理辞任辞任とは……
安倍さん、お疲れ様でした。潰瘍性大腸炎という難病を抱えながら、長く首相を務められたことは、さぞ大変だったことと思います。
ハッキリ言って、バブル崩壊からずっと低迷を続けた日本では、誰が首相になっても文句を言われたはずです。
耐えて下さってありがとうございました。まずは、治療と養生に専念されて欲しいと思います。
辞任を喜んで浮かれてる奴、お前ら日本人じゃないだろ。
……そして、日本の今後。
長く続いた安倍政権の時代にあって、この人だという後継者がハッキリしていないとは、自民党内はそんなに人材不足なのでしょうか?
…というか、現在の自民党の中には、野党と大差無いなんちゃって自民の政治家が結構入り込んでいるので、纏まろうにも纏まらなかったのが実態なのかもしれませんが。
まず、中国があからさまに物騒さを発揮し始めた今、次のリーダーはアメリカのトランプさんと歩調を合わせる気概のある人が望ましいでしょう。
アメリカが名指しで中国を批判してくれたお陰で、ヨーロッパのメディアも中国の非道に注目してくれるようになりました。
日本は、人道的に誠実な態度を示すべきです。
そして、そろそろ、日本ファーストになってくれないものか。
中国や半島に忖度することのないリーダーが日本には必要です。
個人的に、この人は案外ダメだ、と思ったのは河野氏ですね。
河野氏は、先日女系天皇の路線をハッキリと表明した人です。
外務大臣の時には、毅然とした態度を示してくれて、なかなか気概のある政治家がいるじゃないかと好感を持ちましたが、ここにきて馬脚を現したのは、安倍さんの体調を知ってか知らずか……とにかく世界で一番古い王家を壊す野望を持っている=中国・半島寄りの人間だと、いうことはわかりましたから。
でも、河野氏は人気取りが上手い。
Twitterでは親しみやすさを前面に打ち出して、支持者を増やすことに成功しています。
一方で、少しでも河野さんの考えに否定的なリプを付けたアカウントは即ブロック、という閉鎖性も一部には知られている要注意人物です。
ただ、河野氏は自衛隊の活動を紹介するなどして自衛隊の好感度を上げてもいるので、防衛大臣としては比較的マシな政治家と言えるかもしれませんが。
各国で相次ぐ自然災害、世界規模のコロナ恐慌。
これからの時代は、乱世です。
この乱世を、日本が乗り切ってゆけますように。
私自身も、毅然とした日本人でありたいと思います。
安倍さん、お疲れ様でした。潰瘍性大腸炎という難病を抱えながら、長く首相を務められたことは、さぞ大変だったことと思います。
ハッキリ言って、バブル崩壊からずっと低迷を続けた日本では、誰が首相になっても文句を言われたはずです。
耐えて下さってありがとうございました。まずは、治療と養生に専念されて欲しいと思います。
辞任を喜んで浮かれてる奴、お前ら日本人じゃないだろ。
……そして、日本の今後。
長く続いた安倍政権の時代にあって、この人だという後継者がハッキリしていないとは、自民党内はそんなに人材不足なのでしょうか?
…というか、現在の自民党の中には、野党と大差無いなんちゃって自民の政治家が結構入り込んでいるので、纏まろうにも纏まらなかったのが実態なのかもしれませんが。
まず、中国があからさまに物騒さを発揮し始めた今、次のリーダーはアメリカのトランプさんと歩調を合わせる気概のある人が望ましいでしょう。
アメリカが名指しで中国を批判してくれたお陰で、ヨーロッパのメディアも中国の非道に注目してくれるようになりました。
日本は、人道的に誠実な態度を示すべきです。
そして、そろそろ、日本ファーストになってくれないものか。
中国や半島に忖度することのないリーダーが日本には必要です。
個人的に、この人は案外ダメだ、と思ったのは河野氏ですね。
河野氏は、先日女系天皇の路線をハッキリと表明した人です。
外務大臣の時には、毅然とした態度を示してくれて、なかなか気概のある政治家がいるじゃないかと好感を持ちましたが、ここにきて馬脚を現したのは、安倍さんの体調を知ってか知らずか……とにかく世界で一番古い王家を壊す野望を持っている=中国・半島寄りの人間だと、いうことはわかりましたから。
でも、河野氏は人気取りが上手い。
Twitterでは親しみやすさを前面に打ち出して、支持者を増やすことに成功しています。
一方で、少しでも河野さんの考えに否定的なリプを付けたアカウントは即ブロック、という閉鎖性も一部には知られている要注意人物です。
ただ、河野氏は自衛隊の活動を紹介するなどして自衛隊の好感度を上げてもいるので、防衛大臣としては比較的マシな政治家と言えるかもしれませんが。
各国で相次ぐ自然災害、世界規模のコロナ恐慌。
これからの時代は、乱世です。
この乱世を、日本が乗り切ってゆけますように。
私自身も、毅然とした日本人でありたいと思います。

2020.
08.
28
このブログって、本来は神話・古代史・神社仏閣語りがメインなので、政治的な記事は最小限にしたいのですが、いーかげん腹立ったので、書きます。
タイトル通りですが、
一国のトップの健康状態が大々的に報道されるなんて、異常なんだよ。
トップシークレットなんだよ!
なのに、病院に向かう安倍総理が乗った車に、病院に入っていく様子に、群れに群れたマスコミのカメラフラッシュだなんて、本来有り得ないんだよ!!
よく考えてみろ。
もし安倍さんの病状が悪化して執務不能に陥ったとして、それが日本に攻め入りたい物騒な隣人達ににバレたなら、それは日本侵略には絶好の機会なんだよ。
首相不在時の指揮系統がきちんと決まっていない日本が混乱するのは必至。あっという間にやられるよ。
※ アメリカはこういう非常事態に備えて、確か№10くらいまで指揮を取るポジションが決まっている
トップシークレットであるからして、内部事情は決して漏らさないように、官僚達には叩き込まれている。
にもかかわらず、安倍さんの動向はあからさまに報道されている。
記者会見で、麻生さんの態度がよろしくないと叩いているマスコミ、お前ら馬鹿か?
『首相の体調が良くないことについてどう思うか?』なんて、間抜けな質問をしてんじゃないよ。
麻生さん、静かに怒ってたよなぁ。怒るはずだよ。
この現状はね、守秘義務を叩き込まれているはずの官僚に、義務を果たさない人間がいるか、でなけりゃ政治家の誰かが漏らしてるってことなんだよ。
マスコミは、そういう情報源を既に持っているってことだってのに
本当、白々しいな!
私は安倍マンセーでも麻生マンセーでもないけれども、現在このふたりが日本の№1と№2である以上、彼らのトップシークレットは決して外に出すべきではないのは当然だと思います。
マスコミが、揃いも揃って反日だという事が、よくわかる案件です。
まともな日本ファーストの政治家に、是非とも頑張って頂きたく存じます。
タイトル通りですが、
一国のトップの健康状態が大々的に報道されるなんて、異常なんだよ。
トップシークレットなんだよ!
なのに、病院に向かう安倍総理が乗った車に、病院に入っていく様子に、群れに群れたマスコミのカメラフラッシュだなんて、本来有り得ないんだよ!!
よく考えてみろ。
もし安倍さんの病状が悪化して執務不能に陥ったとして、それが日本に攻め入りたい物騒な隣人達ににバレたなら、それは日本侵略には絶好の機会なんだよ。
首相不在時の指揮系統がきちんと決まっていない日本が混乱するのは必至。あっという間にやられるよ。
※ アメリカはこういう非常事態に備えて、確か№10くらいまで指揮を取るポジションが決まっている
トップシークレットであるからして、内部事情は決して漏らさないように、官僚達には叩き込まれている。
にもかかわらず、安倍さんの動向はあからさまに報道されている。
記者会見で、麻生さんの態度がよろしくないと叩いているマスコミ、お前ら馬鹿か?
『首相の体調が良くないことについてどう思うか?』なんて、間抜けな質問をしてんじゃないよ。
麻生さん、静かに怒ってたよなぁ。怒るはずだよ。
この現状はね、守秘義務を叩き込まれているはずの官僚に、義務を果たさない人間がいるか、でなけりゃ政治家の誰かが漏らしてるってことなんだよ。
マスコミは、そういう情報源を既に持っているってことだってのに
本当、白々しいな!
私は安倍マンセーでも麻生マンセーでもないけれども、現在このふたりが日本の№1と№2である以上、彼らのトップシークレットは決して外に出すべきではないのは当然だと思います。
マスコミが、揃いも揃って反日だという事が、よくわかる案件です。
まともな日本ファーストの政治家に、是非とも頑張って頂きたく存じます。

2020.
08.
27
※ 前回の『その1』は『歴史』カテゴリになっております。(今回は『政治』カテゴリ)
現代でも、諸外国の多くは日本ほど上品ではありませんし、秩序と礼節を重んじてもいません。
3.11の恐ろしい地震と津波で東北地方が壊滅的被害に遭った時、日本は世界から大きな驚きと称賛を受けました。
食料や水が配られるときに、綺麗に行列を作って、辛抱して順番を待つ。
民衆が略奪の暴動を起こさない。
そんな、日本人には当たり前のことが感心され絶賛される程度に、世界は野蛮です。
だから、日本が丸腰になって戦意の無さをアピールすれば、どこの国も襲ってこない、なんてことは絶対に有り得ません。
寧ろ、これ幸いにとばかりに、中国も半島もロシアも日本侵略に乗り出すのに決まっています。
現在そうなっていないのは、皮肉なことですが、落とす必要の無い原爆を日本に落とし、日本が二度と戦えないようにと骨抜き憲法を作ったアメリカが、アメリカの都合で日本に物騒な基地を置いているからです。
日本は本当、溜め息を吐きたくなるほど隣人に恵まれていません。
親日なのは台湾くらいです。
大概のろくでもない隣人達は、軍事大国・アメリカと事を構えたくないから、大っぴらには戦争を仕掛けてこないだけです。
※ 目立った攻撃をしてこないだけで、実はかなり日本の安全は脅かされています
先日Twitterで見かけましたが、
>9条壊して国を守るか、
>9条守って国を壊すか…
>バカじゃなければどっちを選ぶべきかわかるだろうに。
…という二択なのです。9条は、決してこの国を守ってはくれないのですから。
世界は様々な国の利益や主張が常にぶつかり合っていて、ドンバチやらなくても水面下では日常レベルで臨戦態勢です。
地続きの大陸では、人間の国というものが発生して以来、比較的平和と言われた時代ですら、ずっとそうした緊迫を孕んできたのです。
まともな独立国で軍隊を持たない国なんて、殆どありません。
以前、かなりの小国で全く軍隊を持たない国の特集番組を見たことがありますが、その国が軍隊を持たないのは、小国過ぎて実戦に役立つ軍隊を編成できないのと、完全にアメリカの保護下にあるという特殊事情からです。
でも、日本はそうではありません。
メルカトル図法の地図を見慣れていると、日本はぽつーんとした、ちっぽけな島国に過ぎないように見えますが、完全に気の所為です。
実寸でヨーロッパに日本列島を重ねてみると、日本の国土は北欧から南欧にまで及びます。
日本は、面積・人口・領海・領空、どれを取っても、日本人自身が思っているよりも、ずっと豊かな大国なのです。
好戦的で野蛮な国からみれば、実に侵略し甲斐のある国、それが日本なのだと、危機感を持つべきです。
そして、日本の自衛隊を誇りに思うべきです。
自衛隊は海外での援助活動で、略奪や強姦などの犯罪を一切起こすことが無いという実績で信頼されています。
能力としても少数精鋭です。
ただし、少数、であるのは弱みです。
自衛隊員もその他の軍備も、日本は自国を守れるレベルのものを持ち、独立国の当然の権利として、自衛隊を軍隊と認め、侵略行為に対してはその場の判断で応戦出来るようにするべきです。
韓国にレーザー照射されても何もやり返せない日本だから、一層舐められて相手はやりたい放題に領海や領空を侵犯してくるのです。
同じことをアメリカがされたら、激怒して倍返しくらいすることでしょうから、アメリカはやられない。
平和の為に軍隊を持つなんて矛盾している?
否、何も矛盾してやいない。世界情勢いう現実を見ろ。
アメリカに頼ってばかりでは駄目です。
アメリカは、自国にメリットがあるから日本に基地を置いている、それだけだということを忘れてはなりません。
ベトナム戦争の泥沼は、アメリカに多大なトラウマを残しました。
自国のことは自分でやるという意志の無い国に与しても、全く無駄であったという事を、アメリカは思い知っています。
日本から軍隊を奪ったくせに勝手ですが、今の時代では日本が自力で他国に毅然とした態度で臨まないならば、アメリカは日本を見捨てます。
日本の平和の為に、日本は自力で強くあらねばならないのです。
現代でも、諸外国の多くは日本ほど上品ではありませんし、秩序と礼節を重んじてもいません。
3.11の恐ろしい地震と津波で東北地方が壊滅的被害に遭った時、日本は世界から大きな驚きと称賛を受けました。
食料や水が配られるときに、綺麗に行列を作って、辛抱して順番を待つ。
民衆が略奪の暴動を起こさない。
そんな、日本人には当たり前のことが感心され絶賛される程度に、世界は野蛮です。
だから、日本が丸腰になって戦意の無さをアピールすれば、どこの国も襲ってこない、なんてことは絶対に有り得ません。
寧ろ、これ幸いにとばかりに、中国も半島もロシアも日本侵略に乗り出すのに決まっています。
現在そうなっていないのは、皮肉なことですが、落とす必要の無い原爆を日本に落とし、日本が二度と戦えないようにと骨抜き憲法を作ったアメリカが、アメリカの都合で日本に物騒な基地を置いているからです。
日本は本当、溜め息を吐きたくなるほど隣人に恵まれていません。
親日なのは台湾くらいです。
大概のろくでもない隣人達は、軍事大国・アメリカと事を構えたくないから、大っぴらには戦争を仕掛けてこないだけです。
※ 目立った攻撃をしてこないだけで、実はかなり日本の安全は脅かされています
先日Twitterで見かけましたが、
>9条壊して国を守るか、
>9条守って国を壊すか…
>バカじゃなければどっちを選ぶべきかわかるだろうに。
…という二択なのです。9条は、決してこの国を守ってはくれないのですから。
世界は様々な国の利益や主張が常にぶつかり合っていて、ドンバチやらなくても水面下では日常レベルで臨戦態勢です。
地続きの大陸では、人間の国というものが発生して以来、比較的平和と言われた時代ですら、ずっとそうした緊迫を孕んできたのです。
まともな独立国で軍隊を持たない国なんて、殆どありません。
以前、かなりの小国で全く軍隊を持たない国の特集番組を見たことがありますが、その国が軍隊を持たないのは、小国過ぎて実戦に役立つ軍隊を編成できないのと、完全にアメリカの保護下にあるという特殊事情からです。
でも、日本はそうではありません。
メルカトル図法の地図を見慣れていると、日本はぽつーんとした、ちっぽけな島国に過ぎないように見えますが、完全に気の所為です。
実寸でヨーロッパに日本列島を重ねてみると、日本の国土は北欧から南欧にまで及びます。
日本は、面積・人口・領海・領空、どれを取っても、日本人自身が思っているよりも、ずっと豊かな大国なのです。
好戦的で野蛮な国からみれば、実に侵略し甲斐のある国、それが日本なのだと、危機感を持つべきです。
そして、日本の自衛隊を誇りに思うべきです。
自衛隊は海外での援助活動で、略奪や強姦などの犯罪を一切起こすことが無いという実績で信頼されています。
能力としても少数精鋭です。
ただし、少数、であるのは弱みです。
自衛隊員もその他の軍備も、日本は自国を守れるレベルのものを持ち、独立国の当然の権利として、自衛隊を軍隊と認め、侵略行為に対してはその場の判断で応戦出来るようにするべきです。
韓国にレーザー照射されても何もやり返せない日本だから、一層舐められて相手はやりたい放題に領海や領空を侵犯してくるのです。
同じことをアメリカがされたら、激怒して倍返しくらいすることでしょうから、アメリカはやられない。
平和の為に軍隊を持つなんて矛盾している?
否、何も矛盾してやいない。世界情勢いう現実を見ろ。
アメリカに頼ってばかりでは駄目です。
アメリカは、自国にメリットがあるから日本に基地を置いている、それだけだということを忘れてはなりません。
ベトナム戦争の泥沼は、アメリカに多大なトラウマを残しました。
自国のことは自分でやるという意志の無い国に与しても、全く無駄であったという事を、アメリカは思い知っています。
日本から軍隊を奪ったくせに勝手ですが、今の時代では日本が自力で他国に毅然とした態度で臨まないならば、アメリカは日本を見捨てます。
日本の平和の為に、日本は自力で強くあらねばならないのです。

2020.
08.
26
先日、良書を読む機会に恵まれました。
『大航海時代に我が国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』というタイトルで、しばやん というのブロガーさんの日本史関連の記事をまとめた本です。
※ 2020/08/23 に書評の記事がありますので、よかったらそちらもどうぞ
この本のタイトルである、『大航海時代に我が国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』という問いに対して、私なりに簡潔に答えようと思います。
当時の日本が軍事大国だったから、手を出せなかった。
もうひとつ付け加えると、優れた外交手腕を持つ為政者がいたから、という重要事項ももありますが、その為政者が統べる人的・物理的な条件として、強大な軍事力というものは絶対に無くてはならなかったのです。
いつ日本が軍事大国だった時代があったんだ、というと、ヨーロッパが大航海時代という、実質大侵略時代にあった時代で、日本では戦国時代から江戸時代初期にかけての時代です。
カトリックの宣教師という、布教と侵略の尖兵である外国人が来日する6年前に、日本には鉄砲が伝来していました。
そして日本は、1年後には自国で鉄砲を生産する技術力を持ち、あっという間にヨーロッパ各国を上回る数の鉄砲を所持するレベルに達しました。
日本刀も、ヨーロッパの剣よりも優れていました。
日本刀は横からの力に弱いと言いますが、それは縦の斬れ味と強度と比較して、の話であって、斬り合いと言うよりも殴り合いの乱戦を繰り広げても持ち堪えていました。
武士の時代の戦いと言えば、武士がやっていたのかと言えば、そうでもありません。
雑兵の殆どは農家などの平民です。
だから、農民出身の秀吉は関白まで上り詰めることが出来たのだし、その秀吉が刀狩りをする程度に、民衆は武器を持っている脅威の存在であったのです。
そのような民衆もまた、実戦を知っている強力な兵士でした。
その背景には、相次ぐ戦乱、飢饉などで農民が農作業だけでは生きていけなくなり、何処かで戦争が起きれば『ひと稼ぎ』する為に進んで雑兵になっていたとか、その『ひと稼ぎ』には、敗者からの略奪行為が当然であったことを考えると、決して褒められたものではありませんが、結果的に日本の兵士は強かった。
当時の事情で具体例を挙げるなら、ポルトガル人やらスペイン人やらの宣教師が斡旋して、何万人という日本人を奴隷として連れ出し、女が好まれたという下衆さには反吐が出そうだけれども、男は男で重宝されていたのです。
勇猛な傭兵として。
ヨーロッパがアジア・アメリカ大陸・アフリカ大陸に貪欲な手を伸ばし、その侵略の過程で原住民や他国との戦争に勝ち抜くには、自国の兵士だけでは足りなかったはずで、各地の原住民や、本国は侵略されてはいなくとも連れ去られた日本人奴隷もまた、兵士として活用されました。
その日本人奴隷は庶民が殆どであったでしょうけれども、男の多くは実戦を知っています。日本の戦乱の世を生きた男達です。
勇猛、というよりも、ハッキリ言えば相当の荒くれ野郎です。
武士に至っては、更にそれを上回る、勇猛を通り越した獰猛な集団です。
乱世にあって戦闘が本職なんですから、日頃から鍛錬を積んでいる極めつけの荒くれ野郎です。
武士がお上品になるのは、もっと後のことです。
私の実家は伊達家に仕えた武士の家柄ですが、もっと遡れば鎌倉御家人です。
でも、どのような経緯で関東から東北地方に至ったのか、いつから伊達家の家臣であったのかは不明です。
かつての武士の多くは、『傭兵』であったと思います。
主君をただひとりと忠誠を誓うのは、美徳ではあったでしょうが義務ではありません。
より待遇の良い方に君主替えするのは当然であり、下剋上という言葉が存在する程度に、強ければ主君を斬って捨ててのし上がって上等です。
ヨーロッパ人言うところの大航海時代、相手がキリスト教国でなければ何をしても良い、侵略も略奪も原住民を奴隷にすることも虐殺することも、ローマ教皇が是としていた野蛮極まりない時代に、日本は侵略されずに生き残った。
それは、日本が大量の優れた武器を所有している、庶民までもが強力な兵力になり得る軍事大国だったから。
群雄割拠の時代から徐々に天下統一に向かい、秀吉~徳川3代という外交手腕に優れた為政者が存在したから。
自国を守り切れた理由は、それに尽きるのであって、間違っても『平和主義』などという綺麗なものではなかったという容赦の無い現実と歴史を、先の大戦から75年経った日本人は、知るべきです。
(つづく。次の『その2』は『政治』カテゴリになります)
『大航海時代に我が国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』というタイトルで、しばやん というのブロガーさんの日本史関連の記事をまとめた本です。
※ 2020/08/23 に書評の記事がありますので、よかったらそちらもどうぞ
この本のタイトルである、『大航海時代に我が国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』という問いに対して、私なりに簡潔に答えようと思います。
当時の日本が軍事大国だったから、手を出せなかった。
もうひとつ付け加えると、優れた外交手腕を持つ為政者がいたから、という重要事項ももありますが、その為政者が統べる人的・物理的な条件として、強大な軍事力というものは絶対に無くてはならなかったのです。
いつ日本が軍事大国だった時代があったんだ、というと、ヨーロッパが大航海時代という、実質大侵略時代にあった時代で、日本では戦国時代から江戸時代初期にかけての時代です。
カトリックの宣教師という、布教と侵略の尖兵である外国人が来日する6年前に、日本には鉄砲が伝来していました。
そして日本は、1年後には自国で鉄砲を生産する技術力を持ち、あっという間にヨーロッパ各国を上回る数の鉄砲を所持するレベルに達しました。
日本刀も、ヨーロッパの剣よりも優れていました。
日本刀は横からの力に弱いと言いますが、それは縦の斬れ味と強度と比較して、の話であって、斬り合いと言うよりも殴り合いの乱戦を繰り広げても持ち堪えていました。
武士の時代の戦いと言えば、武士がやっていたのかと言えば、そうでもありません。
雑兵の殆どは農家などの平民です。
だから、農民出身の秀吉は関白まで上り詰めることが出来たのだし、その秀吉が刀狩りをする程度に、民衆は武器を持っている脅威の存在であったのです。
そのような民衆もまた、実戦を知っている強力な兵士でした。
その背景には、相次ぐ戦乱、飢饉などで農民が農作業だけでは生きていけなくなり、何処かで戦争が起きれば『ひと稼ぎ』する為に進んで雑兵になっていたとか、その『ひと稼ぎ』には、敗者からの略奪行為が当然であったことを考えると、決して褒められたものではありませんが、結果的に日本の兵士は強かった。
当時の事情で具体例を挙げるなら、ポルトガル人やらスペイン人やらの宣教師が斡旋して、何万人という日本人を奴隷として連れ出し、女が好まれたという下衆さには反吐が出そうだけれども、男は男で重宝されていたのです。
勇猛な傭兵として。
ヨーロッパがアジア・アメリカ大陸・アフリカ大陸に貪欲な手を伸ばし、その侵略の過程で原住民や他国との戦争に勝ち抜くには、自国の兵士だけでは足りなかったはずで、各地の原住民や、本国は侵略されてはいなくとも連れ去られた日本人奴隷もまた、兵士として活用されました。
その日本人奴隷は庶民が殆どであったでしょうけれども、男の多くは実戦を知っています。日本の戦乱の世を生きた男達です。
勇猛、というよりも、ハッキリ言えば相当の荒くれ野郎です。
武士に至っては、更にそれを上回る、勇猛を通り越した獰猛な集団です。
乱世にあって戦闘が本職なんですから、日頃から鍛錬を積んでいる極めつけの荒くれ野郎です。
武士がお上品になるのは、もっと後のことです。
私の実家は伊達家に仕えた武士の家柄ですが、もっと遡れば鎌倉御家人です。
でも、どのような経緯で関東から東北地方に至ったのか、いつから伊達家の家臣であったのかは不明です。
かつての武士の多くは、『傭兵』であったと思います。
主君をただひとりと忠誠を誓うのは、美徳ではあったでしょうが義務ではありません。
より待遇の良い方に君主替えするのは当然であり、下剋上という言葉が存在する程度に、強ければ主君を斬って捨ててのし上がって上等です。
ヨーロッパ人言うところの大航海時代、相手がキリスト教国でなければ何をしても良い、侵略も略奪も原住民を奴隷にすることも虐殺することも、ローマ教皇が是としていた野蛮極まりない時代に、日本は侵略されずに生き残った。
それは、日本が大量の優れた武器を所有している、庶民までもが強力な兵力になり得る軍事大国だったから。
群雄割拠の時代から徐々に天下統一に向かい、秀吉~徳川3代という外交手腕に優れた為政者が存在したから。
自国を守り切れた理由は、それに尽きるのであって、間違っても『平和主義』などという綺麗なものではなかったという容赦の無い現実と歴史を、先の大戦から75年経った日本人は、知るべきです。
(つづく。次の『その2』は『政治』カテゴリになります)

2020.
08.
25
三社ある志波姫神社について、要約してみます。
大崎市古川に鎮座する志波姫神社
祭神:天鈿女命(アメノウズメノミコト)・武壅槌神(タケミカヅチノカミ)
※ ただし宮城県神社庁の神社検索によると、アメノウズメのみ
※ 明治41年に、村社鹿島神社を合祀した為と思われる
社伝によると、創建は称徳天皇の御宇765年。
栗原市志波姫(旧志波姫町、旧姫郷村)に鎮座する志波姫神社
祭神:木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
社伝によると、聖武天皇の御宇の創建。
延暦年間、坂上田村麿が東夷征討のおりに、武運長久・五穀豊穣を祈願したといわれる。
元は築館にあり、伊豆権現と称した。
旧志波姫町は、1889年4月1日 姫郷村、白幡村、梅崎村が合併し、志波姫村となり、1965年4月1日 志波姫村が町制施行して志波姫町となった。
町名は、志波姫神社に因んでいる。
※ 姫郷、と地名が付くほどの神社で、村が合併する時にも『志波姫』で意見一致をみたのだから、この地方ではかなり厚い信仰を集めていた神社なのだろう。
宮城県栗原市高清水に鎮座する志波姫神社
祭神:天鈿女命
清水権現・清水明神と称された古社で(とはいえ、いつ創建なのかが見当たらない)、祈雨に霊験のある神として信仰された。
寛保年中夏の大旱の折に慈雨を降らせ、領主より社領が寄進されたと伝えられる。
(要約ここまで)
長く宮城県に住んでいる人間なら、志波姫神社は知らなくとも『志波姫』という地名は知っているのです。
或いは、東北自動車道を通ったことがある人なら、志波姫PAで記憶しているかも。
そして、志波姫神を隠したのは、コノハナサクヤヒメとアメノウズメ。
それなりの知識がある人が取り替えたんだな。
と思います。
私は、元々の『しおがまさん』の信仰は、志波彦神と志波姫神のペアで、何なら
塩竈神社の真の御祭神は、志波彦神と志波姫神の二柱だった。
と、思っています。
だって、塩竈神社のご利益と言えば、安産祈願です。
これ、タケミカヅチ神とフツヌシ神にお願いしても、まあ神様なので信仰する人には力を貸して下さるかとは思いますが、本来のご利益としてはテリトリー外です。
別宮のシオツチノオジ神にしても、神話のエピソードから道祖神(旅路の安全方面)、海上交通→現代風に交通安全の神として、塩竈の信仰対象としては良いと思いますが、塩→潮→潮の満ち引きはお産に関係しているから、という連想ゲーム的な言い訳は苦しいと思います?
メジャーな安産祈願の神様ならば、普通は女神様でしょう。
それこそ、地元では子宝祈願で昔から有名な、小牛田の山神社(やまのかみしゃ)も、祭神はコノハナサクヤヒメです。
※ メジャーではありますが、ご本尊が阿弥陀如来の定義山西方寺が、何故に良縁・子宝のご利益で有名なのか、私とダンナがくっついて3人のこどもを授かってしまったのか、今でもわからない。…という例もあるのですが
つまり、『しおがまさん』にも、女神信仰があったと考える方が自然です。
志波彦神と志波姫神が、共に祀られている神社は、現在ありません。
でも、御祭神が行方不明になろうと、時の権力者が隠そうと、人々の熱烈な安産祈願の信仰が、そこに女神様が祀られていた証拠だと思うのです。
そして、天鈿女命という隠し方も、なかなか技アリですね。
こちらは、次回に。
(つづく)
大崎市古川に鎮座する志波姫神社
祭神:天鈿女命(アメノウズメノミコト)・武壅槌神(タケミカヅチノカミ)
※ ただし宮城県神社庁の神社検索によると、アメノウズメのみ
※ 明治41年に、村社鹿島神社を合祀した為と思われる
社伝によると、創建は称徳天皇の御宇765年。
栗原市志波姫(旧志波姫町、旧姫郷村)に鎮座する志波姫神社
祭神:木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
社伝によると、聖武天皇の御宇の創建。
延暦年間、坂上田村麿が東夷征討のおりに、武運長久・五穀豊穣を祈願したといわれる。
元は築館にあり、伊豆権現と称した。
旧志波姫町は、1889年4月1日 姫郷村、白幡村、梅崎村が合併し、志波姫村となり、1965年4月1日 志波姫村が町制施行して志波姫町となった。
町名は、志波姫神社に因んでいる。
※ 姫郷、と地名が付くほどの神社で、村が合併する時にも『志波姫』で意見一致をみたのだから、この地方ではかなり厚い信仰を集めていた神社なのだろう。
宮城県栗原市高清水に鎮座する志波姫神社
祭神:天鈿女命
清水権現・清水明神と称された古社で(とはいえ、いつ創建なのかが見当たらない)、祈雨に霊験のある神として信仰された。
寛保年中夏の大旱の折に慈雨を降らせ、領主より社領が寄進されたと伝えられる。
(要約ここまで)
長く宮城県に住んでいる人間なら、志波姫神社は知らなくとも『志波姫』という地名は知っているのです。
或いは、東北自動車道を通ったことがある人なら、志波姫PAで記憶しているかも。
そして、志波姫神を隠したのは、コノハナサクヤヒメとアメノウズメ。
それなりの知識がある人が取り替えたんだな。
と思います。
私は、元々の『しおがまさん』の信仰は、志波彦神と志波姫神のペアで、何なら
塩竈神社の真の御祭神は、志波彦神と志波姫神の二柱だった。
と、思っています。
だって、塩竈神社のご利益と言えば、安産祈願です。
これ、タケミカヅチ神とフツヌシ神にお願いしても、まあ神様なので信仰する人には力を貸して下さるかとは思いますが、本来のご利益としてはテリトリー外です。
別宮のシオツチノオジ神にしても、神話のエピソードから道祖神(旅路の安全方面)、海上交通→現代風に交通安全の神として、塩竈の信仰対象としては良いと思いますが、塩→潮→潮の満ち引きはお産に関係しているから、という連想ゲーム的な言い訳は苦しいと思います?
メジャーな安産祈願の神様ならば、普通は女神様でしょう。
それこそ、地元では子宝祈願で昔から有名な、小牛田の山神社(やまのかみしゃ)も、祭神はコノハナサクヤヒメです。
※ メジャーではありますが、ご本尊が阿弥陀如来の定義山西方寺が、何故に良縁・子宝のご利益で有名なのか、私とダンナがくっついて3人のこどもを授かってしまったのか、今でもわからない。…という例もあるのですが
つまり、『しおがまさん』にも、女神信仰があったと考える方が自然です。
志波彦神と志波姫神が、共に祀られている神社は、現在ありません。
でも、御祭神が行方不明になろうと、時の権力者が隠そうと、人々の熱烈な安産祈願の信仰が、そこに女神様が祀られていた証拠だと思うのです。
そして、天鈿女命という隠し方も、なかなか技アリですね。
こちらは、次回に。
(つづく)

2020.
08.
24
※ 中2日空けましたので、前回『その12』の記事は、20/08/20 になります。
さて、謎の女神・志波姫神。
謎ですけれども、名前からして志波彦神とペアであったことは明白です。
当然に、ヤマト朝廷編纂の古事記・日本書紀にもその名は見えませんが、記紀神話には同じ名を持つ男女ペアの神々は普通に登場します。
夫婦神か兄妹・姉弟神です。
というか、夫婦神でさえ、元々はきょうだい神パターンが多い。
イザナギ・イザナミ神は、最古の夫婦神ではありますが、共に生まれたきょうだい神とも言えるでしょう。
クシナダヒメの両親・アシナヅチ・テナヅチ夫妻神も、オオヤマツミ神の子なので、きょうだい神です。
実際、いにしえの貴族達には、きょうだい婚はよくあることでした。
同母のきょうだい婚はNGですが、異母兄妹・異母姉弟ならアリ。これは、一夫多妻制で、こどもは母親の元で=母親が違えば別々の家で育つので、まんま別の家の子という意識だったものなのでしょう。
※ 庶民の婚姻がどうであったかは、私は勉強不足にて存じません
ところで、塩竈神社が数多くの末社の中でも格別の敬意を払っている神社(わざわざ公式HPに由緒を載せている程度に)の中に、既に述べた御釜神社ともうひとつ、曲木神社(まがきじんじゃ)があります。
こちらも、祭神は曲木神こと奥津彦大神と奥津姫大神。
つまり、塩竈神社(祭神の尊称は『神』)よりも格上の志波彦神社(尊称は『大神』)と同格か、同格とまで行かなくとも塩竈神社より格上なのです。
曲木神社の神を、奥津きょうだい神二柱ひっくるめて曲木神というように、神仏習合の時代にも『籬島明神』(まがきしまみょうじん)の名に集約されていました。
さて、曲木神に関係が有るのか無いのか私にはわかりませんが、公式HPには塩釜市の小野初司朗氏という方が語った伝承が掲載されています。
この伝承が、志波彦神と志波姫神のことであるならば、二柱の神は姉弟神であり、共にやって来たけれども離ればなれになってしまった、ということになります。
でも、志波姫が『島に留まった』とは思えないんですよね。
何故なら、宮城県内三社の《志波姫神社》は、全部内陸にあるからです。
現在、三社とも志波姫神社と称しながら、祭神の名が志波姫神ではなく、しかも一致していないのが、いかにも祭神を入れ替えました感が満々です。
(つづく)
さて、謎の女神・志波姫神。
謎ですけれども、名前からして志波彦神とペアであったことは明白です。
当然に、ヤマト朝廷編纂の古事記・日本書紀にもその名は見えませんが、記紀神話には同じ名を持つ男女ペアの神々は普通に登場します。
夫婦神か兄妹・姉弟神です。
というか、夫婦神でさえ、元々はきょうだい神パターンが多い。
イザナギ・イザナミ神は、最古の夫婦神ではありますが、共に生まれたきょうだい神とも言えるでしょう。
クシナダヒメの両親・アシナヅチ・テナヅチ夫妻神も、オオヤマツミ神の子なので、きょうだい神です。
実際、いにしえの貴族達には、きょうだい婚はよくあることでした。
同母のきょうだい婚はNGですが、異母兄妹・異母姉弟ならアリ。これは、一夫多妻制で、こどもは母親の元で=母親が違えば別々の家で育つので、まんま別の家の子という意識だったものなのでしょう。
※ 庶民の婚姻がどうであったかは、私は勉強不足にて存じません
ところで、塩竈神社が数多くの末社の中でも格別の敬意を払っている神社(わざわざ公式HPに由緒を載せている程度に)の中に、既に述べた御釜神社ともうひとつ、曲木神社(まがきじんじゃ)があります。
こちらも、祭神は曲木神こと奥津彦大神と奥津姫大神。
つまり、塩竈神社(祭神の尊称は『神』)よりも格上の志波彦神社(尊称は『大神』)と同格か、同格とまで行かなくとも塩竈神社より格上なのです。
曲木神社の神を、奥津きょうだい神二柱ひっくるめて曲木神というように、神仏習合の時代にも『籬島明神』(まがきしまみょうじん)の名に集約されていました。
さて、曲木神に関係が有るのか無いのか私にはわかりませんが、公式HPには塩釜市の小野初司朗氏という方が語った伝承が掲載されています。
この伝承が、志波彦神と志波姫神のことであるならば、二柱の神は姉弟神であり、共にやって来たけれども離ればなれになってしまった、ということになります。
でも、志波姫が『島に留まった』とは思えないんですよね。
何故なら、宮城県内三社の《志波姫神社》は、全部内陸にあるからです。
現在、三社とも志波姫神社と称しながら、祭神の名が志波姫神ではなく、しかも一致していないのが、いかにも祭神を入れ替えました感が満々です。
(つづく)

2020.
08.
23
大袈裟でなく、善良な日本人全員に読んで頂きたい一冊です。
しばやん…?不思議な名前だ…、と思ったら、人気ブログの戦国~江戸時代(鉄砲伝来から約100年)までの日本史の記事をまとめた本なのだそうです。(つまりブログのペンネーム)
学校で習う日本史は、世界史と分断されていて、日本史に出て来る外国は、中国歴代王朝がメインで朝鮮も古代メインで、西欧が本格的に出てくるのは黒船来航からだと思います。
でも、本書は戦国時代という、日本中が戦乱にあった時代は、世界中も戦乱、というよりもヨーロッパ各国によるアメリカ大陸やアジアへの一方的で残虐な侵略行為が行われていた、大航海時代という大侵略時代にあった、という世界史の視点も描かれています。
この時代に、数多くの日本人が二束三文で売り払われ、奴隷として海外に連れ出されていた、ということを知っている人は、日本国内に何パーセントいるのだろうか?
少なくとも、私は知りませんでした。
何故なら、教科書には載っておらず、当然に授業でも教わらないからです。教える教師でさえも、知らない人が多いでしょう。
そして、秀吉~徳川幕府に至るまで続いた、所謂キリシタン弾圧が、如何に苛烈で残虐非道なものであったか、ということは教わるのに、日本に訪れたキリスト教宣教師達は、『異教徒の土地も人民も物資も全てキリスト教者のものにして良い』というローマ教皇お墨付きの、傲慢で恐ろしい信仰心を発揮し、日本の歴史ある神社仏閣を破壊し、神官僧侶をを虐殺し、代わりに教会を建てて布教していた、という文化破壊と殺人については、全く教わらない。
秀吉がこれに激怒し、しかし金は払うから奴隷にされた日本人を返せ、と至極人道的な要求をすると、彼らは世界中に売り払われており回収は不可能だ、と答えるのみ。
秀吉が、キリスト教弾圧に踏み切ったのは、日本の為政者として、全く当然の事だったと言えるでしょう。
この傾向は、徳川家幕府にも引き継がれます。
どんなに禁止しても、宣教師達は日本に侵入し、同じことを繰り返したからです。
つまり、秀吉以前の戦国大名がキリスト教の布教を許していたのは、貿易による利益を期待していたところが大きいのでしょうが、欧州諸国にとっては、布教と侵略は常にワンセットであることを秀吉も家康も気付いたから、キリスト教を禁じたということです。
私は、秀吉については、《イマイチ詰めが甘かった成り上がり者》とか、《無謀な朝鮮出兵に失敗した強欲じいさん》とかいうマイナスイメージだったのですが、そのイメージが覆りました。
そして、戦国時代を勝ち抜いた家康、何となく凡庸なイメージだったけど実は有能な秀忠、元からやり手のイメージの家光の3代に渡って、優れた外交手腕を持つ為政者がいたことは、日本にとって幸いであったのでしょう。
是非、ご一読頂きたいと思います。
しばやん…?不思議な名前だ…、と思ったら、人気ブログの戦国~江戸時代(鉄砲伝来から約100年)までの日本史の記事をまとめた本なのだそうです。(つまりブログのペンネーム)
学校で習う日本史は、世界史と分断されていて、日本史に出て来る外国は、中国歴代王朝がメインで朝鮮も古代メインで、西欧が本格的に出てくるのは黒船来航からだと思います。
でも、本書は戦国時代という、日本中が戦乱にあった時代は、世界中も戦乱、というよりもヨーロッパ各国によるアメリカ大陸やアジアへの一方的で残虐な侵略行為が行われていた、大航海時代という大侵略時代にあった、という世界史の視点も描かれています。
この時代に、数多くの日本人が二束三文で売り払われ、奴隷として海外に連れ出されていた、ということを知っている人は、日本国内に何パーセントいるのだろうか?
少なくとも、私は知りませんでした。
何故なら、教科書には載っておらず、当然に授業でも教わらないからです。教える教師でさえも、知らない人が多いでしょう。
そして、秀吉~徳川幕府に至るまで続いた、所謂キリシタン弾圧が、如何に苛烈で残虐非道なものであったか、ということは教わるのに、日本に訪れたキリスト教宣教師達は、『異教徒の土地も人民も物資も全てキリスト教者のものにして良い』というローマ教皇お墨付きの、傲慢で恐ろしい信仰心を発揮し、日本の歴史ある神社仏閣を破壊し、神官僧侶をを虐殺し、代わりに教会を建てて布教していた、という文化破壊と殺人については、全く教わらない。
秀吉がこれに激怒し、しかし金は払うから奴隷にされた日本人を返せ、と至極人道的な要求をすると、彼らは世界中に売り払われており回収は不可能だ、と答えるのみ。
秀吉が、キリスト教弾圧に踏み切ったのは、日本の為政者として、全く当然の事だったと言えるでしょう。
この傾向は、徳川家幕府にも引き継がれます。
どんなに禁止しても、宣教師達は日本に侵入し、同じことを繰り返したからです。
つまり、秀吉以前の戦国大名がキリスト教の布教を許していたのは、貿易による利益を期待していたところが大きいのでしょうが、欧州諸国にとっては、布教と侵略は常にワンセットであることを秀吉も家康も気付いたから、キリスト教を禁じたということです。
私は、秀吉については、《イマイチ詰めが甘かった成り上がり者》とか、《無謀な朝鮮出兵に失敗した強欲じいさん》とかいうマイナスイメージだったのですが、そのイメージが覆りました。
そして、戦国時代を勝ち抜いた家康、何となく凡庸なイメージだったけど実は有能な秀忠、元からやり手のイメージの家光の3代に渡って、優れた外交手腕を持つ為政者がいたことは、日本にとって幸いであったのでしょう。
是非、ご一読頂きたいと思います。
2020.
08.
22
以前も書きましたが、私は【大国主】という呼称自体が、古事記の時代の創作だったと思っています。
※ 日本書紀には『大国主』の名は出て来ない。異名は挙げていますが、一貫してオオナムチ
オオナムチ、で既に 大きな(オオ)土地(ナ)の貴人(ムチ)ですから、これを古事記の頃の人々にもすぐに意味がわかるように、《当時の現代語訳をした》だけの名だと思うのです。
異称の多さは、様々な神や歴史上の人物の統合を示しているのでしょうし、民話では衝撃のオオナムチ女神バージョンもあるそうですから。
異名は伝えられていませんが、スサノオ様も海神・太陽神・雷神・農耕神などの様々な属性から、複数の神・族長や王の面影が重なっているのだと思います。
そして、気になるのは、古事記で海を照らしながらやって来たという『大物主』です。
古事記によると、大物主は『大国主の奇玉・幸魂』を名乗ります。(奇魂・幸魂合わせて和魂とも言える)
日本の神には、本体である『直霊/なおひ』に、『和魂/にぎみたま』・『荒魂/あらみたま』・『奇玉/くしみたま』・『幸魂/さきみたま』という多面性があるという考え方がありまして(一霊四魂/いちれいしこん。詳細はwikiをどうぞ)、つまり古事記では大国主=大物主であると言っている訳です。
大抵の人は真に受けていないみたいですけど。
光り輝きながら海からやってくるなんて、太陽属性を持つスサノオ様(ヒルコと同一説)みたいな雰囲気だし、そうでないなら古事記が仄めかすようにスサノオ様の息子・オオトシが有力というものです。
でも、真に受けてあげたらどうなるでしょうか?同世代に大国主が複数いるという条件付きで。
大きくなった出雲の勢力範囲内に、有力な族長或いはその土地の王クラスの人間が複数いて協力統治していたとすれば、三輪に祀られた大物主も《大国主のひとり》と言って差し支えないでしょう。
そして、縦の世代間でも出雲王は代々続いている訳ですから、これも大国主だとも言えます。
例えば、大国主とタギリヒメの娘・下照姫(シタテルヒメ。高姫とも言うので、高きから下を照らす雷神の属性と思われる)の別名が、なんと
稚国玉。(わかくにたま)
これ、どう考えても、大国主の別名
顕国玉神(うつしくにたま)の『国玉』を受け継いでいます。
※ シタテルヒメの夫・アメノワカヒコの父・天津国玉神(アマツクニタマ)は、息子の葬儀の場面に出す為に急ごしらえした感がある神なので無関係でしょう。というか、アメノワカヒコ自体も『天津神の若い男』程度の意味なので、さほど重要なポジションではないと思われる
国玉って、国魂にも通じるすごい名前なので、シタテルヒメが実在した時代においては、『稚国玉』たるシタテルヒメが女王級でもおかしくありません。
一体、何人の大国主、オオナムチ、大物主、事代主が存在していたのでしょうか?
いつか、その謎の答えのひとかけらにでも出会えたら、ワクワクするんだろうな、きっと。
※ 日本書紀には『大国主』の名は出て来ない。異名は挙げていますが、一貫してオオナムチ
オオナムチ、で既に 大きな(オオ)土地(ナ)の貴人(ムチ)ですから、これを古事記の頃の人々にもすぐに意味がわかるように、《当時の現代語訳をした》だけの名だと思うのです。
異称の多さは、様々な神や歴史上の人物の統合を示しているのでしょうし、民話では衝撃のオオナムチ女神バージョンもあるそうですから。
異名は伝えられていませんが、スサノオ様も海神・太陽神・雷神・農耕神などの様々な属性から、複数の神・族長や王の面影が重なっているのだと思います。
そして、気になるのは、古事記で海を照らしながらやって来たという『大物主』です。
古事記によると、大物主は『大国主の奇玉・幸魂』を名乗ります。(奇魂・幸魂合わせて和魂とも言える)
日本の神には、本体である『直霊/なおひ』に、『和魂/にぎみたま』・『荒魂/あらみたま』・『奇玉/くしみたま』・『幸魂/さきみたま』という多面性があるという考え方がありまして(一霊四魂/いちれいしこん。詳細はwikiをどうぞ)、つまり古事記では大国主=大物主であると言っている訳です。
大抵の人は真に受けていないみたいですけど。
光り輝きながら海からやってくるなんて、太陽属性を持つスサノオ様(ヒルコと同一説)みたいな雰囲気だし、そうでないなら古事記が仄めかすようにスサノオ様の息子・オオトシが有力というものです。
でも、真に受けてあげたらどうなるでしょうか?同世代に大国主が複数いるという条件付きで。
大きくなった出雲の勢力範囲内に、有力な族長或いはその土地の王クラスの人間が複数いて協力統治していたとすれば、三輪に祀られた大物主も《大国主のひとり》と言って差し支えないでしょう。
そして、縦の世代間でも出雲王は代々続いている訳ですから、これも大国主だとも言えます。
例えば、大国主とタギリヒメの娘・下照姫(シタテルヒメ。高姫とも言うので、高きから下を照らす雷神の属性と思われる)の別名が、なんと
稚国玉。(わかくにたま)
これ、どう考えても、大国主の別名
顕国玉神(うつしくにたま)の『国玉』を受け継いでいます。
※ シタテルヒメの夫・アメノワカヒコの父・天津国玉神(アマツクニタマ)は、息子の葬儀の場面に出す為に急ごしらえした感がある神なので無関係でしょう。というか、アメノワカヒコ自体も『天津神の若い男』程度の意味なので、さほど重要なポジションではないと思われる
国玉って、国魂にも通じるすごい名前なので、シタテルヒメが実在した時代においては、『稚国玉』たるシタテルヒメが女王級でもおかしくありません。
一体、何人の大国主、オオナムチ、大物主、事代主が存在していたのでしょうか?
いつか、その謎の答えのひとかけらにでも出会えたら、ワクワクするんだろうな、きっと。
