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2020. 02. 29  
撞賢木厳之御魂天疎向津媛。

この名が本当に、瀬織津姫の別名(しかも女神・アマテラスの荒魂と偽られた名)なのだとしたら、これは神社から次々に瀬織津姫の名を消していった、その始まりなのではないかと思ったのです。

こちらの神主さんの説明を引用させて頂きますと、

つきさかき=榊に宿る
いつのみたま=清らかな魂
あまざかる=天から離れる
むかつびめ(の)=向かう女性(の)
みこと=尊称

「榊に宿り、清らかな魂を持っていて、高天原から降ってきて、天に相対している女神様」ということでしょう。(引用ここまで)

……本当に?
一方で、こんな解釈があるようです。

三浦茂久「月信仰と再生思想」によれば、多くの事例から「天さかる向かふ」という表現は、天を離り極みに向うという形容で、天空を移ろう月や、月に棲むタニクグが天際に渡り行く事に対する常套句であるという。それはつまり「月が空を西に去って行く」事だと述べている。(引用ここまで)

えぇと…?『月』ならば、水神であり月神の属性も持ち合わせる瀬織津姫には相応しいのだけれども、

『天さかる向かふ』→『月が空を西に去って行く』というのは、やはりあまりいい意味ではない気がするのです。
だって、日本書紀の本文では、

『日の光に次ぐ輝きを放つ月の神を生み、天に送って日とならんで支配すべき存在とした』
とされているのに、

その後アマテラス(誕生した時には大日孁なのに、いつの間にかサラッと天照になってる)に命じられて、保食神(ウケモチノカミ)に会いに行くのですが、ウケモチがツクヨミにご馳走を作る為に、吐瀉物を使っているのを見て、

『汚らわしい』と怒って(コレ普通の反応だよな…)ウケモチを斬り殺してしまった(まあ殺すのはやり過ぎではあるけれども、位の高い三貴子のひとりですから、成敗するのはわからんでもない)

…というエピソードが出て来ます。で、

『然後復命、具言其事、時天照大神、怒甚之曰「汝是惡神。不須相見。」乃與月夜見尊、一日一夜、隔離而住。』(コレ日本書紀の本文です。こんな感じに、日本書紀の記述って、古事記とは大違いに淡々と簡潔なんですよね)

親切なわかりやすい訳:ツクヨミが(ウケモチを見てこいという)命令を終えて戻り、『姉ちゃんオレ、ウケモチにゲロ食わせられるとこだったわ。まあその特殊嗜好の女はオレがバッサリ斬ってやったから安心してくれよ』と具体的に報告すると、アマテラスが『お前悪神だな!顔も見たくねーよ!!』と(理不尽に)ブチ切れたので、ツクヨミは(多分しょんぼりと)夜に去って行き、アマテラスとは離れて暮らした。

こんな感じだから、私は女神アマテラスって好きになれないんだよなぁ。

そんなに怒るんなら、弟をパシリにして『保食神って言う奴いるから様子を見てこい』と偉そうにしてないで、アマテラスが行けば良かったじゃん。

名指しで悪神呼わばりされるのって、私はツクヨミの他には、暴れん坊代表スサノオ、アマツミカボシ(出雲を侵略した後も、天孫族に従わなかった星の神)くらいしか、知らないんだけど?

要するに、これが『昼と夜の始まり』であり、日月分離神話(日本独自のものではなく、世界中に見られる神話形態)というお約束展開です。

そういう訳で、瀬織津姫=撞賢木厳之御魂天疎向津媛、の意味が、『天さかる向かふ』→『月が空を西に去って行く』、なんて、日月分離神話の昼と夜の永遠の別れのようで、悲しすぎると思うのです。

そして。この解釈の説明文の中に
『月に棲むタニクグが天際に渡り行く事に対する常套句』って出て来ましたけど。

タニクグって何???

(つづく)
2020. 02. 28  
読みは、つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめ の みこと、です。

今回の記事のテーマ、もう何人もの人が取り組んでいますよね。
女神アマテラスの荒魂とされる一方で、瀬織津姫と同一とも言われていますから。

もう、私よりもはるかに勉強家で物知りの沢山の人が取り組んできた謎ですけれども、私なりに10年以上前から気になっていたし、気掛かりでもあったのです。

撞賢木厳之御魂天疎向津媛って、和風諡号だったりしませんか?

例えば、例えば、天照大神を、大日孁という女神に置き換えた容疑者A・持統天皇。(不敬ですみませんでも容疑者Bは藤原不比等でこっちが主犯かも知れないと思う)

漢風諡号:持統天皇
和風諡号:大倭根子天之廣野日女尊(おおやまとねこあめのひろのひめのみこと。廣は広の旧字?)&高天原廣野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)

意味は見つけられなかったのですが、和風諡号を2つも持っている上に、天之とか日女尊とか、

高天原とか、とにかく偉そうな感じが満々です。

女神・天照大御神や大日孁に乗っかってる感も満々です。
これで無関係というのは、かなり苦しいものがあります。

御父上の天智天皇さえ、和風諡号は『天命開別天皇』と、内容的に偉そうではあっても、持統天皇ほど褒めちぎってはいないシンプルなもので、数もひとつしかないのに。
※ 普通ひとつだと思います

何処かのサイトに、神様のお名前は戒名のようなものなのだから、勝手に神社の祭神を変えちゃ駄目なんだ、というようなことが書いてあったのですが、神話が単なる古い物語ではなく、日本の古代史にリンクしている=実在の人物の祖霊を祀っているのなら、確かにそれは正論です。
このアイデアを拝借しますと、

撞賢木厳之御魂天疎向津媛とは、本名と言うよりは《後世に付けられた戒名》にあたる諡号である可能性があります。
※ 昨日終了した連載記事で正体を追っていた『天知迦流美豆比売』も、太陽の現人神と対を成すお妃を水神=月神とみなして贈られた諡号なのかもしれません

でも、ひょっとしたら天知迦流美豆比売と同神の可能性がある、水神にして月神の属性を持つ瀬織津姫は、女神アマテラスの荒魂であり、『撞賢木厳之御魂天疎向津媛』である、とされていいます。

私が、冒頭で10年以上前から気になっていたし気掛かりでもあったというのは、素人ながら

天疎(あまさかる/あまざかる)だなんて、真の太陽神である男神・天照大御神と、まるで引き裂かれてみたいだと……もっと言えば、

呪われた名前のように感じたからです。

(つづく)
2020. 02. 27  
仁明天皇は、『明仁』の逆。

でも、これは呪いではない、と私は断言できます。
じゃあ何か?

多分、『偶然』です。

昭和帝の皇后・良子様はなかなか男子の御子に恵まれず、大正天皇が廃した側室の制度を復活して親王を設けるべきだ、という動きは実際にあったのです。

でも、昭和帝は良子様おひとりを大切になさり、「私には弟たちがいるから気にすることはない」と良子様を労り、側室を取りませんでした。
(その昭和帝も、まさかその弟たちの血統が全て途絶えることになるとは、その時には思っていなかったことでしょう)

そんな昭和帝と良子皇后の間に生まれてきたのが、明仁親王(当時)です。

称号は繼宮(つぐのみや)、お印は榮(えい)
これだけで、どれほど昭和帝がお喜びであったのか解るというものです。

(えい)の意味がわからず調べたのですが、栄えるの『栄』の旧字体(つまり本来の字)です。

お印の意味としては、『草花が盛んに茂る様子』を表し、『榮』という漢字をそのままにデザインされ、他の皇族方のような具体的な植物の名やデザインではないのです。

まさに天皇彌榮(すめらぎいやさか)なのです。

それほど我が子の誕生を喜んだ昭和天皇が、『明仁』という名を呪って付ける訳がありません。
いにしえに、『火明』(ほあかり)が日の明かりを指し、それが太陽の意味であったように、日本の国を太陽のように照らすすめらぎであれと、『明』の字を選んだのだと私は思うのです。

最大級の祝福の名が『繼宮明仁』であったのは、疑いようもないことです。

だから、偶然なのです。
昭和帝が、いずれ皇位を継ぐはずの孫に『徳仁』といういわく付きの名付けをした、という事以外は。

…否、理由は、『本Ӏ当ӀのӀ孫ӀでӀはӀなӀい』と昭和帝が思っていたから、なのでしょう。

『徳仁』の次に『文仁』が続き、1200年ほど前に『文徳天皇』という、徳と文が逆さまの不遇な天皇がいらっしゃり、その先代が仁明天皇であった、ということは、偶然です。…多分

多分、とさっきから私の歯切れが悪いのは、仮に、昭和帝がそこまで読んで、『徳仁』の次に生まれた男児の名を『文仁』に定めて、皇統を文仁親王の子孫に移そうとしたのであれば、それはかなり周到な呪であるからです。

でも、偶然でいいんですよ。どうせ同じことなのですから。

こんな言葉があります。

偶然の重なりを、必然と呼ぶ。

例えばタロットカードの占いは、その考えの基に成立している一種の呪術です。

やはり、『徳仁』の名は、祭祀も簡略化され周囲はスパイだらけだった昭和帝が、これだけは自らの意志で仕掛けることが出来た『呪』なのだと、私は思っています。

『徳』の呪が、文徳天皇のように望んだ跡継ぎを立太子させることは叶わなかった運命につながりその血統が女児で途絶えたのと同じように、その断絶が本来の天皇である『文』を呼び、天皇家の血統は徳仁という皇太子・『宮』(とうぐう)から移ろい、『篠宮』に引き継がれる。

このような《偶然》が連続したのであれば、それは天の意志です。

天の意志に逆らった時、…つまり、愛子さまを天皇に担ぎ、女性天皇容認から女系天皇へと、日本が愚かな選択をした時には、この国を守った2000年の祈りもまた、終焉を迎えるのです。

今上陛下、雅子妃、愛子さまを天皇にするのは諦めなさいませ
ただでさえ祭祀という祈りを疎かにしてきたあなた方は、本気でこの国を滅ぼすおつもりか。
2020. 02. 26  
その、文徳天皇とはどういう御方か。

827年生誕- 858年崩御。31歳(32歳ともいわれる)と、若くして亡くなった方です。
病弱で、会議等にもあまり出席できなかったと言われていますが、本当でしょうか?私は、怪しいと思っているんですけど。

何故なら、文徳天皇は、外戚(自らの祖父にして、第四皇子を産んだ后の父)の藤原良房の専横に、抵抗していたからです。
文徳天皇は、寵愛していた更衣・紀静子が産んだ第一皇子・惟喬親王を皇太子にと望んだのですが、良房の娘・明子が産んだ第四皇子・惟仁親王、(のちの清和天皇)が立太子することになってしまいました。

その後も良房との暗闘は続きますが、突然の病に倒れ、4日後に崩御。
脳卒中というのがどうして通説なのか、私には医学的なことはわかりかねますが、死に際の急変ぶりに、良房による暗殺説もあります。

天皇位にありながら、良房の圧力の前に、内裏の外れにある東宮や嵯峨上皇の離宮だった冷然院などに居住して、遂に一度も、内裏正殿を居住の間として生活を送ることはありませんでした。

そんな不遇な一生を送り、短い命を終えた天皇に贈られたのが、『文徳天皇』という『徳』が付く諡号です。

文と徳の組み合わせは、逆さまである上に、あまり縁起が良くないようだなぁ……くらいに私は思っていたのですが、さいごにWikipediaのページを開いてみた時に、

あまりの偶然に、ゾクリとしたのです。

だって、文徳天皇の一代前で実父でもある御方の名は、

仁明天皇。

徳仁・文仁兄弟の父・現在の上皇陛下の諱は、『明仁』という、仁明天皇の逆さま、なのです。

(つづく)
2020. 02. 25  
天ノ逆手とは何か。

手の甲で拍手する(現代にも幽霊は拍手する時手の甲を打つという都市伝説がある)とか、指先を下に向けるとか、栄手でお祝いの拍手とか、諸説有ります。

古事記によると、神代の所謂《国譲り》の記載にて、それは出て来ます。
天孫サイドが侵略戦争を仕掛けてきた時(お前の国をよこせと言われて、はいどうぞと答える《国譲り》なんてある訳がない)、もう出雲に勝ち目がない、と事実上降伏した場面での、相手の要求を飲むしかない交渉の席だというのに、祝福する栄手は絶対に無い

事代主は了承したけれども、自ら船を転覆させて、天ノ逆手(あまのさかて)を打って隠れてしまった。
だから、事代主の天ノ逆手とは、滅びゆく国の本来の王が、隠れる=お隠れになる=亡くなる際のせめてもの抵抗であり、それは

呪いの仕種だった。

……こういう記述を残しているから、古事記って正体不明の書物なんだよなぁ。
ウンザリするほどのアマテラス上げもスサノオ様やスセリヒメ様のdisり方も露骨なのに、日本書紀がスルーした所を補ったり、地祇サイドの事情をヒントみたいに書き残す。
方針が一貫していなくて、ひょっとしたら語り部は複数いたんじゃないかと思ったりします。

タイトルの文徳天皇に戻りましょう。

私は、『徳』の字が良い意味なのに結果的に皇室の忌み字になってしまった事に加えて、徳仁は仁徳の逆という不吉が気に掛かった、ところまでお話しした訳ですが、

私は、逆さまになっているのは、徳仁と仁徳だけじゃないんだなあと思ったのが、その不遇な一生を暗示する『徳』の字を追号された

文徳天皇。

お名前を見た瞬間に、特に深いことは考えずに、すぐ思ったんです。逆さまだなぁって。
だって、今上陛下が徳仁で、皇嗣殿下が文仁でしょう?

皇室典範通りだと、天皇の位に上るのは、徳→文なのに、

文徳天皇という諡号は、文→徳 という、逆さまなんだなぁ、って。

(つづく)
2020. 02. 24  
文徳天皇(もんとくてんのう)。

実は、私は令和の世に至るまで、この天皇の名を存じ上げなかった不敬な女です。伏してお詫び申し上げます。
しかも、知ったきっかけは、

怨霊化した天皇には『徳』の字が追号されるというアレ

を調べている時だったりします。

つまり、平成の世に天皇の座に在られた、現在の上皇陛下が生前退位されることとなり、当時の皇太子殿下が令和の世の天皇となることになりました。
でも、それは相当数の日本人にとって、慶事とは思えぬ事でもありました。

不敬ながら、今上陛下・諱は徳仁さまは、どうも皇室マニアからは受けが悪かったのです。
口を開けば雅子愛子雅子愛子雅子愛子m(ry …という男性は、一般家庭ならば模範的な夫でありお父さんであったでしょうが、徳仁さまは日本の象徴となるお方であるというのに、ハードスケジュールの公務を黙々と誠実にこなす秋篠宮さまと紀子妃に比べると、どうもご自身のお立場というものを勘違いなさっているのではないか、と。

また、今上陛下は愛子さまという内親王おひとりしか恵まれなかったことから、秋篠宮家に悠仁さまがいらっしゃるというのに、愛子天皇待望論が出るという、皇室転覆を謀る輩のキャンペーンをマスコミが盛大に後押しするという異常事態となり、今はだいぶ落ち着いたようですが、少なくともネット上は大荒れに荒れたものです。

その時に出て来たのが、皇太子殿下(当時)徳仁さまは生まれながらに呪われている説
そして、呪った御方は昭和天皇である説です。

怨霊と化した(と言われている)天皇または親王、或いは怨霊化しそうに不幸な亡くなり方をした天皇には、すめらみこととして最も大切なうつくしび、『徳』の字を追号してきた、という歴史があるからです。

つまり最上級の讃美であった『徳』の字であるのに、いつの間にか

徳は怨霊認定の忌み字。

というイメージが付いてしまったということです。
実際、『徳』が付いた天皇はご本人に悲劇性が有るだけでは済まず直系の子孫が絶えている、事が多いのです。

文徳天皇もまた、次代は清和天皇で文徳天皇の第4皇子ではありますが、それは外戚・藤原良忠の強引な介入であって、文徳天皇には皇位を譲りたかった別の親王がいました。
その惟喬親王という方は権力の中枢に関わることなく、孫の代に女児しか恵まれなかったので、その血統は絶えています。

そんなこんなで、追号どころか生まれながらに徳仁と名付けられている今上陛下は、歴史の表舞台から去るがいいと、昭和帝から呪われていたのではないか、というオカルトな話が出たのです。

何故、名付け親が現在の上皇陛下ではなく、今上の祖父・昭和帝かと言うと、親王の名前は天皇が付ける、という習いがあったからです。

そして、何故昭和帝が徳仁親王を疎んだかというと、多分……美智子妃の托Ӏ卵Ӏ説によるものと思われます。
※ 托Ӏ卵Ӏ説について知りたい方はぐぐって下さい……

故に、昭和帝は美智子妃の立后を認めず(実際、海外での美智子妃の立場は、日本国内で皇太子妃と呼ばれようと皇后と呼ばれようと、正妃の扱いではありませんでした。《天皇と同居している女性》程度)、皇室典範に逆らう力はもう持たないので、次男の文仁親王の血筋に皇統が続くことを望んだ呪詛である、と。

当然に、反論もありました。
呪い?ナンセンスだいう非オカルト的常識論から、昭和天皇が可愛い孫を呪うはずが無いという人道的常識論から、

その仁政により聖帝(ひじりのみかど)と呼ばれる仁徳天皇と似ている素晴らしい名前ではないか!という、呪いと真逆の祝福論、等々。

……そう、真逆なんだよなあ、と、私は思ったんですけどね。

徳仁と仁徳って、逆さまだよなぁ、って。そっちの方が、より不吉に覚えたのです。

もう政治に介入できなくなった天皇家にとって、一番重要なのは、祭祀という神事です。
わかりやすく言うと、日本という国と、国そのものである国民が栄え安寧であることを《祈る》ということです。

そして、神事とか、仏事とか、そういうのは逆さまにしちゃダメなんですよ。だって、

逆さまにするのは、呪いだから。

(つづく)
2020. 02. 23  
一応、ミカシキヤヒメの子としてはウマジマジ(神武に逆らうナガスネヒコを殺して寝返った)の名が知られますが、記紀ではなく、中田憲信「物部大連(穂積宿禰)」『諸系譜』第三十三冊に寄るもののようです。(wiki)

つまり、そういう系図に連なりたいと思う人がいたくらい、自分の伯父を裏切り殺すような卑怯な男(ウマシマジ)でも、神武サイドに付けば正義で名誉という、

私には理解出来ない世界。

それは脇に置き、大年神には何人かの妻神の名があり、やはり重要な御子神の名が見えるのです。

ならば…

天知迦流美豆比売とは、クシタマヒメとも呼ばれるミカシキヤヒメ/トミヤビメの美称ではないか。
…と、思うのです。

今まで、色々と天知迦流美豆比売のお名前を解読して来ましたが、9パターンの解釈が出ました。
ミカシキヤヒメ/トミヤビメであるとすると、『迦流』→『かる』→『軽』という大和の市が栄えた地名を含む、

5.天を領有する軽(大和)の水の女神 (あめ- しる-かる-みず-ひめ。7に『あめしる(や)』という枕詞が出てくることを考慮すると、『あま』よりも『あめ』の方がよいと判断)
6.天を領有する軽(大和)の生命力溢れる太陽の女神 (あめ-しる-かる-みず-ひ-め)
7.(天を領有するような)軽(大和)の生命力溢れる太陽の女神(「あめしる→ 日」を導く枕詞&かる-みず-ひ-め)

のどれかです。
そして、この中からひとつだけ選ぶなら、『あめしるかるみずひめ』という、

5.天を領有する軽(大和)の水の女神

だと思います。

以前別の記事で書きましたが、『天照』だけなら太陽でも月でもよいのです。太陽神の決定打にはなりません。
『火明/ホアカリ』という火の明かりこそが古代の人々の太陽であり、そこに『天照国照』と冠して、饒速日命は

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)

という、堂々たる太陽の王として、完成するのです。

だから、日で火である饒速日命の妻は、水神でなければならないのです。
島国である日本を囲む海は水。その水を操るのは、月だと古代の人々は知っていました。

日が火であるなら、対となる月は水です。
だから、共に天を治める妃神の名は、水の女神の名が相応しい。

私は、そう思います。

これからは、『あめしるかるみずひめ』さま、とお呼びしなければなりませんね。
でも、私は始めに天知迦流美豆比売様のお名前を知った時の御縁のままに、IDはchikaru(ちかる)のまま名乗らせて頂こうと思います。


これで、私が心惹かれた水神、天知迦流美豆比売様の謎解きと、長い長い藤語りは、ここでひとまずお終いです。

もし見当違いなら、『違いますよ』と、天知迦流美豆比売様が、いつかそっと、教えて下さると思います。
例えばそれは、ふと、新しい情報と偶然出会うような、そんな不思議でさりげない巡り会いで。
その時はまた、私は新たに天知迦流美豆比売様の謎解きをしようと思います。

私はそんな、囁くような御縁の導きを、信じていようと思うのです。
2020. 02. 22  
スサノオ様は、イザナギから勘当され、高天原から追放されたとはいえ、その血筋は貴種です。
罰として高天原を追放になったものの、生まれとしては天津神である可能性があります。

実は私は、スサノオ様はイザナギ・イザナミ夫妻神の実の子でもおかしくないと思っています。

理由その1.「母に会いたい」と泣いたのは、オオヒルメでもツクヨミでもなく、スサノオ様だけであったこと。
理由その2.【出雲国造神賀詞】に出てくる、『伊射那伎の日真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命』をかなり端折って口語訳:イザナギ神の最愛の御子であるスサノオ神。(←これ知った時にはガチで驚いた。イザナギ様はスサノオ様を嫌っていたと神話を真に受けていたので)

そして、大年神の母神、激しい神威を表す『神/カム』を接頭語に持つ、神大市比売の『市』が『大和の軽の市』であるならば、天神か地祇か判りませんが、確実に大和勢力の高い地位に生まれた姫です。

そして、大年神の妻・天知迦流美豆比売も、『迦流/かる』が『軽』であるならば神大市比売と近い血筋の姫である可能性が高く、その御子神たちの血筋もアイデンティティも、出雲よりも大和のものであるはずです。

先代旧事本紀では、一度はナガスネヒコの反撃に押され撤退した神武帝が、紀伊半島を迂回し再びナガスネヒコと対峙した時には、ニギハヤヒは、既に故人であったとされています。

再びナガスネヒコは抵抗し、戦争になり命を落としましたが、ナガスネヒコは己が主と仰いだニギハヤヒの血統こそが大和の継承者に相応しいと信じたのです。
ニギハヤヒとは、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)という輝かしい名を持つ、偉大な王だったのだから。

大和の地の最初の大王は、ニギハヤヒという、太陽の現人神だった。

これを私が自分の中で覆せないのならば、ニギハヤヒとは、母方の血筋の大和の豪族に婿養子として入る形で王となった大年神である(同じ手順で王となったのが、スセリヒメを得たオオナムチ)、という説が一番しっくりくるのです。

ニギハヤヒの妻としては、身分的には一夫多妻であったと思うのですが、唯一、トミヤビメ/ミカシキヤヒメ(記紀で採用している名前が違うだけで、どちらもニギハヤヒの腹心ナガスネヒコの妹姫です)という妻が記紀に見られます。
他の異名としては、非常に判りやすくナガスネヒメ、そして櫛玉姫命櫛玉比女命櫛玉比売命と、ニギハヤヒと同じ『櫛玉』を冠した姫の名があり、ニギハヤヒの正妻であることを示しているのだと思います。

私は、実は基本的に、A神はB神と同神、という考え方は、出来るだけ避けたいと思っています。
あれもこれもそれもあっちもこっちもそっちも同神!!…という文章を読んでいると、どうしてかウンザリしてきて、読むのをやめたくなります。

古事記も日本書紀も、それ以前の正史が焚書されている程度に、捏造・消去・改竄が沢山あるとは思っています。
でも、一からでっち上げることは出来ないはずです。必ず、骨組みは残っているし、残さざるを得ない。
作り話ばかりにしたなら、世の中のあらゆる階層の人々の中に残る伝承と大きく食い違い、これは大嘘だとばかにされること請け合いです。

令和の世にすら、地元の人々には、アヤトヒメやヌナカワヒメが、大国主の手から逃れようと必死に逃げて、とうとう《隠れた》、或いは身を投げたという伝承が残っているのですから。
いつの世も、人の口に戸は立てられぬのです。

だから、此処には不自然に記載が少ない。或いは存在しない。
重要な神なのにどうして?…と思う箇所には、私も入り込む余地があります。

天知迦流美豆比売は、重要な御子神の母神であるのに、父も母も記載が無い、謎の姫です。
ニギハヤヒの妻も、ナガスネヒコの妹とされるのみで、ナガスネ兄妹の父親が事代主というのも、系図の世代的におかしい。
※ 事代主で正しい、というのであれば、出雲で隠れた事代主とは、称号が同じであるだけの別人です

そして、ミカシキヤヒメことクシタマヒメの子は、記紀には記載が無いようです。
大国主の正妻・スセリヒメについても、母神と御子神の記載がありませんでした。

単に、御子様に恵まれなかった、ということも有り得ます。
でも、古事記にしろ日本書紀にしろ、血統というものに非常にこだわった書物であり、神代の記述はイザナギ・イザナミ夫妻神の産めよ増やせよから始まっており、子を成せなかったならば正妻であっても書き残す必要は無いのが、神代という『神話』であり、のちに続く『歴史』との違いだと思います。

なのに、スセリヒメもミカシキヤヒメも、重要な神の正妻として名を残した。

そういうのは、怪しい。

(つづく)
2020. 02. 21  
前回、天知迦流美豆比売の『知迦流』を『しるかる』と読み、『しるかる』単体で意味をもつ、形容詞の連体形で読み解くことが出来る、というところまで行きました。

しるし/著し
形容詞・ク活用

連体形 しるき/しるかる

著しの意味は、
はっきりしている、際立っている、顕著だ。

しるし(徴・標)と同根として、
ありありと見え、聞え。また感じ取られて、他とまがう余地がない状態。

しるし(徴し・標し・銘し)と同根として、
他の事と紛れることなく,すぐそれと見分けがつく形で表現する意

この例で読み解くと、

8.天の紛うこと無き水の女神
9.天の紛うこと無き生命力溢れる太陽の女神


のどちらかになります。

そして、水の女神なのか、太陽の女神なのか。
その属性は、大年神=大物主(地祇)、もしくはオオトシ神=ニギハヤヒ(神武帝よりも先に天降っていた天津神という設定)が誰なのか、というところに、かかってきます。

私は、大国主、事代主、大物主、という名を名乗った者は、個人名ではなく複数人いると思っています。
愛娘・スセリヒメをかっ攫われたスサノオ様が、オオナムチに『大国主になれ』と言っているように、それは

大きな国のあるじ=大国の王になれ。

という意味であり、また大国主の異名が色々あることから、代々受け継がれた称号なのだと思います。
スサノオ自身も大国主であった可能性もあります。

記紀も出雲国風土記も、スサノオは小さなクニの一豪族に過ぎない感じに書いてありますが、だったら何故、スサノオからオオクニヌシへと繋がる、長い出雲神話が必要だったのでしょうか?

どうして、嵯峨天皇は「素尊(素戔嗚命)は則ち(すなわち)皇国の本主なり。ゆえに日本の総社と崇め給いしなり」
なんてことを言っちゃったのでしょうか?

同じく大物主説のある事代主も、何かの称号でしょう。
宣託の神の雰囲気があるので、祭祀を司っていた人物がモデルで、少なくとも確実に2柱は存在します

1柱は、国を譲れという恫喝に、了承したと答えながらも、呪いの天ノ逆手を打って隠れた=亡くなった事代主。

もう1柱は、現在も宮中に祀られている=皇室に祟る怖れのない、確実に守り神となる事代主です。

そして、様々な神名との繋がりを見せる、単にスサノオ神の息子という肩書きだけでは済まない謎の神・大年神。

その妻として、9柱(数えれば10であるのだけれども、オキツヒコ神とオキツヒメ神をひと組でカウントするらしく、9柱の扱いになっている)の子を産んだとされ、その御子神のうち2柱は、平安時代の宮中に、守護神的な役割で祀られていた……ならば、

その母親で『天/あめ・あま』を冠する天知迦流美豆比売もまた、偉大な姫神と認識されていた、と考えるのが自然です。

大年神は、古事記の記述では大国主の国造りを助けた大物主とイコールであることが仄めかされており、ならは地祇の系列のはずです。
でも、大物主ならば地理的にニギハヤヒである可能性が高いのに、ニギハヤヒは神武帝とは別の集団を率いていたものの、ルーツは同じ天津神系列ということにされています。

この辺りは、私がここでゴチャゴチャ言わなくても、既に沢山の人が考察しているとおり、これが正しい!というのはその人次第といった所です。

ならば、私は素人らしく、確実な所から体当たりしたいと思います。

大年神の父・スサノオ様は?

(つづく)
2020. 02. 20  
今までの連載を整理しましょう。

前回の『その4』で、大年神の妻・天知迦流美豆比売が、軽(かる/現在の奈良県橿原市)辺りに勢力を持っていた豪族の姫という、歴史上の人物をモデルにしている可能性があり、それならば、同じく大年神の母神である神大市比売も同じ地の出身であるかもしれない、故に非常に大和の血の濃い大年神は、大和の勢力を手にしていた大物主、もしくはニギハヤヒとイコールなのではないか、というところまで行きました。

そして、天知迦流美豆比売が、水の女神なのか太陽の女神は保留ですが、『その1』~『その4』までの考察で天知迦流美豆比売の名をどう読むか、という案は以下の6つになります。

1.天の近くを流れる水の女神 (あめ/あま ちかるみずひめ、と読む説)
2.天に近付く太陽の女神 (同上)
※ 私見では、この二案は解釈が強引で違うと思った

3.天に近い水の女神 (あめ/あま ちかるみずひめ、と読む説)
4.天に近い生命力溢れる太陽の女神 (同上)
※ 意味としては1,2と似ているようでいて、文法は結構違う案で、これは可能性があると思う

5.天を領有する軽(大和)の水の女神 (あめ/あま しるかるみずひめ、と読む説)
6.天を領有する軽(大和)の生命力溢れる太陽の女神 (同上)
※ かなりダイナミックだけど、これだとしたらかなり面白いと思うが、水神か太陽神か不明のまま

天知迦流美豆比売 については、ほかにも読み解き方が見つかっているので、述べてみたいと思います。
実は、『天知る(や)/あめしる(や)』という枕詞、或いは『天知らす』はという動詞の歌が、少数ながら万葉集にあるのです。

ただし、『天知らす』は除外します。何故なら
>これらは、死後は天に戻って天上をお治めになる意(中略)
>死後は天に戻って天上をお治めになる意で、貴人の死に対する敬避表現である。(中略)
>空間的にも時間的にも永続的に支配することができる天皇(皇子)の力を賛美した表現とも言えよう。このような表現の発想は、記紀神話の世界観に基づくものであると考えられる。
(國學院大學 万葉神事語辞典から引用)

という理由からです。
因みに、『天知る(や)』は、やはり『天を領有する』という意味で、『日』にかかる枕詞です。万葉集にはひとつしか例がありませんが、この路線で行くと

7.(天を領有するような)軽(大和)の生命力溢れる太陽の女神

となり、日の女神に限定され、水神の可能性が無くなります。

もうひとつ。『天知迦流美豆比売』の『知迦流』を『しるかる』を、『しるし』という形容詞の連体形に取ることも出来ます。

我ながら、よく色々調べたなぁ……
でも、私は知りたかったんです。

母神不明のスセリヒメと同じように、出雲の重要な神裔に名を連ねながら出自不明の、そして古事記に名はあれど日本書紀からは何故か無視された、天知迦流美豆比売という女神様のことを。

(つづく)
プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
定義山西方寺を崇敬。伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。透明水彩絵師。

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