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2020. 01. 07  
お待たせしました。
先週、2日ばかりぐずぐずしていた、という所で終わりましたので、この記事はサクサクといいかんじに進めたいと思います。

突然ですが、私はしばしば大学に車で通っていました。違反なんですけど。

路駐じゃなくて、かつての母校の敷地内は、少々山がちな敷地に、普通の講義棟やら廃屋みたいなサークル棟までいい加減に配置されている状況で、そこここに空き地があったんですよね。
大学側は、ケチケチと車で来るんじゃねーよと注意喚起していたんですけど、所謂『自宅生』『地元民』『ジモティー』であった私は、独り暮らしの学生よりもずっと長い通学時間を要する身の上であったのです。

バス(しかも1時間に2本しか来ない)に乗って1時間50分とか、やってられんわ!

車ですとガソリン代を食うので(18歳から小遣いは出ない我が家の鬼原則)原チャリも結構使いましたけど、アレはいかんです。
特に女の子はいかんですよ。
男よりも筋肉に乏しいから、体めっちゃ冷えるもん。
冷えて体調崩してバイト代が飛ぶもんまじで。

卒論書き終わった、まぁC判定くらいはくれて卒業させてくれるじゃろ、は~…っていう時期で、1月だったんですよね。
寒い。だから車。

そして、件の彼も、車通学でした。
彼も地元民だったんですよね。偶然にも。
彼の父親は転勤の可能性はあったんですけど、この土地が気に入って家を買ったとのこと。

そんな彼と私は、なんと中学校の学区が隣だったんですよね。偶然にも。
私の父は、田舎への転勤を拒否して会社を辞めてしまい、彼の実家よりももっと交通の悪い所に安い中古物件を買ってしまったもんで。
(だから同じ学区にはならずに、出会いが大学に持ち越されたんだよなー偶然にも。

そんなこんなで、私と彼は似たような道のりで登下校をしていた事になります。
学部が違うので、キャンパスの位置は少々違うんですけど、大筋の方角は一緒でしたし、帰り道も当然に同じ方角に帰ることになる。

でも、こんな偶然は初めてだったんですよ。
決してメジャーじゃない、っていうか裏道的な通行量の少ない道路でボーッと信号待ちをしていたら、私の車のバックミラーに映ったのは、何と

彼の白いアコード中古。(彼はホンダの車が好きである。私は日産が好きだけど)

もう、ボーッとしていたのが、一気に目が覚めたよね。
手をヒラヒラ振ってみたら、彼もとっくに気付いてたみたいで、バックミラーに映る彼は会釈。(どこまでも模範的な後輩)

いくら行きも帰りも方角が同じと言っても、道路を通る時間はまちまちで、私も彼もバイトやら遊びやら買い物やらで、必ず真っ直ぐ帰宅する訳じゃないから、違う道を通るパターンなんていくらでもある。
その証拠に、私は彼と出会ってから3年間(彼が後輩だから)、その時まで、一度たりとも、バッティングしたことは無かった。

告るか否か、タロットはさっさと告れや(正義の正位置)と言っているのに、なかなか勇気が出なくて(月の逆位置)、2日ぐずぐずしていた私の車の後ろに、

初めて、彼の車が現れた。偶然にも。

私は、天の意志って、本当にあったんだって、この時思ったんです。
結果がどうでも、彼に恋の告白をするべきなんだと。

信号が青になると、私の車に続いて彼の車も走り出し、これもまた抜け道的なマイナーな道に入って、彼の家に向かう分かれ道が来るまで、前後に並んで走って帰ったのでした。

偶然の連続は、必然だ。

私は、悩んでいたときに訪れたシンクロニシティを、信じることにしたんです。
家に帰ると、とっくに書いてあった手紙を手に、郵便局へGO。

そしたら、次の日の晩に、彼から電話が。
まじか!タロットでははっきりジャッジされる(正義の正位置)と出てはいたけど、あの「好きだったのよねバイバイ」的な手紙に、本当に返事をするつもりなのか!?
彼曰く、

「一度会いませんか?」

そして、私は挙動不審になりつつ待ち合わせの場所ゆき、渾身のスマイル0円。
じっくり話し合うと言うよりも、何となくドライブでもしようかという流れになり、渋滞を避けてていたら何となく山方面へ走ることになってしまい、そして辿り付いたのが、

定義山西方寺(宮城県仙台市青葉区)(←詳細はこちら)

そこでも、ふたりで同じ番号の同じ大吉のおみくちを引くという、レアなシンクロニシティ降臨で、彼は冷静な理系男だと思っていたのですが、案外と運命とかドラマチックなものが好きだった模様で、以下略で、

結婚@@年、子供3人の5人家族の現在に至ります。

因みに、付き合うことになってから聞いたのですが、彼は先輩である私の人柄に好印象であったものの、恋愛感情は無かったそうです。(確かに法王の正位置だ)
でも、「可愛いなと思っていた程度にタイプではあった」ので、好かれているのなら付き合ってみようかなと、取り敢えず会ってみようと思った、のだそうです。
つまり、押せば落ちる可能性のある相手だったので、私が消極的にしていることこと自体が障害だった。(月の逆位置)

ですが、会ってみても私がニコニコしているだけで、一向に「付き合って下さい」と言わないので、告白されたのに彼の方から「付き合って下さい」とハッキリ申し込むことになった(正義の正位置)んだとか。

偶然の連続という必然をくれた神様仏様、一生感謝します。

この記事を読んでくれた皆さんも、この記事と巡り会ったこと自体が、何か意味のある偶然かも知れませんね。
これってシンクロニシティ?と思ったら、敢えてその流れに乗ってみると、幸せが待っているかも。

あなたに、幸せが訪れますように。
2020. 01. 06  
私は、スピ系の深みにはまり込みたくはありません(例えばチャネリングの9割以上は嘘か思い込みだと思っているし、瀬織津姫がシリウスから来たとか、日本人の起源に宇宙人とか出されるとドン引きする程度に)が、占いは割と好きです。

当たるも八卦当たらぬも八卦と言いますし、その結果を信じるか否か自分で選べますから、気軽に手を出せるんですよね。
まあ、子供の頃はMy birthday とかMisty とか買ってた程度に、占いとかおまじないとか大好き少女で、天文歴を見て自分でホロスコープを作る程度に、周囲からドン引きされそうに凝っていたんですけども。

そんなこんなで、私はタロット占い出来ます。大アルカナだけですが。
だってー、大アルカナだけで精一杯ですってば。

タロット占いは、出て来たカードをどう読み解くか、に全てがかかっている訳で、これを読み違えると、自分で占う分には自分がガックリするだけで済みますけど、誰かを占ってあげる場合は、全くデタラメな情報を与えることになってしまうという怖さがあります。

ただ、私はタロット占いの原点になっている考え方が、好きなんですよね。それは、

偶然の連続を必然と呼ぶ。

建前としては『統計学的』な姓名判断(それにしちゃ、流派が山ほどあって、どれを信じればいいのか途方にくれるのですが)とは、真逆の考え方です。

でも、私程度に年を取ってくると、膨大な数の『If』(もしも)が、偶然の積み重なりが、自分の人生を作ってきたことが、実感としてわかるんですよね。
だから、ゴチャゴチャとカードを掻き混ぜて、テキトーにカードをカットして、並べてみるタロットカードという偶然の連鎖による占いは、案外信用に値するかも知れない、とも思うのです。

そういう訳で、タイトル通り、実際にタロット占いがドンピシャで当たった話をします。

遡ること@@年前、私は大学卒業を目前にして、片想いの相手に告白するか否かで迷っていました。
客観的には望み薄、否、
自分的にも望み薄だと思っていたのにもかかわらず、一縷の望みに賭けてみたいという、ありがちな片想いでした。

まあ、失恋しても卒業でバイバイで、会わずにいるうちに私も就職して新環境に目を向けることになり、さほど痛みは長引かないだろうと。

…とか思う癖に、ぐずぐず告白するかするまいか、迷い続ける日々。
コレで決めようと、久しぶりに取り出してきたのが、タロットカード。

占い方の名称もカードの置き方も忘れましたすみません。何せ昔のことですので。
なので、曖昧ななりに、記憶を辿ってみます。

1.相手の気持ち:法王(正位置)
解釈:彼は私を《良き先輩》だと思っている。

……まんまじゃん!!orz と打ち伏す私。
※ つまり、私と彼は同じサークルの先輩後輩という間柄(私が年上)で、執行委員会の中で私の役職を彼が引き継いだ、という上司と部下みたいなポジション

打ち伏してないで、次。
2.自分の気持ち:戦車(正位置)
解釈:かなり『告白する』に傾いている。

…だよな。私、ひっそりと恋心を秘めるとか言う、大和撫子な柄じゃないもん。
自分でも、当たって砕けてさざれ石にならなきゃ成仏出来ない女だよなーと思うもん。
グチャグチャ悩んではいるけど、伝わらないよりは告るのが本音だよね、うん。

そして次。
3.障害と対策:月(逆位置)
解釈:告る告らない、どちらでも最悪振られても『私自身の運命は、ゆっくりながらも気が晴れる方向に進む』、のに告りたい本音の妨げになるのは、

ズバリ私の《消極性》であろう。
※ 私の卒業がもう間近に迫っている以上、黙っていても『徐々にふたりの仲が進展してゆく』という解釈は成立しない、と読んだ。

意を決して、最終カード!
4.結果:正義(正位置)
解釈:正しい結果が出る。=彼はハッキリとした返事をよこすであろう。

_| ̄|○

いや、何で打ち伏したかって言うとね、私は告白したくても振られたくはない標準的片想いをしていたので、彼が告白を無視しやすいように、

「ずっと好きだったのよねバイバイ」とでも手紙を書こうと思っていて、(誰もケータイを持っていないレトロな時代だった)間違っても

「好きです付き合って下さい」という申し込みは絶対にしないつもりだったんだよ!!

なのにカードは、彼は律儀にも(実際、真面目で律儀な男だ)返事をくれると言っているんである。

えー?恋のタロットカードで正義の正位置なら両想いでしょー?…とか思ったそこのあなた。甘い。

最終カードなんて、他のカードとの絡みで全然違う意味になるんだから。
例えば、ここで世界の正位置という最強(?)カードが出たとしたら、私は失恋の可能性の方が大きい。

確かに、世界の正位置は『完成』を意味する。
だからこそ、彼の気持ちが法王の正位置で、良き先輩後輩という関係に満足している以上、これで完成している=これ以上進展しないって事なんだよ!
少なくとも、私ならそう読む。

そういう、後輩で部下の鑑の男が、私が手紙を出せば、必ずジャッジを下す(正義の正位置)と、タロットカードは言っている!
ちょっと待って!!私、「先輩もお元気で」とかいう模範解答とかいらないんだけど!

長引かない傷心(月の逆位置)であっても、やっぱり振られるのは怖いんだよ私だって!!

告白することは、これから環境が変わる私にとってはひとつの区切りになるけれども、彼の返事が色よいものであると読むには、どこまでも法王の正位置がひっかかって、この恋がハッピーエンド出来るかどうかは、当時の私には判断が出来なかった。

これ、もっと上手な人が占えば、ちゃんと読み解くことが出来ると思いますが、私の解読力ではここまでが限界だったのです。

そして、この占いから2日ばかり、私は相も変わらずぐずぐずとしていたのでありました。

…にもかかわらず、なぜ今、その後輩で部下の鑑の男が、私のダンナであるのか?

長くなりましたので、続きは、明日の記事にて!
2020. 01. 04  
私が、まさに《生き仏》というしかないような人物と出会ったのは、大学時代のことです。

とにかく、不思議なひとでした。

そんなものは見る霊感の無い私でも、彼の周りだけあたたかい光が満ちているように感じ、彼が纏う空気もまた、彼がまるで生きている人間には有り得ないような、清浄すぎるほどに澄んだものでした。

生き仏って本当にいるのか……しかも18歳の若さで。
と、私は彼と穏やかな雑談を交わした後、不思議な思いでその後ろ姿を目で追ったものでした。

彼は、『明るい』人でした。
でも、いかにもノリが良くて活発な感じの、今で言うところの陽キャという、人間関係のカースト上位なのとは違いました。どっちかというと、

カーストと無縁。

という感じで、俗世で真面目に生きていて、地に足が付いていて、オカルトやスピリチュアル系にも全く関係のない俗人なのに、その魂は俗世の汚れに染まらないというか、寧ろ彼は…

俗世と俗人の営みを愛していたんじゃないか?彼は……

そのくらい、彼は、大きかった。

その頃の私はと言うと、周囲がドン引きするほど相手を選ばず言いたい事を言う娘っ子で、中国語の教授が大嫌いだったので、その教授に『大人(ターレン)』の意味は?と指名されて、

『A君(生き仏の彼)みたいな人。先生とは正反対な』
(※ 中国語の大人は、単に成長した人という意味もありますが、この時教授が聞いたのは『立派な人』『人格者』という意味)

と、頬杖付いて答えてやりました。(A君が、そうかなあ、とおっとり笑ってフォローを入れてくれなかったら、その後どうなったか私もわからない)

そんな彼の周りには、沢山の友人がいました。
本当に、驚異的に友人が多い人でした。

大学デビューに当たって、友人を増やしたいと必死になっている私(その割には、教授に楯突くほどキャラ立ちしている自分の性格を直す気はさらさら無かった)よりも、10倍20倍の広い交友関係を持っていました。
私もそうでしたが、彼と一緒にいると心が和らぐ、安心する、だから、異性としてもきっと魅力的だと思うのですが、それ以上に人間としてあまりにも素晴らしい人で、私は彼を良き友人と特別に思いつつも、彼氏にしたいなどと言う身の程知らずのことは全く考えませんでした。

つまり、
あなたは観音菩薩を彼氏にしたいと思います?
聖母マリアを嫁にしたいと思います?


彼は、生きているだけで、他人を幸せに出来る人だった。
『立派な人』なのに、彼はイエスキリストや釈尊のような偉そうなことは、何ひとつ言わない人だった。

彼のような人になりたいと思わせるのに、私はこのままでもいいんだとも、思わせてくれる人だった。

突然ですが、みなさん《十王》という存在を御存知でしょうか?
ざっくり言うと、地獄にいて亡者の審判をする、審判のような尊格です。
王ですから、怖い上に、偉いです。十も知らなくても、5番目ならば皆さん御存知でしょう。その名も

閻魔大王。

小さい頃、舌を抜かれるとか聞いたような…
とにかく、閻魔大王レベルが10人いらっしゃり、その度に裁判を受けなければならないという、もはや絶望的な世界観

でも、ね。
大王の傍には、本地仏と言って、必ず仏様がおわすのです。

巨大な閻魔大王の十王図の中に、小さくそっと存在している、地蔵菩薩様のように。

彼は、そんな人だった。
俗世にいる人にも、地獄にいる人にも、そっと微笑んで声をかけてくれるような人だった。

菩薩はまだ悟りを開いていない状態(まだ《如来》には至らない存在)ですが、彼には修行とかスピリチュアルなこととかは、一切必要無かったのだし、本人も特に不思議な体験をしたことは無いとのことでした。

どう考えても東大レベルの頭脳の彼が、何故地元の大学にいたかというと「近かったから」と、ほんわりした笑顔と一緒にほんわりした無欲な答えが返ってきたのですが、学問に生きる道を見出した彼は、その後ドイツに留学することとなり、私はその後の彼の消息を知りません。

でも、私は彼のことを心配したことはないのです。
彼にも、きっと人間としての苦しみや悲しみがあったと思います。周囲がそれを感じ取れなかっただけで。

それでも、彼は俗世で俗人を愛しながら、立派に生きてゆける人だと、私は彼を信頼していますから。

そして、やっぱり彼は、生き仏だなあと、私は夫とふたりで想い出話をするのです。

私と夫は、文系理系で3年時からキャンパスが別になる運命…というか、そもそも出会う縁など無かったはずなのです。

A君が、大学で友人となった私と、高校で同じ図書委員をしていた夫を、同じサークルに誘ってくれてなかったならば。

つまり、私と夫は、定義山西方寺で決定打が出る以前に、生き仏・A君によって、4年も前から縁結びをされていたのです。

本当、不思議なひとでした。

A君、私は今、あなたが知らず知らずのうちに縁結びをしてくれた夫と、3人の子供たちと一緒に、幸せに暮らしています。
君のお陰です。
君はきっと、偶然だよと、笑って言うのでしょうけれども。

君が、いつまでも、いつまでも、幸せでありますように。
君と関わる人すべてが、君と出会ってよかったと、笑ってくれますように。
2019. 12. 17  
何事にも例外がある、…という可能性がある。
と、前回お話したところで一旦ひと休みしましたので、今回はその『例外かも知れない』私の体験をお話しすることにしましょう。

私は基本、『子供は親を選べない派』です。

まともなご両親に恵まれなかった方には、「あなたのせいじゃないよ。あなたが選んだんじゃないよ」と私は断言する。絶対に。

今回私がお話しするのは、私と末っ子・次男の関係です。
実は私、次男を産んだときに、思わず

やっちゃったーーー!!

…と、思ったんですよね。
何をやっちゃったかというと、

『私…父さんを産んでしまったよ……』

私の父は40歳の若さで亡くなったのですが、私が産んだ最後の子供は、亡父に激似だったのです。
とある占い師さんに、「貴女の3人のお子さんのうちのひとりは、お父さんの生まれ変わりです」と言われたときには、私は「そうかもしれませんね…」と遠い目にになるしかなかったです。

実際、この子が生まれ変わりではないのなら、亡父が乗り移ってるんじゃないか的にそっくりだったので。

次男は、ほんの赤ちゃんのうちから、はにかんだような表情で笑う子でした。
でも、寝返りもまだの赤ちゃんに、『恥ずかしい』という感情は、まだありません。

そして、生前の父も何だか恥ずかしそうに笑う人だったので、私は『父さんって剛毅な割に案外シャイな人なんだな~』と思っていたのですが、間違いだったことが判りました。
笑うとはにかんだような感じに顔の筋肉が動くだけ、だったのね…

亡父の生い立ちは悲惨で、5歳で一家離散、邪魔者扱いで親戚間をたらい回しにされ、大学受験を望むもさっさと働けと商業高校を受験させられ(当時その商業高校では大学受験は無理でした)、卒業と同時に追い出されました。
だから、《あたたかい家庭》というものに、それは強く憧れを持っていました。

でも、父の願いは叶いませんでした。
何処に行っても粗末にされるばかりで、小間使いのようこき使われ、暴力も振るわれて育った父は、自分もまた暴力を振るう父親になり、母や私、妹が父の理想通りの言動をしないことにしょっちゅう腹を立てていました。

父は、不幸を知り尽くしていても、幸福を自ら築く方法を、全く知らなかったし、常に自分が正しいんだと言い張り、新しい生き方の学びと試行錯誤を拒んでしまったから。

今、私は《あたたかい家庭》に生きています。
夫は尊敬できる人で、子供たちはそれぞれにかわいい。

そして、末っ子の次男は、長女がもうベタ可愛がりで、幼い頃からまるで2人目のお母さんのようでした。
発達障害の長男も穏やかな子に育ったので、次男が生意気なことを言ってもやっても、「仕方がないなあ」と苦笑して許してあげる、いいお兄ちゃんです。
(※ 長男は発達障害故に、悪気は無くとも日常的に弟妹に迷惑をかけているので、弟妹には甘いくらいがバランスが取れていていいと思います)

仮に次男が亡父の生まれ変わりだとしたら、時を超えて《あたたかい家庭》という夢は叶ったのでしょうか。

仮に、ですよ。
だって、隔世遺伝でそっくりだ、なんていうケースはいくらでもあります。
ただ単に、私が「やっちゃったーーー!!」と、勝手にインスピレーションしただけかもしれない。
生まれ変わりであったとしても、特に選んでもいないのに偶然私のところに来ちゃっただけかもしれない。

「キミは本当、じいちゃんにそっくりだわ」と私が懐かしんだところ、次男は心からイヤそうな顔をしてくれました。
まあ、顔もろくに知らない《死んだ人》に似ていると言われても、普通に嬉しくないよね、うん。
もう言わないから、無神経だった母を許しておくれ愛息よ。

そんな私も、父方の祖父が亡くなって半年後くらいに生まれたのですが、
『お前はじいちゃんの生まれ変わりだ』としょっちゅう言われていて、心底イヤでした。
両親から、親戚から、数え切れないほど言われ続けた私は、傷ついてすらいたのかも知れません。

だって、私が私として生まれてきたことを、寄ってたかって否定されたような気持ちだったから。

私は、次男は父の生まれ変わりかも知れないと思いつつも、父本人だと思った事は有りません

そんなん思ってたら、母乳やれないし。

我が子は我が子ですよ、やっぱり。私と夫との間に生まれてきた、掛け替えのない宝物。
選んだとか選ばれたとか、そんなこと、どうでもいいじゃありませんか。

私は、幸せな母親になれました。子供たちが、そうさせてくれたから。夫がよき父親となり、妻である私を支えてくれたから。

いつの日か、子供たちが私に甘えることに飽きて、後ろを振り返ることも忘れて巣立ってゆく姿を、眩しく見送る日が来ますように。
そう、心から願っています。
2019. 12. 15  
スピ系で、「赤ちゃんは、自分の魂の成長の為に、自分で親を選んで産まれてきます」
って言っている人がいますよね。

スピ系じゃない人でも、妊娠中につわりで苦しみまくっている妊婦さんに、或いは産後のボロボロの体調で、ろくに睡眠も取れない極限状態で(個人差はありますが、うちの長男なんて10分15分で目を覚まして泣くのが普通、30分寝てくれれば御の字、2時間続けて寝てくれたら奇跡だった)慣れない育児に音を上げている新米ママに、
「赤ちゃんはね、貴女を選んでお腹に来てくれたのよ。頑張って」
と善意の塊で言ってきたりするんですけど。

控え目に言って、ふざけんなよてめぇ。

と、思っています。

虐待死で幼い命を散らされた数多くの子供たちは、そんなろくでもない親を、自分で選んだって言うのかよ。
かろうじて生き延びても、精神を病んで一生ものの傷を負ってしまった人にも、そう言えるのかよ。
子供に恵まれない人は、選んで貰えない人だって言うのかよ。

言えるもんなら、言ってみろ。

そもそも私は、人生は魂の修行という考え自体が大嫌いです。
修行は、やりたい、やらねばならぬと思った人が、自ら志してやるものです。

我が家の子供たちの空手の師匠が、出羽三山で本格的な修験道をやってた人なのですが、何だかもう、見るからに何かが違うんです。
人間なんだけど、人間じゃない何か…のような。

日本には祖霊崇拝があって、神道では死後は神になってしまう訳ですが、その師匠はわざわざ死ぬのを待たずに今から何処かの神社に祀られても、私は何も驚かない自信があります。

私が出羽三山という山々を初めて見たのは、山形自動車道からでした。
私は車の助手席から見ていただけですけれども、圧倒されるばかりでした。

霊山、と言われるほどのことはあったのだと。
ううん、あの険しくも神々しい山々は、《異界》であり、山そのものが《神》だ。

私は、あんな場所に入ってはいけない。
あの山には、本当に覚悟の有る人しか、入ってはいけない。

短い期間の体験コースもありますけど、本当の修験道に身を投じるのは、自ら命をかける覚悟を選択できる者のみ。
修行とは、そういうものです。

全ての人間の人生が修行だなんて、おこがましい。

そして、特に修行じゃなくても赤ちゃんが両親を自分で選ぶ説、百歩譲って当たっていたとしても、
選び間違いなんていくらでもあるでしょうよ。

大人だって、永遠の愛を誓って結婚しておきながら、3組に1組は離婚でしょーに。
結婚する前に、いくつかの失恋や別れという失敗をしているくせに、結婚という本番ですら相手を間違える。

私は、ろくでもない男に一途な愛を捧げるも、報われず捨てられるというのを2回やっていまして、当初は男を恨みましたが、今は『若気の至り』+『運も悪かったな』、程度に捉えています。

人間が誰かを選ぶという行為は、特に神聖なものではありません。
当たりもあればハズレもある。それだけです。

ただ、《例外》は、何事にも存在する、可能性もあります。

実はそろそろ私の末っ子の誕生日なのでこんな文章を書きたくなったのですが、思いの外長い文章になってしまいましたので、続きは『その2』にてお話ししたいと思います。
プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
定義山西方寺を崇敬。伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。透明水彩絵師。

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