2023.
01.
30
まずは、筆者のあとがきより引用させて頂きます。
>私の乏しい読書量で言うのも気が引ける が、これまで読んできたさまざま な『古事記』に関する著作 から、磯わたる風の香や、潮騒の響きを感じたことは、多くはない。
>『古事記』で語られている神話は、どの角度からアプローチするにしても、海からの視点抜きには見えてこない。そうした思いから、核になるポイントのいくつかに焦点を当てて本書を書いた。(引用終わり)
そして、この著者に乏しい読書量とか言われると、私の立つ瀬など何処にもありません。
どにかく、この本は情報量がすごいです。
私が知らなかった日本の神話、伝承が、これでもかこれでもかと書き連ねてあります。
読書量もさることながら、相当のフットワークと情熱をお持ちなのだと推察します。
かといって、古事記専門の方でもないんです。
思うよりずいぶん著作の傾向にばらけていて、絶対この人は本の虫だし好奇心も旺盛でだからと言って延々と机上で作業を続けるばかりの人でもない。
頭がいい人って、成績を上げようと頑張っている人、とは限らないんですよ。
というか、私の友人で学問の道へ行った人は、当たり前ですがめっちゃ勉強や研究が好きです。
特に勉強が好きな訳じゃないのに、親が自分の子供が成績上位でなければ気が済まなかったので、とにかくギリギリ旧帝大に滑り込むまでは勉強という苦行にたえ続けた私とは、全く違う人達。
羨ましいです。好奇心が旺盛であることは、その人の人生を豊かで楽しいものにするのですから。
さて、この本を読み終わって最初に思ったことは、
『……もう一度読み返そう……』
…でした。
だって、新しい情報のオンパレードなので、私レベルの脳内情報では理解と記憶が追い着いていかないのです。ついていけなくても興味があるのなら又読み返すしかありません。
私の興味とは、ズバリ《海人族》です。
もっと言えば、縄文時代から活躍していた海人族を理解する為に、海人族の神話を知りたいのです。
何故、海人族なのか。
現在にあっても、日本は7割産地の国です。
実は国土面積は案外ある(ヨーロッパと重ねてみると、南欧から北欧まで及ぶ)日本ですが、長細いので平野が少ない『でっかい島』であって、島なんですから周りは海に囲まれています。
近所に似た単語を持つ地域・民族はあっても、孤立したがラバゴス言語になってしまった程度に、日本は大規模な民族移動とは無縁な島国でした。
古代の平野は今よりずっと少なかったはずです。平野は土砂が堆積して出来る物だからです。
関東平野は、家康が灌漑を推し進める前はぐちゃぐちゃとした結構どーしよーもない土地でした。
規模は小さくなりますが、仙台平野もそうです。
豊臣秀吉が伊達政宗公に与えたのは嫌がらせでしょう。でも、政宗公は水路を巡らせて城下町から余計な水を排出し、湿地を広大な米所にして江戸に集まる米の3割は仙台藩のものにした。
そんな、山と海しかないような日本で、どんな人々が活発に生きていたのかというと、海を自由自在に渡る海人たちです。
山がちの国土は陸路を開発維持するのは非常に難しく、海路が王道だった時代が、日本は長く続きました。
なのに、記紀神話を読むと、農耕神ばっかり出てくるのです。
もう、神名に『穂』とか『火』とか『いね』『いな』とか付いてる神様多過ぎる。
何でここに『火』が出て来るかというと、古代日本の人々は、ありとあらゆる命に『火』が宿っていると考えていたからです。
イザナギが斬り捨てたカグツチ神の血や死体から数多くの神が産まれたように。
なんなら水神さえ火の神カグツチの血から生まれているほどに。
だから、『火』が付いても火の神や太陽神とは限らない。
日本書紀で別名火産霊(ほむすび)と呼ばれるように、作物の生命力や豊かな実りを表す神々が、ホント多い。
ちょっと待て。
日本は農耕がメインの国じゃないじゃろがい!!
昭和の時代さえ、港町の人達はめっちゃ魚食べてました。
当然お米は食べますが、ここの人達体の8割くらい魚で構成されてるだろ、とか余所者の私には異様に見えるほどに魚を食べる人々でした。
今は、港町はすっかり寂れて、漁業に従事する人も減り、漁獲量も減りました。
……が。ほんの4,50年前まで、日本は確かに漁業が栄えている国だったのです。
海を渡るのに飛行機が一般化するまでは、人は海路で移動していたのです。
海路しかないじゃないですか日本なんだから。
だから、私も藤巻氏のように、神話で海の神達が活躍せずに、重要とされる神々が火火火稲稲稲なのが、どうにも納得出来なくて、海人族に関する本を読んだのです。
スサノオ様が、う@こ食わせられたと激怒してぶった切ったオオゲツヒメの死体から発生したのは、様々な穀類や豆の種、そして蚕でした。
農耕民の発想で、農耕民の神話です。
ツクヨミもウケモチ神のゲロを食べさせられましたが、ウケモチはかろうじて海の幸もゲロっていたのでこちらの方がまだ幾分《磯の香り》が残る神話です。
とにかく、古事記には海の神が足りない。
特に、数多存在した《海人族の太陽神》たちは、敗北して去ったり、登場しても太陽属性を奪われていたり、そもそも古事記の神話からは弾かれている。
そういう神々と、輝く海と、海風の匂いを届けてくれる一冊です。
以前紹介した『アユノカゼの文化史 ―出雲王権と海人文化―』(室山敏明 著) と共にお勧めしたい本です。
>私の乏しい読書量で言うのも気が引ける が、これまで読んできたさまざま な『古事記』に関する著作 から、磯わたる風の香や、潮騒の響きを感じたことは、多くはない。
>『古事記』で語られている神話は、どの角度からアプローチするにしても、海からの視点抜きには見えてこない。そうした思いから、核になるポイントのいくつかに焦点を当てて本書を書いた。(引用終わり)
そして、この著者に乏しい読書量とか言われると、私の立つ瀬など何処にもありません。
どにかく、この本は情報量がすごいです。
私が知らなかった日本の神話、伝承が、これでもかこれでもかと書き連ねてあります。
読書量もさることながら、相当のフットワークと情熱をお持ちなのだと推察します。
かといって、古事記専門の方でもないんです。
思うよりずいぶん著作の傾向にばらけていて、絶対この人は本の虫だし好奇心も旺盛でだからと言って延々と机上で作業を続けるばかりの人でもない。
頭がいい人って、成績を上げようと頑張っている人、とは限らないんですよ。
というか、私の友人で学問の道へ行った人は、当たり前ですがめっちゃ勉強や研究が好きです。
特に勉強が好きな訳じゃないのに、親が自分の子供が成績上位でなければ気が済まなかったので、とにかくギリギリ旧帝大に滑り込むまでは勉強という苦行にたえ続けた私とは、全く違う人達。
羨ましいです。好奇心が旺盛であることは、その人の人生を豊かで楽しいものにするのですから。
さて、この本を読み終わって最初に思ったことは、
『……もう一度読み返そう……』
…でした。
だって、新しい情報のオンパレードなので、私レベルの脳内情報では理解と記憶が追い着いていかないのです。ついていけなくても興味があるのなら又読み返すしかありません。
私の興味とは、ズバリ《海人族》です。
もっと言えば、縄文時代から活躍していた海人族を理解する為に、海人族の神話を知りたいのです。
何故、海人族なのか。
現在にあっても、日本は7割産地の国です。
実は国土面積は案外ある(ヨーロッパと重ねてみると、南欧から北欧まで及ぶ)日本ですが、長細いので平野が少ない『でっかい島』であって、島なんですから周りは海に囲まれています。
近所に似た単語を持つ地域・民族はあっても、孤立したがラバゴス言語になってしまった程度に、日本は大規模な民族移動とは無縁な島国でした。
古代の平野は今よりずっと少なかったはずです。平野は土砂が堆積して出来る物だからです。
関東平野は、家康が灌漑を推し進める前はぐちゃぐちゃとした結構どーしよーもない土地でした。
規模は小さくなりますが、仙台平野もそうです。
豊臣秀吉が伊達政宗公に与えたのは嫌がらせでしょう。でも、政宗公は水路を巡らせて城下町から余計な水を排出し、湿地を広大な米所にして江戸に集まる米の3割は仙台藩のものにした。
そんな、山と海しかないような日本で、どんな人々が活発に生きていたのかというと、海を自由自在に渡る海人たちです。
山がちの国土は陸路を開発維持するのは非常に難しく、海路が王道だった時代が、日本は長く続きました。
なのに、記紀神話を読むと、農耕神ばっかり出てくるのです。
もう、神名に『穂』とか『火』とか『いね』『いな』とか付いてる神様多過ぎる。
何でここに『火』が出て来るかというと、古代日本の人々は、ありとあらゆる命に『火』が宿っていると考えていたからです。
イザナギが斬り捨てたカグツチ神の血や死体から数多くの神が産まれたように。
なんなら水神さえ火の神カグツチの血から生まれているほどに。
だから、『火』が付いても火の神や太陽神とは限らない。
日本書紀で別名火産霊(ほむすび)と呼ばれるように、作物の生命力や豊かな実りを表す神々が、ホント多い。
ちょっと待て。
日本は農耕がメインの国じゃないじゃろがい!!
昭和の時代さえ、港町の人達はめっちゃ魚食べてました。
当然お米は食べますが、ここの人達体の8割くらい魚で構成されてるだろ、とか余所者の私には異様に見えるほどに魚を食べる人々でした。
今は、港町はすっかり寂れて、漁業に従事する人も減り、漁獲量も減りました。
……が。ほんの4,50年前まで、日本は確かに漁業が栄えている国だったのです。
海を渡るのに飛行機が一般化するまでは、人は海路で移動していたのです。
海路しかないじゃないですか日本なんだから。
だから、私も藤巻氏のように、神話で海の神達が活躍せずに、重要とされる神々が火火火稲稲稲なのが、どうにも納得出来なくて、海人族に関する本を読んだのです。
スサノオ様が、う@こ食わせられたと激怒してぶった切ったオオゲツヒメの死体から発生したのは、様々な穀類や豆の種、そして蚕でした。
農耕民の発想で、農耕民の神話です。
ツクヨミもウケモチ神のゲロを食べさせられましたが、ウケモチはかろうじて海の幸もゲロっていたのでこちらの方がまだ幾分《磯の香り》が残る神話です。
とにかく、古事記には海の神が足りない。
特に、数多存在した《海人族の太陽神》たちは、敗北して去ったり、登場しても太陽属性を奪われていたり、そもそも古事記の神話からは弾かれている。
そういう神々と、輝く海と、海風の匂いを届けてくれる一冊です。
以前紹介した『アユノカゼの文化史 ―出雲王権と海人文化―』(室山敏明 著) と共にお勧めしたい本です。

2023.
01.
29
タカミムスビが、国譲りの後もなお、大国主(大物主?)に、まだお前信用できねーから俺の娘と結婚しろや、ということで新妻になったのが三穂津姫(ミホツヒメ)で、名の由来は美保(ミホ)に住んだから、……というのですが、本当かなあ?
ミホツヒメの子孫は語られていないし、既にミホススミという女神がいたので似た名前の女神を設定して打ち消そうと出してきたか、ミホススミ=ミホツヒメ=タカミムスビの娘で天津神だよ~という設定の為のダミーだという気もします。
何故なら、……ミホススミっていう女神、皆さん知ってます?
知っている人は地元民か神話ヲタかどっちかです。
ミホススミの名を葬るのが目的だったのなら、その目的は成功したと言えるでしょう。
オオヒルメも、イチキシマヒメを置いて去ったのではないでしょうか。
でも、この説を採ると…
私には、予てから、スセリヒメ=宗像三女神という等式が成り立つ系図が出来上がっているので
スサノオ×オオヒルメの娘=宗像三女神=スセリヒメ、という等式も自動的に成立してしまうのです。
私は、オシホミミはスサノオ様のダミーで、ニニギ尊はオオヒルメの孫ではなくて息子(ここは神代でも孫に皇位を譲った前例を作りたかった持統天皇の意向)だと推定しているので、その推定を組み合わせればスセリヒメとニニギは同母の兄妹or姉弟ということになります。
一緒に母の元で暮らしていれば、ヒメヒコ統治できる間柄です。
何なら、自動的に、謎の女神・神大市比売はオオヒルメになります。
確かに私は、神大市比売を通説のような『大きな市場の神』とは思っていませんでした。
市は市場の市じゃなくて、イチキシマヒメのイチでしょーよ。
イチキシマヒメという名は、玉依姫のように『斎(いつき)祀る姫』という巫女神であって、普通名詞に近いと思っていました。
何故なら、市杵島姫の別名は『サヨリヒメ』であり、ウガヤフキアエズの妻『タマヨリヒメ』と同じ性質だからです。
どちらも、神聖な御魂を降ろす巫女姫という意味です。
市杵島姫の『シマ』を考慮するなら、宗像のように島を御神体にして祀る巫女たちが、海の女神として信仰された神名なのだろうと。
ならば、『オオイチヒメ』は『オオイチキシマヒメ』の略称であろうと。
だったら…だったらですね。
今更気付いたんですけどね。
神大市比売って、大年と宇迦之御魂の母なんです。
神大市比売がオオヒルメなら、もうひとり息子ニニギが加わって、
大年=饒速日はニニギの兄だった。
という、私が今まで絶対コレ神話のこじつけだろ嘘くせーと思っていた設定そのものになってしまうのです。
大年=饒速日の方が兄ならば、末子相続の法則で、弟のニニギ尊のほうに分があります。
ついでに、スセリヒメは上記兄弟の姉か妹になるので。
スセリヒメが出雲の巫女王、饒速日が大和の王になった時点で、母神のオオヒルメは葦原中国は私の子供(スセリ&ニニギ)のもの!譲れ!!
と戦を仕掛けてくる《正当性》は一応有るのです。……
うわあああああこの説イヤだーーー!!
私はスセリヒメ様もクシナダヒメ様も推しなんだよ!!
スセリヒメ様はクシナダヒメ様の愛娘だと信じていたいんだよーーーー!!!
自分の考察が地雷とか、心から勘弁して欲しい。
神様、どうか私をお救いください……
ミホツヒメの子孫は語られていないし、既にミホススミという女神がいたので似た名前の女神を設定して打ち消そうと出してきたか、ミホススミ=ミホツヒメ=タカミムスビの娘で天津神だよ~という設定の為のダミーだという気もします。
何故なら、……ミホススミっていう女神、皆さん知ってます?
知っている人は地元民か神話ヲタかどっちかです。
ミホススミの名を葬るのが目的だったのなら、その目的は成功したと言えるでしょう。
オオヒルメも、イチキシマヒメを置いて去ったのではないでしょうか。
でも、この説を採ると…
私には、予てから、スセリヒメ=宗像三女神という等式が成り立つ系図が出来上がっているので
スサノオ×オオヒルメの娘=宗像三女神=スセリヒメ、という等式も自動的に成立してしまうのです。
私は、オシホミミはスサノオ様のダミーで、ニニギ尊はオオヒルメの孫ではなくて息子(ここは神代でも孫に皇位を譲った前例を作りたかった持統天皇の意向)だと推定しているので、その推定を組み合わせればスセリヒメとニニギは同母の兄妹or姉弟ということになります。
一緒に母の元で暮らしていれば、ヒメヒコ統治できる間柄です。
何なら、自動的に、謎の女神・神大市比売はオオヒルメになります。
確かに私は、神大市比売を通説のような『大きな市場の神』とは思っていませんでした。
市は市場の市じゃなくて、イチキシマヒメのイチでしょーよ。
イチキシマヒメという名は、玉依姫のように『斎(いつき)祀る姫』という巫女神であって、普通名詞に近いと思っていました。
何故なら、市杵島姫の別名は『サヨリヒメ』であり、ウガヤフキアエズの妻『タマヨリヒメ』と同じ性質だからです。
どちらも、神聖な御魂を降ろす巫女姫という意味です。
市杵島姫の『シマ』を考慮するなら、宗像のように島を御神体にして祀る巫女たちが、海の女神として信仰された神名なのだろうと。
ならば、『オオイチヒメ』は『オオイチキシマヒメ』の略称であろうと。
だったら…だったらですね。
今更気付いたんですけどね。
神大市比売って、大年と宇迦之御魂の母なんです。
神大市比売がオオヒルメなら、もうひとり息子ニニギが加わって、
大年=饒速日はニニギの兄だった。
という、私が今まで絶対コレ神話のこじつけだろ嘘くせーと思っていた設定そのものになってしまうのです。
大年=饒速日の方が兄ならば、末子相続の法則で、弟のニニギ尊のほうに分があります。
ついでに、スセリヒメは上記兄弟の姉か妹になるので。
スセリヒメが出雲の巫女王、饒速日が大和の王になった時点で、母神のオオヒルメは葦原中国は私の子供(スセリ&ニニギ)のもの!譲れ!!
と戦を仕掛けてくる《正当性》は一応有るのです。……
うわあああああこの説イヤだーーー!!
私はスセリヒメ様もクシナダヒメ様も推しなんだよ!!
スセリヒメ様はクシナダヒメ様の愛娘だと信じていたいんだよーーーー!!!
自分の考察が地雷とか、心から勘弁して欲しい。
神様、どうか私をお救いください……

2023.
01.
28
ここで思い出されるのが、八重垣神社の壁画です。
スサノオとクシナダヒメ、そして両親のアシナヅチ・テナヅチ夫婦。……という微笑ましい一家に加えて、何故か女神アマテラスとその娘イチキシマヒメ。
スサノオ様が困り顔のように見えるのは、検索画像がたまたまそう見えたのでしょうか。実物を見たことがないのでよく分かりません。
でも、クシナダヒメ様が何やら機嫌が悪そうだ、という感想は今まで何回か見かけたことがあります。
その微笑ましい一家に、スサノオ様が地方妻とその娘を連れて来たのです。
偉大なる出雲女王・クシナダヒメの目の前に、入婿の夫が図々しくも妾と庶子を連れ込んだという、クシナダ様がブチ切れてもおかしくないこんな場面を何で壁画にしたのか、私も絵描きですがサッパリ意味が分かりません。
私はスサノオ様を推してますが、クシナダ様は、スサノオ様をしばき倒して妾と庶子を追い出して塩を撒いてもいいと思います。(私はクシナダ様も推してる)
一夫多妻制?そんなの知るか。いつの時代の妻もその他大勢になりたくなんかないのよ。
男だってそうじゃろがい!!
……が、オオヒルメが出雲で暮らしたという話までは聞いたことがありません。
集められた地方妻が、ふるさとに帰る方法が唯一あったのではないでしょうか。
それは、産んだ子供を置いて去る、という手段です。
出来るなら、女児が望ましい。
母のふるさとで巫女になる(女王や女族長になる)権利を持つ女児ならば、人質としての価値は高いだろうし、成長したら征服者の一族の妻にしてしまえば征服し続ける《正当性》を主張出来るからです。
ヤガミヒメの子は、木の股に挟んで置いて行かれたことから木俣神(きまたのかみ)、井戸の神であることから御井神(みいのかみ)と呼ばれ、ストーリー上は性別不明なのですが、女神でしょう。
理由は、水神は女神のことが多い、というのに加えて、地下に向かう『窪み』の水神なら、尚更女神でしょう。
そして、井戸とは異界への入口です。
黄泉津大神となったイザナミ様とイメージが重なります。
オオナムチも『木の股をくぐって』根の国に辿り付いた。
そして、ヌナカワヒメは失われましたが、出雲国風土記に、ハッキリと出自が記述されたヌナカワヒメの御子神の名が残されています。
御穂須須美命(みほすすみのみこと)という、推定・女神様です。
※ 因みにタケミナカタと同一とかタケミナカタの幼名とか言う説もある。私は女神だと思いますが
島根半島の東端・美保関(みほのせき)と能登半島の北端・珠洲岬(すずみさき)、二つの岬を本拠地とする珍しい信仰の地主神です。
能登半島……ここから母・ヌナカワヒメが逃げたという伝説が痛ましいです…
スサノオとクシナダヒメ、そして両親のアシナヅチ・テナヅチ夫婦。……という微笑ましい一家に加えて、何故か女神アマテラスとその娘イチキシマヒメ。
スサノオ様が困り顔のように見えるのは、検索画像がたまたまそう見えたのでしょうか。実物を見たことがないのでよく分かりません。
でも、クシナダヒメ様が何やら機嫌が悪そうだ、という感想は今まで何回か見かけたことがあります。
その微笑ましい一家に、スサノオ様が地方妻とその娘を連れて来たのです。
偉大なる出雲女王・クシナダヒメの目の前に、入婿の夫が図々しくも妾と庶子を連れ込んだという、クシナダ様がブチ切れてもおかしくないこんな場面を何で壁画にしたのか、私も絵描きですがサッパリ意味が分かりません。
私はスサノオ様を推してますが、クシナダ様は、スサノオ様をしばき倒して妾と庶子を追い出して塩を撒いてもいいと思います。(私はクシナダ様も推してる)
一夫多妻制?そんなの知るか。いつの時代の妻もその他大勢になりたくなんかないのよ。
男だってそうじゃろがい!!
……が、オオヒルメが出雲で暮らしたという話までは聞いたことがありません。
集められた地方妻が、ふるさとに帰る方法が唯一あったのではないでしょうか。
それは、産んだ子供を置いて去る、という手段です。
出来るなら、女児が望ましい。
母のふるさとで巫女になる(女王や女族長になる)権利を持つ女児ならば、人質としての価値は高いだろうし、成長したら征服者の一族の妻にしてしまえば征服し続ける《正当性》を主張出来るからです。
ヤガミヒメの子は、木の股に挟んで置いて行かれたことから木俣神(きまたのかみ)、井戸の神であることから御井神(みいのかみ)と呼ばれ、ストーリー上は性別不明なのですが、女神でしょう。
理由は、水神は女神のことが多い、というのに加えて、地下に向かう『窪み』の水神なら、尚更女神でしょう。
そして、井戸とは異界への入口です。
黄泉津大神となったイザナミ様とイメージが重なります。
オオナムチも『木の股をくぐって』根の国に辿り付いた。
そして、ヌナカワヒメは失われましたが、出雲国風土記に、ハッキリと出自が記述されたヌナカワヒメの御子神の名が残されています。
御穂須須美命(みほすすみのみこと)という、推定・女神様です。
※ 因みにタケミナカタと同一とかタケミナカタの幼名とか言う説もある。私は女神だと思いますが
島根半島の東端・美保関(みほのせき)と能登半島の北端・珠洲岬(すずみさき)、二つの岬を本拠地とする珍しい信仰の地主神です。
能登半島……ここから母・ヌナカワヒメが逃げたという伝説が痛ましいです…

2023.
01.
27
ここでは同一説は脇に置いて、ヤガミヒメも正妻スセリヒメ様の宮にひとりでのこのこやって来たのではないということです。
大国主がヤガミヒメを因幡から連れてきたんです。
ヌナカワヒメの地元にはには悲劇の伝説があり、オオナムチから逃げて殺されたり自死したり、夫がいたが戦争になり殺されたりと、古事記のエロいロマンスとは程遠い状態なのですが、『能登半島まで来たところで逃げた』→『オオナムチが部下に追わせた』という具体的な伝承もある程度に、オオナムチはヌナカワヒメを伴って能登半島まで来たけれどもも、海路で出雲に帰還しようとした隙にヌナカワヒメは脱出して逃避行をした、という事だと思います。
ヌナカワヒメは翡翠の産地の姫です。
その翡翠がどのくらいすごいかというと、日本では翡翠が取れないというのが常識だったのに、古代に日本中で発掘される翡翠は全て同じ産地のものだという調査結果しか出ない。
新羅の王の冠も、翡翠がジャラジャラ付いていました。それも同じものです。
※ 結果的に、熱心な学者さんが探し続けてやっと糸魚川の産地を突き止めてくれました。現在は採掘禁止です
日本で唯一の翡翠の国の巫女姫が、その地を離れたい訳がない。
周囲の者たちも、貴重な翡翠の巫女姫を奪われる訳にはいかない。
ヌナカワヒメは奪われたし、そこから懸命に逃げたのです。
《八千矛》はヌナカワヒメを出雲に連れ帰る予定だった。でも叶わなかった。
でも、このストーリーが歴史を反映していたなら、ヌナカワヒメを得られなくても、越の翡翠の産地は大国主のものであり、そこまで勢力を拡大したということです。
その為の『妻まぎ』(妻を探しに旅出ること。八十神の最後尾をオオナムチが大きな袋を背負って歩いていたのは旅をする為)です。
《国譲り》という、出雲サイドにして見れば茶番でしかない言葉が残っているように、出来るだけ戦争を回避して、話し合いで巫女を差し出すクニやムラもあったでしょう。
地方豪族の娘が天皇に献上され采女と呼ばれましたが、そのように差し出されたこともあったかもしれません。
結果、大国主の妻達は皆出雲にいた。
スセリヒメじゃなくても面白くありません。どうせ、自分と同じ女系の娘でなければ女王になる権利は無いのに、政治王の子などそんなにたくさんいなくてもいいはずです。
でも、権力を握った男というのは数多くの女性を集めて自分の種を残したいものなのでしょうムカツクわ。
(つづく)
大国主がヤガミヒメを因幡から連れてきたんです。
ヌナカワヒメの地元にはには悲劇の伝説があり、オオナムチから逃げて殺されたり自死したり、夫がいたが戦争になり殺されたりと、古事記のエロいロマンスとは程遠い状態なのですが、『能登半島まで来たところで逃げた』→『オオナムチが部下に追わせた』という具体的な伝承もある程度に、オオナムチはヌナカワヒメを伴って能登半島まで来たけれどもも、海路で出雲に帰還しようとした隙にヌナカワヒメは脱出して逃避行をした、という事だと思います。
ヌナカワヒメは翡翠の産地の姫です。
その翡翠がどのくらいすごいかというと、日本では翡翠が取れないというのが常識だったのに、古代に日本中で発掘される翡翠は全て同じ産地のものだという調査結果しか出ない。
新羅の王の冠も、翡翠がジャラジャラ付いていました。それも同じものです。
※ 結果的に、熱心な学者さんが探し続けてやっと糸魚川の産地を突き止めてくれました。現在は採掘禁止です
日本で唯一の翡翠の国の巫女姫が、その地を離れたい訳がない。
周囲の者たちも、貴重な翡翠の巫女姫を奪われる訳にはいかない。
ヌナカワヒメは奪われたし、そこから懸命に逃げたのです。
《八千矛》はヌナカワヒメを出雲に連れ帰る予定だった。でも叶わなかった。
でも、このストーリーが歴史を反映していたなら、ヌナカワヒメを得られなくても、越の翡翠の産地は大国主のものであり、そこまで勢力を拡大したということです。
その為の『妻まぎ』(妻を探しに旅出ること。八十神の最後尾をオオナムチが大きな袋を背負って歩いていたのは旅をする為)です。
《国譲り》という、出雲サイドにして見れば茶番でしかない言葉が残っているように、出来るだけ戦争を回避して、話し合いで巫女を差し出すクニやムラもあったでしょう。
地方豪族の娘が天皇に献上され采女と呼ばれましたが、そのように差し出されたこともあったかもしれません。
結果、大国主の妻達は皆出雲にいた。
スセリヒメじゃなくても面白くありません。どうせ、自分と同じ女系の娘でなければ女王になる権利は無いのに、政治王の子などそんなにたくさんいなくてもいいはずです。
でも、権力を握った男というのは数多くの女性を集めて自分の種を残したいものなのでしょうムカツクわ。
(つづく)

2023.
01.
26
私がかねてから気になっていたのは、大国主が何人の姫を妻にしたところで、遠距離結婚ではその姫が産んだ子供が自分の子であると、どうやって納得するんでしょうか?ということです。
結果的に特定の女性が寵姫になりふたりでイチャイチャならほぼ間違いないのでしょうが、元々政略結婚なんですから色っぽい歌を贈り合ったところで動機は打算です。
伝えられているだけでも大国主を振った女は2人いる(ヌナカワヒメの地元伝承を入れると3人になる)んだし、大国主の方が力が強かったので嫌々ながら妻問いに応じた姫もいたことでしょう。
その、嫌々ながらの姫は、遠距離結婚の夫がいない間、本命の男と子を設けるなんて、簡単に出来てしまうはずです。
……遠距離じゃ、なかったとしたら?
私は、以前ヤガミヒメを気の毒に思いつつも、どうも無神経で軽率な姫という印象が拭えませんでした。
そもそも、密やかにオオナムチの妻問いに応じて夜の間に致してしまえば結婚成立でしょうに、何で八十神の前でズバッと「私はあなた達の言うことは聞きません。オオナムチの妻になります!」とか言っちゃったかなー。
そんな派手なことをやらかした所為で、オオナムチは命の危機です。
そして、2度も死んで2度生き返るも、それでもなお兄神達が殺意満々で紀国まで追いかけてくるので、大屋毘古は自分じゃどうしようもないと大己貴は根の国に贈られて、そこで更にスサノオ様から殺意満々の試練を3度も仕掛けられるのです。
オオナムチが根の国から出雲に脱出すると、妊娠したヤガミヒメは大国主の元に向うのですが、そこに待ち受けていたのはギリシャ神話のヘラの如くに強烈に美しく強烈に嫉妬深い正妻様。
これ、いかにもスセリヒメが悪くてヤガミヒメが可哀想みたいに言われてますが、スサノオ様ご指定愛の巣・宇迦の宮に別の妻が孕んでノコノコやって来たら、正妻はブチ切れる権利があると言うものです。
況してや、大国主(オオナムチ)は入婿という身分です。
出雲の巫女王・スセリヒメ様の方が大国主よりも格上です。
怒りはヤガミヒメだけではなく当然に大国主にも向って
「何を勝手に妾と子供を作っていらっしゃるの…?離婚して政治王の椅子から蹴飛ばして差し上げても良くってよ」
とか、素晴らしい目力で言って下さったなら最高ですスセリヒメ様。
ヤガミヒメは生まれた子を『木の股に挟んで』自分だけ因幡に帰るという謎の行動を取るのですが、まさかクニャクニャの新生児を置いて行ったとも思えませんし、個人差はありますが産婦が旅に出るほど体調が回復するには数ヶ月かかるでしょう。
ヤガミヒメは、結局は妊娠期間~出産~産後何ヶ月かの、案外長い間出雲に滞在していたことになります。
まあ、実は今の私の脳内をネタバレしますと、ヤガミヒメ=スセリヒメなのですが、この話はまた別の機会に。
でも、ヤガミヒメの名で上記のようなストーリーが作られたという事は、古代では遠距離結婚などしていなかった、という証拠にはなると思うのです。
つまり、大国主は各地の有力者の娘を娶り、自分の拠点まで連れてきていた。
考えてみれば、遠距離では姫を手に入れても継続して通い子を産ませることは困難ですから、自分の傍に連れてくるのです。
これならば、嫁入り風味だけど通い婚、という形で複数の妻を確保出来ます。
播磨国風土記に、どういう訳か伊和大神(大国主とされている)がコノハナサクヤヒメを娶った(ニニギの妻とは別ということになっているけど、私はこんな美称が付くほどの美女がふたりいるとは思えない)とかいう話があり、それにまつわる地名も記述されています。
ということは、伊和大神は、コノハナサクヤヒメを連れてきたんです。
本拠地に囲う為に。
(つづく)
結果的に特定の女性が寵姫になりふたりでイチャイチャならほぼ間違いないのでしょうが、元々政略結婚なんですから色っぽい歌を贈り合ったところで動機は打算です。
伝えられているだけでも大国主を振った女は2人いる(ヌナカワヒメの地元伝承を入れると3人になる)んだし、大国主の方が力が強かったので嫌々ながら妻問いに応じた姫もいたことでしょう。
その、嫌々ながらの姫は、遠距離結婚の夫がいない間、本命の男と子を設けるなんて、簡単に出来てしまうはずです。
……遠距離じゃ、なかったとしたら?
私は、以前ヤガミヒメを気の毒に思いつつも、どうも無神経で軽率な姫という印象が拭えませんでした。
そもそも、密やかにオオナムチの妻問いに応じて夜の間に致してしまえば結婚成立でしょうに、何で八十神の前でズバッと「私はあなた達の言うことは聞きません。オオナムチの妻になります!」とか言っちゃったかなー。
そんな派手なことをやらかした所為で、オオナムチは命の危機です。
そして、2度も死んで2度生き返るも、それでもなお兄神達が殺意満々で紀国まで追いかけてくるので、大屋毘古は自分じゃどうしようもないと大己貴は根の国に贈られて、そこで更にスサノオ様から殺意満々の試練を3度も仕掛けられるのです。
オオナムチが根の国から出雲に脱出すると、妊娠したヤガミヒメは大国主の元に向うのですが、そこに待ち受けていたのはギリシャ神話のヘラの如くに強烈に美しく強烈に嫉妬深い正妻様。
これ、いかにもスセリヒメが悪くてヤガミヒメが可哀想みたいに言われてますが、スサノオ様ご指定愛の巣・宇迦の宮に別の妻が孕んでノコノコやって来たら、正妻はブチ切れる権利があると言うものです。
況してや、大国主(オオナムチ)は入婿という身分です。
出雲の巫女王・スセリヒメ様の方が大国主よりも格上です。
怒りはヤガミヒメだけではなく当然に大国主にも向って
「何を勝手に妾と子供を作っていらっしゃるの…?離婚して政治王の椅子から蹴飛ばして差し上げても良くってよ」
とか、素晴らしい目力で言って下さったなら最高ですスセリヒメ様。
ヤガミヒメは生まれた子を『木の股に挟んで』自分だけ因幡に帰るという謎の行動を取るのですが、まさかクニャクニャの新生児を置いて行ったとも思えませんし、個人差はありますが産婦が旅に出るほど体調が回復するには数ヶ月かかるでしょう。
ヤガミヒメは、結局は妊娠期間~出産~産後何ヶ月かの、案外長い間出雲に滞在していたことになります。
まあ、実は今の私の脳内をネタバレしますと、ヤガミヒメ=スセリヒメなのですが、この話はまた別の機会に。
でも、ヤガミヒメの名で上記のようなストーリーが作られたという事は、古代では遠距離結婚などしていなかった、という証拠にはなると思うのです。
つまり、大国主は各地の有力者の娘を娶り、自分の拠点まで連れてきていた。
考えてみれば、遠距離では姫を手に入れても継続して通い子を産ませることは困難ですから、自分の傍に連れてくるのです。
これならば、嫁入り風味だけど通い婚、という形で複数の妻を確保出来ます。
播磨国風土記に、どういう訳か伊和大神(大国主とされている)がコノハナサクヤヒメを娶った(ニニギの妻とは別ということになっているけど、私はこんな美称が付くほどの美女がふたりいるとは思えない)とかいう話があり、それにまつわる地名も記述されています。
ということは、伊和大神は、コノハナサクヤヒメを連れてきたんです。
本拠地に囲う為に。
(つづく)
