2020.
05.
31
さて。
スサノオ様と牛頭天王のお話で2日のお休みを頂いたので、前回の『スセリヒメ様とスサノオ様の名の意味を解いてみる。その5』は2020/05/28の記事となります。
その続きと参りましょう。
スセリヒメ様の名前の意味ですが、興味を持って調べた人は、多分私と同じ道を辿っていると思います。
それは、ニニギに嘲われて富士山の噴火みたいに怒ったコノハナサクヤヒメが『天孫の子なら無事に産まれてくる』という誓約を立て、火中出産に挑んだ末に見事運で見せたという、三柱の御子神についてです。
古事記(現代語訳)によると、
>その火が盛んに燃えるときに、生んだ子の名は火照命(ほでり)。これは隼人はやとの阿多君(あたのきみ)の祖神である。
>次に生んだ子の名は火須勢理命(ほすせり)。
>次に生んだ子の名は火遠理命(ほおり)、またの名は天津日子穂穂手見命あまつひこほほでみのみことである。
>合わせて三柱である。
当然に、目が行くのは火須勢理命です。
スセリヒメと同じ、『須勢理』が付く神様がいた!!と喜び、この神様について調べれば、スセリヒメ様について何かわかるかも知れない、と思うわけです。
が。
この後この火の神が成長すると、長男ホデリが海幸彦、末子ホオリが山幸彦と呼ばれ、所謂海幸彦と山幸彦の物語となります。
このふたりが対立し、結果理不尽にも(どう読んでも海幸彦に非は無いし、可哀想すぎる)山幸彦が勝利して、その血筋が神武帝へと続くのです。
そして、
謎なことに、神武天皇の実名が、彦火々出見だったりする。
これらの物語の中に、次男・火須勢理(ホスセリ)は、全く出てきません。出産の時に上げられた名前のみです。
名前しかわからない、何のエピソードも伝わらない神なのです。
火須勢理、と『スセリ』の部分の漢字まで同じなんだから、何か手がかりはないかと胸を躍らせたというのに、
火須勢理の存在感が薄すぎて詰んだ。
という人は、多いと思います……私も含めて。
そして、この火中出産の成り行きから言うと、火が産屋に燃え進むときに生まれたと思われ、スセリ=ススムの『スス』と同根、という論に引き戻されてしまうのです。
それで、私はしっくり来ない不満を抱えつつも、何年もの間この謎には取り組まないと言うよりも、取り組めないままでした。
因みに、三貴子のツクヨミ、サクヤの姉にしてイワナガの妹であるコノハナチルヒメ、そしてこのホスセリというこの三柱によって、
日本神話の神は真ん中が空気。などと言われています。
因みに、真ん中ではありませんが、造化三神の2番目タカミムスビ神(アマテラスよりも偉そうにしている天津神サイド)、3番目カムムスビ神(何故かスサノオやオオナムチに手を貸してくれる出雲サイド)とは違って、やはり名前しか出て来ないのが、1番目に生まれ、しかし名前からはど真ん中と思われる天之御中主神(アメノミナカヌシ)です。
出てくるのに何で空気なんだとか、空気なのに何で出てきたんだとか、多くの人が不可解に思うわけで、私もそうなのですが、これらを
『無為の神』と名付けたのが、河合隼雄氏です。
その著書、『中空構造日本の深層』(日本人の真ん中は空っぽだ、というすげぇタイトル)にて、ざっくり言うと、
『何もしない無為の神があるように、極端に偏らないようにバランスを取ろうとするのが日本人の深層心理』。
・・・・・・・・・・・・・・。
んな哲学的な感じに言われても、訳わからんわ!
だから、頭の良すぎる人は時々ダメなのよ……
神話なんて、パンピーが語り継いできたものなんだから、アホでもわかるように単純に行こうよ。
と、アホな私がわかりやすく提唱したいのは、『空気はダミー説』です。
(つづく)
スサノオ様と牛頭天王のお話で2日のお休みを頂いたので、前回の『スセリヒメ様とスサノオ様の名の意味を解いてみる。その5』は2020/05/28の記事となります。
その続きと参りましょう。
スセリヒメ様の名前の意味ですが、興味を持って調べた人は、多分私と同じ道を辿っていると思います。
それは、ニニギに嘲われて富士山の噴火みたいに怒ったコノハナサクヤヒメが『天孫の子なら無事に産まれてくる』という誓約を立て、火中出産に挑んだ末に見事運で見せたという、三柱の御子神についてです。
古事記(現代語訳)によると、
>その火が盛んに燃えるときに、生んだ子の名は火照命(ほでり)。これは隼人はやとの阿多君(あたのきみ)の祖神である。
>次に生んだ子の名は火須勢理命(ほすせり)。
>次に生んだ子の名は火遠理命(ほおり)、またの名は天津日子穂穂手見命あまつひこほほでみのみことである。
>合わせて三柱である。
当然に、目が行くのは火須勢理命です。
スセリヒメと同じ、『須勢理』が付く神様がいた!!と喜び、この神様について調べれば、スセリヒメ様について何かわかるかも知れない、と思うわけです。
が。
この後この火の神が成長すると、長男ホデリが海幸彦、末子ホオリが山幸彦と呼ばれ、所謂海幸彦と山幸彦の物語となります。
このふたりが対立し、結果理不尽にも(どう読んでも海幸彦に非は無いし、可哀想すぎる)山幸彦が勝利して、その血筋が神武帝へと続くのです。
そして、
謎なことに、神武天皇の実名が、彦火々出見だったりする。
これらの物語の中に、次男・火須勢理(ホスセリ)は、全く出てきません。出産の時に上げられた名前のみです。
名前しかわからない、何のエピソードも伝わらない神なのです。
火須勢理、と『スセリ』の部分の漢字まで同じなんだから、何か手がかりはないかと胸を躍らせたというのに、
火須勢理の存在感が薄すぎて詰んだ。
という人は、多いと思います……私も含めて。
そして、この火中出産の成り行きから言うと、火が産屋に燃え進むときに生まれたと思われ、スセリ=ススムの『スス』と同根、という論に引き戻されてしまうのです。
それで、私はしっくり来ない不満を抱えつつも、何年もの間この謎には取り組まないと言うよりも、取り組めないままでした。
因みに、三貴子のツクヨミ、サクヤの姉にしてイワナガの妹であるコノハナチルヒメ、そしてこのホスセリというこの三柱によって、
日本神話の神は真ん中が空気。などと言われています。
因みに、真ん中ではありませんが、造化三神の2番目タカミムスビ神(アマテラスよりも偉そうにしている天津神サイド)、3番目カムムスビ神(何故かスサノオやオオナムチに手を貸してくれる出雲サイド)とは違って、やはり名前しか出て来ないのが、1番目に生まれ、しかし名前からはど真ん中と思われる天之御中主神(アメノミナカヌシ)です。
出てくるのに何で空気なんだとか、空気なのに何で出てきたんだとか、多くの人が不可解に思うわけで、私もそうなのですが、これらを
『無為の神』と名付けたのが、河合隼雄氏です。
その著書、『中空構造日本の深層』(日本人の真ん中は空っぽだ、というすげぇタイトル)にて、ざっくり言うと、
『何もしない無為の神があるように、極端に偏らないようにバランスを取ろうとするのが日本人の深層心理』。
・・・・・・・・・・・・・・。
んな哲学的な感じに言われても、訳わからんわ!
だから、頭の良すぎる人は時々ダメなのよ……
神話なんて、パンピーが語り継いできたものなんだから、アホでもわかるように単純に行こうよ。
と、アホな私がわかりやすく提唱したいのは、『空気はダミー説』です。
(つづく)

2020.
05.
30
世界(主にユーラシア大陸)が牛信仰と龍信仰に分かれる、というのを論拠にする人は、田中芳樹の創竜伝でも読んだのでしょうか?
確かに、西洋には牛を始め、角のある動物が神だった時代があります。
しかし、キリスト教という一神教が押し寄せて来ると、多神教の神々は、悉く悪魔の身分に落とされ、それはドラゴンに限りません。
例えば、私は山羊座生まれなんですけど、山羊座の山羊神は、パーンという神様です。この神様は、結構間抜けというか小心者で、神々が仲良く集っている場にそれこそ魔物が乱入してきたときに、驚いて川に逃げようとしたのですが、慌てふためきまくって
上半身は山羊のまま、下半身だけ魚になっちゃったんですよね。(当然、他の神には大笑いされた)
ですから、夜空の山羊座も、下半身が魚のままという憐れなことになっているのであります。
そんな親しみやすい神様・パーンも、時代が下ると悪魔にされます。
まさに、タロットカードの悪魔のカードは、山羊の姿の悪魔です。
一方、何でも受け容れる、受容性に富みまくっている日本は、外国人(特に一神教の地域の人々)からは、とんでもなく節操無しで宗教観が無いと思われるらしいですが、実際に日本人の家に足を踏み入れると驚愕することになります。
仏壇がある。神棚がある。
何と日本人は信心深いのであろうか!
日本人は、ホーム・チャーチを持っている!!!
話が脇に逸れましたが、日本で特に《悪神》として忌まれている動物って、ありましたっけ?
日本の神は、恵みの神と荒ぶる神が表裏一体ですから、一神教的に善悪をスパッと2つに分ける宗教観ではないのだと思います。
例えば、蛇には毒を持ったものも多いですが、恐ろしいからこそ神の中の神なのです。
そして牛ですが、魏志倭人伝によると、倭には牛馬無しと伝えられており、6世紀頃に制作された牛の埴輪、馬の埴輪が出土していますので、これは確かに古墳時代になってから半島から渡来したのかも知れません。
それまでは、野生種はいたらしいのですけれども、家畜としての牛や馬はおらず、牛というパワフルな家畜の到来によって日本の農業は大きく前進したことでしょう。
日本では、牛と蛇(龍)の対立など無く、牛を忌む理由も全く無いのです。
当然に、
日本産の牛頭の神・牛頭天王と習合したスサノオは渡来した征服者だ、という主張は全く的外れです。
それから、このエピソードが決定打では?
牛頭天王は竜宮を訪ね、八大龍王の三、大海龍王である娑伽羅龍王(しゃがらりゅうおう)の第三王女を娶り、八王子を設けるのです。
※ その牛頭天王と妻・頗梨采女(はりさいにょ・はりさいじょ)と八王子を祀るのが、八坂神社(祇園さん)の元々の信仰です
牛頭天王のどの辺が、竜神の敵なのでしょうか?
そういう訳で、『牛頭天王スサノオは、出雲を征服した渡来人なのか?』という問いに対しては、私は自信を持って
違 う 。
と申し上げ、〆としましょう。
確かに、西洋には牛を始め、角のある動物が神だった時代があります。
しかし、キリスト教という一神教が押し寄せて来ると、多神教の神々は、悉く悪魔の身分に落とされ、それはドラゴンに限りません。
例えば、私は山羊座生まれなんですけど、山羊座の山羊神は、パーンという神様です。この神様は、結構間抜けというか小心者で、神々が仲良く集っている場にそれこそ魔物が乱入してきたときに、驚いて川に逃げようとしたのですが、慌てふためきまくって
上半身は山羊のまま、下半身だけ魚になっちゃったんですよね。(当然、他の神には大笑いされた)
ですから、夜空の山羊座も、下半身が魚のままという憐れなことになっているのであります。
そんな親しみやすい神様・パーンも、時代が下ると悪魔にされます。
まさに、タロットカードの悪魔のカードは、山羊の姿の悪魔です。
一方、何でも受け容れる、受容性に富みまくっている日本は、外国人(特に一神教の地域の人々)からは、とんでもなく節操無しで宗教観が無いと思われるらしいですが、実際に日本人の家に足を踏み入れると驚愕することになります。
仏壇がある。神棚がある。
何と日本人は信心深いのであろうか!
日本人は、ホーム・チャーチを持っている!!!
話が脇に逸れましたが、日本で特に《悪神》として忌まれている動物って、ありましたっけ?
日本の神は、恵みの神と荒ぶる神が表裏一体ですから、一神教的に善悪をスパッと2つに分ける宗教観ではないのだと思います。
例えば、蛇には毒を持ったものも多いですが、恐ろしいからこそ神の中の神なのです。
そして牛ですが、魏志倭人伝によると、倭には牛馬無しと伝えられており、6世紀頃に制作された牛の埴輪、馬の埴輪が出土していますので、これは確かに古墳時代になってから半島から渡来したのかも知れません。
それまでは、野生種はいたらしいのですけれども、家畜としての牛や馬はおらず、牛というパワフルな家畜の到来によって日本の農業は大きく前進したことでしょう。
日本では、牛と蛇(龍)の対立など無く、牛を忌む理由も全く無いのです。
当然に、
日本産の牛頭の神・牛頭天王と習合したスサノオは渡来した征服者だ、という主張は全く的外れです。
それから、このエピソードが決定打では?
牛頭天王は竜宮を訪ね、八大龍王の三、大海龍王である娑伽羅龍王(しゃがらりゅうおう)の第三王女を娶り、八王子を設けるのです。
※ その牛頭天王と妻・頗梨采女(はりさいにょ・はりさいじょ)と八王子を祀るのが、八坂神社(祇園さん)の元々の信仰です
牛頭天王のどの辺が、竜神の敵なのでしょうか?
そういう訳で、『牛頭天王スサノオは、出雲を征服した渡来人なのか?』という問いに対しては、私は自信を持って
違 う 。
と申し上げ、〆としましょう。

2020.
05.
29
違 う 。
と、しょっぱなから自分が付けたタイトルを否定したいと思います。
まず、牛頭天王(ごずてんのう)とは何か。
諸説有り。
…なのは事実なのですが、ざっくりと確定事項を述べたいと思います。
1.神仏習合の時代に登場した仏教の神(仏教でも明王以下、お酒をお供えしてOKなのは神)。道教的な要素も強いが、中国の文献にその名は無く、日本産・日本独自の神である。
2.誰が言い出したんだか、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神、というご立派な設定であるからして、善き神なのかと思いきや、とんでもない疫病の神、まさに疫病神である。
3.疫病とは、日本の歴史上、疫病として流行したと考えられているものに、痘瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・赤痢・コレラ・インフルエンザ・癩(らい病)・結核・梅毒・コロナウイルスが挙げられる。どれも、ろくな医学もない時代にあっては、人民が大量死し、集落ごと消滅することすらあった。
4.疫病神は、疫病をもたらす恐怖の神ではあるが、蘇民将来伝説のように、疫病除けをして人間を守る事も出来る。
5.荒ぶる英雄神・スサノオと習合・同一視されて、日本中で絶大な人気を誇った。その理由は、2020/05現在の新型コロナウイルスの世界規模の惨状と古代を重ねてみれば、現代人にもリアリティを持って感じられるだろう。
5.本地は薬師如来で、その仏像の多くはその手に薬壺を載せており、霊験は病気平癒である。
6.朝鮮語のゴズ(牛頭)とは、何ら関係が無い。
※ 『朝鮮語は日本古代史や古典の参考資料にはならない話。』その1~その5(20/05/18~22) 参照
こんな感じでしょうか。
なお、牛頭天王については、こちらのサイト様が詳しいです。
日本人と牛信仰については、こちらのサイト様が、牛頭天王信仰と合わせて参考になります。
そういう訳で、牛頭天王は日本で誕生した神であり、また渡来人がスサノオ様を祀りたいと申し出た話などもあるのですが、それはスサノオ様の信仰が日本に渡来したのではなくて、逆です。
スサノオ様はクシナダヒメ様という弥生文化の象徴であるような女神様を正妻に選び出雲を自らの拠点に選びましたが、縄文文化的エピソードを持つ神でもあり、おそらくかなり古い時代から信仰されていた神様です。
そして、朝鮮半島は日本の縄文人が移り住んだ縄文文化の土地であり、前方後円墳すら存在し、人の流れとしては日本→半島の方が多かったということです。
スサノオ信仰が日本から半島に渡った人々とセットで伝播していたので、その信仰を持って日本に渡来した子孫が、自分たちもこちらでお祀りしたいのでにスサノオ様の御魂をお分け下さいと申し出たのでしょう。
※ 大歳神信仰も同様だと思う
スサノオ様は、イザナギ・イザナミ神信仰の地・淡路の海人族の流れを汲んで出雲を本拠地にした一族だというのが私の主張ですので、日本書紀の言う新羅のソシモリには立ち寄っただけで日本列島に帰ってきたのです。
そして、よく聞かれるのが、
『ユーラシア大陸はインドを境に牛神信仰エリアと竜神(蛇神)信仰エリアに分かれており、牛神信仰では龍は神ではなく魔物である。』
という話です。故に、
バリバリに蛇信仰で龍信仰の日本で、牛頭天王と習合したスサノオは、渡来神であり征服者である。
という主張する人々が結構いるのです。
私は違うと言えるんですけども。
(つづく)
と、しょっぱなから自分が付けたタイトルを否定したいと思います。
まず、牛頭天王(ごずてんのう)とは何か。
諸説有り。
…なのは事実なのですが、ざっくりと確定事項を述べたいと思います。
1.神仏習合の時代に登場した仏教の神(仏教でも明王以下、お酒をお供えしてOKなのは神)。道教的な要素も強いが、中国の文献にその名は無く、日本産・日本独自の神である。
2.誰が言い出したんだか、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神、というご立派な設定であるからして、善き神なのかと思いきや、とんでもない疫病の神、まさに疫病神である。
3.疫病とは、日本の歴史上、疫病として流行したと考えられているものに、痘瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・赤痢・コレラ・インフルエンザ・癩(らい病)・結核・梅毒・コロナウイルスが挙げられる。どれも、ろくな医学もない時代にあっては、人民が大量死し、集落ごと消滅することすらあった。
4.疫病神は、疫病をもたらす恐怖の神ではあるが、蘇民将来伝説のように、疫病除けをして人間を守る事も出来る。
5.荒ぶる英雄神・スサノオと習合・同一視されて、日本中で絶大な人気を誇った。その理由は、2020/05現在の新型コロナウイルスの世界規模の惨状と古代を重ねてみれば、現代人にもリアリティを持って感じられるだろう。
5.本地は薬師如来で、その仏像の多くはその手に薬壺を載せており、霊験は病気平癒である。
6.朝鮮語のゴズ(牛頭)とは、何ら関係が無い。
※ 『朝鮮語は日本古代史や古典の参考資料にはならない話。』その1~その5(20/05/18~22) 参照
こんな感じでしょうか。
なお、牛頭天王については、こちらのサイト様が詳しいです。
日本人と牛信仰については、こちらのサイト様が、牛頭天王信仰と合わせて参考になります。
そういう訳で、牛頭天王は日本で誕生した神であり、また渡来人がスサノオ様を祀りたいと申し出た話などもあるのですが、それはスサノオ様の信仰が日本に渡来したのではなくて、逆です。
スサノオ様はクシナダヒメ様という弥生文化の象徴であるような女神様を正妻に選び出雲を自らの拠点に選びましたが、縄文文化的エピソードを持つ神でもあり、おそらくかなり古い時代から信仰されていた神様です。
そして、朝鮮半島は日本の縄文人が移り住んだ縄文文化の土地であり、前方後円墳すら存在し、人の流れとしては日本→半島の方が多かったということです。
スサノオ信仰が日本から半島に渡った人々とセットで伝播していたので、その信仰を持って日本に渡来した子孫が、自分たちもこちらでお祀りしたいのでにスサノオ様の御魂をお分け下さいと申し出たのでしょう。
※ 大歳神信仰も同様だと思う
スサノオ様は、イザナギ・イザナミ神信仰の地・淡路の海人族の流れを汲んで出雲を本拠地にした一族だというのが私の主張ですので、日本書紀の言う新羅のソシモリには立ち寄っただけで日本列島に帰ってきたのです。
そして、よく聞かれるのが、
『ユーラシア大陸はインドを境に牛神信仰エリアと竜神(蛇神)信仰エリアに分かれており、牛神信仰では龍は神ではなく魔物である。』
という話です。故に、
バリバリに蛇信仰で龍信仰の日本で、牛頭天王と習合したスサノオは、渡来神であり征服者である。
という主張する人々が結構いるのです。
私は違うと言えるんですけども。
(つづく)

2020.
05.
28
可能性…と言うよりも、私は確信を持っています。
スセリヒメとは、《一定の条件を満たす》出雲の姫に受け継がれた名前であるはずです。
よく知られているスサノオ様の8人の子は、八坂神社の八王子でしょうか。
八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命
みな名前だけは全て記紀に出て来るので、お馴染みの神様です。
五十猛(イタケル)と大屋毘古(オオヤビコ)は同神説があります。
同名で、大屋毘古(オオヤビコ)とは違うのは性別だけという、大屋比売(オオヤヒメ)は、見るからに対になっているきょうだい神と見るのが自然なのですが、オオヤビコ=イタケルが成立するかどうかは、私は断言するには手札が足りません。
とにかく、取り敢えず8人いないと、八坂神社(祇園さん)的には困るんです。
八坂神社は、スサノオファミリーの神社と言うよりも、牛頭天王を祀る色彩が強い神社です。
牛頭天王は妻の頗梨采女(はりさいにょ)との間に、8人の御子を設けたとされ、八王子権現と呼ばれました。
一応、神仏習合ではスサノオ=牛頭天王ということになっていたので、漠然とスサノオ様を意識してはいたかも知れませんが、圧倒的に牛頭天王信仰の場所(寺か神社かよくわからない)であった思います。
※ そんなものです。家康公の日光東照宮さえ、寺か神社か曖昧だった
明治の神仏分離で、八坂神社はスサノオファミリーを選ぶことになり、八王子に対応するスサノオの御子神を必要としたのでしょう。
でも、牛頭天王が、実は日本産の神様(仏教であっても、菩薩未満は仏ではなく神という、仏教に理解を示し協力してくれる立場の存在)で、どういう訳か祇園精舎を守護していたとか、八王子を設けたとかいう設定に出来上がってしまったのです。
そして、
スサノオ様と言えば、『8』が付いて回ります。
八雲、八重垣、八岐大蛇、そしてハニー・クシナダは8人姉妹の末娘。(他にもあったと思いますが、取り敢えずこの辺りで)
ただし、出雲国風土記に登場するスサノオ様の御子神は7柱です。
産まれた順ではないと思いますが、
青幡佐久佐日古命(アオハタサクサヒコノミコト)
都留伎日子命(ツルギヒコノミコト)
衡鉾等乎而留比古命(ツキホコトオテルヒコノミコト)
磐坂日子命(イワサカヒコノミコト)
国忍別命(クニオシワケノミコト)
和加須世理比売命(ワカスセリヒメノミコト)
八野若比売命(ヤヌノワカヒメノミコト)
…と、ワカスセリヒメ以外は、記紀には残されなかった馴染みのない神様なのです。
8は日本古来の聖数です。末広がりの八とかいうのは後付けで、漢字が存在しない時代から8は最大数だから、数多居るスサノオ様の御子神の中から8柱選んで『八王子』を集めた訳で、出雲国風土記が一柱抜いて七柱に留めたのは何か理由が有るのでしょう。
そして、遠隔地にいる私には馴染みがなくても、八重垣神社の祭神は、
主祭神:素盞嗚尊
櫛稲田姫
大己貴命
青幡佐久佐日古命
というラインナップなので、青幡佐久佐日古は、確かに地元の伝承には残る神なのです。記紀には何故か取り上げられなかっただけで。
それ以外の出雲国風土記の御子神も、そうなのだと思います。
現代でも、八重垣神社をお祀りしているのは、青幡佐久佐日古命を祖神とする佐草氏です。
神社の世襲は無しというのが今の建前ではありますが、実際には遙かな昔から同じ一族が祖神を祀り続けている、そんな歴史ある神社が幾つもある日本という国は、世界中の人々が驚く奇跡の国だと思います。
スセリヒメを含むお馴染みの八王子とはメンバーが違っても、出雲国風土記には別の御子神が挙げられており、実際に地元では信仰されている(或いはされていた)神が、確かにいらした。
他のきょうだい神がゴッソリと入れ替わっているのなら、古事記の『須勢理毘売命/スセリビメ』と、風土記の『和加須世理比売』は別神、時系列的・歴史的には別人と考えるべきだと思います。
神社に祀られているスセリヒメも、きっとごっちゃになっていることでしょう。
いずれもオオクニヌシorオオナムチの嫡妻、或いはスサノオ様の娘、という条件を満たしている存在であるならば、後世混ざってしまっても何の不思議もありません。
そして、スセリヒメが何代かいたように、スサノオ様も何代か引き継がれた称号だと思うのです。
(つづく)
スセリヒメとは、《一定の条件を満たす》出雲の姫に受け継がれた名前であるはずです。
よく知られているスサノオ様の8人の子は、八坂神社の八王子でしょうか。
八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命
みな名前だけは全て記紀に出て来るので、お馴染みの神様です。
五十猛(イタケル)と大屋毘古(オオヤビコ)は同神説があります。
同名で、大屋毘古(オオヤビコ)とは違うのは性別だけという、大屋比売(オオヤヒメ)は、見るからに対になっているきょうだい神と見るのが自然なのですが、オオヤビコ=イタケルが成立するかどうかは、私は断言するには手札が足りません。
とにかく、取り敢えず8人いないと、八坂神社(祇園さん)的には困るんです。
八坂神社は、スサノオファミリーの神社と言うよりも、牛頭天王を祀る色彩が強い神社です。
牛頭天王は妻の頗梨采女(はりさいにょ)との間に、8人の御子を設けたとされ、八王子権現と呼ばれました。
一応、神仏習合ではスサノオ=牛頭天王ということになっていたので、漠然とスサノオ様を意識してはいたかも知れませんが、圧倒的に牛頭天王信仰の場所(寺か神社かよくわからない)であった思います。
※ そんなものです。家康公の日光東照宮さえ、寺か神社か曖昧だった
明治の神仏分離で、八坂神社はスサノオファミリーを選ぶことになり、八王子に対応するスサノオの御子神を必要としたのでしょう。
でも、牛頭天王が、実は日本産の神様(仏教であっても、菩薩未満は仏ではなく神という、仏教に理解を示し協力してくれる立場の存在)で、どういう訳か祇園精舎を守護していたとか、八王子を設けたとかいう設定に出来上がってしまったのです。
そして、
スサノオ様と言えば、『8』が付いて回ります。
八雲、八重垣、八岐大蛇、そしてハニー・クシナダは8人姉妹の末娘。(他にもあったと思いますが、取り敢えずこの辺りで)
ただし、出雲国風土記に登場するスサノオ様の御子神は7柱です。
産まれた順ではないと思いますが、
青幡佐久佐日古命(アオハタサクサヒコノミコト)
都留伎日子命(ツルギヒコノミコト)
衡鉾等乎而留比古命(ツキホコトオテルヒコノミコト)
磐坂日子命(イワサカヒコノミコト)
国忍別命(クニオシワケノミコト)
和加須世理比売命(ワカスセリヒメノミコト)
八野若比売命(ヤヌノワカヒメノミコト)
…と、ワカスセリヒメ以外は、記紀には残されなかった馴染みのない神様なのです。
8は日本古来の聖数です。末広がりの八とかいうのは後付けで、漢字が存在しない時代から8は最大数だから、数多居るスサノオ様の御子神の中から8柱選んで『八王子』を集めた訳で、出雲国風土記が一柱抜いて七柱に留めたのは何か理由が有るのでしょう。
そして、遠隔地にいる私には馴染みがなくても、八重垣神社の祭神は、
主祭神:素盞嗚尊
櫛稲田姫
大己貴命
青幡佐久佐日古命
というラインナップなので、青幡佐久佐日古は、確かに地元の伝承には残る神なのです。記紀には何故か取り上げられなかっただけで。
それ以外の出雲国風土記の御子神も、そうなのだと思います。
現代でも、八重垣神社をお祀りしているのは、青幡佐久佐日古命を祖神とする佐草氏です。
神社の世襲は無しというのが今の建前ではありますが、実際には遙かな昔から同じ一族が祖神を祀り続けている、そんな歴史ある神社が幾つもある日本という国は、世界中の人々が驚く奇跡の国だと思います。
スセリヒメを含むお馴染みの八王子とはメンバーが違っても、出雲国風土記には別の御子神が挙げられており、実際に地元では信仰されている(或いはされていた)神が、確かにいらした。
他のきょうだい神がゴッソリと入れ替わっているのなら、古事記の『須勢理毘売命/スセリビメ』と、風土記の『和加須世理比売』は別神、時系列的・歴史的には別人と考えるべきだと思います。
神社に祀られているスセリヒメも、きっとごっちゃになっていることでしょう。
いずれもオオクニヌシorオオナムチの嫡妻、或いはスサノオ様の娘、という条件を満たしている存在であるならば、後世混ざってしまっても何の不思議もありません。
そして、スセリヒメが何代かいたように、スサノオ様も何代か引き継がれた称号だと思うのです。
(つづく)

2020.
05.
27
スセリヒメは、日本書紀には出て来ません。
オオクニヌシの嫡妻であるにもかかわらず、黙秘を貫かれています。
何故なら、日本書紀ではスサノオ様とクシナダヒメ様の唯一の実子がオオナムチとされているので、産まれたときから出雲の嫡子の地位を約束された立場であるので、入り婿する必要が無い=スセリヒメというスサノオ様の末娘を出す必要がないのです。
日本書紀、上手く隠したな。しかし我らには古事記がある!
スセリヒメ様の名前の表記は、
古事記:須勢理毘売命、須勢理毘売、須世理毘売
先代旧事本紀:須世理姫
出雲国風土記:和加須世理比売命(わかすせりひめ)
古事記表記ですと、『ビメ』と読めますが、先代旧事本紀と出雲国風土記に倣って、『ヒメ』と清音で行きたいですね。
濁点を付けずに、
スセリヒメ、の方が美しくありません?(それだけの理由ですすみません)
ただ、出雲国風土記の『ワカスセリヒメ』と、古事記・旧事本紀の『スセリヒメ』が、同一人物かどうかは断言できない、と私は読んでいます。
何故か。例えばスサノオの息子・大歳神(オオトシ・敢えて漢字表記してみる)の系譜を辿りますと、
大年(初代?)
御年(オオトシの子)
若年(ミトシの子)
…と、多分これ、全員の名前が同じ《トシ》なんです。
区別をするために、一番年長の《トシ》は大年、その子供は《トシ》と呼び捨てにするもの不敬なので、御を付けて御年(ミトシ)。
更に《トシ》の名を引き継いで、若年(ワカトシ)。
この『若/ワカ』って、まさに若々しく活力のある神威を讃える美称に使われるのですが、単に新しい世代の者に付けて、その前の世代と区別する使い方もあるのです。
例えば、古事記には『大日孁/オオヒルメ』と対を為すかのように、『稚日女/ワカヒルメ』が出てくるのですが、この『稚/ワカ』は神威を讃えているのではなく、オオヒルメと区別を付けているのだと思います。
和加須世理比売の『和加/ワカ』も『若/ワカ』や『稚/ワカ』と表記が違うだけで使い方は同じ言葉です。
つまり、
スセリヒメは、複数人いた可能性がある。
(つづく)
オオクニヌシの嫡妻であるにもかかわらず、黙秘を貫かれています。
何故なら、日本書紀ではスサノオ様とクシナダヒメ様の唯一の実子がオオナムチとされているので、産まれたときから出雲の嫡子の地位を約束された立場であるので、入り婿する必要が無い=スセリヒメというスサノオ様の末娘を出す必要がないのです。
日本書紀、上手く隠したな。しかし我らには古事記がある!
スセリヒメ様の名前の表記は、
古事記:須勢理毘売命、須勢理毘売、須世理毘売
先代旧事本紀:須世理姫
出雲国風土記:和加須世理比売命(わかすせりひめ)
古事記表記ですと、『ビメ』と読めますが、先代旧事本紀と出雲国風土記に倣って、『ヒメ』と清音で行きたいですね。
濁点を付けずに、
スセリヒメ、の方が美しくありません?(それだけの理由ですすみません)
ただ、出雲国風土記の『ワカスセリヒメ』と、古事記・旧事本紀の『スセリヒメ』が、同一人物かどうかは断言できない、と私は読んでいます。
何故か。例えばスサノオの息子・大歳神(オオトシ・敢えて漢字表記してみる)の系譜を辿りますと、
大年(初代?)
御年(オオトシの子)
若年(ミトシの子)
…と、多分これ、全員の名前が同じ《トシ》なんです。
区別をするために、一番年長の《トシ》は大年、その子供は《トシ》と呼び捨てにするもの不敬なので、御を付けて御年(ミトシ)。
更に《トシ》の名を引き継いで、若年(ワカトシ)。
この『若/ワカ』って、まさに若々しく活力のある神威を讃える美称に使われるのですが、単に新しい世代の者に付けて、その前の世代と区別する使い方もあるのです。
例えば、古事記には『大日孁/オオヒルメ』と対を為すかのように、『稚日女/ワカヒルメ』が出てくるのですが、この『稚/ワカ』は神威を讃えているのではなく、オオヒルメと区別を付けているのだと思います。
和加須世理比売の『和加/ワカ』も『若/ワカ』や『稚/ワカ』と表記が違うだけで使い方は同じ言葉です。
つまり、
スセリヒメは、複数人いた可能性がある。
(つづく)

2020.
05.
26
スサノオ様の愛娘・スセリヒメ様という聡明で一途で美しい女神様に心惹かれた人は、一度はその名前の意味を調べてみようと思ったのではないでしょうか。
例えば『コノハナサクヤヒメ』のように解りやすい名前ではありませんので。
謎の女神として有名すぎる瀬織津姫でさえ、その正体はともかく、名前は早瀬の水神というわかりやすさです。
スセリヒメ。美しい響きであるというのに、意味不明。
そして、調べてみても、ガッカリするような解釈しか出てきません。
先日の記事から再び持ってきますが、
>「須勢理」は「進む」の「すす」、「荒ぶ/すさぶ」の「すさ」(スサノオのスサのこと)と同根で勢いのままに事を行うこと、「命/ミコト」が着かないことを巫女性の表れと解し、「勢いに乗って性行が進み高ぶる巫女」と考えられる。(ソース:新潮日本古典集成 古事記)
だなんて、美しさの欠片もなければ品の欠片も無い許し難い!
私は既に、
『スサノオがイザナギの日真名子かもしれない話』全31話、及び『アマテラス月神説とスサノオ分身説。』という全17話に及ぶ連載記事にて、スサノオ様は日神である根拠を述べてきました。
泣き喚けば旱を起こす太陽神ですから、確かに荒ぶる面はありますが、水神、火神、海神、山神、雷神、風神、みんなそうであって、スサノオ様だけを殊更に荒ぶ男呼わばりは間違っています。
私の読みでは、スサは普通に地名の『須佐』です。
記紀・風土記で、共通して『スサノオ様が自分の名を草木ではなく土地の名にした』、と重要事項にしては珍しく伝承が一致しているのですから、そうなのでしょう。
ただ、歴史的には、《スサという地名》が先にあって、海の民であったヒルコが斐伊川から出雲に入り、まだ幼いクシナダヒメ(日本書紀:少女。古事記:童女)を娶ることになり、本拠地にしたのが須佐であったので須佐之男と呼ばれるようになった、という順序だと思います。
その地名、《スサ》が何を意味するのかは、私にもわかりません。
でも、由来がわからないというのは、《須佐之男のスサ》は太古の地名だということです。イザナギ・イザナミ夫妻神を信仰した海人の淡路島にも、今でも由来不明のいにしえからの地名が幾つも残っています。
淡路島の海人達は、外部に対しては活発に出てゆき、交流・交易をしましたが、島という内部には関してはよそ者を入れることを歓迎はせず、閉鎖的ででした。日本中のあちこちに、客人(マレビト)信仰があるのとは対照的です。
古代の日本では、海に流れ着くものを神聖視する信仰があり、海の向こうからやって来る人々を客人(マレビト)として歓迎していました。
だから出雲の人々は、浜に打ち上げられるウミヘビを神としたのですし、《海に流されたヒルコ》もまた、神として迎えられ、権力者がいくら貶めようとも全く無駄な感じに手厚く祀られ、後には恵比寿さまと習合して(海で亡くなったコトシロヌシもまた恵比寿さまと習合している)、一層ありがたい神として崇敬されたのです。
淡路ほどではなくても、日本中に、それってどういう意味?という地名はありますし、今は《須佐》の意味については論じません。
ただ、地名として考察を進めたいと思います。
wikiの引用にあったように、『スサノオ』と『スセリ』は、何となく似ています。
始まりの子音が、2連続で”S”だからです。
その響きの鋭さから、『すさぶ』、『すすむ』、など同根の言葉が発生したというのが、スサノオ荒ぶ男論・スセリヒメ思うがままに進む女論の論拠なのでしょう。
だが芸が無い。
神話なのですから、大抵の神は実在の人物を反映していても、神としての属性を持っています。
例えば、ヌナカワヒメは、玉の河の姫です。(古語で、ヌ=玉。ヒスイの産地だった)
まあ、ヤガミヒメのように、八上は現在の地名の八頭郡(やずぐん)の事で、八上の姫、だけなのですけれども。
それでも、オオクニヌシとの御子神には『御井神』の名があり、水の神、井戸の神、エピソードとしては安産の神という属性があります。
スサノオ様の、始まりの日神という属性は、隠されました。
ならば、出雲の末子、つまり正当な後継者・相続者として、オオナムチに王位を与える事が出来たスセリヒメが、
「勢いに乗って性行が進み高ぶる巫女」などという、麻薬を吸って妄言を吐く狂女のような無礼な名であるはずが無い。
《スセリヒメ》の名の本当の意味、或いは本当の名前とその名が示す属性は、きっと隠されている。
(つづく)
例えば『コノハナサクヤヒメ』のように解りやすい名前ではありませんので。
謎の女神として有名すぎる瀬織津姫でさえ、その正体はともかく、名前は早瀬の水神というわかりやすさです。
スセリヒメ。美しい響きであるというのに、意味不明。
そして、調べてみても、ガッカリするような解釈しか出てきません。
先日の記事から再び持ってきますが、
>「須勢理」は「進む」の「すす」、「荒ぶ/すさぶ」の「すさ」(スサノオのスサのこと)と同根で勢いのままに事を行うこと、「命/ミコト」が着かないことを巫女性の表れと解し、「勢いに乗って性行が進み高ぶる巫女」と考えられる。(ソース:新潮日本古典集成 古事記)
だなんて、美しさの欠片もなければ品の欠片も無い許し難い!
私は既に、
『スサノオがイザナギの日真名子かもしれない話』全31話、及び『アマテラス月神説とスサノオ分身説。』という全17話に及ぶ連載記事にて、スサノオ様は日神である根拠を述べてきました。
泣き喚けば旱を起こす太陽神ですから、確かに荒ぶる面はありますが、水神、火神、海神、山神、雷神、風神、みんなそうであって、スサノオ様だけを殊更に荒ぶ男呼わばりは間違っています。
私の読みでは、スサは普通に地名の『須佐』です。
記紀・風土記で、共通して『スサノオ様が自分の名を草木ではなく土地の名にした』、と重要事項にしては珍しく伝承が一致しているのですから、そうなのでしょう。
ただ、歴史的には、《スサという地名》が先にあって、海の民であったヒルコが斐伊川から出雲に入り、まだ幼いクシナダヒメ(日本書紀:少女。古事記:童女)を娶ることになり、本拠地にしたのが須佐であったので須佐之男と呼ばれるようになった、という順序だと思います。
その地名、《スサ》が何を意味するのかは、私にもわかりません。
でも、由来がわからないというのは、《須佐之男のスサ》は太古の地名だということです。イザナギ・イザナミ夫妻神を信仰した海人の淡路島にも、今でも由来不明のいにしえからの地名が幾つも残っています。
淡路島の海人達は、外部に対しては活発に出てゆき、交流・交易をしましたが、島という内部には関してはよそ者を入れることを歓迎はせず、閉鎖的ででした。日本中のあちこちに、客人(マレビト)信仰があるのとは対照的です。
古代の日本では、海に流れ着くものを神聖視する信仰があり、海の向こうからやって来る人々を客人(マレビト)として歓迎していました。
だから出雲の人々は、浜に打ち上げられるウミヘビを神としたのですし、《海に流されたヒルコ》もまた、神として迎えられ、権力者がいくら貶めようとも全く無駄な感じに手厚く祀られ、後には恵比寿さまと習合して(海で亡くなったコトシロヌシもまた恵比寿さまと習合している)、一層ありがたい神として崇敬されたのです。
淡路ほどではなくても、日本中に、それってどういう意味?という地名はありますし、今は《須佐》の意味については論じません。
ただ、地名として考察を進めたいと思います。
wikiの引用にあったように、『スサノオ』と『スセリ』は、何となく似ています。
始まりの子音が、2連続で”S”だからです。
その響きの鋭さから、『すさぶ』、『すすむ』、など同根の言葉が発生したというのが、スサノオ荒ぶ男論・スセリヒメ思うがままに進む女論の論拠なのでしょう。
だが芸が無い。
神話なのですから、大抵の神は実在の人物を反映していても、神としての属性を持っています。
例えば、ヌナカワヒメは、玉の河の姫です。(古語で、ヌ=玉。ヒスイの産地だった)
まあ、ヤガミヒメのように、八上は現在の地名の八頭郡(やずぐん)の事で、八上の姫、だけなのですけれども。
それでも、オオクニヌシとの御子神には『御井神』の名があり、水の神、井戸の神、エピソードとしては安産の神という属性があります。
スサノオ様の、始まりの日神という属性は、隠されました。
ならば、出雲の末子、つまり正当な後継者・相続者として、オオナムチに王位を与える事が出来たスセリヒメが、
「勢いに乗って性行が進み高ぶる巫女」などという、麻薬を吸って妄言を吐く狂女のような無礼な名であるはずが無い。
《スセリヒメ》の名の本当の意味、或いは本当の名前とその名が示す属性は、きっと隠されている。
(つづく)

2020.
05.
25
まず、高貴な姫が、ルックスだけはいい男と目が合っただけで一目惚れし、その場でセッ(ry というのは、いくら性に開放的な昔の話であっても、軽はずみの誹りを免れません。
「お父様、素敵な男神様がいらっしゃいましたわ。だから結婚しちゃったんですの」
と事後報告されたら、スサノオという猛々しいお父様じゃなくてもブチ切れて当然です。
オオナムチは、その場で一刀両断されなかったことに感謝すべきです。
まあ、スサノオ様は一刀両断とは別の手段で殺しに来るんですけど。
とはいえ、これらのエピソードは、完全に神話として読むべき所です。
つまり、完全に創作された物語である、ということです。何故か?
大昔の高貴な男女の結婚、しかも権力の多くを任せる婿入りとなれば、99.9%政略結婚です。
つまり、スセリヒメ様とオオナムチの婚姻は、スサノオ様が同盟を組むか合併したいと思う豪族の男性を、しっかり吟味して婿に選んだのであって、軽はずみで淫乱な姫なんて、出雲のどこにもいなかったんですよ。
これは、オオナムチにオオクニヌシとなる正当性を与えつつ、スサノオ様の娘・スセリヒメ様を貶める為の物語なのです。
嫉妬が過ぎる恐ろしい女のレッテルも、古事記が貼り付けたのです。
そして、これにまんまと引っ掛かった後世の学者は言う。(wikiに少し手を加えて引用)
>「須勢理」は「進む」の「すす」、「荒ぶ/すさぶ」の「すさ」(スサノオのスサのこと)と同根で勢いのままに事を行うこと、「命/ミコト」が着かないことを巫女性の表れと解し、「勢いに乗って性行が進み高ぶる巫女」と考えられる。(ソース:新潮日本古典集成 古事記)
私が補足しましょう。
上記の文章は、純然たる神話として、《完全な創作物語》としてサラッと読んでおけばいいところを真に受けているばかりか、『命』という最低限の敬称もないという理由で、スセリヒメは神話の中でも神になり切れていない巫女に過ぎない、と言っているわけです。
…ヲイ。その、新潮日本古典集成古事記とやらを書いた奴。不敬罪で氏(ry
現代語訳だけじゃなくて原文読めや学者なら。
須勢理毘売命と2回記されていることも知らないのか?
それから、古事記は敬称がかなりいい加減だってことくらい覚えろ。
イザナギ様なんて、呼び捨てから『大御神』バージョンまで幅があるんだぞ。
そして、スセリヒメ様の汚名については、断じて違うんだからね!!!
と、私のスセリヒメ様の名誉回復の為に(誰が誰のスセリヒメ様だ)、その美しき御名の意味を考察することにしたのでした。
当然に、スセリヒメという名に影響を与えたと思われるスサノオ様の御名についても、解いてみようと思います。
(つづく)
「お父様、素敵な男神様がいらっしゃいましたわ。だから結婚しちゃったんですの」
と事後報告されたら、スサノオという猛々しいお父様じゃなくてもブチ切れて当然です。
オオナムチは、その場で一刀両断されなかったことに感謝すべきです。
まあ、スサノオ様は一刀両断とは別の手段で殺しに来るんですけど。
とはいえ、これらのエピソードは、完全に神話として読むべき所です。
つまり、完全に創作された物語である、ということです。何故か?
大昔の高貴な男女の結婚、しかも権力の多くを任せる婿入りとなれば、99.9%政略結婚です。
つまり、スセリヒメ様とオオナムチの婚姻は、スサノオ様が同盟を組むか合併したいと思う豪族の男性を、しっかり吟味して婿に選んだのであって、軽はずみで淫乱な姫なんて、出雲のどこにもいなかったんですよ。
これは、オオナムチにオオクニヌシとなる正当性を与えつつ、スサノオ様の娘・スセリヒメ様を貶める為の物語なのです。
嫉妬が過ぎる恐ろしい女のレッテルも、古事記が貼り付けたのです。
そして、これにまんまと引っ掛かった後世の学者は言う。(wikiに少し手を加えて引用)
>「須勢理」は「進む」の「すす」、「荒ぶ/すさぶ」の「すさ」(スサノオのスサのこと)と同根で勢いのままに事を行うこと、「命/ミコト」が着かないことを巫女性の表れと解し、「勢いに乗って性行が進み高ぶる巫女」と考えられる。(ソース:新潮日本古典集成 古事記)
私が補足しましょう。
上記の文章は、純然たる神話として、《完全な創作物語》としてサラッと読んでおけばいいところを真に受けているばかりか、『命』という最低限の敬称もないという理由で、スセリヒメは神話の中でも神になり切れていない巫女に過ぎない、と言っているわけです。
…ヲイ。その、新潮日本古典集成古事記とやらを書いた奴。不敬罪で氏(ry
現代語訳だけじゃなくて原文読めや学者なら。
須勢理毘売命と2回記されていることも知らないのか?
それから、古事記は敬称がかなりいい加減だってことくらい覚えろ。
イザナギ様なんて、呼び捨てから『大御神』バージョンまで幅があるんだぞ。
そして、スセリヒメ様の汚名については、断じて違うんだからね!!!
と、私のスセリヒメ様の名誉回復の為に(誰が誰のスセリヒメ様だ)、その美しき御名の意味を考察することにしたのでした。
当然に、スセリヒメという名に影響を与えたと思われるスサノオ様の御名についても、解いてみようと思います。
(つづく)

2020.
05.
24
このブログをずっと読んでいて下さった方は既に御存知かと思いますが、
私はスサノオ様とその末の姫・スセリヒメ様推しです。
まずは、スセリヒメ。
名前からして美しい。
サ行の音は何故にこんなにも涼しげで透明感があるのでしょうか。リ、も上品な響き。
容姿も、美女の中の美女。
ひと目見て撃ち抜かれたオオナムチが、妻にしたばかりの美女ヤガミヒメをすっかり忘れた(これは全面的にオオナムチが悪い)ほど、スセリヒメ様は絶世の美女。
スサノオの婿いびり(というか、アレはもう殺しにかかってたと思う)から、さりげなく、上手に手を貸し夫を救い出す、賢妻・良妻のスセリヒメ様。
※ アレって、神話的には、未熟な若者が冒険や試練を経て、真の大人になるという、通過儀礼的な成長物語らしいんだけど、ハッキリ言ってスセリヒメに助けられてばっかりで、実はオオナムチって何もしてなくない?
私の心のヒーロー(正式には当然にクシナダヒメ様のヒーロー)・スサノオ様の愛娘にして、末子という正当な出雲の継承者。
スセリヒメという出雲で最も高貴な姫を得たからこそ、オオナムチはオオクニヌシという王になれたわけで、
スセリヒメは出雲の女王にも等しく、高天原のアマテラスに匹敵する偉大な姫神なのです。
本当にお気の毒なヤガミヒメ様におかれましては、次こそ誠実な男性の正妻になったであろうことを、心からお祈り申し上げます。
……ヌナカワヒメ?たかが現地妻がエロい歌を返してんじゃねーよ図に乗るな。
という訳で、宗像三女神・特にタギリヒメがどれ程偉大であろうとも(それでも私は宗像三女神の方がアマテラスよりも格上だと思っている)、出雲の女王・スセリヒメ様をこれからも心より敬い奉る所存です。
※ もはやスセリヒメ様の乳母の如き熱意
※ なぜ女王かって?オオクニヌシが国を譲れと脅迫された時、息子に聞いてくれとはぐらかしたのは、オオクニヌシには決定権が無かったからです。決定権は、正当な継承者であるスセリヒメか出雲の末子(真っ先に聞かれた事代主と思われる)しか行使出来ないのです(スセリヒメ様を出さなかったのは、既に故人であったか、戦に女性を出すことはしなかったからでありましょう)
そんな、誇り高く美しく麗しいスセリヒメ様ですが。
古事記からめっちゃdisられているんですよね。
日本書紀に至っては、スセリヒメ様は存在そのものを黙殺されて、名前すら出て来ないんですよね。
……だなんて。
これは絶対、何かあるのに決まってる。
(つづく)
私はスサノオ様とその末の姫・スセリヒメ様推しです。
まずは、スセリヒメ。
名前からして美しい。
サ行の音は何故にこんなにも涼しげで透明感があるのでしょうか。リ、も上品な響き。
容姿も、美女の中の美女。
ひと目見て撃ち抜かれたオオナムチが、妻にしたばかりの美女ヤガミヒメをすっかり忘れた(これは全面的にオオナムチが悪い)ほど、スセリヒメ様は絶世の美女。
スサノオの婿いびり(というか、アレはもう殺しにかかってたと思う)から、さりげなく、上手に手を貸し夫を救い出す、賢妻・良妻のスセリヒメ様。
※ アレって、神話的には、未熟な若者が冒険や試練を経て、真の大人になるという、通過儀礼的な成長物語らしいんだけど、ハッキリ言ってスセリヒメに助けられてばっかりで、実はオオナムチって何もしてなくない?
私の心のヒーロー(正式には当然にクシナダヒメ様のヒーロー)・スサノオ様の愛娘にして、末子という正当な出雲の継承者。
スセリヒメという出雲で最も高貴な姫を得たからこそ、オオナムチはオオクニヌシという王になれたわけで、
スセリヒメは出雲の女王にも等しく、高天原のアマテラスに匹敵する偉大な姫神なのです。
本当にお気の毒なヤガミヒメ様におかれましては、次こそ誠実な男性の正妻になったであろうことを、心からお祈り申し上げます。
……ヌナカワヒメ?たかが現地妻がエロい歌を返してんじゃねーよ図に乗るな。
という訳で、宗像三女神・特にタギリヒメがどれ程偉大であろうとも(それでも私は宗像三女神の方がアマテラスよりも格上だと思っている)、出雲の女王・スセリヒメ様をこれからも心より敬い奉る所存です。
※ もはやスセリヒメ様の乳母の如き熱意
※ なぜ女王かって?オオクニヌシが国を譲れと脅迫された時、息子に聞いてくれとはぐらかしたのは、オオクニヌシには決定権が無かったからです。決定権は、正当な継承者であるスセリヒメか出雲の末子(真っ先に聞かれた事代主と思われる)しか行使出来ないのです(スセリヒメ様を出さなかったのは、既に故人であったか、戦に女性を出すことはしなかったからでありましょう)
そんな、誇り高く美しく麗しいスセリヒメ様ですが。
古事記からめっちゃdisられているんですよね。
日本書紀に至っては、スセリヒメ様は存在そのものを黙殺されて、名前すら出て来ないんですよね。
……だなんて。
これは絶対、何かあるのに決まってる。
(つづく)

2020.
05.
23
新型コロナウイルスが猛威を振るい、世界中がパニックと惨事に見舞われた。
否、不幸にして、現在進行形で見舞われている。
長く続く自粛に、鬱屈する人々。経済が停滞し、倒産多数。
疫病である為に、家族であっても最期の別れは硝子越しのまま、遺体は荼毘に付されても葬式も出来ないという悲劇。
日本もその例外ではない。が、
我が国の象徴であらせられるはずの今上のお声が、うんともすんとも聞こえないのはどういう訳であろうか?
凜として国民を励まされる、英国エリザペス女王の美しさには、本当に心打たれた。
これで御年94歳という奇跡の輝き。実は女王という名の現人神なのではないかと、冗談抜きで思う。
エリザベス女王は長きに渡り王位にあり、多忙な公務をこなしつつも三男一女を出産している。
この三男一女がのうち3人が離婚しているというのは、チャールズ皇太子が母との関わりの少なさをを口に漏らしているように、偉大な母の背中が遠すぎたのもあるかも知れないが、そうであっても4人の御子を産み、孫8人曾孫8人(昨年の記事を参考にしたので今の人数とは違うかも知れませんが)という、後継者の血を多く残そうとなさった、ということそのものが、既にご立派なのだ。
ダイアナ妃も、不倫夫に苦しめられ、愛されない不幸に涙しても、2人の男児をお産みになったのは、悲劇的なほどにご立派だった。
結果的に、当時は男子優先の王家にあって、彼女はハンサムな王子を2人産んだ時点でお払い箱状態に追い込まれたのだから。
※ そのハンサムな王子ひとりが、黒人女性を妻に選んだ前例の無さに留まらず、妻と共に王室から出ていくという破天荒をやらかしたのは、母ダイアナを粗末にしたイギリス王室に対する思い入れが希薄だったのだろうと、私は勝手に思うのだけれども
前置きが長くなったが、王室という伝統は、どこの国の王家であれ、王の子孫がいなければ続かないのである。
イギリスではその継承者のナンバリングが軽く2桁を超えているのだから、安定感が違う。
あちらは2013年の法改正で、男子優先であった王位継承を、男女にかかわらず現在長子相続優先にしているので、内親王や女王が継承者から外れる日本とは、単純計算では倍の継承者を維持することが出来る点で、大きく異なる。
また、日本の皇族は、政治的な影響力を持たぬよう、個人的な財産を持つことは出来ず、個人的な発言の発表さえ大きく制限をかけられた存在であり、祭祀王としての役目が最も重いという点が、上記よりも更に特異性を持っている。
この国の為に神に祈りを捧げる祭祀王というトップが、天皇という日本の唯一の王でありつづけ、他家と区別を付ける『姓』が不要なほどに万世一系の皇統が約2千年続いている(学術的に意見が異なる)、というのは、世界的に見ても驚異的に尊い、奇跡的な平和の象徴なのである。
この事を、今上はどのように御自覚なさっているのか?
上皇陛下が天皇位に在られた頃ならば、まず間違いなく、この長い長いコロナ災禍にあって、複数回の『お言葉』を国民に送られていたはずである。
平成という時代は、戦争こそ起こらなかったが、天災が相次ぎ、世界各国から取り残された経済成長が『平らに成った』呪われた時代であったけれども、上皇陛下は常に国民をお心にかけて、国民のために生きて下さった御方であった。
その、ご立派な上皇陛下の長男に産まれ、礼宮さま(当時)は受けなかったという厳しい帝王教育(その厳しさのあまりに、浩宮さま(当時)は、「アーヤがやればいいんだ!」と泣いたと伝えられる)を受けていながら、
口を開けば「雅子が」「愛子が」ばかりで、国民に対するお言葉を持ち合わせないという、
無為の天皇という暗愚を晒している今上を、私は陛下ともお呼びしたくないほど、全く尊敬していない。
令和が始まって1年しか経っていないというのに、コロナ以前にも地震、台風など色々あったというのに、今上から国民への労りのことばがいち早く届いた試しなど、1度だって有っただろうか?
そして、今まで祭祀という祭祀は全欠席、ご静養は皆勤賞、3.11に愛子嬢のご学友を招いてお楽しみ会、という恐ろしい非常識にして無慈悲・小l和l田l雅l子を、どうして皇后などと呼べようか。
この令和の1年だけで、たっぷりと思い知らされた。
今上もその妻も、この国のことも国民のことも、これっぽっちも愛していないのに、天皇・皇后を名乗っている。
帝王教育を受けていないからと、何かと身を引きがちな(やる気が無いのでは無く、自由でいたいわけでもなく、積極的に前に出られない事情=圧力があるのだと思う)秋篠宮皇嗣殿下の方が、紛うことなくこの国の祭祀王に相応しい。
眞子さま騒動が何だ?
人間の個性は、先天的にある程度決まっている。子供は親が育てたようになど育たない、と日本人はいい加減に知るべきだ。
秋篠宮皇嗣殿下と紀子妃殿下を責める方々は、親の期待に応えてさぞご立派に育ったのでしょうね。
そんな家庭内事情よりも、肝心なのは、チッソの孫の某妃が、1度も訪れたことのない水俣での慰霊を、ずっと行ってきたのは秋篠宮殿下と紀子妃であるということだ。
一事が万事でこんな状況だ。
秋篠宮ご夫妻の公務はギッシリ埋まっているのに、即位前の皇太子の公務はゆったり、自称適応障害の某妃(適応障害は、何年も続く病気ではない)はスカスカ、という状況。
こういう情報は、マスコミは報道しないので、皇室マニアや秋篠宮家を支持する方々が、各自ネットに流して下さっているのを拾わなければ、知るのはなかなか難しい。
2週間ほど前、5月8日に、ハロ、白虹、と呼ばれる現象が日本各地で見られた。
白虹貫日の白虹である。
つまり、太陽の周りに白い虹の輪のようなものが出来た、だけではなく、その白い虹が太陽を貫いたように見えた地域からの画像も、ネットには数多く出回った。
虹もそうだが、このような自然現象の吉凶は、国によって異なる。
古代中国が白虹貫日を凶兆とし、中国の影響が強かった古代日本がそれに倣っていたのなら、古代から続く天皇家にとっては、即位の礼の日の虹も、ハロも、どちらも凶兆であったということだ。
天叢雲剣の力で晴れた?それがどうした。
三種の神器という神宝は、モノという形で顕現した神なのだ。
雨が降った、止んだ、というのは天叢雲剣という神の性質であって、無為の帝が起こした奇跡ではない。
5月8日の白虹の情報を、私はネット検索したけれども、あんなに話題になったのに、凶兆としては驚くほどヒットしなかった。
検索エンジンに何か制限がかかっているのだろう。
※ 例えば、『自殺・楽なやり方』などというキーワードで検索すると、真っ先に相談窓口の電話番号が表示される程度に、検索エンジンは運営が設定を弄ることが出来る
白虹貫日は、兵乱の予兆であるらしいが、それは太陽を君主に見立ててのことだ。
さて、今回の白虹が示した君主とは、天皇のことか、首相のことか?
是非とも、前者であって欲しい。
私は阿倍信者ではないが、彼はトランプ大統領にお気に入りであるというだけで、色々難はあっても今のところは外交上貴重な存在であり、現行の日本の法律の範囲内では、コロナ対策は健闘したと見るべきだろう。
今後、最悪野党が政権を握るようなら、本当に最悪だ。今度こそ日本は破滅する。
これだけ災いばかりが続くのだ。古式に倣えば1年を待たずに令和は改元し終わらせるべきだったし、古代であれば遷都しているところだ。
それでもダメなら、徳のない帝には退場して頂くしかない。
毎年終戦の日にご静養で遊んでいる母に同行している愛子内親王も、伝統に倣って降嫁して頂きたい。
4月に予定されていた立皇嗣の礼が、事実上無期延期になってしまったことは、日本にとって大きな損失だった。
緊急解除宣言があちこちで出されている今、本当に出席者は皇族と首相くらいに絞って、小規模になってしまっても早急に執り行い、秋篠宮皇嗣殿下が皇位継承者第1位であるという、ごく当たり前のことを、広く国内外に示すべきだ。
1日も早く、秋篠宮皇嗣殿下を今上陛下とお呼びし、紀子妃殿下を皇后さまとお呼びできる日が来ることを、切に願う。
悠仁親王殿下を、皇太子殿下とお呼びできる日が来ることを、切に、切に願う。
この国と国民のために祈ることを知っている、正しき皇族であるこの方々は、2千年以上の歴史を繋いできた、日本の光なのだから。
だから、この言葉は、秋篠宮ご夫妻と、悠仁親王に向けて捧げたい。
天皇弥栄(すめらぎいやさか)。
否、不幸にして、現在進行形で見舞われている。
長く続く自粛に、鬱屈する人々。経済が停滞し、倒産多数。
疫病である為に、家族であっても最期の別れは硝子越しのまま、遺体は荼毘に付されても葬式も出来ないという悲劇。
日本もその例外ではない。が、
我が国の象徴であらせられるはずの今上のお声が、うんともすんとも聞こえないのはどういう訳であろうか?
凜として国民を励まされる、英国エリザペス女王の美しさには、本当に心打たれた。
これで御年94歳という奇跡の輝き。実は女王という名の現人神なのではないかと、冗談抜きで思う。
エリザベス女王は長きに渡り王位にあり、多忙な公務をこなしつつも三男一女を出産している。
この三男一女がのうち3人が離婚しているというのは、チャールズ皇太子が母との関わりの少なさをを口に漏らしているように、偉大な母の背中が遠すぎたのもあるかも知れないが、そうであっても4人の御子を産み、孫8人曾孫8人(昨年の記事を参考にしたので今の人数とは違うかも知れませんが)という、後継者の血を多く残そうとなさった、ということそのものが、既にご立派なのだ。
ダイアナ妃も、不倫夫に苦しめられ、愛されない不幸に涙しても、2人の男児をお産みになったのは、悲劇的なほどにご立派だった。
結果的に、当時は男子優先の王家にあって、彼女はハンサムな王子を2人産んだ時点でお払い箱状態に追い込まれたのだから。
※ そのハンサムな王子ひとりが、黒人女性を妻に選んだ前例の無さに留まらず、妻と共に王室から出ていくという破天荒をやらかしたのは、母ダイアナを粗末にしたイギリス王室に対する思い入れが希薄だったのだろうと、私は勝手に思うのだけれども
前置きが長くなったが、王室という伝統は、どこの国の王家であれ、王の子孫がいなければ続かないのである。
イギリスではその継承者のナンバリングが軽く2桁を超えているのだから、安定感が違う。
あちらは2013年の法改正で、男子優先であった王位継承を、男女にかかわらず現在長子相続優先にしているので、内親王や女王が継承者から外れる日本とは、単純計算では倍の継承者を維持することが出来る点で、大きく異なる。
また、日本の皇族は、政治的な影響力を持たぬよう、個人的な財産を持つことは出来ず、個人的な発言の発表さえ大きく制限をかけられた存在であり、祭祀王としての役目が最も重いという点が、上記よりも更に特異性を持っている。
この国の為に神に祈りを捧げる祭祀王というトップが、天皇という日本の唯一の王でありつづけ、他家と区別を付ける『姓』が不要なほどに万世一系の皇統が約2千年続いている(学術的に意見が異なる)、というのは、世界的に見ても驚異的に尊い、奇跡的な平和の象徴なのである。
この事を、今上はどのように御自覚なさっているのか?
上皇陛下が天皇位に在られた頃ならば、まず間違いなく、この長い長いコロナ災禍にあって、複数回の『お言葉』を国民に送られていたはずである。
平成という時代は、戦争こそ起こらなかったが、天災が相次ぎ、世界各国から取り残された経済成長が『平らに成った』呪われた時代であったけれども、上皇陛下は常に国民をお心にかけて、国民のために生きて下さった御方であった。
その、ご立派な上皇陛下の長男に産まれ、礼宮さま(当時)は受けなかったという厳しい帝王教育(その厳しさのあまりに、浩宮さま(当時)は、「アーヤがやればいいんだ!」と泣いたと伝えられる)を受けていながら、
口を開けば「雅子が」「愛子が」ばかりで、国民に対するお言葉を持ち合わせないという、
無為の天皇という暗愚を晒している今上を、私は陛下ともお呼びしたくないほど、全く尊敬していない。
令和が始まって1年しか経っていないというのに、コロナ以前にも地震、台風など色々あったというのに、今上から国民への労りのことばがいち早く届いた試しなど、1度だって有っただろうか?
そして、今まで祭祀という祭祀は全欠席、ご静養は皆勤賞、3.11に愛子嬢のご学友を招いてお楽しみ会、という恐ろしい非常識にして無慈悲・小l和l田l雅l子を、どうして皇后などと呼べようか。
この令和の1年だけで、たっぷりと思い知らされた。
今上もその妻も、この国のことも国民のことも、これっぽっちも愛していないのに、天皇・皇后を名乗っている。
帝王教育を受けていないからと、何かと身を引きがちな(やる気が無いのでは無く、自由でいたいわけでもなく、積極的に前に出られない事情=圧力があるのだと思う)秋篠宮皇嗣殿下の方が、紛うことなくこの国の祭祀王に相応しい。
眞子さま騒動が何だ?
人間の個性は、先天的にある程度決まっている。子供は親が育てたようになど育たない、と日本人はいい加減に知るべきだ。
秋篠宮皇嗣殿下と紀子妃殿下を責める方々は、親の期待に応えてさぞご立派に育ったのでしょうね。
そんな家庭内事情よりも、肝心なのは、チッソの孫の某妃が、1度も訪れたことのない水俣での慰霊を、ずっと行ってきたのは秋篠宮殿下と紀子妃であるということだ。
一事が万事でこんな状況だ。
秋篠宮ご夫妻の公務はギッシリ埋まっているのに、即位前の皇太子の公務はゆったり、自称適応障害の某妃(適応障害は、何年も続く病気ではない)はスカスカ、という状況。
こういう情報は、マスコミは報道しないので、皇室マニアや秋篠宮家を支持する方々が、各自ネットに流して下さっているのを拾わなければ、知るのはなかなか難しい。
2週間ほど前、5月8日に、ハロ、白虹、と呼ばれる現象が日本各地で見られた。
白虹貫日の白虹である。
つまり、太陽の周りに白い虹の輪のようなものが出来た、だけではなく、その白い虹が太陽を貫いたように見えた地域からの画像も、ネットには数多く出回った。
虹もそうだが、このような自然現象の吉凶は、国によって異なる。
古代中国が白虹貫日を凶兆とし、中国の影響が強かった古代日本がそれに倣っていたのなら、古代から続く天皇家にとっては、即位の礼の日の虹も、ハロも、どちらも凶兆であったということだ。
天叢雲剣の力で晴れた?それがどうした。
三種の神器という神宝は、モノという形で顕現した神なのだ。
雨が降った、止んだ、というのは天叢雲剣という神の性質であって、無為の帝が起こした奇跡ではない。
5月8日の白虹の情報を、私はネット検索したけれども、あんなに話題になったのに、凶兆としては驚くほどヒットしなかった。
検索エンジンに何か制限がかかっているのだろう。
※ 例えば、『自殺・楽なやり方』などというキーワードで検索すると、真っ先に相談窓口の電話番号が表示される程度に、検索エンジンは運営が設定を弄ることが出来る
白虹貫日は、兵乱の予兆であるらしいが、それは太陽を君主に見立ててのことだ。
さて、今回の白虹が示した君主とは、天皇のことか、首相のことか?
是非とも、前者であって欲しい。
私は阿倍信者ではないが、彼はトランプ大統領にお気に入りであるというだけで、色々難はあっても今のところは外交上貴重な存在であり、現行の日本の法律の範囲内では、コロナ対策は健闘したと見るべきだろう。
今後、最悪野党が政権を握るようなら、本当に最悪だ。今度こそ日本は破滅する。
これだけ災いばかりが続くのだ。古式に倣えば1年を待たずに令和は改元し終わらせるべきだったし、古代であれば遷都しているところだ。
それでもダメなら、徳のない帝には退場して頂くしかない。
毎年終戦の日にご静養で遊んでいる母に同行している愛子内親王も、伝統に倣って降嫁して頂きたい。
4月に予定されていた立皇嗣の礼が、事実上無期延期になってしまったことは、日本にとって大きな損失だった。
緊急解除宣言があちこちで出されている今、本当に出席者は皇族と首相くらいに絞って、小規模になってしまっても早急に執り行い、秋篠宮皇嗣殿下が皇位継承者第1位であるという、ごく当たり前のことを、広く国内外に示すべきだ。
1日も早く、秋篠宮皇嗣殿下を今上陛下とお呼びし、紀子妃殿下を皇后さまとお呼びできる日が来ることを、切に願う。
悠仁親王殿下を、皇太子殿下とお呼びできる日が来ることを、切に、切に願う。
この国と国民のために祈ることを知っている、正しき皇族であるこの方々は、2千年以上の歴史を繋いできた、日本の光なのだから。
だから、この言葉は、秋篠宮ご夫妻と、悠仁親王に向けて捧げたい。
天皇弥栄(すめらぎいやさか)。

2020.
05.
22
日本民族は縄文時代からの流れをスムーズに受け継いでおり、そこに他民族の大規模流入や征服はありませんでした。
対して、朝鮮半島では、様々な民族による大規模流入が、難民、植民、征服などの様々な形で、幾度も幾度も、繰り返されたのです。
特に、征服された民族の男性は集中的に殺され、そのY染色体が激減、時にはほぼ消滅します。
女性は生かされても戦利品扱いです。征服者の男に蹂躙されて、征服者の遺伝子を持つ子供を産まされるのです。
例えば、現在進行形で、中国が長きに渡ってチベットにしているのは、そういうことです。
恐らく、チベット民族としての遺伝子は、かなりY遺伝子を中心に破壊されており、中国語教育によってチベット語を話せない人々を量産しました。
中国は宗教を否定していますから、チベット密教の僧侶も弾圧を受け、亡命政府のダライ・ラマ14世はもうかなりのご高齢であり、亡くなられたならばチベット人はチベット人としてのアイデンティティを失うことでしょう。
それは、名前だけチベットと残っても、民族としては滅ぶという事です。
だから、私は親チベットの人間として、ただのひとりの人間として、決して中国を許さない。
数多の民族が移動を繰り返し、戦乱を繰り返したのが、当たり前の大陸の歴史です。
でも、もうそんな野蛮が常識としてまかり通る時代はとうに終わった。
終わったはずなのに、チベットやウイグルでは惨劇が続き、《野蛮が常識としてまかり通る時代》を長きに渡って経験した朝鮮半島では、朝鮮民族が朝鮮民族として成立するまでに、13世紀までかかったという、日本にしてみれば信じられないほどの新しい時代まで、耐え難きを耐えなければならない時代がずっと続いていたのです。
何故、13世紀なのか。
元王朝の侵略です。
元寇で日本に押し寄せたのは、騎馬民族のモンゴル人が主体ではなく、海を知る朝鮮人が多数であり、指揮官さえ朝鮮人がいました。
そうなるほどに、虐殺や蹂躙の果てに朝鮮半島はモンゴル民族に支配され、元々半島に住んでいた人々の遺伝子も変えられたのです。
だから、現在の日本民族と朝鮮民族は、遺伝子が大きく隔たり、言語も離れているのです。
だから、韓国語で万葉集が読めるわけがない。
記紀が読めるわけがない。
現在彼の地にやっと安住を許された朝鮮民族と、古代の朝鮮の人々とは、かなり遺伝子が異なっています。
現代の朝鮮人が、新羅や百済の末裔を名乗れるような遺伝子の持ち主なのか、私には判りません。
でも、恐らく、末裔を名乗るには《遠すぎる》と思います。だから、
動乱の歴史の向こう側にある《古代朝鮮語》が、どのような言葉であったのかも、本当は、わからない。
ごく浅い歴史しか持てなかった《現在の朝鮮民族》は、長い歴史を持つ日本に非常なるコンプレックスを持ち、中国の夏王朝よりも古い歴史を捏造し、戦後からずっと反日教育を続けています。
何度日本と条約を結んでも、政治的合意をしても、何度でも反故にして日本を責め続けます。
中国は大国に過ぎて、逆らうのは怖い。
だから、縄文から連続した長い歴史を持つ、世界で最も長く続く王朝を持つ、朝鮮に限らず大陸の民族からみれば『信じられないほど平和であり続けた日本』は、かなり平和ボケしたお人好しの国であり、八つ当たりをするには格好の相手なのです。
だから、私は、朝鮮半島という地に同情はしても、そこにある国と真に友好国になることは、不可能だと思っています。
個人単位で、友人になることも、愛し合うことも出来るでしょう。
お互いの国の芸能人に熱狂したり、日本女性が韓国コスメで綺麗になりたいと思う事もあるでしょう。
でも、民族同士としては、国同士としては、友好的な協力関係に至ることは、永遠に無いでしょう。
あまりにも不幸な歴史を持つ土地故に、彼らは屈辱を晴らすための怒りと恨みを、終わらせることが出来ないのです。
彼らが何と非難しようと耳を貸さず、理不尽を毅然と拒否し、かと言って火花を散らす喧嘩はせずに、無視をして静かに棲み分けることを、友好を諦めるしか無い事もあると、日本民族は、日本という国は、知るべきです。
これにて、日本と朝鮮との、近くて遠い藤語りを、静かに、終えたいと思います。
対して、朝鮮半島では、様々な民族による大規模流入が、難民、植民、征服などの様々な形で、幾度も幾度も、繰り返されたのです。
特に、征服された民族の男性は集中的に殺され、そのY染色体が激減、時にはほぼ消滅します。
女性は生かされても戦利品扱いです。征服者の男に蹂躙されて、征服者の遺伝子を持つ子供を産まされるのです。
例えば、現在進行形で、中国が長きに渡ってチベットにしているのは、そういうことです。
恐らく、チベット民族としての遺伝子は、かなりY遺伝子を中心に破壊されており、中国語教育によってチベット語を話せない人々を量産しました。
中国は宗教を否定していますから、チベット密教の僧侶も弾圧を受け、亡命政府のダライ・ラマ14世はもうかなりのご高齢であり、亡くなられたならばチベット人はチベット人としてのアイデンティティを失うことでしょう。
それは、名前だけチベットと残っても、民族としては滅ぶという事です。
だから、私は親チベットの人間として、ただのひとりの人間として、決して中国を許さない。
数多の民族が移動を繰り返し、戦乱を繰り返したのが、当たり前の大陸の歴史です。
でも、もうそんな野蛮が常識としてまかり通る時代はとうに終わった。
終わったはずなのに、チベットやウイグルでは惨劇が続き、《野蛮が常識としてまかり通る時代》を長きに渡って経験した朝鮮半島では、朝鮮民族が朝鮮民族として成立するまでに、13世紀までかかったという、日本にしてみれば信じられないほどの新しい時代まで、耐え難きを耐えなければならない時代がずっと続いていたのです。
何故、13世紀なのか。
元王朝の侵略です。
元寇で日本に押し寄せたのは、騎馬民族のモンゴル人が主体ではなく、海を知る朝鮮人が多数であり、指揮官さえ朝鮮人がいました。
そうなるほどに、虐殺や蹂躙の果てに朝鮮半島はモンゴル民族に支配され、元々半島に住んでいた人々の遺伝子も変えられたのです。
だから、現在の日本民族と朝鮮民族は、遺伝子が大きく隔たり、言語も離れているのです。
だから、韓国語で万葉集が読めるわけがない。
記紀が読めるわけがない。
現在彼の地にやっと安住を許された朝鮮民族と、古代の朝鮮の人々とは、かなり遺伝子が異なっています。
現代の朝鮮人が、新羅や百済の末裔を名乗れるような遺伝子の持ち主なのか、私には判りません。
でも、恐らく、末裔を名乗るには《遠すぎる》と思います。だから、
動乱の歴史の向こう側にある《古代朝鮮語》が、どのような言葉であったのかも、本当は、わからない。
ごく浅い歴史しか持てなかった《現在の朝鮮民族》は、長い歴史を持つ日本に非常なるコンプレックスを持ち、中国の夏王朝よりも古い歴史を捏造し、戦後からずっと反日教育を続けています。
何度日本と条約を結んでも、政治的合意をしても、何度でも反故にして日本を責め続けます。
中国は大国に過ぎて、逆らうのは怖い。
だから、縄文から連続した長い歴史を持つ、世界で最も長く続く王朝を持つ、朝鮮に限らず大陸の民族からみれば『信じられないほど平和であり続けた日本』は、かなり平和ボケしたお人好しの国であり、八つ当たりをするには格好の相手なのです。
だから、私は、朝鮮半島という地に同情はしても、そこにある国と真に友好国になることは、不可能だと思っています。
個人単位で、友人になることも、愛し合うことも出来るでしょう。
お互いの国の芸能人に熱狂したり、日本女性が韓国コスメで綺麗になりたいと思う事もあるでしょう。
でも、民族同士としては、国同士としては、友好的な協力関係に至ることは、永遠に無いでしょう。
あまりにも不幸な歴史を持つ土地故に、彼らは屈辱を晴らすための怒りと恨みを、終わらせることが出来ないのです。
彼らが何と非難しようと耳を貸さず、理不尽を毅然と拒否し、かと言って火花を散らす喧嘩はせずに、無視をして静かに棲み分けることを、友好を諦めるしか無い事もあると、日本民族は、日本という国は、知るべきです。
これにて、日本と朝鮮との、近くて遠い藤語りを、静かに、終えたいと思います。