2023.
01.
29
タカミムスビが、国譲りの後もなお、大国主(大物主?)に、まだお前信用できねーから俺の娘と結婚しろや、ということで新妻になったのが三穂津姫(ミホツヒメ)で、名の由来は美保(ミホ)に住んだから、……というのですが、本当かなあ?
ミホツヒメの子孫は語られていないし、既にミホススミという女神がいたので似た名前の女神を設定して打ち消そうと出してきたか、ミホススミ=ミホツヒメ=タカミムスビの娘で天津神だよ~という設定の為のダミーだという気もします。
何故なら、……ミホススミっていう女神、皆さん知ってます?
知っている人は地元民か神話ヲタかどっちかです。
ミホススミの名を葬るのが目的だったのなら、その目的は成功したと言えるでしょう。
オオヒルメも、イチキシマヒメを置いて去ったのではないでしょうか。
でも、この説を採ると…
私には、予てから、スセリヒメ=宗像三女神という等式が成り立つ系図が出来上がっているので
スサノオ×オオヒルメの娘=宗像三女神=スセリヒメ、という等式も自動的に成立してしまうのです。
私は、オシホミミはスサノオ様のダミーで、ニニギ尊はオオヒルメの孫ではなくて息子(ここは神代でも孫に皇位を譲った前例を作りたかった持統天皇の意向)だと推定しているので、その推定を組み合わせればスセリヒメとニニギは同母の兄妹or姉弟ということになります。
一緒に母の元で暮らしていれば、ヒメヒコ統治できる間柄です。
何なら、自動的に、謎の女神・神大市比売はオオヒルメになります。
確かに私は、神大市比売を通説のような『大きな市場の神』とは思っていませんでした。
市は市場の市じゃなくて、イチキシマヒメのイチでしょーよ。
イチキシマヒメという名は、玉依姫のように『斎(いつき)祀る姫』という巫女神であって、普通名詞に近いと思っていました。
何故なら、市杵島姫の別名は『サヨリヒメ』であり、ウガヤフキアエズの妻『タマヨリヒメ』と同じ性質だからです。
どちらも、神聖な御魂を降ろす巫女姫という意味です。
市杵島姫の『シマ』を考慮するなら、宗像のように島を御神体にして祀る巫女たちが、海の女神として信仰された神名なのだろうと。
ならば、『オオイチヒメ』は『オオイチキシマヒメ』の略称であろうと。
だったら…だったらですね。
今更気付いたんですけどね。
神大市比売って、大年と宇迦之御魂の母なんです。
神大市比売がオオヒルメなら、もうひとり息子ニニギが加わって、
大年=饒速日はニニギの兄だった。
という、私が今まで絶対コレ神話のこじつけだろ嘘くせーと思っていた設定そのものになってしまうのです。
大年=饒速日の方が兄ならば、末子相続の法則で、弟のニニギ尊のほうに分があります。
ついでに、スセリヒメは上記兄弟の姉か妹になるので。
スセリヒメが出雲の巫女王、饒速日が大和の王になった時点で、母神のオオヒルメは葦原中国は私の子供(スセリ&ニニギ)のもの!譲れ!!
と戦を仕掛けてくる《正当性》は一応有るのです。……
うわあああああこの説イヤだーーー!!
私はスセリヒメ様もクシナダヒメ様も推しなんだよ!!
スセリヒメ様はクシナダヒメ様の愛娘だと信じていたいんだよーーーー!!!
自分の考察が地雷とか、心から勘弁して欲しい。
神様、どうか私をお救いください……
ミホツヒメの子孫は語られていないし、既にミホススミという女神がいたので似た名前の女神を設定して打ち消そうと出してきたか、ミホススミ=ミホツヒメ=タカミムスビの娘で天津神だよ~という設定の為のダミーだという気もします。
何故なら、……ミホススミっていう女神、皆さん知ってます?
知っている人は地元民か神話ヲタかどっちかです。
ミホススミの名を葬るのが目的だったのなら、その目的は成功したと言えるでしょう。
オオヒルメも、イチキシマヒメを置いて去ったのではないでしょうか。
でも、この説を採ると…
私には、予てから、スセリヒメ=宗像三女神という等式が成り立つ系図が出来上がっているので
スサノオ×オオヒルメの娘=宗像三女神=スセリヒメ、という等式も自動的に成立してしまうのです。
私は、オシホミミはスサノオ様のダミーで、ニニギ尊はオオヒルメの孫ではなくて息子(ここは神代でも孫に皇位を譲った前例を作りたかった持統天皇の意向)だと推定しているので、その推定を組み合わせればスセリヒメとニニギは同母の兄妹or姉弟ということになります。
一緒に母の元で暮らしていれば、ヒメヒコ統治できる間柄です。
何なら、自動的に、謎の女神・神大市比売はオオヒルメになります。
確かに私は、神大市比売を通説のような『大きな市場の神』とは思っていませんでした。
市は市場の市じゃなくて、イチキシマヒメのイチでしょーよ。
イチキシマヒメという名は、玉依姫のように『斎(いつき)祀る姫』という巫女神であって、普通名詞に近いと思っていました。
何故なら、市杵島姫の別名は『サヨリヒメ』であり、ウガヤフキアエズの妻『タマヨリヒメ』と同じ性質だからです。
どちらも、神聖な御魂を降ろす巫女姫という意味です。
市杵島姫の『シマ』を考慮するなら、宗像のように島を御神体にして祀る巫女たちが、海の女神として信仰された神名なのだろうと。
ならば、『オオイチヒメ』は『オオイチキシマヒメ』の略称であろうと。
だったら…だったらですね。
今更気付いたんですけどね。
神大市比売って、大年と宇迦之御魂の母なんです。
神大市比売がオオヒルメなら、もうひとり息子ニニギが加わって、
大年=饒速日はニニギの兄だった。
という、私が今まで絶対コレ神話のこじつけだろ嘘くせーと思っていた設定そのものになってしまうのです。
大年=饒速日の方が兄ならば、末子相続の法則で、弟のニニギ尊のほうに分があります。
ついでに、スセリヒメは上記兄弟の姉か妹になるので。
スセリヒメが出雲の巫女王、饒速日が大和の王になった時点で、母神のオオヒルメは葦原中国は私の子供(スセリ&ニニギ)のもの!譲れ!!
と戦を仕掛けてくる《正当性》は一応有るのです。……
うわあああああこの説イヤだーーー!!
私はスセリヒメ様もクシナダヒメ様も推しなんだよ!!
スセリヒメ様はクシナダヒメ様の愛娘だと信じていたいんだよーーーー!!!
自分の考察が地雷とか、心から勘弁して欲しい。
神様、どうか私をお救いください……

2023.
01.
28
ここで思い出されるのが、八重垣神社の壁画です。
スサノオとクシナダヒメ、そして両親のアシナヅチ・テナヅチ夫婦。……という微笑ましい一家に加えて、何故か女神アマテラスとその娘イチキシマヒメ。
スサノオ様が困り顔のように見えるのは、検索画像がたまたまそう見えたのでしょうか。実物を見たことがないのでよく分かりません。
でも、クシナダヒメ様が何やら機嫌が悪そうだ、という感想は今まで何回か見かけたことがあります。
その微笑ましい一家に、スサノオ様が地方妻とその娘を連れて来たのです。
偉大なる出雲女王・クシナダヒメの目の前に、入婿の夫が図々しくも妾と庶子を連れ込んだという、クシナダ様がブチ切れてもおかしくないこんな場面を何で壁画にしたのか、私も絵描きですがサッパリ意味が分かりません。
私はスサノオ様を推してますが、クシナダ様は、スサノオ様をしばき倒して妾と庶子を追い出して塩を撒いてもいいと思います。(私はクシナダ様も推してる)
一夫多妻制?そんなの知るか。いつの時代の妻もその他大勢になりたくなんかないのよ。
男だってそうじゃろがい!!
……が、オオヒルメが出雲で暮らしたという話までは聞いたことがありません。
集められた地方妻が、ふるさとに帰る方法が唯一あったのではないでしょうか。
それは、産んだ子供を置いて去る、という手段です。
出来るなら、女児が望ましい。
母のふるさとで巫女になる(女王や女族長になる)権利を持つ女児ならば、人質としての価値は高いだろうし、成長したら征服者の一族の妻にしてしまえば征服し続ける《正当性》を主張出来るからです。
ヤガミヒメの子は、木の股に挟んで置いて行かれたことから木俣神(きまたのかみ)、井戸の神であることから御井神(みいのかみ)と呼ばれ、ストーリー上は性別不明なのですが、女神でしょう。
理由は、水神は女神のことが多い、というのに加えて、地下に向かう『窪み』の水神なら、尚更女神でしょう。
そして、井戸とは異界への入口です。
黄泉津大神となったイザナミ様とイメージが重なります。
オオナムチも『木の股をくぐって』根の国に辿り付いた。
そして、ヌナカワヒメは失われましたが、出雲国風土記に、ハッキリと出自が記述されたヌナカワヒメの御子神の名が残されています。
御穂須須美命(みほすすみのみこと)という、推定・女神様です。
※ 因みにタケミナカタと同一とかタケミナカタの幼名とか言う説もある。私は女神だと思いますが
島根半島の東端・美保関(みほのせき)と能登半島の北端・珠洲岬(すずみさき)、二つの岬を本拠地とする珍しい信仰の地主神です。
能登半島……ここから母・ヌナカワヒメが逃げたという伝説が痛ましいです…
スサノオとクシナダヒメ、そして両親のアシナヅチ・テナヅチ夫婦。……という微笑ましい一家に加えて、何故か女神アマテラスとその娘イチキシマヒメ。
スサノオ様が困り顔のように見えるのは、検索画像がたまたまそう見えたのでしょうか。実物を見たことがないのでよく分かりません。
でも、クシナダヒメ様が何やら機嫌が悪そうだ、という感想は今まで何回か見かけたことがあります。
その微笑ましい一家に、スサノオ様が地方妻とその娘を連れて来たのです。
偉大なる出雲女王・クシナダヒメの目の前に、入婿の夫が図々しくも妾と庶子を連れ込んだという、クシナダ様がブチ切れてもおかしくないこんな場面を何で壁画にしたのか、私も絵描きですがサッパリ意味が分かりません。
私はスサノオ様を推してますが、クシナダ様は、スサノオ様をしばき倒して妾と庶子を追い出して塩を撒いてもいいと思います。(私はクシナダ様も推してる)
一夫多妻制?そんなの知るか。いつの時代の妻もその他大勢になりたくなんかないのよ。
男だってそうじゃろがい!!
……が、オオヒルメが出雲で暮らしたという話までは聞いたことがありません。
集められた地方妻が、ふるさとに帰る方法が唯一あったのではないでしょうか。
それは、産んだ子供を置いて去る、という手段です。
出来るなら、女児が望ましい。
母のふるさとで巫女になる(女王や女族長になる)権利を持つ女児ならば、人質としての価値は高いだろうし、成長したら征服者の一族の妻にしてしまえば征服し続ける《正当性》を主張出来るからです。
ヤガミヒメの子は、木の股に挟んで置いて行かれたことから木俣神(きまたのかみ)、井戸の神であることから御井神(みいのかみ)と呼ばれ、ストーリー上は性別不明なのですが、女神でしょう。
理由は、水神は女神のことが多い、というのに加えて、地下に向かう『窪み』の水神なら、尚更女神でしょう。
そして、井戸とは異界への入口です。
黄泉津大神となったイザナミ様とイメージが重なります。
オオナムチも『木の股をくぐって』根の国に辿り付いた。
そして、ヌナカワヒメは失われましたが、出雲国風土記に、ハッキリと出自が記述されたヌナカワヒメの御子神の名が残されています。
御穂須須美命(みほすすみのみこと)という、推定・女神様です。
※ 因みにタケミナカタと同一とかタケミナカタの幼名とか言う説もある。私は女神だと思いますが
島根半島の東端・美保関(みほのせき)と能登半島の北端・珠洲岬(すずみさき)、二つの岬を本拠地とする珍しい信仰の地主神です。
能登半島……ここから母・ヌナカワヒメが逃げたという伝説が痛ましいです…

2023.
01.
27
ここでは同一説は脇に置いて、ヤガミヒメも正妻スセリヒメ様の宮にひとりでのこのこやって来たのではないということです。
大国主がヤガミヒメを因幡から連れてきたんです。
ヌナカワヒメの地元にはには悲劇の伝説があり、オオナムチから逃げて殺されたり自死したり、夫がいたが戦争になり殺されたりと、古事記のエロいロマンスとは程遠い状態なのですが、『能登半島まで来たところで逃げた』→『オオナムチが部下に追わせた』という具体的な伝承もある程度に、オオナムチはヌナカワヒメを伴って能登半島まで来たけれどもも、海路で出雲に帰還しようとした隙にヌナカワヒメは脱出して逃避行をした、という事だと思います。
ヌナカワヒメは翡翠の産地の姫です。
その翡翠がどのくらいすごいかというと、日本では翡翠が取れないというのが常識だったのに、古代に日本中で発掘される翡翠は全て同じ産地のものだという調査結果しか出ない。
新羅の王の冠も、翡翠がジャラジャラ付いていました。それも同じものです。
※ 結果的に、熱心な学者さんが探し続けてやっと糸魚川の産地を突き止めてくれました。現在は採掘禁止です
日本で唯一の翡翠の国の巫女姫が、その地を離れたい訳がない。
周囲の者たちも、貴重な翡翠の巫女姫を奪われる訳にはいかない。
ヌナカワヒメは奪われたし、そこから懸命に逃げたのです。
《八千矛》はヌナカワヒメを出雲に連れ帰る予定だった。でも叶わなかった。
でも、このストーリーが歴史を反映していたなら、ヌナカワヒメを得られなくても、越の翡翠の産地は大国主のものであり、そこまで勢力を拡大したということです。
その為の『妻まぎ』(妻を探しに旅出ること。八十神の最後尾をオオナムチが大きな袋を背負って歩いていたのは旅をする為)です。
《国譲り》という、出雲サイドにして見れば茶番でしかない言葉が残っているように、出来るだけ戦争を回避して、話し合いで巫女を差し出すクニやムラもあったでしょう。
地方豪族の娘が天皇に献上され采女と呼ばれましたが、そのように差し出されたこともあったかもしれません。
結果、大国主の妻達は皆出雲にいた。
スセリヒメじゃなくても面白くありません。どうせ、自分と同じ女系の娘でなければ女王になる権利は無いのに、政治王の子などそんなにたくさんいなくてもいいはずです。
でも、権力を握った男というのは数多くの女性を集めて自分の種を残したいものなのでしょうムカツクわ。
(つづく)
大国主がヤガミヒメを因幡から連れてきたんです。
ヌナカワヒメの地元にはには悲劇の伝説があり、オオナムチから逃げて殺されたり自死したり、夫がいたが戦争になり殺されたりと、古事記のエロいロマンスとは程遠い状態なのですが、『能登半島まで来たところで逃げた』→『オオナムチが部下に追わせた』という具体的な伝承もある程度に、オオナムチはヌナカワヒメを伴って能登半島まで来たけれどもも、海路で出雲に帰還しようとした隙にヌナカワヒメは脱出して逃避行をした、という事だと思います。
ヌナカワヒメは翡翠の産地の姫です。
その翡翠がどのくらいすごいかというと、日本では翡翠が取れないというのが常識だったのに、古代に日本中で発掘される翡翠は全て同じ産地のものだという調査結果しか出ない。
新羅の王の冠も、翡翠がジャラジャラ付いていました。それも同じものです。
※ 結果的に、熱心な学者さんが探し続けてやっと糸魚川の産地を突き止めてくれました。現在は採掘禁止です
日本で唯一の翡翠の国の巫女姫が、その地を離れたい訳がない。
周囲の者たちも、貴重な翡翠の巫女姫を奪われる訳にはいかない。
ヌナカワヒメは奪われたし、そこから懸命に逃げたのです。
《八千矛》はヌナカワヒメを出雲に連れ帰る予定だった。でも叶わなかった。
でも、このストーリーが歴史を反映していたなら、ヌナカワヒメを得られなくても、越の翡翠の産地は大国主のものであり、そこまで勢力を拡大したということです。
その為の『妻まぎ』(妻を探しに旅出ること。八十神の最後尾をオオナムチが大きな袋を背負って歩いていたのは旅をする為)です。
《国譲り》という、出雲サイドにして見れば茶番でしかない言葉が残っているように、出来るだけ戦争を回避して、話し合いで巫女を差し出すクニやムラもあったでしょう。
地方豪族の娘が天皇に献上され采女と呼ばれましたが、そのように差し出されたこともあったかもしれません。
結果、大国主の妻達は皆出雲にいた。
スセリヒメじゃなくても面白くありません。どうせ、自分と同じ女系の娘でなければ女王になる権利は無いのに、政治王の子などそんなにたくさんいなくてもいいはずです。
でも、権力を握った男というのは数多くの女性を集めて自分の種を残したいものなのでしょうムカツクわ。
(つづく)

2023.
01.
26
私がかねてから気になっていたのは、大国主が何人の姫を妻にしたところで、遠距離結婚ではその姫が産んだ子供が自分の子であると、どうやって納得するんでしょうか?ということです。
結果的に特定の女性が寵姫になりふたりでイチャイチャならほぼ間違いないのでしょうが、元々政略結婚なんですから色っぽい歌を贈り合ったところで動機は打算です。
伝えられているだけでも大国主を振った女は2人いる(ヌナカワヒメの地元伝承を入れると3人になる)んだし、大国主の方が力が強かったので嫌々ながら妻問いに応じた姫もいたことでしょう。
その、嫌々ながらの姫は、遠距離結婚の夫がいない間、本命の男と子を設けるなんて、簡単に出来てしまうはずです。
……遠距離じゃ、なかったとしたら?
私は、以前ヤガミヒメを気の毒に思いつつも、どうも無神経で軽率な姫という印象が拭えませんでした。
そもそも、密やかにオオナムチの妻問いに応じて夜の間に致してしまえば結婚成立でしょうに、何で八十神の前でズバッと「私はあなた達の言うことは聞きません。オオナムチの妻になります!」とか言っちゃったかなー。
そんな派手なことをやらかした所為で、オオナムチは命の危機です。
そして、2度も死んで2度生き返るも、それでもなお兄神達が殺意満々で紀国まで追いかけてくるので、大屋毘古は自分じゃどうしようもないと大己貴は根の国に贈られて、そこで更にスサノオ様から殺意満々の試練を3度も仕掛けられるのです。
オオナムチが根の国から出雲に脱出すると、妊娠したヤガミヒメは大国主の元に向うのですが、そこに待ち受けていたのはギリシャ神話のヘラの如くに強烈に美しく強烈に嫉妬深い正妻様。
これ、いかにもスセリヒメが悪くてヤガミヒメが可哀想みたいに言われてますが、スサノオ様ご指定愛の巣・宇迦の宮に別の妻が孕んでノコノコやって来たら、正妻はブチ切れる権利があると言うものです。
況してや、大国主(オオナムチ)は入婿という身分です。
出雲の巫女王・スセリヒメ様の方が大国主よりも格上です。
怒りはヤガミヒメだけではなく当然に大国主にも向って
「何を勝手に妾と子供を作っていらっしゃるの…?離婚して政治王の椅子から蹴飛ばして差し上げても良くってよ」
とか、素晴らしい目力で言って下さったなら最高ですスセリヒメ様。
ヤガミヒメは生まれた子を『木の股に挟んで』自分だけ因幡に帰るという謎の行動を取るのですが、まさかクニャクニャの新生児を置いて行ったとも思えませんし、個人差はありますが産婦が旅に出るほど体調が回復するには数ヶ月かかるでしょう。
ヤガミヒメは、結局は妊娠期間~出産~産後何ヶ月かの、案外長い間出雲に滞在していたことになります。
まあ、実は今の私の脳内をネタバレしますと、ヤガミヒメ=スセリヒメなのですが、この話はまた別の機会に。
でも、ヤガミヒメの名で上記のようなストーリーが作られたという事は、古代では遠距離結婚などしていなかった、という証拠にはなると思うのです。
つまり、大国主は各地の有力者の娘を娶り、自分の拠点まで連れてきていた。
考えてみれば、遠距離では姫を手に入れても継続して通い子を産ませることは困難ですから、自分の傍に連れてくるのです。
これならば、嫁入り風味だけど通い婚、という形で複数の妻を確保出来ます。
播磨国風土記に、どういう訳か伊和大神(大国主とされている)がコノハナサクヤヒメを娶った(ニニギの妻とは別ということになっているけど、私はこんな美称が付くほどの美女がふたりいるとは思えない)とかいう話があり、それにまつわる地名も記述されています。
ということは、伊和大神は、コノハナサクヤヒメを連れてきたんです。
本拠地に囲う為に。
(つづく)
結果的に特定の女性が寵姫になりふたりでイチャイチャならほぼ間違いないのでしょうが、元々政略結婚なんですから色っぽい歌を贈り合ったところで動機は打算です。
伝えられているだけでも大国主を振った女は2人いる(ヌナカワヒメの地元伝承を入れると3人になる)んだし、大国主の方が力が強かったので嫌々ながら妻問いに応じた姫もいたことでしょう。
その、嫌々ながらの姫は、遠距離結婚の夫がいない間、本命の男と子を設けるなんて、簡単に出来てしまうはずです。
……遠距離じゃ、なかったとしたら?
私は、以前ヤガミヒメを気の毒に思いつつも、どうも無神経で軽率な姫という印象が拭えませんでした。
そもそも、密やかにオオナムチの妻問いに応じて夜の間に致してしまえば結婚成立でしょうに、何で八十神の前でズバッと「私はあなた達の言うことは聞きません。オオナムチの妻になります!」とか言っちゃったかなー。
そんな派手なことをやらかした所為で、オオナムチは命の危機です。
そして、2度も死んで2度生き返るも、それでもなお兄神達が殺意満々で紀国まで追いかけてくるので、大屋毘古は自分じゃどうしようもないと大己貴は根の国に贈られて、そこで更にスサノオ様から殺意満々の試練を3度も仕掛けられるのです。
オオナムチが根の国から出雲に脱出すると、妊娠したヤガミヒメは大国主の元に向うのですが、そこに待ち受けていたのはギリシャ神話のヘラの如くに強烈に美しく強烈に嫉妬深い正妻様。
これ、いかにもスセリヒメが悪くてヤガミヒメが可哀想みたいに言われてますが、スサノオ様ご指定愛の巣・宇迦の宮に別の妻が孕んでノコノコやって来たら、正妻はブチ切れる権利があると言うものです。
況してや、大国主(オオナムチ)は入婿という身分です。
出雲の巫女王・スセリヒメ様の方が大国主よりも格上です。
怒りはヤガミヒメだけではなく当然に大国主にも向って
「何を勝手に妾と子供を作っていらっしゃるの…?離婚して政治王の椅子から蹴飛ばして差し上げても良くってよ」
とか、素晴らしい目力で言って下さったなら最高ですスセリヒメ様。
ヤガミヒメは生まれた子を『木の股に挟んで』自分だけ因幡に帰るという謎の行動を取るのですが、まさかクニャクニャの新生児を置いて行ったとも思えませんし、個人差はありますが産婦が旅に出るほど体調が回復するには数ヶ月かかるでしょう。
ヤガミヒメは、結局は妊娠期間~出産~産後何ヶ月かの、案外長い間出雲に滞在していたことになります。
まあ、実は今の私の脳内をネタバレしますと、ヤガミヒメ=スセリヒメなのですが、この話はまた別の機会に。
でも、ヤガミヒメの名で上記のようなストーリーが作られたという事は、古代では遠距離結婚などしていなかった、という証拠にはなると思うのです。
つまり、大国主は各地の有力者の娘を娶り、自分の拠点まで連れてきていた。
考えてみれば、遠距離では姫を手に入れても継続して通い子を産ませることは困難ですから、自分の傍に連れてくるのです。
これならば、嫁入り風味だけど通い婚、という形で複数の妻を確保出来ます。
播磨国風土記に、どういう訳か伊和大神(大国主とされている)がコノハナサクヤヒメを娶った(ニニギの妻とは別ということになっているけど、私はこんな美称が付くほどの美女がふたりいるとは思えない)とかいう話があり、それにまつわる地名も記述されています。
ということは、伊和大神は、コノハナサクヤヒメを連れてきたんです。
本拠地に囲う為に。
(つづく)

2023.
01.
25
大国主は、大袈裟であるにしてもどうして180人とか181人とか子を設けることが出来たのか?
当然に、それは妻の数も多いからです。
大袈裟でなく、本当に180人くらいいたとしたら、妻神も最低20人は必要でしょう。
少なくない!?と思われそうですが、この時代は避妊なんてありません。
不妊症の女性もいる一方で(スセリヒメは子が記されていない為、子供なしとされることも多い)、多産の人は多産です。
オオトシ妃・天知迦流美豆比売(あめしるかるみずひめ/あめちかるみずひめ)の御子神は十柱です。
多いと思ったひとは甘い。
リアルでも、天皇の妃になった蘇我氏の娘で13人の御子を産んでいます。
余程寵愛を受けていたとも言えますが、そのくらい産める(というか孕んでしまう)女性もいる。
近い時代では与謝野晶子が11人産んでいます。(妊娠回数としては12回)
舞台で与謝野晶子を演じた女優さんが「いつも妊婦だった」というくらい、子宮と卵巣が機能している間は子が宿るのです。
でも、神話は何かと数を盛りますので、確実に実在した時代の子沢山の天皇の妻と子の数を見てみたのですが、4~6人の妻との間に10数人から20人くらいの子を設けているようです。
大国主もその程度が最大値ではないでしょうか。
大国主、という言い方を私が使うのは、神話上のオオナムチのエピソードとスサノオ様のエピソードが、一部被っていると思うからです。
大国主自体は、お上が古事記を記すに当たって、新しい名前を創作して与えたんじゃないか?と思います。
何でそんな事をするかというと、大物主や事代主とゴチャゴチャするように、真相を誤魔化す為だったのではないかと推測します。
或いは、オオナムチが祟り神なので、大国主という偉そうな讃え名を付けてみたとか。
…という様々な事情はさておいて、古事記によると、大国主は因幡のヤガミヒメ、越のヌナカワヒメに妻問いする話が出て来ます。
嫡妻スセリヒメの場合は、妻問いが目的ではなく、八十神に追われているから助けて欲しいとスサノオ様に助けを求めに来たつもりが、美女と出会ってお互いに一目惚れしてしまったので、速攻いたしてしまった、という手の早すぎる男。そりゃスサノオパパ怒るわ。
正確には、ヤガミヒメとスセリヒメに出会った時には「オオナムチ」で、ヌナカワヒメに妻問いするときには何故か「八千矛」です。大国主の名はどこいったよ。
因みに、出雲国風土記では、ある女神に求婚するも、その女神は嫌がって山から山へと逃げ続け(それでも追い掛け続けた大国主キモイ。つか普通に怖い)、終には《黄泉国に隠れてしまった》…という謎の女神・綾門日女(あやとひめ/カミムスビの娘)がいらっしゃいます。
その時の名前は、所造天下大神命(あめのしたつくらししおおかみ)です。
※ 出雲風土記では大国主の名は出て来ません。
そして、播磨国風土記でも、安師比売神(あなしひめ)が伊和大神(オオナムチと推定される)が求婚を断らたので 激怒して川の上流に石を置いて、3方向の里へと水を分配したので この川(安志川/林田川)は 水量が少なくなってしまいましたと記されています。
何その逆ギレ!?女は100パー引くわ。
つまり、スセリヒメが一目惚れするほどのイケメンだと我々は思わされていますが(スサノオ様が言った『醜男/しこお』は不細工という意味ではありません。『醜名』と同じで強い男という意味(=スサノオ様の予言or嫌味orプレッシャーかけてる)、実績としては大国主ってさほどモテてない。
ひょっとしたら、断られないのが当たり前だったので、『意外にも振られた話』が伝承として残ったのかもしれませんが
「何だと…!?この俺のプロポーズを断る女がいるとは…!!」
とかいうナルシストキャラって、神話に出てくるほど古代から定型だったのか思うと何やら感慨深いです。
(つづく)
当然に、それは妻の数も多いからです。
大袈裟でなく、本当に180人くらいいたとしたら、妻神も最低20人は必要でしょう。
少なくない!?と思われそうですが、この時代は避妊なんてありません。
不妊症の女性もいる一方で(スセリヒメは子が記されていない為、子供なしとされることも多い)、多産の人は多産です。
オオトシ妃・天知迦流美豆比売(あめしるかるみずひめ/あめちかるみずひめ)の御子神は十柱です。
多いと思ったひとは甘い。
リアルでも、天皇の妃になった蘇我氏の娘で13人の御子を産んでいます。
余程寵愛を受けていたとも言えますが、そのくらい産める(というか孕んでしまう)女性もいる。
近い時代では与謝野晶子が11人産んでいます。(妊娠回数としては12回)
舞台で与謝野晶子を演じた女優さんが「いつも妊婦だった」というくらい、子宮と卵巣が機能している間は子が宿るのです。
でも、神話は何かと数を盛りますので、確実に実在した時代の子沢山の天皇の妻と子の数を見てみたのですが、4~6人の妻との間に10数人から20人くらいの子を設けているようです。
大国主もその程度が最大値ではないでしょうか。
大国主、という言い方を私が使うのは、神話上のオオナムチのエピソードとスサノオ様のエピソードが、一部被っていると思うからです。
大国主自体は、お上が古事記を記すに当たって、新しい名前を創作して与えたんじゃないか?と思います。
何でそんな事をするかというと、大物主や事代主とゴチャゴチャするように、真相を誤魔化す為だったのではないかと推測します。
或いは、オオナムチが祟り神なので、大国主という偉そうな讃え名を付けてみたとか。
…という様々な事情はさておいて、古事記によると、大国主は因幡のヤガミヒメ、越のヌナカワヒメに妻問いする話が出て来ます。
嫡妻スセリヒメの場合は、妻問いが目的ではなく、八十神に追われているから助けて欲しいとスサノオ様に助けを求めに来たつもりが、美女と出会ってお互いに一目惚れしてしまったので、速攻いたしてしまった、という手の早すぎる男。そりゃスサノオパパ怒るわ。
正確には、ヤガミヒメとスセリヒメに出会った時には「オオナムチ」で、ヌナカワヒメに妻問いするときには何故か「八千矛」です。大国主の名はどこいったよ。
因みに、出雲国風土記では、ある女神に求婚するも、その女神は嫌がって山から山へと逃げ続け(それでも追い掛け続けた大国主キモイ。つか普通に怖い)、終には《黄泉国に隠れてしまった》…という謎の女神・綾門日女(あやとひめ/カミムスビの娘)がいらっしゃいます。
その時の名前は、所造天下大神命(あめのしたつくらししおおかみ)です。
※ 出雲風土記では大国主の名は出て来ません。
そして、播磨国風土記でも、安師比売神(あなしひめ)が伊和大神(オオナムチと推定される)が求婚を断らたので 激怒して川の上流に石を置いて、3方向の里へと水を分配したので この川(安志川/林田川)は 水量が少なくなってしまいましたと記されています。
何その逆ギレ!?女は100パー引くわ。
つまり、スセリヒメが一目惚れするほどのイケメンだと我々は思わされていますが(スサノオ様が言った『醜男/しこお』は不細工という意味ではありません。『醜名』と同じで強い男という意味(=スサノオ様の予言or嫌味orプレッシャーかけてる)、実績としては大国主ってさほどモテてない。
ひょっとしたら、断られないのが当たり前だったので、『意外にも振られた話』が伝承として残ったのかもしれませんが
「何だと…!?この俺のプロポーズを断る女がいるとは…!!」
とかいうナルシストキャラって、神話に出てくるほど古代から定型だったのか思うと何やら感慨深いです。
(つづく)
