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2020. 05. 23  
新型コロナウイルスが猛威を振るい、世界中がパニックと惨事に見舞われた。
否、不幸にして、現在進行形で見舞われている。

長く続く自粛に、鬱屈する人々。経済が停滞し、倒産多数。
疫病である為に、家族であっても最期の別れは硝子越しのまま、遺体は荼毘に付されても葬式も出来ないという悲劇。

日本もその例外ではない。が、

我が国の象徴であらせられるはずの今上のお声が、うんともすんとも聞こえないのはどういう訳であろうか?

凜として国民を励まされる、英国エリザペス女王の美しさには、本当に心打たれた。
これで御年94歳という奇跡の輝き。実は女王という名の現人神なのではないかと、冗談抜きで思う。

エリザベス女王は長きに渡り王位にあり、多忙な公務をこなしつつも三男一女を出産している。
この三男一女がのうち3人が離婚しているというのは、チャールズ皇太子が母との関わりの少なさをを口に漏らしているように、偉大な母の背中が遠すぎたのもあるかも知れないが、そうであっても4人の御子を産み、孫8人曾孫8人(昨年の記事を参考にしたので今の人数とは違うかも知れませんが)という、後継者の血を多く残そうとなさった、ということそのものが、既にご立派なのだ。

ダイアナ妃も、不倫夫に苦しめられ、愛されない不幸に涙しても、2人の男児をお産みになったのは、悲劇的なほどにご立派だった。
結果的に、当時は男子優先の王家にあって、彼女はハンサムな王子を2人産んだ時点でお払い箱状態に追い込まれたのだから。
※ そのハンサムな王子ひとりが、黒人女性を妻に選んだ前例の無さに留まらず、妻と共に王室から出ていくという破天荒をやらかしたのは、母ダイアナを粗末にしたイギリス王室に対する思い入れが希薄だったのだろうと、私は勝手に思うのだけれども

前置きが長くなったが、王室という伝統は、どこの国の王家であれ、王の子孫がいなければ続かないのである。

イギリスではその継承者のナンバリングが軽く2桁を超えているのだから、安定感が違う。

あちらは2013年の法改正で、男子優先であった王位継承を、男女にかかわらず現在長子相続優先にしているので、内親王や女王が継承者から外れる日本とは、単純計算では倍の継承者を維持することが出来る点で、大きく異なる。
また、日本の皇族は、政治的な影響力を持たぬよう、個人的な財産を持つことは出来ず、個人的な発言の発表さえ大きく制限をかけられた存在であり、祭祀王としての役目が最も重いという点が、上記よりも更に特異性を持っている。

この国の為に神に祈りを捧げる祭祀王というトップが、天皇という日本の唯一の王でありつづけ、他家と区別を付ける『姓』が不要なほどに万世一系の皇統が約2千年続いている(学術的に意見が異なる)、というのは、世界的に見ても驚異的に尊い、奇跡的な平和の象徴なのである。

この事を、今上はどのように御自覚なさっているのか?

上皇陛下が天皇位に在られた頃ならば、まず間違いなく、この長い長いコロナ災禍にあって、複数回の『お言葉』を国民に送られていたはずである。
平成という時代は、戦争こそ起こらなかったが、天災が相次ぎ、世界各国から取り残された経済成長が『平らに成った』呪われた時代であったけれども、上皇陛下は常に国民をお心にかけて、国民のために生きて下さった御方であった。

その、ご立派な上皇陛下の長男に産まれ、礼宮さま(当時)は受けなかったという厳しい帝王教育(その厳しさのあまりに、浩宮さま(当時)は、「アーヤがやればいいんだ!」と泣いたと伝えられる)を受けていながら、

口を開けば「雅子が」「愛子が」ばかりで、国民に対するお言葉を持ち合わせないという、

無為の天皇という暗愚を晒している今上を、私は陛下ともお呼びしたくないほど、全く尊敬していない。

令和が始まって1年しか経っていないというのに、コロナ以前にも地震、台風など色々あったというのに、今上から国民への労りのことばがいち早く届いた試しなど、1度だって有っただろうか?

そして、今まで祭祀という祭祀は全欠席、ご静養は皆勤賞、3.11に愛子嬢のご学友を招いてお楽しみ会、という恐ろしい非常識にして無慈悲・小l和l田l雅l子を、どうして皇后などと呼べようか。

この令和の1年だけで、たっぷりと思い知らされた。

今上もその妻も、この国のことも国民のことも、これっぽっちも愛していないのに、天皇・皇后を名乗っている。

帝王教育を受けていないからと、何かと身を引きがちな(やる気が無いのでは無く、自由でいたいわけでもなく、積極的に前に出られない事情=圧力があるのだと思う)秋篠宮皇嗣殿下の方が、紛うことなくこの国の祭祀王に相応しい。

眞子さま騒動が何だ?
人間の個性は、先天的にある程度決まっている。子供は親が育てたようになど育たない、と日本人はいい加減に知るべきだ。

秋篠宮皇嗣殿下と紀子妃殿下を責める方々は、親の期待に応えてさぞご立派に育ったのでしょうね。

そんな家庭内事情よりも、肝心なのは、チッソの孫の某妃が、1度も訪れたことのない水俣での慰霊を、ずっと行ってきたのは秋篠宮殿下と紀子妃であるということだ。

一事が万事でこんな状況だ。
秋篠宮ご夫妻の公務はギッシリ埋まっているのに、即位前の皇太子の公務はゆったり、自称適応障害の某妃(適応障害は、何年も続く病気ではない)はスカスカ、という状況。

こういう情報は、マスコミは報道しないので、皇室マニアや秋篠宮家を支持する方々が、各自ネットに流して下さっているのを拾わなければ、知るのはなかなか難しい。

2週間ほど前、5月8日に、ハロ、白虹、と呼ばれる現象が日本各地で見られた。
白虹貫日の白虹である。

つまり、太陽の周りに白い虹の輪のようなものが出来た、だけではなく、その白い虹が太陽を貫いたように見えた地域からの画像も、ネットには数多く出回った。

虹もそうだが、このような自然現象の吉凶は、国によって異なる。
古代中国が白虹貫日を凶兆とし、中国の影響が強かった古代日本がそれに倣っていたのなら、古代から続く天皇家にとっては、即位の礼の日の虹も、ハロも、どちらも凶兆であったということだ。

天叢雲剣の力で晴れた?それがどうした。
三種の神器という神宝は、モノという形で顕現した神なのだ。

雨が降った、止んだ、というのは天叢雲剣という神の性質であって、無為の帝が起こした奇跡ではない。

5月8日の白虹の情報を、私はネット検索したけれども、あんなに話題になったのに、凶兆としては驚くほどヒットしなかった。
検索エンジンに何か制限がかかっているのだろう。
※ 例えば、『自殺・楽なやり方』などというキーワードで検索すると、真っ先に相談窓口の電話番号が表示される程度に、検索エンジンは運営が設定を弄ることが出来る

白虹貫日は、兵乱の予兆であるらしいが、それは太陽を君主に見立ててのことだ。
さて、今回の白虹が示した君主とは、天皇のことか、首相のことか?

是非とも、前者であって欲しい。
私は阿倍信者ではないが、彼はトランプ大統領にお気に入りであるというだけで、色々難はあっても今のところは外交上貴重な存在であり、現行の日本の法律の範囲内では、コロナ対策は健闘したと見るべきだろう。
今後、最悪野党が政権を握るようなら、本当に最悪だ。今度こそ日本は破滅する。

これだけ災いばかりが続くのだ。古式に倣えば1年を待たずに令和は改元し終わらせるべきだったし、古代であれば遷都しているところだ。

それでもダメなら、徳のない帝には退場して頂くしかない。

毎年終戦の日にご静養で遊んでいる母に同行している愛子内親王も、伝統に倣って降嫁して頂きたい。

4月に予定されていた立皇嗣の礼が、事実上無期延期になってしまったことは、日本にとって大きな損失だった。
緊急解除宣言があちこちで出されている今、本当に出席者は皇族と首相くらいに絞って、小規模になってしまっても早急に執り行い、秋篠宮皇嗣殿下が皇位継承者第1位であるという、ごく当たり前のことを、広く国内外に示すべきだ。

1日も早く、秋篠宮皇嗣殿下を今上陛下とお呼びし、紀子妃殿下を皇后さまとお呼びできる日が来ることを、切に願う。
悠仁親王殿下を、皇太子殿下とお呼びできる日が来ることを、切に、切に願う。

この国と国民のために祈ることを知っている、正しき皇族であるこの方々は、2千年以上の歴史を繋いできた、日本の光なのだから。

だから、この言葉は、秋篠宮ご夫妻と、悠仁親王に向けて捧げたい。

天皇弥栄(すめらぎいやさか)。
2020. 03. 13  
※ 注:私は、今上陛下と雅子妃を全く尊敬していませんので、不快な方は以下の記事を読まないで下さい。
※ 読んで気分が悪くなっても自己責任であり、私は関与しませんので悪しからず。







口を開けば、雅子愛子雅子愛子雅k(ryばかりで、災害が起こってもすぐにお見舞いの言葉を発することもしない、日本の象徴に相応しからぬ暗君と、祭祀を悉く欠席し、テニス・スキーなどの《ご静養》は皆勤賞、チッソ会長の孫娘なのに一度も水俣に慰霊に行ったことがない(行っていたのは秋篠宮殿下と紀子妃です)小和田M子など、どこをどうしても敬愛する所など見当たりません。特に、

私は、絶対に、M子を皇后なんて呼ばないからな。

宮城県にボンクラ旦那と一緒にやってきて、3.11の瓦礫の山を見てヘラヘラ笑っていたことを、私は絶対に許さないからな。

…という訳で、しばらく前からずっと気になっていたことを書きます。

今上陛下一家の、ネガティブ情報が、検索しても非常に出て来づらくなったような気がするんです。
一方で、皇嗣殿下御一家のネガティブ情報は、簡単に出てくる。

例えば自殺の方法を検索すると真っ先に相談窓口の電話番号が出てくるのと同じように、何か操作されているのでしょう。

伝統に則った、正当な日嗣の御子・悠仁さまがいらっしゃるのに、愛子天皇待望論が盛り上がるのは異常です
異常なのに、マスコミがそのように動いているし、ネット情報も愛子派(というより、小和田派?草加派?半島?)の工作員かアルバイトか知りませんが、秋篠宮家へのバッシングが酷い。

しばらく前までは、昭和帝は托Ӏ卵Ӏ疑Ӏ惑Ӏの徳仁ではなく礼宮様(当時)を可愛がり、礼宮様の系統に皇統を移したいと願っていたという話が皇室マニアの間では有名だったのですが、最近それがすり替わってます

つまり、昭和帝が絶対に礼宮を皇位に就けるなと仰っていた、という話にスライドしているのです。

ネット情報の悪意は、皇族方の持つ『お印』にまで及んでいます。

お印とは、例えば上皇陛下は『榮』(栄えるの本字。漢字のまま)、今上は『梓』、愛子さまは『ゴヨウツツジ』、等々、皇族方はみな、文字や植物をデザインしたシンボルをお持ちなのです。

男性皇族は木であることが多く、女性皇族は花であることが多いようです。
※ 上皇陛下の『榮』と美智子妃の『白樺』は違いますが

Wikipediaを見るとわかります。秋篠宮皇嗣殿下(お印は『栂/つが』)や、悠仁さま(お印は『高野槇/こうやまき』)への悪意が。
wikiって、誰でも編集できますものね。

対して、今上のお印『梓/あずさ』を見てみましょう。(以下wiki引用)

>梓(し)
>梓は、別名を「木王」といい[、百木の長として尊ばれた。
>(中略)「梓に上す(しにじょうす、あずさにじょうす)」、「梓にまとめる(しにまとめる、あずさにまとめる)」のように、この意味の「梓」を「あずさ」と読むこともある。

※ 『あずさ』ではなく『し』と読む場合の梓の説明だけれども、多分今上推しはこちらの意味を主張したい模様

そして、秋篠宮皇嗣殿下のお印『栂/つが』

>マツ科ツガ属に分類される常緑性の針葉樹。
>別名をトガというが、これは、かつて咎人をはりつけるのに使ったためとの説がある。

次。悠仁さまのお印『高野槇/こうやまき』

>マツ目コウヤマキ科の日本の固有種。常緑針葉樹で高木となる。
(※ 著者注:素晴らしいチョイスです秋篠宮皇嗣殿下!しかし、それに水を差す者が不吉なことを書き足している。以下)

>古代には、棺材として最上級とされた。弥生時代や古墳時代には木棺として用いられている
(著者注:その後いいことも書いてあるので、アンチとまともな人がそれぞれに編集合戦をやった感がある)

でも、庭木図鑑 植木ペディアという、専門的なサイトがありまして、こちらから引用させて頂きます。

『梓』
>アズサという木はなく、キササゲミズメ、アカメガシワ、リンボク等のことを指すようです。

キササゲ(著者注:中国の『梓』はこちららしい)
>キササゲの実は長さ30センチにもなり、目を引く
>雷避けの木とされ、神社仏閣にも見られる
>中国を原産地とするが、野生化したものが日本各地の川岸などで見られる。
>ノウゼンカズラ科 キササゲ属 落葉広葉 高木

ミズメ
>ミズメ(アズサ)は令Ӏ和Ӏ天Ӏ皇の「お印」となる。(著者注:ちょ!単なる知識不足の誤記だろうけど、流石にれいわてんのうはナシだと思うよ!)
>樹液や枝葉にはサロンパスのような匂いがあるが、かつては不快な匂いとされ、ヨグソミネバリ(夜糞峰榛)との別名がある。
古来より儀式に用いる「梓弓」に使われ(中略)現在ではアズサ=ミズメであることが正倉院の宝物によって実証されている。弓に使ったのは、ミズメの材に含まれる独特の香りに魔除け効果を期待してとのこと。
>【ミズメに似ている木】・シラカバ
(著者注:白樺って、美智子妃のお印なんです。偶然?)

『栂』(つが)
>御神木として神社などに見受けられる。
>細かな葉が次々に展開していくことから「継ぐ」が転化して命名された
>マツ科 トウヒ属 常緑針葉 高木

『高野槇』(こうやまき)
>かつては北半球に広く分布していたが、現在では日本にのみ残るため、日本固有の樹木とされる。
>切り枝はお盆などの仏事に使われるが、材を棺桶に使った歴史があることから神道では忌み嫌う傾向もある。
>コウヤマキ科 コウヤマキ属 常緑針葉 高木


…という訳で、梓は香淳皇后が出された案なのですが、無難な木という印象で、特に日嗣の御子を祝福した特別感は無い気がします。

悠仁さまの高野槇の棺が気にはなりますが、高級な木材であったからこそ、現代よりも切実に死を怖れた時代に、高級な棺に使われたというラインで納得しよう…
また、高野槇と言われるだけあって、高野山では霊木、神木なんですよね。

何より、昭和天皇と香淳皇后が高野山をご訪問された記念に、植樹された高野槇があるのです!

そして、その金剛峰寺では「高野六木」として伐採を禁じた樹木があるのですが、高野槙とともに栂(つが)が選ばれています。また、悠仁さまの御誕生を祝って、伽藍の一角に高野槇を植樹したそうです。

昭和帝と、仏門にまで祝福された、悠仁さまと日本固有種の高野槇。
やはり、とても素晴らしいお印だと私は思います。

皇嗣殿下の『栂』も、磔なんかじゃなくて、『継』だと思います。
何故なら、紀子妃のお印『檜扇菖蒲/ひおうぎあやめ』の由緒が素晴らしいのです。

こちらのサイト様に寄りますと、
>昭和天皇が栃木県那須高原に咲く檜扇菖蒲に関心を持たれ、秋篠宮皇嗣殿下も研究に関わったことがあり、上皇陛下、上皇后美智子さまと秋篠宮皇嗣殿下、紀子様が相談して決めました。

紀子妃殿下は、なんと祝福されたお妃様なのでしょうか!(小和田様の『ハマナス』は、今上とおふたりだけで決めたそうです)

そして、今上一家のお印と、秋篠宮家のお印は、分類すると見事に正反対です。

今上の『梓』(3種ほどあるようですが)、小和田様の『ハマナス』も、愛子さまの『ゴヨウツツジ』、全てが落葉樹です。
そして、昭和帝が絶対に美智子を立后させるなと遺言なさった皇太后さまの『白樺』も落葉樹です。

※ 上記サイトでは、上皇陛下の『榮』を『桐』(落葉樹)の別名と解釈していますが、私は別の説を信じます。『榮』は草花が盛んに茂る様とされ、漢字のデザインのままに栄える意であると思います。(桐なら始めから桐のお印にすればいいのだし、漢字をそのままにデザインしたお印を持つ皇族方は過去に何人もいらっしゃいます)

秋篠宮家は、皇嗣殿下の『栂』、悠仁さまの『高野槇』、眞子さまの『ゆうな』、佳子さまの『モッコウバラ』、全てが常緑樹であり、紀子妃殿下の『檜扇菖蒲』は多年草です。

昭和帝の御意志は、秋篠宮家の血統にあります。

今上が昭和帝、上皇陛下の血を引いていないとしても、それは今上の罪では全くありませんが、日本の国を大切にしない妻の言いなりの暗愚は、天皇位に相応しくありません。

ダライラマ14世が下さった、『レイワとはチベット語で希望と言う意味です』という祝福の言霊を生かすこと無く、令和が始まった途端にこれでもかと災害が訪れる御代を招いたあなた方は、そのお印の通りに、令和の元号と共に葉を散らせなさいませ。

昭和帝が導かれた、皇嗣殿下から悠仁さまへと引き継がれる、正しい皇統の常緑の美しい時代が早く訪れることを、切に願います。

天皇弥栄。
2020. 01. 09  
昨日の『もうひとりの なるひと親王』という記事で、

興味本位で調べちゃって申し訳ありませんでした!!!(平伏)

とジャンピング土下座な気分に陥ったのですが、調べてしまったからには、書きます。
もうひとりの『文仁親王』と『ひさひと親王』

もし、『徳』の字がいわくつきでなかったら、
『徳仁』・『文仁』
と並べてみたときに、気合いの入った名付けだなと思うのは、前者の方ですよね。

何しろ、天皇は徳を以て世を治めるとされていますから。
逆に言えば、災害があったり流行り病があったりすると、天皇の徳が足りないんじゃないかとか、誰々が怨霊になって祟っているのだとかいう話になります。

だから、本来は、怨霊認定しなければならなくなった時点で天皇の恥なんですよね。
私が悪うございました!あなたは悪くありません!!心を込めて祀らせて頂きますから、お怒りをお鎮め下さい!!ってことですから。

そして、怨霊認定した(する程度に、後ろ暗い所があった)相手に、最高級の文字『徳』を贈ったのです。

今上陛下は、浩宮徳仁(ひろのみやなるひと)
秋篠宮さまは、礼宮文仁(あやのみやふみひと)

勝手なイメージですが、今上陛下には直系として未来の天皇位が確定している親王として、堂々たるご立派な名付けで、秋篠宮さまは、『礼宮/あやのみや』がいかにも雅な雰囲気ですけれども、『文仁/ふみひと』は上品ながらも無難な印象を受けます。

それで、『もうひとりの文仁親王』は、いらっしゃいました。
江戸時代中期の親王で、漢字もそのままに『文仁』で、

京極宮文仁親王(きょうごくのみや あやひとしんのう)

すみません、正直ギョッとしました。
だって、文仁=あやひと、なんて、独身時代の秋篠宮さまの礼宮文仁(あやのみやふみひと)をめっちゃ凝縮した感じの名前だと思って。

霊元天皇の第6(第7?)皇子として生誕。(wikiでも記述が食い違う)
皇位継承とは遠い所にいたので、空位になっていた常磐井宮家を相続し、新たに京極宮の宮号を賜りました。

故に、陰謀に巻き込まれるような不運はありませんでしたが、32歳で薨去。
色々調べていると、昔の皇室って、本当に早死にする人が多いです。
沢山子を設けても、赤ちゃんのうちにどんどん死んでゆく。

昔は、そうだったのでしょう。皇室に限らず、誰でも。
一部長生きの人がいる一方で、現代の医療があれば助かったような人が、昔は為す術もなく命を散らせていった。
だから、32歳は若いですけれども、そんなに珍しいかと言えばそうでもなかったのでしょう。

男児がいらしたので、その方が跡を継ぎ、更にその次、つまり孫の代までは文仁親王の血統が京極宮家を引き継ぎますが、その公仁親王も38歳で薨去。
正室の室子女王も結婚2年で薨去しており、御子様は女児ひとりのみであったので、ここで直系の血筋は途絶えました。

これが、天皇家直系の場合は、傍系のきょうだいの血筋や宮家に皇位が引き継がれる訳ですから、京極宮文仁親王(きょうごくのみや あやひとしんのう)には、特に不吉と言うほどのものは見受けられませんでした。

ただ、現代の文仁さま、秋篠宮さまは、かなり文字にこだわって、悠仁さまの命名をなさったようです。

宮内庁職員が、歴代の天皇や皇族の名前として使われていない字を示すと、「もうちょっと調べてほしい。他の漢字はないのか」と最後まで迷っていたとのことです。

これ…単に、特に血筋の近い皇族と名前が被らないようにするためだけ、なのかな?

秋篠宮さまは、きっと兄『徳仁』の子が愛子内親王のみ、三笠宮『崇仁』さまも、三男二女をもうけるも、その3人の男子には跡継ぎが生まれることなく、三笠宮さまの血は絶えた……ということを、考慮していたと思うのです。

もう、女性宮家や女性天皇、とうとう女系天皇論まで既に出て来ていた。そんな論調の中で、
直系男子の、天皇家の血を残さなければならない。
そう強い決意を持って、秋篠宮さまと紀子妃殿下は、悠仁さまを迎えられたはずだからです。


秋篠宮さま曰く、『ゆったりとした』イメージで『悠』にして、特に原典は無いとのことですが、本音はやはり悠久の悠でしょう。
はるかに、長く、続きますようにと。

でも、『久仁』には出来なかった。前例があるからです。
鎌倉時代の天皇・後深草天皇。諱は『久仁』(ひさひと)

先代にして実父の後嵯峨天皇が困った人で、長子・久仁親王よりも弟の恒仁(つねひと。のちの亀山天皇)親王を溺愛し、亀山天皇の次は後深草天皇の皇子・熈仁(ひろひと…どっかで聞いたような…)親王を無視して、亀山天皇の皇子・世仁親王が立太子させちゃうんですね。(院政の時代なので、後嵯峨上皇の意向)

熈仁親王は、後回しにされながらも、世仁親王(後宇多天皇)の後に天皇になりますが(伏見天皇)、このいざこざが、のちの皇統分裂・南北朝時代を引き起こすことになります。

『ひさひと』親王。乱世の名。
でも、足利義満の時代に皇統は北朝に取られたものの、皇統そのものは途絶えずに、現代まで続いています。

令和の世は、悠仁さまがいらっしゃるのに、愛子天皇を叫ぶ勢力があり、悠仁さまが命を狙われても、護衛を倭連れているのは愛子さまの方。
悠仁さまのお名前に関係なく、とっくに乱世です。

どうか、秋篠宮さまと紀子妃の、誠実な願いが、はるかに、届きますように。
私は、心よりそう願っています。
2020. 01. 08  
私のPC(つかAtok)で『ひろのみや』を変換すると、『浩宮』と一発変換されます。
ほかに候補はありませんし、多分これが標準でありましょう。

なのに、見つけちゃったんだな。探そうと思ってた訳でもないのに。

先日の記事の、もうひとりの『なるひと親王』も、まだ記事にしてない『文仁親王』、『ひさひと親王』も、こちらは私が好奇心で調べてしまったのですが、『もうひとりの ひろのみや様』は、たまたま目に付いてしまったのです。だって、

『もうひとりの愛子さま』がそうだったように、さほど昔の人ではなかったので、ふと目に入ってしまっとたんですよね。

さほど昔の人ではない。
『浩宮徳仁(ひろのみやなるひと)』と名付けた昭和天皇にとっては、2000年の皇室の歴史の中で、曾祖父なんてのはかなり近い親戚のはずです。
それも、かつての天皇であったのならば、尚更。

昭和帝の曾祖父・孝明天皇。
諱は統仁(おさひと)。称号は煕宮(ひろのみや)。

今上陛下に名付けをした昭和帝が、知らなかったとは思えない。天皇位に関わらなかった数多の親王内親王ならば、いちいち覚えていなくてもそんなものだと思いますけれども、歴代天皇の知識は別格でありましょう。

天皇という位を巡って、何人の人が不幸になり、或いは何人の血が流れ、何人の人が死んでいったことか。
その2000年の歴史には、怨霊が生まれるだけの理由が、あるのだから。

孝明天皇は、かつてはきっと
煕宮統仁(ひろのみや おさひと)さま
と、呼ばれていたことでしょう。今上陛下が
浩宮徳仁(ひろのみや なるひと)さまであったように。

昭和帝が煕宮(ひろのみや)さまという方を御存知であったことを前提に考えますと、

1.いい感じの漢文でも見つかって、『浩宮徳仁』が良いと祝福して名付けた。(煕宮さまのことは考慮に入れなかった)
2.曾祖父にあやかりたいと『ひろのみや』にした。

辺りでしょうか。
でも、孝明天皇という御方は、明治帝の1代前です。

とてもじゃないけど、あやかりたい感じではないのですが。

私は近代史の辺りはサッパリですので、wikiの『孝明天皇』の記事を読んだのですが、とにかく長文過ぎるしややこしすぎるし、
心底イヤになるレベルだったので、この記事用にかなり大雑把にまとめますね。

孝明天皇は、先代・仁孝天皇の第四皇子です。
第一~第三皇子、及び第5~7皇子は、みな赤ん坊か幼児のうちに死去。
内親王も、成人に至ったのは、第三皇女・淑子内親王(第十一代桂宮)と第八皇女・親子内親王(皇女和宮)のみ。

誰か毒でも盛ってただろ的な、異様な生存率。

だから、これをくぐり抜けて生き残ったんだからある意味強運、とは言えなくもないんですが…みなさん、気付きました?
1/5の記事『もうひとりの なるひと親王』に書いたんですが…

どなたでも和宮さまは御存知でしょうけれども、先日の記事に、出て来たんです。

第三皇女・桂宮 淑子内親王(かつらのみや すみこないしんのう)

もうすぐ11歳という幼さで婚約。その2年後の結婚前に内親王宣下となるも、その2日後にお相手の親王が急逝してしまうのです。

13歳の花嫁を置いて、こちらも24歳の若さで薨去した、その御方の名は、

閑院宮 愛仁親王(かんいんのみや なるひとしんのう)といいます……

当時の天皇家にまつわる、あまりにも多くの、あまりにも早すぎる死は、語り継がれて昭和帝も御存知であったかもしれません。

話を戻しましょう。
長じた…と言っても、まだ14歳で、煕宮さまは、天皇に即位されます。

(以下wiki引用)明治天皇の父。一世一元の制制定前に即位しかつ崩御した最後の天皇である。また、誕生から崩御まで生涯を通じて京都(平安京及び畿内)で過ごした最後の天皇でもある。

そう、激動の時代の天皇なのです。
押し寄せる外圧。開国の波。不平等条約。
安政の大地震、と呼ばれる日本全国で連続した大地震。内裏炎上。

そして、35歳の若さで崩御。
天然痘での病死ということにされていますが、

(wiki引用)中山忠能の日記にも、「御九穴より御脱血」等という娘の慶子から報じられた壮絶な天皇の病状が記されているが、崩御の事実は秘され、実際には命日となった1月30日(旧暦25日)にも、「益御機嫌能被成為候(ますますご機嫌がよくなられました)」という内容の「御容態書」が提出されている。天皇の崩御が公にされたのは2月3日(旧暦29日)になってからのことだった。(中略)幼少の睦仁親王が即位し、それまで追放されていた親長州派の公卿らが続々と復権していった状況などから、直後からその死因に対する不審説が漏れ広がっていた。

それで孝明天皇毒殺説が上がり、さらに睦仁親王暗殺説があるのです。
つまり、実際に明治天皇と呼ばれた堂々たる帝王は、睦仁親王とは別人である……と。

これは『天皇すり替え説』と言われていますが、私は信じたくありませんし、論じません。
だって、私は現在異様な盛り上がりを見せている女系天皇論や愛子天皇待望論には、絶対反対の立場ですから。

実は、きっと歴史の裏で皇統の断絶は何度かあったのだろうと思いますが、それでもどんな権力者も万世一系の皇統を語り継ぎ続け、決して表立って皇統の奪取を誇る者は現れなかった

だから天皇には《姓がない》。
世界から見れば驚くべきことです。諸外国では○○朝、と新たな国の名前や王の姓がつくのが当たり前です。
国とは興り、そして滅ぶもの。それが当たり前の歴史を歩んだのですから。

でも、日本の天皇は、《姓》を必要としませんでした。万世一系の皇統であり続け、滅びもしなければ新たな王朝に取って代わられることも無かったからです。
そうして世界で一番古い王室として令和まで続いたということ自体が、天皇家の歴史的価値であり、この平和の国の誇りなのです。
2020. 01. 05  
今上陛下の徳仁の徳が不吉だと言われるのは、皇室についての噂話に興味のある人なら誰でも知っているとおり、
怨霊の追号に使われるからです。

今上陛下が誕生の折は、親王の名付けは天皇という決まりがあったようで、徳仁親王と名付けたのは父親である上皇陛下ではなく、祖父である昭和天皇です
昭和天皇は、祭祀を重んじた御方でしたから、皇室の歴史にも、皇室にとって『徳』や『崇』の字がいわく付きであったことくらい御存知だったことでしょう。

なのに、何故ご自身の直系の男児で、生まれながらに未来の天皇継承に本決まりであった今上陛下に『仁』と名付けたのか?
そこで飛び交った憶測が、

『今і上і陛і下іはі昭і和і天і皇іのі血іをі引іいіてіいіなіいі説』(今更検索避けをしても無駄な気がしますが)
※ その辺りは、『徳і仁』『托і卵』辺りで検索するとこれでもかと出て来ますので、私は今更言いますまい。( і の字を抜いて下さい)

因みに、『崇』(あがめる、です。たたるの祟とは違う字だよ!)も、やはり怨霊がらみで不吉というので調べてみましたが、『崇仁親王』は過去におひとりしかいらっしゃらず、不吉だと断定するには至りませんでした。
ただ、

『徳仁親王』も『崇仁親王』も、結果的にご自分の血筋は絶えることになったのですが。

絶えないわよ!愛子さまが天皇になるんだから!!とか騒いでいる奴、皇室の世界遺産レベルの歴史的価値も分からないのなら、或いはわかってて言ってるんだか知らないが、

女系天皇(と現代においては将来繋がりかねない女性天皇も含めて)はありえないんだよ黙れや。

本題に戻ります。
もうひとりの愛子さま・柳原愛子の例もあることですし、
『なるひと親王』・『文仁親王』・『ひさひと親王』についても調べてみました。

まず、愛と書いて『なる』と読ませる以上、『徳仁親王』以外にも、読みで『なるひと親王』になるひとが、過去にいらっしゃるかもしれませんよね。

で、アッサリ見つかりました。『愛仁親王』(なるひとしんのう)と仰る方が。
柳原愛子様の時も思ったのですが、やんごとなき方々って、なんでこの漢字でこう読むの?っていう人多くない(´・ω・`)???

それは本題じゃないので、『愛仁親王』。
閑院宮愛仁親王(かんいんのみや なるひとしんのう)
という、江戸時代後期の親王です。

閑院宮第5代当主、ということで、当時の皇統からは離れており、皇位継承に巻き込まれるような立場ではなかったと思われます。
この御方は…何と言いますか、不吉とか言う以前に、ただにお可哀想でお気の毒で、そのお若い姿の肖像画に手を合わせ、ご冥福をお祈りするばかりです。何しろ、

仁孝天皇の第三皇女・敏宮淑子(すみこ)内親王と婚約するも、婚儀前に薨去。享年24歳。

愛仁親王には嗣子がいなかった為、閑院宮家の血筋は、愛仁親王を以て途絶えます。(のちに他の宮家の男児が引き継ぎますが、明治に入ってやはり子がなく断絶)

因みに、愛仁親王を失った淑子内親王は、異母弟・節仁親王が薨去すると、不在となった桂宮を第12代として継承。これは女宮が当主として世襲親王家を継承した唯一の例です。
そして、生涯独身であった淑子内親王の薨去(享年57歳)を以て、桂宮家は断絶するのです……

何か…なんか。

興味本位で調べちゃって申し訳ありませんでした!!!(平伏)

ハіニіーіトіラіッіプとか言われてるけど、惚れた女性と結婚出来て、跡継ぎには出来ないけどひとり娘に恵まれた、今上陛下の方が、はるかに幸運というものです。

でも、《御優秀な》影і子іさまは、許せません……愛子さまでも影і子іさまでも、天皇位を継がせるのは、お諦めなさいませ。
プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
定義山西方寺を崇敬。伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。透明水彩絵師。

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