2023.
01.
30
まずは、筆者のあとがきより引用させて頂きます。
>私の乏しい読書量で言うのも気が引ける が、これまで読んできたさまざま な『古事記』に関する著作 から、磯わたる風の香や、潮騒の響きを感じたことは、多くはない。
>『古事記』で語られている神話は、どの角度からアプローチするにしても、海からの視点抜きには見えてこない。そうした思いから、核になるポイントのいくつかに焦点を当てて本書を書いた。(引用終わり)
そして、この著者に乏しい読書量とか言われると、私の立つ瀬など何処にもありません。
どにかく、この本は情報量がすごいです。
私が知らなかった日本の神話、伝承が、これでもかこれでもかと書き連ねてあります。
読書量もさることながら、相当のフットワークと情熱をお持ちなのだと推察します。
かといって、古事記専門の方でもないんです。
思うよりずいぶん著作の傾向にばらけていて、絶対この人は本の虫だし好奇心も旺盛でだからと言って延々と机上で作業を続けるばかりの人でもない。
頭がいい人って、成績を上げようと頑張っている人、とは限らないんですよ。
というか、私の友人で学問の道へ行った人は、当たり前ですがめっちゃ勉強や研究が好きです。
特に勉強が好きな訳じゃないのに、親が自分の子供が成績上位でなければ気が済まなかったので、とにかくギリギリ旧帝大に滑り込むまでは勉強という苦行にたえ続けた私とは、全く違う人達。
羨ましいです。好奇心が旺盛であることは、その人の人生を豊かで楽しいものにするのですから。
さて、この本を読み終わって最初に思ったことは、
『……もう一度読み返そう……』
…でした。
だって、新しい情報のオンパレードなので、私レベルの脳内情報では理解と記憶が追い着いていかないのです。ついていけなくても興味があるのなら又読み返すしかありません。
私の興味とは、ズバリ《海人族》です。
もっと言えば、縄文時代から活躍していた海人族を理解する為に、海人族の神話を知りたいのです。
何故、海人族なのか。
現在にあっても、日本は7割産地の国です。
実は国土面積は案外ある(ヨーロッパと重ねてみると、南欧から北欧まで及ぶ)日本ですが、長細いので平野が少ない『でっかい島』であって、島なんですから周りは海に囲まれています。
近所に似た単語を持つ地域・民族はあっても、孤立したがラバゴス言語になってしまった程度に、日本は大規模な民族移動とは無縁な島国でした。
古代の平野は今よりずっと少なかったはずです。平野は土砂が堆積して出来る物だからです。
関東平野は、家康が灌漑を推し進める前はぐちゃぐちゃとした結構どーしよーもない土地でした。
規模は小さくなりますが、仙台平野もそうです。
豊臣秀吉が伊達政宗公に与えたのは嫌がらせでしょう。でも、政宗公は水路を巡らせて城下町から余計な水を排出し、湿地を広大な米所にして江戸に集まる米の3割は仙台藩のものにした。
そんな、山と海しかないような日本で、どんな人々が活発に生きていたのかというと、海を自由自在に渡る海人たちです。
山がちの国土は陸路を開発維持するのは非常に難しく、海路が王道だった時代が、日本は長く続きました。
なのに、記紀神話を読むと、農耕神ばっかり出てくるのです。
もう、神名に『穂』とか『火』とか『いね』『いな』とか付いてる神様多過ぎる。
何でここに『火』が出て来るかというと、古代日本の人々は、ありとあらゆる命に『火』が宿っていると考えていたからです。
イザナギが斬り捨てたカグツチ神の血や死体から数多くの神が産まれたように。
なんなら水神さえ火の神カグツチの血から生まれているほどに。
だから、『火』が付いても火の神や太陽神とは限らない。
日本書紀で別名火産霊(ほむすび)と呼ばれるように、作物の生命力や豊かな実りを表す神々が、ホント多い。
ちょっと待て。
日本は農耕がメインの国じゃないじゃろがい!!
昭和の時代さえ、港町の人達はめっちゃ魚食べてました。
当然お米は食べますが、ここの人達体の8割くらい魚で構成されてるだろ、とか余所者の私には異様に見えるほどに魚を食べる人々でした。
今は、港町はすっかり寂れて、漁業に従事する人も減り、漁獲量も減りました。
……が。ほんの4,50年前まで、日本は確かに漁業が栄えている国だったのです。
海を渡るのに飛行機が一般化するまでは、人は海路で移動していたのです。
海路しかないじゃないですか日本なんだから。
だから、私も藤巻氏のように、神話で海の神達が活躍せずに、重要とされる神々が火火火稲稲稲なのが、どうにも納得出来なくて、海人族に関する本を読んだのです。
スサノオ様が、う@こ食わせられたと激怒してぶった切ったオオゲツヒメの死体から発生したのは、様々な穀類や豆の種、そして蚕でした。
農耕民の発想で、農耕民の神話です。
ツクヨミもウケモチ神のゲロを食べさせられましたが、ウケモチはかろうじて海の幸もゲロっていたのでこちらの方がまだ幾分《磯の香り》が残る神話です。
とにかく、古事記には海の神が足りない。
特に、数多存在した《海人族の太陽神》たちは、敗北して去ったり、登場しても太陽属性を奪われていたり、そもそも古事記の神話からは弾かれている。
そういう神々と、輝く海と、海風の匂いを届けてくれる一冊です。
以前紹介した『アユノカゼの文化史 ―出雲王権と海人文化―』(室山敏明 著) と共にお勧めしたい本です。
>私の乏しい読書量で言うのも気が引ける が、これまで読んできたさまざま な『古事記』に関する著作 から、磯わたる風の香や、潮騒の響きを感じたことは、多くはない。
>『古事記』で語られている神話は、どの角度からアプローチするにしても、海からの視点抜きには見えてこない。そうした思いから、核になるポイントのいくつかに焦点を当てて本書を書いた。(引用終わり)
そして、この著者に乏しい読書量とか言われると、私の立つ瀬など何処にもありません。
どにかく、この本は情報量がすごいです。
私が知らなかった日本の神話、伝承が、これでもかこれでもかと書き連ねてあります。
読書量もさることながら、相当のフットワークと情熱をお持ちなのだと推察します。
かといって、古事記専門の方でもないんです。
思うよりずいぶん著作の傾向にばらけていて、絶対この人は本の虫だし好奇心も旺盛でだからと言って延々と机上で作業を続けるばかりの人でもない。
頭がいい人って、成績を上げようと頑張っている人、とは限らないんですよ。
というか、私の友人で学問の道へ行った人は、当たり前ですがめっちゃ勉強や研究が好きです。
特に勉強が好きな訳じゃないのに、親が自分の子供が成績上位でなければ気が済まなかったので、とにかくギリギリ旧帝大に滑り込むまでは勉強という苦行にたえ続けた私とは、全く違う人達。
羨ましいです。好奇心が旺盛であることは、その人の人生を豊かで楽しいものにするのですから。
さて、この本を読み終わって最初に思ったことは、
『……もう一度読み返そう……』
…でした。
だって、新しい情報のオンパレードなので、私レベルの脳内情報では理解と記憶が追い着いていかないのです。ついていけなくても興味があるのなら又読み返すしかありません。
私の興味とは、ズバリ《海人族》です。
もっと言えば、縄文時代から活躍していた海人族を理解する為に、海人族の神話を知りたいのです。
何故、海人族なのか。
現在にあっても、日本は7割産地の国です。
実は国土面積は案外ある(ヨーロッパと重ねてみると、南欧から北欧まで及ぶ)日本ですが、長細いので平野が少ない『でっかい島』であって、島なんですから周りは海に囲まれています。
近所に似た単語を持つ地域・民族はあっても、孤立したがラバゴス言語になってしまった程度に、日本は大規模な民族移動とは無縁な島国でした。
古代の平野は今よりずっと少なかったはずです。平野は土砂が堆積して出来る物だからです。
関東平野は、家康が灌漑を推し進める前はぐちゃぐちゃとした結構どーしよーもない土地でした。
規模は小さくなりますが、仙台平野もそうです。
豊臣秀吉が伊達政宗公に与えたのは嫌がらせでしょう。でも、政宗公は水路を巡らせて城下町から余計な水を排出し、湿地を広大な米所にして江戸に集まる米の3割は仙台藩のものにした。
そんな、山と海しかないような日本で、どんな人々が活発に生きていたのかというと、海を自由自在に渡る海人たちです。
山がちの国土は陸路を開発維持するのは非常に難しく、海路が王道だった時代が、日本は長く続きました。
なのに、記紀神話を読むと、農耕神ばっかり出てくるのです。
もう、神名に『穂』とか『火』とか『いね』『いな』とか付いてる神様多過ぎる。
何でここに『火』が出て来るかというと、古代日本の人々は、ありとあらゆる命に『火』が宿っていると考えていたからです。
イザナギが斬り捨てたカグツチ神の血や死体から数多くの神が産まれたように。
なんなら水神さえ火の神カグツチの血から生まれているほどに。
だから、『火』が付いても火の神や太陽神とは限らない。
日本書紀で別名火産霊(ほむすび)と呼ばれるように、作物の生命力や豊かな実りを表す神々が、ホント多い。
ちょっと待て。
日本は農耕がメインの国じゃないじゃろがい!!
昭和の時代さえ、港町の人達はめっちゃ魚食べてました。
当然お米は食べますが、ここの人達体の8割くらい魚で構成されてるだろ、とか余所者の私には異様に見えるほどに魚を食べる人々でした。
今は、港町はすっかり寂れて、漁業に従事する人も減り、漁獲量も減りました。
……が。ほんの4,50年前まで、日本は確かに漁業が栄えている国だったのです。
海を渡るのに飛行機が一般化するまでは、人は海路で移動していたのです。
海路しかないじゃないですか日本なんだから。
だから、私も藤巻氏のように、神話で海の神達が活躍せずに、重要とされる神々が火火火稲稲稲なのが、どうにも納得出来なくて、海人族に関する本を読んだのです。
スサノオ様が、う@こ食わせられたと激怒してぶった切ったオオゲツヒメの死体から発生したのは、様々な穀類や豆の種、そして蚕でした。
農耕民の発想で、農耕民の神話です。
ツクヨミもウケモチ神のゲロを食べさせられましたが、ウケモチはかろうじて海の幸もゲロっていたのでこちらの方がまだ幾分《磯の香り》が残る神話です。
とにかく、古事記には海の神が足りない。
特に、数多存在した《海人族の太陽神》たちは、敗北して去ったり、登場しても太陽属性を奪われていたり、そもそも古事記の神話からは弾かれている。
そういう神々と、輝く海と、海風の匂いを届けてくれる一冊です。
以前紹介した『アユノカゼの文化史 ―出雲王権と海人文化―』(室山敏明 著) と共にお勧めしたい本です。

2023.
01.
14
古語で海をワタと言ったんだよ、っていうのは正しいと思うのですが、『わた』と『うみ』はどう読んでも聞いても近くない。
『わた』と『うみ』の語源は別経路から入って来たように感じます。
そして、世間一般では意外にも『うみ』の由来が謎で、『わた』が何であるかの方がよく知られているようです。
私がごちゃごちゃ言うよりも、こちらの日本語の起源について(58)を読んでくれた方が早いです。
※ 『うみ』の語源は先程紹介した日本語の意外な歴史をお読み下さい。
どうして《百済国から渡来した》と限定されるのか、私はそう結論づけるソースになった原文を読んでいないのでわかりませんが。
というのは、海人族にとっては渡来も何も無いのですよね。海は公共交通機関のようなものであって、文化は常に行き交っているものだったはずだからです。
そして海辺に便利な所があれば、陸の民よりもずっと簡単に拠点を変えることが出来たでしょう。
海は繋がりであって、山がちな陸地は道を作るのも移動するのも大変で、《隔てるもの》は海ではなくて陸の方です。
『わた』のルーツが『原野』とのことですが、この言葉が生まれた場所には広々として見晴らしの良い原野があったのでしょう。
それが同じイメージを抱かせる『海』と重なり、日本に伝わり『海/わた』となった。(朝鮮では『パダ』『パタ』で定着)
その概念も『海原/うなばら』として残っています。
そして、『うみ』と『わた』というふたつの言葉が出会い「ワタ+ツ+ウミ」(ワタというウミ)→"u"がひとつ抜けて『わたつみ』になった。
…という成り行きを考えると、多分、『ヤマツミ』よりも『ワタツミ』の方が新しいのではと思います。
だから、古い『やまつみ』を上書きするように『わたつみ』が海の神の名として残った。
一方『ヤマ』は『山/ヤマ』と『海/ウミ』に分化し区別されるようになり、故に『やまつみ』は山の神限定になってしまったのでしょう。
そして、海としての『わた』は遥か昔の古語として埋没してしまいましたが、『畑/はた』やその類義語として陸の方に残りました。
色々混同がありましたが、『やまつみ』も『わたつみ』もどちらも元々は女神だった考えます。
日本神話は後世の男系優先の価値観に添って変化してしまい、『大/おお』が付く偉そうな神は大抵男神になり、例外は天照大御神や大日孁くらいになってしまったのだと思います。
そして、海人の国出雲では、『女神オオヤマツミ』の娘であったり孫であったりする伝承のある一族の女性が巫女王となるしきたりだったのでしょう。
今まで話を追ってきたように、ニニギ尊もコノハナサクヤヒメという『オオヤマツミの娘』を娶っています。
コノハナサクヤヒメに関しては、《父は天神》という箔を付けています。
※ だからオオヤマツミに釣り合うほどの《天神》って誰さ?やっぱり私はスサノオ様しか思い付かない
山幸彦ヒコホデミミも豊玉姫という『ワタツミの娘』を娶っていますが、こちらも《海の女神の娘》という共通項があるのでヤマツミと同族かと思います。
豊玉姫と玉依姫姉妹を自身の宮殿に住まわせていたのなら、ワタツミも母であり、女神の可能性が高いのです。
それだけ、海の女神は偉大であり、海の女神のモデルとなった実在の人物がいたならば、相当な権力者か、何らかの《正当性》をアピール出来る女系の血筋の元になった女性です。
その女性(女神のモデルor伝承上の祖霊である女神)って、誰でしょう?
大日孁が別の名(私の脳内では栲幡千千姫)を持っていたように、オオヤマツミにも違う名前があるのでしょうか。
まだわかりませんが、魅力的なテーマなのでいつか考察出来たらと思います。
長い連載になりましたが、タイトルの《古代の巫女王と政治王の跡継ぎはどう決める?》の答えは、古代の出雲とヤマトに限って言えば、
巫女王:オオヤマツミに連なる女系の姫
政治王:巫女王の親族(男系も含む)など同じクニの有力者である男性
となります。
政治王が巫女王とは違うクニの男であるならば、事実上政治権が奪われて、それはクニを乗っ取られた(穏便な場合は同盟や統合)ということだと思います。
つまり、出雲+旧ヤマト勢力VS高天原勢力 の争いと戦いは、女神オオヤマツミの血筋の姫と、彼女たちに付随する王の正当性の争奪戦であり、
壮大なお家騒動。
だったのではないでしょうか。
『わた』と『うみ』の語源は別経路から入って来たように感じます。
そして、世間一般では意外にも『うみ』の由来が謎で、『わた』が何であるかの方がよく知られているようです。
私がごちゃごちゃ言うよりも、こちらの日本語の起源について(58)を読んでくれた方が早いです。
※ 『うみ』の語源は先程紹介した日本語の意外な歴史をお読み下さい。
どうして《百済国から渡来した》と限定されるのか、私はそう結論づけるソースになった原文を読んでいないのでわかりませんが。
というのは、海人族にとっては渡来も何も無いのですよね。海は公共交通機関のようなものであって、文化は常に行き交っているものだったはずだからです。
そして海辺に便利な所があれば、陸の民よりもずっと簡単に拠点を変えることが出来たでしょう。
海は繋がりであって、山がちな陸地は道を作るのも移動するのも大変で、《隔てるもの》は海ではなくて陸の方です。
『わた』のルーツが『原野』とのことですが、この言葉が生まれた場所には広々として見晴らしの良い原野があったのでしょう。
それが同じイメージを抱かせる『海』と重なり、日本に伝わり『海/わた』となった。(朝鮮では『パダ』『パタ』で定着)
その概念も『海原/うなばら』として残っています。
そして、『うみ』と『わた』というふたつの言葉が出会い「ワタ+ツ+ウミ」(ワタというウミ)→"u"がひとつ抜けて『わたつみ』になった。
…という成り行きを考えると、多分、『ヤマツミ』よりも『ワタツミ』の方が新しいのではと思います。
だから、古い『やまつみ』を上書きするように『わたつみ』が海の神の名として残った。
一方『ヤマ』は『山/ヤマ』と『海/ウミ』に分化し区別されるようになり、故に『やまつみ』は山の神限定になってしまったのでしょう。
そして、海としての『わた』は遥か昔の古語として埋没してしまいましたが、『畑/はた』やその類義語として陸の方に残りました。
色々混同がありましたが、『やまつみ』も『わたつみ』もどちらも元々は女神だった考えます。
日本神話は後世の男系優先の価値観に添って変化してしまい、『大/おお』が付く偉そうな神は大抵男神になり、例外は天照大御神や大日孁くらいになってしまったのだと思います。
そして、海人の国出雲では、『女神オオヤマツミ』の娘であったり孫であったりする伝承のある一族の女性が巫女王となるしきたりだったのでしょう。
今まで話を追ってきたように、ニニギ尊もコノハナサクヤヒメという『オオヤマツミの娘』を娶っています。
コノハナサクヤヒメに関しては、《父は天神》という箔を付けています。
※ だからオオヤマツミに釣り合うほどの《天神》って誰さ?やっぱり私はスサノオ様しか思い付かない
山幸彦ヒコホデミミも豊玉姫という『ワタツミの娘』を娶っていますが、こちらも《海の女神の娘》という共通項があるのでヤマツミと同族かと思います。
豊玉姫と玉依姫姉妹を自身の宮殿に住まわせていたのなら、ワタツミも母であり、女神の可能性が高いのです。
それだけ、海の女神は偉大であり、海の女神のモデルとなった実在の人物がいたならば、相当な権力者か、何らかの《正当性》をアピール出来る女系の血筋の元になった女性です。
その女性(女神のモデルor伝承上の祖霊である女神)って、誰でしょう?
大日孁が別の名(私の脳内では栲幡千千姫)を持っていたように、オオヤマツミにも違う名前があるのでしょうか。
まだわかりませんが、魅力的なテーマなのでいつか考察出来たらと思います。
長い連載になりましたが、タイトルの《古代の巫女王と政治王の跡継ぎはどう決める?》の答えは、古代の出雲とヤマトに限って言えば、
巫女王:オオヤマツミに連なる女系の姫
政治王:巫女王の親族(男系も含む)など同じクニの有力者である男性
となります。
政治王が巫女王とは違うクニの男であるならば、事実上政治権が奪われて、それはクニを乗っ取られた(穏便な場合は同盟や統合)ということだと思います。
つまり、出雲+旧ヤマト勢力VS高天原勢力 の争いと戦いは、女神オオヤマツミの血筋の姫と、彼女たちに付随する王の正当性の争奪戦であり、
壮大なお家騒動。
だったのではないでしょうか。

2023.
01.
12
イワナガヒメ登場は異文二以降です。
異文二では、オオヤマツミは父と記述され、イワナガヒメは妹だけ召されたことを恥じて、子孫の命は短く散るだろう、と呪ったことになっています。
異文六でやっと、古事記風味な物語が登場します。
ニニギ尊
「あの波頭の立っている波の上に、大きな御殿を建て、手玉もころころと機織りをしている少女は誰の娘か?」
事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ古事記の塩土老翁)
「大山祇神の娘たちで、姉を磐長姫、妹を木花咲耶姫言います。またの名は豊吾田津姫です」
ということで、云々があった。
ここで波の上の謎宮殿が登場、オオヤマツミの娘達が機織り女(七夕伝説で天帝の娘が織女だったように、大日孁が高天原でやっていた程度に高貴な身分)であることが判明し、云々があったというのは火中出産にまつわるあれこれである模様でです。
子は無事に生まれましたが、サクヤヒメは口も利かずレスになったので、いじけたニニギが水鳥のつがいを見て『うらやま爆発しろ』とかいう歌を歌って終了。
オオヤマツミ(父)がニニギに頼まれてもいないのにサクヤヒメとイワナガヒメを一緒に嫁がせて、ニニギがぶすに恐れおののいて実家に返したら、オオヤマツミに『天つ神の御子の寿命は、木の花のように儚いものとなるでしょう』とか後出しジャンケンで言い出した理不尽バナナ型神話は、古事記だけの物語なのです。
迂闊だった。これは私も見逃していた、と反省です。
古事記の浸透っぷりがすごいのは、江戸時代になってあれこれ考察が活発になったからでしょうか。
日本書紀が流行らなかった理由は知りませんが。
サクヤヒメとイワナガヒメ姉妹の人間の寿命話のほかにも、スサノオのヤマタノオロチ退治、因幡の白兎、山幸彦と海幸彦、辺りは、その部分だけ切り取られてその部分だけ絵本になっていたような気がするので、特に神話ヲタでなくても知っている人が多いと思います。
日本書紀と古事記は違う部分が案外多く、しかも日本書紀は本文のほかに異文が律儀に記されているので案外情報量が多いのに、その異文の挿入で時系列がゴチャゴチャして見えるし文章が堅苦しいのでつい避けがちになります。
これからは気を付けたいです。
……という訳で、横道に逸れましたが、
日本書紀本文の原文:妾是天神娶大山祇神所生兒也。
これって、娶っているのは天神(天津神)で、オオヤマツミが娶られてる側だよね???
ママ・オオヤマツミ降臨だよね!?
私の読み方が間違っているのなら、誰か教えて下さいプリーズ。
でも、実は間違っていたとしても、オオヤマツミが波の上に宮殿に住む海の女神だとすると、色々辻褄が合うのでそうであって欲しいです。(後述)
気になるのは、オオヤマツミを娶った天神って誰?ということです。
アメノホヒ・アメノワカヒコが出雲に降るも、大国主に心酔したり大国主の娘を嫁に貰っちゃってたりして埒があかないので、フツヌシ神とタケミカヅチ神が降って国譲りとか言う武力と恫喝で決着を付けたとかいうのはあるんですけれども、どうもサクヤヒメとは無関係です。
それ以前に確実に天降った天神って、
スサノオ様しか思い付かないんですが?
高天原から既に五十猛兄様が同行していたかも知れないし、ニギハヤヒも天孫扱いでニニギに先んじているのですが、大物主やオオトシと同一説がある程度に世代が合わない気がしますし。
(つづく)
異文二では、オオヤマツミは父と記述され、イワナガヒメは妹だけ召されたことを恥じて、子孫の命は短く散るだろう、と呪ったことになっています。
異文六でやっと、古事記風味な物語が登場します。
ニニギ尊
「あの波頭の立っている波の上に、大きな御殿を建て、手玉もころころと機織りをしている少女は誰の娘か?」
事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ古事記の塩土老翁)
「大山祇神の娘たちで、姉を磐長姫、妹を木花咲耶姫言います。またの名は豊吾田津姫です」
ということで、云々があった。
ここで波の上の謎宮殿が登場、オオヤマツミの娘達が機織り女(七夕伝説で天帝の娘が織女だったように、大日孁が高天原でやっていた程度に高貴な身分)であることが判明し、云々があったというのは火中出産にまつわるあれこれである模様でです。
子は無事に生まれましたが、サクヤヒメは口も利かずレスになったので、いじけたニニギが水鳥のつがいを見て『うらやま爆発しろ』とかいう歌を歌って終了。
オオヤマツミ(父)がニニギに頼まれてもいないのにサクヤヒメとイワナガヒメを一緒に嫁がせて、ニニギがぶすに恐れおののいて実家に返したら、オオヤマツミに『天つ神の御子の寿命は、木の花のように儚いものとなるでしょう』とか後出しジャンケンで言い出した理不尽バナナ型神話は、古事記だけの物語なのです。
迂闊だった。これは私も見逃していた、と反省です。
古事記の浸透っぷりがすごいのは、江戸時代になってあれこれ考察が活発になったからでしょうか。
日本書紀が流行らなかった理由は知りませんが。
サクヤヒメとイワナガヒメ姉妹の人間の寿命話のほかにも、スサノオのヤマタノオロチ退治、因幡の白兎、山幸彦と海幸彦、辺りは、その部分だけ切り取られてその部分だけ絵本になっていたような気がするので、特に神話ヲタでなくても知っている人が多いと思います。
日本書紀と古事記は違う部分が案外多く、しかも日本書紀は本文のほかに異文が律儀に記されているので案外情報量が多いのに、その異文の挿入で時系列がゴチャゴチャして見えるし文章が堅苦しいのでつい避けがちになります。
これからは気を付けたいです。
……という訳で、横道に逸れましたが、
日本書紀本文の原文:妾是天神娶大山祇神所生兒也。
これって、娶っているのは天神(天津神)で、オオヤマツミが娶られてる側だよね???
ママ・オオヤマツミ降臨だよね!?
私の読み方が間違っているのなら、誰か教えて下さいプリーズ。
でも、実は間違っていたとしても、オオヤマツミが波の上に宮殿に住む海の女神だとすると、色々辻褄が合うのでそうであって欲しいです。(後述)
気になるのは、オオヤマツミを娶った天神って誰?ということです。
アメノホヒ・アメノワカヒコが出雲に降るも、大国主に心酔したり大国主の娘を嫁に貰っちゃってたりして埒があかないので、フツヌシ神とタケミカヅチ神が降って国譲りとか言う武力と恫喝で決着を付けたとかいうのはあるんですけれども、どうもサクヤヒメとは無関係です。
それ以前に確実に天降った天神って、
スサノオ様しか思い付かないんですが?
高天原から既に五十猛兄様が同行していたかも知れないし、ニギハヤヒも天孫扱いでニニギに先んじているのですが、大物主やオオトシと同一説がある程度に世代が合わない気がしますし。
(つづく)

2023.
01.
11
サクヤ・イワナガ姉妹がふたりだけで同じ宮殿にいたのは、同母の姉妹だからなのでしょう。
尤も、スセリヒメ様は根の国でパパ・スサノオと一緒に暮らしていたようなので、父の手元で育つこともあるのかもしれませんけど。
っていうか、
しばらく前に仰天したのが、日本書紀でニニギがサクヤ様をナンパした場面です。
皇孫がこの美人に、
「あなたは誰の娘ですか?」
と問われた。すると、
「私は天津神が大山祇神(おおやまつみのかみ)を娶とって生まされた子です」
と答えた。
まさかのオオヤマツミ女体化。
しかもこれ、日本書紀の本文です。
どうして今まで気付かなかったんだよ自分!そしてどうして誰もここに突っ込まないんだよ!?異文じゃなくて本文だよ本文!!
サクヤ様「私の父に、大山祇神がいます。(結婚については)どうか父にお尋ね下さい」
……というのは、異文一なのです。
古事記もこっちの路線です。
多くの人は如何にも記録です、という日本書紀より物語風味の古事記の方が好きなので、こっちで納得したのでしょう。
因みに、本文の方は実にスッキリしていて、内容は
『天孫が美人を見付けて身元を尋ね、美人は名は神吾田津姫(かむあたつひめ。サクヤヒメのこと)で、天神がオオヤマツミ(地祇)を娶って生んだ子です、と答えた。天孫は美人を召した。一夜契っただけで妊娠したので、天孫が「天津神でも一夜で孕ませることが出来ようか。私の子ではない」と言ったので鹿葦津姫(かしつひめ。サクヤ様のこと。何故かここで3つめの名が出る)は怒り恨んで火中出産なら天孫の子!と過激な占いをやらかして、無事3人の子が生まれて名を付けた。時が経ち、天孫が亡くなり葬った。』
という、これだけです。
ホント、これだけ。
実は、本文には姉のイワナガヒメは出てきていません。だからニニギ尊以降の子孫は寿命が短くなる、というエピソードもありません。
3人きょうだいの真ん中は空気の法則に忠実なコノハナチルヒメは日本書紀には一切出てきません。古事記でヤシマジヌミの妻とされている系図に名があるのみで、具体的なエピソードはありません。
日本書紀は本文が正しい伝承である、と判断した正しい歴史の記述であり、一書曰(あるふみいわく)で始まる異文は「他の言い伝えもありますが」という補足です。
ですから、
「ニニギが召した美少女は、天神が地祇オオヤマツミを娶って生まれたハーフという地上においてはかなり高貴な姫であり、貞節なサクヤヒメが3人の子を産み、うちひとりが皇統に繋がりました。」
というこれだけが、日本書紀が主張する正しい歴史なのです。
(つづく)
尤も、スセリヒメ様は根の国でパパ・スサノオと一緒に暮らしていたようなので、父の手元で育つこともあるのかもしれませんけど。
っていうか、
しばらく前に仰天したのが、日本書紀でニニギがサクヤ様をナンパした場面です。
皇孫がこの美人に、
「あなたは誰の娘ですか?」
と問われた。すると、
「私は天津神が大山祇神(おおやまつみのかみ)を娶とって生まされた子です」
と答えた。
まさかのオオヤマツミ女体化。
しかもこれ、日本書紀の本文です。
どうして今まで気付かなかったんだよ自分!そしてどうして誰もここに突っ込まないんだよ!?異文じゃなくて本文だよ本文!!
サクヤ様「私の父に、大山祇神がいます。(結婚については)どうか父にお尋ね下さい」
……というのは、異文一なのです。
古事記もこっちの路線です。
多くの人は如何にも記録です、という日本書紀より物語風味の古事記の方が好きなので、こっちで納得したのでしょう。
因みに、本文の方は実にスッキリしていて、内容は
『天孫が美人を見付けて身元を尋ね、美人は名は神吾田津姫(かむあたつひめ。サクヤヒメのこと)で、天神がオオヤマツミ(地祇)を娶って生んだ子です、と答えた。天孫は美人を召した。一夜契っただけで妊娠したので、天孫が「天津神でも一夜で孕ませることが出来ようか。私の子ではない」と言ったので鹿葦津姫(かしつひめ。サクヤ様のこと。何故かここで3つめの名が出る)は怒り恨んで火中出産なら天孫の子!と過激な占いをやらかして、無事3人の子が生まれて名を付けた。時が経ち、天孫が亡くなり葬った。』
という、これだけです。
ホント、これだけ。
実は、本文には姉のイワナガヒメは出てきていません。だからニニギ尊以降の子孫は寿命が短くなる、というエピソードもありません。
3人きょうだいの真ん中は空気の法則に忠実なコノハナチルヒメは日本書紀には一切出てきません。古事記でヤシマジヌミの妻とされている系図に名があるのみで、具体的なエピソードはありません。
日本書紀は本文が正しい伝承である、と判断した正しい歴史の記述であり、一書曰(あるふみいわく)で始まる異文は「他の言い伝えもありますが」という補足です。
ですから、
「ニニギが召した美少女は、天神が地祇オオヤマツミを娶って生まれたハーフという地上においてはかなり高貴な姫であり、貞節なサクヤヒメが3人の子を産み、うちひとりが皇統に繋がりました。」
というこれだけが、日本書紀が主張する正しい歴史なのです。
(つづく)

2023.
01.
10
本当に、高天原サイドは男系男子万世一系だったのでしょうか?
オオヒルメの娘や姪がサクヤ様、サクヤ様の同左がアヒラツヒメ、という流れなら女系でも納得出来るのに、系図にはそう書いていない。
※ 私はオシホミミはスサノオのダミー、ウガヤフキアエズは別の神話の登場人物で山幸彦ヒコホデミミと神武ヒコホデミミは同一だと思っていますので、豊玉姫=玉依姫=アヒラツヒメだと思っています。
神武がアヒラツヒメという嫡妻を廃してヒメタタライスズヒメを后に据えたのは、イスズヒメがアヒラツヒメの娘や姪や孫でない限り、ふたつの女王国を傘下に収めた、と言えば聞こえはいいですが、国譲りとは名ばかりで武神を使わしたりイワレヒコ自ら軍を率いてナガスネヒコとバトルする程度に簒奪しているのです。
母であり女王だったアヒラツヒメは属国の妃扱い=王朝交代が起こったのですから、そりゃあ息子のタシギミミは怒るし反乱のひとつやふたつも起こしたくなるでしょう。
そして、父の裏切りに対して復讐するには、未亡人となったヒメタタライスズヒメを嫡妻にして、次代の女王の種になるしかありません。
飛鳥時代辺りになると、異母兄妹婚までは全然OKでした。何故なら、子供は母に属するからです。
よその家のよその女が産んでよその家で育った子供なんて赤の他人です。
でも、他人だから良い、という考え方は当時そんなに歴史のある道徳観じゃなかったと思います。(大陸からの影響?)
第十代崇神天皇は同母妹を皇后にしてるし(名前を見ればわかる.。それとなく先代の皇女の名を変えて隠している)、先代がやったんだから第十一代垂仁の代でも、皇后にと召されてしまった愛しの妹を取り返し、兄が同母のヒメヒコ制を企むのは特に奇異なことではありません。(狭穂彦の反乱)
そのほかにも同母の兄妹(姉弟?)の悲恋物語がポロポロ発生している以上、古代は同母のきょうだい婚は当たり前だった時代が根底にあるのだし、族長・王のレベルになると寧ろ同母きょうだいの結婚は望ましかったかもしれません。
五月蠅い外戚が入り込む余地がありませんから。
とにかく、種が誰かなんてどうでもいい。畑が同じなのが重要なのです。『産んだ』という事実がある以上、母と子の血の繋がりは明白です。
対して、父と子の繋がりは証明するものがありません。通い婚の時代ですから、男が方々に夜這いしている間に、女も他の男と寝ようと思えば出来ますので、妻が子供を産んだなら夫は自分の子だと認めるしかありません。
認められないなら離婚でしょう。
不貞疑惑は晴らしましたが、サクヤ様の恨みは晴れず、ニニギ尊と口も利かず共寝もしなくなった(異文六)そうなので、まあ離婚ですよね。
コノハナサクヤヒメが、ニニギにどうせ地祇の子だろうと不貞の濡れ衣着せられ烈火の如く怒った(まさか本当に火中出産する訳がないので)、神阿多都比売という激しい神威をお持ちの女王のサクヤ様は、許し難き屈辱と富士山が噴火する如きに激怒したものの例えかと思われます。
あ、話が横に逸れますけど、いつか書こうとか思っていると忘れてしまうので今書いておきます。
木花咲耶姫、がどうして桜の花の姫というのが定説?というか割と当たり前のように言われているのかわかりません。
愛でられる花といえば、梅→桃→桜、と推移していった、と何かの本で読んだことがあります(もう@十年前なので忘れた)。
春の心はのどけからまし、などと歌われた程度に平安時代の初めには愛され惜しまれる花だったのは確かなんですけど。
桜の語源が サ(神)+坐(くら)という説がありますが、これも『サ』は特に神性を表す言葉ではない説もありますし。
じゃー何よ、というと、私が最近思い付いたのは藤の花です。
藤も語源は諸説有りましょうが、私が知っているのは「風(ふ)に散(ち)る」→ふち→ふじ(藤)説です。
藤の花って、咲いているのも美しいけれども、豊かに房になっている花が散りゆくのも、やはり美しいのです。
それでいて、ふじ→不死 に繋がる。
実際、藤って怖いくらい逞しいんですよね。つる性ですから絡み付くものがなければ大きくなれないんですけど、まあ山に種が落ちれば絡み付くほかの木なんていくらでもありますし、そうして成長してくれば絡み付いていた元の木の方が日光や栄養が不足して枯死するくらいで、でももうその頃には藤自体がガッツリ根を張っているので倒木する事もなく、更に成長したければまた他の木に蔓を伸ばせばいい。
そして、樹齢は数百年、千年を超えるものもある。
つまり、
藤の花ひとつで咲く美しさと散る美しさと不死を全部表せる。
藤なら木花咲耶姫・木花知流姫・磐長姫、が全部揃うのです。
……という防備録的な書き込みはここまでにして、次回は本題に戻ります。
(つづく)
オオヒルメの娘や姪がサクヤ様、サクヤ様の同左がアヒラツヒメ、という流れなら女系でも納得出来るのに、系図にはそう書いていない。
※ 私はオシホミミはスサノオのダミー、ウガヤフキアエズは別の神話の登場人物で山幸彦ヒコホデミミと神武ヒコホデミミは同一だと思っていますので、豊玉姫=玉依姫=アヒラツヒメだと思っています。
神武がアヒラツヒメという嫡妻を廃してヒメタタライスズヒメを后に据えたのは、イスズヒメがアヒラツヒメの娘や姪や孫でない限り、ふたつの女王国を傘下に収めた、と言えば聞こえはいいですが、国譲りとは名ばかりで武神を使わしたりイワレヒコ自ら軍を率いてナガスネヒコとバトルする程度に簒奪しているのです。
母であり女王だったアヒラツヒメは属国の妃扱い=王朝交代が起こったのですから、そりゃあ息子のタシギミミは怒るし反乱のひとつやふたつも起こしたくなるでしょう。
そして、父の裏切りに対して復讐するには、未亡人となったヒメタタライスズヒメを嫡妻にして、次代の女王の種になるしかありません。
飛鳥時代辺りになると、異母兄妹婚までは全然OKでした。何故なら、子供は母に属するからです。
よその家のよその女が産んでよその家で育った子供なんて赤の他人です。
でも、他人だから良い、という考え方は当時そんなに歴史のある道徳観じゃなかったと思います。(大陸からの影響?)
第十代崇神天皇は同母妹を皇后にしてるし(名前を見ればわかる.。それとなく先代の皇女の名を変えて隠している)、先代がやったんだから第十一代垂仁の代でも、皇后にと召されてしまった愛しの妹を取り返し、兄が同母のヒメヒコ制を企むのは特に奇異なことではありません。(狭穂彦の反乱)
そのほかにも同母の兄妹(姉弟?)の悲恋物語がポロポロ発生している以上、古代は同母のきょうだい婚は当たり前だった時代が根底にあるのだし、族長・王のレベルになると寧ろ同母きょうだいの結婚は望ましかったかもしれません。
五月蠅い外戚が入り込む余地がありませんから。
とにかく、種が誰かなんてどうでもいい。畑が同じなのが重要なのです。『産んだ』という事実がある以上、母と子の血の繋がりは明白です。
対して、父と子の繋がりは証明するものがありません。通い婚の時代ですから、男が方々に夜這いしている間に、女も他の男と寝ようと思えば出来ますので、妻が子供を産んだなら夫は自分の子だと認めるしかありません。
認められないなら離婚でしょう。
不貞疑惑は晴らしましたが、サクヤ様の恨みは晴れず、ニニギ尊と口も利かず共寝もしなくなった(異文六)そうなので、まあ離婚ですよね。
コノハナサクヤヒメが、ニニギにどうせ地祇の子だろうと不貞の濡れ衣着せられ烈火の如く怒った(まさか本当に火中出産する訳がないので)、神阿多都比売という激しい神威をお持ちの女王のサクヤ様は、許し難き屈辱と富士山が噴火する如きに激怒したものの例えかと思われます。
あ、話が横に逸れますけど、いつか書こうとか思っていると忘れてしまうので今書いておきます。
木花咲耶姫、がどうして桜の花の姫というのが定説?というか割と当たり前のように言われているのかわかりません。
愛でられる花といえば、梅→桃→桜、と推移していった、と何かの本で読んだことがあります(もう@十年前なので忘れた)。
春の心はのどけからまし、などと歌われた程度に平安時代の初めには愛され惜しまれる花だったのは確かなんですけど。
桜の語源が サ(神)+坐(くら)という説がありますが、これも『サ』は特に神性を表す言葉ではない説もありますし。
じゃー何よ、というと、私が最近思い付いたのは藤の花です。
藤も語源は諸説有りましょうが、私が知っているのは「風(ふ)に散(ち)る」→ふち→ふじ(藤)説です。
藤の花って、咲いているのも美しいけれども、豊かに房になっている花が散りゆくのも、やはり美しいのです。
それでいて、ふじ→不死 に繋がる。
実際、藤って怖いくらい逞しいんですよね。つる性ですから絡み付くものがなければ大きくなれないんですけど、まあ山に種が落ちれば絡み付くほかの木なんていくらでもありますし、そうして成長してくれば絡み付いていた元の木の方が日光や栄養が不足して枯死するくらいで、でももうその頃には藤自体がガッツリ根を張っているので倒木する事もなく、更に成長したければまた他の木に蔓を伸ばせばいい。
そして、樹齢は数百年、千年を超えるものもある。
つまり、
藤の花ひとつで咲く美しさと散る美しさと不死を全部表せる。
藤なら木花咲耶姫・木花知流姫・磐長姫、が全部揃うのです。
……という防備録的な書き込みはここまでにして、次回は本題に戻ります。
(つづく)
