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2020. 01. 23  
父は、酒呑み運転、恐らく居眠り運転の、交通事故死、だった。

シートベルト着用が義務づけられて数年経っていたけれども、これも飲酒運転同様、危機感もなく無視していた人も多かった。
免許取り立ての私は「危ないからしなよ」と言ったのだけれども、父は窮屈だからとベルトを締めることはなかった。

車のエアバッグも一般的ではなく。
だから。父は。即死、だった。

早朝の自損事故で、他人を巻き込まなかっただけまだよかったのだと、私は動揺する自分に言い聞かせながら、ハッと思い出したのだった。

いつか…

いつか、事故に遭うわよ……


ぞわりとした。
偶然?それとも、
また、あのランダムな母の言霊が、発動した……?

偶然だと、私はぶんぶんと頭を振った。

多分、母が何も言わなくても、父はいつこういう死に方をしても仕方の無い生活をしていたのだから。

それに、父はあまり長生きをする人じゃないだろうと、私は漠然と思っていた。
例えば、不自由な体でベッドの上に横たわり、痩せ細った老人になって死んでゆくなんていうのは、全くあの人らしくないことだった。

太く短く生きて、打ち上げ花火のように派手に散って終わるのが似つかわしい。そんな人だったのだから……

そして、時は過ぎ、私はさっさと薄情な母と共依存の妹と縁を切りたかったのだが、結婚資金を貯めるために独り暮らしはせずに実家で我慢して生活していた。
そして見事、自費で結婚式を挙げて披露宴もやった。当然に、

母は1円たりとも出費していない。
(費用は夫と割り勘だったのだが、お前のお金は新生活に使いなさいと、義両親が殆ど出した)

そんな母とは、結婚を機にスッパリ縁を切りたかったのだが、何を思ったのか母は時折ふらりと新居に現れて、私の夫が淹れたコーヒーを飲みながら、一方的に何か話しては、気が済むと帰っていった。(同じ市内だったので簡単に来る事が出来た)

夫の会社は住居に支援金が出るので、その範囲内のアパートで暮らしていたのだが、その支援金が5年間の期限付であったのと、2人目のこどもも産まれて歩き回るようになり手狭に感じてきたこともあって、中古物件を買って移り住むことになった。

古い家だが注文住宅で、ある大工さんがかなり気合いを入れて作ったのだという家は、なかなかによい造りだった。
その割に値段が安め設定だったのは、近所の環境に問題があったからなのは、明らかだった。

つまり、斜め向かいの家に引きこもりの息子がいて、暴れたり暴力を振るったりするので母親は実家に避難、父親はその家に留まるも、比較的新しそうな立派な家なのに窓硝子は割れたまま、障子はビリビリに破れたまま、真冬だというのに修理もしていなかった。

まあ、外に出て来ないから引きこもりなのであって、大丈夫だろうと私と夫はその家に決めたのだが、そこにもふらりと母は現れた。
そして、斜め向かいの家を見て、ずけずけと「いやあねぇ」と、これは心からイヤそうに言ってくれた。

それから、2週間ほど経った頃だろうか。
夜中に、私はサイレンの音で目が覚めた。かなり近いと思って、夫とふたりで庭に出ると、件の荒れ果てた家が、ゴウゴウと炎と煙を出して燃えていたのだった。
かなり勢いよく燃えていたのだが、風がなかったので被害はその家だけで済んだし、暴れて偶然火事のきっかけを作ってしまった息子もその父親も怪我もなく無事だったのが、せめてもの救いだろうか。

しばらくして、また母がふらりと現れた。
「あら…あの荒れた家、無くなっちゃったの?」
「そうだよ。気の毒に、火事があってね」
「そう…、よかった」

母は、うふふと笑った。

「よかったわぁ。私、あんな気味の悪い家、火事で燃えちゃえばいいのにって思っていたのよ。うふふふふ…」

ぞわりと、した。

少々問題ありとはいえ、不幸にも住まいが燃えて無くなってしまった人達がいるのに、嬉しそうに、笑うのか?
引きこもりという噂の兄さんは、近所のコンビニくらいには出て行くらしくて、隣の空き地で自分はカップ焼きそばを食べながら、群がってくる野良猫に餌をやっている、案外素朴で、少し寂しそうな青年だった。
そうと知っているから、彼のお父さんは何処にも逃げずに、あの荒れ果てた家で共に暮らしていたのだろう。

そして…
この女は、一体何ものだ……?

あんな危険そうな家、なくなればいいのにという漠然とした発想や、引っ越してくれればいいのに、辺りの穏便な発想ではなく。
母は具体的に《火事》を望んで、多分実際に口にしたことがあるのだ。

母の言葉はそのままに、実際にひとつの家を全焼させる言霊となったのだ。

あれから@@年、歳をとってフットワークが重くなったのか、母と我が家が顔を合わせるのは、ワンシーズンに1回くらいに減った。
私は思う。

母よ…もう、何も言わないでくれ。
2020. 01. 22  
私の母は、奇妙な女だ。
どこか、他の人間とは違う。ズレがある。

例えば、母曰く、父とは《何となく》付き合い始めたのだが(敢えて言うなら、父が熱心で押しまくったらしい)、デートには常に遅刻して現れ、父曰く『先に着くのはいつもオレだった』

そして、いつも30分~2時間遅刻したあげく(母曰く、「だって、当日になると行きたくなくなるんだもの」)、イライラを押し殺した父が、「そのバッグいいね」と褒めると、母は淡々と

「うん。@@君から貰ったの」

答え、流石にブチ切れた父が、鞄を取り上げ噴水に投げ込んだそうである。
つか、そんな女とは別れろよmy父よ……と思ったものだが、余程惚れていたのだろう、父は母を嫁にすることに成功した。

母が私に語る所に寄ると、
「紙切れ1枚に判を押すだけの関係だから、いつでも解消できると思って」

……その話は、実の娘にしていい話なのか?

そんな母は、基本的に私には冷たく、妹ばかりを可愛がった。
私は自分の意見をハッキリ言うタイプだったので、鬱陶しかったのだろう。
対して、おとなしい妹は何でも母の言うとおりにしたから、母を不快にさせることがなかったのだろう。

だが、長ずるにつれて、私は思うようになった。逆もまた真なりだったのではないか?と。
母は、露骨に妹を贔屓していたけれども、単に思い通りになるから、
不快にさせないから、お人形のように気に入っていただけで、

妹を愛していたのとは、違うのではないか……?

今思い出すと、ジワジワと薄ら寒くなるような、家庭内ホラーである

しかし、実は、もっとホラーなことがあった。
死んだばあちゃんが、「幽霊なんぞ怖くもない。本当に怖いのは、生きている人間だ」と言っていたように。

父は、押しまくって母を手に入れた程度に、激しい男だった。
ボーッと父の言う通りにする母と、萎縮して無抵抗の妹には手を出さなかったが、自分自身が納得しなければNoという娘だった私には、殴る蹴るの暴力を振るう父親だった。

父は中学時代はバレーボール部で活躍し、高校時代は水泳部で、県大会でバタフライ第2位の男であったからして、腕力も脚力もハンパない。
小柄な子供だった私なんて、父の一発で部屋の端から端まで簡単に吹っ飛んだ。

私はボコボコにボコられながら、「ああ今日こそ私、死ぬかもなぁ…」と思ったことが何度もある。
日常のことなので、私は感覚が麻痺していたのか、痛みや恐怖は不思議なくらいに覚えていない。
ただ無感動に、「私死ぬのか…あっけないなぁ…」等と思っていたことを覚えている。

だが、実はそれ以上に鮮明に憶えていることがあるのだ。
その、家庭内暴力現場に、母も居たんである。

子供心にも、不思議だった。母がその様子を、黙って見ているだけだということが。
普通、ちょっとくらい気に入らなくても、我が子がボコられていたら体を張って止めに入らないか?

母は、無表情に、私を見下ろしていた。
私は、母に庇って貰ったことも、守って貰ったことも、一度たりとも無い。

私は3児の母になり、「不思議だった」が「不気味だ」にバージョンアップした。
あの女は、本当に母親か?否、母云々の前に、本当に、人間なのだろうか……?

私は、自分の子供が暴力を受けていたら、迷わず身を挺して庇うと言い切れる。
子供に「逃げろ」と叫び、「殺すなら私を殺せ!!」と怒鳴るだろう。
※ これを書いていて、あ、普通は「やめて!」とか言うのか?と思い付いた程度に、私は私で父の激しさを継いだファイヤーな女なのだろう

まあ、私は穏やかな家庭を築くのが夢だった、というより執念の如き願いであったので、結婚相手にはとても穏やかな現在の夫をチョイスしたのだから、そんな修羅場は我が家には有り得ないのだが。

そして、私は子供の頃、『どうして登校拒否が成立するのか?』とても不思議だった。(当時は不登校を登校拒否と言うのが一般的だった)

私が小学生の頃、転校先の学校でイジメの標的にされて、泣きながら学校に行きたくないと訴えたのに、スパルタな父は私を車の座席に投げ込んで、無理矢理学校に連れて行った。

母は、それも黙って見ていた。
因みに、父は学校に対してもワイルドな男で、

「オレの娘を泣かせるんじゃねえバーロー!!」

と職員室に怒鳴り込んだ。
その程度に、父は暴力を振るっても、私には不器用な愛情を持っていたと思う。

一方母は、私のイジメに対して、何の関心も示さなかった。父のいない場で私が泣いて訴えても、無表情に聞き流すだけで、本当に何もしなかった。

サイコパスかよまじで。

そんな、じわじわ来る感じの家庭内ホラー母は、悪人かどうかは不明だが、善人ではないことは間違いがない。

だが、母は明らかに、何かの力に守られているような女なのだ。

例えば、母はそそっかしい女で、呆れるほどしょっちゅう落とし物をする。
家の鍵、財布、銀行のカード、定期券、傘、等々。でも、それらは

必ず善意の誰かに見つけられて、必ず母の元に戻ってくる。

私は、ホラーな家庭で暴力を振るわれて育った割には、母より真人間だと思うのだが、上記のものは無くしてしまえば戻ってくる確率なんて体感として3割以下だ。

何なんだ、この現象?やたら強い守護霊でもついているのだろうか?

そして、母の特技(?)はこれだけではない。
母が言う言葉は、ランダムに現実化するのだ。

言うこと全てがそうなる訳ではないのだが、まさかそんなことはあるまいと思うような事が現実になるので、時折ぎょっとさせられたものだ。

色々あるが、一番強烈で、私が一生忘れられないであろうことは、これだ。
バブル期に不動産営業という仕事をしていた父は、歩合制であったので給料が月80万を超えるのがザラであったらしく(強引な男なので営業職は天職だったのだろう)、夜な夜な飲みに行っては朝帰りだった。
因みに、稼ぎの多くは父の個人的な散財で消えていたので、母・私・妹は変わらず貧乏生活のままだった。

当時は、酒呑み運転に寛容な、今思えば恐ろしい時代で、人を轢き殺しても執行猶予付で数年という実質無罪判決になり、罪悪感の欠片も無くアルコール臭い息で車を運転している人間がかなりいて、父もそうだった。

母はよく言っていた。
「こんな生活をしてたら、いつか事故に遭うわよ」

何度も言っていた。
何度も、何度も。

いつか、事故に遭うわよ……

サイコパスなりに父を心配していたのか、単に朝帰りが気に入らなかったのか知らないが(これは愛人がいるなーと、私は私で淡々と察していたのだが、ワンマンな父が何をやらかそうと今更なのでスルーしていた)、母は何度も、壊れたロボットのように繰り返していた。

いつか、事故に……

ある日の早朝、電話がかかってきた。
その時、私は、どうしようもない、胸騒ぎが、した。

父が、死んだ。

(つづく)
2019. 12. 28  
しばらく沈み込んでいましたので、今回は明るいノリで注意喚起(?)の記事を書いてみようと思います。

私は、スピ系の深みにははまり込みたくないのですが(私は現世の地に足を付けて生きてゆく所存です)、一応興味のあるブログその他はそこそこ読んでいます。

成程、有り得るかもしれないし、歴史的にも面白いという情報、うわぁぁぁ電波過ぎる!とドン引きの情報まで色々ですが、とにかく読んでみないことには判りませんので。

最近、ねーよ。と思うチャネラーさんの記事を見つけたので、それがチャネリングではなく凄まじい思い込み(嘘を書いているような感じではなかったので、思い込みでこじつけてしまうタイプなんじゃないだろうか)であることを、検証してみたいと思います。

ってゆーか、私は検証するまでもなく、その記事は歴史的にナンセンスだとすぐに判ったのですし、記事を呼んだ瞬間に、ああまたこの種のやつか、と思ったので。因みにこの種のやつとは、

何でも彼でも瀬織津姫にしたがる人です。
本当多いです!呆れるほど多い!!

瀬織津姫様という、美しき名の謎の女神。
大祓詞という、最強の祝詞に謳われる祓いの水神でありながら、古き時代から、天皇家によって何故か明治に渡るまで、おそらく民草の信仰を断絶させる為に執拗に神社の祭神を取り替えられ、名を消され続けた女神……となれば、ロマンを掻き立てられる姫神様だという事は、私も大いに同意するのですが。

でも、ダメなものはダメです。
何でも瀬織津姫と、強引に引っ張って来るのは、ダメです

セミナーを開くほどの人がそんなことをするのは詐欺です。(悪気は無くとも、結果的に。)

瀬織津姫様におかれましては、歴代天皇による迫害は非常なる大迷惑だったと存じますが、皇室以外にも、例えば徳永家康公などの時の権力者は、瀬織津姫が何ものであるか知っていた模様です。
伊達政宗公もまた、そのひとりだ…とどこで読んだのか失念してしまったのですが、私もそう思うのです。

政宗公は、決して瀬織津姫を消そうとはしなかったのだから

このブログの【伊達政宗の結界の街】というカテゴリに、5回に渡る仙台の瀬織津姫連載がありますので、興味のある方はどうぞご覧下さい。

さて、私がコレは間違いだと断じたいのは、宮城県は仙台市の

愛宕神社─瑞鳳殿─櫻丘大神宮─亀岡八幡宮─大崎八幡宮─泉ヶ岳 が瀬織津姫を隠した水神レイラインだというトンデモ説についてです。

私が地図にラインを引いて確かめるべくもなく、コレは無いと思ったのが、愛宕神社は元々水神を祀っていて、火の神は後から祀られたんじゃないかな~、という所です。

「ないかな~」って、そんな曖昧な思い付きで、チャネラー名乗ってんのかい!

愛宕神社は、これも伊達家の氏神・亀岡八幡宮のように、伊達政宗公の居城と共に遷座を繰り返した、伊達家の崇敬が深い神社です。

この場所に、仙台総鎮守・愛宕神社以前に何があったかは判りませんが、瀬織津姫様でないことは確実です。
仙台には、既に川内亀岡(当時は川内瀧澤)に瀧澤神社(祭神は瀬織津姫)が存在していて、地元の方にそれは立派に、大切に、祀られていたのですから。
その霊地に亀岡八幡宮を遷座したいが為に、瀧澤神社を別の場所に遷座したという事は、しっかり記録に残されています

また、瀧澤神社が遷座された場所が、如何に重要な場所であったのかは、【星の街仙台】について、長年研究なさってきた稲辺勲氏が、見事な仮説を立てていらっしゃいます。
※ 私は、そこに更に【水の街】を絡めた考察をして記事にしております。

件のチャネラーさんは、愛宕神社からは上記の重要な神社と御霊屋(伊達家の墓)が見下ろせて、泉ヶ岳まで良く見えると言っていますが、そりゃそうだ。

仙台本丸と、メインの5つの神社(うちひとつは創建時は寺)は、みんな高台にあるんだから。
そして、泉ヶ岳に向かう北西方面には、現代にあっても高い建物が無いのだから。

稲辺氏曰く結界を妨げないように高台に作った(そして高層建築を禁じた…のに、今は仙台市中心部には建ちまくりだよ…結界の効力はどうなってるんだろう?)という事以外に、霊的なこととは無関係にとても現実的な理由があります。

重要な軍事的拠点だから見晴らしが良くて当たり前です。

ちなみに、私も念の為に、愛宕神社から泉ヶ岳水神の碑まで、線を引いてみました。

肝心要の亀岡八幡宮(元・瀧澤神社の地)が、ラインから明らかに外れていますね、この時点ではいアウト。

大崎八幡宮も誤差の範囲で掠っていますが、それは元から愛宕神社と大崎八幡宮は、南東─北西のラインに配置するように建築されているので除外。
かろうじて、櫻岡大神宮がラインに乗りましたが、偶然でしょう。
勧請したのは政宗公ですが、当時は荒巻(北山の辺り。城下町の北の護りです)にあり、その後民間の手で明治時代に現在の地に遷座されているからです。

そして、仙台城下町の結界としては、瑞鳳殿の鳳凰、愛宕神社の軻遇土神(かぐつちのかみ、火の神・火防の神)は、
現在そうであるように南に配置するのが正しい。

愛宕神社以前に、水神が祀られる理由も、特にありません。
水源豊かな泉ヶ岳と違って、愛宕山は特に水とは関係がないので。

因みに、境内社に『勝閧神社』(かちときのかんやしろ)があって、そのなかにミツハノメノカミ(水の女神様)がいらっしゃるんですけど、こちら平成18年遷宮遷座です。

>【御神徳(ごしんとく)】
全ての御業を勝ち盡し、大勢に力の限り物事を極めると云う
吉報を齎(もたら)す御神徳の在る神々です。
(公式HPより引用)

参拝者の全ての御業に勝利させねばならぬ所為でありましょう、これでもかと、節操もない感じに沢山の神様が詰め込まれる感じに祀られていらっしゃいます……

というわけで。
みなさん、インチキチャネラーに騙されないようにご注意を。

高次の存在にアクセス出来る人は確かにいるのでしょう。
でもそれはごく僅かで、そのような方は、高次の神の秘め事を、簡単に明かすことはしないはずですから。

そして、この記事を書いているうちに、この仙台愛宕神社について、面白いことを知りましたので、後日記事にしたいと思います。
そちらは【伊達政宗の結界の街】のカテゴリで書きますので、お楽しみに!
プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
定義山西方寺を崇敬。伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。透明水彩絵師。

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