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2020. 12. 24  
※ 前回の『その5』は、2020/12/19 の記事になります。

12/4に現れた、出雲大社にかかった見事な虹は、個人単位ではなく社会や世界に関わるようなことに対する大きな予言なのではないか?

というところまで、前回辿り付きました。

それは、数日前まで行われていた、出雲に神様が集結して話し合う、『神護り/かみはかり』で決定したことの一部開示なのでは、と。
本来は、神護りの内容は本来人間には知ることが出来ないものであるから、開示されたのならば異例なほどに重要な事だ、と。

では、どうやって意味を読み取るか?
私は、『どうして12/4ではならなかったのか』を考えてみたいと思います。

例えば、虹ならば即位の礼の時にも、それ自体が聖地である皇居を覆うように低い虹が見られました。
悠仁殿下が御誕生の際には、美しい彩雲が見られました。

では、12/4には何があった?

wikiに『2020年の日本』というページがありましたので、そちらを引用致します。

>東北新幹線全線開通(八戸駅 - 新青森駅開業)10周年。

>都営浅草線と京成押上線との相互直通運転(日本初の地下鉄と民鉄との相互直通運転)開始60周年。

>厚生労働省がこの日、日本で初めて10代の女性が新型コロナウイルス感染症のため死亡したと一旦発表したが、その後「集計ミスの可能性が高い」として発表を取り消し、ウェブサイトからも削除した。

>神奈川県の小田原駅東口に直結する複合商業施設「ミナカ小田原」が開業。

>福井県あわら市の医薬品メーカー・小林化工が製造した爪水虫などの皮膚病薬に誤って睡眠導入剤が混入していたことが判明し、合計9万錠を自主回収すると発表。中には車を運転中、副作用により物損事故を起こしたケースが14件あった他、実際に入院した人もいた。当該医薬品は処方箋が必要で一般には市販されていない。その後の同社の報告や県の調査で133人が健康被害を訴えていることが判明。さらに10日には同薬を服用して入院していた患者1名が死亡したことが公表された。

(引用終了)

日本全体に大きな影響力を持つような出来事ではない、ような気がします。
ならば、過去の12/4とはどんな日であったのか?

誕生日が毎年お祝いの日であるように、命日が毎年殊更に冥福を祈る日であるように、毎年巡ってくる12/4には、過去に何があったのか。

これも、wikiに『12月4日』というページがあったので、リンクを貼ります。

こちらには、
1 できごと
2 誕生日
3 忌日
4 記念日・年中行事
5 フィクションのできごと
5.1 誕生日(フィクション)
6 出典
7 関連項目

とかなり沢山のことが分類されているので、じっくり目を通して頂きたいと思います。

あなたには、何が目に止まったでしょうか?

というのは、とても重要な事で、タロット占いで同じカードを引いても、占者によって読みが異なる=受け取るメッセージが違う、ということです。

因みに、私の目に止まったのは、

─できごと─

>794年(延暦13年11月8日) - 平安京が新都となり、同時に山背国が山城国と改められる。

>1185年(文治元年11月11日) - 後白河法皇が源頼朝に源義経追討の院宣を下す。

>1890年 - 北里柴三郎らがジフテリアと破傷風の血清療法を発表。

>1909年 - 大韓帝国の政治結社一進会が韓日合邦を要求する声明書を発する。

>1915年 - 東京株式市場が暴騰。第一次大戦景気が始まる。

>2009年 - 京都朝鮮学校公園占用抗議事件。


─忌日─

>1696年(元禄9年11月10日)- 明正天皇、第109代天皇(* 1624年)

>1961年 - 津田左右吉、歴史学者(* 1873年)

(引用終了)

かなり、派手…というか、色々な事があった日ですね。
それは365日(366日)どの日でもそうじゃない?と言われそうですが、私の誕生日は日本や世界を揺るがすような事件は起きていません。
Wikipediaは、素人でも自由に編集可能なサイトですから、たまたま私の誕生日に関心のある人が少なかっただけかもしれませんが。

上記引用が、私が調べた中で、自分で選んで引いたカードです。
解釈は、次回と致しましょう。

(つづく)

2020. 12. 19  
8日間に渡り、出雲大社の祭典は、今年(2020年)は、以下のように行われました。

1.神迎神事、続いて神迎祭:11月24日 19時〜 稲佐の浜
 ※ つまり、神々は日没後に、海の向こうからやって来る
 ※ 神様達は宿泊先の十九社にてお休み

2.神在祭:11月25日 9時〜 御本殿
 ※ この日から八百万の神々と大国主命は、出雲大社・境外摂社「上の宮」にて神議り(かみはかり/かむはかり)を始める
 
3.龍蛇神講大祭:11時~ 神楽殿
 ※ 龍蛇神は出雲大社の使いの神
 ※ 龍蛇神講という会に入会している方のみ参加

4.縁結び大祭(1日目・2日目):11月30・12月1日 御本殿前

5.神等去出祭(からさでさい):12月1日 16時〜 楼門
 ※ 神議りの会議を終えた八百万の神様達がお発ちになる

…という8日間になります。つまり、

出雲大社に虹がかかった12月4日は神等去出祭の3日後、旧暦10月21です。
大勢やってきたお客さんを送り出して、やっと出雲が落ち着いた頃合いでしょうか。

虹は天の蛇神。
凶兆と呼ばれるのは、きっと、天と地、この世とあの世、本当は隔てられているはずの世界を結ぶ橋だから……神様が上ったり降ったり、人間の魂もまた同じだから。

神様の方から人間に声をかけるのは、『警告』が多いと思います。
だから、結果的に凶兆が多い、ことになるのではないでしょうか。

神様は、怒って祟りを起こすのでなければ、人間に対してああしろこうしろと指図する存在ではないからです。
基本的に神様は人間の自由意志を認めて下さっていているのですから。

神護りを終えたばかりのオオナムチ/オオクニヌシが虹を架けたのなら、その神護りの内容を異例に一部明かしたのではないでしょうか。

異例に、というのは、神護り(かむはかり)とは、神事(幽業。かみごと)という、本来は人には予めそれとは知ることの出来ない人生諸般の事などを決めていると伝えられているからです。

話が逸れますが、そのようなことであれば、出雲大社に特定の人との御縁を願ったのに叶わなかったのであれば、それは『叶わない方が良い御縁』なのでしょう。
相手は居ないのだけれども良縁祈願したのに験がない人は、『今はその時期ではない』のでしょう。

その判定に納得がいかなければ、縁結びがお得意な神様がいらっしゃる別の神社、或いは仏閣を訪ねて願いをかけてみて下さいね。神仏や聖地にも、相性がありますから。

虹のお話に戻りますが、神のみぞ知る神護りを明かしたのであれば、出雲大社の虹は、神様の予言だということになります。

それも、個人単位ではなく、社会や世界に関わるようなことに対する、大きな予言です。

(つづく)

2020. 12. 18  
だいぶ間が空いてしまいました。前回『その3』は、2020/12/11 の記事になります。

その前日の記事にて、

政治:皇孫をトップとする天孫族。
祭祀:大己貴神。


と、大雑把にまとめました。
記紀は『神代』という伝説と、神武帝以降の『歴史』に分かれていて、神代では神であった神武帝は、歴史では人間にランクダウンします。

現人神(あらひとがみ)という概念もありますが、日本書紀が史書である以上、提出先の中国は当然に天皇は人間であるという前提で読んだと思います。
尊大な中華様が、東の蛮族の王が神である、なんて欠片も思う訳が無い。

そして、ここまで日本書紀の編纂に関わった権力者は、気付いていたのかいないのか?

1.幽界を治める大己貴/大国主を祀る出雲という地が、日本一の聖地になってしまった、ということに。
2.10月に八百万の神が出雲に集まるほど、神の頂点は大己貴/大国主になってしまった、ということに。


日本書紀・古事記の設定で言うと、《アマテラスという女神》は皇祖神ではありますが、政治的権力を明け渡す代わりに幽界で神事を司る王となった大己貴は、

天照大御神よりも格上です結果的に。
先に述べたとおり、最高位の神だから、八百万の神を集めることが出来る(当然に高天原系の神も含まれる)

日本書紀の編者が気付いていようといまいと、そのように人間が祀ってしまったのなら、神々の世界にもそれは反映されます。
そして、今年もやはり、旧暦10月には出雲大社で祭事が行われました。

御存知の通り、日本では10月を神無月と呼び、例外的に出雲では神在月と呼びます。
全ての神がみな出雲へ行き地元からいなくなる、という発想ですね。
※ 神は分霊して《勧請》した神々の御魂を余所の地で祀ることが可能な存在(だから全国に山ほど熊野神社その他がある)なので、神社が空っぽになる訳じゃないと私は思いますが。

尤も、出雲で重要なのは『旧暦10月』なので、現在の暦で言うと11月~12月です。
だから、出雲大社では、旧暦10月10日の神迎神事から10月17日の神等去出祭までの約1週間に、様々な祭典が行われます。

約1週間…
ああ、書いていて今更気が付いた。

8日間ですね。
現代まで受け継がれている《出雲の8》は、偶然、

…ではないのでしょう。出来過ぎていますもの。

(つづく)

2020. 12. 11  
日本書紀の記述によると、出雲の敗北によって、

1.大己貴曰く「私が抵抗すれば、この国の神々は戦い続けるだろう。しかし、私が引けば従わないものは居ないでしょう」と、敗戦を認めます。
  
 これは、《王の言葉》です。人望が厚い王だからこそ、からこのような事が言えたのです。己の国の民をこれ以上犠牲にしないために、大己貴自身は王の地位から去る決断をしたということです。

2.そして国を平定した時に用いた広矛(ひろほこ。大己貴の別名・八千矛の矛か?)を2柱の神(タケミカヅチ神とフツヌシ神)に授けて、「天孫がこの矛を以て国を治めれば、必ず平安になるでしょう」と神宝を手放します。

 出雲の神宝と言えば、スサノオ様とヤマタノオロチ由来の《剣》が有名ですが、《矛》もまた重要な神宝であったようです。
 夥しい量の遺物が発掘された荒神谷遺跡にも、銅剣358本(それまで日本国内の銅剣の数は300ほどだった)と銅矛16本と銅鐸6個が発見されました。

3.続けて大己貴曰く「私は今、百(もも)足らず八十隈(やそくま)へ隠れます」と言い終えて、姿を消した。

 百足らず八十隈とは、ざっくり言うと「とても遠いところ」です。そして「隠れた」「姿を消した。」
 このエピソードが単なる神話ではなく古代の歴史の反映だとすると(私はそのような立場です)マシだとしても流罪、最悪あの世というのが遠回しに語られています。

4.日本書紀は、本文以外に、「参考までに、違う伝承もあるよ」と、一書曰から始まる異文が多数あるのが特徴で、この場面でも同様です。
異文二によると、大己貴は国を譲ることに難色を示したので(当たり前です。自分が造った国に突然攻め入ってきて、「おの国は皇孫が治めるべき国だから明け渡せ」とは何という傲慢でありましょうか)、交換条件が出されます。それは、

 ・葦原中国(あしはらのなかつくに/大己貴が作った)と顕露のことを皇孫(と天孫族)が統治する。

 ・大己貴神は、神事(幽界・幽世)を統治する。

…という、2分割の統治提案です。

顕露(けんろ)とは、目に見える世界=この世のことです。
一方で、幽世(かくりよ)とは何か、というと、これがハッキリしません。

ズバリ言えば、顕世(うつしよ=この世)と対を成す『あの世』なのですが、黄泉の国(根の国か?)と全くイコールではないようです。
※ 根の国底の国に向かったのは、イザナミ神とスサノオ様だと思われます。

例えば、全ての子神を生み終えて、隠居なさったイザナギ神は黄泉には行っていない雰囲気です。
穢れたところだと散々忌み嫌っていましたから、それこそ死んでも行きたくないでしょうから、おそらく『幽世』です。

ここは、取り敢えずざっくりと、『皇孫と天孫族はこの世の統治』&『大己貴神はあの世の統治』であり、もっと具体的に言えば

政治:皇孫をトップとする天孫族。
祭祀:大己貴神。


という政教分離に似たような状態でしょうか。
でも、葦原中国の民は幽世に行く訳ではありません。彼らは皇孫を新たな王と仰ぎ服従するという役目があるのですから。
大己貴神は単独で幽世へと『隠れた』のです。
※ 事代主も『隠れた』ので、幽世に行ったのかも知れませんが

そんな大己貴神の為に宮殿を建てましょうという事になったのが、32丈(約96m)の出雲大社です。

尤も、何度も倒壊していますので、その度に建て替えられて、中世には16丈(約48m)という言い伝えがあります。

※ 鎌倉時代にはこんな感じだったのでは、というシミュレーション。
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階段を上ってゆく人間の小ささに驚きます。
15階建てのビルに相当するとのことなので、海風がもろに吹き付ける日は、かなり怖いと思います。

(つづく)

2020. 12. 10  
※ 前回の『その1』は一昨日、2020/12/08の記事になります。


さて、出雲大社に虹がかかるという幻想的な現象には、どんな意味があるのか?

SNSでは、皆が口々に美しい素晴らしい幸先がいい吉兆だ等々と喜んでいたので、その場で凶兆とかろくでもないコメントをしなくて良かったと思います……

実際、昨日タロットカードを例えに持ち出しましたが、概ね凶意に読まれることが多いカードでも、他のカードとの組み合わせで意味合いに変化が生じるので、裏か表か的に吉か凶か安直に判断しても、それこそ意味が無いのです。

この現象を占いたいなら、可能な限りの条件を挙げて、意味を読み解かなくてはなりません。

読み解く鍵としては…

何故、出雲大社という、大きな霊場が舞台なのか?

大きな霊場というならば、例えばどうして伊勢神宮ではないのか?

12/4とは、どういう日なのか?


辺りでしょうか。
私は出雲に土地勘がありませんので、ほかにもあるかもしれません。この記事を読んでいる方も、興味があったら考えて頂けたらと思います。

まず、出雲大社という《特殊》な場所。

誰が言い始めたのか、平和裡な『国譲り』なんてものがあるはずもなく、要するに跡継ぎの事代主が海に隠れてしまい(歴史として考えれば戦死か処刑)、未来が経たれた大国主(日本書紀では一貫して大己貴なのには何か意味があるのでしょう)が交渉の席に着いた。

と言っても、交渉なんて形ばかりで、

戦後のマッカーサーと昭和天皇みたいなものです。

歴代天皇は、当然に皇孫の末裔を名乗っているのですけれども、この時の立場は皇孫を戴くタケミカヅチ神とフツヌシ神がマッカーサーで、大己貴が昭和天皇です。

昭和天皇に拒否権がなかったように、大国主にもそれがあった訳がなく、最終的に大国主は条件を飲んで国を明け渡します。

終戦後、交渉の席で、昭和天皇は「全ての責任は私にある。だから国民の罪を問わないで欲しい」と、悲愴なほどの慈愛の帝の御覚悟で仰いました。

バリバリに反日家であったマッカーサーですら、驚きました。
何故なら、敗戦国の元首はまずは自分の命乞いをするのが世界の常識であったのに、昭和天皇は自分の身の上はどうなってもよいと告げたのです。

これ以上国の民を犠牲にはしないと、独り去っていった大己貴もきっと同じで、私はこの国の偉大な君主の御心を思うと胸が詰まるのです。

(つづく)

プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
ホlツlマlツタヱ・富l家l伝承・徐l福l伝l承・日lユl同l祖l論・アlイlヌl先l住l民族説お断り。

定義山西方寺を崇敬。秋篠宮家と伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。
透明水彩絵師。

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