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2020. 11. 22  
日本人の宗教観は、とても穏やかです。

神も仏も信じていないという人でも、元旦に初詣に行けば自然に手を合わせてこうべを垂れ、おみくじに一喜一憂し、お盆にはご先祖様が帰ってくるとお墓参りをして冥福を祈る、そのような民族であり、国です。

そして、わかりやすく怪しげな新興宗教は疑ってかかり遠巻きにしますが、古くから大陸に存在する歴史ある宗教に対しては、特に敵視もせず、警戒もせず、差別もしません。
それが日本人の『当たり前』です。だから、

一神教が持っている熱狂的な、まさしく狂ったカルトの性質を、多くの日本人は全く知らずにいます。

唯一絶対の神。という絶対。唯一無二の存在。
それを戴いて生きている信者達が、どのような世界観を持っているのか、日本人は理解していません。

キリスト教の場合、総本山であるバチカンが主導するならば、信者にとってそれは唯一絶対の神の意志と同一であり、必ず遂行しなければならない使命であり、従わないという選択肢は一切存在しないのです。

世界に存在する様々な宗教に対する、日本人の寛容な態度は、世界的には異例中の異例だと思って下さい。

一神教の信者たちは、カトリックに限らず、長い歴史の中で己が信ずる《唯一絶対という正義》の為に、紀元前から戦争をして殺し合いをしてきたのです。

この熱狂を、狂気を、日本人は理解出来なくても、『そういうものはこの世界にいくらでも存在する』ということ、そして『日本は侵略すべき異教徒の国として標的になっている』という現実は、知って置いて下さい。

いいですか。
彼らにとって、それは暴挙ではなく、悪意ですらないのです。《神の正義》であるという恐ろしさはそこです。

この動画ではカトリックが挙げられていましたが、露骨に胡散臭い《統一教会》や、カトリックよりも緩い印象の《プロテスタント》でも、油断ならないと警戒するべきです。

大航海時代という大侵略時代に、プロテスタントも積極的に参加し、アジア・アフリカ・アメリカ大陸の原住民を虐殺し、或いは奴隷とし、切り取り放題に植民地にしたのですから。

日本はその頃戦国時代で、優れた鉄砲を持ち、どっかで戦が起これば農民すら「ちょっくらひと稼ぎしてくる」獰猛な傭兵集団になったという軍事大国であったが為に征服し損なっただけです。

征服はされませんでしたが、それでも宣教師達は日本でキリスト教を布教しついでに信者に神社仏閣の破壊を命令し(これが一神教の他者の否定と攻撃性)、数多くの日本人が奴隷として世界中に売られました。

それに激怒した豊臣秀吉が宣教師とキリスト教の排除を決断し、徳川家康が完全に追い出した、というのが16世紀頃のことです。

そんな宗教戦争が、21世紀になってもまだ続いていたとは、恐るべき事です。
私達は、一神教が掲げる《正義》という侵略から、日本人と日本という国を、守り抜かなくてはならないのです。

それこそ、絶対に。


2020. 11. 21  
これは、2020/08 に出回ったツイートなので、疾うに御存知の方は多いかと思いましたが、私は今更知ってここまで露骨に日本を侵略する計画が進んでいたのかとショックを受けたので、まだ知らない人のために動画付きのツイートのアドレスを貼って置きます。

また、このツイートが今後も消されずに残っている保証は何処にもないので、内容を記しておきます。
どのようなテーマでこのような発言が出たのかは分かりませんが、背景から言って国会での発表であり、国会議員なら誰でも知っているはずの内容です。

【カトリックの真実】(←動画付の元ツイです)

(以下、動画内の発言を書き起こします)

>バチカン市国から指名されて、日本に配属されている所謂『司教』の方々が、どういったことを信者の皆さまに対して言っているか、ということなんですけれども、ちょっと一例を挙げてみます。

>反政府的デモ活動への積極的に参加することは信者の義務であると宗教指導、

>中核派や革マル派が主催する活動でも、反政府的デモに積極的に参加することは信者の義務であると呼びかけ、

>信者として反政府的意識を持つように呼びかけ、反政府的活動は信者の義務だと宗教指導、

>宗教の言葉を引用し、日本の社会構造及び文化意識への批判を行い、反対運動をとるのは信者の義務だと扇動、

>憲法改正は戦争を起こす行為との議論そのものを否定し、また改憲反対活動をするのは信者の義務として奨励し、遂行

>所謂従軍慰安婦なるものの存在を、政府に求める活動は信者の義務として奨励遂行、と

>このような事をですね、全国のカトリック教会組織を用いて行っているようなんですよ。

>これ、ここだけ見ればですね、これは(カトリックの)完全な反社会活動、と言わざるを得ない


(画像はここで終了。下線は私)


つまり、カトリックは、西欧が大航海時代という美名で語る、実質は大侵略時代に行った、非キリスト教圏の異民族に対する野蛮な弾圧と侵略行為を、或いは戦後にGHQが行った日本を弱体化させる為に日本人の精神と文化を折るという活動を、21世紀に入って20年になる現代でも、何ら変わらずに続けているということです。

(つづく)

2019. 12. 24  
さて、今夜からクリスマスです。

…というと、「?」と思う人も結構いらっしゃると思うのですが、
クリスマスイブ=クリスマスの夜でございます。

ユダヤやローマや教会の暦が、日没から1日が始まるということで、24日没~25日没まで、がクリスマス当日となります。
日没は、地平線(水平線)の彼方に陽が落ちたら、と私は思っていたのですが、一番星が見えたら説もあるようです。

私は、案外キリスト教に縁があります。
例えば、夫とは宗教曲(当然にキリスト教の)を歌う合唱団と出会ったのですし、3人の子供たちは全員キリスト教系の幼稚園にお世話になったのですし、そもそも夫自身もキリスト教系の幼稚園出身(子供たちとは違う園)だったりします。

合唱団では、ミサ曲その他、これでもかと歌わされましたので(歌わされた、とウッカリ書く程度に、厳しい合唱団だった)、当然に、ラテン語の読み方、歌うときの発音、それ以上にもっと大切なこととして、その歌詞に込められた意味も教わりました。
最大限に、その曲に込められた意味を、心を、歌ってきたつもりです。

つもり、というのは、結局は私が、キリスト教の唯一なる絶対神に縋る理由を、全く必要としていない、神社の神やお寺の仏様に当たり前に手を合わせる、ありがちな日本人であるからでしょう。
八百万の神という多様性、初期の仏教がどのようなものであったかは私が不勉強故に知らないのですが、仏様の在り方もまた多様で、インドの神様を天部などに取り込んでいたりします。

そういう、多様性の共存や、モノにさえ魂が宿るという感覚が当たり前で、そうでないのは息苦しいのだと思います。
……というのが、漠然とした理由なのですが、本質的に

無理!その思考回路は絶対に無理!!理解不能!!!

と叫んだ理由がありまして。
それはまさに、クリスマスというやつなのでございます。

Merry Christmas ! と人々が陽気に叫ぶアレです。

ここで使われる Merry は、特に捻りもせずに『陽気な・浮かれた・楽しい』という意味です。
その辺が、私には違和感でした。

イエス・キリストは、自らをユダヤの王・神の子等と詐称したという罪で囚われの身となり、王冠ではなく茨の冠を被せられ、棘のついた鞭で打たれ、処刑場に至る道のりでは人々に石を投げられ、そして十字架に磔にされて死んだ…という、悲劇の人です。

イエス・キリストは、彼が愛した人間たちに殺されたのです。

Stabat Mater(スターバト・マーテル)という宗教曲があるのですが、これは『母が立っていた』という意味で、タイトルであると同時に、歌詞の冒頭でもあります。

Stabat mater dolorosa  悲しみの母は立っていた
iuxta Crucem lacrimosa, 十字架の傍らに、涙にくれ
dum pendebat Filius. 御子が架けられているその間

その後に続く歌詞も、マリアというひとりの母親の、胸が張り裂けんばかりの悲しみが続きます。

こんな死に方をした人が、生まれたとされた日、それがクリスマスです。
なのに、そんな人のお誕生日に、何故にうかれまくって、楽しく Merry Christmas ! なの!?
キリスト教徒は、全員脳味噌が誤作動してるのか!?

夫:『どうせ復活したんだから、いいんだよ』

……は い?

ちょっと待て。今、何つった???

私:『生き返ったから、死んだのは別にオッケーで、Merry Christmas ! なのかよ!』←思わず叫ぶ
夫:『そうなんじゃない?』←けろっと、サラッと
私:『そーゆーもん!?』
夫:『死んだのは一時的なことで、しかも死ぬことで人間の罪を背負ってくれたっていうありがたいことで、また神として天に上っていったんだから、無問題なんだよ』

夫が通っていた幼稚園は、キリスト教の教えについてはかなり厳格で、サンタはいないとか、無邪気な幼児がショックのあまりにギャン泣きしそうなことを、容赦無く教えてくれた幼稚園です。
そこで育った夫が言うんだから、多分本当にそうなんでしょう……

そう。
唯一絶対の神が、死ぬ訳がない

三位一体であるからして、人間として生まれたイエス・キリストは、神の子であると同時に、そもそもが神なのです。

でも。
私には、そこが理解不能なのです。
どうしても、共感出来ない。

仮の姿とは言え、人ひとりが、拷問を受けた末に磔にされて、死んだのに。その十字架の下に母マリアは立ち尽くし、涙を流したのに。

なのに、その非道い人間の仕打ちは、生き返ったら帳消しだというのか?
奇跡だ、救い主だと浮かれ、その誕生の日は、Merry Christmas なのか?

その時、私は心から思ったのです。きっと私には、一生理解不能だと。
あれほど宗教曲を誠心誠意歌った私だけれども、絶対にキリスト教徒にはなれないと。

尤も、敬虔なキリスト教徒は、クリスマスイブには厳粛なミサに出席し、お祭り騒ぎとは無縁のようですが。

私は毎年、家族でクリスマスケーキだけは頂く、年が明けたら初詣に行く、ありがちな日本人のままでいたいのです。


プロフィール

chikaru414

Author:chikaru414
日本の神話と神社仏閣、それにまつわる歴史が好きです。
スサノオ様、スセリヒメ様はじめ出雲の神様と水神様推し。
ホlツlマlツタヱ・富l家l伝承・徐l福l伝l承・日lユl同l祖l論・アlイlヌl先l住l民族説お断り。

定義山西方寺を崇敬。秋篠宮家と伊達政宗公を尊敬する伊達家家臣末裔です。
透明水彩絵師。

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