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2021. 10. 13  
最近、自分と出雲の神々の縁が薄れてきているような気がして落ち込んでいたのですが、ふと思い出したので書き残しておきます。

私は、高校生の頃に同じような内容の白昼夢を何度も見た時期があるのですが、その中で私は小さな女の子(10~12歳くらい?)で、名前は「なひめ」又は「《な》の姫」で、どうやらいいとこのお嬢さんであるようでした。
その名前は略称で、「えな」か「えんな」が正式(?)だったかもしれません

時代は『とてもとても遠い昔』で、場所は《日本海側のどこか》です。
私は生まれてこの方太平洋側にしか住んだことはありませんが、「なひめ」は『太陽は海に沈む』と思っていたからです。

それ以外で覚えているのは、学者か医者のような雰囲気の若い男の人がいて、その人のことがとても好きだったこと。
私は彼に甘えていましたが、彼の気持ちは覚えておらず、幼い私の片想いだったのかもしれない…ということ。

私の好きな色は「赤」で、赤い着物を好んでいたということ。
高校生の頃の私は赤の染色は紅花しか知らなかったので、勝手に紅花かと思っていましたが、実際の所どうだったのかは分かりません。

そして、同族(姉妹?親戚??)には、「さひめ」、「かひめ」というふたりのお姫様がいた、ということ。

「なひめ」が一番年下だと思います。
「さひめ」と「かひめ」とは一緒に暮らしていた訳ではないのですが、どういうわけか姉のようなポジションという記憶です。
関係性としては、「かひめ」の方と近く、本当に姉妹であったかもしれません。
「さひめ」については記憶が曖昧です。「美しい人であると伝え聞いていた」様な気もします。

私の前世なのか、私とたまたまシンクロした遥か昔の誰かの記憶の欠片なのかも分からないまま、私は長い間「なひめ」を忘れていました。

でも、最近知ったのです。
さひめ=佐比売、はスセリヒメ様のことかもしれない、と。

佐比賣山神社(さひめやま/大田市三瓶町多根イ305)に、スセリヒメ様がいらっしゃる。
そして、現在の三瓶山(さんべやま)の古名は佐比売山だった。
それを、何故か神亀3年(726年)に朝廷の命令で、三瓶山に改名させられている。wikiによると、

>『三瓶山は、古代出雲や物部氏に関係が深い山とされている。』

何これ?
「さひめ」隠し??

因みに、現在の祭神が金山彦になっている佐毘売山神社(島根県大田市大森町銀山)の元の祭神は金山姫・埴山姫・木花咲耶姫の三女神を祭った姫山神社であったらしい。
そりゃあ、サ-姫-山の神社なのに男神じゃあまりにも不自然でしょうよ。

そして更に引っ掛かるのは、この土地でコノハナサクヤヒメが祀られる理由がよくわからない、ということです。
サクヤヒメは日本全国に祀られている神ではありますが、ニニギの妻神なのですから、古代出雲のテリトリーに祀られるのはどうもピンと来ないのです。

敢えて言うなら三瓶山が火山であるのが同じく火山の富士山(サクヤヒメが祀られている)と共通していることくらいで、仮にそうであるなら、返って後世のこじつけ臭いです。というのは、

サクヤヒメの名は土着の他の女神を隠す時に、上書きの祭神としてよく使われるからです。
宮城で葬られた「志波姫/しわひめ」の名を冠する神社は3つあるのに、いずれの祭神にも志波姫の名は残されておらず、サクヤヒメとアメノウズメで打ち消されています。
恐らく、皇統に関わる高貴な女神の名を使って、日本中で数多くの女神が葬られたのだと思います。

佐比売の名を奪われ、隠されたのはスセリヒメ様ではないのか?

そして、
>「さひめ」の『さ』は穀物霊や、鉄を表しているとの説がある。

出雲の鉄…
「須佐」は「朱砂」かもしれないと以前書いたことがあります。

じゃあ、「かひめ」と「なひめ」もどこかにいる?
隠されたスセリヒメ様を探す手がかりに、なるのでしょうか。

…………。
もしかして。
「なひめ」が好きだった「学者か医者のような雰囲気の若い男の人」って、医薬の神・オオナムチ様の身内か何かだったりする…?
所謂《八十神》だったら嫌だなあ。
私の記憶では、穏やかで優しい人だったから。

2021. 01. 02  
元旦のお話ですが、家族揃って初詣に行って参りました。

その神社は、私の住んでいる土地が某村だった頃、その某村の総鎮守であった神社です。
常駐の神主さんはいらっしゃいますが、さほど大きな神社ではありませんが、良縁・子宝・子育ての諸々の悩みの験で知られる神社なので、どうということのない平日でも、お参りに行くとちらほらと参拝客がいる神社です。

私と夫が結婚した初めてのお正月以来、もう20年以上、元旦の初詣を欠かしたことはありません。
今年は、政府が初詣は12月から散けて行うようにと呼びかけていましたが、我が家は元々混み合いを避けて早朝にお参りするのでノープロブレム。

それに、私は、子供たちが巣立ってゆくまでは、家族全員で元旦にお参りしたいのです。

20年以上続いた初詣。
一度たりとも途切れたことが無いという奇跡を、私は毎年手を合わせて感謝してきました。

例えば、家族の誰かがひとりでも元旦に体調を崩していたなら、この継続は無かったはずなのですから。
「何事もなく家族で年を越せた」から、この20数年があったのです。

私が思うのは、「何事もない」という、一見平凡でしかない日々は、なんと幸福なのだろう、ということです。

事故に遭うことも無く、入院加療が必要な大病を患うことも無く、夫が失職することも無く、3.11でも家が倒壊することも無く、家族で仲睦まじく時を紡いできた、今この瞬間もそうであるということは、私にとって、私達家族にとって、本当に掛け替えのない幸運であり恵みの日々なのです。

「何事もない」「平凡」は、実は当たり前とは程遠い、大きな幸福で、奇跡ですらあります。

昨年は、コロナ禍で休校が相次ぎ、テレワークという在宅勤務が増えました。
つまり、昼間に家族が家に揃う時間が増えました。

夫は不便だと愚痴をこぼしましたし、部活動に行けない子どもは退屈すぎると不満を言いましたが、その程度で済みました。
私が驚いたのは、子供たちの話から聞く、その友人達の地獄です。

不仲な家族であったり、親が毒親だったりする子は、学校やバイト先というのは必須の逃げ場所であったのに、それを奪われて家にいるしか無いという苦痛は、私自身もサバイバーなので、容易に想像がつきます。

家族が仲睦まじいということは、劣悪な家庭環境に身を置く子供、まだ独立の力を蓄えていない若者達にとって、《普通》ではないのです。

だから、私は毎年手を合わせるのです。

今年も家族全員で初詣が叶ったという幸福に感謝に。
そして、また来年もこうして家族でのお参りが叶いますように、という祈りに。


2020. 12. 04  
突然ですが、

私は座敷童の親戚か?

と思った事が、何度かあります。

気が付いたのは、高校を卒業してからですね。
高校までは実家貧乏だしバイトしてなかったし、1人で買い物とか外出とかする機会が殆ど無かったので。

そう。
この法則(?)は、誰かと一緒の時には発動しにくい、気がします。

あ…でも。
実家の面々と一緒だった時には、ほぼ封印(?)状態だったんですが、結婚して私の意志で築いた現在の家庭の家族なら、そこそこ発動している気もしますが。

その、法則とは。

私の後ろに、人が沢山並ぶことです。

例えば、あ、ATM空いてんじゃんラッキーと思って用事を済ませ、帰ろうと振り返ると、ズラ~っと列が出来ている。
※ 私は無駄に時間はかけていない。かけていたとしてもATMは他にいくつもあるんだから、私ひとりがとろくさかったところで大して邪魔にならないはず

あと、よくあるのがレジ。
例えばコンビニだと、早朝とか空いているはずの時間帯はレジに出られる人が1人だけだったりするんですけど、私はラッキーにも待たされることなくお会計を済ませ、何となく振り返ると、

……何でこの時間にこんなに人並ぶの?

ということになっている謎。

そして、列が出来ないまでも、「ランチの時間だろうに、この店こんなに空いてて大丈夫か?」と思いながら席に座り、さっさと料理が来てもぐもぐ食べていると、ゾロゾロとお客さんが入って来て、私が食べ終わって帰る時には店内は大層賑わっていて、私の心配はいらんかったなーと嬉しくなったりする。

何なら、座りきれずに入口で待っている集団が発生していたりする。

ただでさえバブル崩壊から立ち直っていない日本なのに、コロナの所為で一層経済が低迷している、特にサービス産業。

うちは大盤振る舞いするほど裕福ではありませんが、私は可能な限り外で買い物をしたり、外食したり、家族の都合が全員一致するタイミングでせめて1泊旅行を楽しんだり、するべきなのかもしれません。

ってゆーか…

私、ただでさえ、しばらく足を運んでなかったお店が閉店してたパターンも結構ある実は縁起の悪い奴でもあるので、馴染みのお店や宿には不義理をしない方がいいと思います。

座敷童、というからして小さい子供で、通常は古い家に住んでいる。
気配がする間はその家は栄えるけれども、いなくなると滅びるという不吉。

私は子供ではない、どころか5年くらいしたら孫が発生している可能性すらあるんですけど、何故か《移動性座敷童》みたいな特技(?)が備わっているらしい。

でも、その特技は、毒実家の家族に依存しなければ生きていなかった頃には、全く発動しなかった。
寧ろ、私はいつもゴチャついた場所で、しょっちゅう並んだり待ったりしている側で、あーあついてねーなーって思ってましたもん。

発動しなかったのは、結局私が物心ついた時から不幸で、自分を不幸にする人間の利益になるようなことなんかしてやるもんか、と思っていたからなのかな、とは思うのですが。

じゃあ、何故、私は人を呼ぶようになってしまったんだろうか?

あ、因みに、私友達少ないから。キャラの癖が強くてイヤだとか思われること結構あるからカナシイナー
※ 改める気ないけど。実際この年齢になって性格を変えるとか無理ゲー

……そう言えば、私とは規模が違いますが、子供じゃなくても人を招く人って、いますよね仙台には。

地元で知らないのはモグリの仙台四郎。

祀られるレベルになると、『人神/ひとがみ』っていうんですねー知らんかった。

でも、私はそこまで行かなくていいです。
大きな力は、大きな幸せをもたらすけれども、大きな不幸を返すこともあるから、コントロール不能な私が手に入れていいものじゃないです。

私はほんの少し、自分の足跡の代わりに賑わいを残していける、それを見てクスリと笑って、家路に就こうと思います。


2020. 12. 01  
もう私はすっかり忘れていたのですが、何年か前に娘がしょっちゅう《誰かに閉じ込められる夢》を見ていたんだそうです。

その、閉じ込められる夢、というのが夢占い的に何を示すのか私は知らないままなのですが、当時の娘にしてみればとても怖い夢で、目が覚めても尚不安が残るようなイヤな1日の始まりだったことでしょう。

確か、私はそれほど深刻視していた覚えはなくて(だから忘れていたものと思われる)、娘には

「悪い夢はね、こんなの夢で良かった、って思うために見るんだよ。それからね、悪い夢は誰かに話してしまうと、現実にはならないんだよ」

と教えてあげました。
なので、私は娘が夢の話をすると、「大丈夫だよ。本当じゃ無くて良かったね」とでも答えていたのでしょう。

すると、今度は娘は脱出に成功する夢をみるようになりました。
ドアを開けて夢中で外に飛び出したら、そこには私と夫がいる。

「うわあああぁぁん!!お母さーん!お父さーん!!」

~End.~


私はその話を聞いて、やっと娘の心細さが実感できたのだと思います。
こんなにも、娘は両親に助けて欲しいと思っていたのだと。

私は、うおおぉぉん!!と娘をハグして、
「ごめんね。ごめんね。今度またそんな目に遭ったら、お母さんがドアを蹴破って助けに行くからね!!うおおぉぉん!!!」

でも、私がドアを蹴破って助けに行くことはとうとうありませんでした。

娘曰く、「お母さんが、ドアを蹴破って助けに行くって言ってから、パッタリその夢見なくなったの」

何故そうなったのかはわかりませんが。
娘は私のひと言がきっかけなのだと信じているようです。

実際、そうなのでしょう。
何故?と言われると、私も娘もよくわからないのですが。

因みに、最近は《拉致されて何処かへ連れて行かれる夢》を見るようになったのです。

「イヤァァァァーーー!!そんな、あるかもしれないような夢はイヤーーー!!!」←私
「だから現実化しないように、お母さんに話したんだってばーーー!!!」←娘


という訳で、とっさに知恵を絞る私。

「もしまたそんなんなったら、お母さんがマシンガンを持って乗り込んで助けに行くから!!何なら日本刀も持っていく!!お母さんは武士の末裔だからハートはいつでも抜刀できるサムライハートだから!!!」

と、物騒の権化の私が実際やりそうなことを言ってあげました。

……ああ、そう言えば。

もう半月は、娘は《拉致される夢》の話をしてないなぁ…


2020. 11. 29  
話を戻して、母方の実家がある集落は海のすぐ傍にあり、背後はすぐ山という立地が、何だか塩釜を思い出す感じです。
波が荒いので港を作るには適した土地ではなく、よって漁労で栄えることもなく狭い平地で田畑を耕してきたので、塩釜とは比べものにならないほど田舎なのですが。

そして、ド田舎には良くあることなのですが、私の母方がある集落には、ほぼ3つの名字しかありません。
※ 私の父の母方の実家なんて、8割以上が同じ名字という強烈。室町時代に開拓民として山奥に村を作ったらしい

適当に伏せますが、その3つの名字とは、

1.A元
2.A
3.B

の3種で、元々は全て同族だと言われています。Aは海に関係した漢字で、見たまんま1の『A元』が一族の本家筋であり、村には『A元』を名乗るのは母の実家ともう1件だけでした。

だから、私は海人族や、海人が信仰した神に惹かれるのでしょうか。…きっと、そうなのでしょう。

そして、驚きました。
母の実家の近くにあるのは、熊野系の神社だったのです。

以下公式HPより引用

>紀州熊野三社のうち、新宮の熊野速玉大社分神を@@山へ大宝元年(701年)に勧請されたのがはじまりです。以来、地域の氏神様として千三百年間以下略

御祭神
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
亊解男命(ことさかのおのみこと)

速玉男=イザナギ神じゃなかったんかい!!
イザナミ神もスサノオ様もいないし!
そして熊野速玉大社にはいないはずの、謎の亊解男!!

因みに、神仏習合時は、やはり『熊野権現』だった模様です。
……うん。深いこと、考えるの止めよう。

取り敢えず、私の母方の家系も、熊野の神・スサノオ様とギ・ミ夫妻神という海人族の神のどなたかの守護の元にあったことは確実で、私の両親の婚姻は熊野の神が結んだものだったのです。

本当に、驚くほど、私の命は、海の神に導かれている。

ずっと、何となく避けていた《熊野系》で、今でも深入りするのには複雑すぎて私の知識があまりにも不足しているのですが、ざっと表面を攫ってみただけで、私が大感動したことがひとつありました。

それは、熊野本宮大社主祭神で、現在イコール・スサノオ様として祀られている家都美御子大神が、造船術を伝えられたことから船玉大明神とも呼ばれ、古くから船頭・水主たちの篤い崇敬を受けていた、ということです。

船玉とは、船魂なのでしょう、きっと。
それは、神話の中では海を統治せよと言われ、歴史的には海人族であったスサノオ様に、とても相応しい伝承だと思うのです。

(つづく)

プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
ホlツlマlツタヱ・富l家l伝承・徐l福l伝l承・日lユl同l祖l論・アlイlヌl先l住l民族説お断り。

定義山西方寺を崇敬。秋篠宮家と伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。
透明水彩絵師。

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