2022.
06.
05
神様や神話や神社の謎に嵌まると、「自分の説」っていうのがある程度出来上がってくるのね。
で、ありがちなパターンは、何でもお気に入りの神様に結びつけたくなってくる。
何でも瀬織津姫と同神とか、何でもスサノオ様と同神とか、何でも岐神とか、色々あるんですけど、自分と御縁がある気がする神様について入ってくる情報、実は無意識に選択した情報を集めると、いつの間にか奇跡みたいに繋がって自説を裏付けたような錯覚に陥る。
都市伝説は情報が少ないところに生まれる、って言ったのは誰だったか忘れてしまいますけど、それと似たような感じでしょうか。
YouTubeとか見てると、日本の神話や日本人の起源を何でもヘブライ語で読めるとか何でもユダヤ由来とか何でも宇宙人とか、何かもうウンザリする感じになってくる。
まあ、UFOは来てるんでしょうけど。アメリカがとうとう公的に認めちゃったみたいに。
自衛隊の戦闘機が訓練中に遭遇してるんだけど口外出来ないとか言われてるように。
つか、宇宙人やUFOにさして興味のない私であっても、
宇宙人のホルマリン漬けとかとっくの昔からNASAが持ってるんだろくらいのことは思ってる。
でも、そっちは宇宙人マニアとかNASAとかに任せておきます。
あんまり心惹かれないので私には御縁がないのでしょう。
私、十数年前までは、瀬織津姫様にとても惹かれていたんです。「円空と瀬織津姫」を古書で買ったりしてね。
ハードカバーなのに細かい文字に分厚いの上下巻で疲れちゃって流し読みになっちゃった不真面目な奴なんですが。
その後何年もしないうちに、誰でも彼でも瀬織津姫瀬織津姫言い始めて、どの辺封印された女神なんだろうかもう表舞台のスターじゃん、という感じになってくると、特にスピリチュアル方面の人々が、あれこれトンデモな事を言い出したり本にもなったり、それを真に受ける人が大量に出て来ちゃって、私は瀬織津姫様は好きだけど、瀬織津姫に群がる思い込みの強い人とか詐欺セミナー開く人とか、そういう状況が大嫌いになってしまったんです。
私は東北住まいなので、古事記とか日本書紀の舞台になっている関西とか九州とか、そっちには全く土地勘がないし、よく考えてみたら、
こっちの人間にとってヤマト朝廷の勢力ってのは侵略者以外の何ものでもないんだよね。
そして、「日本神話」というのはみちのくとは無縁に、たまに蛮族呼わばりされる程度に、侵略者の神話で、征服者の歴史です。
だから、日本全国の神様を、この神とこの神とこの神もその神も同神だ!とかいうの見ると、
何か、めっちゃ腹立つ。
日本はほぼ山と海しかない国なので、一山越えたら言葉が通じませんなんていうのは昭和ですらあるあるだったんですよね。
※ 旧南部藩に引っ越した時、友達の家に遊びに行くのが恐怖だった。その子のおばあちゃんからむやみに話しかけられるんだけどまじ何言われてるのかわからない滝汗
かつて、山がちの日本列島には、さして広くはない文化圏ごとに、それぞれの、たくさんの神話や昔話があった。
クシナダヒメの両親がアシナヅチ&テナヅチとか、何かすごい雑なネーミングになってるけど、本当の名前って何だったんだろう?
足(手)が無い=蛇説もあれば、足(手)が長い説もあって、地域伝承では巨人だったり妖怪だったりするんだよね。
それが本名だったり通り名だったりしたんだろうか?本当に???
実は、日本書紀の異文では、誰か良心を持った人物が、密かに書き残していてくれた。
その異文によると、クシナダヒメの母神は、
稲田宮主賛狭之八箇耳(いなだのみや ぬし すさのやつみみ)
という、スサの女帝の如き称号を持っていた。
「ミミ」だけでも族長クラスなのに、そこに「八」=「たくさん」を付けなければならないほど、高貴オブ高貴な女性だった。
或いは、没後に高貴オブ高貴な諡号を送られた女性だったというこです。
※ 個人的には、神名は引き継がれる称号であったり(だから同じ名でも複数名の神がいても不思議ではない。代表例オオゲツヒメ)、諡号が多いのではないかと思っています
口伝は分岐する。
言い伝えはどんどん変化して枝分かれして、どれが本当かもわからないし正解があるのかもわからない。
だって、人間が信じた時点でそれはもうその土地の信仰として根付いたということなのだから。
日本書紀表記で眞髪觸奇稲田媛(まかみorまくし/ふる くしいなだひめ)とか、「クシ」と「フル」を名前に持つ姫神がただ者であるはずがなく、ならばその両親もただ者じゃないことくらいわかります。
出雲国風土記に至っては久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめ)で、「クシ」と「トヨ」をダブルで持っている凄さ。
スサノオ様がまだ童女(古事記表記。日本書紀の異伝では「テナヅ尊」のお腹の中の胎児)だったクシナダヒメを所望したのは童女クシナダちゃんが美少女だったからではなく(私は美少女だったと信じてるけどな!)、当然にスサノオ様がロリコンであった訳でもない。
とてつもなく高貴な姫で恐らく次代の女王レベルの姫だったから結婚したんです、多分。
でも、「由良比女神社」に祀られ「ユラ」の名を持つスセリヒメがそうであるように、ニギハヤヒ妃のミカシキヤヒメもまたそうであるように、敗者サイドの、何故か特に女神は情報が隠滅されてしまっている。
卑弥呼が女王で「男弟」とやらは政治を行っていたらしいのに格下だったとか、そういう女王優位の男女統治の名残かも知れないと、私は個人的に推察していますが。
※ 男女一対の神の場合、二柱を一対に揃えてしまうと神威が増幅されるとか、特に女神の側に男神に力を与える効果があるので引き離された可能性
そして、東北地方の聖地の祭神は、征服者どもによってかなりすげ替えられています。
志波姫様は、コノハナサクヤヒメでもアメノウズメ姐さんでもないからな。
宮城県内に3つも志波姫神社があって、どの神社にも志波姫という女神は祀られておらず、しかし宮城の地名にはガッツリと《志波姫》が残っている程度に、志波姫という神様はその地の人々に本当に信仰されていた。
志波姫様は志波姫様であって、サクヤ様でもウズメ様でもないのよ。
蝦夷とか蔑みたけりゃ勝手にしろよ過去のことだ。でもその土地の人々が崇めた神を舐めるなよ。
……そういう、葬った隙間や伝承に、今の人間の妄想が入り込む。
楽しいですけどね、考察するのは。私も好きでやっていますし。
でも、私はいつも、「自分は勘違いしているかも知れない」「自分には知識が全く足りてない」ということは、忘れずにいようと思っています。
「こうだったら凄いな」とか「こうだったらワクワクするな」とかいうのはありますけど、それは単に私の興味と好みでしかないから。
そう言えば、鹽竈神社には縄文遺跡があるんだよね。
由緒ある神社に古い遺跡があるっていうのは定番パターンであるようで、つまり神社はどこに建ててもいい訳では無く、「聖地」でなければならない。
鹽竈神社の真の祭神はシオツチノオジじゃないし、右宮と左宮の鹿島香取両神宮の神は征服者が据えた神だし、私が崇敬する志波彦様と志波姫様も始めから鹽竈に居た訳ではなくて、多分もっともっと遥か昔には縄文人の神が祀られていらした。
そういうことを、私は忘れずにいたいんです。
何でも同神とか異名同体とか、安易に断じたくないんです。
で、ありがちなパターンは、何でもお気に入りの神様に結びつけたくなってくる。
何でも瀬織津姫と同神とか、何でもスサノオ様と同神とか、何でも岐神とか、色々あるんですけど、自分と御縁がある気がする神様について入ってくる情報、実は無意識に選択した情報を集めると、いつの間にか奇跡みたいに繋がって自説を裏付けたような錯覚に陥る。
都市伝説は情報が少ないところに生まれる、って言ったのは誰だったか忘れてしまいますけど、それと似たような感じでしょうか。
YouTubeとか見てると、日本の神話や日本人の起源を何でもヘブライ語で読めるとか何でもユダヤ由来とか何でも宇宙人とか、何かもうウンザリする感じになってくる。
まあ、UFOは来てるんでしょうけど。アメリカがとうとう公的に認めちゃったみたいに。
自衛隊の戦闘機が訓練中に遭遇してるんだけど口外出来ないとか言われてるように。
つか、宇宙人やUFOにさして興味のない私であっても、
宇宙人のホルマリン漬けとかとっくの昔からNASAが持ってるんだろくらいのことは思ってる。
でも、そっちは宇宙人マニアとかNASAとかに任せておきます。
あんまり心惹かれないので私には御縁がないのでしょう。
私、十数年前までは、瀬織津姫様にとても惹かれていたんです。「円空と瀬織津姫」を古書で買ったりしてね。
ハードカバーなのに細かい文字に分厚いの上下巻で疲れちゃって流し読みになっちゃった不真面目な奴なんですが。
その後何年もしないうちに、誰でも彼でも瀬織津姫瀬織津姫言い始めて、どの辺封印された女神なんだろうかもう表舞台のスターじゃん、という感じになってくると、特にスピリチュアル方面の人々が、あれこれトンデモな事を言い出したり本にもなったり、それを真に受ける人が大量に出て来ちゃって、私は瀬織津姫様は好きだけど、瀬織津姫に群がる思い込みの強い人とか詐欺セミナー開く人とか、そういう状況が大嫌いになってしまったんです。
私は東北住まいなので、古事記とか日本書紀の舞台になっている関西とか九州とか、そっちには全く土地勘がないし、よく考えてみたら、
こっちの人間にとってヤマト朝廷の勢力ってのは侵略者以外の何ものでもないんだよね。
そして、「日本神話」というのはみちのくとは無縁に、たまに蛮族呼わばりされる程度に、侵略者の神話で、征服者の歴史です。
だから、日本全国の神様を、この神とこの神とこの神もその神も同神だ!とかいうの見ると、
何か、めっちゃ腹立つ。
日本はほぼ山と海しかない国なので、一山越えたら言葉が通じませんなんていうのは昭和ですらあるあるだったんですよね。
※ 旧南部藩に引っ越した時、友達の家に遊びに行くのが恐怖だった。その子のおばあちゃんからむやみに話しかけられるんだけどまじ何言われてるのかわからない滝汗
かつて、山がちの日本列島には、さして広くはない文化圏ごとに、それぞれの、たくさんの神話や昔話があった。
クシナダヒメの両親がアシナヅチ&テナヅチとか、何かすごい雑なネーミングになってるけど、本当の名前って何だったんだろう?
足(手)が無い=蛇説もあれば、足(手)が長い説もあって、地域伝承では巨人だったり妖怪だったりするんだよね。
それが本名だったり通り名だったりしたんだろうか?本当に???
実は、日本書紀の異文では、誰か良心を持った人物が、密かに書き残していてくれた。
その異文によると、クシナダヒメの母神は、
稲田宮主賛狭之八箇耳(いなだのみや ぬし すさのやつみみ)
という、スサの女帝の如き称号を持っていた。
「ミミ」だけでも族長クラスなのに、そこに「八」=「たくさん」を付けなければならないほど、高貴オブ高貴な女性だった。
或いは、没後に高貴オブ高貴な諡号を送られた女性だったというこです。
※ 個人的には、神名は引き継がれる称号であったり(だから同じ名でも複数名の神がいても不思議ではない。代表例オオゲツヒメ)、諡号が多いのではないかと思っています
口伝は分岐する。
言い伝えはどんどん変化して枝分かれして、どれが本当かもわからないし正解があるのかもわからない。
だって、人間が信じた時点でそれはもうその土地の信仰として根付いたということなのだから。
日本書紀表記で眞髪觸奇稲田媛(まかみorまくし/ふる くしいなだひめ)とか、「クシ」と「フル」を名前に持つ姫神がただ者であるはずがなく、ならばその両親もただ者じゃないことくらいわかります。
出雲国風土記に至っては久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめ)で、「クシ」と「トヨ」をダブルで持っている凄さ。
スサノオ様がまだ童女(古事記表記。日本書紀の異伝では「テナヅ尊」のお腹の中の胎児)だったクシナダヒメを所望したのは童女クシナダちゃんが美少女だったからではなく(私は美少女だったと信じてるけどな!)、当然にスサノオ様がロリコンであった訳でもない。
とてつもなく高貴な姫で恐らく次代の女王レベルの姫だったから結婚したんです、多分。
でも、「由良比女神社」に祀られ「ユラ」の名を持つスセリヒメがそうであるように、ニギハヤヒ妃のミカシキヤヒメもまたそうであるように、敗者サイドの、何故か特に女神は情報が隠滅されてしまっている。
卑弥呼が女王で「男弟」とやらは政治を行っていたらしいのに格下だったとか、そういう女王優位の男女統治の名残かも知れないと、私は個人的に推察していますが。
※ 男女一対の神の場合、二柱を一対に揃えてしまうと神威が増幅されるとか、特に女神の側に男神に力を与える効果があるので引き離された可能性
そして、東北地方の聖地の祭神は、征服者どもによってかなりすげ替えられています。
志波姫様は、コノハナサクヤヒメでもアメノウズメ姐さんでもないからな。
宮城県内に3つも志波姫神社があって、どの神社にも志波姫という女神は祀られておらず、しかし宮城の地名にはガッツリと《志波姫》が残っている程度に、志波姫という神様はその地の人々に本当に信仰されていた。
志波姫様は志波姫様であって、サクヤ様でもウズメ様でもないのよ。
蝦夷とか蔑みたけりゃ勝手にしろよ過去のことだ。でもその土地の人々が崇めた神を舐めるなよ。
……そういう、葬った隙間や伝承に、今の人間の妄想が入り込む。
楽しいですけどね、考察するのは。私も好きでやっていますし。
でも、私はいつも、「自分は勘違いしているかも知れない」「自分には知識が全く足りてない」ということは、忘れずにいようと思っています。
「こうだったら凄いな」とか「こうだったらワクワクするな」とかいうのはありますけど、それは単に私の興味と好みでしかないから。
そう言えば、鹽竈神社には縄文遺跡があるんだよね。
由緒ある神社に古い遺跡があるっていうのは定番パターンであるようで、つまり神社はどこに建ててもいい訳では無く、「聖地」でなければならない。
鹽竈神社の真の祭神はシオツチノオジじゃないし、右宮と左宮の鹿島香取両神宮の神は征服者が据えた神だし、私が崇敬する志波彦様と志波姫様も始めから鹽竈に居た訳ではなくて、多分もっともっと遥か昔には縄文人の神が祀られていらした。
そういうことを、私は忘れずにいたいんです。
何でも同神とか異名同体とか、安易に断じたくないんです。

2021.
10.
17
2021.
10.
16
2021.
10.
15
YouTubeで面白そうなエンターテイメント動画があったので、私見を述べてみようと思います。
タイトル通り、邪馬台国と卑弥呼関連です。何なら
天照大神の話も出て来ます。
圧倒的出雲派の私は、邪馬台国がどこにあろうとどうでもよくね?と思っている(日本の起源をどうこうするには小国が乱立状態の時代の話なので)のですが、全く興味がない訳でもない。
というのは、出雲風土記によるとクシナダヒメ様も『等与/トヨ』だからです。
因みに、歴史方面のチャンネルではありません。
タロット占いのたまきさんという方がやっている、【やりすぎ!たまきの都市伝説】というシリーズです。
たまきさんの占いは割と当たるので人気がありますが、まあ占いだから外れることもあります。外れたらキッチリお詫びをする人です。
個人鑑定も受け付けているプロでもありますが、ご本人もやりすぎ!と言っているように、「結構突っ込んだことを占いますがエンターテイメントとしてお楽しみ下さい」ということで、要は
真に受け過ぎないで楽しんでね!
ってことです。
歴史系は苦手です分かんないです~というたまきさんだからこそ、畿内だ北九州だと熱くならずにニュートラルに占えるのが面白そう。
実際、なかなか興味深い結果だったので、私も一緒に読み解いてみたいと思います。
全部晒すとネタバレになってしまいますので、追記に潜りますね。
タイトル通り、邪馬台国と卑弥呼関連です。何なら
天照大神の話も出て来ます。
圧倒的出雲派の私は、邪馬台国がどこにあろうとどうでもよくね?と思っている(日本の起源をどうこうするには小国が乱立状態の時代の話なので)のですが、全く興味がない訳でもない。
というのは、出雲風土記によるとクシナダヒメ様も『等与/トヨ』だからです。
因みに、歴史方面のチャンネルではありません。
タロット占いのたまきさんという方がやっている、【やりすぎ!たまきの都市伝説】というシリーズです。
たまきさんの占いは割と当たるので人気がありますが、まあ占いだから外れることもあります。外れたらキッチリお詫びをする人です。
個人鑑定も受け付けているプロでもありますが、ご本人もやりすぎ!と言っているように、「結構突っ込んだことを占いますがエンターテイメントとしてお楽しみ下さい」ということで、要は
真に受け過ぎないで楽しんでね!
ってことです。
歴史系は苦手です分かんないです~というたまきさんだからこそ、畿内だ北九州だと熱くならずにニュートラルに占えるのが面白そう。
実際、なかなか興味深い結果だったので、私も一緒に読み解いてみたいと思います。
全部晒すとネタバレになってしまいますので、追記に潜りますね。
2020.
01.
25
昨日の続きです。
気を取り直して、ウィキペディアで挙げられていた本がどんな本なのか調べてみると、訓み下し文・原文・注釈・現代語訳が全て載っている便利本で、amazonのレビューも軒並み高レビューなのですが、著者の個人的な新解釈も含まれる本であるようです。
wikiのソースとなった、本家・古事記にはない《弟》解釈も、この本の著者の解釈なのでしょう。
或いは、どうやら誠実な記述の本であるらしいこの本にそう書かれる程度に、著者には更にソースがあるのかもしれない、とも思いました。
何故なら、あまりにもコトシロヌシが兄、タケミナカタは弟、としているサイトが多いからです。
尤も、デマでもあっという間に広がるのがネット情報というもの。
デマとは知らずに、それが正しいのだと思って、自分の知識の中に取り込んでしまっている人が何人もいる可能性も大なのですが。
怖い…怖いよウィキペディア。私もまた振り回されないように、気を付けなきゃです。
因みに、動揺しまくる程度に、私のタケミナカタに関する認識は、以下のようなものでした。
その1.私が文脈的に、建御名方が兄・事代主が弟(末っ子)、だと思っていた。
大国主は、自分には国を明け渡すか否か、決定権を持っていないので(出雲の正当な継承者はスセリヒメで、婿の大国主は王ではあっても勝手に国の存亡に答えることは出来ない。決定権を持つのはスセリヒメか、大国主の末子。出雲は末子相続)「息子に訊いてくれ」と言うしか無かった。
使者が始めに意思確認に向かったのは事代主なので、事代主が継承者=末っ子=タケミナカタは兄、と考えるのが自然です。
タケミナカタは末子ではないので、反撃しようとしまいと、結果的に出雲が敗北した以上、タケミナカタのエピソードは歴史的にはどうでもいいので、天皇家の正当性を対外的に示す事を目的とした本格的史書・日本書紀にタケミナカタは登場しない。
その2.タケミナカタは出雲にいなかった(兄パターン)
末子が相続者なので、スサノオの子も、スセリヒメよりも先に生まれたきょうだいたちは、あちこちに出掛けていった先の土地を統べるのが役目でした。
タケミナカタもまた、越や諏訪の辺りに国を広げるべく赴いて、諏訪の有力な豪族となっていたので、出雲を落とした所で天津系の支配はそちらまで届かなかった。
当然に、タケミナカタの出雲での敗戦や逃走、命乞いの事実も存在しない。
でも、古事記は物語形式の書なので、天孫サイドの敵・タケミナカタをやっつける物語で盛り上げたく、タケミナカタの敗北と惨めな降参エピソードを創作。
古事記は、(日本書紀ではツクヨミの所業のはずの)オオゲツヒメを殺したのはスサノオと伝えたり、スセリヒメのこともヤガミヒメが逃げ出したり大国主が家出未遂をするほどの、手の付けられない嫉妬深い嫌な女として記しています。
古事記は、徹底した高天原上げで、出雲の神は貶める書き方をしている書物です。
一方で、日本書紀は貶めるのではなく《書き残さない》方法を取ることが多いようです。
だから、日本書紀編者は《出雲の侵略には関わらなかった》そして当時の高天原勢の手に届かなかった高志・諏訪地方で権力を持っていたタケノミカタの存在をスルーした。
その3.タケミナカタは出雲にいなかった(そして大国主の息子でもなかったパターン)
タケミナカタは、出雲王族とは関係なく、元々諏訪周辺に独自の勢力を持ち、優れた統治者・武勇の王として名高かった。
というか、諏訪の辺りでは、タケミナカタの方が侵略者であると言う伝承があるのです。
一方で、出雲近辺には、タケミナカタを祀る神社が全く無い。
だから、タケミナカタは出雲とは全く関係のない豪族だったのではないか。
そして、古事記は民間には伝わっておらず、タケミナカタの武勇伝は有名で、のちには全国規模で武将達の厚い信仰を集めることになった。
当然に、国譲り侵略当時には勢力範囲外であった地域のことは、大和朝廷の為の日本書紀に記す必要は全く無いのでスルー。
この論に弱点があるとするなら、出雲近辺にタケミナカタを祀っていないのは、古事記的には当たり前すぎる、ということです。
何故なら、タケミナカタは命乞いの条件に、以下の2つの条件を出しているからです。
1.コトシロヌシとオオクニヌシの決定(国の統治下ら手を引く)には逆らわない
2.二度と諏訪の国から出ないと約束する=出雲に戻ることはしない
だから、日本各地に勧請して諏訪神社が広がったのは後世の人々の勝手ですが、出雲近辺の人々だけは、タケミナカタを祀りその御霊を出雲に戻すことはしてはならなかった。
……という、古代の約束が守られた、という線も考え得るという事です。
その4.実はウィキペディアが上げた一書のとおり、タケミナカタが末子で、出雲の継承者だったパターン
古事記は、同じく継承者であったスセリヒメを貶めたように、タケミナカタを惨めな敗北者として描きましたが、日本書紀はタケミナカタ(実際には、タケミナカタ率いる勢力だったと思う)を、ねじ伏せて国を手に入れたという野蛮をやらかしたという事実を隠蔽したかった。
あくまでも、元から正当な国の支配者はアマテラスから続く天孫の血筋であるという正論を説くという話し合いで、平和裡に国を献上された、という流れにしたいのが日本書紀の意図だった。
…という4パターンを書いてみましたが、実は私は1~3の可能性を考えていました。
4のパターンは、実はこの文章を書いている最中に、思い付いたものです。
というのは、今はどうも人気的に古事記>日本書紀、というよりも、古事記>>>>>日本書紀のようですけれども、私は古事記よりも日本書紀の方が誠実な書物なのではないかと思っています。
日本書紀はスセリヒメの存在自体をスルーしたけどな(怒)
でも、これが日本書紀のやり方なんですよね。都合の悪いことや、単に本筋に影響を与えないことは、捏造よりもスルー・無視を優先する傾向がある。
※ オオナムチがスサノオ様とクシナダヒメ様の間に産まれたとかいうのは捏造だと思うがな!
その一方で、本文の他に、異伝を幾つも書き残してくれているのが、日本書紀の特徴なのです。
編集された時代には、遙か昔の神代については、既に様々な言い伝えに分岐していたのでしょう。それを記載し後世に残そうという態度は、古事記よりも公平です。
と、色々調べているうちに、新たな疑問が浮上したのでした。
次回からは、【神様】カテゴリに移りまして、『事代主と建御名方の母神は誰?』シリーズの連載を始めます!
(つづく)
気を取り直して、ウィキペディアで挙げられていた本がどんな本なのか調べてみると、訓み下し文・原文・注釈・現代語訳が全て載っている便利本で、amazonのレビューも軒並み高レビューなのですが、著者の個人的な新解釈も含まれる本であるようです。
wikiのソースとなった、本家・古事記にはない《弟》解釈も、この本の著者の解釈なのでしょう。
或いは、どうやら誠実な記述の本であるらしいこの本にそう書かれる程度に、著者には更にソースがあるのかもしれない、とも思いました。
何故なら、あまりにもコトシロヌシが兄、タケミナカタは弟、としているサイトが多いからです。
尤も、デマでもあっという間に広がるのがネット情報というもの。
デマとは知らずに、それが正しいのだと思って、自分の知識の中に取り込んでしまっている人が何人もいる可能性も大なのですが。
怖い…怖いよウィキペディア。私もまた振り回されないように、気を付けなきゃです。
因みに、動揺しまくる程度に、私のタケミナカタに関する認識は、以下のようなものでした。
その1.私が文脈的に、建御名方が兄・事代主が弟(末っ子)、だと思っていた。
大国主は、自分には国を明け渡すか否か、決定権を持っていないので(出雲の正当な継承者はスセリヒメで、婿の大国主は王ではあっても勝手に国の存亡に答えることは出来ない。決定権を持つのはスセリヒメか、大国主の末子。出雲は末子相続)「息子に訊いてくれ」と言うしか無かった。
使者が始めに意思確認に向かったのは事代主なので、事代主が継承者=末っ子=タケミナカタは兄、と考えるのが自然です。
タケミナカタは末子ではないので、反撃しようとしまいと、結果的に出雲が敗北した以上、タケミナカタのエピソードは歴史的にはどうでもいいので、天皇家の正当性を対外的に示す事を目的とした本格的史書・日本書紀にタケミナカタは登場しない。
その2.タケミナカタは出雲にいなかった(兄パターン)
末子が相続者なので、スサノオの子も、スセリヒメよりも先に生まれたきょうだいたちは、あちこちに出掛けていった先の土地を統べるのが役目でした。
タケミナカタもまた、越や諏訪の辺りに国を広げるべく赴いて、諏訪の有力な豪族となっていたので、出雲を落とした所で天津系の支配はそちらまで届かなかった。
当然に、タケミナカタの出雲での敗戦や逃走、命乞いの事実も存在しない。
でも、古事記は物語形式の書なので、天孫サイドの敵・タケミナカタをやっつける物語で盛り上げたく、タケミナカタの敗北と惨めな降参エピソードを創作。
古事記は、(日本書紀ではツクヨミの所業のはずの)オオゲツヒメを殺したのはスサノオと伝えたり、スセリヒメのこともヤガミヒメが逃げ出したり大国主が家出未遂をするほどの、手の付けられない嫉妬深い嫌な女として記しています。
古事記は、徹底した高天原上げで、出雲の神は貶める書き方をしている書物です。
一方で、日本書紀は貶めるのではなく《書き残さない》方法を取ることが多いようです。
だから、日本書紀編者は《出雲の侵略には関わらなかった》そして当時の高天原勢の手に届かなかった高志・諏訪地方で権力を持っていたタケノミカタの存在をスルーした。
その3.タケミナカタは出雲にいなかった(そして大国主の息子でもなかったパターン)
タケミナカタは、出雲王族とは関係なく、元々諏訪周辺に独自の勢力を持ち、優れた統治者・武勇の王として名高かった。
というか、諏訪の辺りでは、タケミナカタの方が侵略者であると言う伝承があるのです。
一方で、出雲近辺には、タケミナカタを祀る神社が全く無い。
だから、タケミナカタは出雲とは全く関係のない豪族だったのではないか。
そして、古事記は民間には伝わっておらず、タケミナカタの武勇伝は有名で、のちには全国規模で武将達の厚い信仰を集めることになった。
当然に、国譲り侵略当時には勢力範囲外であった地域のことは、大和朝廷の為の日本書紀に記す必要は全く無いのでスルー。
この論に弱点があるとするなら、出雲近辺にタケミナカタを祀っていないのは、古事記的には当たり前すぎる、ということです。
何故なら、タケミナカタは命乞いの条件に、以下の2つの条件を出しているからです。
1.コトシロヌシとオオクニヌシの決定(国の統治下ら手を引く)には逆らわない
2.二度と諏訪の国から出ないと約束する=出雲に戻ることはしない
だから、日本各地に勧請して諏訪神社が広がったのは後世の人々の勝手ですが、出雲近辺の人々だけは、タケミナカタを祀りその御霊を出雲に戻すことはしてはならなかった。
……という、古代の約束が守られた、という線も考え得るという事です。
その4.実はウィキペディアが上げた一書のとおり、タケミナカタが末子で、出雲の継承者だったパターン
古事記は、同じく継承者であったスセリヒメを貶めたように、タケミナカタを惨めな敗北者として描きましたが、日本書紀はタケミナカタ(実際には、タケミナカタ率いる勢力だったと思う)を、ねじ伏せて国を手に入れたという野蛮をやらかしたという事実を隠蔽したかった。
あくまでも、元から正当な国の支配者はアマテラスから続く天孫の血筋であるという正論を説くという話し合いで、平和裡に国を献上された、という流れにしたいのが日本書紀の意図だった。
…という4パターンを書いてみましたが、実は私は1~3の可能性を考えていました。
4のパターンは、実はこの文章を書いている最中に、思い付いたものです。
というのは、今はどうも人気的に古事記>日本書紀、というよりも、古事記>>>>>日本書紀のようですけれども、私は古事記よりも日本書紀の方が誠実な書物なのではないかと思っています。
日本書紀はスセリヒメの存在自体をスルーしたけどな(怒)
でも、これが日本書紀のやり方なんですよね。都合の悪いことや、単に本筋に影響を与えないことは、捏造よりもスルー・無視を優先する傾向がある。
※ オオナムチがスサノオ様とクシナダヒメ様の間に産まれたとかいうのは捏造だと思うがな!
その一方で、本文の他に、異伝を幾つも書き残してくれているのが、日本書紀の特徴なのです。
編集された時代には、遙か昔の神代については、既に様々な言い伝えに分岐していたのでしょう。それを記載し後世に残そうという態度は、古事記よりも公平です。
と、色々調べているうちに、新たな疑問が浮上したのでした。
次回からは、【神様】カテゴリに移りまして、『事代主と建御名方の母神は誰?』シリーズの連載を始めます!
(つづく)