2023.
01.
08
久しぶりの書評です。
この本はamazonで見た限りでは電子書籍のみで、お値段も432円と非常にお安いです。
実際、この本が紙本になっていたら、とても気軽に読める厚さだと思います。
さて、この本は、稲倉神社の現職神職(執筆当時)である森田一彦氏の著作です。
神職さんの著作というのは、非常に珍しいですよね。私が読んだことのある神職さんの本は、学生社の『出雲大社』のみです。(こちらはそこそこ分厚い)
でも、出雲大社の千家尊統氏の描き味とはずいぶん違うなと思いました。
何と言いますか、森田氏は現実的なジャーマンとして神社に奉仕していらっしゃるのです。
神籬に神を降ろし、ご祈祷が終わったら神を天に送り出す。
かと言って、ご本人は神懸かりしてものすごい神秘体験をしたとか言うのではなく、目に見えなくとも神の力を信じて神に仕え、人間の命が幸福に生きていけるよう祈り続けている、それが日常である人の文章は怪しい煽り文句や妄想の欠片も無、くスッと腑に落ちる感じがしました。
そして、ニギハヤヒとナガスネヒコの名誉回復を願って書かれた著作です。
特に、ナガスネヒコは神武一向に歯向かった蛮族として、氏子の子供達は学校の教師からお前達は逆賊の子孫だと罵られた時代もあったのだそうです。
出雲の子供達についても、いつか私も何かの本で読んだことがあります。スサノオが毒酒を飲ませてヤマタノオロチを眠らせてから斬った、ということを出雲の子はとても恥じたのだそうです。
「酒を飲ませるなどという卑怯な手段を執らずに、どうして正々堂々と剣を振るってくれなかったのか」と。
あの場面は、むやみに剣を振るうのではなく『知恵に勝る者が勝つ』という教えや、ヤマタノオロチという異形であっても《神》という存在に御神酒を捧げてから刃を振るう(オオゲツヒメ殺害神話のように、人間の食料は大抵何かの死骸だったり死骸から生み出されるものであるのと同じ)という敬意を表しているのです。
出雲の子供が恥じたのも、スサノオは卑怯者だと誰かに、多分大人に、言われたことがあるのでしょう。心無く無知なことです。
私は東北住まいですから、お前は○○神の子孫だから恥だ、などと嘲われたことはありません。
上記の土地の人々は、本当に自分たちは神の末裔であると本人も周囲の人間も当たり前に思っていたことに驚かされます。
そして、例え誹られても、自分の祖先は土着の神であるという伝承を受け継いでいる人々を、羨ましく思います。私達はもう、私達の神もその伝承も奪われてしまったからです。
ナガスネヒコの子孫達は、バカが何を言おうが皆ナガスネヒコを尊敬し、大好きであり続けたことにホッとさせられました。
また、この本では、記紀でナガスネヒコが「天孫は2人いるというのか」と問うたときに神武が「天孫はたくさんいる」と謎の答えを返した、その意味が記されています。
ああ、そういうことか、と謎がひとつ解けた気がしました。
一読をお勧めしたいと思います。
あ、最後にひとつだけ。
私のように、シュメールがどうとかいう電波な話が嫌いな人はご注意下さい。私はその部分だけ読まなかったことにしました。
この本はamazonで見た限りでは電子書籍のみで、お値段も432円と非常にお安いです。
実際、この本が紙本になっていたら、とても気軽に読める厚さだと思います。
さて、この本は、稲倉神社の現職神職(執筆当時)である森田一彦氏の著作です。
神職さんの著作というのは、非常に珍しいですよね。私が読んだことのある神職さんの本は、学生社の『出雲大社』のみです。(こちらはそこそこ分厚い)
でも、出雲大社の千家尊統氏の描き味とはずいぶん違うなと思いました。
何と言いますか、森田氏は現実的なジャーマンとして神社に奉仕していらっしゃるのです。
神籬に神を降ろし、ご祈祷が終わったら神を天に送り出す。
かと言って、ご本人は神懸かりしてものすごい神秘体験をしたとか言うのではなく、目に見えなくとも神の力を信じて神に仕え、人間の命が幸福に生きていけるよう祈り続けている、それが日常である人の文章は怪しい煽り文句や妄想の欠片も無、くスッと腑に落ちる感じがしました。
そして、ニギハヤヒとナガスネヒコの名誉回復を願って書かれた著作です。
特に、ナガスネヒコは神武一向に歯向かった蛮族として、氏子の子供達は学校の教師からお前達は逆賊の子孫だと罵られた時代もあったのだそうです。
出雲の子供達についても、いつか私も何かの本で読んだことがあります。スサノオが毒酒を飲ませてヤマタノオロチを眠らせてから斬った、ということを出雲の子はとても恥じたのだそうです。
「酒を飲ませるなどという卑怯な手段を執らずに、どうして正々堂々と剣を振るってくれなかったのか」と。
あの場面は、むやみに剣を振るうのではなく『知恵に勝る者が勝つ』という教えや、ヤマタノオロチという異形であっても《神》という存在に御神酒を捧げてから刃を振るう(オオゲツヒメ殺害神話のように、人間の食料は大抵何かの死骸だったり死骸から生み出されるものであるのと同じ)という敬意を表しているのです。
出雲の子供が恥じたのも、スサノオは卑怯者だと誰かに、多分大人に、言われたことがあるのでしょう。心無く無知なことです。
私は東北住まいですから、お前は○○神の子孫だから恥だ、などと嘲われたことはありません。
上記の土地の人々は、本当に自分たちは神の末裔であると本人も周囲の人間も当たり前に思っていたことに驚かされます。
そして、例え誹られても、自分の祖先は土着の神であるという伝承を受け継いでいる人々を、羨ましく思います。私達はもう、私達の神もその伝承も奪われてしまったからです。
ナガスネヒコの子孫達は、バカが何を言おうが皆ナガスネヒコを尊敬し、大好きであり続けたことにホッとさせられました。
また、この本では、記紀でナガスネヒコが「天孫は2人いるというのか」と問うたときに神武が「天孫はたくさんいる」と謎の答えを返した、その意味が記されています。
ああ、そういうことか、と謎がひとつ解けた気がしました。
一読をお勧めしたいと思います。
あ、最後にひとつだけ。
私のように、シュメールがどうとかいう電波な話が嫌いな人はご注意下さい。私はその部分だけ読まなかったことにしました。

2021.
05.
17
長らく読書から遠ざかっていましたが、久々に面白く、そしてかなり衝撃的な本を読んだので、紹介したいと思います。
例えば『論語』は結構ろくでもないことを言っていて、52ページから引用させて頂きますが、
>たとえば、父親が泥棒だったとしたなら、嘘を吐いてでも父親を守るようにすべきだというのが論語のいう「孝」なんです。
>そういうところから始まり、中国人は嘘をつくのが悪いことだとは思っていないわけです。
嘘は悪いものであり、何故悪いかというと他人に対しては不誠実であり、自分に対しては罪で恥であるという日本人の感覚は、まったくかの大陸の人々には通用しないのです。
だって、あっちでは他人に対して誠実である必要はないのだし、当然に罪悪感を感じる理由もないんですから。
悪気のない大嘘吐きの大国。
是非ともお付き合いは最小限にしたいっていうか、せめてこれからでも一切関わりたくない感じです。
そして、日本の教育では「日本史」と「世界史」に分かれており、世界史には日本は殆ど登場しません。
出てくるのは近世で他国と戦争をした時くらいではないでしょうか。
実際、日本は大陸から程よく離れた島国であり、有史以来民族が対立して殺し合いを延々と続けてきた大陸とは無関係だったからです。
実は日本が戦国時代であった頃、ヨーロッパ各国は大航海時代とかいう名目の大侵略時代をやっていて、キリスト教宣教師が尖兵を務め、寺や神社を破壊され多くの日本人が奴隷として海外に連れ去られたという悲劇があるのですが、これは私は学校で教わった覚えはないし、今も教えていませんよねきっと。
寧ろ、日本史の方で秀吉や家康が酷いキリシタン弾圧をした挙げ句に、世界から遅れを取る《鎖国という愚かな歴史》を歩んだのだと補強されている。
どの辺愚かなんですかね?
侵略者に国土を踏ませないなんていうのは当たり前でしょうよ。
私の先祖は伊達家に仕えていましたが、この件に関してはスペインとお近付きになろうとした政宗公よりも、奴隷にされた日本人を返せと交渉し、それは無理と言われて大いに怒って宣教師を追い出そうとした秀吉、それでも日本に入り込んでくる宣教師を完全に締め出して、《貿易はするけれども出島の先には外国人を一歩たりとも日本に入れない》路線に切り替えた家康が正しいです。
その程度に、日本の「世界史」は欧米、特に第二次世界大戦戦勝国の悪事は今の時代になっても隠されたままだということです。
日本が世界史から殆ど孤立した状態であり続けたことは、寧ろ日本にとっては幸いであり、日本が勝ち取った平和であり名誉ですらあります。
そういう日本だからこそ、大陸に対して中立的な立場で良いことも悪いこともただに事実として新しい世界史を紡ぐことが出来る。
この本は、そのようなスタンスから書かれた本です。
是非、ご一読頂きたいとお勧めします。
例えば『論語』は結構ろくでもないことを言っていて、52ページから引用させて頂きますが、
>たとえば、父親が泥棒だったとしたなら、嘘を吐いてでも父親を守るようにすべきだというのが論語のいう「孝」なんです。
>そういうところから始まり、中国人は嘘をつくのが悪いことだとは思っていないわけです。
嘘は悪いものであり、何故悪いかというと他人に対しては不誠実であり、自分に対しては罪で恥であるという日本人の感覚は、まったくかの大陸の人々には通用しないのです。
だって、あっちでは他人に対して誠実である必要はないのだし、当然に罪悪感を感じる理由もないんですから。
悪気のない大嘘吐きの大国。
是非ともお付き合いは最小限にしたいっていうか、せめてこれからでも一切関わりたくない感じです。
そして、日本の教育では「日本史」と「世界史」に分かれており、世界史には日本は殆ど登場しません。
出てくるのは近世で他国と戦争をした時くらいではないでしょうか。
実際、日本は大陸から程よく離れた島国であり、有史以来民族が対立して殺し合いを延々と続けてきた大陸とは無関係だったからです。
実は日本が戦国時代であった頃、ヨーロッパ各国は大航海時代とかいう名目の大侵略時代をやっていて、キリスト教宣教師が尖兵を務め、寺や神社を破壊され多くの日本人が奴隷として海外に連れ去られたという悲劇があるのですが、これは私は学校で教わった覚えはないし、今も教えていませんよねきっと。
寧ろ、日本史の方で秀吉や家康が酷いキリシタン弾圧をした挙げ句に、世界から遅れを取る《鎖国という愚かな歴史》を歩んだのだと補強されている。
どの辺愚かなんですかね?
侵略者に国土を踏ませないなんていうのは当たり前でしょうよ。
私の先祖は伊達家に仕えていましたが、この件に関してはスペインとお近付きになろうとした政宗公よりも、奴隷にされた日本人を返せと交渉し、それは無理と言われて大いに怒って宣教師を追い出そうとした秀吉、それでも日本に入り込んでくる宣教師を完全に締め出して、《貿易はするけれども出島の先には外国人を一歩たりとも日本に入れない》路線に切り替えた家康が正しいです。
その程度に、日本の「世界史」は欧米、特に第二次世界大戦戦勝国の悪事は今の時代になっても隠されたままだということです。
日本が世界史から殆ど孤立した状態であり続けたことは、寧ろ日本にとっては幸いであり、日本が勝ち取った平和であり名誉ですらあります。
そういう日本だからこそ、大陸に対して中立的な立場で良いことも悪いこともただに事実として新しい世界史を紡ぐことが出来る。
この本は、そのようなスタンスから書かれた本です。
是非、ご一読頂きたいとお勧めします。

2020.
12.
03
タイトルに『誰も教えてくれない』と書かれていただけのことはありました。少なくとも私には。
そして、私は読んで良かったと思っています。
著者の倉山満氏は、どうやらチャイナやヨーロッパの自己中心性を心底嫌っている模様で、その辺りをスパーンと一刀両断。
でも、長浜浩明氏のような、感情的な憎悪は感じませんで、皮肉っぽくもユーモアがある平易な文章で淡々と中立に近い歴史が綴られている良書だと思います。
この、
平易な文章というのが非常にポイント高いんです。
学者さんが書く文章って、難しいことを難しく書いてあることが多くて読了できずに心折れる人は結構多いと思いますので。
さて、この本に詳しく書かれていることを、何故私達が知らないのかというと、先に述べたとおりにチャイナ中心と西欧中心の視点に偏った《世界史》の授業を受けてきたからです。
つまり、『中華様が主役でその東西南北は時折登場するだけの蛮族という東洋史』+『長い間田舎に過ぎなかった《ヨーロッパ半島》中心の西洋史』=私達が知っている世界史、なのです。
ユーラシア大陸というばかでっかい大陸で、どこが常に強大且つ先進的な文明を持っていたのか、というと、
オリエントです。
この地域には、殆どの時代強力な帝国が存在し、高い文明を誇っていた。
長い間、西欧は出てきません。ゲルマン人の大移動とか、言われてみればそんなん習ったな、という覚えはありますが、別にその程度でいいのです。世界史的にはたいして重要なイベントではないので。
で、ヨーロッパ《半島》って、実は気候の割には結構緯度の高いところにあるので、私達が見慣れているメルカトル図法の地図では、さも大国・列強がひしめいているように見えるのだし、日本は東の果ての本当にちっぽけな島国にしか見えないのですが、それは事実ではありません。
実際はこうです。

南欧~北欧に跨がり、そして国土の多くが山地であるのにも関わらず、人口多いです。
※ フランスは6700万人、スペインは5千万に満たない感じ
オリエントは、だいたいイラク辺りの土地なのですが、中東の人々は自分たちの歴史がとても長いことを当たり前に知っています。
なので、彼らは今なお、西欧に対しては、
「あ゙あ゙?何だこの遅れた土地の田舎モンが。」という上から目線。
当たり前のように西洋の歴史にひれ伏さんばかりであった日本人とは全く逆です。
でも実際、ペルシャやパルティアにしてみれば、ローマ帝国すら足元にも及ばず、世界史上最もインパクトのある帝国と言えば、チャイナの地からヨーロッパまで攻め込んでいったモンゴル帝国でしょう。
そしてチャイナの中華様。
現在建国70年に満たないこの国は、《中華民族という名の実体のないもの》を掲げて、一つの中国とかわけわからん事を言って、満州・チベット・ウイグル・モンゴルとどんどん魔の手を伸ばし、ブータンに道路を作り出し(中国人を移住させる気らしい)、とうとう朝鮮民族の朝鮮学校からハングルを取り上げて中国語を学ばせようとしています。
私は半島人が大嫌いなので、正直ざまぁと思いましたが、問題はこれがいつ日本に飛び火してもおかしくないということです。
本当は、中国人が《中華民族》というアイデンティティは《漢字》でしか保てないからです。
だから、中国人は侵略した民族に漢字を強いるのだし、怖いことに既に漢字を使用している日本のことは本気で属国だと思っているかもしれない歴史ホラー。
……と言う訳で、今回も長文になってしまいましたが、これが大したネタバレになっていない程度に、内容が盛りだくさんの《世界史》です。
是非、ご一読をお勧め致します。
そして、私は読んで良かったと思っています。
著者の倉山満氏は、どうやらチャイナやヨーロッパの自己中心性を心底嫌っている模様で、その辺りをスパーンと一刀両断。
でも、長浜浩明氏のような、感情的な憎悪は感じませんで、皮肉っぽくもユーモアがある平易な文章で淡々と中立に近い歴史が綴られている良書だと思います。
この、
平易な文章というのが非常にポイント高いんです。
学者さんが書く文章って、難しいことを難しく書いてあることが多くて読了できずに心折れる人は結構多いと思いますので。
さて、この本に詳しく書かれていることを、何故私達が知らないのかというと、先に述べたとおりにチャイナ中心と西欧中心の視点に偏った《世界史》の授業を受けてきたからです。
つまり、『中華様が主役でその東西南北は時折登場するだけの蛮族という東洋史』+『長い間田舎に過ぎなかった《ヨーロッパ半島》中心の西洋史』=私達が知っている世界史、なのです。
ユーラシア大陸というばかでっかい大陸で、どこが常に強大且つ先進的な文明を持っていたのか、というと、
オリエントです。
この地域には、殆どの時代強力な帝国が存在し、高い文明を誇っていた。
長い間、西欧は出てきません。ゲルマン人の大移動とか、言われてみればそんなん習ったな、という覚えはありますが、別にその程度でいいのです。世界史的にはたいして重要なイベントではないので。
で、ヨーロッパ《半島》って、実は気候の割には結構緯度の高いところにあるので、私達が見慣れているメルカトル図法の地図では、さも大国・列強がひしめいているように見えるのだし、日本は東の果ての本当にちっぽけな島国にしか見えないのですが、それは事実ではありません。
実際はこうです。

南欧~北欧に跨がり、そして国土の多くが山地であるのにも関わらず、人口多いです。
※ フランスは6700万人、スペインは5千万に満たない感じ
オリエントは、だいたいイラク辺りの土地なのですが、中東の人々は自分たちの歴史がとても長いことを当たり前に知っています。
なので、彼らは今なお、西欧に対しては、
「あ゙あ゙?何だこの遅れた土地の田舎モンが。」という上から目線。
当たり前のように西洋の歴史にひれ伏さんばかりであった日本人とは全く逆です。
でも実際、ペルシャやパルティアにしてみれば、ローマ帝国すら足元にも及ばず、世界史上最もインパクトのある帝国と言えば、チャイナの地からヨーロッパまで攻め込んでいったモンゴル帝国でしょう。
そしてチャイナの中華様。
現在建国70年に満たないこの国は、《中華民族という名の実体のないもの》を掲げて、一つの中国とかわけわからん事を言って、満州・チベット・ウイグル・モンゴルとどんどん魔の手を伸ばし、ブータンに道路を作り出し(中国人を移住させる気らしい)、とうとう朝鮮民族の朝鮮学校からハングルを取り上げて中国語を学ばせようとしています。
私は半島人が大嫌いなので、正直ざまぁと思いましたが、問題はこれがいつ日本に飛び火してもおかしくないということです。
本当は、中国人が《中華民族》というアイデンティティは《漢字》でしか保てないからです。
だから、中国人は侵略した民族に漢字を強いるのだし、怖いことに既に漢字を使用している日本のことは本気で属国だと思っているかもしれない歴史ホラー。
……と言う訳で、今回も長文になってしまいましたが、これが大したネタバレになっていない程度に、内容が盛りだくさんの《世界史》です。
是非、ご一読をお勧め致します。

2020.
11.
12
帯によると、『歴史浪漫文学賞研究部門優秀賞受賞作品』だそうで、在野の方が書いた本です。
田中氏の経歴を見ると、早稲田大学卒業後、横浜市勤務。
公務員の仕事の一環なのか、横浜市港区新田地区の郷土史『新田むかしむかし』を発行したり、古文書と関わったり、小学生に縄文土器の作り方を教えたり、地道な現場主義だな、という気がします。
私、一応絵描きなので、自分がろくに絵筆を握ったことも無い癖に、古い日本画を見てこの描線が@@と似ている似ていない、と論じたり、仏像を美術品として論ずるばかりで手を合わせることもしない、仏師がどんな信心でどんな祈りで鑿(のみ)と槌を日夜握っていたのか想いを馳せることもしない、そういう学者達に心底嫌気が差していた(美術史を専攻した私が間違っていた…でも私は美大に行くような技術も金も無かったんだよ…)ので、縄文土器を実際に作ってみるなんて、すごくナイスな企画だと思うんですよね。
本当に、弥生土器は縄文土器より優れているのか?
確かに弥生土器は高温で焼かれて薄地でも硬く軽いんだろうけど、縄文土器のとんでもない芸術性は、まじとんでもないです。
私は絵は描けるけど立体(彫刻その他)は全くダメだと思い知っているので、縄文土器の装飾性が『とにかく凄い』ことだけは保証できます。
さて、この本の帯には続いて『神門の水海で勢力を拡大した須佐之男系の海神集団は(以下略)』とありまして、スサノオ様は海神であり海人である!と主張してきた私が飛び付くのには十分でした。
ページを開けば、はじめに、とあって、──虐げられた神── とありました。
著者は、須佐之男という神について、『著名な割には悲惨な扱いをされる神』、『私はこの神が、昔から哀れに思えてならなかった』と綴っています。
『敵役を演ずるために生み出された神のようでもある』とも。
また、須佐之男のほかにも一柱、同情を禁じ得ない神が思い浮かぶ、と須佐之男の母イザナミを上げています。
(以下引用)
>この神が死んでのち、黄泉の国に迎えに来たイザナギは、勝手に約束を破って逃げ出したにも関わらず、穢らわしいものを見たと言って、慌てて禊ぎする。
>まるでイザナミの記憶を全て洗い捨てているかのようだ。
(引用終了。太字は私)
しかし、この須佐之男とイザナミという二中の相関が、出雲神話の重要な要素になっている、と著者は言います。
確かに、淡路の女神・イザナミが、何故出雲に数多く祀られているのか、私にも理解不明でした。
イザナミが海人族の神であるならば、出雲に辿り付くのはそんなに難しいことではないとは言え、イザナギの不在感が気に掛かります。
これ以上は、この本を実際に読んでみることをお勧めします。
スサノオ様が海人族である、という視点で書かれた本は少ないように思うので、貴重な本だと思います。
ネックは、著者がスサノオ様を何かと新羅と結びつけたがり、渡来人(と倭人のハーフ?)だという前提で話を進めているところでしょうか。
※ 私は何でも渡来人説は違うと思っているので
※ 日本は山がちの島国です。縄文時代から近海~遠洋まで渡る海運に優れ、陸路の確保が難しい土地でも川を遡って進出していたと考えるのが妥当だと思います
一応目次は確かめたのですが、一行だけ『海人伝承と渡来神』とあるのを、1行だけだったのでさほど重視せずに買ったら、案外著者は重要視していた、という顛末であります。
ただ、著者は遺跡や発掘品に対してとても詳しい上に、机上の空論にせず現地に足を運んで、『その土地に住んだ人々』に想いを馳せています。
尤も、現地に足を運んでも、発想にオリジナル要素が強いので、私は少々付いていけない感がありました。
著者は古事記を重んじていますが、私は案外日本書紀の著者は《時の権力に逆らって》暗号のように本音を残している、という印象を持っているので、その辺りの温度差もあるでしょう。
でも、amazonのレビューでは概ね好評で、新鮮な思いと共に、納得した、腑に落ちたという人が多い模様ですので、スサノオという神、そしてスサノオという《人物》に心惹かれる方は、一度読んでみては如何かと、お勧めしたいと思います。
因みに、私はamazonでは中古品出品でも売り切れだったので、楽天市場で検索して入手しました。
※ 楽天ブックスではないです。他にも本を扱っているお店はありますから、楽天市場のトップページから検索してみると、まだ残っているかもしれません。
田中氏の経歴を見ると、早稲田大学卒業後、横浜市勤務。
公務員の仕事の一環なのか、横浜市港区新田地区の郷土史『新田むかしむかし』を発行したり、古文書と関わったり、小学生に縄文土器の作り方を教えたり、地道な現場主義だな、という気がします。
私、一応絵描きなので、自分がろくに絵筆を握ったことも無い癖に、古い日本画を見てこの描線が@@と似ている似ていない、と論じたり、仏像を美術品として論ずるばかりで手を合わせることもしない、仏師がどんな信心でどんな祈りで鑿(のみ)と槌を日夜握っていたのか想いを馳せることもしない、そういう学者達に心底嫌気が差していた(美術史を専攻した私が間違っていた…でも私は美大に行くような技術も金も無かったんだよ…)ので、縄文土器を実際に作ってみるなんて、すごくナイスな企画だと思うんですよね。
本当に、弥生土器は縄文土器より優れているのか?
確かに弥生土器は高温で焼かれて薄地でも硬く軽いんだろうけど、縄文土器のとんでもない芸術性は、まじとんでもないです。
私は絵は描けるけど立体(彫刻その他)は全くダメだと思い知っているので、縄文土器の装飾性が『とにかく凄い』ことだけは保証できます。
さて、この本の帯には続いて『神門の水海で勢力を拡大した須佐之男系の海神集団は(以下略)』とありまして、スサノオ様は海神であり海人である!と主張してきた私が飛び付くのには十分でした。
ページを開けば、はじめに、とあって、──虐げられた神── とありました。
著者は、須佐之男という神について、『著名な割には悲惨な扱いをされる神』、『私はこの神が、昔から哀れに思えてならなかった』と綴っています。
『敵役を演ずるために生み出された神のようでもある』とも。
また、須佐之男のほかにも一柱、同情を禁じ得ない神が思い浮かぶ、と須佐之男の母イザナミを上げています。
(以下引用)
>この神が死んでのち、黄泉の国に迎えに来たイザナギは、勝手に約束を破って逃げ出したにも関わらず、穢らわしいものを見たと言って、慌てて禊ぎする。
>まるでイザナミの記憶を全て洗い捨てているかのようだ。
(引用終了。太字は私)
しかし、この須佐之男とイザナミという二中の相関が、出雲神話の重要な要素になっている、と著者は言います。
確かに、淡路の女神・イザナミが、何故出雲に数多く祀られているのか、私にも理解不明でした。
イザナミが海人族の神であるならば、出雲に辿り付くのはそんなに難しいことではないとは言え、イザナギの不在感が気に掛かります。
これ以上は、この本を実際に読んでみることをお勧めします。
スサノオ様が海人族である、という視点で書かれた本は少ないように思うので、貴重な本だと思います。
ネックは、著者がスサノオ様を何かと新羅と結びつけたがり、渡来人(と倭人のハーフ?)だという前提で話を進めているところでしょうか。
※ 私は何でも渡来人説は違うと思っているので
※ 日本は山がちの島国です。縄文時代から近海~遠洋まで渡る海運に優れ、陸路の確保が難しい土地でも川を遡って進出していたと考えるのが妥当だと思います
一応目次は確かめたのですが、一行だけ『海人伝承と渡来神』とあるのを、1行だけだったのでさほど重視せずに買ったら、案外著者は重要視していた、という顛末であります。
ただ、著者は遺跡や発掘品に対してとても詳しい上に、机上の空論にせず現地に足を運んで、『その土地に住んだ人々』に想いを馳せています。
尤も、現地に足を運んでも、発想にオリジナル要素が強いので、私は少々付いていけない感がありました。
著者は古事記を重んじていますが、私は案外日本書紀の著者は《時の権力に逆らって》暗号のように本音を残している、という印象を持っているので、その辺りの温度差もあるでしょう。
でも、amazonのレビューでは概ね好評で、新鮮な思いと共に、納得した、腑に落ちたという人が多い模様ですので、スサノオという神、そしてスサノオという《人物》に心惹かれる方は、一度読んでみては如何かと、お勧めしたいと思います。
因みに、私はamazonでは中古品出品でも売り切れだったので、楽天市場で検索して入手しました。
※ 楽天ブックスではないです。他にも本を扱っているお店はありますから、楽天市場のトップページから検索してみると、まだ残っているかもしれません。

2020.
11.
11
この本は、嫌中嫌韓ではありません。
嫌中嫌韓は攻撃的でイヤだ、と避けている人にもお勧めできる歴史本です。
著者は、ただに悉に「中国と呼ばれている土地」「朝鮮半島と呼ばれている土地」についての歴史を語り、その歴史を経た現在の「中国人」「韓国人」とはどういう人々なのか、ということを語っています。
本書は『歴史通』に2009年~2015年に渡って連載されていた『東洋史エッセイ』を1冊の本として編集したものです。
元が字数に制限のあるエッセイであるからか、とても読み易い文体であり、またダラダラと語るのではなく内容の密度が高いです。
そして、国際政治学者藤井厳喜さんの次の発言が引用し、
日本では歴史は「ヒストリー」、中国では「プロパガンダ」、韓国では「ファンタジー」。
何故そうなるかというと、中国は古くから易姓革命である王朝が興り、そして滅び去り、滅ぼした者が新たな王朝を起こし、そして滅び、滅ぼした者が以下同文、という断絶を繰り返した《土地》であるからです。
易姓革命とは、ぐぐったとき一番上に出てきたこの文章が非常に判りやすいです。
天は徳の高い者を天子として万民を治めさせ、子孫相継ぐが、もしその家(=姓)に不徳の者が出た場合は、その命をあらためて(=革)別の家の者に変える(=易)とする。
つまり、
『征服した者が善であり、天命を受けた正義の天子なのである。』
という政治的正当性を根拠とするために利用されてきた思想です。
勝てば官軍、よりも強烈な感じに『天』という絶対的なものを背景にして侵略し、統治して良いのです。
だから、中国の歴史はヒストリーではなく『プロパガンダ』なのです。
過去の王朝を何度でも否定し、新たな王朝が自分たちを正当化したのが、中国に残る史書です。
恐るべきは、その思想が現代でも生き続け、チベット・ウイグル・モンゴル弾圧が、中共にとっては正義以外の何物でもない、ということです。
そして韓国のファンタジー。
『殆ど歴史がないから』、中国や日本に対抗して民族を誇ろうとするには捏造するしかないのです。
日本書紀が主張する、2700年近い歴史を上回るために、中国最古の王朝を上回るために、民話レベルの伝説を夏王朝よりも古い神話とし教育し始めたのだから、ファンタジーという言葉に申し訳ない感じに、ファンタジーというしか無い。
現在の朝鮮民族(と呼ぶに値する者があるとすると仮定して)の遺伝子が安定するのは、元に支配された13世紀後半以降です。
そのくらい、朝鮮半島には様々な民族が入り込んで、支配されて混血しているので、日本人になじみ深い百済や新羅の人々と現在の朝鮮人はもう別種であり、連続性はほぼ無いのです。
まあ、有ったところで、新羅も百済も日本に朝貢していた、などと知ったら発狂しそうな勢いで否定してかかり、更にスライドして日本が新羅に朝貢していたのだ!!とか言い出しそうですが。
そして、『朝鮮』という国を建国したのは、満州人(女真族)です。(1393年)
中国の清王朝と同じです。
ここから500年の李氏朝鮮は、半島にとって500年の暗黒時代となりました。
こちらもまた非常にややこしいので、本書を手に取って読むことをお勧めします。
この土地の人々は、長い間独自の文字を持ちませんでした。
長い間中国大陸の王朝の一部(中国から『王』という豪族の称号を預けられるだけで帝国にはなれず、中国の歴代王朝にして見れば自国の一部でしかない)であった所為か、
独自の文字を持つのは田舎の野蛮人のやることである。
※ その田舎の野蛮人とは、日本人・チベット人・西夏人・モンゴル人・女真族(朝鮮以外に住む女真族であろうか?)
という、周囲の国が聞けば目が点になるような理由からです。
やっと15世紀に自国の文字・ハングルが作られますが、上記の理由で普及しませんでした。
このハングル文字の由来もこの本に書いてありますが、韓国人の反応はよろしくない模様です。
そして、普及しなくて文盲であった朝鮮人に、ハングルを教えてあげたのは日本人である、などと知ったら、これも半島で発見された前方後円墳を破壊したように打ち消しにかかるのが、目に見えるようです。
近隣諸国に対して、誇るべき自国の長い歴史がない、というのはそれほどまでにかの国の人々にとっては日本人が想像もつかないようなコンプレックスであり、彼らは捏造した《古代から続いている朝鮮》という夢の方が、ヒストリーよりもずっと重要なのです。
長文になりましたが、これでもネタバレと言うには不足しています。
とにかく、中身の濃い本であり、島国日本と違い、半島やヨーロッパまでひとつながりの《巨大な大陸》で様々な民族がどのように行き交い、その結果何が起こっていたのか、それがこの、決して分厚くはない1冊の本に凝縮されています。
是非、一読をお勧めします。
嫌中嫌韓は攻撃的でイヤだ、と避けている人にもお勧めできる歴史本です。
著者は、ただに悉に「中国と呼ばれている土地」「朝鮮半島と呼ばれている土地」についての歴史を語り、その歴史を経た現在の「中国人」「韓国人」とはどういう人々なのか、ということを語っています。
本書は『歴史通』に2009年~2015年に渡って連載されていた『東洋史エッセイ』を1冊の本として編集したものです。
元が字数に制限のあるエッセイであるからか、とても読み易い文体であり、またダラダラと語るのではなく内容の密度が高いです。
そして、国際政治学者藤井厳喜さんの次の発言が引用し、
日本では歴史は「ヒストリー」、中国では「プロパガンダ」、韓国では「ファンタジー」。
何故そうなるかというと、中国は古くから易姓革命である王朝が興り、そして滅び去り、滅ぼした者が新たな王朝を起こし、そして滅び、滅ぼした者が以下同文、という断絶を繰り返した《土地》であるからです。
易姓革命とは、ぐぐったとき一番上に出てきたこの文章が非常に判りやすいです。
天は徳の高い者を天子として万民を治めさせ、子孫相継ぐが、もしその家(=姓)に不徳の者が出た場合は、その命をあらためて(=革)別の家の者に変える(=易)とする。
つまり、
『征服した者が善であり、天命を受けた正義の天子なのである。』
という政治的正当性を根拠とするために利用されてきた思想です。
勝てば官軍、よりも強烈な感じに『天』という絶対的なものを背景にして侵略し、統治して良いのです。
だから、中国の歴史はヒストリーではなく『プロパガンダ』なのです。
過去の王朝を何度でも否定し、新たな王朝が自分たちを正当化したのが、中国に残る史書です。
恐るべきは、その思想が現代でも生き続け、チベット・ウイグル・モンゴル弾圧が、中共にとっては正義以外の何物でもない、ということです。
そして韓国のファンタジー。
『殆ど歴史がないから』、中国や日本に対抗して民族を誇ろうとするには捏造するしかないのです。
日本書紀が主張する、2700年近い歴史を上回るために、中国最古の王朝を上回るために、民話レベルの伝説を夏王朝よりも古い神話とし教育し始めたのだから、ファンタジーという言葉に申し訳ない感じに、ファンタジーというしか無い。
現在の朝鮮民族(と呼ぶに値する者があるとすると仮定して)の遺伝子が安定するのは、元に支配された13世紀後半以降です。
そのくらい、朝鮮半島には様々な民族が入り込んで、支配されて混血しているので、日本人になじみ深い百済や新羅の人々と現在の朝鮮人はもう別種であり、連続性はほぼ無いのです。
まあ、有ったところで、新羅も百済も日本に朝貢していた、などと知ったら発狂しそうな勢いで否定してかかり、更にスライドして日本が新羅に朝貢していたのだ!!とか言い出しそうですが。
そして、『朝鮮』という国を建国したのは、満州人(女真族)です。(1393年)
中国の清王朝と同じです。
ここから500年の李氏朝鮮は、半島にとって500年の暗黒時代となりました。
こちらもまた非常にややこしいので、本書を手に取って読むことをお勧めします。
この土地の人々は、長い間独自の文字を持ちませんでした。
長い間中国大陸の王朝の一部(中国から『王』という豪族の称号を預けられるだけで帝国にはなれず、中国の歴代王朝にして見れば自国の一部でしかない)であった所為か、
独自の文字を持つのは田舎の野蛮人のやることである。
※ その田舎の野蛮人とは、日本人・チベット人・西夏人・モンゴル人・女真族(朝鮮以外に住む女真族であろうか?)
という、周囲の国が聞けば目が点になるような理由からです。
やっと15世紀に自国の文字・ハングルが作られますが、上記の理由で普及しませんでした。
このハングル文字の由来もこの本に書いてありますが、韓国人の反応はよろしくない模様です。
そして、普及しなくて文盲であった朝鮮人に、ハングルを教えてあげたのは日本人である、などと知ったら、これも半島で発見された前方後円墳を破壊したように打ち消しにかかるのが、目に見えるようです。
近隣諸国に対して、誇るべき自国の長い歴史がない、というのはそれほどまでにかの国の人々にとっては日本人が想像もつかないようなコンプレックスであり、彼らは捏造した《古代から続いている朝鮮》という夢の方が、ヒストリーよりもずっと重要なのです。
長文になりましたが、これでもネタバレと言うには不足しています。
とにかく、中身の濃い本であり、島国日本と違い、半島やヨーロッパまでひとつながりの《巨大な大陸》で様々な民族がどのように行き交い、その結果何が起こっていたのか、それがこの、決して分厚くはない1冊の本に凝縮されています。
是非、一読をお勧めします。