2020.
04.
30
もう一度、丁寧に整理しましょう。
古事記・日本書紀本文の男神五柱は、(略称)
第1子:アメノオシホミミ→ 天津神である厳かな火の神霊 ※ 天孫ニニギの父
第2子:アメノホヒ→ 天津神である火の神霊(ホヒ=火霊。稲穂の穂を与えられているが、話の流れ的に火属性とみるのが妥当と判断する) ※ 出雲国造の祖
第3子:アマツヒコネ→ 天津神である太陽神(日子)の祖神。 ※ 凡河内氏等の祖
第4子:イクツヒコネ→生命力のある(イク、を『勢い/いきおひ』と読んだ)の太陽神の祖神。 ※ 祖神とする氏族の記録は無い ※『イク』については、農耕神の解釈で『芽吹く』説がある)
第5子:クマノクスビ→ 熊野に坐す天磐櫲樟船に乗る日神 ※ 同上
という訳で、兄弟の全員が、火や日の神です。
神名の意味については諸説有るのですが、私はこのように共通項のある読み解き方を選択します。
父親or本体であるスサノオが、海人族の太陽神なのですから、子も日神・火神として生まれるのは道理にかなっています。
一方、女神アマテラスは、『大日孁/オオヒルメ』と、わざわざ孁という国字(霝【霊の原字】+女=孁)をでっち上げてまで、太陽の女神であると、時の権力者が推しに推しまくった《天皇家の祖神》です。
そういう建前です。
でも、実は、日本書紀の記述に携わった当時のエリート文人達は、その建前は嘘なのだと、必死になって否定しているのです。
イザナギ・イザナミ夫婦神による国生み、神生みの段で、日本語訳文しか知らない方はどうか漢文で記された原文を読んで頂きたいです。日本語訳文と照らし合わせながら読めば、さほど難しくありません。高校入試レベルで足ります。
古事記では、いちいち「イザナギが」とか「イザナミが」と名前を出してきますが、日本書紀は違うのです。
代名詞を頻回に使います。
私も、原文を見た時には、本当に驚きました。
日本語訳を見ると、男神、女神、あるいはまんまイザナギ・イザナミと名前使っていることが多いようですが、
イザナギという男神は《陽神》、イザナミという女神は《陰神》なのです。
たまには本名書けよ、と思うくらい、しつこく繰り返される《陽神》と《陰神》。
それほどまでに、日本書紀に関わった官僚たちには陰陽思想が常識レベルに身に付いており、彼らが正しく記したいと願った神話の至高神が、
太陽神、というほどの陽の権化が、オオヒルメとかいう女神=陰神だったはずがない。
絶対に無い。
古代の日本各地には、様々な信仰があり、様々な土着の神が信仰されていました。
その中では、太陽の女神という観念は、特に珍しいものではなかったと思います。
※ 本当に先住民族かわかりませんが、アイヌの太陽神は女神です
日本書紀の神代は、各地に伝わる数多くの神話の中から、倭ではなくヤマト=日本という国の成り立ちである正式な神話に相応しいものを、取捨選択して本文として統一し、それと違うパターンの伝承を異伝として付け加えつつも、神話という歴史として編集されるはずでした。
それなのに、ライターとして選ばれた当時のエリート文人たちが、
陰陽の理をガン無視した、《太陽の女神》の神話を、心から書きたかった訳が無いのです。
(つづく)
古事記・日本書紀本文の男神五柱は、(略称)
第1子:アメノオシホミミ→ 天津神である厳かな火の神霊 ※ 天孫ニニギの父
第2子:アメノホヒ→ 天津神である火の神霊(ホヒ=火霊。稲穂の穂を与えられているが、話の流れ的に火属性とみるのが妥当と判断する) ※ 出雲国造の祖
第3子:アマツヒコネ→ 天津神である太陽神(日子)の祖神。 ※ 凡河内氏等の祖
第4子:イクツヒコネ→生命力のある(イク、を『勢い/いきおひ』と読んだ)の太陽神の祖神。 ※ 祖神とする氏族の記録は無い ※『イク』については、農耕神の解釈で『芽吹く』説がある)
第5子:クマノクスビ→ 熊野に坐す天磐櫲樟船に乗る日神 ※ 同上
という訳で、兄弟の全員が、火や日の神です。
神名の意味については諸説有るのですが、私はこのように共通項のある読み解き方を選択します。
父親or本体であるスサノオが、海人族の太陽神なのですから、子も日神・火神として生まれるのは道理にかなっています。
一方、女神アマテラスは、『大日孁/オオヒルメ』と、わざわざ孁という国字(霝【霊の原字】+女=孁)をでっち上げてまで、太陽の女神であると、時の権力者が推しに推しまくった《天皇家の祖神》です。
そういう建前です。
でも、実は、日本書紀の記述に携わった当時のエリート文人達は、その建前は嘘なのだと、必死になって否定しているのです。
イザナギ・イザナミ夫婦神による国生み、神生みの段で、日本語訳文しか知らない方はどうか漢文で記された原文を読んで頂きたいです。日本語訳文と照らし合わせながら読めば、さほど難しくありません。高校入試レベルで足ります。
古事記では、いちいち「イザナギが」とか「イザナミが」と名前を出してきますが、日本書紀は違うのです。
代名詞を頻回に使います。
私も、原文を見た時には、本当に驚きました。
日本語訳を見ると、男神、女神、あるいはまんまイザナギ・イザナミと名前使っていることが多いようですが、
イザナギという男神は《陽神》、イザナミという女神は《陰神》なのです。
たまには本名書けよ、と思うくらい、しつこく繰り返される《陽神》と《陰神》。
それほどまでに、日本書紀に関わった官僚たちには陰陽思想が常識レベルに身に付いており、彼らが正しく記したいと願った神話の至高神が、
太陽神、というほどの陽の権化が、オオヒルメとかいう女神=陰神だったはずがない。
絶対に無い。
古代の日本各地には、様々な信仰があり、様々な土着の神が信仰されていました。
その中では、太陽の女神という観念は、特に珍しいものではなかったと思います。
※ 本当に先住民族かわかりませんが、アイヌの太陽神は女神です
日本書紀の神代は、各地に伝わる数多くの神話の中から、倭ではなくヤマト=日本という国の成り立ちである正式な神話に相応しいものを、取捨選択して本文として統一し、それと違うパターンの伝承を異伝として付け加えつつも、神話という歴史として編集されるはずでした。
それなのに、ライターとして選ばれた当時のエリート文人たちが、
陰陽の理をガン無視した、《太陽の女神》の神話を、心から書きたかった訳が無いのです。
(つづく)
2020.
04.
29
スサノオが、母に会いたいと泣き喚いたとき、海は荒れるのではなく干上がりました。暴走した太陽神と、激しい旱の描写です。
そして、古代の太陽とは、『火の明かり』なのですから、日本神話の太陽属性は、自動的に火属性です。
続いて、第六子を考察しましょう。
岩戸隠れ神話の異伝に出てくる熊野大角(クマノオオスミ)は、誓約の段の異伝に登場する熊野忍踏命(クマノオシホミ)またの名を熊野忍隅命(クマノオシスミ)の中間みたいなネーミングですね。
『忍/オシ』は、長男(?)オシホミミにも使われていることばですが、威圧的な、という意味だそうです。
でも、神武帝に至る系譜のオシホミミに使うには、あまり褒め言葉に聞こえないので、『威厳のある』とか『おごそかな』というニュアンスの方が近いのではと思います。
そして、オシホミミの『ホミミ』やら、クマノオシホミの『ホミ』、クマノオシスミの『スミ』とは如何に?
クマノオシホミの『ホミ』は『火の神霊』だと思うので、『スミ』の『ス』も前者の名前全体の一文字しか違うので、似たような意味なのでしょう。
或いは、『ホミ』には『踏』(ふむ)という字がが当てられているので、タタラ製鉄を暗示しているのかもしれません。
※ 出雲と製鉄のお話は、また別の機会に
『スミ』は『ホミ』が長い時間をかけて訛った(?)ものとしては、何となくアリのような気がします。
……と思ったら、多分違う!
『ス』って『素』だ。素戔嗚の『素』だよきっと!
クマノオシスミ=熊野におわす威厳ある素戔嗚尊の御魂、なんて分身以外の何ものでもないよこれ!!
そして、衝撃のあまりについほったらかしにしてしまいましたが、『オシホミミ』の『ホミミ』。
オシホミミは『尊/ミコト』 >命(ミコト)
で、尊の称号を持っている神なので、『ミミ』とふたつ重ねて尊称かと思います。
※ 『ミ』は一文字で『霊』で『神霊』という意です。
或るいは、『ミケ』=『御食』の『御/ミ』、大御神の『御/ミ』のような使い方で、『御神霊/ミミ』であるのかもしれません。
そして、ホミミのホには、『穂』という漢字が当てられて農耕神と一般には解釈されていますが、この誓約ののちにアマテラスの田んぼを荒らすスサノオの分身か息子が、農耕神の属性などを持っている訳がないので、『ホミ』=『火の神霊』と私は読みます。
肝心なのは、異伝の末子がいずれもおそらく『熊野』の名をを冠しており、本文の熊野櫲樟日(クマノクスヒ)とと同一の存在で、日本書紀本文には『櫲樟/クス』+『日/ヒ』であり、う船に乗る日神の名で記されているということです。
長男オシホミミに『吾は勝った』と言わせ、末子が『熊野のヒルコ』という名である以上、誓約の男神は、スサノオの息子・子孫かスサノオの分身か、どちらかか、或いは両方でしか有り得ないのです。
※ 両方ならば、何人かはスサノオの息子・子孫で、何人かは、出自を仄めかす分身、という混ざった構成かも知れません。
では、何故、スサノオの分身を出したのか?
何故、ここからタイトルのアマテラス月神説が出てくるのか?(嗚呼6話目にして、やっとここまで持ってこられたよ…!)
それは、誓約の男神五柱(古事記と日本書紀本文による)が、全てスサノオの分身もしくは息子・子孫であるならば、誓約により化生した三女神もまた、女神アマテラスの分身か娘・子孫という設定で然るべきだからです。
女神アマテラスは、太陽神ですから、その属性は『太陽』と『火』です。
スサノオもヒルコで太陽神なので、同じ属性の分身or息子・子孫が生じたのです。
だから、
太陽神アマテラスの分身or娘・子孫が、水神3姉妹というのでは、道理が通りません。
火が太陽であるように、水は月です。
もはや全く封印の欠片も無く大人気の瀬織津姫が、水神であると同時に月神の属性も持つように。
少なくとも、この誓約という奇妙なエピソードに登場するアマテラスに関しては、
《天照らす月の女神》であるならば、全てが解決するのです。
『あまてらす』。
それは、日だけではなく、月を導く枕詞であり、万葉集では日よりも月を詠む歌の方が多いのです。
(つづく)
そして、古代の太陽とは、『火の明かり』なのですから、日本神話の太陽属性は、自動的に火属性です。
続いて、第六子を考察しましょう。
岩戸隠れ神話の異伝に出てくる熊野大角(クマノオオスミ)は、誓約の段の異伝に登場する熊野忍踏命(クマノオシホミ)またの名を熊野忍隅命(クマノオシスミ)の中間みたいなネーミングですね。
『忍/オシ』は、長男(?)オシホミミにも使われていることばですが、威圧的な、という意味だそうです。
でも、神武帝に至る系譜のオシホミミに使うには、あまり褒め言葉に聞こえないので、『威厳のある』とか『おごそかな』というニュアンスの方が近いのではと思います。
そして、オシホミミの『ホミミ』やら、クマノオシホミの『ホミ』、クマノオシスミの『スミ』とは如何に?
クマノオシホミの『ホミ』は『火の神霊』だと思うので、『スミ』の『ス』も前者の名前全体の一文字しか違うので、似たような意味なのでしょう。
或いは、『ホミ』には『踏』(ふむ)という字がが当てられているので、タタラ製鉄を暗示しているのかもしれません。
※ 出雲と製鉄のお話は、また別の機会に
『スミ』は『ホミ』が長い時間をかけて訛った(?)ものとしては、何となくアリのような気がします。
……と思ったら、多分違う!
『ス』って『素』だ。素戔嗚の『素』だよきっと!
クマノオシスミ=熊野におわす威厳ある素戔嗚尊の御魂、なんて分身以外の何ものでもないよこれ!!
そして、衝撃のあまりについほったらかしにしてしまいましたが、『オシホミミ』の『ホミミ』。
オシホミミは『尊/ミコト』 >命(ミコト)
で、尊の称号を持っている神なので、『ミミ』とふたつ重ねて尊称かと思います。
※ 『ミ』は一文字で『霊』で『神霊』という意です。
或るいは、『ミケ』=『御食』の『御/ミ』、大御神の『御/ミ』のような使い方で、『御神霊/ミミ』であるのかもしれません。
そして、ホミミのホには、『穂』という漢字が当てられて農耕神と一般には解釈されていますが、この誓約ののちにアマテラスの田んぼを荒らすスサノオの分身か息子が、農耕神の属性などを持っている訳がないので、『ホミ』=『火の神霊』と私は読みます。
肝心なのは、異伝の末子がいずれもおそらく『熊野』の名をを冠しており、本文の熊野櫲樟日(クマノクスヒ)とと同一の存在で、日本書紀本文には『櫲樟/クス』+『日/ヒ』であり、う船に乗る日神の名で記されているということです。
長男オシホミミに『吾は勝った』と言わせ、末子が『熊野のヒルコ』という名である以上、誓約の男神は、スサノオの息子・子孫かスサノオの分身か、どちらかか、或いは両方でしか有り得ないのです。
※ 両方ならば、何人かはスサノオの息子・子孫で、何人かは、出自を仄めかす分身、という混ざった構成かも知れません。
では、何故、スサノオの分身を出したのか?
何故、ここからタイトルのアマテラス月神説が出てくるのか?(嗚呼6話目にして、やっとここまで持ってこられたよ…!)
それは、誓約の男神五柱(古事記と日本書紀本文による)が、全てスサノオの分身もしくは息子・子孫であるならば、誓約により化生した三女神もまた、女神アマテラスの分身か娘・子孫という設定で然るべきだからです。
女神アマテラスは、太陽神ですから、その属性は『太陽』と『火』です。
スサノオもヒルコで太陽神なので、同じ属性の分身or息子・子孫が生じたのです。
だから、
太陽神アマテラスの分身or娘・子孫が、水神3姉妹というのでは、道理が通りません。
火が太陽であるように、水は月です。
もはや全く封印の欠片も無く大人気の瀬織津姫が、水神であると同時に月神の属性も持つように。
少なくとも、この誓約という奇妙なエピソードに登場するアマテラスに関しては、
《天照らす月の女神》であるならば、全てが解決するのです。
『あまてらす』。
それは、日だけではなく、月を導く枕詞であり、万葉集では日よりも月を詠む歌の方が多いのです。
(つづく)
2020.
04.
28
出雲の熊野大社に祀られているのは、スサノオ神です。
略称『クシミケヌ/霊妙で神聖な食事の神』という名で祀られていらっしゃるので、世の中にはスサノオとは別神説が氾濫していますが、熊野大社の宮司さんはスサノオ神の異名であると、キッパリと言い切っていらっしゃいます。
また、スサノオ様を出雲に豊かな実りをもたら守り神、愛の神(個人的には衝撃だった)とまで称して崇敬し、誇りを持ってお祀りしている心意気が熊野大社の公式ページに溢れていますので、是非ご覧下さい。
そして、天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)は、記紀に葬り去られたヒルコの船です。
私は、スサノオ神とヒルコ神を同一の存在と見る=スサノオは(沢山属性はありますが、ベースになっているのは)太陽神と読む立場です。
※ 考察の仕方は私と違いますが、戸矢学氏が『決定版 ヒルコ: 棄てられた謎の神』にて、ヒルコ=スサノオ説を取っていらっしゃいます
だから、天磐櫲樟船の存在を仄めかす名を持つ熊野櫲樟日命(クマノクスビ/クマノクスヒ)とは、スサノオの分身なのです。
そうでなければ、櫲樟(くす=クスノキ)などという船材の木の名前が、突如出てくる意味が説明出来ません。
じゃあ。スサノオが、スサノオの分身を自分で生んだ?
その可能性もあります。
スサノオという呼称が、代々引き継がれる称号であったならば、有り得ます。
※ 話を少々脱線させますと、『オオクニヌシ』『オオナムチ』も称号であり、何人か存在したと私は思っています
そして、問題の誓約としては一番矛盾がないけれども、男神が六柱になってしまっている御子神を再び見てみますと、スサノオを暗示するのではないかと思われる名の男神が、二柱いるのです。
男神が六柱の時のみに現れる神は第五子であり、第六子がクマノクスヒらしき神になります。
第五子:熯之速日命(ヒノハヤヒ)
第六子:熊野忍踏命(クマノオシホミ)、またの名を熊野忍隅命(クマノオシスミ)
また、岩戸隠れの段の異伝では、やはり男神は六柱となっており、その下の二柱は
第五子:熯速日命(ヒノハヤヒ)
第六子:熊野大角(クマノオオスミ) となっています。
第五子は、あてがわれた字が違うだけで読みが同じなので同神と見ていいでしょう。また、
ヒノハヤヒの『烽』『熯』は、どちらも見覚えの無い字だったので調べました。
そして、どちらの字も、漢音・呉音とも、『ヒ』という読みはありませんでした。
ならば、日本書紀は音よりも意味重視で、『烽』と『熯』と書いて『ヒ』と読ませたということです。
烽:のろし。とぶひ(飛ぶ火)。敵の急襲などを知らせるために火を燃やして高くあげる合図の煙。
熯:かわく。天候で言うなら旱(ひでり)。
つまり、どちらの属性も、火であり太陽だと言っているのです。
ただ、ヒノハヤヒは、少々複雑な神です。
何故なら、カグツチを斬った時の血から、同名の神が生まれているからです。
しかし、この問題は語ると非常に長くなるであろう上に、今回のシリーズの本筋から大きく外れるので、割愛させて頂きます。
(つづく)
略称『クシミケヌ/霊妙で神聖な食事の神』という名で祀られていらっしゃるので、世の中にはスサノオとは別神説が氾濫していますが、熊野大社の宮司さんはスサノオ神の異名であると、キッパリと言い切っていらっしゃいます。
また、スサノオ様を出雲に豊かな実りをもたら守り神、愛の神(個人的には衝撃だった)とまで称して崇敬し、誇りを持ってお祀りしている心意気が熊野大社の公式ページに溢れていますので、是非ご覧下さい。
そして、天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)は、記紀に葬り去られたヒルコの船です。
私は、スサノオ神とヒルコ神を同一の存在と見る=スサノオは(沢山属性はありますが、ベースになっているのは)太陽神と読む立場です。
※ 考察の仕方は私と違いますが、戸矢学氏が『決定版 ヒルコ: 棄てられた謎の神』にて、ヒルコ=スサノオ説を取っていらっしゃいます
だから、天磐櫲樟船の存在を仄めかす名を持つ熊野櫲樟日命(クマノクスビ/クマノクスヒ)とは、スサノオの分身なのです。
そうでなければ、櫲樟(くす=クスノキ)などという船材の木の名前が、突如出てくる意味が説明出来ません。
じゃあ。スサノオが、スサノオの分身を自分で生んだ?
その可能性もあります。
スサノオという呼称が、代々引き継がれる称号であったならば、有り得ます。
※ 話を少々脱線させますと、『オオクニヌシ』『オオナムチ』も称号であり、何人か存在したと私は思っています
そして、問題の誓約としては一番矛盾がないけれども、男神が六柱になってしまっている御子神を再び見てみますと、スサノオを暗示するのではないかと思われる名の男神が、二柱いるのです。
男神が六柱の時のみに現れる神は第五子であり、第六子がクマノクスヒらしき神になります。
第五子:熯之速日命(ヒノハヤヒ)
第六子:熊野忍踏命(クマノオシホミ)、またの名を熊野忍隅命(クマノオシスミ)
また、岩戸隠れの段の異伝では、やはり男神は六柱となっており、その下の二柱は
第五子:熯速日命(ヒノハヤヒ)
第六子:熊野大角(クマノオオスミ) となっています。
第五子は、あてがわれた字が違うだけで読みが同じなので同神と見ていいでしょう。また、
ヒノハヤヒの『烽』『熯』は、どちらも見覚えの無い字だったので調べました。
そして、どちらの字も、漢音・呉音とも、『ヒ』という読みはありませんでした。
ならば、日本書紀は音よりも意味重視で、『烽』と『熯』と書いて『ヒ』と読ませたということです。
烽:のろし。とぶひ(飛ぶ火)。敵の急襲などを知らせるために火を燃やして高くあげる合図の煙。
熯:かわく。天候で言うなら旱(ひでり)。
つまり、どちらの属性も、火であり太陽だと言っているのです。
ただ、ヒノハヤヒは、少々複雑な神です。
何故なら、カグツチを斬った時の血から、同名の神が生まれているからです。
しかし、この問題は語ると非常に長くなるであろう上に、今回のシリーズの本筋から大きく外れるので、割愛させて頂きます。
(つづく)
2020.
04.
27
実は、生まれてきた男神はスサノオの子である、とアマテラスが認めているバージョンもあるんです。
それは、日本書紀の誓約としては、3番目の異伝(つまり優先度は最下位という位置づけ)では、明確に
『スサノオが生んだのだから男神はスサノオの子』=『スサノオは赤き心(邪な考えのない清い心)』
という、非常にシンプルでわかりやすい流れであり、スサノオを信じたアマテラスは、ヤンチャが過ぎる弟を、高天原に入れてやるのです。
→ そして引きこもりへ。
この3番目の異伝は、順位から言って、そして生まれてきた男神が何故か六柱という異例で、一番不完全な伝承として、無視されるように誘導されています。
六柱の男神というイレギュラーに加えて、この伝承では《物実を交換していない》のです。
だから、化生させたのはスサノオorアマテラスなのに、《誰が生んだのか》は無視されるのか?とか、子供の所有権は物実が誰のものかで決まっちゃうの?とか、そういうゴチャつきが一切無く、とてもシンプルでわかりやすいのです。故に、
3番目の異伝が、元々の伝承に近い、と私は判断します。
最下位に置かれた異伝では、男神六柱という中途半端になっているのですが、何故中途半端に思えるのかというと、全部で九柱となってしまうからです。
何故なのか、私も存じませんが、スサノオの子は8人と決まっているようなのです。
アマテラスも関わっている神生みで、三柱の女神はアマテラスの分身・もしくは娘・子孫という設定のはずなのですが、スサノオの子は、メンバーが変わっても必ず8名にされます。
例えば、古事記にてスサノオの神裔として記述されている八柱の御子神と、出雲国風土記のスサノオの御子神八柱を比較すると、スセリヒメ以外はメンバーが違うのです。
※ スセリヒメも、おそらく同神であると思われるものの、出雲国風土記では『ワカスセリヒメ』とあるので断定は出来ない
※ オオヒルメとワカヒルメのように、ワカスセリヒメの上の世代に、『オオスセリヒメ』や『タケハヤスセリヒメ』がいた可能性もある
さて、その『8』の縛りをガン無視したかのような異伝3ですが、これは簡単に謎が解けました。
本来は五柱として登場するはずの末っ子の名は、
古事記:熊野久須毘命(クマノクスビ)
日本書紀本文:熊野櫲樟日命(クマノクスヒ)
……何かを、思い出しません?
2020/03/07 から 2020/04/16まで、『スサノオがイザナギの日真名子かもしれない話』シリーズ全31話までお話しした時の、
ヒルコ=スサノオ神が海と天を翔るのが、船天磐櫲樟船(あめのいわくすぶね)です。
※ 櫲樟(楠/くすのき)。古代から江戸時代にかけて、優れた船材として使われた
日本書紀の方が、意味のこもった字をチョイスしたネーミングになっているので、そちらで分析をしますが、熊野櫲樟日(クマノクスヒ)とは、
熊野:熊野におわす
櫲樟:船に乗る
日:太陽
という名であり、要するに熊野大社におわす、天磐櫲樟船に乗る太陽神、という意味なのです。
(つづく)
それは、日本書紀の誓約としては、3番目の異伝(つまり優先度は最下位という位置づけ)では、明確に
『スサノオが生んだのだから男神はスサノオの子』=『スサノオは赤き心(邪な考えのない清い心)』
という、非常にシンプルでわかりやすい流れであり、スサノオを信じたアマテラスは、ヤンチャが過ぎる弟を、高天原に入れてやるのです。
→ そして引きこもりへ。
この3番目の異伝は、順位から言って、そして生まれてきた男神が何故か六柱という異例で、一番不完全な伝承として、無視されるように誘導されています。
六柱の男神というイレギュラーに加えて、この伝承では《物実を交換していない》のです。
だから、化生させたのはスサノオorアマテラスなのに、《誰が生んだのか》は無視されるのか?とか、子供の所有権は物実が誰のものかで決まっちゃうの?とか、そういうゴチャつきが一切無く、とてもシンプルでわかりやすいのです。故に、
3番目の異伝が、元々の伝承に近い、と私は判断します。
最下位に置かれた異伝では、男神六柱という中途半端になっているのですが、何故中途半端に思えるのかというと、全部で九柱となってしまうからです。
何故なのか、私も存じませんが、スサノオの子は8人と決まっているようなのです。
アマテラスも関わっている神生みで、三柱の女神はアマテラスの分身・もしくは娘・子孫という設定のはずなのですが、スサノオの子は、メンバーが変わっても必ず8名にされます。
例えば、古事記にてスサノオの神裔として記述されている八柱の御子神と、出雲国風土記のスサノオの御子神八柱を比較すると、スセリヒメ以外はメンバーが違うのです。
※ スセリヒメも、おそらく同神であると思われるものの、出雲国風土記では『ワカスセリヒメ』とあるので断定は出来ない
※ オオヒルメとワカヒルメのように、ワカスセリヒメの上の世代に、『オオスセリヒメ』や『タケハヤスセリヒメ』がいた可能性もある
さて、その『8』の縛りをガン無視したかのような異伝3ですが、これは簡単に謎が解けました。
本来は五柱として登場するはずの末っ子の名は、
古事記:熊野久須毘命(クマノクスビ)
日本書紀本文:熊野櫲樟日命(クマノクスヒ)
……何かを、思い出しません?
2020/03/07 から 2020/04/16まで、『スサノオがイザナギの日真名子かもしれない話』シリーズ全31話までお話しした時の、
ヒルコ=スサノオ神が海と天を翔るのが、船天磐櫲樟船(あめのいわくすぶね)です。
※ 櫲樟(楠/くすのき)。古代から江戸時代にかけて、優れた船材として使われた
日本書紀の方が、意味のこもった字をチョイスしたネーミングになっているので、そちらで分析をしますが、熊野櫲樟日(クマノクスヒ)とは、
熊野:熊野におわす
櫲樟:船に乗る
日:太陽
という名であり、要するに熊野大社におわす、天磐櫲樟船に乗る太陽神、という意味なのです。
(つづく)
2020.
04.
26
因みに、古事記バージョンで生まれた子は、
女神1.多紀理媛(タキリビメ)の命、またの名は奥津島比売(オキツシマヒメ)命
女神2.市寸島比売(イチキシマヒメ)命、またの名は狭衣媛(サヨリビメ)命
女神2.多岐都比売(タキツヒメ)命
男神1.正勝吾勝勝速日天忍耳(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)命
男神2.天菩卑(アメノホヒ)の命
男神3.天津日子根(アマツヒコネ)命
男神4.活津日子根(イクツヒコネ)命
男神5.熊野久須比(クマノクスビ)命
というラインナップ。
女神の誕生順が違うのは、結構どうでもいいです。
この女神達は、宗像三女神と呼ばれる程度にワンセットであり、三柱揃って『道主貴』(みちぬしのむち)という、『貴/ムチ』が付いて最大限にリスペクトされている、海からの目印となる沖ノ島信仰の女神として、海人族から熱烈な信仰を集めていたからです。
男神は、漢字表記が違うだけで、また長々しい名前の第一子の名前が少々違うだけで、生まれ順も含めてほぼ同じです。
それで、
スサノオが女神を生んだら清き心で勝ちの古事記
VS
スサノオが男神を生んだら赤き心で勝ちの日本書紀
どっちが正しい?
ハッキリ言います。
日本書紀も古事記も、どっちも大嘘吐きです。
だって、この誓約、結果は初めから決まっているんですから。
スサノオに邪心有りと判明したら、アマテラスは何としてでも高天原に入れないように奮闘しなければなりません。
でも、神話の流れとしては、スサノオが勝って高天原に入ってくれないと困るんです。
イミフだけれども印象深い《誓約》の次に来るメインイベントは何でしょう?
そう。岩戸隠れ伝説です。
アマテラスを推したい人々にとっては、
『アマテラスが姿を消したから世界が光を失い真っ暗になり、しかし《祭り》を試みてアマテラスをもういちど岩戸の外に出し、世界は光を取り戻した。』というストーリーは、最も感動的な場面であることでしょう。
故に、誓約に勝ったスサノオが、調子に乗って盛大な悪戯をやり放題して、今更怖くなった至高神アマテラスが、他の神をほっぽり出して自分だけ安全な穴の中で引きこもり生活に入る、という流れを作らないことにはどーしよーもないんです。
スサノオも、やっとアマテラスが出て来て、他の神にボコられまくって高天原を追い出されませんと、斐伊川の上流にいるハニー・クシナダヒメとも出会えません。
だから、女神と男神、どちらを吹き出そうが、どちらの物実から生まれようが、スサノオの勝ちにしなければならない。
どんな結果であれ、スサノオの勝ちという、結構ムカツク茶番でなんですコレ。
因みに、記紀共に大嘘吐きと言ったのには、ちゃんと根拠が有ります。
どちらも、スサノオの子はスサノオの物実から生まれた宗像三女神の方だと言っています。
これが大嘘なんです。
だって、5人息子の方は、
明らかにスサノオの分身、もしくはスサノオの息子か子孫であるからです。
※ 以前も説明しましたが、分身とは、本体の出自や属性のヒントになる存在、と思って下さい
名前を見ればわかります。
長男オシホミミの本名はやたら長い名前ですが、それは名前の前半部分が、
勝ったぜ勝ったぜまじオレが勝ったぜ日が速く昇るが如きに勝ったんだぜイェ━━━イ!!!
※ 正勝吾勝勝速日の意訳
という、非常にウザイ感じに勝ちどきを上げているからです。
スサノオが生み出した直後に吾(われ)と言っているんですから、これはスサノオの言葉なのに決まっているのだし、ならばこの名を持っているオシホミミは、スサノオの分身と見るべきです。
スサノオの正体を仄めかす分身、そうでないなら息子・子孫くらいには縁が近くてはならない。
そうでないのは不自然です。
(つづく)
女神1.多紀理媛(タキリビメ)の命、またの名は奥津島比売(オキツシマヒメ)命
女神2.市寸島比売(イチキシマヒメ)命、またの名は狭衣媛(サヨリビメ)命
女神2.多岐都比売(タキツヒメ)命
男神1.正勝吾勝勝速日天忍耳(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)命
男神2.天菩卑(アメノホヒ)の命
男神3.天津日子根(アマツヒコネ)命
男神4.活津日子根(イクツヒコネ)命
男神5.熊野久須比(クマノクスビ)命
というラインナップ。
女神の誕生順が違うのは、結構どうでもいいです。
この女神達は、宗像三女神と呼ばれる程度にワンセットであり、三柱揃って『道主貴』(みちぬしのむち)という、『貴/ムチ』が付いて最大限にリスペクトされている、海からの目印となる沖ノ島信仰の女神として、海人族から熱烈な信仰を集めていたからです。
男神は、漢字表記が違うだけで、また長々しい名前の第一子の名前が少々違うだけで、生まれ順も含めてほぼ同じです。
それで、
スサノオが女神を生んだら清き心で勝ちの古事記
VS
スサノオが男神を生んだら赤き心で勝ちの日本書紀
どっちが正しい?
ハッキリ言います。
日本書紀も古事記も、どっちも大嘘吐きです。
だって、この誓約、結果は初めから決まっているんですから。
スサノオに邪心有りと判明したら、アマテラスは何としてでも高天原に入れないように奮闘しなければなりません。
でも、神話の流れとしては、スサノオが勝って高天原に入ってくれないと困るんです。
イミフだけれども印象深い《誓約》の次に来るメインイベントは何でしょう?
そう。岩戸隠れ伝説です。
アマテラスを推したい人々にとっては、
『アマテラスが姿を消したから世界が光を失い真っ暗になり、しかし《祭り》を試みてアマテラスをもういちど岩戸の外に出し、世界は光を取り戻した。』というストーリーは、最も感動的な場面であることでしょう。
故に、誓約に勝ったスサノオが、調子に乗って盛大な悪戯をやり放題して、今更怖くなった至高神アマテラスが、他の神をほっぽり出して自分だけ安全な穴の中で引きこもり生活に入る、という流れを作らないことにはどーしよーもないんです。
スサノオも、やっとアマテラスが出て来て、他の神にボコられまくって高天原を追い出されませんと、斐伊川の上流にいるハニー・クシナダヒメとも出会えません。
だから、女神と男神、どちらを吹き出そうが、どちらの物実から生まれようが、スサノオの勝ちにしなければならない。
どんな結果であれ、スサノオの勝ちという、結構ムカツク茶番でなんですコレ。
因みに、記紀共に大嘘吐きと言ったのには、ちゃんと根拠が有ります。
どちらも、スサノオの子はスサノオの物実から生まれた宗像三女神の方だと言っています。
これが大嘘なんです。
だって、5人息子の方は、
明らかにスサノオの分身、もしくはスサノオの息子か子孫であるからです。
※ 以前も説明しましたが、分身とは、本体の出自や属性のヒントになる存在、と思って下さい
名前を見ればわかります。
長男オシホミミの本名はやたら長い名前ですが、それは名前の前半部分が、
勝ったぜ勝ったぜまじオレが勝ったぜ日が速く昇るが如きに勝ったんだぜイェ━━━イ!!!
※ 正勝吾勝勝速日の意訳
という、非常にウザイ感じに勝ちどきを上げているからです。
スサノオが生み出した直後に吾(われ)と言っているんですから、これはスサノオの言葉なのに決まっているのだし、ならばこの名を持っているオシホミミは、スサノオの分身と見るべきです。
スサノオの正体を仄めかす分身、そうでないなら息子・子孫くらいには縁が近くてはならない。
そうでないのは不自然です。
(つづく)
2020.
04.
25
とにかく、奇妙な『誓約』(うけい)とやらの話から入らないと、タイトルの説に持って行けないので、しばらくお付き合い下さい。
昨日は古事記バージョンの誓約が変だ、とツッコミを入れたので、今日は日本書紀にツッコミ入れたいと思います。
尚、日本書紀は『本文』の他に、こういう言い伝えもあるよ、と紹介する程度に『異伝』というものが記してあるのですが、本命の本文を中心にお話し致します。
~日本書紀バージョンの何が変か?~
1.『黒心』(くろきこころ)、『赤心』(あかきこころ)って何ですか?
※ 話の流れ的に、黒き心は邪心、赤き心は清い心という意味のようですが、どうして黒と赤?方角の、北の玄武と南の朱雀くらいしか、私には思い付かないんだが。(御存知の方いらしたら、メッセージ下さい宜しくお願いします)
2.不信感満々のアマテラスに対して、スサノオ曰く
「どうか姉上と共に誓約しましよう。誓約により、必ず子を生むことを入れましよう。」
やっぱりふたりでやるんかい!
3.続けてスサノオ曰く
「もし私の生んだのが女だったら、濁った心があると思って下さい。もし男だったら清い心であるとして下さい」
ここでは、黒心→ 濁心、赤心→清心、と言い方が変わっている。凝ってるな。というか、
女を生んだら邪心有り、男を生んだら清い心って、古事記と真逆じゃん!?
4.そして、今回も先に誓約をやるのは、何も証明する必要が無いはずのアマテラスの方。
スサノオの十握剣(とつかのつるぎ)を、3段にバキボキ折って(すげぇ馬鹿力だな!古事記でもやったけど)、カリカリと噛んで吹き出した。
生まれてきたのは、田心姫(タコリヒメ。オオクニヌシの嫁のひとりのタギリヒメと同じか?)、次に湍津姫(タギツヒメ)、次に市杵嶋姫(イツキシマノヒメ)の女神三柱。
古事記と順番が違うんですけど、日本書紀でも異伝により違うので、もはや特定不能だと思います。
5.スサノオの方も、アマテラスの八坂瓊(やさかにの)五百箇(いおつの)御統(みすまる)を噛み砕いて以下略
※ 八坂は玉を繋いだ長さ。五百箇は数(翡翠以外にほかの宝石も入っているけど、五百って何だよゴージャスだな!)。御統は装飾具。バラバラのものを繋いだ形状を言う
生まれてきたのは、
一.正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)
二.天穂日命(あめのほひのみこと)
三.天津彦根命(あまつひこねのみこと)
四.活津彦根命(いくつひこねのみこと)
五.熊野櫲樟日命(くまのくすひのみこと)
気付きました?長男オシホミミだけが『尊』という格上なんです。
日本書紀では、尊>命 という基準を明言していますので、この段階でオシホミミの系統が皇統に繋がるとわかるわけです。
異伝では、お互いに齧る者が少々違ったり、男神の名前が微妙に違っていたり、一例だけ6柱だったりするのですが、もうこの本文だけでいいとします。
何故なら、1~3までの神には、祖神と仰ぐ一族が揃っているからです。
4と5の神は、名前が出て来るだけで特に活躍も無く、祖神にしている人々もいない。
単に、頭数を揃えて、スサノオの神生みらしく『8』柱に合わせただけ、
…のように、見えますよね、一見。(※ 後述します)
それよりも、訳わからんのは、
6.アマテラス曰く
「その元を尋ねれば、八尺瓊(やさかに)の五百箇御統(いおつのみすまる)は私の物である。だからこの五柱の男神は全部私の子である」
と引き取って養った。続いて言うには
「その十握剣は、素戔嗚尊のものである。だからこの三柱の(女)神はすべてお前の子である」
そしてこの三柱の神を素戔嗚尊に授けられた。
→ そしてスサノオは高天原に入る。
…ちょっと、待って?
アマテラスの言い分だと、スサノオの剣から生まれたから宗像三女神はスサノオの子=女の子だから黒心やら濁心やらがある、っていう結果で、
スサノオの負けじゃないの?????
でも、アマテラスもスサノオも、どちらも勝利宣言をすることなく、何事もなかったかのようにスサノオは高天原に居着く流れになるのです。
古事記以上のイミフ展開なのが、日本書紀バージョンなのでした。
次回、生んだ子から色々と分析に入ろうと思います。
(つづく)
昨日は古事記バージョンの誓約が変だ、とツッコミを入れたので、今日は日本書紀にツッコミ入れたいと思います。
尚、日本書紀は『本文』の他に、こういう言い伝えもあるよ、と紹介する程度に『異伝』というものが記してあるのですが、本命の本文を中心にお話し致します。
~日本書紀バージョンの何が変か?~
1.『黒心』(くろきこころ)、『赤心』(あかきこころ)って何ですか?
※ 話の流れ的に、黒き心は邪心、赤き心は清い心という意味のようですが、どうして黒と赤?方角の、北の玄武と南の朱雀くらいしか、私には思い付かないんだが。(御存知の方いらしたら、メッセージ下さい宜しくお願いします)
2.不信感満々のアマテラスに対して、スサノオ曰く
「どうか姉上と共に誓約しましよう。誓約により、必ず子を生むことを入れましよう。」
やっぱりふたりでやるんかい!
3.続けてスサノオ曰く
「もし私の生んだのが女だったら、濁った心があると思って下さい。もし男だったら清い心であるとして下さい」
ここでは、黒心→ 濁心、赤心→清心、と言い方が変わっている。凝ってるな。というか、
女を生んだら邪心有り、男を生んだら清い心って、古事記と真逆じゃん!?
4.そして、今回も先に誓約をやるのは、何も証明する必要が無いはずのアマテラスの方。
スサノオの十握剣(とつかのつるぎ)を、3段にバキボキ折って(すげぇ馬鹿力だな!古事記でもやったけど)、カリカリと噛んで吹き出した。
生まれてきたのは、田心姫(タコリヒメ。オオクニヌシの嫁のひとりのタギリヒメと同じか?)、次に湍津姫(タギツヒメ)、次に市杵嶋姫(イツキシマノヒメ)の女神三柱。
古事記と順番が違うんですけど、日本書紀でも異伝により違うので、もはや特定不能だと思います。
5.スサノオの方も、アマテラスの八坂瓊(やさかにの)五百箇(いおつの)御統(みすまる)を噛み砕いて以下略
※ 八坂は玉を繋いだ長さ。五百箇は数(翡翠以外にほかの宝石も入っているけど、五百って何だよゴージャスだな!)。御統は装飾具。バラバラのものを繋いだ形状を言う
生まれてきたのは、
一.正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)
二.天穂日命(あめのほひのみこと)
三.天津彦根命(あまつひこねのみこと)
四.活津彦根命(いくつひこねのみこと)
五.熊野櫲樟日命(くまのくすひのみこと)
気付きました?長男オシホミミだけが『尊』という格上なんです。
日本書紀では、尊>命 という基準を明言していますので、この段階でオシホミミの系統が皇統に繋がるとわかるわけです。
異伝では、お互いに齧る者が少々違ったり、男神の名前が微妙に違っていたり、一例だけ6柱だったりするのですが、もうこの本文だけでいいとします。
何故なら、1~3までの神には、祖神と仰ぐ一族が揃っているからです。
4と5の神は、名前が出て来るだけで特に活躍も無く、祖神にしている人々もいない。
単に、頭数を揃えて、スサノオの神生みらしく『8』柱に合わせただけ、
…のように、見えますよね、一見。(※ 後述します)
それよりも、訳わからんのは、
6.アマテラス曰く
「その元を尋ねれば、八尺瓊(やさかに)の五百箇御統(いおつのみすまる)は私の物である。だからこの五柱の男神は全部私の子である」
と引き取って養った。続いて言うには
「その十握剣は、素戔嗚尊のものである。だからこの三柱の(女)神はすべてお前の子である」
そしてこの三柱の神を素戔嗚尊に授けられた。
→ そしてスサノオは高天原に入る。
…ちょっと、待って?
アマテラスの言い分だと、スサノオの剣から生まれたから宗像三女神はスサノオの子=女の子だから黒心やら濁心やらがある、っていう結果で、
スサノオの負けじゃないの?????
でも、アマテラスもスサノオも、どちらも勝利宣言をすることなく、何事もなかったかのようにスサノオは高天原に居着く流れになるのです。
古事記以上のイミフ展開なのが、日本書紀バージョンなのでした。
次回、生んだ子から色々と分析に入ろうと思います。
(つづく)
2020.
04.
24
タイトルを見て、何じゃそりゃと思った皆さん。
私も、何じゃそりゃと、結構長い間思っていました。
スサノオがママン・イザナミに会いに根の国に行く前に、姉に挨拶をしたいとか言って高天原に乗り込み、
『ぜってーお前ろくでもない事しにきただろ!!』と武装までして待ち構えるアマテラス
VS
『いえいえ私には邪心などありません。誓約(うけい)をしましょう』と言い出すスサノオ
という流れになった、その『誓約』という謎な占い的な何か、についてです。
とにかく、この場面は話の流れ自体がイミフで、しかも日本書紀の方は書き手がよほど混乱していたのか、それとも読み手を混乱させてイミフなまま終わろうと目論んだのか、本文のほかに3つの異伝があって、どれもビミョーに設定が違うんです。
ここでの誓約というのは、放った靴が表だったら明日は晴れ、裏だったら雨、みたいな占いです。
何を占うのかというと、当然に『スサノオに邪心が有るか無いか』です。
でも、変なんですよ。まず、古事記によると、スサノオの
『それぞれ誓約をして子供を生みましょう』
というセリフが、明日の天気占いでいうと、『靴飛ばしをしよう』に該当します。
だが、その後がおかしい。
~古事記バージョンの何が変か?~
1.天気占いの場合、『靴が表なら晴れ、裏なら雨』という、条件や結果を予め決めておくものです。
靴を放っただけでは単に靴が転がるだけで、何も占えません。判断基準が無いからです。
基準を決めずに占いを始めること自体が変っていうか、占いになってないんです。
2.『それぞれ』誓約をしましょう、というのも変です。
何故なら、『スサノオの邪心有りや無しや』なんですから、スサノオだけ誓約をすれば済む話です。
アマテラスが、いやこの弟の誓約なんてイカサマやりそうで信用出来ないと思うのなら、アマテラスひとりだけで占えばいいんです。っていうか、どちらかひとりでやるべきなんですよ。だって
ふたりでやって、出た結果が違っていたら、占いにならないでしょーが!
3.何故か、それぞれに誓約をやって、『アマテラスが、スサノオの剣を物実に、3人の女神を生んだ』&『スサノオが、アマテラスの玉を物実に、5人の男神を生んだ』んですが、ここでアマテラスが一方的に宣言。
『五柱の男の子は、私の物である玉を物実として生まれた神だから私の子。一方、先に生まれた三柱の女の子は、スサノオの剣を物実として生まれた神だからスサノオの子です』(大雑把な訳)
スサノオもまた一方的に宣言。
『私の心が潔白で明るい証拠として、私の生んだ子は優しい女の子でした。当然、私が誓約に勝ったのです!!』
どの辺が『当然』なのか、誰か教えて下さい…
4.が、警戒して武装までしてきたのに、何故か異議を唱えない=スサノオに邪心は無いということで、納得してしまうアマテラスの謎。
ちなみに、この後スサノオは勝ちに乗じてヤンチャやりまくり、アマテラスは寛大すぎる感じに許していたものの、機織女が死んでしまうに至って恐れおののき、天岩戸の向こう側に隠れて、日本初の引きこもりになるという偉業を成し遂げたのでした。
本当、謎なストーリーである上に、全然タイトルらしい話にならないまま、次回に
(つづく!)
私も、何じゃそりゃと、結構長い間思っていました。
スサノオがママン・イザナミに会いに根の国に行く前に、姉に挨拶をしたいとか言って高天原に乗り込み、
『ぜってーお前ろくでもない事しにきただろ!!』と武装までして待ち構えるアマテラス
VS
『いえいえ私には邪心などありません。誓約(うけい)をしましょう』と言い出すスサノオ
という流れになった、その『誓約』という謎な占い的な何か、についてです。
とにかく、この場面は話の流れ自体がイミフで、しかも日本書紀の方は書き手がよほど混乱していたのか、それとも読み手を混乱させてイミフなまま終わろうと目論んだのか、本文のほかに3つの異伝があって、どれもビミョーに設定が違うんです。
ここでの誓約というのは、放った靴が表だったら明日は晴れ、裏だったら雨、みたいな占いです。
何を占うのかというと、当然に『スサノオに邪心が有るか無いか』です。
でも、変なんですよ。まず、古事記によると、スサノオの
『それぞれ誓約をして子供を生みましょう』
というセリフが、明日の天気占いでいうと、『靴飛ばしをしよう』に該当します。
だが、その後がおかしい。
~古事記バージョンの何が変か?~
1.天気占いの場合、『靴が表なら晴れ、裏なら雨』という、条件や結果を予め決めておくものです。
靴を放っただけでは単に靴が転がるだけで、何も占えません。判断基準が無いからです。
基準を決めずに占いを始めること自体が変っていうか、占いになってないんです。
2.『それぞれ』誓約をしましょう、というのも変です。
何故なら、『スサノオの邪心有りや無しや』なんですから、スサノオだけ誓約をすれば済む話です。
アマテラスが、いやこの弟の誓約なんてイカサマやりそうで信用出来ないと思うのなら、アマテラスひとりだけで占えばいいんです。っていうか、どちらかひとりでやるべきなんですよ。だって
ふたりでやって、出た結果が違っていたら、占いにならないでしょーが!
3.何故か、それぞれに誓約をやって、『アマテラスが、スサノオの剣を物実に、3人の女神を生んだ』&『スサノオが、アマテラスの玉を物実に、5人の男神を生んだ』んですが、ここでアマテラスが一方的に宣言。
『五柱の男の子は、私の物である玉を物実として生まれた神だから私の子。一方、先に生まれた三柱の女の子は、スサノオの剣を物実として生まれた神だからスサノオの子です』(大雑把な訳)
スサノオもまた一方的に宣言。
『私の心が潔白で明るい証拠として、私の生んだ子は優しい女の子でした。当然、私が誓約に勝ったのです!!』
どの辺が『当然』なのか、誰か教えて下さい…
4.が、警戒して武装までしてきたのに、何故か異議を唱えない=スサノオに邪心は無いということで、納得してしまうアマテラスの謎。
ちなみに、この後スサノオは勝ちに乗じてヤンチャやりまくり、アマテラスは寛大すぎる感じに許していたものの、機織女が死んでしまうに至って恐れおののき、天岩戸の向こう側に隠れて、日本初の引きこもりになるという偉業を成し遂げたのでした。
本当、謎なストーリーである上に、全然タイトルらしい話にならないまま、次回に
(つづく!)
2020.
04.
23
この本はオススメです!
私のように、出雲贔屓過ぎてほかの地域の知識がお留守だったりする宗像初心者には、非常に良い入門書であるとイチオシしたいです。
研究本、考察本ではなく、帯にあるとおりに『沖ノ島と海人の国の物語』であり、編者が宗像市世界遺産登録推進室なだけあって、世界遺産として認められるにはどのように人々の理解を得るべきか、という視点で書かれており、その試みは成功していると言えましょう。
この本のとっつきやすい理由その1は、時代ごとに8話に分かれた短編漫画(番外編も入れれば9話)が、当時を生きた人々の息吹をリアルに伝えてくれる良作であるということです。
絵の好みは分かれるでしょうが、画力がありますし、画面も非常に見易く読み易く、ストーリーも面白い。
そして、巻末に20ページほどの文章で、こちらは少し専門的な解説が為されていて、こちらも興味深く読ませて頂きました。
私がこの本を読んでみる気になったのは、古代日本の海人族、海の民と呼ばれた人々の活躍を知りたかったからです。
出雲を含む山陰が広くそうであったことは勉強していましたが、宗像については無知でした。
というか、私は宗像というか、宗像三女神を避けたかったからです。
出雲大社にて、真ん中にオオクニヌシを挟んで、タギリヒメが嫡后スセリヒメ様を差し置いて、堂々上座に祀られているのが、許し難い!!
私にとっては確定情報ではないのですが、出雲大社はしめ縄の向きが逆であるのと同様に、左右の上座下座も逆になっている説があり、その説を取るとスセリヒメが下座となり、それを脇に置いても貝の女神が2柱、スセリヒメ様側の敷地内にお邪魔して一緒に祀られているという状況からして、あまり敬意を払われている気配ではないのは明白です。
だから、私はタギリヒメが大嫌いで、
妾の分際でなんという無礼!嗚呼誇り高きスセリヒメ様、おいたわしい…!!
と、スセリヒメ様付きの女官長の如くにワナワナする感じだったのです。
でも、こちらの本を読んで、私の中でタギリヒメの地位が上がったわけではないのですが、記紀を編集した頃のヤマトにとって、宗像が非常に重要な場所と技術と持っており、宗像の姫が天武天皇に嫁ぎ、第一皇子・高市皇子を生んだという事実は、かなり影響したであろうと納得出来たのです。
高市皇子は、天武帝が大海人皇子と呼ばれていた時代に、壬申の乱で軍事を全て委ねられた人物であり、持統帝の時代にあっては太政大臣としてその政権を支えた功労者でもあったのですから。
記紀が、そして出雲大社が、高市皇子の母方の祭神・宗像三女神を非常に重んじ、滅ぼされた敗者側の嫡后スセリヒメよりもはるかに丁重にお祀りするだけの理由は、確かにあったのです。
※ それでも嫡后はスセリヒメ様だけどな!!
私は、スサノオ様やスセリヒメ様は、実在の人物がモデルであろうと思っていますが、宗像三女神については違うと思っています。
今回紹介した本を読んで、一層そう思いました。
縄文~弥生にかけて、沖ノ島の辺りの地形がどうであったのか。
島になったのはいつなのか、私は不勉強にて知らないのですが、日本と半島の間には、縄文時代から縄文人の行き来があり、同じ文化と、同じ言語をともにした、同一文化圏がありました。
三柱の女神がいるという伝承が出来たのは少し時代が下ってからだと思いますが、それでも沖ノ島に対する海の民の信仰は、沖ノ島が海に現れた太古の昔からあったのだと思います。
ひょっとすると、縄文時代からの女神です。
もし、オオクニヌシの時代にタギリヒメなる人物が嫁いで来るなり、現地妻であったりしたのであれば、それは本名ではなく『宗像の姫』という意味の愛称・尊称であったのではないでしょうか。
私は、海の民の文化・古代での素晴らしい技術と活躍は、もっと注目されるべきだと思っています。
これからも、日本各地でこのような試みの本が出て来るといいなあと思います。
私のように、出雲贔屓過ぎてほかの地域の知識がお留守だったりする宗像初心者には、非常に良い入門書であるとイチオシしたいです。
研究本、考察本ではなく、帯にあるとおりに『沖ノ島と海人の国の物語』であり、編者が宗像市世界遺産登録推進室なだけあって、世界遺産として認められるにはどのように人々の理解を得るべきか、という視点で書かれており、その試みは成功していると言えましょう。
この本のとっつきやすい理由その1は、時代ごとに8話に分かれた短編漫画(番外編も入れれば9話)が、当時を生きた人々の息吹をリアルに伝えてくれる良作であるということです。
絵の好みは分かれるでしょうが、画力がありますし、画面も非常に見易く読み易く、ストーリーも面白い。
そして、巻末に20ページほどの文章で、こちらは少し専門的な解説が為されていて、こちらも興味深く読ませて頂きました。
私がこの本を読んでみる気になったのは、古代日本の海人族、海の民と呼ばれた人々の活躍を知りたかったからです。
出雲を含む山陰が広くそうであったことは勉強していましたが、宗像については無知でした。
というか、私は宗像というか、宗像三女神を避けたかったからです。
出雲大社にて、真ん中にオオクニヌシを挟んで、タギリヒメが嫡后スセリヒメ様を差し置いて、堂々上座に祀られているのが、許し難い!!
私にとっては確定情報ではないのですが、出雲大社はしめ縄の向きが逆であるのと同様に、左右の上座下座も逆になっている説があり、その説を取るとスセリヒメが下座となり、それを脇に置いても貝の女神が2柱、スセリヒメ様側の敷地内にお邪魔して一緒に祀られているという状況からして、あまり敬意を払われている気配ではないのは明白です。
だから、私はタギリヒメが大嫌いで、
妾の分際でなんという無礼!嗚呼誇り高きスセリヒメ様、おいたわしい…!!
と、スセリヒメ様付きの女官長の如くにワナワナする感じだったのです。
でも、こちらの本を読んで、私の中でタギリヒメの地位が上がったわけではないのですが、記紀を編集した頃のヤマトにとって、宗像が非常に重要な場所と技術と持っており、宗像の姫が天武天皇に嫁ぎ、第一皇子・高市皇子を生んだという事実は、かなり影響したであろうと納得出来たのです。
高市皇子は、天武帝が大海人皇子と呼ばれていた時代に、壬申の乱で軍事を全て委ねられた人物であり、持統帝の時代にあっては太政大臣としてその政権を支えた功労者でもあったのですから。
記紀が、そして出雲大社が、高市皇子の母方の祭神・宗像三女神を非常に重んじ、滅ぼされた敗者側の嫡后スセリヒメよりもはるかに丁重にお祀りするだけの理由は、確かにあったのです。
※ それでも嫡后はスセリヒメ様だけどな!!
私は、スサノオ様やスセリヒメ様は、実在の人物がモデルであろうと思っていますが、宗像三女神については違うと思っています。
今回紹介した本を読んで、一層そう思いました。
縄文~弥生にかけて、沖ノ島の辺りの地形がどうであったのか。
島になったのはいつなのか、私は不勉強にて知らないのですが、日本と半島の間には、縄文時代から縄文人の行き来があり、同じ文化と、同じ言語をともにした、同一文化圏がありました。
三柱の女神がいるという伝承が出来たのは少し時代が下ってからだと思いますが、それでも沖ノ島に対する海の民の信仰は、沖ノ島が海に現れた太古の昔からあったのだと思います。
ひょっとすると、縄文時代からの女神です。
もし、オオクニヌシの時代にタギリヒメなる人物が嫁いで来るなり、現地妻であったりしたのであれば、それは本名ではなく『宗像の姫』という意味の愛称・尊称であったのではないでしょうか。
私は、海の民の文化・古代での素晴らしい技術と活躍は、もっと注目されるべきだと思っています。
これからも、日本各地でこのような試みの本が出て来るといいなあと思います。
2020.
04.
22
時代が移ろうにつれ、栄華を誇った海人族は、陸の王朝の支配下に置かれてゆきました。
でも、海の民の神までは、権力者といえども人間如きの思い通りにはならなかったのです。
天皇家は、アマテラスの両親に、海人族を介して広く信仰されていたであろうイザナギとイザナミをあてがったものの、歴史的には祟り神として恐れたのですから。
伊勢神宮にイザナギ・イザナミ夫妻神とツクヨミが祀られているのは、時の天皇がこれらの神に祟られているのだというお告げに恐れおののき、
天照大御神の両親と弟を祀っていなかったのは無礼であったという名目で月読宮が建てられ、そちらに三柱が祀られることとなったのです。
※ 本当は親子じゃないけどな
※ 《もうひとりの弟》のスサノオ様は祟らないんですか?
※ 既に伊勢に祀られているとしたら、スサノオ様はいずこの宮に何という神名でおわすのでしょうか?
イザナギの日真名子・スサノオ=ヒルコは、天磐櫲樟船に乗って海に旅立ち、冒険の末に出雲・斐伊川の上流でクシナダ姫と出会い、ヤマトノオロチから救う英雄となりました。
それは記紀にさえ記されている伝承なのに、出雲国風土記はかなり難癖を付けられて何度も書き直し、提出に20年もかかり、とうとうスサノオの英雄譚の一切を書き記すことは出来ませんでした。
出雲国風土記のスサノオは、温和な農耕神のように記されており、しかもその伝承すらとても数が少なく、密やかに、名君であったという一言だけは残されました。
その名君の子孫が造った国は、遙かな昔に侵略されました。
そして、ヒルコよりも強く排除された神、アワシマという月の姫神が海と天を渡る為のものだった鳥之石楠船、別名・天鳥船は、船など必要としないはずの雷神・タケミカヅチに奪われました。
否、タケミカヅチという神に非があるのでは無く、雷神を祖とする中臣氏・藤原氏が不敬にも奪ったのです。
祭祀を司る一族であった中臣氏であれば、イザナギ・イザナミ夫妻神の出自も、ヒルコがはじまりの日神であったことも、アワシマが月の女神であったことも、二柱の兄妹神が広い海と天を、不思議な船で渡っていたことも、知らなかったはずがない。
知っていたからこその、天鳥船に乗ったタケミカヅチの降臨は、中臣氏・藤原氏の、旧勢力に対する勝利宣言だったのです。
こうしてみると、藤原道長公が歌ったあまりにも有名なこの歌は、奢った心で調子づいて思い付いた歌ではないのでしょう。
『この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』
※ 訳:この世は自分(道長)のためにあるようなものだ。望月(満月)のように 何も欠けた所など無いのだ
太陽の方が、日食でもなければ欠けることなど無いのに、敢えて月を歌うとは。
藤原家には、長きに渡って『天鳥船』の伝承が引き継がれていたと見える。
でも。
欠けない望月など、ないのですよ?
時は巡り、藤原氏もろとも貴族政治の時代は終わり、武士の時代を迎えました。
武士の時代も終わり、天皇が再び君臨するも、人の座へと降りました。
秘された月の女神から船を取り上げ、自らの祖神にあてがったところで、藤原氏は満月のように欠けることののない栄華を誇り続ける事は出来なかったのです。
今、空を見上げれば、昼には太陽が、夜には月が、太古と変わらずに輝いています。
そこに神を想うとき、人の世の権力など高き天に及ぶはずもなく、神の船は誰に奪われることもなく、今でも神と共に空と海にあったのだと、私達は知ることが出来るのです。
天磐櫲樟船は、太陽神の船。
天鳥船は、月の女神の船。
それは大空という天に、そして遙か彼方の海にあり、人間の手は届かないのが相応しいのだと思います。
この6話を以て、月の姫神の舟の行方の藤語りはお終いです。
読んで下さった方、ありがとうございました。
でも、海の民の神までは、権力者といえども人間如きの思い通りにはならなかったのです。
天皇家は、アマテラスの両親に、海人族を介して広く信仰されていたであろうイザナギとイザナミをあてがったものの、歴史的には祟り神として恐れたのですから。
伊勢神宮にイザナギ・イザナミ夫妻神とツクヨミが祀られているのは、時の天皇がこれらの神に祟られているのだというお告げに恐れおののき、
天照大御神の両親と弟を祀っていなかったのは無礼であったという名目で月読宮が建てられ、そちらに三柱が祀られることとなったのです。
※ 本当は親子じゃないけどな
※ 《もうひとりの弟》のスサノオ様は祟らないんですか?
※ 既に伊勢に祀られているとしたら、スサノオ様はいずこの宮に何という神名でおわすのでしょうか?
イザナギの日真名子・スサノオ=ヒルコは、天磐櫲樟船に乗って海に旅立ち、冒険の末に出雲・斐伊川の上流でクシナダ姫と出会い、ヤマトノオロチから救う英雄となりました。
それは記紀にさえ記されている伝承なのに、出雲国風土記はかなり難癖を付けられて何度も書き直し、提出に20年もかかり、とうとうスサノオの英雄譚の一切を書き記すことは出来ませんでした。
出雲国風土記のスサノオは、温和な農耕神のように記されており、しかもその伝承すらとても数が少なく、密やかに、名君であったという一言だけは残されました。
その名君の子孫が造った国は、遙かな昔に侵略されました。
そして、ヒルコよりも強く排除された神、アワシマという月の姫神が海と天を渡る為のものだった鳥之石楠船、別名・天鳥船は、船など必要としないはずの雷神・タケミカヅチに奪われました。
否、タケミカヅチという神に非があるのでは無く、雷神を祖とする中臣氏・藤原氏が不敬にも奪ったのです。
祭祀を司る一族であった中臣氏であれば、イザナギ・イザナミ夫妻神の出自も、ヒルコがはじまりの日神であったことも、アワシマが月の女神であったことも、二柱の兄妹神が広い海と天を、不思議な船で渡っていたことも、知らなかったはずがない。
知っていたからこその、天鳥船に乗ったタケミカヅチの降臨は、中臣氏・藤原氏の、旧勢力に対する勝利宣言だったのです。
こうしてみると、藤原道長公が歌ったあまりにも有名なこの歌は、奢った心で調子づいて思い付いた歌ではないのでしょう。
『この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』
※ 訳:この世は自分(道長)のためにあるようなものだ。望月(満月)のように 何も欠けた所など無いのだ
太陽の方が、日食でもなければ欠けることなど無いのに、敢えて月を歌うとは。
藤原家には、長きに渡って『天鳥船』の伝承が引き継がれていたと見える。
でも。
欠けない望月など、ないのですよ?
時は巡り、藤原氏もろとも貴族政治の時代は終わり、武士の時代を迎えました。
武士の時代も終わり、天皇が再び君臨するも、人の座へと降りました。
秘された月の女神から船を取り上げ、自らの祖神にあてがったところで、藤原氏は満月のように欠けることののない栄華を誇り続ける事は出来なかったのです。
今、空を見上げれば、昼には太陽が、夜には月が、太古と変わらずに輝いています。
そこに神を想うとき、人の世の権力など高き天に及ぶはずもなく、神の船は誰に奪われることもなく、今でも神と共に空と海にあったのだと、私達は知ることが出来るのです。
天磐櫲樟船は、太陽神の船。
天鳥船は、月の女神の船。
それは大空という天に、そして遙か彼方の海にあり、人間の手は届かないのが相応しいのだと思います。
この6話を以て、月の姫神の舟の行方の藤語りはお終いです。
読んで下さった方、ありがとうございました。
2020.
04.
21
物部氏には、継体天皇の時代に水軍500を率いて百済に向かった等々の伝承があります。
その時代のことは色々と不確かですが、物部氏が《昔から》軍事を司る一族であったとしたら、海人族と繋がりが深かったか、物部氏のルーツそのものが海人族であった可能性は非常に高いと思います。
何故なら、古代は陸路が殆ど役に立たない。
陸路というのは、まさに道無きところに道を誰かが切り拓かなければ、存在し得ないものです。
維持するために整備し続けなければ、あっという間に獣道のようになり廃れます。
その点、海という道は整備の必要も無く、古代の人々は丸木舟ひとつで驚くほど遠くまで移動しては、交易をしていました。
そして、出雲国風土記でも、斐伊川の水運についての描写があります。
海や川はそのように文化の発展と共に利用されましたが、戦争の手段としても水路は有力な移動手段であったはずです。
ヤマタノオロチの神話で、オロチが『越からやって来る』と言われていたり、或いはオオクニヌシが越の姫に妻問いに行っていますが、どちらも水路がメインだったことでしょう。
※ ヤマタノオロチとは何ものか、ということについては、別の記事で書きますね
天武天皇も、大海人皇子という名が示すように、海部氏との繋がりがあり、海人族や水軍との繋がりがあったのではないか。物部氏とも、また。
物部守屋の死後、一旦表舞台から去った物部氏ですが、壬申の乱に物部雄君(おきみ)が天武天皇側の武将として大功をあげた為、この系統の物部氏は命脈を保つことができ、その後、物部の氏の名を改め、石上朝臣となっています。
しかし、石上氏に再び斜陽の時代が訪れます。8世紀末に石上宅嗣(いそのかみ の やかつぐ)という大納言を輩出した後に続く公卿がなく、9世紀初めには衰退して行きました。
物部氏の支配は、関東にまで及んでいましたが、かつて祖神と仰いだフツヌシ神をもろとも、香取神宮は中臣氏に奪われます。
だから、中臣氏が新たな祖神としたタケミカヅチ神が、国譲りという名の戦争で活躍することになり、剣の神にして戦神であったフツヌシ神は押しのけられたのです。
海は、陸に負けてゆきます。
何の罪もない海幸彦が、自分勝手な弟・山幸彦に敗れ服従したように。
はじまりの神・イザナギ・イザナミ夫妻神も、淡路島の海人族の神でした。
その御子神・太陽の神ヒルコは、両親に捨てられるも、天磐櫲樟船(あめのいわくすぶね)という立派な船を授かりました。
次の御子神・月の女神アワシマも、鳥之石楠船(とりのいわくすぶね)、またの名を天鳥船(あまのとりふね)で海と空を渡っていきました。
でも、ギ・ミ神は朝廷にとっては祟り神であり、日神ヒルコの英雄譚は残されること無く、月神アワシマもヒルコ以上に葬り去られました。
そして、淡路島とその勢力は、淡路国という、ひとつの区分としてのクニととなり、朝廷の領土の一部とされ、日本書紀では吾恥(アハジ)とまで貶められます。
神話には、そのように、実際にヤマトに征服された、その時代を実際に生きた人々の歴史が、隠しきれずに刻まれているのです。
(つづく)
その時代のことは色々と不確かですが、物部氏が《昔から》軍事を司る一族であったとしたら、海人族と繋がりが深かったか、物部氏のルーツそのものが海人族であった可能性は非常に高いと思います。
何故なら、古代は陸路が殆ど役に立たない。
陸路というのは、まさに道無きところに道を誰かが切り拓かなければ、存在し得ないものです。
維持するために整備し続けなければ、あっという間に獣道のようになり廃れます。
その点、海という道は整備の必要も無く、古代の人々は丸木舟ひとつで驚くほど遠くまで移動しては、交易をしていました。
そして、出雲国風土記でも、斐伊川の水運についての描写があります。
海や川はそのように文化の発展と共に利用されましたが、戦争の手段としても水路は有力な移動手段であったはずです。
ヤマタノオロチの神話で、オロチが『越からやって来る』と言われていたり、或いはオオクニヌシが越の姫に妻問いに行っていますが、どちらも水路がメインだったことでしょう。
※ ヤマタノオロチとは何ものか、ということについては、別の記事で書きますね
天武天皇も、大海人皇子という名が示すように、海部氏との繋がりがあり、海人族や水軍との繋がりがあったのではないか。物部氏とも、また。
物部守屋の死後、一旦表舞台から去った物部氏ですが、壬申の乱に物部雄君(おきみ)が天武天皇側の武将として大功をあげた為、この系統の物部氏は命脈を保つことができ、その後、物部の氏の名を改め、石上朝臣となっています。
しかし、石上氏に再び斜陽の時代が訪れます。8世紀末に石上宅嗣(いそのかみ の やかつぐ)という大納言を輩出した後に続く公卿がなく、9世紀初めには衰退して行きました。
物部氏の支配は、関東にまで及んでいましたが、かつて祖神と仰いだフツヌシ神をもろとも、香取神宮は中臣氏に奪われます。
だから、中臣氏が新たな祖神としたタケミカヅチ神が、国譲りという名の戦争で活躍することになり、剣の神にして戦神であったフツヌシ神は押しのけられたのです。
海は、陸に負けてゆきます。
何の罪もない海幸彦が、自分勝手な弟・山幸彦に敗れ服従したように。
はじまりの神・イザナギ・イザナミ夫妻神も、淡路島の海人族の神でした。
その御子神・太陽の神ヒルコは、両親に捨てられるも、天磐櫲樟船(あめのいわくすぶね)という立派な船を授かりました。
次の御子神・月の女神アワシマも、鳥之石楠船(とりのいわくすぶね)、またの名を天鳥船(あまのとりふね)で海と空を渡っていきました。
でも、ギ・ミ神は朝廷にとっては祟り神であり、日神ヒルコの英雄譚は残されること無く、月神アワシマもヒルコ以上に葬り去られました。
そして、淡路島とその勢力は、淡路国という、ひとつの区分としてのクニととなり、朝廷の領土の一部とされ、日本書紀では吾恥(アハジ)とまで貶められます。
神話には、そのように、実際にヤマトに征服された、その時代を実際に生きた人々の歴史が、隠しきれずに刻まれているのです。
(つづく)