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2021. 02. 11  
私が古代史や古代神話を調べるに当たって、重要な役割を持つのが『蛇』だということはすぐに気が付いた。
ぶっちゃけ、日本は蛇信仰の国なのである。

出雲では浜に打ち上げられるセグロウミヘビは毒蛇だというのに神の使い、或いは神であり、山はとぐろを巻いた蛇の姿であり、出雲大社第82代宮司の記した本によると、ヤマタノオロチとは荒ぶる斐伊川であり、ヤマトノオロチを斬った剣も蛇、といった具合に、何だかもうとにかく蛇だらけ。

「蛇」がいつから「へび」という名になったのか、私は知らない。
だが、「へび」の一段階前は「へ」であり、だからヘビ年は巳(み)年という。

古代、蛇は「ハハ」とか「カカ」とか言われていたらしい。
どちらが先か、それも私は知らないが、「ハ」と「カ」は転訛する音である。

「川/かわ」の語源は、「カハ」であり、更に遡れば「カカ」か「ハハ」のどちらかなのだろう。
須佐之男命がヤマタノオロチを切った剣の名は「天羽々斬」(あめのははきり/あめのはばきり)であり、濁点が付くこともある。

で、私は最近暇つぶしにネット怪談を読んでいたのだけれども、なかなか面白いなと思ったのが、表題の

カガ(蛇)様

と呼ばれる怪談である。
設定は、日本のとある田舎の集落が独自に祀る神という良くあるパターンであるし、元々が2chに投稿された話なので、事実なのか創作なのか判らない。

というか、当時の2chの価値観で言えば、嘘の創作であっても上手に騙してくれるならそれも一興という楽しみ方をするものであるので、どっちでもいいんである。

話自体は創作かもしれないが、私は蛇神をカガ様と呼んでいる所に、一抹の信憑性を感じた。
怪談自体は嘘であっても、蛇神をカガと呼んでいる場所があるorあった事自体は本当なのではないかと。

田舎は都会よりも多く古語を残しているものだ。
方言と思っていた言葉が実は古語、というのはよくあるパターンである。

さて、この話は本当なのだろうか?
リンクを貼っておく。

怪談:カガ(蛇)様

2020. 01. 23  
父は、酒呑み運転、恐らく居眠り運転の、交通事故死、だった。

シートベルト着用が義務づけられて数年経っていたけれども、これも飲酒運転同様、危機感もなく無視していた人も多かった。
免許取り立ての私は「危ないからしなよ」と言ったのだけれども、父は窮屈だからとベルトを締めることはなかった。

車のエアバッグも一般的ではなく。
だから。父は。即死、だった。

早朝の自損事故で、他人を巻き込まなかっただけまだよかったのだと、私は動揺する自分に言い聞かせながら、ハッと思い出したのだった。

いつか…

いつか、事故に遭うわよ……


ぞわりとした。
偶然?それとも、
また、あのランダムな母の言霊が、発動した……?

偶然だと、私はぶんぶんと頭を振った。

多分、母が何も言わなくても、父はいつこういう死に方をしても仕方の無い生活をしていたのだから。

それに、父はあまり長生きをする人じゃないだろうと、私は漠然と思っていた。
例えば、不自由な体でベッドの上に横たわり、痩せ細った老人になって死んでゆくなんていうのは、全くあの人らしくないことだった。

太く短く生きて、打ち上げ花火のように派手に散って終わるのが似つかわしい。そんな人だったのだから……

そして、時は過ぎ、私はさっさと薄情な母と共依存の妹と縁を切りたかったのだが、結婚資金を貯めるために独り暮らしはせずに実家で我慢して生活していた。
そして見事、自費で結婚式を挙げて披露宴もやった。当然に、

母は1円たりとも出費していない。
(費用は夫と割り勘だったのだが、お前のお金は新生活に使いなさいと、義両親が殆ど出した)

そんな母とは、結婚を機にスッパリ縁を切りたかったのだが、何を思ったのか母は時折ふらりと新居に現れて、私の夫が淹れたコーヒーを飲みながら、一方的に何か話しては、気が済むと帰っていった。(同じ市内だったので簡単に来る事が出来た)

夫の会社は住居に支援金が出るので、その範囲内のアパートで暮らしていたのだが、その支援金が5年間の期限付であったのと、2人目のこどもも産まれて歩き回るようになり手狭に感じてきたこともあって、中古物件を買って移り住むことになった。

古い家だが注文住宅で、ある大工さんがかなり気合いを入れて作ったのだという家は、なかなかによい造りだった。
その割に値段が安め設定だったのは、近所の環境に問題があったからなのは、明らかだった。

つまり、斜め向かいの家に引きこもりの息子がいて、暴れたり暴力を振るったりするので母親は実家に避難、父親はその家に留まるも、比較的新しそうな立派な家なのに窓硝子は割れたまま、障子はビリビリに破れたまま、真冬だというのに修理もしていなかった。

まあ、外に出て来ないから引きこもりなのであって、大丈夫だろうと私と夫はその家に決めたのだが、そこにもふらりと母は現れた。
そして、斜め向かいの家を見て、ずけずけと「いやあねぇ」と、これは心からイヤそうに言ってくれた。

それから、2週間ほど経った頃だろうか。
夜中に、私はサイレンの音で目が覚めた。かなり近いと思って、夫とふたりで庭に出ると、件の荒れ果てた家が、ゴウゴウと炎と煙を出して燃えていたのだった。
かなり勢いよく燃えていたのだが、風がなかったので被害はその家だけで済んだし、暴れて偶然火事のきっかけを作ってしまった息子もその父親も怪我もなく無事だったのが、せめてもの救いだろうか。

しばらくして、また母がふらりと現れた。
「あら…あの荒れた家、無くなっちゃったの?」
「そうだよ。気の毒に、火事があってね」
「そう…、よかった」

母は、うふふと笑った。

「よかったわぁ。私、あんな気味の悪い家、火事で燃えちゃえばいいのにって思っていたのよ。うふふふふ…」

ぞわりと、した。

少々問題ありとはいえ、不幸にも住まいが燃えて無くなってしまった人達がいるのに、嬉しそうに、笑うのか?
引きこもりという噂の兄さんは、近所のコンビニくらいには出て行くらしくて、隣の空き地で自分はカップ焼きそばを食べながら、群がってくる野良猫に餌をやっている、案外素朴で、少し寂しそうな青年だった。
そうと知っているから、彼のお父さんは何処にも逃げずに、あの荒れ果てた家で共に暮らしていたのだろう。

そして…
この女は、一体何ものだ……?

あんな危険そうな家、なくなればいいのにという漠然とした発想や、引っ越してくれればいいのに、辺りの穏便な発想ではなく。
母は具体的に《火事》を望んで、多分実際に口にしたことがあるのだ。

母の言葉はそのままに、実際にひとつの家を全焼させる言霊となったのだ。

あれから@@年、歳をとってフットワークが重くなったのか、母と我が家が顔を合わせるのは、ワンシーズンに1回くらいに減った。
私は思う。

母よ…もう、何も言わないでくれ。
2020. 01. 22  
私の母は、奇妙な女だ。
どこか、他の人間とは違う。ズレがある。

例えば、母曰く、父とは《何となく》付き合い始めたのだが(敢えて言うなら、父が熱心で押しまくったらしい)、デートには常に遅刻して現れ、父曰く『先に着くのはいつもオレだった』

そして、いつも30分~2時間遅刻したあげく(母曰く、「だって、当日になると行きたくなくなるんだもの」)、イライラを押し殺した父が、「そのバッグいいね」と褒めると、母は淡々と

「うん。@@君から貰ったの」

答え、流石にブチ切れた父が、鞄を取り上げ噴水に投げ込んだそうである。
つか、そんな女とは別れろよmy父よ……と思ったものだが、余程惚れていたのだろう、父は母を嫁にすることに成功した。

母が私に語る所に寄ると、
「紙切れ1枚に判を押すだけの関係だから、いつでも解消できると思って」

……その話は、実の娘にしていい話なのか?

そんな母は、基本的に私には冷たく、妹ばかりを可愛がった。
私は自分の意見をハッキリ言うタイプだったので、鬱陶しかったのだろう。
対して、おとなしい妹は何でも母の言うとおりにしたから、母を不快にさせることがなかったのだろう。

だが、長ずるにつれて、私は思うようになった。逆もまた真なりだったのではないか?と。
母は、露骨に妹を贔屓していたけれども、単に思い通りになるから、
不快にさせないから、お人形のように気に入っていただけで、

妹を愛していたのとは、違うのではないか……?

今思い出すと、ジワジワと薄ら寒くなるような、家庭内ホラーである

しかし、実は、もっとホラーなことがあった。
死んだばあちゃんが、「幽霊なんぞ怖くもない。本当に怖いのは、生きている人間だ」と言っていたように。

父は、押しまくって母を手に入れた程度に、激しい男だった。
ボーッと父の言う通りにする母と、萎縮して無抵抗の妹には手を出さなかったが、自分自身が納得しなければNoという娘だった私には、殴る蹴るの暴力を振るう父親だった。

父は中学時代はバレーボール部で活躍し、高校時代は水泳部で、県大会でバタフライ第2位の男であったからして、腕力も脚力もハンパない。
小柄な子供だった私なんて、父の一発で部屋の端から端まで簡単に吹っ飛んだ。

私はボコボコにボコられながら、「ああ今日こそ私、死ぬかもなぁ…」と思ったことが何度もある。
日常のことなので、私は感覚が麻痺していたのか、痛みや恐怖は不思議なくらいに覚えていない。
ただ無感動に、「私死ぬのか…あっけないなぁ…」等と思っていたことを覚えている。

だが、実はそれ以上に鮮明に憶えていることがあるのだ。
その、家庭内暴力現場に、母も居たんである。

子供心にも、不思議だった。母がその様子を、黙って見ているだけだということが。
普通、ちょっとくらい気に入らなくても、我が子がボコられていたら体を張って止めに入らないか?

母は、無表情に、私を見下ろしていた。
私は、母に庇って貰ったことも、守って貰ったことも、一度たりとも無い。

私は3児の母になり、「不思議だった」が「不気味だ」にバージョンアップした。
あの女は、本当に母親か?否、母云々の前に、本当に、人間なのだろうか……?

私は、自分の子供が暴力を受けていたら、迷わず身を挺して庇うと言い切れる。
子供に「逃げろ」と叫び、「殺すなら私を殺せ!!」と怒鳴るだろう。
※ これを書いていて、あ、普通は「やめて!」とか言うのか?と思い付いた程度に、私は私で父の激しさを継いだファイヤーな女なのだろう

まあ、私は穏やかな家庭を築くのが夢だった、というより執念の如き願いであったので、結婚相手にはとても穏やかな現在の夫をチョイスしたのだから、そんな修羅場は我が家には有り得ないのだが。

そして、私は子供の頃、『どうして登校拒否が成立するのか?』とても不思議だった。(当時は不登校を登校拒否と言うのが一般的だった)

私が小学生の頃、転校先の学校でイジメの標的にされて、泣きながら学校に行きたくないと訴えたのに、スパルタな父は私を車の座席に投げ込んで、無理矢理学校に連れて行った。

母は、それも黙って見ていた。
因みに、父は学校に対してもワイルドな男で、

「オレの娘を泣かせるんじゃねえバーロー!!」

と職員室に怒鳴り込んだ。
その程度に、父は暴力を振るっても、私には不器用な愛情を持っていたと思う。

一方母は、私のイジメに対して、何の関心も示さなかった。父のいない場で私が泣いて訴えても、無表情に聞き流すだけで、本当に何もしなかった。

サイコパスかよまじで。

そんな、じわじわ来る感じの家庭内ホラー母は、悪人かどうかは不明だが、善人ではないことは間違いがない。

だが、母は明らかに、何かの力に守られているような女なのだ。

例えば、母はそそっかしい女で、呆れるほどしょっちゅう落とし物をする。
家の鍵、財布、銀行のカード、定期券、傘、等々。でも、それらは

必ず善意の誰かに見つけられて、必ず母の元に戻ってくる。

私は、ホラーな家庭で暴力を振るわれて育った割には、母より真人間だと思うのだが、上記のものは無くしてしまえば戻ってくる確率なんて体感として3割以下だ。

何なんだ、この現象?やたら強い守護霊でもついているのだろうか?

そして、母の特技(?)はこれだけではない。
母が言う言葉は、ランダムに現実化するのだ。

言うこと全てがそうなる訳ではないのだが、まさかそんなことはあるまいと思うような事が現実になるので、時折ぎょっとさせられたものだ。

色々あるが、一番強烈で、私が一生忘れられないであろうことは、これだ。
バブル期に不動産営業という仕事をしていた父は、歩合制であったので給料が月80万を超えるのがザラであったらしく(強引な男なので営業職は天職だったのだろう)、夜な夜な飲みに行っては朝帰りだった。
因みに、稼ぎの多くは父の個人的な散財で消えていたので、母・私・妹は変わらず貧乏生活のままだった。

当時は、酒呑み運転に寛容な、今思えば恐ろしい時代で、人を轢き殺しても執行猶予付で数年という実質無罪判決になり、罪悪感の欠片も無くアルコール臭い息で車を運転している人間がかなりいて、父もそうだった。

母はよく言っていた。
「こんな生活をしてたら、いつか事故に遭うわよ」

何度も言っていた。
何度も、何度も。

いつか、事故に遭うわよ……

サイコパスなりに父を心配していたのか、単に朝帰りが気に入らなかったのか知らないが(これは愛人がいるなーと、私は私で淡々と察していたのだが、ワンマンな父が何をやらかそうと今更なのでスルーしていた)、母は何度も、壊れたロボットのように繰り返していた。

いつか、事故に……

ある日の早朝、電話がかかってきた。
その時、私は、どうしようもない、胸騒ぎが、した。

父が、死んだ。

(つづく)
プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
ホlツlマlツタヱ・富l家l伝承・徐l福l伝l承・日lユl同l祖l論・アlイlヌl先l住l民族説お断り。

定義山西方寺を崇敬。秋篠宮家と伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。
透明水彩絵師。

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